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職場の文化祭が明日に迫っていて、実行委員の私は仕事に追われ育児と併せて激務の日々。そのせいかどうなのか昨日から、急激に体調が異変を呈しはじめた。背中の筋肉が痛いのだ。背を伸ばすと激痛が走る。子供と一緒になって這い這いやってたからかな?いや違う。この痛みは5年前で山で落ちて怪我した時と同じ場所だ。あの時は岩場で10m落ちて肋骨と肩甲骨を折った。怪我は1月で治った(治した)が、寒くなると後遺症で背中が痛むことはあった。今年はその後遺症が強いだけなのだろう。山にけがはつきものなのだ。そう言えば周囲の山仲間も落石だ転落だなんだでずいぶんいろいろな怪我をしているが、面白いのは普通怪我したら大人しく療養していればいいものを山屋は山に行って治す人が多い。つまり今後山を続けていくのに必要な筋肉を維持するために、同条件下の山に行って、罹患部の筋肉劣化を防ぐとともに罹患部をフォローする筋肉を鍛えるのだ。これを山屋は積極的治療法と呼ぶ。この療法は病気にも有効だ。実際、風邪などひいて39℃台の熱が出ても山にいって気持ちの良い汗をかくと不思議と熱がひくものなのだ。これは本当の話なのだ。しかし高熱で山に行こうと考える人そのものが少ないからデータ少ないのでこの療法が有効なのはもしかすると私だけかもしれない。これらの療法は体には相当の負担なので、若い頃の無理したつけはあとで出るにちがいない。今の私がその例だ。あ~背中いて~
2005年10月29日
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今日は朝から日帰りで谷川岳に行って来た。いくら紅葉シーズンとはいえ、平日である。どこもがらがらに違いない。しかししかし、水上ICを降りて、何度も通った谷川岳への道はすでに大渋滞。前にも書いたが、山屋は渋滞が大嫌いなのだ。しかしここは家族連れで、わざわざ谷川岳の散策にきたのだ。引き返すわけにも行かないのでのろのろと走り続ける。地下486段の階段で有名な地底駅土合駅を過ぎて一の倉沢まで車で入れる。この道は一体何度通ったことだろう?毎週のように谷川の岩場に通っていた頃はいつも早朝夕方ばかりここを通っていたから、こうして日中の道を通ってみるとここがたいそうな観光地であることに気がつく。そして一の倉にて壮大な岩場を見上げてみる。衝立岩の基部に2人の登山者が点となって見える。昔、あんな岩場を一人で登っていたことが嘘のように思える。さて感傷にひたるまもなく今は家族でハイキングである。紅葉はまだ早いみたいで、付近の木々はまだまだ十分に緑をたたえている。予定ではマチガ沢でお昼をつくるつもりでいたが、人混みが多くてすっかり山というよりは観光地であったのでパス。山屋は人混みが嫌いなのだ。ましてや山の人混みは町の人混みよりもがっかりする気持ちが強い。一の倉から新道を通っての紅葉のプロムナードコースはベビーカーでも行ける程度の水平道なのでお薦めである。ここまで来ると観光客は皆無なのでとても静か。最盛期ならブナやミズナラの紅葉がまばゆいことだろう。マチガ沢~一の倉沢~幽の沢~堅炭岩といった大岩壁群を愛でながらの散策は家族にはぴったりである。我々は幽の沢にてお昼ご飯を作り、そのまま先に進みたかったが、寒かったのですぐに引き返した。今年リニューアルされたばかりの天神平ロープウェイはものすごい人混みだったが我々山家族には関係のない施設なので素通りである。帰りは湯桧曽から照葉峡経由で帰宅。ここは紅葉真っ盛り。ここはあまり人にしられていないのでのんびり紅葉を楽しむことができました。日帰りでは慌ただしかったけど、都会ではなかなか感じられない秋を感じるのはやっぱり山が一番です。来週はどこに行こうかと地図を広げる私でした。
2005年10月24日
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春先に読んで面白かった雑誌「日経キッズ+」月刊誌として刊行されたので購読してみた。日経とキッズという組み合わせが面白く、また今までママよりだった子育てを、よりパパよりの視点でとらえているのが面白い。面白いので読者アンケートがあるごとに熱心に解答してみた。子供のプレゼントは何にしますか?という問に「旅行」や「登頂」プレゼントに演出は?という問に「満天の星の下で」とか「海辺もしくは山で」という解答である。我が家では夫婦そろってお出かけ好き、アウトドア好き、山好きなので1歳の子を休日の度に連れまわしてるのだ。子供に何がよいかよくわからないので、今は自分がよいと思えるものを子供に与えるしかないのだ。息子よ。山馬鹿のちゃんを許しておくれ。しかし、日経と子供があわないように山と子育てというのもあわないような気がするなあ。ましてや山と家庭という言葉も相反するカテゴリーに感じられるのは私だけか?この間、沢登り中にいつものように高さン10mくらいの岩場を普通にノーザイルで登っていた時ふと「ああここから落ちたら死ぬな~」と考えた時、妻子の顔が浮かんだ。別にそこは自分にとって危険でもなく、怖くもない箇所だったが万が一死んだらと思った時に家族のことを思うのは至極当然のことで、世の中の多くの登山家なり冒険家なりもそのことで生きながらえている部分があるのかもしれない。しかしそう思ってしまった自分が少々寂しかった。独身時代は「死んだっていい」くらいの気持ちで山に登っていた。だが家族をもつことで危険な山に行く頻度は激減した。かわって休日の度に妻子を連れて、自分がかつて興味も示さなかったキャンプやハイキングを行うようになった。妻は好きな山に登ってきなよと背中を押してくれるから、別に行っていけないわけではないのだ。ただ自発的に行っていないだけだ。今は子育てが楽しいから山も我慢できる。しかし本当は骨がきしむような山がやりたい気持ちと家族とのんびりキャンプでもしていたい気分が拮抗している。拮抗していながら、現実に山から遠ざかっている自分がいる。そのことが少々寂しい。寂しいけれども家族で山に行くのもまた楽しからずや。今度の休みは家族連れで谷川岳に紅葉を見に行こっと・・・
2005年10月19日
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長く読んでくれている方はご存じと思うが、私はお酒が大好きだ。しかし酒好きということでよく勘違いされて、同僚などから飲み会に誘われるのだが、私は酒は好きだが居酒屋とか飲み会と言ったものは大嫌いなのだ。好きなのは酒であってどんちゃん騒ぎではない。そして好きな酒は心から自分が落ち着ける環境で飲みたいと思う。それが私にとって自宅かもしくは山なのである。山で飲むのはいい。まず静かだ。隣の団体の下卑た嬌声をきかなくてもいい。聞こえるのは風の音、葉ずれの音、川の瀬音。そして薪のはぜる音くらいか。そして山は帰らなくてもいい。酔っぱらったらテントにも入らずバタンキューでも誰も文句言わない。終電気にしてふらふらと帰る必要もない。吐きたくなったら森の中にでもいけばいい。それから居酒屋みたいに時間制限がない。朝が来るまで飲むと翌日がしんどいけれど、若い頃はよく4時5時まで飲んで翌日普通に山登っていあたものだ。山で飲むときは時計をはずしてしまう。すると今何時だかさっぱりわからない。わからないから気にしない。時間を気にしないで飲むとは何と幸せなことだろう。あとこれはあまり言わないようにしているのだが、山で飲んでみない?という誘いは女の人への誘い文句としても効果的(らしい)。山という場に特化した誘いなので比較的興味を引きやすいと同時に自分の特異領域をアピールできるというメリットもある。しかも泊まりが前提となるにも関わらず山ということであまり警戒されない。そして実は何を隠そう私と妻のつきあいのきっかけも山での酒の席にあったのである(*^_^*)ことほどさように素敵な山での酒であるが、難点と言えば、会場が遠いこと。大抵自宅から1泊2日くらいかかるものだ。そして飲食物はすべて持ち込まねばならない。つまみなら野山の恵みをいただくこともできるが、酒は自前である。ジュースに砂糖と酵母を入れて発酵させて数日後にいただくという方法もあるがそれは日本では法で禁じられているのでやってはいけない。原則麓で買ったものを担いであがる。こんなに飲める分けないじゃんとか思って少な目に酒を盛っていくと大抵足りなくなる。そして足りなくなったら延長はない。会場作りからつまみの準備からすべて自分たちでやらねばならない。焚き火の炎が小さくなれば酔っぱらった足でその辺の谷に降りて薪を拾ってくる。結構めんどくさい。めんどくさいけど楽しい。そして何遍となく行った飲み屋の光景よりも、たった1回だけ行ったその山で飲んだ夜のことを鮮明に覚えていたりする。そんな山の酒がやめられない・・・
2005年10月11日
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今回の3連休も天気悪いって行ってるのにどこ行っても渋滞でしたね。でもまあ雨に濡れる紅葉もなかなか美しいからそれはそれで良いのかも。私の好きな奥多摩は紅葉はまだまだなのですが、上信越の山々では今が紅葉の最盛期。普段、町で暮らしているとどうしても季節の移り変わりを感じることはできませんが、山では日1日と足早に季節が通り過ぎていきます。以前秋口に毎週毎週谷川岳の岩場に通っていた頃がありましたが、毎週訪れるたびに紅葉が麓へ麓へと降りてきてきて、紅葉を追いやるようにして10月のおわりには稜線は雪で白く染まっていたものです。そう山はもう秋なのです。夏山もろくに行けなかった私はせめて秋ぐらいはどこか大きな山に行きたいと思ってるのですけど育児の身にはなかなか厳しいかな?秋山と言えば何でもいいですね。尾根歩きもも空気が澄んでいて遠くの山々まで見渡せていい。泊まりがけだと水場が涸れたりするのが難点だけど、秋の夜長に仲間とビールでも飲みつつ語らうのもまたよし。木の実やきのこ狩をかねたキャンプにも良い季節。キノコ鍋に温めのお燗なんて最高。バーベキューは夏の行事と思う人が多いけど夏のバーベキューなんて熱くってやってられない。本当はバーベキューは秋が最高なのだ。野山の恵みをちょこっといただいて野趣満点の食事ができるのも秋ならでは。沢登りもよいのです。秋の沢はやや寒いけど、紅葉の渓谷は格段に美しいし、寒い夜に焚き火を囲んで焼酎お湯割り梅干し入りなど体が芯からあったまってよい。岩登りも快適です。日が短いのは難点だけど、秋の岩場はよく乾いて谷川のいっつもじめじめした岩場も快適なクライミングエリアとなる(ことが多い)。何だ結局どんな登りかたしたって秋の山を満喫できるんだ。それは登り方のもたらす魅力ではなく、自然か醸し出す「秋」という一場面の魅力なんでよすね。紅葉渋滞はいやだけど、桜や紅葉を愛する日本人の自然への感受性っていうものもずっと後世にまで伝えていきたいものです。自然遺産とは言うけれど、伝え残すべきは自然そのものではなく、自然に対する気持ちなんだと感じつ今日この頃です。
2005年10月10日
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今日は久しぶりに谷川岳にでも行くつもりであったが、天気が悪そうなので止めた。案の定上越の方は朝から雨だったらしくよかったよかった。若い頃は雨が降ろうと雹がふろうと構わず山につっこんでいたものだが、今はすっかり軟弱になったものよのお・・・と思いつつのんんびりと休日を過ごしていると、山仲間からメールが来た。谷川岳に岩登りに行ってる知り合いが転落したらしい。そして最悪の結果になったそうだ。幸か不幸か私はその落ちた方とは面識がなかったのですが、その周囲の人たちも含めてその心情はどんなものだろうかと深く痛み入ります。一緒に登っていて目の前で突然相棒がいなくなった人は、その瞬間何を思うのでしょうか?そしてその後どんな傷を心に背負って生きていくのでしょう?そしてその人の家族は?子供は?山仲間は?何で山で死ぬんですかね?たかが道楽なのに。古今東西いろんな道楽あるけれどこの現代において死ぬかもしれない趣味なんて山登りぐらいなものだ。私は長く危険な山を続けながら、幸いなことに自分も無傷だし、仲間に目の前で逝かれたこともない。あかの他人の遭難死には立ち会ったことはあるけれど・・・厳しい山の中仲間と苦楽をともにして、そして突然その仲間が目の前から消えて一人残されてしまうという状況・・・想像にあまりある。小心者の私は最初から一人で登る方が気が楽だ。だから一人で登ってきたのかもしれないな。残された人の日々はこれからも続くのでしょうが、今はただ亡くなった方の冥福をお祈りします。
2005年10月03日
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先日奥多摩の山に行ったときのこと。帰りに車で日原林道の奥地を下界にむけてを走っていると、突然目の前にでっかい高所作業者が立ちふさがり、道は通れなくなった。上を見上げると林道脇の崖で防護壁工事をしているところ。「いや~今日もお疲れさまです」という気分ではあるが、いかんせん車が通せんぼして帰れない。ここは1本道の林道なのでここを突破しなければもちろん帰れない。普通こういう場合は、下の方に誘導員なんかがいて、適当に合図して、道をあけてくれるものなのだが、ここは山奥だからなのか誘導員はおらず、作業員のみが熱心に、ある者は1本のロープにぶら下がりながら掘削機を器用に操り、あるものは作業者のゴンドラ上にて作業を続けて自分の世界に入ってしまっている。さあどうしようか?皆さんならこんな時どうするでしょう?大声で抗議するか?車をおいて歩いて突破するか?しかし山屋の場合、答えは決まって「待つ!」だけです。どうせ3時のお茶時になれば作業は一旦やめるでしょう。最悪5時には終わるはず。それまでのんびり火でもおこして昨夜の余った酒でも飲んでればいい。とこの時は車を広場に止めて本気で薪を拾いに行った僕でした。ふと気がつけば、同じく立ち往生していた後ろの山屋さんも車の中でコンロを出してお茶を飲もうとしている。う~ん山屋の行動パターンは同じだな。困難な状況に遭遇した時は焦っても仕方ない、「好天を待つ」「雪崩の切れ目を待つ」といったのと同じ感覚で機会をうかがい、そのチャンスに備えて力を蓄えるのが山や的スタンスなのだろう。このときは幸い、すぐに3時のお茶の時間がやってきて、さしもの作業員達もすぐに降りてきて道をあけてくれたのでことなきを得て、僕等と後ろの山屋の車は無事に工事現場を通過できたのである。さてその後である。山帰りだし、どこか温泉でも入っていきたいと、奥多摩駅の近くにある「もえぎの湯」につながる狭い道路に突入!考えることは同じなのか、先ほど同じ林道で立ち往生していた山屋さんの車もすぐ後ろについてくる。しかししかし、3連休の最終日とあって、温泉は駐車場の順番待ちの車が行列を為している。一体何時間後に入湯できるのかも定かではない。さあこんな時あなたならどうする?ほとんどの車がせっかくだからと行列に耐えている。しかし山やの答えは決まって「撤退!」である。こんな渋滞に時間を費やすのは快くない。人混みに費やす時間があるのなら風呂を我慢して、山の中でお茶でも飲んでいた方がいい。我々は迷わずUターンである。そして、後ろを走っていた山屋さんの車も同じように鋭くハンドルをきって撤退していったのだ。やはり山屋の行動パターンは面白いくらい一緒だ。チャンスを待つことはできても順番を待つことはできないのだ。お茶を沸かす時間はあっても並ぶのはいやなのだ。そういえば山屋は普通とは違った習性の持ち主かもしれない。山屋はどこでも眠れる。車の中でも駅のホームでも公園のベンチでもみちばたでもどこでも大丈夫だ。また山屋はどこでも調理する。山ではもちろん、駅でも公園でもどこでも火をおこす。(私は京都の修学旅行にコンロを持っていった)また山屋は人並みなことが嫌いだ。「変わってるね」と言われるのが最高の誉め言葉だ。だから世間のことには無関心。地震や戦争が起こっても山に逃げればいいと思っている。また山屋の飲酒率は非常に高く、喫煙率は異常に低い(私の入会している山岳会はほぼ100%ノンスモーカーだ)。そして高学歴な人が多い割に低職歴な人が多く失業率もきわめて高い。(私の周りには失業保険の受給経験者が異常に多い)山屋はみな仕事よりも「もっと大事なことがある」と考えているからだ。あと夢にむかって一直線!という生き方は結構かっこいいものの異性にはもてない人が多い。単純に不器用なんでしょうね。「電車男」と通じるものがあるな。まだまだ挙げればきりないが、他の趣味と比べても山やは何だか際だって個性的な性行が目立つように思えるけど、これも山という特異な空間がもたらすのでしょうかね。しかし挙げてみたらみたでどれも人として愛すべき性行かもしれなくて、私はそんな山屋が大好きです。追記:その山では結局、やっぱりどこか温泉に入って行こうと日の出町の「つるつる温泉」に行った。ここは駐車場こそすいていたが、浴場が大混雑で、洗い場の後ろに次の客が腕を組んで並んで待つというまるで昼時の吉野家のような状態で大変辛い思いをしました。やっぱり行楽は平日に限ります。
2005年10月01日
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