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気つけば6月。去年の今頃は前の職場で残務整理に追われ定時過ぎに急いで向かい夜の11時を過ぎ午前様もザラだった。それを思えば天国だ。悔しく苦しい思いもした。それでも「石の上にも三年」は守り通した。同じ年に赴任した一人は一年で動き調子好い事いっていたヒトも二年目に動き私だけ三年目を迎えた。周りの人は彼女らを変人扱いし自らに思いを至らせる事は、なかった。私は色んな意味で三年居てよかった。そんな状況から極力、早く離れた自らの賢明さと三年耐えたことに対する周囲の理解である。あの当時どんなに自分が理不尽に思っても口に出すことすら野暮に感じられた。そんな私の「やり切れない」気持ちを汲み取った同僚達。何かがオカシクナッタと感じた瞬間に行動する事の大切さを何故か急に想起した。
May 31, 2005
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昨夕は国立に居た。詩の朗読会という馴染みの薄い催しに足を運ぶのも二度目だ。文字が言葉としての息を吹き返す朗読。そこに文字だけでは解らない表現がある。お招き下さった水島さんに感謝。三人の言葉遣いには三者三様の癖があり水島さんの詩には「去勢」、新井さんのには「また」、福間さんのは「なのだ」とか自分の耳に頻繁に引っ掛かるフレーズがある。多分に聞き手の意識に拠る処が大だけど。それぞれの言葉にアクセントとしての意味合いが感じられるような気がしている。その後、同期と国立で夕食。その足で立川、橋本で「飲みつ語りつの会」を開く。お開きの頃には空が白んでいた。私の意識も白んで気づいたら夕方になっていた。
May 30, 2005
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昼過ぎ新宿。都庁や京王プラザを見渡すビルに居た。事前連絡どおりにフロアへ。しかし人はない。場違いな感じ。慌てて1階まで降り案内を眺める。当たり前だ。事前連絡された階の一つ上だ。すでにメンバーの一部は集まっていた。途中で私を見かけた仲間が居て「何であんな所に居るのか」と。間違えたフロアを徘徊してたら不審者扱いされてたかも。話は予定を1時間余り過ぎ終わった。三宅へ夏、行くことになった。船旅は始。しかもガスマスク持参。あわせて酒も持参、らしいが。
May 29, 2005
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町田に出た。日中の道路は案外とスムーズに走れる。こんな陽気は自転車日和だ。帰りに高台から街が一望できた。1時間足らずの散歩みたいな感覚だったが日頃の憂さが一瞬だけ晴れた様な気がした。入梅前の貴重なひとときを堪能した。6月は梅雨と無縁の新潟へ久しぶりに一人旅でもしようかと、ふと考えた。
May 28, 2005
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この時期になると故・小渕恵三氏を想い出す。「平成」と「二千円札」と「沖縄サミット」、「『自自公』から『自公』へ」などなど。彼の死を想い起こすたびに、「大平→鈴木→中曽根」と「小渕→森→小泉」という、絵に描いたような周期的な歴史のサイクルを感じる。大平内閣で頓挫した「大型間接税構想」は中曽根政権の末期に至り「一般消費税構想」として現出し、中曽根から政権禅譲された竹下内閣の手により完結した。小渕政権は、橋本内閣で失敗した急激な金融緊縮政策からの反動から一転した政策展開を行った。しかしケインジアンの妄信は結果として疑問だらけの公共事業を温存することとなった。そのため産業構造転換という高度成長時代を支えた経済構造の柔軟なスタンスが失われてしまった。このような失速した経済状況のなかで森政権は(一見、むしろ逆に積極的な政策展開を小渕内閣以来、継承したかに思われていたものの)公共事業見直しをプログラムとして掲げることで橋本内閣とは若干、異なる角度からの取り組みを狙った。小泉内閣も基本的には森政権での基本方針を実際には維持している。それでも彼の政策スタイルが森政権時代と異なる様相を呈しているのは「郵政民営化」という半ばイデオロギー化した彼独特の政策論が極端に目立つからである。個人的には、この異常な国債の残高を帳消しにできる方法は戦時インフレの様なハイパーな要因しかないと思っている。
May 27, 2005
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よく公共機関には「いわれなき」クレームが寄せられる。例えば学校ならば後から来た住民に一方的な苦情を電話で捲し立てられたりする。どんなに譲って考えたとしても、そんなクレームの類は単なる「言いがかり」でしかない。むしろ、一見の所は近隣住民の苦情を装いながら直接に談判へ及び言質を取付けるや否や開き直り明らかな嫌がらせとも思料される「さらなる調子コキ」をするのである。客観的な状況を踏まえて述べるならば学校を建てるに際して当時の近隣住民とのやりとりで既に合意を得て着工し、相当の長期間にわたり学校が存立している状況にあって、彼だけが唯一、朝から夕方まで、それこそ鬼の首を取ったように、やれ「生徒達が(自分の家から見える所で)バドミントンをしている」だの、体育行事での競技の練習を生徒自らの手で真面目に取り組んでいる最中に「ウルサイ」とか、とにかく難癖の域を出ない誠に子供じみた愚挙を繰り返すイイトシコイタオッサンでいる。昼休みに音ひとつ立てずに静まり返った学校なんて存在するのだろうか。そもそも彼は学校の存在を目前に認識しながら家を買っている訳で馬鹿馬鹿しいにも「程」がある。こんなクダラナイ、アホナ大人が社会を堕落させ腐らせているのに当人は無自覚でいる。まったく唾棄したくなるような存在だ。
May 26, 2005
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あまり人様のことをツベコベ云うことはヨロシクナイノダガ、それでも書かずには居られなかった。公式には13時00分に訪問する、との事前案内があったのに、一人は当日の朝に電話で「正午に行く」と云って来た。なのに12時15分に来たのである。しかも、その他の御一行さん達は12時35分に「堂々と」やって来たよ。まったく。さらに始末が悪い事に当日ドタキャンした奴は「日を改めて伺う」なんて厚かましいことを云う。何なんだコイツラハ一体。大名行列ヨロシクやってろ。こんな奴らが偉そうな態度を取りつつ業者の供応を受けた挙句に皺寄せは皆、都合良く下々へとヒッツケテシマウ。昔の統帥権独立を言い立て始めて国を滅ぼしかけた大本営と同じDNAが生き続けている。私には彼らが達者で居る限り、この国の将来は暗澹たるドスグロイ気色悪い物で覆われている様な反吐の出そうな位の不快感によってボロボロに朽ちてしまうんじゃないかと思っている。
May 25, 2005
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都には知事を補佐する副知事が4人置ける。副知事にも序列があり俗に「V1」(序列1)とか第二次世界大戦当時のドイツのロケットみたいに呼ばれる。彼は「V2」(No2)である。しかし実際は彼の「お許し」がないと「V1」に用件も伝えられないらしい。朝日新聞には知事の一週間が載り、週に数日しかも数時間しか都庁に居ない現状を指摘されたが、まさか石原氏も「丸投げ」していた訳ではあるまい。こんどの定例議会が6月に始まる。この冒頭で石原氏は自らの監督責任を浜渦副知事の解職という潔い形で表現できるだろうか。それとも、政治家として泥沼に手を突っ込んでも生き続けるのだろうか。
May 24, 2005
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あまり月曜の晩に飲むとロクナことにならない。今日は最初から一次会で大人しく帰ろうと心に決めた。たぶん今までの自分だったら、「一人『二次会』」よろしく飛び回っていただろう。けど考えてしまった。無為な酔いを回すのに明け暮れては確かな「明日」への手ごたえは結局の所、いつまで経っても自分の手の中からは、「摩りぬけて」しまうのではないかと。一息に棒高跳びのバーを飛び越えるような一瞬の瞬発力を高めるべく今は集中したい。こんな神妙な気持ちは自分でも変だ。
May 23, 2005
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今晩、中学時代の友人宅を弔問に訪れた。中学の卒業以来だから実に18年ぶり。彼も私も互いに変わりない様子を見て安心した。連休に実母を亡くしたと知人から知らされたのが先週末だったので暫く経っての訪問となった。何とはなしに同級生たちの話になった。IT関係で渡米し大稼ぎしている奴、最近に仕事を辞めた奴、彼の近所に居る奴、この年齢になっても家でゴロゴロしている奴。同じ世代だから何となく互いに気に懸かっているので少し落ち着いたら何人かで会おうと別れた。
May 22, 2005
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システムは「自律的に」ではなく「自立的に」作用する。これは便利であるように見えて実は厄介なことである。これは「計画ですから」とか「ルールですから」と言えば「言い訳」できる「仕掛け」というのは考えてみれば何とも困ったものだ。いわば「掟」が「掟」を侵す状況は「システム」相互の干渉状態である。相互干渉において両者には「自立的な」修正が働かないから「紛争」へと状況は移行する。よく日本は「普通の国」に「なるべき」だ、という論調がある。けれども、日本は「普通じゃない国」だからこそ、これだけの恵みを享受し得たのだ。決して「普通の国になる」ことが今の行き詰まり感を払拭する唯一の選択肢ではない。
May 21, 2005
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今日は一日、職場を離れた。と言っても普段どおり起き区部へ。昨日と違い気温も下がり、苦手な背広ネクタイも何とか我慢できた。座学一辺倒で丸一日しんどい。癪だが現状を乗り越える以外苛つきは払拭できない。イマサラ後輩の後塵を拝する真似は好い加減に嫌だ。今年で決着しなければ。来年は別の世界に身を置くべく。
May 20, 2005
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今日みたいな陽気だと屋外はナマヌルイ。反面、建物に入ると冷え冷えとした涼を感じる。こんな日は気ぜわしく時間だけ勝手に進んでしまう。少し遅めの昼を食べ午前からの落ち着かぬ雰囲気が一段落し同僚が出先から戻った。下らぬ話が不意に始まる。次第に話は室内の一同を巻き込んで行く。どっと沸いた。所詮は雑談話。されど侮るなかれ。こんな何気ない会話の中に実は相手の本心が潜んでいるのだ。うっかり話に安請け合いしてはいけない。本当に奥は深いのだ。
May 19, 2005
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例年この時期になると朝から晩までの気温差が激しくなるせいか寝つきが悪くなり寝不足で集中力を欠いてしまう。今朝もギリギリのタイミングで布団から起床してバタバタしながら出勤した。金曜は丸一日、職場を留守にすることもあり何となく気持ちだけが焦っていた。昼頃ようやくチャリンコで信金や郵便局とか農協やらをハシゴして回る。いつもにも増して風が強く吹く。「ふざけんな~!」などと喚きたくなる気持ちを押し殺しながらチャリンコをかっ飛ばす。ふと見遣るとカラスが私の頭レベルに視界として入ってくる。ギョッとした。幸いなことにカラス様は、私みたいな小市民なんぞノー眼中みたいだったので後頭部を小突かれるような被害は蒙らずに済んだ。あー良かった。こういう時に限って「どうでも良い人」に会ってしまう。今日も、そうだった。農協の支店長だ。ロクに店員を教育できないので何となく挨拶も気乗りしない。軽く会釈する「かのような」仕草を見せて通過だ。こんな目まぐるしい「心理戦」を繰り広げながら職場に戻る。そして再びバタバタ自らの「コンチキショー!」を押さえ込み、なだめ、すかし、転がしながら仕事をこなす。ふと気づけば夕暮れである。あっ、そうだ電話しないと!と思い出して、公衆電話に走る。とうに定時は過ぎている。電話する。案の定「あっ、たった今、戻ってきたと思ったら、また出かけちゃったんです~」とのこと。仕方がない、と受話器を置く。振り返ると人気のない空間にパタパタと羽ばたく生き物を見つけてしまう。ああ、スズメ様だ~。どうしよう、困った。このまま建物の中に居られると、夜中に無人警戒のセンサーに感知アソバサレテシマウ。とっさに何処かの扉を開けて外へ「解放」いたさねば!と思って接近するもダメ。その後、約10分間はスズメ様を「解放」いたすべく建物の端から端まで、それこそ滅私奉公の精神から誘導を試みて彷徨い歩いたが結局、ダメだった。あ~何をやっているのやら。
May 18, 2005
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日曜の昼、外で食事していた。漠然とテレビを眺めていたらテレ朝のワイドショー番組に中大の藤本哲也教授が出ていた。彼の講義は大学時代に何度か聞いていたし科目の評価に「私の犯罪体験」または「(彼の著書の)書評」を自主的にレポートとして提出すると出来の良いものは加点してくれた。さすがに「犯罪体験」はムリだったが「書評」を書いて出したら「とても良く書けているよ」と誉めてもらった、という記憶がある。彼は今は無きUCLAの「犯罪学部(?)」でPh.Dを取った数少ない「犯罪学博士」である。今から30年位前から犯罪学に関する論文を精力的に執筆し、犯罪者処遇に関する具体的な提言を行刑の主体たる法務省に積極的に関わっていくことで実践している。彼の講義パターンは先ず「私の犯罪体験」引用から始まり、最後に教科書のテーマで締めくくる形が通例であったが、ときおり、事件などに関わるマスコミからのコメント取材の実際などに触れることがあった。たいがい決まった何秒という時間に編集されるので話す前からカットされることを前提にコメントしなければ意味不明なコメントになってしまうと冗談交じりに話をしていた。今回は録画ではなくスタジオで実際にコメントを求められて発言してたが彼の的確な応答ぶりを見て、もっと彼をスタジオに呼んだら、マスコミを賑わす一連の事件も少し冷静な視点で考えることができるだろうに、と思った。
May 17, 2005
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卒論を書けずに大学を満期退学した私にとって「論文」と名のつくものは天敵だ。しかし給料を上げるためには職務「論文」+アルファをパスしなければならない。悲しいかな今朝、職場のパソコンを開いてメールチェックしていたら連休前に依頼していた「論文」チェックの講評が届いていた。一つには『見出し』が良くない、二つには『段落』が役割を果たしていない、とのこと。たしかに、昨年も知人から『改行』のことを指摘されていた。どうしても自分の書く文章のクセは、容易には修正できない。ましてや自分の文章に酔ってしまう様な私の性格なら尚更である。でも文章は書き手の意識を投影する。倦まず弛まず書き続ければ、文章も変わる。思うに根気のない私の性分が文章に反映されている、とも言える。さればこそ私は書くことを止めてはならない。あらためて、そう思った。
May 16, 2005
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暮れ行く一日。知人から旧友の実母が先日、齢60歳で急逝したことを教わった。随分と前に久しぶりに三人で飲もうとか話していたので気に懸けてはいたのだが、まさか急にそんな話が舞い込んでくるとは思ってもみなかった。何せ何年もの間、音信が絶えていたので、電話しようにも何をどう切り出したら良いものかと考えてしまう。けれども早く気持ちは伝えないと。そんなことを考えていたら、急に雨が降りだした。思わず急に眠気が襲う。気がついたら寝ていた。アレコレと考えると何だか疲れた。
May 15, 2005
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午前零時過ぎ八王子。彷徨の旅が始まる。何度か探したがミツカラナイ。うろ覚えの名前。似た名前とあやふやな記憶の間で行ったり来たり。思えば同じ道を2周は回っただろうか。私の尋ねに親切に応じてくれた人の案内で何とか辿り着く。然し時間切れ。気がつけば宵である。始発まで未だ時間がある。仕方がないので戻り道をして一見の場所へ行く。悠長に喫茶を嗜む人間ではないので自然と周囲へと眼が向く。たぶん夜更けの時間に居るような人間は私と同じ心持ちなのだろうか。ふと考えながら窓を見遣る。給仕の人と暫し雑談。こんな風に朝を迎えるのも久しぶりのこと。朝の4時。外に出ると空は薄く青みを帯びている。普段の喧騒に包まれた街中に佇む妙な巡り合わせとの対比。うつらした意識の中で再び眠りに就く。
May 14, 2005
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私は予てからモヤモヤと記憶が上手く再現できない苛立ちを覚えていた。クダラヌことではあるけれども漠然とした感覚が嫌であったので思い切って突き詰めることにした。こんな夜中に何故そんな気持ちになったのか判然とはしない。おかげ様で何とか辿り着いた。概ね記憶と重なる部分はあった。しかし肝心の方向軸を間違え袋小路に入っていた。こんなときに意固地になって自力で回復をさせようとしても却って無駄な徒労を重ねてしまう。時には率直に自らの想いを伝え言葉を通じての自身の回復と回帰を求めることが案外と素直な解決の道へと導いてくれるのかも、知れない。
May 13, 2005
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大阪市職員に関わる一連の報道を受けて、長年にわたり市民オンブズマンとしての活動をされてきた方が、助役の依頼で今後の取り扱いについての諮問を行うことになったそうだ。スーツの制服をマスコミは「支給」と表現していたが、厳密には「貸与」というのが実際らしい。たしかにスーツ仕立ての制服は、おそらく市価のスーツより安価とは考えにくいし、役所の外では表示を隠せる点は如何にも巧妙な仕掛けである。でも個人的には「こんな制服あったらいいなあ」というのが正直な気持ちだ。別に警察官や消防隊員でもないのに白昼から堂々と「私は大阪市役所の人間です」なんて昼休みに外出するのも嫌だ。まあワイシャツも何から何まで揃うシステムは「厚遇」の誹りを免れ得ないが。上手く言えないが、一職員の分際では昔はロクに背広もワイシャツも満足に揃えられない時代があったんじゃないかと。一方で係長級職員にも管理職手当を支給するなどの「行き過ぎ」もあったりでは、やはり「厚遇」を通り越し「お手盛り」批判も当たり前だ。けれども、いつまでもダラダラと批判に晒されている状況を放置してしまうと、日々を黙々と働いている職員の面子に関わってくる。それは、批判の本来の趣旨には合致しない。だから、助役の本気に識者も是非、応えて欲しい。そして大阪市議会には単なるマスコミの迎合ではない市民の利益を考えた誠実な行動を期待する。
May 12, 2005
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電車内に「最後まで、やり遂げる『信念』」なんて如何にも説教染みたフレーズが書かれていた。もっともらしい言葉だけど私は「違う!」と思った。何でも『信念』で成功するなら馬鹿でも『信念』を貫くよ。こういう言葉を安易に使うヒトは信用しない。むしろ「最後まで、やり遂げる」には『信念』よりキチンとしたスキルを身につけることが必要だ。そのスキルを授けることなしに『信念』を持ち出すのは責任転嫁であり無責任だ。私はダイヤログ、「対話」が自己を深化させ成長させる唯一の拠り所と考えている。常に自問自答し続ける気持ちを忘れたら無意味だと。
May 11, 2005
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ここの所、風邪で休む人が多い。4月下旬から5月初旬までの気温を考えると朝と晩の気温差が激しい。たぶん明朝も冷え込みそうだ。正直な話、今朝はバテテいて休みたい、と思った。しかし何とか無事に遅れず出かけることができた。本当は、サッサと定時で帰りたかったけど、気がついたら残業になっていた。でもこのまま無理を重ねているとダウンしそう。せいぜい自重して普段のペースを取り戻そう。
May 10, 2005
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前の職場にバイク好きの同僚が居た。彼はサイドカーも所有するバイク愛好家で、よく訳も解らない私にもバイクにまつわる話をしてくれた。バイクにはエンジンのタイプに2サイクルと4サイクルがあるという。うろ覚えだが、確か2サイクルのエンジンは、ガソリンとオイルを混合させるので4サイクルでなくても足りる構造になっている、これは草刈機と一緒だ、と話していた。もちろん彼は2サイクル・バイクの「音」を愛好していた。最近のバイクは4サイクルが主流なのだという。東京も奥多摩や檜原方面へ行くと5月の連休くらいからライダーの集団に出会う。普段、朝の通勤時には練習空けの競輪選手達が檜原方面から降りてくるのに会う。以前に払沢(ほっさわ)の滝まで同僚と夜通し飲んだ後の昼間に自転車で行ったが下りの爽快感は記憶に新しい。さらに記憶を辿れば中学一年の夏、当時の陸上部で一緒だった友人と相模湖を2回、自転車で訪れたときの大垂水峠から相模湖方面の下りでの爽快感。時折、昭島の店で出くわす競輪選手に話したら、頷いてくれた。人間、こういうシンプルな気持ちが結構、通じるものなのかも知れない。
May 9, 2005
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「のむ」というと酒を想起する。けれども、たばこを「のむ」という表現もある。残念ながら私は普段、滅多なことでないとタバコを口にする機会はない。だから、想像に頼るしかない。けれども多分、ヒトは飲み込んだり、吐き出したりすることで自分のバランスを保っていると思う。何を飲み込んだり吐き出したりするのか?独りなら他人に聞かせても野暮な感情か。複数の場なら煽り立てるような言葉か。共通の言語は必ずしも同じ意識を共有させない。ここに隙間を埋める道具が必要とされる所以がある。やりきれなさや切なさを覚えたときにヒトは機微を感じ取り、何か違う切り口を自分に求めようとするのかも知れない。
May 8, 2005
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横浜に近い職場のあたりは午後から晩にかけて雨続きだった。それでも横浜球場で横浜ベイスターズ×千葉ロッテマリーンズの試合はあった。きしくも、川崎球場をホームとしていた両球団。サッカーでは、かつての横浜ダービーマッチが懐かしいけれども今はオリックスと近鉄の統合よろしくフリューゲルスはマリノスに吸収をされてしまって、かつての記憶はおぼろげである。昔、川崎球場は雨で早々と試合中止になった。だからシーズンの終盤は消化試合が多くて、日本シリーズ初日にもダブルヘッダーで無料開放なんてことがあった。さすがに川崎球場でのホエールズは知らないが小宮山のルーキー元年、落合や村田兆時、初芝もバリバリだったね。稲尾監督時代の西武戦なんてゾクゾクしたよ。仁科、深沢なんて懐かしいな。今や両チームとも球団名称は変わってしまった。だけど何だか懐かしい。むしょうに。
May 7, 2005
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連日、福知山線の件を延々と伝えるマスコミ。事故当初は収録番組の放送中止などしたくせに。こっちの方が遺族感情を逆撫でしている。この事故の本質をとらえた報道は残念ながら知らない。果たしてJR西日本の企業体質に単純化できるのかなあと疑問に思う。それじゃ本当の報道ではない。雪印のときだって、日本ハムでも関西電力でも同じ根本的な問題を抱えていたのではないか。いや、関西企業だけに限定してはいけない。あまり問題を一般化すると、確かに焦点がぼやけてしまう。けれども、退職職員の送別会だとか云々したら何だか「あらさがし」に感じるね。たしかにJR西日本の「企業風土」を端的に表したい気持ちはわかる。それでも、報道の本筋としては労務管理の杜撰さに絞って運輸業界の全体に存在する過酷さを増している労働環境をクローズ・アップすべきである。そうでなければ、別の事故は起こるべくして起こる状況にあるのだから。
May 6, 2005
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志賀高原へ向かう途中、野沢温泉に寄る。外湯に浸かる。家族連れが目立つ。既に雪もまばらである。志賀高原の宿へ着くと辺りに雪はなく、そりで荷物を運ばずに上がれた。4月当初とは大違いである。さすがに移動の連続でバテる。翌日は朝に宿の手前で滑ると奥志賀方面へ移動。半分ドライブである。昼近くに渋峠方面へも足を延ばす。山頂でパンを食す。午後は早めに宿へ戻り湯に浸かる。それでも宿の夕食はボリューム満点。午後の間食が響いた。晩の10時半には寝てしまった。翌朝は食事時まで寝ていた。日中、一の瀬で滑った後、万座・草津方面へと向かう。途中、万座温泉スキー場の端を通る。リフトの終点が見える。以前に来た時には、この辺りに道があるのかなあ、などと雪に埋まっていた標識を見て思ったものだがまさか本当に道があったとは。草津も人で賑わっていた。スキー後の汗を湯で流し出発。軽井沢方面に抜けて関越を吉井で降りて一般道へ。途中、長瀞を通過。晩の9時過ぎに帰着。渋滞を避けられて良かった。
May 5, 2005
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関越国際大原スキー場はポール練習用にゲレンデの三分の二以上が割かれていた。仕方がないので急遽、奥只見へ向かう。トンネルが長い。たぶん延べ30キロあるんじゃないか。奥只見ダムと初顔合わせでもある。私は今まで只見線の只見駅付近を奥只見湖だと思い込んでいたが実際は田子倉湖だった。上の方はボーダーだらけであった。しかも、2日も続けて長いトンネルを往復するのは苦痛である。そこで志賀高原へ行くことに。かくして奥只見も志賀高原も両方行くことになった。もう旅である。こんな道中も滅多にない。貴重な経験である。
May 4, 2005
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朝、宿で新潟日報を読む。一面のコラムに故・渡辺美智雄元副総理の憲法に関するコメントが引用されていた。こうした柔軟な発想が残念ながら今の政治家にない。自らの分を知り、相手との協調を探る「勘」を持ち合わせない不幸。そこから悲劇は始まる。少なくとも改憲を党是とする政党が与党である限り、残念ながら改憲の流れは確実に進んでいく。滅びの序章は既に始まっている。
May 3, 2005
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朝、重い荷物を担ぎながら職場へ向かう。自分でも「まさか」と思うが5月になるこの時期にスキーである。楽天も好調ロッテ相手じゃ勝ち目も薄い。そう考えて話に乗った。奥只見か志賀高原に行くという。奥只見は行ったことがない。最終的に関越国際大原というスキー場へ行くことを知ったのは道中であった。夕方の道路をトロトロと約1時間かけ自宅近くのI.Cから新潟方面をめざす。先月とは随分と道中の景色も違う。たしかに雪は山頂部にチラホラと見える。けれども辺りに雪の気配はない。小出で一般道に出る。只見線を見る。そこから奥へ入っていく。宿は山中にあった。テレビもBSしか映らない。早起きも手伝い晩の11時には寝た。
May 2, 2005
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メイ・デイ。連合は連休初日開催が定着したが、自分の属する団体は今日の参加。日比谷4万、井の頭9千で5万くらい。連休の合間だから仕方ない。個人的には初メーデー。9時半すぎ吉祥寺から井の頭へ急ぐ。10時すぎ開会、11時半すぎに宣言採択、12時半すぎデモ行進で散会。私はゴミ担当。世代の違いか年配の方はゴミを混ぜこぜに渡す。傍らで元プロボクサーの輪島氏が愛犬を連れながらタバコのフィルターゴミをごみバサミ片手に拾いながら苦々しい表情を浮かべて通り過ぎて行った。とても私は恥ずかしい気持ちになった。これでも随分と各自でごみ持ち帰りが増えたと言う。それでも分別は不徹底だ。自分達の要求は貫いても環境配慮をシュプレヒコールに載せないな団塊世代は。特定党派を非難することは避けたいが野党で環境政策を党是とし実践的活動を展開する姿を悲しいかな私は知らない。ただ賃上げを要求するだけの状況なのか。社会の一員としての良識や見識を労組も持たないと企業のPR活動に負けちゃうよ。少なくとも「憲法を暮らしに活かす」という某政党のキャッチ・フレーズを何の疑問も持たずに掲げるスタンスには私は付いて行けない。何が労組の戦略には欠けているのか。選挙違反で補選が行われる現実。こうした現状に問題を提起せずに闇雲に前進を叫ぶ労組。これでいいのか。やはり衰退を感じる。この危機感を共有できずに敗れ去るのは何とも悔しいけど。
May 1, 2005
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