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2024/11/07/水曜日/もう冬立つ当日券はなし。人気者だ。大ホールが彼一人で埋まる。噺家独特の、のんひゃらりんみたいな足取りで高座に着く。サービス精神も豊富で枕が長め、これがまた面白い。オオタニ選手をディスって笑いをとるたぁ、いいねえ、そのディスりがどこか心優しいンだなあ。ツーと来てルッ止まるっ声色と半座立ちが、何というかドリフとか吉本漫才を子どもン頃に聞いて育っちゃったフリで、客席もそうだし、打てば響く。夢見の八兵衛これ、久本雅美サンがTVでやらなかった?ドギモ抜かれましたけど。あ、エクソシストだったかな?大家と店子のおばあさんと、抜作八兵衛とぶら下がりのホトケと。一人四役で見事な芝居を見てるような。うどんやホトケが出て来たところで、数年前亡くなった柳家小三治が得意?にしたこのネタへ続ける。こんな所が愛される所以なんでしょう。うどんをすする芸がそれは見事で、今度は蕎麦が見たいねえ。
2024.11.06
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2024/09/03/火曜日/小雨と湿気白酒 はくしゅ じゃ手前のスマホで変換できないよ、やだねー。変換リストの前の方に来たらいよっ、真打ちだねえ。青菜、よかった。いやはや笑えた笑えた。一之輔 肩の力が抜けて座ってますよ、なかなか遊んでるんだろうね。しかしこのネタ、シモ過ぎて笑いがどうも下卑ちゃう。喬太郎 お、流石に一発変換。台風が迷走してるんで、枕に事欠かない。随分長いメリヤス?で楽しませて、創作。ここんとこ、シメは創作。前回も感じたんだけど、創作の語りは古典の語りと声の出てくる位置が違うように感じる。で、それが少しイヤなの、好みじゃないの。古典を語るように創作語ってほしいけれど、そうなっちゃったらそれはもはや古典⁈なのか?
2024.09.03
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2024/05/04/土曜日/穀雨の末期、7月の暑さホール内アナウンスは人間国宝、人間国宝と喧しい。それが何よと鼻じらむほどである。ご当人は本物であればあるほど耳汚し、そんな芸人であってほしいもの。お上の権威箔付けなんぞ無用。庶民は名人とか達人とか口に膾炙して褒め称えるだけでござります。今回よいなあとしみじみ感じいったのは四世山本東次郎の太郎冠者、素袍落スオウオトシ大杯を干すごとに酔いの回る振り、明るく正直で図々しい様もどこか憎めない。そんな人物を観る側以上に楽しく演じて何のけれん味も見せない。笑顔が実によろしい。高砂の翁おもてな味わい。間も無く米寿のこの芸を先々も楽しみたく、ぜひとも長く演じてくださいますよう。観ている内にひょっとして落語は狂言の発展系?かと感じた。言葉のやり取りのスピード、間の取り方外し方、円熟、円熟。アド2人、東次郎の弟で昨秋亡くなられた山本則俊さん長男の則重さん。身体に恵まれたっぷりしている分、声量豊かにして美声。30年後どんな太郎冠者を見せるだろうか。一番若い凛太郎さんは三世東次郎の芸風を引いたらしい、則直のお孫さん。あの固さが豪放磊落な狂言スタイルに発展していくか?司会役を務められたのが、御歳96歳の馬場あき子さん。いや、これは凄い、とても信じられません。この方はお年をとることを忘れてしまわれたのでしょうか。淡い利休ねずに濃いめのグレーの帯、無地。帯留は濃いめベージュ、モダンで大変おしゃれ、そんな地味色なのに艶やかで目を惹きます。話される内容も用意しているような、その場の雰囲気で如何様にも伸びゆくような。短い時間に何とまあ、滋養に溢れた言の葉の贈り物人というもの、かくありたい。羽衣のワキ漁師は我は白龍と名乗るのも、室町頃に現れた能楽では珍しい。個別の名が付与された一般人なんぞツイぞいない時代の話で、その事に関心を向ける馬場さんは、音曲で露払いしながら仏教を中国に伝えた龍王伝説の行き着いた果てが三保の松原とみなす。なるほど!天の原ふりさけ見れば霞立つ雲路惑ひて行方知らずも天女は羽衣を盗られ、みるみる内ウズの花もしおしおと、涙、汗、体臭、垢、天人五衰の相を呈す。漁師は同情して羽衣を返すが、代わりに舞を見せてほしいと伝える。その態度に馬場さんは、感心する。金品ではなく芸術を求めるのだ、一介の漁師が。ワキ漁師、舘田義博。なかなか風采がよく元気がみなぎっている。羽衣がなければ踊れないと応える天女に、返してもらうと踊らずそのまま天に帰るのではないかと言われ、いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものをと返され、恥いる漁師は素直に天女に羽衣を返す。さて、馬場さん。さすがにこの言葉で世相をちくりと刺す。東遊の舞、序の舞、他天界の舞を踊り人間の住む地を寿いでやがて春霞の中に消えてゆく春霞棚引きにけり久方の 月の桂の花や咲く げに花桂 色めくは春のしるしかや 面白や天ならで ここも妙なり天つ風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ 乙女の姿 暫し留まりて この松原の 春の色を三保が崎 月清見潟富士の雪 いずれや春の曙 類ひ波も松風も 長閑なる浦の有様さて友枝昭世である。彼の羽衣を白州家、武相荘庭で観たのはいつだったか。妙にドラマチックで、天女が肉的過ぎた記憶がある。今回は美しさ儚さ蘇りを味わった。後から知るのだが、今回付けた能面はいつもの小面ではなく、若女?面で、少し目の穴が大きくそれだけで体の負担が少ないのだとか。考えてみればお三人の年齢は足すこと269歳!平均年齢限りなく90歳!お元気の秘訣は毎日の肉食、お酒ですと!はあ〜〜蕎麦、高山茶は降参でございます。
2024.05.04
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2024/05/02/木曜日/びっくりな涼しさ、高原の夏先週聴いた落語落語はいいなぁ。こんな艶やかな語りこそ庶民の宝さて私が楽しんだのは柳家三三さんざの明烏あけがらす小すみさんの音曲おんぎょく昇太の身体から発する雰囲気、語り口、間の取り方なんかはいいなぁとも思うのだけど。創作モノというのがそもそも、なんだなぁ。やはり多くの語り手によって歳月、磨き上げられた古典はよろしいなぁ。ダイレクトには知らなくても、吉原もキセルも甘納豆、なんてのもよく分かるし、落語の場面場面が自分とつーと地続きで嬉しくなる。それに対して創作物。退職サラリーマンの夢破れた老後は何だか語り手の昇太と結び付きすぎて、また今の時代が繁栄され過ぎて元気が湧かない。小すみさんはその点、華やかで元気がみなぎって声も360度響き渡って良かった!今必要なのはこんな明るさなのよ。何でも政府給付留学生でイタリアでミュージカルの修士を得ているのだとか⁈はあ、そんな方の惚れ込んでいる三味線、さのさに都々逸信州信濃の新蕎麦よりもあたしゃあんたのそばがいい〜西洋音楽の一面かジャズを三味線で演奏してくれました♪でもね、さすがは噺家のみなさん、まくらが噺よりも笑いをとってました(^^)
2024.05.02
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2024/04/27/土曜日/曇り、涼しく過ごしやすい先週土曜日、日比谷の楽器店が持つ小さなホールでフォルテピアノとバイオリンの演奏を知人と聞く。ソナタ演奏の順番が4.3.5になっているのは、3が難曲なので、先ず手馴しのためにハモりやすい4を先にした、ということ。ただ、バイオリニストの尾池さんは弾けば弾くほどこれをベートーヴェンらしい名曲と感じられたそうだ。私にはその辺り、よく掴めない。お若い明日香さんより更にお若い尾池さんだけれど、既に輝かしいキャリアをお待ちだ。ベートーヴェンの時代、ピアノはチェンバロからフォルテピアノへ、そして現代の形へと激しく変容していた。それに比してバイオリン本体は楽器としてほぼ完成しており、弓だけその材料や反りの形が変化したのだという。明日香さんはフォルテピアノを欧州で学んだ実力派。その演奏に若く才能豊かな尾池さんが、弓の持ち位置を変えながら歌いあげる。フォルテピアノはFから始まりFで鍵盤が終わるとか。そしてベートーヴェンの勝負曲はFdurだよねー、という二人の掛け合いも面白く。最後の春、の演奏になりました。3番などは非常に心理的な響きを感じ、第3楽章で二人の演奏が溶け合う一瞬を覚えた。タイトル春が付いている5番はバイオリンからすると、2度のあまりの連続がちょっと不気味な印象を持ってしまうのだとか。ピアノと共に聞くとその印象は薄れる。
2024.04.27
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2024/04/12/金曜日/過ごしやすい春霞先週、知人が学びの節目を迎えるパイプオルガンのコンサートが共催された。教会でたまに数曲聴くことはあったが、パイプオルガンをこのように幅広くたっぷり堪能したのは初めてのこと。宗教的な響きもあれば、森の中をそぞろ歩きするものや華やかな曲、と随分彩りがあり可能性を感じた。荘厳だけではないのだなあ。スウェーリンクという作曲家を初めて知った。ファンタジア・クロマティカの曲に心惹かれた。この曲に耳をすませているとハンガリーの小さな村ホローケーの木造の教会が思い出された。教会にはパイプオルガンなどはないのだが、そこに設られたオルガンは森の茂みや光、風に誘われあちこちを散歩してたっぷり愉快になってしまったような。そんなイメージが広がる。知人の方はといえば、技術に裏付けられた構造と骨格と精神のある、超絶技巧?で圧倒された。彼女は学生時代にピアノ科を専攻、ここ七年はオルガンに打ち込んでいた。その成果を私たちにシェアしてくれた。帰途、桜はその命の輝きを、みなにシェアしてくれていた。
2024.04.12
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2024/03/17/日曜日/少し汗ばむ温かさに花粉吹雪知合いの知合いのリレーで 能オペラ隅田川 の企画を知り昨日洗足学園シルバーマウンテンホールで鑑賞する。音楽、台本はフランス在住50年!の音楽家、吉田進氏。氏による創作オペラ誕生秘話のビデオ講演があった。これがとても面白く琴線に触れるものであった。そもそもオペラってどうやって生まれるのか、門外漢の私にも分かりやすく説明されていた。講演の語り口そのものが、無駄なものが一切なく、くっきりと骨格が立っている、そんな印象。事の起こりは懇意にしているフランスの打楽器奏者からオペラを作ってほしいと頼まれた所から。打楽器だけでオペラが作れるのか、矢張り心の通じる音楽演出家、プロデューサーに構想を相談したら、面白い、やろう、と発展したのだとか。ただし歌手は2名まで、がプロデューサーの意向。その後フランス政府の金銭的支援も得たというから、件のプロデューサー氏は有能だ。氏の構想は能楽にすんなり向かう。確かに能楽は鼓中小、太鼓に笛、のセットなのだ。何年か前に小太鼓と笛の、すごいセッションに立ち会う機会があった。二人の楽器の鬼気迫る掛け合いは、恋狂い、蛇と変身する安珍清姫と修行僧を守る読経の響きを舞台上に現出させたのだった!あれほどの気魄はそうそう見られることでは無い。ミニマムでいながら最大限の音と効果を引き出す芸の洗練は、能楽の創始者の天才と長い時間の賜物なのだろうと素人甚だしい自分でも感じられる。さて、オペラは全通しではなく、いきなりクライマックスシーンから始まる。どうしても能の隅田川を基に、渡守の登壇を眺めてしまう。と、何ともこれが軽い。中世の頃の日本の人様では無い。ああでもこれはオペラ、だ。しかも21世紀に創作された。洋服を着て靴を履いてパンを食べる人の所作なのだ。160年かけて日本人に何とか定着した様式、そして西洋の音楽形式なのだ。と思い直す。ところが一人子を探し求め、京の都から隅田川ほとりの木母寺まで流れ着いた狂女を演じ歌う蔵村蘭子さんは、まるで能面でも付けているような、身体の有り様まで和に戻った体なのだ。声のツヤが少し枯れていたのは偶々か、この役所故かは分からないけれど、ビブラートの繊細さに少し物足りなさがあったけれど、彼女の解釈と表現には拍手を送りたい。シルバーマウンテンホールのB1は、芸大の奏楽堂みたいにステージ正面左右に出入り口が作られていた。客席に相対して登場するので、この時オペラ歌手として出てくるのか渡守として出て来るのか、とても重要な分かれ道だ。それに比べると、長の移動を思わせるように客席後ろから登場する梅若母は、すっと役に入りやすいことだろう。隅田川謡曲、聴きたくなった。
2024.03.17
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2024/02/13/火曜日/お昼は春ツレの趣味に誘われ11日、日曜日、初台の新国立劇場へ出かけた。実はランチの時に話しを聞くまで、何を観るか、誰が出るのかはぼんやりしたまま。例によって鄭さん作品だろう、と。ランチの席で、欲望という名の電車であること、主演は沢尻エリカであることを知る。え!あの、芸能界追放とか再起不能とか言われていた沢尻エリカさん。で、あのケバいオールドミス役←死語-_-b。マーロンブランド、ビビアンリーの。あれ!それを鄭さんが沢尻エリカと。へーと驚いている内に舞台は例によってだらしなく始まっていたのだった。観客は席を探してぞろぞろと移動している中、大変よぉ?役者さんも。肉体使っての幕開けなんだから。正味3時間。あの長々しい台詞も殆どカむことなくやり通しました、エリカさま。これが初舞台とは驚き。芸能界人生経験の山あり谷あり。凡人の三世代分くらい生きてきた?その経験の積み重ねと彼女の、役者としての肉体的アドバンテージは正に劇中のブランチと重なる。傷つきやすく壊れやすい、詩的なイマジネーションを湛えながらも、かつて名門の誇りが益々彼女を零落の、その現実から引き裂いていく。そんなブランチを、想像するにおいてエリカさんに詩的な側面は余り感じられないけれど、何というか彼女の風貌の天使的なニュアンスがそこに引っかかりを持たせて、これはキャスティングの勝利では。あざといんだか天使のような天使なんだか鄭さん舞台女優としては顔が小さすぎるキライはあるけれど、役に恵まれればよい役者に大変身するのでは!と期待したい。フィナーレは何故かこうなる、いつもの鄭さん節。立ち止まらずどこかへ行く、というより新たに進む主人公の姿。振り返るエリカさまが神々しい。加藤英明さんは15年前くらいに演じてほしかったような。けれど若い役者でこの役をやれる人も思い浮かばないなあ。ミッチェル役の高橋努さんがよかった。パンフの画像と舞台の彼が違いすぎ!それはつまりよい役者だ、ということ。
2024.02.13
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2023/12/23/土曜日/これから世界は明るくなる朝に京都で舞台を観てからすでに30余日が過ぎた。その間未知の3人の女性と会話した。新規の飲食店7軒ほど利用した。決算、納付、歳末新年事務仕事を終えた。週末立て続けに離れた街で暮らす子ども夫婦が泊まりに来た。山小屋の冬仕舞いをして、数冊の本を読み、セーターを仕上げルームシューズを編んだ。初試みの野沢菜漬けはカビを出してしまった。その間にも折に触れレイディマクベスを意識に甦らせた。東京公演の抽選が全て外れた中、自嘲気味に京都公演を申し込んだら一つだけ当選してしまった、という。11月16日の夜の公演京都滞在23時間で、紅葉も見ず。甚だ印象深く忘れ難い公演となった。舞台そのものに加え舞台を観に行く、という行為そのものにおいても。なんといっても、アダム・クーパー に舞台で再会できる喜び。併せて天海祐希が共演という信じられない贅沢な千載一遇。天海祐希さんはアダム・クーパーの大ファンだとか。彼女にとってもこの舞台はドリームカムツルー思い起こせば、昨年2月の雨に唄えばコロナ禍の大規模規制の艱難辛苦を潜り抜けて、満を辞しての華やかな喜びに満ちた舞台、の筈が。スタッフに感染者が出てしばらくお預けの中、泣いていいのか、笑うべきか。私たちは舞台を観た。2年間味わうことができなかったそれを。観客は全員マスク、拍手は立つこともなく、粛々と退席する運びではあったけど、想像もつかないリスクを取って舞台で躍動したアダム・クーパーそして何とまあ、今回は日本語で演じられる舞台に彼が立つというのだ。とてつもないリスクをまたもや。一体どんな舞台になるのか。オファーを受け入れたアダムの勇気をアマミ・ユウキの膨大なセリフが鼓舞する。現実と芝居が撚り合わさり、歴史と時代が撚りあわさる。或いは男性性と女性性、支配と被支配、子どもと大人。肉体と精神、知恵とさかしま、嘘と誠。鳴り止まぬ戦禍の背景だけが太古からの魔女の声のように、人の心の荒野に吠え続ける。一際印象的なレイディとマクベスの腕だけのDNA様のダンス。それが見る者をして過去も未来も、この今という時間の中でねじれねじれて、原作では仄めかされるだけの、存在しない二人の子どもが、娘として立ち現れる。吉川愛母レイディは初め白いパフスリーブの付いた黒いロングドレス。そのパフがいつの間にか取れて、現れる娘の白い、愛らしいワンピース。原作では王の正しき後継をエンパワメントする侯爵マクダフが、弾丸ならぬダンカン王の縁戚で、女性で、レイディの友人役、というねじれねじれた設定の白黒ドレスで現れる。鈴木保奈美原作では逡巡するマクベスを腰抜けと叱咤し、王殺しを遂行させるレイディは、結局その猛々しいパーソナリティを女の肉体が持ち堪えられない生理として表現されているように思うが。舞台のレイディは子どもを出産することで戦場に明け暮れた無敵の肉体が働かなくなり、城=木枠の東屋か鳥籠のような舞台設置の内に留まる暮らしとなっている。そんな彼女はマクベスをそそのかし、ダンカン王を亡き者としてマクベスを王に据える。しかし戦争に明け暮れたマクベスの心はすでに壊れて、王として屹立することができない。歯噛みしながら臣下の不審を取り繕うレイディは、マクベスに弾を撃つ。唯一自分を慰めてくれた父であるマクベスの喪失を前にして、娘はレイディと同じことをレイディに果たしてしまう。始終、鳥籠の外部にいた娘はこの時、鳥籠の内の人に変化する。マクダフはすかさず、転げ落ちている王冠を娘に被せるも、娘はそれを払いのける。マクダフはそれを拾い上げ、再び娘の頭に王冠は座る。と同時に鳥籠の中に更に小さな檻が天井から落ちて彼女は捉えられる。彼女は叫ぶ。どうする!あなたはどうする?そんな問いを残して舞台の幕が降りる。ああ、なんて暗いテーマなんだろう。なんて暗い時代だろう。しかしこの舞台を作り上げるために海を超えて言語を超えて、一座は想像も及ばない努力を重ねただろう。コミュニケーションギャップを超える試み、それこそ芝居の原点で、見せるものとその舞台裏も捻り合わせの一芝居、ご覧じろう、という心意気。感ず。
2023.12.23
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2023/11/20/月曜日/晴れるらし弾丸京都の最大目的はこれ↓東京の予約は全て空振りですっかり諦めていたところに、京都公演を知る。冗談半分に申し込んだら、三つの内の一つが、なんと当選!行くしかない。芝居の日程だけは縦にも横にも動かせぬ〜翌日午後イチで水道橋に居なくてはならない。そんなこんなで弾丸旅芝居のはねた後のお楽しみ、前回外したおばんざい屋さんはその夜は急なお休み。当日行き当たりのめぼしいところは予約のみ。四条辺りはそんな風なのね、ふらりが楽しみなのに。高瀬川沿いに小さなおばんざい屋さんを見つけ落ち着く。静かなお店でお腹もほっこり。翌朝のお散歩でお水を頂きに円やかな美味しいお水をありがとうございます。緩急ありて車上のひとに。↓帰りの富士京都駅の周囲は何しろ大きなトランク、スーツケース組がごった返す熱気、東京駅では働く人7割目のわっしょい混雑に気も遠く。怒涛の人波に押され、水道橋駅。圧倒的若者群と共に吐き出され、よろよろと月イチのN先生クラスへそれでもの遅刻。レイディマクベスについてしばらく持ちこたえて味わいたい。
2023.11.20
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2023/09/20/水曜日/ナマ暑い。今年の夏は暑い!しかし、そんな暑さをもぶっ飛ばす熱いステージ。3年前チケット払い戻しに呻いたステージが。力を溜めて溜めて爆発!大人はいいけど、子どもオーディションは一から練り直しという。制作スタッフの辛抱強さに感謝。アンドリュー・ロイド=ウェバー 作曲翻訳・演出 鴻上尚史レッチリ キス クイーン ジミーペイジ スティング ピンクフロイド イーグルス ザドアーズ デビッド・ボウイ クラッシュ ディープパープル ザフー ニルバーナ ブラックサバス サンタナ ニールヤング ビートルズ ジミヘン レッドツェッペリン オアシス ヴァンヘレン クラプトン パティスミス ジェネシス ポリス ローリングストーンズ ジャニスジョップリン ティーレックス スコーピオンズ クリーム イギーポップ ベルベットアンダーグラウンド ルーリードおおお、緞帳に次々浮かぶ綺羅星のようなロックスターたちスクール オブ ロックメリー・ポピンズ以来、すっかり好きな役者になった柿澤くんが主人公デューイ。ダブルキャストの西川さんもめちゃくちゃ気になるけれど、やはりカッキーを選択。大スター濱田めぐみさんとはメリー・ポピンズの時以上にコンビが深まってきたかも?主役が花あるのは当然。では脇役はどうかとツイそちらに目がいけば、梶裕貴さんが役キャラクターに見事ハマっていた。他も実力者が揃う。俺たちは勝ちに来たんじゃねえ。Rockしに来たんだ。これこれ。俺たちはショービジネスに来たんじゃねえ、 Rockしに来たんだ。と思わせてくれたら、ショーとしては最高クール。子どもたちがロック前後で顕著に変わる、というのはまぁ、まちまち。でもひたむきさは心を打つなぁでも何といっても柿澤くんのステージいっぱいに溢れるエネルギーに圧倒された。これだけの舞台、相当消耗するだろう、実に汗臭いどうしようもない場末ロッカーでしたよ、いや褒めてます。権威を押し付けてくるものにロックしたくなるRock 'n' roll Heart roll Heart. roll Heart
2023.09.20
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2023/09/15/金曜日/やはり熱帯続く第二部寿式三番叟鑑賞ガイド冊子の表紙を飾る翁面は古風な写し。装束の紋様は、バチカンの天井模様に酷似していたんではなかったか。休憩時間には2階食堂の休憩コーナーの薄暗いテーブルでコンビニおむすびをさささと食べ、再び本日の二幕目。菅公の雷神変身大魔王振りに当てつけられていたのに、ここは気分を一新のとうとうたらり。◼️ 柳は緑、花は紅数々や、浜の真砂は尽きるとも、尽きせぬ和歌ぞ敷島の、神の教への国津神 治る御代こそ目出度けれ菅原伝授手習鑑 四段目 北嵯峨の段菅公の御台所の隠れ家に、お世話する八重と春。ここにも時平の手下が追っつけて、御台所を捉えようとする。長刀構えて敵と立ち向かう健気な八重も儚くなり。ああ桜丸の女房もここで果つる定業。夫婦二人は冥土の旅支度となれり。あわやの危機を救った怪しい山伏の正体いかに。◼️ 「追つ付け吉左右(きっそう)お知らせ」と這うばうしてこそ急ぎ行く寺入りの段一方、芹生は京の外れの寺子屋にお師匠武部源蔵の子どもとくらまして、菅公長子の菅秀才百姓倅の子らに混じれば忽ち匂い立つ高貴なお姿。今日からお師匠さんの元で習わせたいと親子連れが訪ねくる。◼️ 愛に愛持つ女子同士、来た女房はなほ笑顔「私事はこの村外れに軽う暮らしてをる者でござりまする。この腕白者を御世話なされてくださりよかと…寺子屋の段切 豊竹呂太夫 鶴澤 清介後 豊竹呂勢太夫 鶴澤 清治豊竹呂太夫は、十一代目豊竹若太夫を襲名とか。贔屓から、待ってましたの声かかる。引き込まれ、呂太夫の語り口滑らかに太棹と共に一本の舞台となる。呂勢太夫が演じる松王丸の複雑な心情を噛み殺した笑いの様、人情絞られる一級の芸術なり。涙ルイルイ。思い詰めた様子で師匠の源蔵が外出から帰る。実は菅秀才を匿っていることが漏れて、その首をうちとれと時平家来に命令され絶対絶命の淵に立たされていた。身代わり立てようにも村の子では似ても似つかぬ。首の検分は家来の中で唯一菅秀才を知る松王丸が果たすことになる。源蔵は寺入りしたばかりの子の風貌が麗しいことを認め、この子を身代わりとして白台に載せ差出す。この身代わりに気付かない筈のない松王丸は、菅秀才の首であると言い切る。時平の家来らはその首を携え館へと戻る。そこへ身代わりの子の母親が戻り、あわや源蔵に斬りかかられた刹那、刀を避けた子の文机からは死に装束がはらりとこぼれ落ちる。実は母は千代。夫の松王丸と企て我が子を犠牲に恩義ある菅公の御台所と長子を助けたのだった。◼️ 「弟子子といへば我が子も同然」「サア今日に限つて寺入りしたはあの子が業か、母御の因果か」「報ひはこちが火の車」「追つ付け廻つて来ませう」と妻が嘆けば夫も目をすり「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたる五段目大内天変の段竹本 小住太夫鶴澤 寛太郎おおお、この大切な仕舞いの段を小住太夫が。織太夫と小住太夫が私は贔屓。特に小住太夫さんのたっぷりふっくらとして品の良い感じが。三味線の寛太郎はえ?大丈夫こんな若手と思ったら、従来の演奏とは異なるかき鳴らし。なんかもっと時流でありつつ、東北や沖縄などの地域が香りたつ演奏というか、これはこれは楽しみと思わせてくれた。通して観劇すれば、菅原伝授手習鑑はやはり五段目までを演じて座りが良い事を知る。五段目を蔑ろにしていると嘆いた近松門左衛門の、今年三百年忌に良い供養ではないだろうか。天変の続く京では菅公の汚名がすすがれ、上皇により秀才の菅原家相続が認められた折も折、時平は怒り焦り、秀才を亡き者とするその時側近は雷に打たれ即死、時平の耳より二匹の蛇出て、桜丸と八重の亡霊に変じ、時平を懲らしめる。菅秀才と姉の苅屋姫がトドメを刺し仇討ちする。少し違和感を覚えたのはこの件。優雅な裏若い苅屋姫と幼い秀才が刃物片手に瀕死の時平にトドメ、というのは今令和の世にはちと生臭い。終わりは菅公の名誉回復のハッピーエンドに重点を置いても良いのではないだろうか。「せまじきものは宮仕へ」と共に涙にくれいたるこの語り口、今の世でも涙くれる善良な夫婦の多い事願うばかり。
2023.09.15
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2023/09/12/火曜日/30度超えの残暑は厳しい9/8 地下鉄半蔵門駅を出ると台風の風雨音凄まじ。濡れそぼりながら、劇場までの道を急ぐ。この劇場は10月には建替のため閉館となる。新館ご披露は6年先とか。帝国ホテルといい、国立劇場といい、歳月や昭和も遠くなりにけり。この3.4年 文楽、殊に浄瑠璃に惹かれて、2ヶ月毎の上演が楽しみで通った。5月からの通しの菅原伝授手習鑑の後半と曽根崎心中 演目が、あぜくら風の国立劇場最後の上演となる。文楽では五段目終章を演じられることは稀らしく、今回はなんと51年振りに最後まで演じられるとあって、本年の近松門左衛門三百回忌にも相応しく、観客も熱気の満席。10:40開始で、五段目が終わると18:00を過ぎていた。途中休憩を挟んだり 寿式三番叟 などの演目もあったが長丁場だ。とざい、とーざい三段目 車曳の段演じられた頃大阪に三子が生まれ話題となったことを背景に、大阪は佐田の地の、菅原道真公別邸の管理任された百姓に三子の息子があり。京で賜ったご奉公は夫々主人を異にして、政治権力の悲哀をかこつ。三子も主人の忠義と父親古希祝いの孝行の板挟み◼️不忠の上に不孝の罪、桜丸場所は京の吉田山。吉田神社は藤原一族が春日大社から勧請した、そのお社に藤原時平が参詣す。舎人の杉王丸を演じる南都太夫の気迫と熱に染まる会場牛車の長柄を引くは松王丸。豊竹藤太夫がピタリとハマる。敵対する梅王丸と桜丸、兄弟同士のあわや一戦が、お社の前で流血ならぬと時平一声でその場収まる。梅王丸の小住太夫が、出番毎に素晴らしく伸びているように感じられる。ここまで。役割毎に太夫が変わるのも珍しく。茶筅酒の段場面は河内国の佐田村、官公別邸。舞台上座には仲良く並び植えられた菅公愛樹の松、梅、桜。三子の名は菅公自ら授けた主従のご恩あり。今般の古稀に、やはり菅公より新名白太夫を賜り、祝膳の儀。嫁らがわらわら参じるが、その名もそれぞれ千代、春、八重と麗しい。八重の贈り物三方、八重だけを連れての氏神詣の前触れが、華やかで和やかな場面にあって、三味線の無音の音のようにこれからの悲劇を奏でる。喧嘩の段ようよう三子の内、松王丸と梅王丸◼️「ムゝ桜丸はどうして来ぬな。アゝ待ちかねる者は来いで、胸の悪い見とむない面構へ」とうとう掴み合いの喧嘩が始まり、桜の枝を折ってしまうアクシデントのクレッシェンド。訴訟の段折れた桜を咎めず、白太夫。梅王丸の管公元へ参じる願書を聞き入れず、松王丸の勘当は受入。主人時平と敵対する兄弟を心置きなく討つためだろうと松王丸夫婦を追い出す。この段の豊竹芳穂太夫が好い。桜丸切腹の段切、登壇。竹本千歳太夫三味線、豊澤富助うーん、年季が違う。重みが違う。先代名人の浄瑠璃をたっぷり聴いて蓄えた財が違う。それあっての切腹の段のお勤め。◼️「頼みも力も落ち果てゝ、下向すりや折れた桜。定業と諦めて切腹刀渡す親、思ひ切つておりや泣かぬ。そなたも泣きやんな、ヤア」「アゝ、アイ」「泣くない」「アゝ、アイ」「泣きやんない」「ア、アイ」◼️「御恩も送らず先立つ不孝。御赦されてくだされい。下郎ながらはじをしり、義のために相果つる」ここにおいて涙滂沱である。下郎ながら恥を知り。日本人の琴線に響く。そこに被さる老親打ち鳴らす鉦撞木浄瑠璃も三味線も人形も観るものも演じるものも渾然一体。折れた桜を咎めぬ不思議で様子を伺っていた梅王丸は、後を追おうとする八重を引き留める。白太夫は松王丸にあとを託し筑紫へ旅立つ。四段目天拝山の段あれから一年が過ぎた、のどかな山の広がる筑紫。菅公を乗せて牛を引く白太夫◼️「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」侘び住まい近所の安楽寺に一晩で梅の木が生えた事を知った矢先、梅王丸が主人菅公の元に馳せ参じて、御台所と子息の菅秀才が無事であることが伝えられる。◼️「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」筑紫まで追いかけて来た時平家来の平馬の白状で、時平の皇位を狙う企てを知り、菅公は雷神と化し帝守護のため都へ飛んでいく。豊竹藤太夫鶴沢清友ー幕ー
2023.09.12
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2023/07/04/火曜日/雨降らない先日、渋谷パルコ劇場で『新ハムレット』をみる。パルコ劇場の外空間がリッチな変貌を遂げていた。渋谷で待ち合わせ、なんてときに使えそう。屋上庭園フロアではドーモくん?キャラのコマ撮影スタジオがたまたま?開催中人工知能の仮想空間キャラとは真逆の、自分でネジ巻いて動く時計みたいな、人の手で修理できる安心感に包まれるような。そんな存在感。かわいい。さて、『新ハムレット』私、ちゃんと太宰治の本を読み、臨みました。確かにこのセリフ回しは大変だ。平田満さんなんか、見ていてハラハラした。セリフ出ないんじゃないか、とか。太宰治は坪内逍遥の大時代な口上を作品の中で揶揄しているのだけど、太宰治のセリフ自体経年劣化とまではいかないけれど、多少古さは否めない。それなのに、相当口の回る役者が更に顎に油でも差さないと、その勢いが無いと、舞台は色褪せる。歌舞伎でダンダンダンと前のめりにたたらを踏む勢い。特にハムレット、ホレーショ、ポローニャスはそれが要求される。新王と王妃はその勢いを一段階落とした上で、新王こと山羊のおぢさんには、何層もの複雑なパーソナリティが出て来なくてはならない。王妃は高貴な雰囲気が野の花を摘むときさえ揺らいではならない。という勝手な私のイメージでは、王妃役の松下由樹が出色。ハムレットはねえ、これは太宰治そのものなんだと思う。役者さんはさぞ大変だろう。凄い秀才で破滅的で、苦しい苦しい→かわいそうかわいそう、に振れつつ、テッペンカケタカー‼️と啼く鳥みたいな仰々しさでとにかく駆け抜けるような。弱さいじらしさも漂わせなければならぬ。木村達成さんはチンピラ振りはよく出ていたけれど、ハムレット=太宰治の、根っこの育ちの良さをもっと印象付けてほしい。死なずに孕んでしまうオフィーリアはシェークスピアオフィーリアのパロディ横綱といえる。トリックスター振りがぴったり来るような配役と衣装デザインでマッチングしてた。ポローニャスの池田成志はよくトレーニングされていて才能豊かだった。ハムレット親友ホレーショを加藤諒。何をやっても加藤さん、みたいなところがハマってて、これはこれで諒とする。ハムレットだけど、極めて日本人的な人間劇場。先王を殺したのか殺してないのか。事実は藪の中。太宰治の芥川好み、かな。金木に疎開していた太宰治を敗戦の翌年に訪ねたのが、若い頃に憧れ芥川ポーズの写真を多く残す、あの芥川龍之介長男、芥川比呂志『新ハムレット』上演の許可を求めての事だった。この辺の経緯は田端文士村記念館に詳しい。このお二人が初めてあい見えた時のシャイの極みはまるで少年のように初々しい。
2023.07.04
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2023/06/16/金曜日/湿気の晴れ、やや黒雲先日 舞台のパラサイトを観る。公開時に映画館で観た、あの、アカデミー作品賞パラサイトの劇場版。とはいえ、鄭義信演出。彼の芝居は 歌うシャイロック しか観ていないけれど。シェイクスピアが作品を世に出して以来、数えきれないほど地にまみれ、なし崩しにされた人物、シャイロック。嫌われ蔑まされたシャイロックを掬い取ろう、救い上げようという演出が随所に感じられた。なぜなら他者としてではなく、われら自身の中にいるシャイロックを呼び起こし、更にそれを慰撫しなくては、生き延びれない世の中ではないか、とそんな声が伝わる。そんな演出家であろうと思う。舞台化に際して、ポン・ジュノ監督がメッセージを寄せている。それによると、パラサイトは当初戯曲として構想したのだという。なるほど!象徴的階段はまさに階層社会の視覚化なのだ。それで思い出したのが、デザイン研究所で学んでいた時の、劇的な空間を作れ、的課題。舞台の真ん中に回り階段を据えて、そこにライトが当たり、周囲は暗い。最終的に回り階段は一気に崩れて平面となるみたいなスケッチの構想を私は提出した。それが舞台やインテリアデザインもされる先生から高評価を得て食事か何かに数名で招かれ、演劇や音楽、建築などの会話を交わした事を思い出した。思えば2年間で褒められたのはそれくらいだから、才能なんぞは無いのであった。そこに込められたのはヒエラルキーの平準化とか、今なら後付けで何でも言えそうだが、そんな怒りや悲しみを芯に造形したものではなく、ただただ階段というものが劇的なのだ、という直感みたいなものに過ぎなかった。それを思い出しながら舞台を眺めると、真に象徴的な比喩を持ち得るには、舞台の階段には熱量が不足だ。ここでは階段よりも、むしろ高台の住宅リビングから見下ろす、神戸の夜景のステージワイドなスクリーンが存在感を放っていた。そのアングルの変位が劇的なのだ。神戸淡路大震災の煙の上がる市内とお誕生日パーティーの庭の対比。この図は、マネキンを並べて撮影した作品を呼び覚ます。まさに対岸の火事、それが飛び火したかのような祝祭の庭で繰り広げられた殺戮。役者はどうか。それぞれの持ち味がよく出ているのでは、或いはそれを軽く裏切るのでは?と期待が高まる。私は真木よう子さんの演技が大変素晴らしいと思った。そのキャラクターに従い、肉体まで軽く変容したような。それでいて、奥の奥に何かに膿んだようなものがチラリと現れて来る。この人には 真夏の夜の夢のパックを演じてほしいなぁと何故か思った。或いは北欧神話のロキ、みたいな役。この芝居を観ながら、一万某のお金を支払い客席の人となる自分は何か、を問わずにはいられない。また演劇にしろミュージカルにしろ文化が大きなマネーを必要とし動かす事も。生身の人間が演じる舞台は、それを観る者を揺さぶらないではいられない。
2023.06.16
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2023/05/03/水曜日/風光る渋谷に マチルダ を観に出かける。娘からの早めのお誕生日プレゼントとのこと、ありがたし。しかしランチ代は高くつく。言わずと知れたロアルド・ダールの一番人気児童文学『マチルダは小さな大天才』子どもたちが大好きで何度か読み聞かせした。舞台装置もマチルダのMにフレーミングされているのだった。しかしながら舞台を見終えると、このMはmature の M かも?と思った。そのフレーム中心に一人ですっくりと立つマチルダが眩しい。子どもじみた大人の存在、が主題かも。間も無くこどもの日のニッポン自覚しているミスハニーと最後まで自覚無しのワームッド夫婦の対比そうそう案外、大人の成熟物語なのかな。ファンタジーとリアリズムがくっついて、そのどちらもが跳ね上がらず収まりながら大きな物語を小さな個人に届けるこれはメリーポピンズ由来、英国方式、フィリッパ・ピアスも思い出されることよ。ビクトリアン時代からこっち、英国って余程子どもが困難な国で、でも本邦にしたって、経済発展後にはその隘路に陥ってしまった。暴力に向かうか引きこもるか問題まあ、ともかく型破りなマチルダにエンパワメントされて子どもたちは監獄、軍隊みたいな学校構造を打ち壊す。 彼らの団結の力が嬉しい。という訳で、こんなミュージカルを観て、舞台せましと躍動する元気な子どもたちがそんまんま実生活でも元気でね、と祈るアタシ。さて、大人ができることは子どもを孤立させず仲間を増やす、そんな力添えをしなさいよ、て読める舞台でした。マチルダの熊野さん、セリフの滑舌もう少し、ミスハニーの昆さん、繊細さが役どころにピタリミストランチプルの小野田さん流石、ブラボー!
2023.05.03
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2023/03/21/火曜日/立春朝はまだ寒いけれど桜の枝は煙るピンクに先日、この舞台を観にサンシャイン劇場に行く池袋東口35を出て、Googleのオススメルートに従う。なんと、首都高に阻まれ直進できず迂回。チケットには劇場1Fとあり、道路に面した劇場と勝手に妄想するが、ポイントに到着するも見当たらず。ええー。実に!サンシャインビルの4階に劇場のあることを検索後に理解する。私はサンシャインビルの周りを遠回りにぐるぐる巡っていたわけだ。サンシャインビルの文化センター棟に辿り着くと、2階からは4階に上がるためのエレベーター待ちが長蛇の列。歩いて行けないの⁉︎意味不明なまま、待つ。なんとか開演5分前に席に。そもそもこの芝居は夫好みで、彼の招待なのである。初めてだぜ、サンシャイン劇場。もう少し事前にアクセス教えてよねー。思ったよりこじんまりとしている。12:30開演で休憩20分、終わったのは16時過ぎ。あれ?『ベニスの商人』ってこんな話?でも、演出家の意図する所は痛いくらい伝わる。かつて蜷川演出の市川猿之助を観たことがある。猿之助シャイロックがほんとに素晴らしく、『アンネの日記』もアウシュビッツも『夜と霧』も知る私たちに、シェイクスピアの時代のままシャイロックを描くことはできない!と、猿之助の演技に重ねて観るものに鋭く突きつける舞台だった、のだ。それをいわゆる「ザイニチ」である鄭義信氏が作演出したわけだから。様々な要素を重ね、あたかも一枚のポシャギに仕立てたのだなぁ。ありとあらゆる差別される側の、多くの私たち。女性である。異教徒である。異民族である。同性愛者である。不具である。階級がある。法とは何であったか。戦争は繰り返される。ふるさとはそんなに良いものか。…うらぶれて異土のカタイとなるとても 世界市民、そんなものが存在しうるのか。さすれば民族自決なんてどうなるのか?生き続けるのだ。問わずにいられない。のだから。そんな印象を持った舞台。福井晶一さん、中村ゆりさんが出色。
2023.03.21
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2023/03/08/水曜日/いきなり春先週土曜日 ハリー・ポッターと呪いの子 を観に出かけた。地下鉄3b出口からは、既に雰囲気盛り上がり↑このオブジェこそ、今回の狂言回しあらー、ドラコ・マルフォイが宮尾俊太郎さんではなくて残念。だけど松田慎也さんももちろん素晴らしい。マルフォイ親子のキャスティングは映画のイメージとよく重なる。よく重なるといえば、ガンダルフじゃなかったダンブルドア先生役の福井貴一さん、実に素晴らしい言葉の確度。この人でなくてはダンブルドアはできない、と見る側を首肯させる。なのに!な、な、なんと。一人三役を演じていたとは!しかもスネイプダンブルドアとスネイプ、真逆のようでいてその共通項をハリーが舞台上で開示するのだけどいやはや今回の驚きは福井貴一さんだったかも。彼の他のステージを見たいなあ。ロン役とマルフォイ息子役嘆きのマートル役もよい表現者舞台は私を引き寄せる何か魔法的なものが働いている〜その本質的なところを少し考えてみた。思春期の人、あるいはその親に強く訴える内容を役者が力の限り演じていてその誠実さがテーマそのものであるかのように胸を打つ。思ってた以上によかった。ところで、ハリーの次男である呪いの子は自分を「スペア」である、と舞台で語る。世界を救った偉大なる魔法省高官の父親ハリーと比較される劣等感の持ち主、2番目という立場の影と来ると、これはもう英国王室の話ではなかろうか。ハリーとその次男は一体、という。ヘンリー王子の愛称ハリー、巷を騒がす暴露本タイトル『スペア』共通する母親の惨たらしい最期王室の莫大な富、権利、歴史は、正に魔法。一見、何でもできる万能感を抱かせる。が、しかしその内側にあってスペアという立場からは全く別の世界が見えるのだろう。ハリー・ポッターが人気を博したのは、王室皇室好きな大衆の望む物語に透明マントを掛けて、ファンタジーに展開させたこと、も一つかな。それに合わせて魅力的な役者が舞台で躍動し、父と息子 という悩ましい人類的諸問題に突っ込むのだから、まんまと魔法にかけられ、薄い財布からグッズやドリンクなど買ってしまう私、とあいなる訳同じアホなら踊らにゃソンソン♪あ、こちとら芝居なので歌やダンスは無い。ハリー・ポッターの舞台は大当たり、第二シーズンではスペアならぬ役者の入替という更新も発表され活気づく。さて、夜となりコチラの日本産ワインはスペアであるか否か。何れにしても夜とお酒は全てに透明マントをかける魔法なのじゃよ、イツカノマッジ〜♪
2023.03.08
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2023/03/03/金曜日/肌寒い朝国立劇場は那覇市内ではなく、車が無いとちょっと不便な場所にある。 初めて訪ねるがバス利用。国立劇場行きバスは一日数本しかないが他の系統ならいくつか走っている。勢理客セリキャク バス停が最寄りである。 国際通りからゆいレール高架をくぐり、崇元寺の方へ 崇元寺から勢理客方面行きを待つ。↑街並みを見るのも珍しく楽しい。ブーゲンビリアをテラスに絡ませているお宅が何軒か。沖縄の緑は力強い。勢理客バス停から徒歩4.5分で到着当日はあいにくの曇天、強風沖縄のハナブロック?を連想させる外壁単純なフォルムが美しく風景に溶け込む。建築は高松伸高名な方なので、名前はなんとなく知っていたけれど、この建築いいなあ。そうか京大の建築出と。意匠ができるのは、はあ珍しい。東京の国立劇場も今年限りで建て替え。今度は百年もつ建物で、お説教くさくなく、庶民の愉しむ祭り気分が盛り上がるようなイメージを6年後に期待する。プログラムは高砂を彷彿とさせる翁媼の舞の序からステージ真ん中に楽器奏者が緋毛せん台に並ぶメインの組踊では奏者方は薄い紗の幕で結界される2/25当日の演目は「久志の若按司」その昔、具志川城主であった天願按司が家臣である謝名大主の騙し討ちに遭い、按司の子であった千代松と乙鶴が久志の若按司を頼りに仇討ちを果たす。主人公は若按司であるけれど、千代松、乙鶴の兄妹の道行が哀れ健気で、なんとなくヘンデルとグレーテルのようでもあり心動かされる。声や仕草が役どころにピタリはまって、乙鶴の可憐さが素晴らしい。それでいて疲労困憊の兄を勇気づける逆転の演技も微笑ましい。演奏と台詞と能のような動き足運びは踊念仏を思い出させる。滑るように進むと一旦つま先を上げて静かに接地若按司は、知性と美貌を兼ね備え、謝名大主も凡ゆる欲望を具現化したキャラクターがそれぞれによく表れて、すっかり堪能しました。凄く訓練鍛錬されているけれど、役者として豊かに生計が立てられるのかな、沖縄ので連続公演は難しいのでは、など余計な心配もした。さて、打って変わって夜は、ちゅらさん4人の美声と演奏芸能の一日なのである。国際通りの、ライブハウス島唄で ネーネーズの3ステージと泡盛ハイボールで仕上り↓これは 牧志市場至近の 波平テリトリーさんのウィットに富んだ泡森案内↑こんなに沢山の沖縄キャンプ!
2023.03.03
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2023/02/12/日曜日/わおお1時間ばかりかけて入力した文章が不注意で消えた!再度書くのは諦め記憶に残るいくつかのみ記す。織太夫の迫力と悲しみの笑い大音声に場内ざわめくこのホンは元々、台湾のみならず漢民族の英雄鄭成功が日本の平戸生まれである事など、史実に即した内容物語中のもう一人の英傑、甘輝の存在はどうだろう。ところで、明が滅び満州族の清王朝が成立する中に呉三桂という有名な明の武将がいた。一目で恋に落ちた芸妓を身受けしたのだが南方での戦乱に出向いていた折にその妻を上司に奪われ結局、清王朝に寝返り戦に勝利して妻を奪い返した。これによって呉は女で武将の義理を捨てた情けない人間として歴史に汚名を残す。おそらくそんな背景があっての、甘輝の道理。その苦しい笑い声を響かせた織太夫、天晴れ三輪太夫小住太夫、花あり錣太夫、好し織太夫この人はスケールアウトしている。伸び伸びしている時、ほんと素晴らしい。聞けば、心斎橋の生まれ育ちの文楽一家やはり、板についてるなあこれが初演された当時、大変な評判となり17ヶ月のロングランを記録したという。
2023.02.14
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2023/02/10/金曜日/朝から雪コロナの3年ですっかり日本回帰の私めの、それでも4ヶ月ぶりの文楽あーあー 間が空いた浄瑠璃でしっぽりしたいわなぁ一部、二部通しにつき、お昼用にコンビニでおむすびサンドイッチなどを購入劇場2階レストランは暗くて高くて不味いしかも、ゆっくり食べている時間もない。新築なったら観劇と食のコラボをぜひよろしく観劇の合間などを考えれば、ヨーロッパ方式に学んでシャンパンとかカクテルとか手軽な価格で出してほしいなあ、軽食の充実も期待されます。ホテル併設で、それこそ宝塚みたいなのも良いかも!今回は近松門左衛門の名作三部とあって、会場はぎっしり。やはり人気なんだなぁ門左衛門公演前には 紙屋治兵衛を遣う 吉田玉男 の記事が新聞に掲載されてもいたことだし一部 心中天網島北新地河庄の段 切 竹本千歳太夫 豊澤 富助天満紙屋内の段 奥 豊竹藤太夫 竹澤 團七大和屋の段 切 咲太夫 病気で急遽 竹本織太夫 鶴澤 燕三本日網島の中でこの段は咲太夫のための、負担の少ない配分であったはずが、休演前々回に引き続き織太夫 がピンチヒッター咲太夫さんは織太夫に無茶振りして役幅まいらせてる?咲太夫目当ての客を思えば、織太夫も気の毒と言えば気の毒だけど、貴重な場数を踏んで名人になれぞかし。その織太夫、ちょっと慎重過ぎて窮屈そうで声も控えめ まあ、太竿が燕三だから心得たもの、浄瑠璃よりも音で語り、肩は凝らぬ道行名残の橋づくし殆どフィナーレの段、人形遣いもバトンタッチ いやはや長の丁場、玉男さんお疲れさんどした。玉男の治兵衛は若々しく、品と清潔感が漂うまあ、それが本来の治兵衛の持ち味なんだろう。どうあっても崩れきれないから心中するしかなかったんやなあ、とハラに落としてくれる、というか。おなご の人生 まして遊女のそれは何でこんなに辛い苦しいPower to the women!門左衛門さん、もうちょい本来の女の勁さを描けないかえと言いたいところではあるけれど、今から300年も昔の当世に、男が動かしていると見えて実は女の視点から世相を描いた画期が門左衛門にはある、のだとか?遊女小春の心意気、女房おさんの心意気それにつけても治兵衛のぐだぐだダメ男に何で、賢く美しく天晴れな女性が惚れ抜いたのかなーんとなくだけど、浪速のぽんの柔らか稚さがいじらしく、女心を掴むのと違うやろか周囲を固める配役、治兵衛の兄が侍を装い義を糺す場面は『ぼんぼん』今江祥智に登場する漢気、佐脇さんの海軍将校に化ける逸話を彷彿浄瑠璃三百年は昭和の大阪には生きてたんやなあ令和の今はどないなことやろ?
2023.02.10
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2023/01/23/月曜日/大寒の氷雨一日だけの公演が21日に国立小劇場で。コロナパンデミックが無ければ、2年前開催の予定の演目冬 ー 八戸のえんぶり春 ー 甲府市の天津司舞てづしまい夏 ー 沖縄エイサー秋 ー 江戸の里神楽えんぶり 暗い背景に降り頻る雪の情景いかにも八戸在住の、先祖伝来の土起こし、苗植え、稲刈りの舞踊り、朴訥な口上。壮年男性の力強さから少年少女の可愛らしい仕種を田の神、実りの神はさもさも寿いできたのだろう。一連の動きは稲作の技術が列島に伝播するとき、文字も持たず言葉も通じない中、生み出されたコミュニケーションではなかったろうか。その舞がそのまま年寄りから年少へとも伝承され、それは同時に土地神、祖霊への祈りでもあった。田植えの身振りはお相撲のシコのようでもあり、相撲の由来との関連も考えさせられた。八戸は海幸も豊かなお国柄、愉快な恵比寿舞も天津司舞 春霞、桜満開のもと甲府盆地はかつて湖(ウミ)であったとの伝承その湖上、神々集って舞い踊る静かな厳かな舞とお狂い、の激しい舞これを特大素朴な神蔵=人形の二体が180度の位置で反時計周りに、船に見立てた幕上で追いかけ演じる。元は12柱の神々が、二神は天に上りもう一神は古井戸に没した。残った九柱の神を神像に作り上げ小瀬村氏神である諏訪神社に祀った。最後のお姫様と鬼の追いかけはややもするとハラハラさせられる。この傀儡を観じるに、これはもと諏訪湖からの伝来だったのではなかろうか。国譲りで敗退した(相撲で負けた?)建御名方は諏訪湖の外に出ないことを条件として、生きながらえ、その他に留まった出雲系民族である。敗者といえど、殆ど縄文の土地に大陸の進んだ文化をもたらした、その威光はいかばかり。当に諏訪大社祭神として厚く祀られた。その一族か、その威厳を知る集団が新たな開拓地を求め、甲府盆地小瀬村に辿りついて、先祖の伝来を残したのかもしれない。お姫さまと鬼が同一場面に登場するのは、女性の二つの面の表象、なんぞと詮索するのは小賢しいとしても、後の里神楽で見事にこの場面が現れるのだから、まあ心憎い。エイサー・大獅子 抜けるように青い沖縄の空、海かん高い指笛が天高く舞う鳥の呼ぶ声のように見るもの演じる者を目覚ます。一目見るなり、沖縄発祥の空手の心が伝わる動きと太鼓できたら唄も生で聴きたいところ東京在住のエイサーグループとのこと、とても訓練されている、というかプロフェッショナル。明るく、元気、あー沖縄行きたいなあ、と思わせる陽気さ、フレンドリーさは日本の地理風土をグーっと押し広げているなあ司会役の女性の着ていた紅型が見たことないくらい、大変美しい衣装だった。江戸里神楽 紅葉狩 あら、背景は何だったろお囃子の連座や舞台装置が豪華、あー、松でした。だから何やら能舞台的、歌舞伎的でもあった。これもまた時を掛けて里神楽を専門に行う氏子集団のプロフェッショナルな舞台満席のお客さんは殆どが年配だけれど、若い方の姿も。国立劇場は来年10月建替えとなるけれど、まだその外貌はよく分からず。外はどうあれ、中身が命。来月の文楽、門左でござる♪
2023.01.23
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2022/10/02/日曜日/日差し強い、金木犀も強い杉並大宮八幡境内のお茶室で鈴木風太郎氏の古琴演奏会へ古琴という楽器について解説があったので、全く初めて聴くのだけど理解がすすむ。古い漢詩や絵画に因み曲が付けられた。 同時発生も多少あっただろうけれど、漢詩の後千年近く経て創られたものも? 音階はミとシの音がないペンタトニックなので、どの音をつま弾いても不協和にならないみたい。全10曲不思議な漢字記号の音符を眺め恐らく漢詩の味わいに合わせそれを音で内省的に味わう印象演者の世界観に共鳴しながらうつらうつらするのが極上のスタイルかなぁ?鹿鳴操 鹿鳴とは美味しいよもぎを見つけて仲間に知らせる鹿の鳴き声が転じてもてなすことを意味するとか鹿は秋の季語でもある、そんな導入酒狂官吏登用に汲々する俗世を離れ、深山に引っ込みお酒きこしめし、確かに酩酊振りの音色秋風詩漢の武帝の望月の世にふと差し込む明子の憂い双鶴聴泉これはよく画題に用いられる。二つの鶴をどのように鑑賞するかが音曲に反映されるらしい。修契吟修契とは春と秋の大掃除の風習とのこと。古いものを払い刷新していく作業は、春と秋の演奏では自ずと趣きも異なるのかな。低く重い音と軽く高い音の掛け合いがそれらしい。お払い後の中休みお茶と和菓子の接待栗餡の大福は幡ヶ谷にある和菓子の ふるや古賀音庵のものだとか。真に秋らしく。続く高山長い。12分。ここで寝落ちする聴衆数名何しろそんなドラマチックさとか構成みたいなものもなく流水高山流水は組で演奏されるケースが多いらしい。当に水の流れを音で味わうかのよう。というか古琴の7弦は水のための楽器かのよう。菅原道真公も古琴を稽古したが流水が弾けず修得を諦めたというエピソードがあるらしい。また空城の戦い?で諸葛孔明が城門の上で演奏したのもこの曲だったとか。レッドクリフでも使われているとか、ポピュラーな曲らしい。離騒文字通り、巷の栄華低く見てという境遇を良しとするヒトの音曲宋玉悲秋宋玉は哀愁をうたう一の詩人だったか?前曲も同一人物作だったと記憶良宵引引も吟も曲の意ラストらしい、秋らしい選曲なんと無しそれぞれに書を読んでいる良夜かなという俳句が浮かぶ
2022.10.02
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2022/09/06/火曜日/曇り初代国立劇場さよなら公演あらあら、吉田グループにコロナクラスター?そういえば、前回お目当て咲太夫が体調不良毎回の代役が続きます。第一部と二部を通して観た。あー久しぶりに、人形が織りなす人情世界にひととき漬かる。第一部 碁太平記白石噺 田植の段 口 豊竹咲寿太夫 鶴沢友之助 文楽出かけると寿大夫さん、必ず出演まぁ口ですけど、何でこんなに起用されるかなあ。三味線の友之助さんお若いけどいい感じだった奥 藤太夫と清友さんくらいになると流石にハラにぐっと重みが増す。 逆井村の段 奥 豊竹藤太夫 鶴澤清友これは51年ぶりの上演らしいが、その切を本年から切り語りに昇格の竹本千歳太夫堂々と或いは老いた病床の嫗を、それでも品位を込め情感こぼれ落つるばかりに朗々と謡いあげれば、木偶の棒に血も通うから、哀れなり豊澤富助の三味線も声を誘い声を支える衣のように伸び縮み感涙絞り、しばしの休憩2階へ駆け込み、コンビニおむすびとお茶をかっこむ。デパ地下でお昼買うつもりが時間が取れずそれにしてもなんでここの食堂はこんな薄暗く貧相なの?気分が滅入るくらいのレベルそういえば、昔の歌舞伎座の地下食堂も侘しいものだった。座席で食べながら、という名残?かなぁ。いかにもぞんざい。幕間は35分ほどか。アワアワと席へ第二部 寿柱立万歳おめでたい演目なのに、今日の聴衆はノリがいまひとつ。三越の紙袋が出たけれど、どれだけの人が今日は帝劇 明日三越に気づいたかしらん?明後日新装国立劇場、明後日とはまあ7年後 後半は 碁太平記白石噺 浅草雷門の段 新吉原揚屋の段とほとんど通しに近い上演。新装の暁には半二の妹背山婦庭訓をぜひに通しで!さて、浅草雷門の 奥 は咲太夫と燕三ここに至れば名人芸かなあ声量、技術に任せなくてもどこからか唄と音が立ち現れ田舎の小娘なんとも愛らしく、地蔵に化けた漢の滑稽ぶり、酔漢の酔いどれぶり!ところがいけない劇場の椅子、座面が長時間座ると痛くてならぬ。体重をあちらへこちらへその内日頃の、老犬ケアの睡眠不足が祟り、白河夜舟朦朧と呂太夫を聴くとはもったいないなあ!次回は素浄瑠璃でも行きますか
2022.09.09
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2022/08/31/水曜日/急に涼しい、蝉の声遠く生の落語は初めてしゃべりの芸、プロってやっぱりすごいなあ声の強弱、間合い、伸び縮み、緩急自在にイキイキと話す事が仕事の先生方、センセ方、マスコミ、ジャーナリストその他広報マンちょいと入門したらどうでしょう。そんな本もあったねえ、佐藤多佳子さんあたり。『喋れども喋れども』が。若い人には勢い、中高年には艶とか色気があって楽しめた。毒は少なめだけどマクラにはコロナに統一教会、くすくす。落語の世界には日本の庶民がしっかり息づいていて、何やらほっとする。喬太郎さん、良かったよぉあられさんは間も無く二つ目に
2022.08.31
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2022/07/31/日曜日/蒸し暑いなあ東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル新国立劇場合唱団東京混声合唱団25名ずつの混声が作品一つを初めに丁寧に歌い上げた。その後それぞれの団の持ち味を総勢50名で響かせるというプログラム東京混声合唱団が得意とするらしい東洋民謡。というか池辺晋一郎の作曲の素晴らしさ音楽はうた であることが悦びをもち伝わってくる喜び三澤氏の指揮には品格、明るさ、若さ、軽やかさを覚えた。一番最後の「夕焼け小焼け」あまりのフォルテッシモには違和感三澤さんならどう指揮したかそれ以外はとてもよいコンサートだった。
2022.08.19
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2022/05/17/火曜日/あまり暑くない雨まじり長々書いた文章が保存されず消えてしまい悲しい。再度書いてみる。国立劇場はの道すがら、何となくこのお社を目にしていたけれど、今日はそれが飛び込んで来た印象で、手を合わす。↑太田姫稲荷神社の分祀?大きいのは神田駿河台に鎮座しています。太田道灌の娘が天然痘にかかり、一口(いもあらい)稲荷で祈願すると霊験あらたかとの人伝で道灌は京都まで使いの馬を走らせ、神社祈願のひと枝と弊を奉ると姫は快癒したとか。感激した道灌は江戸城内に稲荷神社を祀ったが、今は駿河台と半蔵門側にある、という次第。ところで稲荷神社は全国三万社と言われ、最も多い部類の神社だ。ひときわ高明なのが伏見稲荷大社だが、その北3kmばかりに鎮座する義輝稲荷神社が最古で金閣寺東方向にある。更に伏見稲荷大社の南3.4kmにあるのが豊吉稲荷神社でこれらは南北にほぼ一直線というのも面白い。豊吉稲荷神社のある地名が東一口(ひがしいもあらい)なので、道灌の遣いはこの稲荷を訪ねたか。さてさて義経千本桜といっても義経よりも静御前と初音の鼓、狐忠信に重心のある物語。欲と権力に歪められる人間モノノフの情の紙風船に比べれば、畜生狐の親子の情の深いことよ、とほだされる。「四の切はこれが最後」と言いながら、東京公演を病欠の豊竹咲大夫さん、そりゃかなわんわいなぁ。代役あい勤めまするは竹本織太夫、私の贔屓。いつもより一丁長くホンをおし頂く姿。重圧いかばかり、艶のある声量やや乏しく、まああのような場面の狐ならばさもあらんか。脇には油の乗った鶴澤燕三、見るごとに若返る桐竹勘十郎の宙吊り、下には吉野千本桜をご覧じろう。ほんまにいいもんみせてもらいました。
2022.05.21
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2022/03/20/日曜日/曇りときどき晴上野水香さんのボレロ以来、久しぶりのバレエを堪能。Kバレエを観るのは初めて、わくわく。実は飯島望未の舞台目当てだったのだけど、どうしても日程が合わず、吉田早織さん、堀内将平さんの配役で。でも予想を遥かに上回る吉田さんのジュリエットだった。そもそもシェイクスピア原作ではジュリエットは14歳.ロミオは17歳の設定のはず。恋にのぼせて一途に生き急ぐ、そんな14歳の弾むようなジュリエットの造形が素晴らしかった。バレエというよりはバレエ演劇、みたいな。踊るだけでは足りずその人物になりきる演技力が必要で、ダンサーの個性も大切になる。そんな点からは優れた配役だと感じた。恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、なんていう都々逸もあったげな。台詞無しで肉体表現だけ、とはいえそこは音楽が大変雄弁なのだと思う。ロミオの堀内さんもロミオを内在化させていた。友人役、金瑛輝と石橋獎也のダンスも軸がしっかりして、また当時の時代を彷彿とさせるような表現演出など垣間見えよかった。
2022.03.21
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2022/03/13/日曜日/曇り後晴新宿区立中央図書館の面白い試み。法学奏者の若手三人による平家物語の琵琶語りが後半年、YouTubeで楽しめる。彼らの瑞々しい音声が聴くものをして内的に振動させます。能の謡曲、文楽の浄瑠璃、そして琵琶法師。東では徳川の元琵琶は段々侘しくなっていったが、九州では生き延びていたことなんぞも古川日出男氏『作家と楽しむ古典』で知る。コロナで日本の古典に関心が向き、平家物語に耳傾けるまでになりぬるを。
2022.03.14
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2022/02/22/火曜日/晴天国立劇場へは半蔵門駅から行くので、いつも楽屋口横を抜けて行く。大抵は午前か昼の部を見るのだけど、珍しく昼と夜のニ部続けて鑑賞。早目に着いて時間潰しと思ったけれど、気持ちの良いカフェがこの辺り本当に無いのです。隣接地のホテルのラウンジもコロナで閉めているらしい。うろうろ経巡り演芸場を周り、結局ドトールまで足を伸ばした。国立のエンタメ会場なのにまともなカフェもビストロも無いなんて名折れもいいとこ。時間潰しの上、やって来たら客席は既に沢山の人。やはり本日のメイン、加賀見山旧錦絵。カガミヤマコキョウノニシキエ待つ側から熱気が。全九段の内、六(草履打ちの段)、七段(廊下の段、長局の段、奥庭の段)が演じられる。いつかは全段通した大きな演目が観たいけど、中々そんな機会に恵まれないのは何故なんだろうか。この浄瑠璃は江戸時代に起きた大名家奥御殿の仇討ちと加賀前田藩の御家騒動の二つの事件を絡めている。幕府お達しで実名を出せず、時代も足利に置き換えられているが、当然江戸町民ならずとも背景はすっかり見え見えなのだ。そういうことまで含むメタ観劇?更に中老と召使、これが町民上がりと没落武士の娘、の転倒の設定であって其々の義理と人情を暮らしぶりの細やかさの中に畳み込む表現も女性が主役ならではの演目。長局での召使お初を操る桐竹勘十郎は、前回観た時よりはるかに良かった。年の頃14、没落したけれども侍の娘、支える主人は裕福といえども町人上がり。それでも通うひたひたとした情愛。それら全てが乗り移ったお初だった。中老尾上の吉田和生もお初と対象的に落ち着き風格がある。吉田氏の、舞台に溶け込んでまるで自分の身体で繰っていないかのような風体が素晴らしい。豊竹咲大夫はこの演目の第一声をリード。長局の段後半の竹本織太夫が力強く訴えてくる。この人いいなぁ。三味線鶴澤藤蔵。お二人とも今後円熟していくのだろう。さて第三幕まで時間が余る人にだけ開けてくれる2階の暗くてしょぼい食堂。再び言いますがこれが国立と名のつく劇場レストランなんだから呆れる。もっとワクワクする楽しみを増やしてはいかがか。お腹空いても食べる気にならず。かつてより広げられた休憩所で持込お弁当を食べている方の慧眼に次回はあやかることにします。さて3部は平家女護島は、謡曲「俊寛」を近松門左衛門が浄瑠璃に仕立てた作の内、鬼界が島の段。恩赦によって懐かしい都に戻れようか、という時に船に乗れるは三人のみの断り。たった今、少将と漁師の娘と祝言あげた千鳥を含めば四人となる。俊寛は身を引き千鳥を乗せる。ところで少将が千鳥との馴れ初めを語るところは際どく艶めくエロ語り。思わず客席のご年配紳士の大笑い。悲劇的なジエンドとの落差。三人を乗せ船は遠ざかる〜思ひ切っても凡夫心〜明るい顔で見送ったが、沖合いの遥かになった船に向かい身を切られる哀切が滲む。豊竹呂太夫熱演最後に狂言風「釣女」。大名、太郎冠者、美女と醜女の取り合わせ。このおたふく顔の醜女が愛嬌があってレジリエンスで元気一杯な魅力を見るせられるかどうかがキモかも。大名人形遣いがやや固く緊張気味だったのは何か訳でもあったのかしら。
2022.03.02
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2022/02/13/日曜日/明け方の雪は雨に舞台、映画、舞台の怒涛の3日。オミクロン及びこの天候、地獄に堕ちた勇者ども、か我らは。と後ろめたさに浸りながらのラスト観劇は、日生劇場に天井桟敷の人びとと化す。松本白鸚は市川染五郎と名乗っていた頃からこの舞台を務めて53年、1300余回。これは凄いことではなかろうか。初日が開けてまもなく濃厚接触者が出たとかで、ようよう本日再開の喜び。座席は老若男女でぎっしり。この特別な時間空間を共にしたい長年のファンの方の熱気が伝わる。あー既に記入済みの方をミスで削除してしまった( ;∀;)とにかく気を取り直して再度書いてみよう。壮年セバスチャン染五郎が老ドンキホーテに変化する化粧シーンはその醍醐味が実年齢が凌駕したいま、薄れたのかもしれない。でも役者白鸚と彼個人とセバスチャン、ドンキホーテは、修練と長い人生体験と時を経て磨き抜かれた魂の造形が、セリフ回しや細やかな身振りのディテールに立ち現れている。最期のシーンは当にその三者が一体となり目頭が熱くなった。長年見続けた方はその歳月を通し一つの舞台として体感されるのではないだろうか。村野藤吾設計の日生劇場もまたこの舞台に実に相応しい。
2022.02.16
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2022/02/11/金曜日/午後から晴で雪消えるいつ以来だろうか、の舞台ミュージカル。しかも、ザッツミュージカルと呼びたい「雨に唄えば」。ロンドンからアダム・クーパーのカンパニーがシアターオーブへやって来て、雪を雨に変えてしまった。↑本日はマチネーで、夜の部はクーパーのトークもあったけど残念ながらそのことを知らず、お昼の舞台を観た。右上、分かりづらいけれど前5列くらいはレインコート席。雨がざんぶり降る舞台、オーケストラは何処に⁉︎それは中休みにちゃんと分かるけど、でもオーケストラも前後動く仕組み?不思議が残る。↑撮影可能タイムの様子アダム・クーパー扮する大スター、ドンの雰囲気はクーパーにピッタリで不可分なくらい。気品と育ちの良さが身体、身振り、歌声に反映される。役の台詞「ディグニティ」が明朗さ軽やかさと共にある。こういう姿は日本の役者では中々得られない、文化様式の違いに近いと感じる。駆け出し女優キャシー役のシャーロットもほんと素晴らしかった。踊りも声も容貌も役どころにピッタリ。他のステージも見てみたい。例えばメリー・ポピンズやサウンドオブミュージックなど。ひょっとしてシカゴなんかもいけそう。大女優のコミカルでどこか憎めない可愛らしさ満載リナ役を演じたジェニーの、本当の生声もどんなのかしら?素晴らしいコメディエンヌ振りで笑いを誘う。あと、強く印象に残ったのは↑右下2番手、3番手の役で歌った彼、名前が分からぬ。何しろ、パンフレットは写真集の体裁で、公演が可能かどうか、ぎりぎりの所で作った様子。クーパーのインタビューと舞台写真のみ、なのだ。そのパンフレットに昨夏、ロンドンで一年半ぶりに舞台が戻り、この演目の千秋楽カーテンコールの様子を舞台奥の指揮者が撮影した一枚が掲載されている。観客と役者の歓喜、舞台との一体感が見事に伝わる。Show must go on, and done!観劇中は四六時中、コロナ下のマナーを喚起されるのでついつい椅子に沈み込む私たちがいる。演じる側だけでなく観る側も加わって舞台は出来上がるのだから何となく煮え切らない。今日のステージは舞台の熱の方が遥かに高い。その日集った観客の個性でもパフォーマンスは毎回変化する。あの写真のような溶け合う一体感の一期一会こそ舞台の、フェイクの真実だと思う。それこそ考えられる限りの準備、細心の注意を払っても実現できない事もあった舞台が、奇跡のように持たれ、そこに居合わせる喜びにもう少し寛容であっても良いのでは。余計なお喋りは論外だけども、感動に足枷はできない。
2022.02.12
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2022/01/08/土曜日/日差しは温かいけれど北に雪凍みる国立のギャラリー銀風工房さんのコンサートに出かける。朝、玄関扉のお正月飾りを取り外したその日に、何故にクリスマスかというとそれはコンサート主催者のパンフレット裏面説明に詳しい。私はクリスチャンではないけれど、クリスマスやキリストに親和性を覚え、アドベントキャンドルの灯りを灯し、生誕祭の夜のお人形を並べ一陽来福を寿ぐ。松の内まではクリスマスとお正月さまが重なりながらリレーする我が家なのだ。だから、今回25日に始まり本日9日終了のクリスマス古楽コンサートが素直にフィットする。このアンサンブル主催者中村会子さんの力量というか、音楽的宗教的な芯の太さが素晴らしい。古楽器は気温や室内環境に合わせて調律もかなり努力を要する。それはどこまでも肉声に近くキリスト生誕の喜びを伝えたい!ただそれだけの心が歌になる。入れ物と容器がとてもしっくりくるのだ。それゆえに音や歌が流れると情景や風景を呼び覚ますような力がある。「天に栄光、地に平和」をコルトナとフィレンツェのラウダで聴かせ、違いを感じさせた試みも興味深い。前者は私に祭のお囃子の調子を、後者は祈りだけに捧げた教団が生きたフィレンツェの風景を連想させた。コンサートの合間にはヒルデガルドや聖フランチェスコの話なども出て、学術的な用土から真摯に紡がれる音楽であることも付け加えたい。本日コンサート最終、場所は飯能ガレット工房 時、である。ガレット!時!なんか素晴らしい閉じ方だ。
2022.01.09
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2021/12/16/木曜日/温かさ戻り晴東京国立劇場に文楽を観にいく。演目は仮名手本忠臣蔵。これは全部で11段あるそうだけど今回演じられたのはその半分の六段で・桃井館本蔵松切・下馬先進物・殿中刃傷ここで休憩20分・塩谷判官切腹・城明渡しここで休憩10分・道行旅路の嫁入解説では仮名手本忠臣蔵で大阪でも東京でも、松切からスタートした先例は無いそうだ。最後の段は本蔵の娘と妻の道行となっている故に、今回の演出は本蔵に焦点を当てたものではないかとの解説もあった。本蔵松切の、小住太夫と鶴澤清丈がいきなりとてもよかった。若く直情な若狭助と酸いも甘いも人の機微もよく知った家老本蔵の人物をしっかりと作り上げ。馬に騎乗、はやと出かける本蔵に縋る娘と妻の困惑、悲しみ、白装束がフィナーレで大反転して見せる。客席に馬の尻を見せてひらりと乗り付ける本蔵の様は、なかなかどうして老練というより日頃からのモノノフ鍛錬賜物、と同時に人形遣い鍛錬賜物が重なり天晴。殿中刃傷の、高師直の浅ましさ、判官の高徳と憤りを語る靖太夫の、まあ二重人格?的ケレンの凄みがよく表れていた。見る者みな、にっくき師直めがと相成るはもちろんあのカシラならば必定。それから塩谷判官切腹の織太夫と鶴澤燕三「力弥、まだか」切腹の見せ場。あー泣けまする。〈待ち合わせ〉いわゆる語りを止めた演出、人形も技工の動きは止めている。水を打ったようなひとたびの静けさが演ずる者見る者を一つにする。おかるは語りで2回ほど、勘平は姿が一度脇でちらり。願わくば全ての段を通して観てみたい。
2021.12.17
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2021/11/1/日曜日/秋晴れ羽衣なんとまあ。武相荘前のあまり広くない庭先に能舞台が設置された。一時頃着いて三時開演前の間に日差しが少しずつ傾いて、空気が霊妙に変化して来るよう。狭い舞台に総勢12名。橋掛は尺五ほど。さてこの極小の空間に松原の白波、山並みを越え月世界に昇る天女、それら風景が出現するのかどうか。羽衣は謡の者、ツレの頬も掠め、憂き世の人に舞を伝えんとする勢いで衣の掛かっていた松の木から観客席を覗き込む姿が見られた。果たしてこれは屋内能舞台ではあることだろうか。天女の衣を既に纏った存在が、いかにも人間くさくなってしまったように感じられ少し違和感を覚えたけれど、白州正子さんのエピソードもそこはかとなく思い出された。しかしこれは意図したことでもなければ計算ずくのことでも無いように思われた。序の舞から破へ移行するに及び音曲も激しさが増し、樹上の野鳥たちの声もひとしきりボリュームが増す。秋の傾いた光が天女の挿頭を輝かせ移ろわせ、落ち葉もひとひら舞う。外で演じられる醍醐味。今度は屋内能舞台で再び友枝雄人氏の羽衣を見たい、どれだけ違うのか、違わないのかを。お能の前に大鼓、小鼓のワークショップがあった。「はるがすみ たなびきにけり 」の段を楽しんだ。よおーぉ〜、ほ、ほの例の掛け声?が気持ち良く、腹の底から出ると身体の中心が感じられる良い企画だった。
2021.11.05
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2021/11/1/日曜日/秋晴れ羽衣なんとまあ。武相荘前のあまり広くない庭先に能舞台が設置された。一時頃着いて三時開演前の間に日差しが少しずつ傾いて、空気が霊妙に変化して来るよう。狭い舞台に総勢12名。橋掛は尺五ほど。さてこの極小の空間に松原の白波、山並みを越え月世界に昇る天女、それら風景が出現するのかどうか。羽衣は謡の者、ツレの頬も掠め、憂き世の人に舞を伝えんとする勢いで衣の掛かっていた松の木から観客席を覗き込む姿が見られた。果たしてこれは屋内能舞台ではあることだろうか。天女の衣を既に纏った存在が、いかにも人間くさくなってしまったように感じられ少し違和感を覚えたけれど、白州正子さんのエピソードもそこはかとなく思い出された。しかしこれは意図したことでもなければ計算ずくのことでも無いように思われた。序の舞から破へ移行するに及び音曲も激しさが増し、樹上の野鳥たちの声もひとしきりボリュームが増す。秋の傾いた光が天女の挿頭を輝かせ移ろわせ、落ち葉もひとひら舞う。外で演じられる醍醐味。今度は屋内能舞台で再び友枝雄人氏の羽衣を見たい、どれだけ違うのか、違わないのかを。お能の前に大鼓、小鼓のワークショップがあった。「はるがすみ たなびきにけり 」の段を楽しんだ。よおーぉ〜、ほ、ほの例の掛け声?が気持ち良く、腹の底から出ると身体の中心が感じられる良い企画だった。
2021.11.05
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2021/10/23/土曜日/美しい秋日和シアターオーブにオリバー!を観に行った。オリバー役は全部で四人。本日のオリバーキャストは高畑遼大くん。オリバー役でこの舞台の全てが決定してしまうかも、というくらいの重圧を軽々越えて飛翔してみせた高畑君。孤児院でもロンドンのいかがわしいストリートでも品のある清潔感を失くさない雰囲気は稽古で掴めるものではない。彼の最初のボーイソプラノの響きがホールに満ちた時、オリバーのパーソナリティを何よりも能弁に決定付けて観客を鷲掴みしたと思う。変声期前の天与のほんの一瞬に出会えた特別な体験。この達成感と高揚の後にやって来る大人への道のりの重さを観る側は予見する。故にその無垢さが一層刺す。SPiや市村たちが演じる青年期、中年期、老年期の、汚れちまった人間の哀しみとの鮮やかな対比が、ああディケンズ。久しぶりに伸び伸びしている浜田めぐみさんを舞台に見た。
2021.10.24
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2021/10/03/日曜日/爽やかに暑い観てから3ヶ月以上経っているが、忘備としてメモ書き一昨日か読了の『しあわせの書』が、話の主題は全然異なりながら.プロットとして「フェイクスピア」を思い起こさせた。そも舞台というのは虚構だ。とある事件を古今東西、劇作家は書き演出家が役者を動かし、観客はそれを観て笑い怒り涙するが、それは事実とは異なると誰もが承知の介だ。しかも面倒なことに事実と真実もまたぴったり重なるものではない。全き真実を人間如きが持ち得ようか、あるいは持つことに耐えられようか。シェイクスピア風に言えば「人間なんかが見ることができない夢を見ていただよ」が芝居の奥義でもあろうか。私は「フェイクスピア」の舞台となっていた池袋芸術劇場の入り口柱に貼られた大きなポスターを見て、この仕掛けにハッとした。画像では認めにくいかも。芝居初日は5月24日。日航ジャンボ機墜落事故の搭乗者は524人。この符号。初日の数字の並びに野田秀樹の意図が無い筈はない。この演目、観る側にどう受け容れられるかそこに魂魄打ち込んだか。このような文字数字の配列を侮ってはいけない。文学は亡き人の言葉を掬い上げ、今ここにある人に伝え、読む側見る側に何かしらの変容を促すが、生者死者を結ぶ依代なり秘密は、案外細やかなものに宿るのではないだろうか。で、何故それに注目したか。それはその日が私の誕生日でありオスタカヤマをいつも思い出すからに他ならない。えー口惜しや、0615にこのエレベータ乗っていれば完璧だったが寝過ごしてしまった。演出家鈴木忠志さんに『虚構の真実』という著作があるそうだが私はまだ読んでいない。そうだ舞台の話。売れっ子役者の一生さん、この肉体造形姿勢発声がまた何でも変容可能な汎応力秘めて得体も知れない。前田敦子が余りに星の王子さまにフィット。ピーターパンなんかも良さそう。橋爪功が鍛錬重ねた舞台俳優であることが一目瞭然。時間も経ち、あとは霞。
2021.10.03
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2021/06/21/月曜日/曇り小雨観たのは3ヶ月前、とはいえ随分時間が経ったような気がする。昨年春頃から芝居はおろか映画館も図書館までもが全て閉ざされた。その後、ぽつぽつと再開された初めの頃は、今舞台が観られる!という現実がまるで奇跡のようだった。今年半ばからは偶に中止や延期もあるけれど、少しずつウイズコロナの日常になりつつある。それでも役者たちのパフォーマンスはコロナ前よりずっと熱を帯びているみたい。レミゼの初見はもう10年以上前だけど何か全てが板に付いてないというか、お目当ての役者さんを見に行くみたいなノリだったような記憶がある。今回のレミゼは本当に素晴らしかった。ジャンバルジャンの苦しみ葛藤、人間的大きさ並外れた存在、ジャベールの職業意識、貧富、革命、若い人たちの理想、出会いと恋など、ビクトル・ユゴーの描く世界がしっかり消化され吸収され、眼前に立ち上がったと思う。2019年6月にウエストエンドで観たものより舞台が大きいだけに帝国劇場の方は迫力があった。レミゼはやはり大きな舞台が似合う。ロンドンでは幕間にアイスクリームの売り子が来たり、舞台と観客の距離が近い。ミュージカルが暮らしと共に普通にあり、アフターファイブの楽しみの一つみたい。
2021.09.18
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2021/09/08/水曜日/曇時々小雨寿式三番叟双蝶々曲輪日記第一部公演を見る。久しぶりの国立、お手洗いのポスターもこんな具合。能楽 翁の舞を観たいと思いつつ中々果たせない。先に文楽で体験する事になった。翁の威厳、千歳の優雅、三番叟の元気さ快活さがよく表れていたと思う。天下泰平、国土安穏、五穀豊穣、コロナ退散今の日本でこんな祈願を舞ってくれるのはやはり伝統芸能というものだ。蜂の巣をつついた騒ぎの与党政争の代議士のひとりだに夢にも懸想しまい。双蝶々曲輪日記 八幡里引窓の段では 新たに人間国宝に列せられた桐竹勘十郎が遣う十次兵衛。お世話になった旦那の息子を救うべく、四人も殺めた相撲取長五郎。二人は血がつながらない兄弟で、そもそも長五郎は五つの年に養子に出されている。長五郎は最期一目かか様の顔を見ようと里を訪ねる。ところで、八幡の里といえば石清水八幡宮「放生会」。明治以降は石清水祭と改名したが、元は魚鳥など捕らわれていたものを放ち、生きとし生けるものの平安を祈願した祭だという。義理と人情の葛藤に涙しながら、ものがたりの大団円は放生会の故事に因み、また中秋の名月のこの時期ならではの演目、お見事。やっぱり初心者にはイヤホン解説有難い。さて、DOHKANでお得なランチを頂き、帰り道、駅の最寄りの半蔵門ミュージアムなる所、入場は無料。伝運慶作の大日如来坐像で目も心もいよいよ潤う。
2021.09.08
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2021/02/06/土曜日/曇大島真寿美さんの本を読んで、久しぶりに文楽を見たくなった。探してみると間もなく国立に掛かるのがこれ。思えばコロナ渦、もといコロナ禍で昨年の予約済みチケット半分は中止、観たい展覧会もあっという間の休館で、渇望久しく兎に角行きたい時に素早く行っておく、を身上。演目、菅原伝授手習鑑には泣けた泣けた。大夫の語り三味線の響、遣い手の手練が相まりもう人形だか生きているんだか、見るものの心が乗り始めるといよいよもって三者の高まり行くこと天井知らず。あーいいなぁ、にほん語は、にほんの芸能は〜で誰の舞台だったか探すも資料を失くしている!2012年までのスマホ画像データ全て失くした時ほどの喪失感は2度と覚えたくない。そんなこんなが楽天日記に向かい。さて、国立では新たに人間国宝となった3代目桐竹勘十郎さんの舞台が本日から掛かります。愉しみです。
2021.09.04
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