全10件 (10件中 1-10件目)
1
そりゃ 冤罪を作っても糾弾されることなく、都合悪い人を即時死刑に追いやれるもんね。以下はmixiの中で見つけた 長野で経験された方の日記の転載です。(もう お読みになって、いや、転載されてる方多いでしょうね。)-------------------------------------------------------------------------------------4/26日を振り返ります。 早朝、善光寺へ向かった。 Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。 町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。 僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、 彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。 善光寺参拝が終わり、街中へ。 とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。 ここで日本とは思えない景色を目にした。 出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。 警察の言い分。 「危険だから」 じゃあ、何で中国人はいいんだ? 「......ご協力お願いします。」 は? それやらせじゃん。 中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。 この後TBSの取材が来た。 チベットサポーターの1人が、 「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。 アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」 と吐き捨てて消えた。 街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。 そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。 交差点で中国人と僕らが入り乱れた。 突然Mちゃんが顔面を殴られた。 僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。 「こいつ殴ったぞ!!」 警察は何もしなかった。 ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。 警察と目が合った。 警察は何もしなかった。 ババアが僕の顔面を殴ってきた。 周りのチベットーサポーターが、 「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」 と言ったのに、 警察は何もしなかった。 これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。 でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。 Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、 中国人が叩き落とした。 拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。 「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。 2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。 街中いたるところで抗議合戦。 救急車が来たり大騒ぎ。 僕らはひたすら抗議活動をした。 (動画あり) 雨が降ってきた。 それでも誰も抗議を辞めなかった。 中国人がかたまってる交差点を、 Tさんと旗を振りながら渡った。 沿道の中国人は蹴りを入れてくる。 とても沿道に入れず、車道を歩いていた。 警察が来て言った。 「早く沿道に入りなさい!!」 は?今入ったらボコられるじゃん。 なんで日本人の安全を守ってくれないの? 「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。 警察は「ご協力お願いします」と言った。 雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。 何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。 警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。 嘘だった。 ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。 聖火なんか、どこにもなかった。 目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。 こんな場所じゃ、声すら届かない。 数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。 国境無き記者団もこちら側に来させられていた。 代表がマスコミのインタビューに答えていた。 (裏から撮影した動画あり) 聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、 土砂降りの中僕らは叫び続けた。 この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。 MちゃんもF君も泣いていた。 こんなのってあんまりだ。 せめて伝えて欲しいだけなのに。 この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。 チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。 涙が止まらなかった。 内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。 涙がとまらなかった。 伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。 悔しい。悔しい。 日本は最低な国だ。 平和だ、人権だと騒ぐ割には、 中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。 警察を使って。 帰りに携帯でニュースを見た。 「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」 「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」 僕は愕然とした。 この国のマスコミは終わったと感じた。 あの怒号は、 僕らが受けた痛みは、 彼らの悲痛な叫びは、 どこに反映されたのだろう。 警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、 そこをマスコミは撮影し、 中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。 これが日本のやることか? ここは本当に日本なのか? 中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ? この国は最低な国です。 チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、 僕は彼らに謝りたかった。 初めて日本人であることを恥じた。 帰り道、僕らは泣いた。 これが真実です。 僕は日本政府は中国以下だと思った。 弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。 4/26日長野。 そこには言論の自由はなかった。 歩行の自由すらなかった。 中国人を除いて。 ------------------------------------------------------------------------------------長野聖火炎上…中国当局「大成功」もネットで乱入流布 -
2008.04.28
コメント(2)

オリンピック憲章 根本原則第3条「オリンピズム・・・の目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。」他民族を滅ぼそうとしている国家があたかもオリンピックを開く資格があるかのような偽装に抗議することのどこがいけないのか?日本国憲法 前文 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」 長野で雪山獅子旗を掲げる皆さん あなたたちこそほんとうの日本国民です。どうぞ胸を張ってください。自由を愛する心からの自然の発露は誰にも止めることはできません。「第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」 次の世代が日本人であることを誇れることをあなたたちはしてくれました。良心を棄てたマスコミ・政治家・スポーツマンは後世が裁いてくれます。http://jp.youtube.com/watch?v=fdLkMFlAJu0<聖火リレー>「支援」と「抗議」続々 長野 (毎日新聞)
2008.04.26
コメント(0)

一つの民族を抹殺しようとしている政府が「平和の祭典」を開くという偽善に手を貸し、その手を、足を血で染めるのか?http://jp.youtube.com/watch?v=xl2e69fEFf4http://news.www.infoseek.co.jp/search/story/080419jijiX515/%25C0%25BB%25B2%25D0%25A5%25EA%25A5%25EC%25A1%25BC%25A1%25A1%25C4%25B9%25CC%25EE/
2008.04.20
コメント(0)
飾らない、素朴で、気負わない、ちょっと蟹股の猊下。こんな苦難のときにもユーモアとほがらかさを忘れないその霊性に畏怖の念を感じた。そっか僕が「あの宗教」を捨てたのは、自分のいいなりにならない者を握りつぶし、罪を着せて追放し、密告を奨励した狭量な「統治体」に辟易したからだ。大事な信者・民をことごとく蹂躙し、殺戮を繰り返す漢民族の政府に「あなたはの国は古い歴史を持ち、人口も多い。オリンピックを行なう資格がある。その時が来た。現実を認めてくれ。21世紀なんだろ?透明性のある、調和のある、道徳的に権威のある超大国になってくれ。それは10億人の漢民族のためだ」脅しや金でしか つなぎとめられなくなった、本当は孤立した国にまだ友である事をやめていない包容力。あぁ、これが仏教なんだな。http://jp.youtube.com/watch?v=y7YsBxqf7BMなぜ日本のマスコミはこの大切なメッセージを日本国民に伝えずにカットしたのだろう?角や悪魔は要旨ではないだろ?国民はそれほど馬鹿じゃないぞ。<ダライ・ラマ>日本に立ち寄る チベット人らが出迎え - 毎日新聞http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_dalai_lama__20080410_5/
2008.04.11
コメント(0)
ムハハnoたかじんに出演された時は「大阪と東京でおんなじことを言ったら3日でクビになりますよぉ」なんて言ってました。確かに東京から発信する哲ちゃんは「敢えて」という発言はあまりない。ほとんど発言しないで放送が終わる時もある。とてもおとなしく柔和なイメージがある。対して 「そこまで言って委員会」では、”従軍”慰安婦問題への批判、虐待されている子ども・「少年」に家族を殺された遺族の立場に立ってキレることもしばしばある。穏やかな哲ちゃんが敢えてキレるのに、心が震える。それでも、チベット問題は違っている。昨日はあのTBSで莫邦富さんと共演して、全体の流れとして、莫さんの言質を確認する というスタンスで終始しておられたが、莫邦富「(チベット史を)わたしより知らない」と言われ最初は穏やかに「あなたより知ってますよ」、さらに敢えて「あんたより知っているよ俺は!」と言い直した。あのTBSで。またまた感動してしまった。http://jp.youtube.com/watch?v=Mjw6TugO5sE&feature=relatedそして、今日のムーブ!で長野での聖火リレーで中国側が「中国政権を批判する運動を排除してほしい」という主張に間髪いれずに、「ここは中国じゃない!、中国でなら排除できるだろうが、ここは自由の国だ!」と敢えて強い口調で仰った。この キレることについて、ダライ・ラマの穏やかさとご自分を比較して、「本来怒りは仏教では禁じられていて、それでも不正義は許されない。わたしが怒りを表わすのは、仏教者としてその境地に達していない、仏教者として未熟者だからだ」と謙遜におっしゃっていた。「マンガ仏教の生き方」という本には煩悩であったり貪瞋痴(とんじんち)と呼ばれる害悪の中に怒りがあるという。蹂躙されている同胞のために 拷問にかけらることがわかって敢えて外国メディアに泣いて訴えるチベットの僧侶は恐れとの戦いの他に、自らの戦いもあるわけだ。あぁ キリスト教とはそこが少し違うのかな?と思った。旧約聖書の中では予言者が神に非とされた人を剣にかけるというシーンは多い。「右の頬を打たれたら・・・」と教えたイエス・キリストでさえも、エルサレムの神殿で宗教的祭りを機会にぼったくりをしている商人の屋台をことごとく破壊すること3度ある今の日本であれば威力業務妨害とか器物破損といったあたりであろうか。また、道を踏み外して規則に縛られた宗教指導者には「地獄へ落ちろ!」と厳しくキレたことも度々ある。(それへの反感が処刑されるきっかけになっていったのだが)もっとも欧米での聖火リレーへの妨害行為を果敢に行なっている人すべてにそのキリストの模範を知っているとは思わないが、彼らの遺伝子には受け継がれているのでは?と思った。東洋人から見て過激に思える行動が。クリスチャンなら、自然な感情の発露、いや行なうべき 行為なのだと思った。勿論、自らの基本的人権や尊厳を守るために王を処刑し、独立のために武器を手にした市民革命の歴史を受け継いでいることが大きな動機付けであると思うが。民族虐殺、人権蹂躙を国是として行なっているような国が「平和を愛する 信頼に値する国」であるかのような偽善のプロパガンダを自国で行なわれること それによって あの虐殺に加担することが許せない。にんげんの一番大事な部分 それを破壊する行為を地上から排除することそれが民主主義の基本の基本なのだから、自らの尊厳を掛けて戦うのは高潔だと考える欧米人をわたしは拍手を持って迎えたい。さて、日本人はどうするのか。「平和的」と言う言葉を純粋に捉えて秩序正しく抗議するのか「平和的」を「波風を立てない」言い訳にして あの逆殺の共犯者になって世界に恥を晒すのか。消えようとしていく民族の危機というときに、自らの名誉のみを追い求めるのか。
2008.04.10
コメント(0)
聖火を消そうとする人々を見て、「行きすぎだ」「野蛮」と言う人もいるだろう。 http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_2008olympic2__20080407_6/圓教寺の御坊様たちの勇気ある声明を視聴できなかった地域の人々へ、さらには翻訳して字幕を付けて世界へ発信しようという良心の声にしたがって、行動している人たちのupした動画が次々と削除されている件で、 「あくまでも著作権法に従うべし、例外は許されない」と主張する人の意見を見て、日本の政治家、マスコミが中国に異常に遠慮していることとの共通点を見たような気がした。 改めて日本国憲法を読み返してみた。 前文にこのような言葉があった。 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」 明らかにチベット「人」がジェノサイド(民族虐殺)されているこのときのために、日本国民としてどうあるべきか この言葉はあるのではないか。 「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」 中国との貿易という目先の利益だけを見て、知らん振りをするのはこの言葉に反するのではないか?いみじくも アルピニスト野口健さんが「語らないことは加担する事と同じだ。」と仰ったように。 http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51052593.html 「第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」 「どんな理由があれ、法律は守らなければならない」と主張する人に裁きを通告する強い言葉ではないだろうか? さらに、中華人民共和国に遠慮し、波風を立てないようにすることしか頭にない 我らが首相の行為すらこの条文は「否!」と言っているように僕は思えてならない。 アメリカ人が押し付けた憲法だろう?とあなたは言うかもしれない。 そう、自らの血を流して、民主主義を獲得した人々の思想が生きている。 「異端」をことごとく粛清する宗教の教えが 聖書に書かれていることと違うと信じ、 自らの良心に基づいた神との関係を貫くために、 やがて基本的人権を勝ち得た人々の思想を。 (あぁ、「人権」がいつしか不正の隠れ蓑になってしまった日本とはなんという違いか・・・) だからこそ 信教の自由が脅かされることに欧米人は敏感になるのだと僕は思う。 曲がりなりにも クリスチャンだった過去を持つ僕は。 遺伝子にそれが脈々と受け継がれているから欧米の人々は 「犯罪者」という汚名を着る事になろうとも 「市民」としての責務を あの形で果たすのだと思う。 あの姿にわが国の憲法の前文の精神を学んだ気がした。 自らの流血ではなく 占領国から「もらった」にすぎない民主主義。 「主権者たる国民」とは何なのか、しっかり認識できないことに 今の日本の恥ずかしい姿があるのかもしれない。 規則・時には法に縛られるという人は古今東西います。 それは公正と信義のために行動するという にんげん の責任を逃れたい言い訳にすぎないのかな?と思います。 特に今の日本を覆う「空気」であるかのように 良心の声に従うことや勇気を 価値のないくだらないものとみなし 波風を立てないこと、面倒に巻き込まれないこと、周りからの評価をその行動律にする人。 でも、にんげんの心はそんな生き方ではいつか歪みが出る。 やがて鬱憤を弱いものに向けたり 高潔な志を持つ人に苛立ちを覚え、そのあげ足をとることで密かな優越感に浸るという 卑しい誘惑に溺れてしまうものだなと改めて感じました。 日本でも歴史的な事件の局面で 貢献した人は 規則に縛られることによって、にんげん としての責務を放り出したりしなかった。 「首をかけて」「切腹覚悟で」大切なことを貫き通した。 明治以降では杉浦千畝さんのような。 その日本人の誇りと「市民」は相通じるものがあるのではないか。
2008.04.08
コメント(0)
圓教寺の二人の僧侶が出てこられたとき、宗派は違えど、鎌倉時代に新しい仏教を作った 法然・親鸞・日蓮の三上人はこのような姿なのかな?と素人目にふと思いました。時の権力の弾圧に遭っても自らの信じる信仰を捨てなかった僧侶。あるいは「御成敗式目」に精神的な影響を与えたとされる明恵上人は。こうだったのかと。権力欲・金銭欲・性欲に屈した当時の仏教界の中で戒律を守るために自らの耳を切り落とした僧侶。大樹師の「わたしは、そんな大それた人間じゃありません」という素直なお言葉青山さん曰く、大樹師のおくさまと金子師の「控えめに、そしてしっかりと意見を述べられた」姿勢まるで 聖書に出てくる 預言者や使徒たちを見ているようでした。日本の「宗教指導者」を尊敬のまなざしで見れる日が来るなんて、思いもよりませんでした。権力から迫害されても自らの良心を曲げることは決してしない。目に見えない崇高な存在を見ているかのように信じているからこそできることです。追い詰められ、孤独の中だからこそ、信仰の対象を感じることが出来ると思います。「理由があって、この苦難があることを許しておられる。それでも、わたしのこの苦しみを我がことのように痛みを感じておられる」その貴重な経験は苦難を厭わない人にのみ得られるものだと思います。そして その姿に 人は惹かれ生き方を請うようになるのだと思います。権力に屈する・波風を立てないようになるそれは即ち、信仰がないことを示すいえ、信仰を捨てたことに他なりません。苦難を通して人は信仰を強め、仲間の妥協・腐敗、あるいは指導者が自らの過ちの責任を認めないとき信仰は決定的に破壊されます。かつて、一クリスチャンとして、そのような両方の経験をわたしもしてきた故の感想です。無垢な信仰心を悪用し 信者を奴隷にしてばかりで、宗教→カルト・胡散臭い と連想してばかりの昨今 ようやく 信仰のあるべき姿を見ることが出来ました。http://jp.youtube.com/watch?v=BjlbL0j_qQ8
2008.04.06
コメント(0)
黒い袈裟をまとったお坊さんの姿で涙するなんて初めてだった。ことの始まりは3/22.東京でFreeTibetのデモが行なわれている最中。青山繁晴氏のブログに敢えて本名でコメントの書き込みをされた僧侶がおられた。「私は抗議をしようと思っています。今までもチベット、ダライ・ラマ法王について、意見を持ちながら同じ仏教徒として何もしないまま来てしまいました。」 天台宗別格本山書写山圓教寺 執事長という責任ある立場ゆえに、正確な情報で効果的な方法で声を上げるためのサポートを求めてのことだった。(あのラストサムライのロケで使われたお寺です)この書き込みを見て、胸が躍った。そして、その日の夜に青山氏はブログ上で早速返答された。「わたしは、これを読んで、飛びあがりたいような、頭の奥が熱くなるような思いがしました。」その日大阪で生放送、東京で収録を終え、翌日は長野へ行かれる最中のお返事。しかも、青山氏個人で無償でサポートされるとのこと。http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_ju...この感動のドラマの始まりをPCの向こうで立会い、より胸が高鳴った。どんな形で表現されるだろう?そして4/4木曜日の「緊急の、緊急の、大切なこと」という呼びかけ。何と、テレビの生放送での声明文の読み上げという形で。http://jp.youtube.com/watch?v=Bjlb...以下は 大樹玄承執事長の声明文です。今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。 私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。 チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。 皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。 日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。 私も中国の寺院の復興に携わりました。 しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。 ほとんど自由はなかった。 これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。 そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。 あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。 しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。 中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。 ダライ・ラマ法王を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが、今、なくなろうとしています。 私たちは宗教者、仏教者として、草の根から声を挙げていかなければなりません。 しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。 このように申し上げるのは、私たちと行動を共にしましょうということではないのです。 それぞれのご住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えていただきたいのです。 オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。 この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。 もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちはこれから、信者さん、檀家さんにどのようなことを説いていけるのでしょうか。 私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かもしれません。書写山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 平成20年4月5日
2008.04.05
コメント(1)
と 青山繁晴さんが呼びかけています。http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july>関西テレビの「ぶったま」という番組もう何度もこの日記でも書いてきたが、僕は青山繁晴さんが語りかけるメッセージがとても好きだ。日本人が「国民」・「主権者」として自分の頭で考えて行動できるように、あえて真実を臆することなく伝える。時には涙と鼻水だらけになる、その真っ直ぐさが好きだ。 >関テレの放送地域でないかたも、電車や車で移動してくださって、視てほしいくらいです。ここの他にもmixiのコミュニティでも呼びかけておられるのは異例というか、よっぽのことだと思う。なんだろう?> チベットの民衆蜂起をめぐって、日本からやっと初めて発信される、ある良心に基づく訴え、アピールがあります。> そして、今週だけは、ぼくのお話だけではなく、この国の心ある人がみんな待っていた、チベットをめぐる良心のアピールがあります。> その良心のアピールの時間を待ってください。「僕は「暴動」とは呼びたくない、「民衆蜂起」なんだ」と氏がおっしゃる 一連の事件。宮崎哲弥さんがカメラ目線で仏教界に「僕がどうしても言いたいのは、各宗門・各寺院の方々、同じ仏教徒が弾圧を受けている”法難”と考えて、中国政府に厳しい抗議を行なっていただきたいと思います!」と感情のこもった熱いメッセージを送っておられました。 そのメッセージに呼応するかのように、青山さんのブログで圓教寺のお坊さんが「声を上げたい」と相談を持ちかけられた。 それなのか どうか 明日の「ぶったま!」を見ないとわからない。でも、日本も捨てたもんじゃない・・・・と感動させてくれるアピールを見れる歴史的な瞬間にTVの前で立ち会いたい。 そして、それがなぜ東京キー局からではなく、基幹局からの発信でしか出来ないのか、その意味を同じ思いを持つ皆さんと考えたい。コーナーの予測時間として、10:30から11:30の間の30~40分くらいだとおもう。
2008.04.04
コメント(0)
![]()
人生に疲れ、命を絶ちたいと思うこともあろう。それをわたしは責めない。できれば苦悩を共有したい。しかし、それに我が子を道連れにするのはやめてほしい。「わたしがいないとこの子がかわいそうだ」などと驕り高ぶるあなたは何物なのだ?親がいなくとも、子は育つ。立派に。公園の遊具で夜露を忍び、ダンボールを食ってでもそれを糧にして億万長者になれる。ホームレス中学生子はあなたの所有物ではない。あなたとは違う、別個の尊厳を持った人間なのだ。ムシャクシャするからといって八つ当たりしたり怯えさせたり「産まなきゃ良かった」となじったり親の「レッテル」をよくするために「合格」「入賞」を強制するために親の愛情を餌にしていい権利など与えられていないのだ。あなたが遂げられなかった夢を子どもに押し付けるような 驕り高ぶった真似はしないでください。成人になっても「わたしがいないとこの子は生きていけない」といつまでもペットのように養い続ける自己満足はやめましょう。たとえ あなたが同じ仕打ちを受けたからといって同じ愚行や狂気を繰り返す権利もない。そんな親に幸福な老後など待ち受けていない。子に決して癒えない心の傷を一生負わせたのだから暴論といわれるだろうが、「あなたのご両親を通して命を与えられたのだから、親に感謝すべきです」という言葉が大っ嫌いです。自分をおもちゃ扱いする親の下に産まれてきた子達が渇望するのは まさしく 死 なのに。「あなたのもとにいてはお子さんの命が危険にさらされます」と言われたなら、子どもを解放してあげてください。そして、重荷を解き放たれて 自分の心の病と向き合ってください。それでも子どもは「親」という怪物から与えられた傷を一生背負って生きていかなければいけないのだから。どうか薬物中毒の患者が覚せい剤を求めるかのような無様な真似を続けて自らをも傷つけ続けるのはもう やめにしましょう。あなたが「死にたい」と思うならどうか 子どもは 巻き込まないでください ■母が絞殺の小4男児、「おかあさん」の詩でコンクール入賞 (読売新聞)
2008.04.03
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1

![]()
