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そんな気持ちだ。父の病状が安定している。食事ができなくなって2週間を過ぎただろうか。太い点滴の液体が父の命を支える。病気がよくなったわけではないけれど、ともかく普通に話ができて、よろよろながら歩ける。体のいろんなところに仕掛けられた地雷を踏まなければ、後少し生きていけるかもしれない。私のほうはといえば、ここ一ヶ月食べてもぜんせん太らないたいへん都合のいい体調だったけれど、少しほっとしたとたんに無常にも体重がまた増え始めた。ここ一ヶ月の緊張感から開放されて、うずまきさんともやっとふたりの会話が戻ってきた。父のことがあって以来、私の話すことといえば病気のことばかり。うずまきさんには、自分の経験を交えていろいろアドバイスしてもらった。私の気持ちが落ち着くのを淡々と待っていてくれた。冷静になってみれば、こんな人は珍しいかもしれないなあって思った。逆の立場だったら、会うことができない恋人をじっと待っていたり、私はできるのだろうかって。私のことに心がなくて、ネットでもほとんど連絡が取れない日が何日も続いたら・・・。うずまきさんがよく言うことばに「俺とつきあっていたら損はないと思うよ」っていうのがある。「確かに・・・」ってまた思った。
2003年11月26日
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自分の死に方についてはいろいろ夢?があった。だれでも若い頃思うように、さっさと簡単に死にたいもんだって。このさい、いい年になったら(って何歳だかわからないけれど)海外にでも飛行機で飛んで、そのまま飛行機の中で心臓麻痺で死んでしまうのがいいかも、などと友達と冗談を言い合ったこともある。(ってかなり迷惑な死に方かも・・)少なくとも、自分の子供に迷惑かけて死ぬような死に方だけはいやだって思った。延命のために多額のお金を使うなんて無駄だろうにって。でも、今、父親が突然死線をさまようようなことに直面してみると、それは間違ってるのに気がついた。子供にはそこそこ(あくまでそこそこ)迷惑かけないとだめだって。それでなければ、残されたものにたくさんの悔いを残させてしまう。そして、たとえ一日の延命のためであっても、できることはすべてやって欲しい。少しでも長く生きていて欲しい。苦しめてしまうとなると、またそれは単純な決断ではないけれど。今私は父と、一生で一番貴重な時間をすごす幸せを手に入れている。それが限られた時間であることはわかっているけれど、奇跡を信じることを少しだけ許されていることは、幸運ともいえるかもしれない。絶望するのはまだ早いのだ。そして、後悔のない時間をすごすために毎日生活している。父へのささやかな感謝を示すことができることは、私にとっては救いでもある。ここ一ヶ月、うずまきさんにはずいぶんたくさん教えられたことがある。例えば、悲しむ時間なんてこれからいくらでもある。今一番大事なことは思い出をせいいっぱい作ることなんじゃないかって。ほんとにそうだ。いつ訪れるかわからない別れのその瞬間まで、私は父との幸せな時間をすごしたいと思った。父にも、辛い治療生活の中であっても、少しでも明るさとか希望にあふれた時間をすごしてもらえるように、私から送れる最高の「気」を送り続けたい。凹んではいられない。そういえば、ここ何十年も父の体に直接触れたことなんてなかったなあ。今は、文字通り「手当て」のコミュニケーションがなんのてらいもなくできる。なんて、かけがえのない時間なんでしょう。この時間を与えられたことと、心を落ち着かせてくれたうずまきさんに感謝しています。
2003年11月17日
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