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常のごと夕日は西に初三十日 今日で1月も終わりです。 初三十日とか初晦日とか呼ばれるようですが、季語で検索してみると 「正月末日のことで、陽暦では一月三十一日。この日の風習が各地に残っているが、新潟県十日町地方では大晦日に年越し蕎麦を食べず、この日に食べる。また、岩手・宮城県地方では蔦の正月と いい、神前や門口に蔦を飾る。柳田國男の「年中行事覚書」によ ると、この晩は鬼が覗きに来るという。」とありました。 世の中これから大変になりそうですが、それとは無縁な風景が見えるようです。 わが家も平穏な1ヶ月を過ごす事ができました。 まだまだ寒い日が続いていますが、希望の春の2月に向かって、健康で元気に歩き出したいと思います。
2017.01.31
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血圧値確と治まる春待たる 月1回の血圧検診日でしたが、病院の側の田圃には8日に降った雪が残り、氷が張っていました。 毎朝だいたい同じ時間に計っていますが、朝の気温によって高くなったり、正常に戻ったりを繰り返したいました。 血圧手帳を見た医師も、「今の時期は多少上がるのは仕方がないですね」と慰めてくれました。 血圧も安定し、身体も動きやすくなる暖かい春が、早く訪れる事を願っています。
2017.01.30
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冬耕と呼ぶは似合わぬ日和かな もうすぐ1月も終わりです。 今年になってはじめて耕耘機を掛けました。 天地返しをして太陽の光に当て、下にいる雑菌をなくして貰う為と、夜の寒さで凍り、昼間の温かさで溶かして貰う事を繰り返して、良い土を作る為です。 今日は暖かい日差しで、途中で上着を脱いで作業する程でした。 側の桑の木にジョウビタキと思える鳥が来て、耕耘機が桑の木から遠ざかると、掘り返した土の中から何かを見つけては啄んでいました。 ジョウビタキのいる方に向きなおると、また桑の木に飛び移りこちらを見ていました。 春の農作業は馬鈴薯を植えることから始まると言われています。 今度耕す時は春耕と呼ぶことになるでしょう。
2017.01.29
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駆け抜ける鳥の声ある寒木立 今日は久しぶりに暖かい日です。 近くの山を見るとまだ芽吹き前の裸木が目立ちますが、2、3日前の底冷えするような気温の中で見た寒林とは、ちょっと違う景色に見えます。 ヒヨドリが2羽激しく鳴いて林の中を飛び去っていきました。 その声もちょっと明るく聞こえたのは、気のせいでしょうか。
2017.01.28
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人知れず幾多の命春を待つ 昨年挿し木にしたマユミが根付いたので、塀の側に定植し、弓形支柱で守ってきました。 今は葉がが枯れ落ちてしまっていますが、春になって生き残っていたら、新しい葉が出てくるでしょう。 周りの草が蔓延っているうちは気が付きませんでしたが、冬になって周りの草が枯れて来たら、蟷螂の卵があるのに気が付きました。 春に生まれる訳ではなく、初夏になって生まれますが、それまでじっと耐えているようです。 この中から何匹の子蟷螂が生まれるかはわかりませんが、その時期が来たら「蟷螂生る」で投稿できたらと思っています。 マユミも蟷螂の卵も、そして人間も春が来るのをひたすら待っています。
2017.01.27
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門開ける時は気合いだ寒の朝 今朝の気温です。 子供達が家の前の道を通って登校していくのは、7時30分頃です。 何かあっては困りますが、そういう時に門が閉まっていて逃げ込めなかったら大変なので、その前に門のシャッターを開けておくようにしています。 起きてきた時の部屋の中も寒いですが、玄関を開けると寒気が襲ってくるので、ニット帽を被り、ネックウォーマーを巻いて外に出ます。 拳を握って「よし」と気合いを入れて門を開け、新聞をとってきます。 しばらくすると山の上の団地から子供達が下りてきて、隣組の子供と合流して集団登校していきます。 下校時間ははしゃぎながら帰って来る子供達も、誰も無言で歩いて行きます。 寒さが揺るんで子供達の元気な声が聞こえるように、春が早くきてほしいものです。
2017.01.26
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病む友の奇跡の復帰新年会 月1回の昔の職場仲間のハイキングは、川越にある日帰り温泉での新年会としました。 昨年8月に仲間の一人が倒れ、10月24日に御見舞いに行った時には、車椅子生活で筆談でやっと半分くらい意味が通じる状態でした。 1月の案内は出しておきましたが、みんなまだ無理だろうと考えていました。 集合時間になってももちろん来ませんでしたが、参加出来ないという連絡もなかったので、念の為携帯に電話を入れました。 「歩くのが遅く、決められた電車に乗れなかったけれど、そちらに向かっている」という返事がありました。 信じられないう気持と、良かったという気持で、みんな笑顔になりました。 改札口までみんなで迎えに行きましたが、下りたお客の波が途絶えた後から、少し小さくなった友人が確かめるように歩いてきました。 改札口を出た所で、代わる代わる手を握って迎えました。 お湯に入った後新年会になりましたが、本人も「あの時は助からないと覚悟した」と倒れた時の心境を語っていました。 「今日は歩かないで済んだので参加出来たけれど、まだ歩くのが辛い」ということなので、無理をしないでリハビリに努め、参加出来る時に体調と相談しながら参加すれば良いということにしました。 予期していなかった展開に、ちょっと飲み過ぎたかもしれませんが、お互いに年なので健康に注意しながら、来月も頑張ろうと誓って散会しました。
2017.01.25
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凍土に太刀打ちできぬ吾と鍬 山の高台にある畑は、耕耘機で2度冬耕しましたが、庭畑はそのままになっていました。 朝はどの畑も凍っていて無理なので、日の当たってくる場所から掘る事にしました。 天地返しをして太陽の力で良い土にしてもらう為です。 表面は柔らかそうに見えますが、土の中は凍っていてシャリシャリと音がしました。 大丈夫そうなのでそこを済ませてから、太陽のあまり当たらない場所を掘ろうとしましたが、雪も残っていて土も固く凍っていて、鍬が跳ね返されとても歯が立ちませんでした。 身を切るような風が吹いていましたが、こうして身体を動かしたくなるのは、春が近いと身体が感じているのかもしれません。
2017.01.24
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雪嶺の掘られた跡の襞哀れ 大寒の日に平地は降りませんでしたが、武甲山には雪が降ったようです。 家から見える武甲山の正面は北を向いていて、雪が降ると何時までもとけず、石灰岩を掘った跡がハッキリと見えるようになります。 昭和53年に中生代三畳紀後期(約2億年前)の二枚貝化石が報告され、武甲山石灰岩は中世期三畳紀後期の地層に相当すると考えられています。 長い間眠っていた石灰岩が、大正14年から掘り始められ、関東大震災から復興する東京のセメント需要にこたえるかたちで掘り続けられました。 昭和47年、当時の浩宮殿下が秩父を訪れた際、山肌がむき出しになった武甲山の姿を危惧された感想文が新聞に掲載され、全国的な話題になりました。 石灰岩鉱山における緑化対策が研究され始め、ベンチカット採掘法で石灰岩採掘を行い、階段状になった残壁の平坦部に土を盛り、樹木を植えるという方法が基本ですが、岩場で北向きの為、霜による凍死や根の浮き上がり、種子の流出などで、非常に難しいようです。 秩父のどこからでも見える武甲山は、秩父の人の心の支えになっていますが、その後も掘削が続けられ、私が子供の頃に見ていた兜の形をした山から、ずいぶん山容が違ってきてしまいました。 霞がかかり山襞を隠してくれる春が、早くやってきてほしいものです。
2017.01.23
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あと僅か鳥への奉仕実万両 久しぶりに温かい日差しが注いでいます。 庭の万両を覗いて見ると、赤い実がほとんどなくなっていました。 お正月の頃にはたくさんの赤い実があり、南天と万両の赤い実がお目出度いねと話したばかりでした。 裏庭の鈴なりのピラカンサの実がいつの間にかなくなっていたので、もしやと思い万両を覗いて見ると、やはり目敏い鳥に見つかっていたようです。 今の時期鳥達には貴重な一粒で、鳥の命を守る為に役立っています。 もっともそれが万両の狙いで、ただ鳥に奉仕するだけではなく、どこかへ運んでもらって、今度はこの子孫が何処で芽吹くことでしょう。 古い実に変わって、早く新しい芽が出る春がくると良いですね。
2017.01.22
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庭隅に少し光明冬木の芽 昨日から大寒で底冷えするような寒さが続いています。 気になっていた庭隅の整理をしようと外に出ると、桜の芽が随分膨らんでいました。 寒いので人間は外仕事を敬遠しがちですが、植物はきちんと春の準備をしているようです。 次の二十四節気は立春。人間も負けてはいられません。
2017.01.21
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大寒や盆地の底にへばりつく 今日は大寒です。 朝からどんよりとした雲が垂れ込めていて、武甲山も頂上付近が隠れています。 武甲山の左側が隠れると雨になると昔から言われていますが、その左側から隠れてきました。 雪の予報が出ているので、何時降ってもおかしくないですが、降りそうで降らず、寒さだけが張り付いています。 午後の予定を午前中に変更してグランドゴルフをしてきましたが、グランドは凍っていて、打ったボールがバウンドしてあらぬ方向に転がって、みんなで大笑いしました。 寒稽古とか寒仕込みという言葉がありますが、今日は寒グランドゴルフで老人パワーを発揮してきました。
2017.01.20
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寒禽や薄日あまさず身に纏う 昨日までの快晴ではなく、雲の間から薄日が差している今日の天気です。 庭にいろいろな小鳥たちがやってきますが、鳥インフルエンザの心配があるので、餌づけはしません。 そのかわり庭を自由に歩いて、落ちている何かを啄んでいます。 楓の木に目白がやって来て、剪定した後滲み出してくるメープルシロップをなめています。 明日は雪の予報で、雪になれば日差しもなく、落ちている餌も雪の下に隠れてしまうでしょう。 今のうちに太陽の温かさを羽に溜め込み、食べられるだけの餌を食べておいてほしいと思います。
2017.01.19
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日の恵み両手に抱き干蒲団 蒲団を干しましたが、正面の武甲山には雪がまだだいぶ残っていて、近所の屋根や畑にも先日の雪が残っています。 湿度が高かったので、しばらくは蒲団乾燥機で済ませていましたが、どうも太陽の光には敵いません。 20日には雪の予報で、またしばらく干せなくなりそうなので、思い切って干して正解でした。 蒲団を取り込む時のあの幸せ感は何とも言えません。 そして飛行機雲が現れ、雲が出てきました。 明日から下り坂で20日は雪の予報、まだまだ春は遠いようです。
2017.01.18
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過ぎ去りし地震を思わす寒鴉かな 昨日の夕方に鴉の大群が空一面に広がって、近くの山の塒に帰ってきました。 そのまま静かに塒に収まると思いきや、縄張り争いかどうかはわかりませんが、又飛び立ったり、枝から枝へ飛び移ったり、しばらくの間その騒がしいのなんの。 「何か悪い事が起きなければいいのにねえ」と、隣のお婆さんが呟きました。 昔から鴉が鳴くと不吉だと言われてきていますが、確証がないとはいえやはり不気味です。 22年前の今日阪神淡路大震災が起こりましたが、もう私達の頭の中からは消えています。 当時は東京の郵便局に勤務していて、集まった山のような救援物資を、会議室をぶち抜き、食料、水、衣類、毛布、医薬品などと整理して、発送していた事が思い出されます。 その後東日本大震災や熊本など、自然災害が全国で起こっていますが、何時も頭の中にある訳ではなく、新聞やテレビを見て、ああそうだたっと思い出す程度です。 「神戸市の人口の半分以上が震災を経験していない人です。教訓を伝えることが難しくなるなかで、自然災害はいつ、どこで起こるか分かりません。阪神・淡路大震災の教訓を次の世代に伝えていくことが今後の課題です。」というニュースがありました。 遠く離れた秩父盆地から、黙祷させていただきました。
2017.01.17
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年始会の地蔵無言の教えかな 菩提寺の新年祈祷会が行われました。 まだ雪が残り冷たい風が吹く中、檀家が三々五々集まり始めました。 「寒いんねえ」と会う人毎に最初に出る言葉でした。 今年はじめて会った人達は、ここで新年の挨拶を交わしていました。 庫裏の入り口のお掃除地蔵さんも、日陰で寒そうでしたが、自分の仕事をやり遂げる意志は強うそうです。 私も気合いを入れて寒さに向かって行きましょう。
2017.01.16
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松とりて気持新たに踏み出す邪気祓う湯気のほのかな小豆粥 先日の雪が残っていて、顔を刺すような今季一番の寒さの中、門、氏神様、井戸神様などの松飾りを取りました。 紙垂や注連縄は外して後で神社に納めることにし、松は捨てました。 12月31日のお炊きあげの習慣は残っていますが、どんど焼きは相当山の中の集落でしか行われなくなりました。 近所に住む人の苦情や、環境を守る為に、だんだん行われなくなったようです。 高台の畑で畑焼きをしていても、消防に通報される時代になりました。 除夜の鐘を止めるか、除夕の鐘として昼間やる寺も出て来たと、大晦日の日に放送していましたね。 そういう時代ですが、わが家だけで出来る風習は守ることにしました。 お昼に小豆粥を食べました。 小豆の朱色には、鳥居や社殿の朱色と同じ意味で、昔から邪気を祓う力があると言われていて、平安時代から一年の家族の健康を願う意味を込めて、小豆粥が食べられてきたそうですね。 小豆粥もいただき、今年も元気に過ごしていこうと、改めて思いました。
2017.01.15
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薄雪に働く人の轍かな 朝、新聞を取りに出ると、薄らと雪が積もっていました。 夕べは星が見えていたので想像もしていませんでした。 雨や雪が降りそうな時は、新聞が濡れないようにビニールで被われていますが、今日はむき出しのままでした。 その新聞配達のオートバイの轍と、朝早く出勤した車の轍だけが続いていました。 各地で大雪になっているようですが、被害が出ないようお祈りいたします。
2017.01.14
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熟れる日に思いを馳せて寒肥す 今は寒肥を施す時期ですが、木々や畑の雪が残っていて、作業が遅れていました。 寒肥は今効くわけではありませんが、花の季節になったら良い花が咲くように、果物なら良い実がなるように、油かすや緩効性肥料、堆肥などを根の周りに埋め込んでおきます。 雪が溶けたばかりの土は軟らかく、掘るのが楽でした。 あちこちの木の周りを掘り返していると、小鳥が近くの木の上で見ていますが、まだ虫が動き出すのは早いようですね。
2017.01.13
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初虚空蔵闇に光明とみ詣り納められ吉凶いかに福達磨 初虚空蔵縁日が開かれました。 秩父十三仏霊場の一つで、丑寅年生まれの守り本尊になっていて、虚空蔵菩薩は、知恵、福徳、音声を授ける菩薩とも言われています。 息子が寅年生まれですが、離れて住んでいて仕事でお詣りに来られないので、妻と二人で代参しました。 十三仏を(とみ)詣りと読み替えて縁起を担ぎ、大勢の人が訪れていて行列ができていました。 普段より多い灯明は点けられていましたが、94段ある石段は暗く手摺りに掴まって上りました。 福達磨や縁起物、いか焼きなどを売る露店が出ていて、威勢良く客を呼び込んでいました。 昨年の福達磨を納めましたが、どの達磨も使命を果たした自信に満ちた顔に見えました。 実際はどうだったのか、納めた人でないとわかりませんが、わが家はまあまあ平穏な一年を過ごす事が出来ました 新しい福達磨を求めましたが、どれだけ値切れるかが福を呼ぶと言われていて、あちこちで交渉が行われていました。 何とか300円値切りましたが、達磨屋さんにとっては想定内の値段かもしれません。 私の子供の頃は盗むと縁起が良いと言われていて、達磨屋さんとのバトルが行われたようですが、流石に今はなくなりました。 今年はじめて会う人もいて、あちこちで「今年もよろしく」という挨拶が交わされていました。 この初虚空蔵縁日が終わると、秩父の人達はお正月が終わった事を実感します。
2017.01.12
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氏神の鏡開きに朝日かな 今日は鏡開きです。 神棚や床の間、離れて暮らしている息子の部屋にお供えしておいた鏡餅を下げました。 氏神様の鏡餅も下げなければと外に出ると、まだそこここに雪が残っていて、歩くとじゃりじゃりと音がしました。 略拝詞をあげて餅を下げようとすると、ちょうど朝日が射し込んできました。 耳が切れそうな寒さの中、ちょっとホッとしました。 松飾りは15日に取るのが風習になっているのでそのままにしましたが、正月の行事がどんどん過ぎて行きます。
2017.01.11
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いきなりの試練学校始めかな 今日から三学期が始まりました。 山の上の団地から子供達が下りてきましたが、一昨日の夜降った雪が残っていました。 昨日のうちに道路の雪掻きをしておきましたが、やはり凍結していました。 子供達はみんな宿題の入った大きなバッグを提げていましたが、滑らないように注意しながら、元気に登校していきました。 いきなりの試練にも負けずに登校していった子供達を見送り、私も頑張らなければと思いました。
2017.01.10
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初雪に揺るむ気持の引き締まる 昨日の午後から雪になりましたが、正月最初に降る雪も初雪と呼ぶ事を知りました。 初薬師を早めに終わらせ後片付けを手伝いましたが、湿った雪が容赦なく身体を濡らし、運ぶ道具も濡らしました。 遅い正月休みで帰省していた息子を、追い立てるように帰らせました。 夕方になって依頼しておいた車検が終了したという連絡が入りました。 雪が止んだ明日にするとディーラーに連絡しましたが、だんだん雪が強くなってきたので、明日の方が危険だと思い返し、これから行くと連絡して出発しました。 代車だったので雪道を慣れない車で緊張して走りましたが、明らかに冬タイヤを装着していないと思える車が近くを走っていると心配になりました。 暗くなった道を自分の車で帰ってきましたが、国道から狭い道に入ると、冬タイヤを履いていてもハンドルを取られました。 お正月で緩んでいた気持が、いっぺんに引き締まりました。 今日は知人の告別式があり、これから家の前の道の雪掻きです。
2017.01.09
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堂の戸の開くまで待てず初薬師 今日は隣組の中にある薬師堂の初薬師で、堂守の当番は隣の家とわが家になっています。 接待は妻が行い、お客様が来る前に石油ストーブやお茶道具、水を運ぶのは私の役目です。 台車に道具を乗せて薬師堂まで行きましたが、すでに近所の90歳近いお婆さんが来ていて、「初薬師は特別な気持がするんなあ」と、曲がった腰をもっと曲げて道を掃いていました。 今日は曇りから雪の予報で、底冷えする気温です。 堂の戸を開けると、1ヶ月に1回開けられるお堂の床から寒さが這い上がってきました。 ロウソクを灯し線香を立ててお参りをすると、気持が引き締まりました。 私の役目はここまでで退場しますが、これからお年寄りがお参りに来て、いろいろな話が出る事でしょう。 ブログ名の「薬師堂だより」は、ここから名前を付けました。 今年も日々の出来事を綴っていきたいと思います。
2017.01.08
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七種に足らぬ菜探す畑かな 今日は七草です。 昨日のうちに畑の蕪や、埋めてある大根を掘り出しておきました。 今朝芹だけは霜を被っているのが見つかりましたが、後はどうにもならないので、水菜や春菊、ホウレンソウなどで代用しての七種粥です。 昨日の新年会で飲み過ぎたので、七種粥が胃に優しく感じられました。
2017.01.07
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刺す風に老いに鞭打ち初稽古 今年初めてのグランドゴルフが行われました。 冬は午後1時30分から行われますが、今日は新年会を後に控えている為に、朝9時30分からのスタートです。 零下の気温の中自転車を走らせましたが、鼻水が垂れる程でした。 それでも今年最初のプレーなので、37名参加しました。 隣のグラウンドでは女子高校生のソフトボールチームが練習をしていて、その若いはつらつとした声に励まされました。 プレー終了後に公会堂で新年会が行われ、今年も健康に気を付けて頑張ろうと誓い合いました。
2017.01.06
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小寒や二十四節気始まりぬ 今日は小寒です。 冬至で終わった二十四節気も、今年も新たな歩みを始めました。 戸を開けて新聞を取りに出ると、冷気が耳や手に遠慮なく襲ってきます。 これから一番寒い季節、体調管理に気を付けたいものです。
2017.01.05
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略拝詞神酒も畑に農始め 野菜を採ってきてくれと妻に頼まれ、今年初めて山の高台にある畑に行きました。 縁起を担ぎ、一人で農始めの儀式を行いました。 畑や農具小屋に御神酒を注ぎ、祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ と略拝詞をあげました。 一番短い祝詞で済ませ、御神酒もなるべく少なくし、残りは畑の神様から私が頂く事にしました。 神様にお願いするだけでなく、私自身がどれだけ頑張るかが、この一年間の収穫を左右するのは言うまでもありませんが。 それでも心が清らかになりました。
2017.01.04
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山国の寺に祈願の初読経 秩父札所11番常楽寺の毎年1月3日に行われる、厄除元三大師の縁日が行われたので、お参りに行きました。 病気平癒と長寿祈願の守護仏として、信仰する人々が大勢訪れていました。 「元三大師の本来の名前は良源といいます。亡くなった日が1月3日=元三なので、元三大師の名前が生まれました。 良源は天台宗の僧侶で、比叡山の経済的基盤の確立や、焼けたお堂を建て直したり、学問的な興隆、教団内の規律の維持など、さまざまな功績があり、延暦寺中興の祖と言われています。18代目の天台座主=天台宗の最高責任者も務めました。また、おみくじの原型を作った人としても有名です。」と説明がありました。 元は天台宗のお寺だったので、昔から元三大師縁日が行われているようです。 1920年(大正9年)4月、秩父を訪れた若山牧水が、 「秩父町出はづれ来れば機をりの 歌声つづく古りし家並に」と詠んだのは、3枚目の写真の常楽寺前の坂道でのこと、という説明がありました。 三が日もあっという間に過ぎていきました。 元旦は10105歩、二日は8394歩、今日は6064歩と、良く歩いた3日間でした。 健康で歩けることに感謝し、今年も元気に過ごしていきたいと思います。
2017.01.03
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積年の思い叶える恵方行 2017年の恵方は「北北西」、 正確には”北北西微北”だそうですね。 これは十干十二支によって決められるということですが、今年は丁酉の方角が恵方だそうです。 節分の恵方巻きをどの方向に向いて食べるかがこれから話題になりますが、初詣も恵方詣をすると開運に繋がると言われています。 そこで秩父から北北西の群馬県に近い埼玉県児玉郡神川町にある、金讃(かなさな)神社と金鑚大師に初詣に行きました。 実は38年前、父母とまだ小さかった子供を連れて金鑚大師の初詣を目指して出発しました。 途中車に弱かった母が車酔いで苦しみ出したので、大きな鳥居のある場所でともかく降りてお詣りしました。 後でわかったことですが、これが金鑚神社で、目的の金鑚大師を素通りしてしまいました。 今回はその時の思いもあって金鑚大師を目指して出発しましたが、近くまで行くと大渋滞で、結局金鑚神社の駐車場までやっと辿り着きました。 今度は神社から350メートル歩けば大師に着くという事を調べておいたので、大師まで行く事が出来ました。 御朱印帳に記帳(正月の間はお札のようなもの)していただき、目的が叶いました。 38年経つと父母は亡くなり、息子や娘も大きくなり、その分我々も歳を取りました。 今年も元気に過ごせることが、大開運かもしれません。
2017.01.02
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人毎の祈ぎ事溢る初詣 明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします 秩父神社に初詣に行きました。 昨日師走の大祓で禊ぎをしましたが、今日は新たな気持でお詣りに行きました。 鳥居の外から神社を取り巻くように人の列が出来ていました。 私のお願いは毎年同じで、家族が健康で、安寧に一年間暮らせるようにということですが、側のおみくじ結び所には、結ぶ場所がないほどのお神籤で溢れ、下に落ちているものもありました。 それだけ大勢の人がお詣りに訪れ、願い事も様々で、神様も大変だろうなと思います。 神様にお願いしっぱなしにしないで、願い事を唱えた後には、「私も頑張りますので」と付け加える事が大事だと聞いた事がありますが、みんなの願いが叶うと良いですね。
2017.01.01
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