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11:00PM 東京新宿西口商店街・・通称・・思い出横町。この時間多くの人がここへ集う。ほとんどの人が結構もう飲んでいる。赤ら顔の人ばかりである。その人達が家に着く頃、次の日になる。人はそれを「午前様」なんて呼んでいる。「まったく、飲んでばかり」と家で小言を言われながらも、改心する気持ちは微塵もない。1か月ぐらいはひかえるがすぐに下のペースにもどる。改心してもしなくてもそう毎日は変わらない。大きな看板で、テレビの宣伝で、ドラマで「何かを始めよう」「今あなたは自分を変えられる」「このチャンスを逃すななど」の「がんばれコール!」がこだまする日本。でもそんなに急に変われない、元気のある人もいれば、そうでない人もいる。うまくいく人もいれば、うまくいかない人もいる。それがいつも自分に不幸としてふりかかって来るとも言えないけど、たまにいいことがあれば「いやあ今日は飲んでよおごりだよ」その反対に「いや、そうではなく自分だけが・・どうもうまくいかないんだなあ今日話聞いてよね」と思っている人もいる。酒の話はそんなことの言い合いで終わるような気がする。
2007年09月27日
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10:52分PM 京都比叡山 修行僧が今日も寝ない行に入る。これで8日目である。薄目で正座し一点を見つめている。声をかける人もいない。シーンをする中で。かすかに動く手で木魚をたたく。このたたく動作が止まると寝たことになる。そうして10日間を過ごすのである。いろいろな宗教が混在するインド。ヒンズーの聖地ベナレス(バラナシ)の死を待つ館にインドでも最貧の州のひとつビハール州からバス、リヤカー、徒歩で1ヶ月かけてサダルナート(火葬場)に自分の体を焼かれに来た老人が到着する。ここで死にたい。この念願を叶えるために10人の人がついてきた。死に対しても差別があるかのように、すごい規則が存在する。未婚の人は焼かれない。生まれてすぐに死んだ人も同じだ。ものすごい「業」を感じる。10時50分最後の火が遺体を包み込む。10:58分PM この時間。町はまだ元気である。変わった居酒屋チェーンが話題を呼んでいる。高知に第一号店を持つ「泊まっていかんかい」である。現在全国で360店舗を展開中。あの賃貸マンション オフパレスと提携している。簡単に言えば朝まで飲んで、そして泊まってそこから出勤ていう仕組みである。「高いんじゃないの」「ただですよ」「うそ!!!」宿泊費は無料である。高知の人は酒好きですけん。泊まると決まればとことん飲みます。それでもとは取れるとです。オフパレスの空き部屋を借りて、グループで泊まります。学生のアルバイトが送り迎えをします。今日も酒好きが「よおし朝まで」と息巻くんです。いよいよ11:00富士山の麓から 日本全国へ・・あと1時間でこの0:00~は終わります。
2007年09月26日
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10:48分 ミルトラルが通りすぎたこのフランス プロバンス地方。外は凍てつく寒さ。夏のプロバンスを想像している人はこの冬の北風(ミストラル)のすごさを知らないだろう。それでも家の中は近所の人が集まってもう6時間も食事が続いているのである。だれもが、大きな腹と豊かな口ひげを自慢し。誰もが自分の妻を褒め称える。そして誰もが招待してくれた家の料理を堪能し驚き感謝を示す。ワインは自家製である。いくらでもある。フランスの格言に「飲むかさもなくば帰れ」という言葉がある。ワインに始まりワインに終わるのである。ナチスドイツがこのプロバンスを占領した年が今までの中で一番いいブドウであったと話をする初老の男の人。「子の傷を見てみい、銃弾の中ブドウを採ったのよ」もうこれで乾杯。イギリスの友だちが来て「あれワインってこんなに旨かったのか?と一番安いワインを買って喜んでいる姿に・・」「乾杯」「イタリヤ野郎が、こんなのワインじゃないって言いやがるんだ、悔しいからイタリアのワインのラベルをここの家のワインに貼っておいたら・・こんな旨いワイン始めだ・・・そおれ」「乾杯」このフランスは自分の国にことを悪く言うともう大変である。ドイツやイギリス、イタリアのことはぼろくそに言ってもかまわない。こと料理やワインにかけては絶対に譲れない。徹底している。100年戦争の名残があるのだろうか。11:00の閉店は伸びそうである。
2007年09月25日
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10:40分PMこの時間に起きる人もいる。世間では引きこもりと言われているが本人はあまり気にしていない。根っからのパソコン好きで、小学生の頃からは様々な機能を自分でダウンロードして新しいソフトを作れるようにもなる。部品をバージョンアップしたり、交換したりして6畳の畳の部屋で全世界と交信できるようになる。めまぐるしい時代の変化の中、子供達は集団に中で生きていくことに疲れ一人でいることに安心する。親は20歳ぐらいまではとやかく言うが、暴力的でもなくなった息子に対してあまり小言を言わなくなった。「それでも庭へ出て花を見るようになったんですよ」と喜んでいる。「このごろ足腰が立たなくなって、思い物を持てなくなったんじゃ」「そしたら幸介がすぐ飛んできて、持ってくれる」「隣の家じゃあ高級外車かなんか知らないが親の土地を売ってまっかっかの車を買って仕事をせずに飛び回っているそうだ」「オレ免許ないしなあ」夜の縁側で70近くになる母親と引きこもりの息子が話をする。「もうなんだかどうでもいいし、今思い出せば懐かしい毎日だったなあ」「はあ」「おまえが家にこもるようになってもうかれこれ25年になる」「はあ」「最初は死んだお父さんも必死になって学校へ行かそうとした」「世間体もあったしな・・」「はあ」「そうだおかあさんにパソコン教えてくれるか?」「いいよ」「何をしたいの」「ホームページを作りたいのよ」「ええ」「ひきこもりクラブ」「はあ」「今全国に100万~200万の引きこもりがいるって新聞にのっておった。だからお互いに寂しい思いもしているだろうからメールで気持ちの交換なんて言うのもどうかなあ。はじめはいい加減に聞いていた幸介さんもその真剣な語りに次第にうれしさを感じてきたのでした。母としてどんなに苦労してきたか、幸介さんが一番わかっているのである。「お母さん今からやっか」「いいねえ、オラも引きこもりばあさんになりそうだ」和歌山の山村から希望のホームページが立ち上がるのに時間はかからなかった。
2007年09月19日
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10:20分PM 人は自分のことを人嫌いだとか、出無精などというが自分はそうは思わない。ただただ映画が好きなだけだ。映画は一人で見るものである。東京の中野に住む出嶋 要さん34歳仕事は24時間のうどんやさん。国分寺で働いている。勤務は1日おき。24時間働いて、24時間休むのである。従って映画は休みの日に集中してみる。食事と寝る以外はたいてい映画を見ている。家ではなく映画館で見る。東京は映画を見るのはいいところである。ぴあと言う雑誌を見ると、ロードショウで上映している映画を全て網羅しているし、前に上映した物をリバイバルで提供している映画館もことごとく紹介されている。平均1時間45分くらいの映画。とにかくその時間だけでも自分の世界に浸ることができる。出嶋さんがいくら好きでも全ての映画を見ることは時間的見無理である。ですから、映画を真剣に選ぶ。1週間に6本は見る。4日働いて3日休みの24時間営業の店に働いているからできる技である。見た映画はノートにきちんとまとめてある。好きな俳優はトムハンクス ダスティンホフマンである。朝の6時から次の日の朝6時までが仕事である。休憩が2時間ある。仮眠を必死にとる。そうしないと映画の時に寝てしまう。朝の6時に終えて、中野まですぐに行き、アパートでひたすら3時間寝る。9時半に家を自転車で出て、新宿ヘ行く。ここが今一番映画館に活気があるところだ。10時からスタートの映画館の前に行く。もちろん前売り券は必ず買う。映画の日とか、ファン感謝ディなどは進んで活用する。金券ショップにも顔なじみがいて出物をまわしてくれる。上映館も選ぶ。基本的に大画面が好きだが、武蔵野館のような画面も好きである。もう毎日が楽しくてしょうがない。自分の世界を持つことそれを大切にされることは本当にうれしいことである。
2007年09月16日
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10:16分 一瞬にして全てを失うこともある。一瞬の判断で人生が変わることもある。一瞬のひらめきで活路を見いだす人もいる。その一瞬はいつ来るのかわからない。「あのときああしていれば・・」と言う方が「あのときああしておいてよかった」よりかずいぶん多いのが人生ではないでしょうか。こんな話をするのは、沖縄に移住して4年。自分の居所をようやく見つけた長谷川瑠璃子さん。広島生まれの29歳。仕事はなし。仕事漬けの毎日に体も壊し、心もぐたぐたになったわけでもない。自分のやりたいことを見つけに長谷川さんは知人の紹介で沖縄に移住してきたのだ。大学は芸術学部・一時はグラフィックデザイナーとして脚光を浴びたが、自分の納得する仕事ができず悶々とした毎日を送っていた。「あのときです」とシークワーの絞り立てのジュースを飲みながら話し始めた。あれは何でもない普通の日でした。なんの代わり映えもない毎日、決められたマニュアル通りやっていれば問題ない。その日も、新しい喫茶店の内装の仕事で広島市より北の小さな村へ来るまで出かけた。中国山地の懐にあるその村は人口も2000人を切っている。過疎の村である。若者は都会を目指し高校卒業すると皆出て行っていまう。「こんなところに喫茶店を」と半信半疑で道を尋ねながら依頼主のところへ向かう。「この時代に携帯が圏外で、その上その店には電話がない!」「そこの道を曲がって20分も歩けばみえるじゃろ」と優しい物腰のおばあさんがいなければ帰ったかも知れなかった。「あおの時です・・・古民家を見つけたのは」依頼主の西条 大さん(まさる)は、その縁側でゆっくりとお茶を飲んでいた。「やあ」「それが出会いでした」少しうつむき加減で話す瑠璃子さん。古民家を喫茶店にしたいという申し出だったので、設計図を持っていたんです。そうしたら「なんでもいい、好きに作って下さい」「時間はなんぼでもあるで・・」午後の太陽が照りつける中私は耳を疑った。「好きに作っていい」「時間はある」やさしい言葉と美味しいお茶、中国山地の新緑。2時間しかいなかったがその2時間で自分の人生が変わったような気がした。広島へもどった後もそのことばかり考えていた。ある時、電話があった。西条さんからだ。店をあなたのデザインで作りたい。好きな風にしていい。けど頼みがある。ちょっと来てくれないか。夜の10時過ぎ車を飛ばした。彼に会いたいというはやる気持ちを必死で押さえながら。その晩2人は語りあった。朝まで・・。一週間後長谷川さんは沖縄に降り立った。「世界で一番くつろげる喫茶店作りをここ沖縄から始めます」 夜10:16分 この沖縄の読谷村にある小さな古民家風喫茶店「R&M」は11時まで営業している。広島県から移築した古民家がどっしりとし、沖縄の風土に合っている。お客が帰って一段落した瑠璃子さんは2階の海の見える屋根裏でお茶を飲んだいる大さんに声をかけた。「今度は鹿児島へ行こうね」
2007年09月15日
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このホテルのHBは一泊900円でした。(4人で)部屋は1つでしたが、海はよく見えシンプルな作りでした。エアコンはほどよく効き、セイリングファンも心地よく風を送ってくれました。食事も種類は豊富でないけれど肉やカレーといろいろな果物、卵料理などでした。熱帯の朝は6時頃からもうどんどん暑くなります。夜でも25度は超えています。エアコンなしでは寝られません。7時頃から私はシュノーケリングで朝食前に運動します。宿のすぐ前が海ですので、部屋から海へ潜ります。小さな熱帯魚や亀、蟹、などがいます。珊瑚ももちろん見ることができます。8時頃から朝食になります。家族と一緒でもいいし、別々でもいいと思います。私は海から上がるとプールで一泳ぎしてからそのままモーニングティーを飲みます。大きなカップになみなみと注いでもらい、3杯くらい飲みます。子どものそろそろ起きてきます。まず飲み物です。子どもはライムジュースが好きです。「海行きたい」と言う気持ちにすぐなるような美しい海です。部屋では妻がゆっくり起きています。朝食は10時頃までやっています。ゆっくりでいいんです。私たちが海でシュノーケリングしているころ妻はゆっくり本を読みながら椰子の木陰でくつろいでいます。のどかな時間が過ぎます。ボートに乗らないか、釣りをしないか、魚のバーベキューをしないか、といろいろな誘いが来ます。一番多いのは物売りです。布を売ったり、訳のわからないおもちゃを売ったり、大きな貝や珍しい貝を売りに来たりします。その人達をからかうのも最初は楽しいですが、だんだんしつこくなってくるころお昼になります。町に出ます。町と行っても地元の人が行き交う町です。HOTELと書かれた看板を見つけるとそれがレストランです。スリランカの人のよく行くレストランに入ってみました。カレーです。旨いんです。それも安く食べることもできます。飲み物はもちろんビール。当地のビールはライオンビールです。コカコーラやスプライトが売られています。紅茶も甘くして皆飲んでいます。中華料理屋にも行きます。チャーハンが旨いんです。米の種類が日本と違うので、パサパサしているからチャーハンに合うのです。昼食後は海に出ます。泳いでばかりなので、沖まで船で行きます。珊瑚が真下に見えます。驚くばかりの魚が泳いでいます。竜宮城へ行けそうな大きな亀もいます。スキューバの資格をとった海です。本当に人の手が入っていない海です。子どもたちはシュノーケリングです。船から飛び込みます。水深は20Mはあるでしょう。でも平気です。ぷかぷか浮きながら魚を見つけています。私は1時間くらい仲間と潜ります。今日は難破船の中へ入ります。狭い入り口から入っていくのはなかなか強いですが、気持ちがいいです。バディと言って2人1組で動きます。お互いに助け合いながら、お互いを気遣いながら泳ぐのです。3時頃にはホテルに戻ります。妻は、仲間と午後のお茶をしています。また海岸の木陰では。髪を結ったり、マッサージしたり、爪を切ったり、爪を整えたり、している人がたくさんいます。好きなコースを選んで寝ころびながらやってもらいます。気持ちがいいです。私は、シャワーを浴びて、クラブサンドイッチとビールを飲んで。昼寝をします。エアコンを消して、窓を開け、セイリングファンだけで、ベットに水着一枚で寝ころびます。腹の上にバスタオルを掛けるだけです。至福の時です。夕方5時頃まで寝ます。6時過ぎ太陽が沈むといよいよ盛り上がる夕食です。海の浜で食べる人もいれば、ゆっくりレストランで食べる人もいる。部屋で食べる人も意外と多い。私たちは、好きな料理を部屋のベランダへ持ってきて、ビールを傾けながら、1日の楽しい話をします。子どもは足下の巣穴からでてくる小さな蟹を追いかけています。民族楽器で場を盛り上げている人に「がんばって」と言っている息子。柱を登っているリスにカシューナッツをあげている娘。肉ばかり食べているのでサラダを山盛りにして食べている妻。これで1日900円。昼ご飯やハイティービールを入れても。1日2000円で4人が過ごせます。ホテルはたくさんありますから。昼食を他のホテルでとり、プール券(150円くらいかな)を買っていろいろなプールを楽しむのもいいかも知れません。日本の旅館に温泉が付き物だと同じように、スリランカでは必ず大なり小なりプールがついています。そのプールサイドに寝ころんで、1日過ごしたこともあります。ホットドックとフレンチフライを頼みビールを飲む。好きな本を読みながらついうとうとしてします。起きればプールに飛び込む。それの繰り返し。安くていいホテルで過ごした日のことでした。夜10:10分・・静かな夜がやってきます。お休み
2007年09月13日
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10:10分 コーラルサンズホテル5号室 スリランカ南部のヒッカドアの町。コーラル(珊瑚礁)で有名なリゾート地である。何度かそこに行ったことがある。スキューバの免許をとりに行ったのもヒッカドアであった。大小のホテルが立ち並び、漁村と共存している。お土産や市場もある。スリランカのごく普通の風景が目の前に広がる。木の板と椰子の葉だけで日をよけている魚屋。蝿が魚にまとわりつく、裸足の少年が力無く蝿を追う。色とりどりのサリーを売る店。今採ったばかりのココナッツを売る店。炎天下に果物を並べ売る少女。宝くじを売る人もいる。何やらいかがわしい物を売っている人もいる。木陰で昼寝をしている人も多い。のんびりしている。このホテルは1泊2食付きで・・*この1泊2食付きということをHB(ハーフボード)と言う。また3食付ならばFBフルボードという。部屋だけならばRCルームチャージとなる。このRCは日本では一人いくらという計算であるが、基本的に海外では一部屋いくらという計算になる。この場合私たち4人で一部屋とる場合はまだ子どもが小さいときはツインで子どもと添い寝をするが、子どもが大きくなったら一人は添い寝、もう一人はセミのベットを入れてもらったりする。この場合はベット代はとる。大人4人で一部屋と言うことはなく、2人で一部屋というのが基本である。・・・こういった細かいようでも現地に行ったときに困るようなことを旅行雑誌で取り上げたいものである。
2007年09月11日
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10:05分 福岡県 福岡市博多区中洲 屋台「ナカちゃん」ここは、元気印の博多の有名な屋台街である。ここに2年目の新参者がいる。下山 中(あたる)さんと妻の直美さんである。ここに来る前は静岡県 吉田町に住んでいた。その町で養鰻業を小さいながらも営んでいた。ウナギは日本人の好物の1つである。以前は高級感があったが、スーパーなどへ行けば安く手にはいるようになった。それも外国主に中国、韓国からの養殖ウナギの輸入が増えたからである。パックで食べきれるような大きさで売っている。きちんとした物を食べるにはお金がかかる品物を安くするのだから味については「まあまあ」ってことかな、と言う感じである。銀座の八丁目にある「竹馬亭」では下山さんの町で養殖されたウナギで行列ができるほどの鰻丼を作っている。天然物が全体の1%というこのウナギは全く業者泣かせである。「天然物」と言うだけでブランド化される日本「養殖」なんて言うことだけでグルメ評論家は「はあ」という状態になる。同じ銀座の「うな石」のようにあくまで天然物にこだわる店も「いつもそうはいきません、天然ものをそろえるには大変です」という。竹馬亭のウナギを食べてみた。表面はかりっとしていて香ばしく中はふっくらしている。余計な脂肪が落ち、水分が抜けていて凝縮されたウナギの実の味が強くてたくましい。甘さを抑えたちょっと辛めのタレがさっとかけてあって固めに炊いた粒の絶ったご飯とウナギが口の中で混じり合っている感じである。・・これは大好きな愛読書「築地魚河岸三代目」からの抜粋である・・。ウナギの生態はまだ明らかにされていないが日本のウナギ「アンギラ・ジャポニカ」は淡水で5~12年住んだ後川を下り、グアム諸島からマリアナ諸島の方まで海底を這うようにして移動し産卵する。そしてその稚魚「シラスウナギ」が再び黒潮の乗って日本まで来るのである。それを捕まえて養殖するのである。いけすでは産卵、ふ化はしないのがウナギだそうだ。問題はそのウナギが遡上してくる河の汚染が進んでいることである。利根川などは下りウナギで有名であったのはもう過去のことである。こういった食について考えることで社会のいろいろな諸問題が見えてくると下山さんは言う。「ウナギのような日本人の好物がどういう形で自分の口に届くか、そのために業者の人たちがどれほど苦労しているかを考えることが今大切なのではないでしょうか「ウナギばかりではありません」「海のミルクとも言われる牡蠣、日本人が大好きなトロ、蟹、エビ、イカなどもそうではないでしょうか」「長良川の鮎もそうだね」・・・真剣に議論すべき問題である。横で車いすの乗っている妻の直美さん。「私のケガがなければここにいませんよね。ここは父の店なんです。」隣で真剣に仕込みをしている父の方を見ながら話をする。「交通事故で突然でした」「気を落としている父が・・・ウナギを焼くには車いすの高さが一番だ!こっちきて日本一にウナギを焼け!・・強引でした」気の短い人はウナギをさくところからやる店主に催促するし、焼き具合も「もうそのくらいでいいよ」というせっかちな人もいたがその「板東太郎」という養殖ウナギのうまさに驚き、30分ぐらいは平気で待ってくれるようになった。「こっちのラーメンを越す勢いですよ、まいっちまうよ」と煙が目にしみたのか涙を流して言う父。中州の夜はまだ宵の口。
2007年09月06日
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10:00PM 東京市ヶ谷、自衛隊特設飛行場。大型輸送ヘリがテイクオフし日本人30名を乗せて、富士山の方向へ進路をとる。乗員は初めて会う人ばかりである。一ヶ月前初めてメールをもらってから、次第に関心を持ち、詳細な説明やレクチャアを受け、残る家族に別れを告げ、ここに集まった。30名。彼らは満ちたれた表情をしてお互いに手を握りあっていた。 10:02分 千葉県の公立小学校の教師 Tさん。24歳今日1日ぼおーーとして過ごす。学区内にアパートを借りて、一人で暮らす。2年前小さい頃からの夢であった教師になり、毎日子どもと泥だらけになりながら校庭でサッカーをする。体力にモノを言わせ、しゃかりきになって走り続けた1年間。でもいつもこれでいいのだろうかという疑問が残る。2年目、4年生の担任になる。1年目の時とどうも勝手が違う。クラス替えの時「T先生大丈夫?」「どうしてですか?」「この子達大変よ!」「まかせてください、どんと来いですよ」元気のいいところを見せようと胸を張って言い放ったが実際はそうはうまくいかなかった。5月に入り、今まで猫をかぶっていたのか。こちらを伺っていたのか、いろいろな問題が勃発した。いじめ からかい 大騒ぎ モノを壊す 窓ガラスを割る 掲示物を破る うろつきまわる 指示を聞かない 並ばない給食の準備ができない 掃除をしない 「うるせえ」「かんけいねえだろ」なども暴言が頻繁に出てくる 親も授業が成立しないとなるとガンガン言ってくる。主任が授業を見に来る 委員会にも通報が行く ・・そんな中眠れない毎日が続く 何をしてもうまくいかない どうしたらいいのかわからない 同僚も最初は心配してくれたが自分のクラスに火の粉がかからないようにするのが精一杯であった。次第に職員室にも居づらくなる。両親にも言えない 心配かけたくないからだ。明日は月曜日 部屋は散らかり放題 寝床はひきっぱなし そんな時だ自分の心配事を紙に書くことにした。いろいろなると思ったら案外少ないことに気がつく。「できなきゃあきらめるか」「絶対負けないか」どちらかだ。「よし負けないぞ」と心に決める。「自分は逃げ出したくなることもあった」「やめてしまおうと考えたこともあった」でも「やってみるか」「すこしはよくなるかも」・・大しきな「明日への扉」をかけながら。部屋を片づけ始めた。終わったら銭湯へ行った。「よおし今日は再出発の日だ、ビールとおでんで宴会だ」
2007年09月05日
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9時はいろいろな意味で大人と子どもの境を作る。ここからは大人の時間、子どもは寝るのである。でも、この時間しか家族で話ができないところもたくさんある。塾や習い事でこの時間に帰ってくる小中学生も多いのが現実である。世界の9時を覗いてみよう。 チャド・・温暖化の影響か、世界地図でもひときわ大きく見えるチャド湖が今地図から消えようとしている。その周辺の村はこの湖と一緒に生きてきた。水もこの湖から喉に流し込む。午後9:00 汚れた水を飲み続けた子どもが脱水症状で亡くなった。 インド・・中部の小さな村・・カーストが厳しいこの村ではこの時間にようやく家路に着く人もいる。ろくな食べ物もなく、光もなく、希望もないが、月明かりの下、子どもの寝顔だけが唯一の幸せを与えてくれる。9:00の開演である。 中国・・上海 ハイグレードな車に乗ったエグゼクティブが上海雑伎団の公演見に来る。小学校の1年生の解き方練習に練習を重ねた世界的に有名な雑伎団。S席は日本円で20000円。中国の内陸部ので年収に当たる。 スリナム・・オランダ領だったこの国は、日本の企業もいくつか進出している。エビの業者である・日本は世界一エビの好きな国である。インドネシア、ベトナム、フィリピンから大量にエビを輸入している。このスリナムでも日本向けのエビを輸出している。この時間もエビの選別で忙しい 午後9:00そして10:00 ・・・あと2時間で明日になる。
2007年09月04日
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午後9:45分「さあ、食事にしよう」テーブルにつくハミルトン一家4人そしてチェン イエィーリ夫妻 お腹には2人の子。この町は、南十字星が手に取るように見えるところから「サザンクロス村」呼ばれている。近くの金鉱が廃山になってからは人口が減少し今はハミルトン一家を含めて50人しかいない。それもここ出身ではない。今までいた村人に高額な代金を払い土地と建物を買う。「I&M不動産」という会社である。これは架空の会社であることがわかってもこの辺境のニュースコラムに関心のある人はいない。それに住民は皆温厚で、誠実で、優しい人ばかりである。素性をお互いに話をしない。もちろん「かれら・・ハミルトン チェン」の一族の代表者と言うことも。 チェンこの前の世界選手権のマラソンどうして2位だった。ああ、あの前の日ひどいもの食べてね・・ハンバーグと言ったっけ・・胃がもたれて来て途中で休憩したのさ・・ほらこのシーン・・・」テレビの録画を見る6人・・シーンは15分の休憩をとるチェン。その35キロ地点から23人抜きをした。1位は次ぎさ。すでにハミルトンのオリンピック制覇をもくろむプロジェクトも始まっている。25もあるプロジェクトの1つではあるが・・。10:00サザンクロス村に大きな流れ星を見つけた。それを見ていた50名の村人後のドイツ、イギリス、ロシアの首相。世界銀行の頭取。世界最大の宗教財団。IT関連の世界的企業。世界最大の不動産会社。スポーツ関連の総合商社。世界最大のテレビネットワーク。日本に作られている富士高原ロッジのUへこの4人の子が行き。日本や世界から1通のメールで集められた人に様々な訓練や教えを受けることになる。「ノアの箱船プロジェクトは最南部の島から始まった」ハミルトン家のコンピューターに世界中からメールが届く、日本からは「Uへようこそ」
2007年09月02日
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