あむ日よむ日あくる日

あむ日よむ日あくる日

PR

×

プロフィール

天然風

天然風

カレンダー

コメント新着

こ30622306 @ Re:長岡式酵素玄米(12/24) こんにちは、ごはんと健康の関係調べてい…
「アマテラスの暗号」(泣かないでアマテラス)@ Re:『アマテラスの誕生』(02/08)  ≪…アマテラス…≫と[ヒフミヨ]の[シン…
背番号のないエースG @ Re:福田村事件  今回こちらのタイトルです。 もしよろしか…
天然風 @ Re[1]:道に拾う(07/17) りぃー子さんへ なかなかスムーズにお返…
天然風 @ Re[1]:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) りぃー子さんへ お返事に気づかずすみま…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2025.01.30
XML
カテゴリ: 旅日記
2025/01/29/水曜日/よく乾く春めいて



12/30 松江市

◼️ 出雲口伝 を中心に




出雲国造祖先は 出雲口伝 では、 徐福 ホヒ、タケヒナドリ 親子ともされている。


何としても倭国に遠祖の ユダヤ王国 を造りたい 徐福 の命を受けて、出雲王国指導者の 大名持ヤチホコ王 8代少名彦コトシロヌシ 二人をホヒらは罠にかけ枯死させた。




二人の指導者が同時に亡くなるということは、 出雲王家始まっていらいの大事件だった。


和名を
ホアカリ と名乗る徐福には、 宗像三姉妹 の高貴な血筋を引くヤチホコ王の娘、 高照姫 を嫁がせ、既に 五十猛イソタケ という息子もいたのである。
出雲王家からすれば身内。


高照姫は伴侶に父王を殺され、怒りのあまり幼子を邸に残し実家に戻ってしまった。 ホヒらが捕まえられたことを知ったホアカリは息子を残し、船で に逃げ帰ったという。


これを知った人びとはホアカリを鬼のような人と言い合い、彼が住んだ村を
鬼村 と呼んだという。




ごく一般的な日本人の心情とは馴染まない事件は最近では数々あるが、これはそのハシリ?
勝つ奴が絶対、みたいな
モンゴル関取の相撲には、美学が感じられないみたいな心情。


ヒボコ集団 もまた血肉の一部には確実にあるのだろう。


日本人ってなんだろう。


さて、
口伝によれば、高照姫は姪に当たる 大家姫 五十猛イソタケの世話を頼んだ。大家姫はクナトノ神の サイノカミ信仰 を彼に伝えたというから、五十猛は出雲の神々を奉斎したことになる。


彼はやがて 大年彦 と名乗り、周辺に住む ハタ族海童 もその信仰に従うようになる。しかし彼らハタ族は出雲の人から嫌われ、大年彦はみなを引き連れ 丹波国 に移住した。


指導者となった 大年彦は 香語山 と名を改め、大家姫を妃に迎え、二人は徐福が大陸から携えた樹木の種、 竹や梅 を植えたという。


彼らの息子 タカクラジ は後の移住先で更に植林して 木の国 となした。これが 紀伊国 の初めだそうだ。

口伝からは紀伊半島の熊野神社に先立って、
この熊野大社があったというようにもとれる。


そしてなんと3度目、徐福は渡来する。
この執念!

資本を提供する 秦の始皇帝 も一体どうした訳か。
3度目に上陸したのは 北九州 である。


彼は筑紫では
饒速日ニギハヤヒ と名乗った。
京都にいるときゃ忍と名乗ったのー神戸じゃ渚♬


どうやってやんごとなき姉妹に取りいったか。
イネと漢字と構造船と道教と武力 か。ニギハヤヒは 宗像三姉妹
市杵島姫 を妃にした。


これが事実なら謀略家としての徐福の奸智の恐ろしさよ。そんな権謀術数とは無縁で生きて来た縄文人的日本人が気の毒すぎる。




二人の娘、
穂屋姫 を后に迎えたのが、なんとなんと丹波のカゴヤマ即ち五十猛だなのだ。

この母親違いの兄弟夫婦の息子が ヤマト政権初代王
村雲 だという。しかし彼はあくまで出雲王家だ。


徐福の血を引く二つの氏。 カゴヤマは
アマベ氏
筑紫では
モノノベ氏 となっていく。アマベが母系的なのに対してモノノベは父系的な印象



出雲連合政権は二世紀半ば最初のモノノベ東征を受け何とか押し返すもヤマトは不安定化する。おそらく卑弥呼に比定されるモモソ姫の平和統治後、第二次モノノベ東征で 出雲王国は閉じられた。

長いパクス出雲王国時代が終焉し、倭国は乱れた。




奪ったものは奪われるものとなった。


その史実を記紀は巧みに神話に置き換えた。
当時の、今いまの世を古代に重ねるようにして。




ところで徐福は中国で発掘が進み、偉人扱いの博物館が観光名所になっているらしい。彼は後進国日本に稲作を伝え、薬術をもたらし、構造船の技術を伝え、山を緑にして貧しい日本人を豊かにした、というサクセスストーリー。


そんな包装紙に騙されて嬉しがるのではなく、事実が何だったのか学ぶ責任が子孫にはある。





こんな道なら登って行けるが、途中柵も壊れた道なき道はあまりに足場が悪く、 上宮遥拝所 は諦めた。出雲国造家には是非とも整備をお願いしたい。





そこまで行けば東出雲王家の王らがその下に埋められている磐座が臨めるはずなのだが。


富家の本拠地、神魂神社からはかつては南にこの山が眺められたそうだ。



岩清水が明見水と呼ばれて、昔から眼病に効くと言われる。眼病を癒す水奇譚は各地にあるが、こちらの水は目の曇りを取り払うためかもしれない。


この水で目を洗い、出雲王家の磐座に
手を合わせるのであれば。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2025.01.30 17:16:36
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: