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11:50PM あと10分で今年が終わる。2006年の大晦日。どこにいるでしょう。かつてはシドニーやタイやスリランカでカウントダウンをした。いろいろな人と新年を祝った。家で家族で迎えるのもいい。紅白を見て、行く年来る年を見て、あけましておめでとう。そんな時が無性にうれしい。シドニー湾のクルーズで大きなブリッジに花火が上がる。歓声とシャンパンを抜く音。けたたましい花火がなる北京。ゆったりと迎えるバリ。チャオプラヤ川のクルーズでは、新年に手を合わせた。11:51,52,53,54 あと数分でまた新しい1日が始まる。11:55 56 57 58 59 意識したことはないが、毎日がこうやってリセットされるのだ。忙しいばかりで文句を言っている自分もいる。今日がんばったなあと足をさすっている自分もいる。子どもや妻の寝顔を見てほくそ笑んでいる私もいる。また0:00~新しい自分を書ける日がそう遠くないことを願う自分が居る。SEE YOU SOON お休みなさい。2006年2月某日書き始め 2006年5月14日 午後5時15分完成
2007年11月30日
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日本にもどる ある人の日記。自分が物心つくころから日記を書いている。1日に1行とか2行に日が多かったが、日記歴40年にもなると本だなの日記も貴重な価値を帯びてくるから不思議である。日記は表紙の厚いノートに書く。好きなときに好きなだけ書く事にしている。失礼して今日の日記をのぞいてみよう。「あともう少しで今日が終わる・・今日という日はどんな日だっただろう・朝何時に起き何を食べ、誰に挨拶をし、どこへ行って、どんなことをし、誰に会い、何を話し、そして何を考えたか。「まったくろくな日じゃなかった」「いい日だった」「別に取り立てていい日でもないし、悪い日でもない」「体がだるくて1日寝ていた」「たまの休みだったので釣りに出かけた」「近くにできた店に行って好きなものを食べた」「友人に手紙を1日中書いていた」・・63億の人がそれぞれ自分に時間を持ち、それぞれの居所で1日を送る。星野富弘さんに詩に「特別な日があった。そしてそれを支えるたくさんの平凡な毎日があった」平凡というのはすごく大切なことだと思う。自分が落ち込んでいるとき、ケガをしたとき、病院に入院したとき、つまらないことで喧嘩してしまったとき。嫌なことが立て続けにあった時。そんな時「平凡」な日をいとおしく思う。 5時に目覚ましが鳴る前に、目覚ましを止めてしまうほど早起きな一家がある。まず、布団をベットの上にきちんとたたみ、昨日読んだ枕元の雑誌を片付け、カーテンを開け一気に外気を入れる。春の5時は、天気がどうなるのかわからない。だいたい真っ白であるあと30分もすれば天気が判断出来る。娘が遠くの私立高校に通うことを選択したため、6時30分には弁当が完成し、一家が朝食を終えなければならない、主人は玄関に下りて新聞をとり、外のベランダに座る。あらかた呼んだら、少し散歩する。だいたい20分くらいである。野の花をいくつか摘んでくる。ほどよく汗が出る頃に庭に着く。水をやる。すごく花が喜んでいるような気がする。娘も息子も起きてきて4人で朝食になる。子どもはまず水分を入れる。体が動き出す。メニューによって麦茶、牛乳、オレンジジュースとなる。私は冷たいお茶を二杯位飲む。朝食はししゃも2匹。大根とわかめのみそ汁、雌株とろろ 納豆 息子が修学旅行で買ってきた漬け物 ベーコンに目玉焼きである。仕度をして出かける。娘は6時45分には近くの駅前にバスが来るので足早に「いってきます」息子は「二度寝が最高」といって、少し横になる。連日の水泳の練習で少々疲れ気味。いってきます、行ってらっしゃいを背にして学校へ行く。通勤時間5分。7時前である。始まるまで1時間もある。朝同じように早く来る先生と話をし、今日の準備を始める。机の上には、いろいろな書類がある。生徒指導関係、社会科関係、スクールカウンセラー関係などである。それを*すぐ処理をするもの*今日中に処理をするもの*早めに処理するものとおおざっぱに分ける。まずは学校関係のものは最優先である。昨日帰った後、県の義務教育課から電話があったので、忘れないように。机に貼る。コーヒーを飲み。外の空気も入れて、1日のスタートが始まる。今日の予定を確認し、授業の最終準備をする。また、次々に登校する先生と談笑をし、依頼もついでにしてしまう。親からの電話にも対応しながら8時15分の朝礼を迎える。1日気合いを入れる。帰宅途中7時まで空いている市立図書館に寄る。今凝っているダン・ブラウンの著書を借りる。これはおもしろい。「天使と悪魔」である。「デセプション・ポイント」「パズル・パレス」はすでに読み。話題作「ダビンチ・コード」は3回読んだ。7時に家に着く。ほぼ同時に娘も帰ってくる。身軽な服に着替える。「そうそう電球が切れた」というので。ケーヨーD2へ行く。ホームセンターは大好きな場所である。息子は5時から7時半までスイミング。8時頃迎えに行く。8時過ぎに全員で夕食である。よく食べる。9時頃まで、居間でテレビ見たり、今日1日のことを話をする。9時以降はそれぞれの時間となる。風呂へはいる。横になって音楽を聴く。勉強する。予習をする。借りてきたDVDを見る。「ムース作ったから食べる」との妻の声に私以外は反応する。パソコンで友人にメールを打つ。借りてきた本をベットで読む。12時頃まどろみ始める。ここからは私しか起きていない。やるべきことをしっかりやって寝る。こんな平凡な1日がいいのである。
2007年11月29日
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台湾の台北の夜市。人の流れは途切れない。まだまだである。何がまだまだかというと。とにかくにぎやかすぎて夜中とは思えない。私も24時間営業のマッサージを受けた。11時をとっくにまわっている。1時間30分コースである。値段は1000円いかなかったと思う。足の裏、ての甲、頭、そしてうつぶせになり背中、腰、ふくらはぎ、腕、さらに上を向いて、棟や首まわりをマッサージしてもらう。もう眠くて眠くて仕方がない。1階ではずらっと並んだ椅子に寝ころび15分の足の裏つぼ押しをキャッキャしながらやってもらっている。300円くらいかな。ここのつぼはと言いながら肝臓のつぼを押すと日本の人のほとんどは体をよじります。またここを押すとニコッとする男の人がたくさんいます。「何に効くの・・」「メイク ベイビー」と真っ赤な顔をしている女性マッサージ師。このマッサージは夜がいい。朝からやるとなんか痛くなる。こんな遅くではないが、タイでも、バリでも、ベトナムでも、スリランカでもマッサージはひと通りやった。タイのあのプロレスのようなマッサージ、ベトナムの内臓を活発にしてくれるようなマッザージ、バリのオイルを使った全身脱力マッサージ。スリランカのアーユーベーダという非常に医学的にも効果があるオイルを使ったマッサージ。これはすごかった。台北の夜店は2時頃までにぎやかである。食べ物がやたらとうまい。 中国北京郊外の万里の長城。昼間の喧噪とは裏腹に明かり1つない広大な長城のその一角に日本で言う黒いゴミ袋で夜露をしのいでいる人たちがいる。花を求めて移動を繰り返す養蜂業の人たちだ。昼間はそっと隠れており、夜になると100人~200人と群れをなしてここへ集まる。レンゲが満開である。地方から出てきた人たち、家財道具もなく、むしろと黒いビニールぶくろ、それを竹でうまくドームのようにして寝泊まりする。都市部が発展しているのと反対に地方は厳しい。「この子たちは字も書けません」「この子たちはもう何年も風呂に入っていません、私たちもです」
2007年11月28日
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インド東部のアッサム州。紅茶で有名なところだ。高地で霧が発生し、年間の降水量も多いところ好む紅茶は人間にとっては住みやすいことところではない。その上、蒸すという作業をするため、普通でも暑いのに空気の調節もない。作業場は地獄である。時間など関係なく作業が行われる。「これ日本へ輸出されるんです。」と現地に出向している商事会社の社員は言う。きれいな木箱に入った紅茶。ここで90円なのにどうして日本へ行くと2000円になるのでしょう。と不思議がる私たちに。「いろいろあるんです」と曖昧な返事。でもその後ろにいる無数の労働者は90円と言うことも知らない・1日の日給が紅茶一箱と同じなんて。1日20000箱も作っているのに。 中東のアラブ首長国連邦の駐在する日系の石油関連会社の部長。外川さん。この時間が好きなのである。この国ムスリムは敬虔な信者が多いのです。0:00ぴったりにお祈りが始まります。いいですか・・もうすこしですよ。 スリランカの北部にあるポロンナルワ 大きな仏教遺跡があることで有名。 この時間、腰まで水に浸かりハスの花を採っている人がいる。違法である。どろぼうでもある。でも皆見て見ぬふりをする。それは、仏教とがお寺をお参りするとき持っていく花が「ハス」である。白いハスが国の保有している池にたくさん咲く。管理人のチェンさんは「あの人達、みな国内の内戦で親を失った人たちです。障害者になった人たちもいます。社会復帰はこの国ではずいぶん遅れています。仏様が助けるしかありません。と涙ぐむ。夜の月明かりの下、もくもくとハスの花を採る人たちがいる。
2007年11月26日
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タイ郊外の食肉工場。セブンイレブンホーディングス社の旗がなびく。3交替で24時間態勢の鶏肉を寸分違わぬ大きさに切り、重さも統一されている。「negima」「hatu][tan」「rebar」などと表示されている。ベルトコンベアーで次々と肉が流れてくる。慣れた手つきで串に通す。「negima」が一番難しいです。ネギが滑ってしまって。そこで働きたい人たちは2年待ちとも3年待ちとも言われている。 アフガニスタン北部の街。有名なサッカーボールのメーカーのドイツナンバーの大型トラックがエンジンをかけたまま横付けにされている。ここは手縫いのサッカーボール工場だ13歳から17歳の男の子が1日3~4つのボールを作る。でき次第空港に運び空路で全世界に運ばれる。輸送機は旅客機と違い24時間態勢で動いている。人工的に工場で作るボールは安いボールで私たちが良く目にする。世界大会特にワールドカップではここの手縫いのサッカーボールが公式球になっていると言われている。そのアフガニスタンの別の村ではこの時間でも小さな手をした幼い女の子が絨毯を織っているいる。小さい手の方がきめ細やかにできるのである。こうした幼い子供達の労働が問題になっている全世界で3000万人いると言われている。エジプトを見てみよう。 エジプトの少年達の一団が深夜のこの時間に一面のお花畑に向かう。フランス大手の化粧品メーカーにが化粧水を作るのに使う特殊は花を摘むのだ。朝になって日が登るとしぼんでしまうのこの花、この時間が最もいい状態でとれるのだそうだ「眠くてたまらないよ、これで朝の4時頃まで・・・早く日が昇ってほしい」 アメリカのニューヨークの中華街、唐揚げのうまいスマートチキンというチェーン店がブレイクしている。「ケンタッキーも飽きたしね」「それに安い」「柔らかい」チキンは鶏肉に間違いない。そのチェーン店の工場はベトナムにある。ベトナムの山間部の放し飼いの地鶏を大量に買い付けて、現地で加工し冷凍でフェデックス(輸送会社)の特急便で送る。それでも安い。ベトナム戦争の頃は考えられなかった。
2007年11月25日
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この時間何が起きているかもっと追ってみよう。 ワールドカップの前売りチケットを買うために2日前からさいたまドームの前に並んでる人「新潟から来ました」。西新宿の商店街の一角12:00に店を閉めるのだが、まだお客が何人かいる。・・今日は閉店を遅くするかと皿を洗いながら舌打ちする店主。渋谷の999の近くの喫茶店でスピードの売り買いがあると聞き、渋谷署の生活安全課の人15人が張りつめた表情である。北海道天塩川温泉にある郵便局。入金と出勤が100円あわず数え直している人がいる「こまったもんだ」。北海道、札幌にできた24時間の旭川ラーメンのチェーン店「大雪」が、ススキノで仕事を終えてきたホステスさん達にラーメンを作る。「これうまい、釧路にもあったなあ」「私は小樽出身」「私は帯広」「根室」「別海」「中標津」「弟子屈」まるでミス北海道の大会みたいだねと店主「やだああ」という笑い。この子達の人生もいろいろあるんだなあ。と涙ぐむと一番年上の弥生さん・・・稚内出身・・「また泣いてる太郎ちゃん、ラーメンが塩ラーメンになるよ」・・大きな暖かい笑い。 青森のリンゴ畑では台風の通かが0:00と放送されてから、矢も立てもいられず農家の人が木を見守っている。「あの時の台風ひどかったな」「うんにゃ、もうこりごりだ」「だけどもどうしょうもないな」 岩手県釜石市 築地のカレイを扱う人が泊まり込みで来ている。東京都の胃袋を支える築地市場。その中卸は800とも言われる。場外と場内があり、場外では一般の客も普通に買い物ができる。1匹いくらのさんまからお正月に必要なだし巻き玉子。野菜も売っている。包丁も名店が並んでいる。その先の築地の場内にキロ単位で魚を買い求める人が来る。早朝というか夜中に近い時間に7つぐらいある大卸でセリが行われ、各仲卸は自分のお客のニーズにあった魚をせり落とす。お客は料亭であったり、スーパー、デパート、寿司屋なのである。小売りに商売の人が「安く」「うまい」という魚を求めて来るものだから目ききはその中卸に命である。「とにかく鮮度・・いやここでは「活き」が命なので」と中卸20年のキャリアを持つ田中さんは言う。まるでけんかのようだが、うまくできていて、うまく昨日している。そこには「プライド」という大きな自信があると思うよ」と話す。見ていてもテキパキと仕事が進められる。一番多く扱われるマグロのセリは壮観である。朝の4時から行われる。大間のマグロが1匹2000万円で取引されたのが最近のニュースである。日本人ほどのこマグロにこだわる民族はいないという。 ここの魚が来るまではいろいろなドラマがある。インド洋スリランカ沖のこの時間。まだ漁は続けられる。大きな群れにぶつかったのだ。空で1ヶ月前に出た、焼津漁港所属の第5大漁丸は、今日の漁いかんで明日でも進路を日本に向けることができる。あと2トンで船底にある冷凍庫は一杯になる。この時間遠くヨーロッパにカナリア諸島付近ではスペインの漁船が日本に向けて輸出する蛸を捕っていた。お正月が近いこの時期高値で売れるのだ。インドネシアのカリマンタン島北部コキタナバル沖ではエビの底引き網漁が最盛期である。真夜中に採るエビは伊勢エビに近い大きさの者である。ただし網にかかったエビの足1っほんでも折れると、価格は半減してします。その際は海に投げ捨ててしまうこともある。見てくれが大事という「MITEKURE」とううことばがインドネシアでは盛んに言われている。釜石に来た人たちは「マツカワ」という幻のカレイを求めてきた。近ごろ洋食が可能になったと聞く。しかし、あじの方がまだ知られていない。築地は味も広く人に知らせていくことをモットーとしている。深夜、ある釜石の料亭でマツカワを食べる。5人の仲卸はおたがいの目を見つめうなった「月に100キロは、築地に送ってください」世界各地この時間、働いている人がいる。
2007年11月22日
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埼玉県上尾市、JR上尾駅前にうまい讃岐うどんの屋台ができたということが11:30分のメールで飛びこんできた。「ながもの会」という何しろめん類が好きで、長いものが好きなこの会は発信者は香川の琴平の人。全国の讃岐うどんを食べ歩き常にリアルタイムで会員に通知している。毎晩11:55分までにはメールが来る。「ウドンマン」という愛称をもつ。実はこのウドンマンさんは全国の薬をおろしている富山県出身で全国を回っている。親が香川出身だったので。小さいころからうどんを食べていた。今週は九州の福岡・・広島・・・岐阜・・・埼玉と移動した。富山の薬は今でも全国で通用している。なくなった分だけ薬を足していくという合理的なシステムが受けている。上尾の駅に自転車でかけつけた大学生「ウドンマン」の言うことにまちがえない。「かけ」「はいよ」この店主が屋台を借りたウドンマンとはだれも思わないであろう。この「ながもの会」にはうどんの他にラーメンがある。そばもあるが、やはり夜食べるのは・・・ラーメンとということで、ホームページを立ち上げ会員を募りメールで情報を送っている。うきしずみが激しい激戦区である、東京そして各地に人気ラーメン・・・旭川 函館 札幌 喜多方 横浜 佐賀 福岡 鹿児島 などの情報が次々に入る。このメールを発信しているのはまたしても愛称「ラーメンマン」なのである。この人は一人ではなくグループで動いている。しかも今まで雑誌やテレビなので紹介されていない店を出すものだから。マニア以外にもラーメン屋自身がこのラーメンマンの情報に注目しているのである。11:50に全国にまた一つ新しいラーメン屋が紹介される。
2007年11月21日
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この時間何が起きているかもっと追ってみよう。 ワールドカップの前売りチケットを買うために2日前からさいたまドームの前に並んでる人「新潟から来ました」。西新宿の商店街の一角12:00に店を閉めるのだが、まだお客が何人かいる。・・今日は閉店を遅くするかと皿を洗いながら舌打ちする店主。渋谷の999の近くの喫茶店でスピードの売り買いがあると聞き、渋谷署の生活安全課の人15人が張りつめた表情である。北海道天塩川温泉にある郵便局。入金と出勤が100円あわず数え直している人がいる「こまったもんだ」。北海道、札幌にできた24時間の旭川ラーメンのチェーン店「大雪」が、ススキノで仕事を終えてきたホステスさん達にラーメンを作る。「これうまい、釧路にもあったなあ」「私は小樽出身」「私は帯広」「根室」「別海」「中標津」「弟子屈」まるでミス北海道の大会みたいだねと店主「やだああ」という笑い。この子達の人生もいろいろあるんだなあ。と涙ぐむと一番年上の弥生さん・・・稚内出身・・「また泣いてる太郎ちゃん、ラーメンが塩ラーメンになるよ」・・大きな暖かい笑い。 青森のリンゴ畑では台風の通かが0:00と放送されてから、矢も立てもいられず農家の人が木を見守っている。「あの時の台風ひどかったな」「うんにゃ、もうこりごりだ」「だけどもどうしょうもないな」 岩手県釜石市 築地のカレイを扱う人が泊まり込みで来ている。東京都の胃袋を支える築地市場。その中卸は800とも言われる。場外と場内があり、場外では一般の客も普通に買い物ができる。1匹いくらのさんまからお正月に必要なだし巻き玉子。野菜も売っている。包丁も名店が並んでいる。その先の築地の場内にキロ単位で魚を買い求める人が来る。早朝というか夜中に近い時間に7つぐらいある大卸でセリが行われ、各仲卸は自分のお客のニーズにあった魚をせり落とす。お客は料亭であったり、スーパー、デパート、寿司屋なのである。小売りに商売の人が「安く」「うまい」という魚を求めて来るものだから目ききはその中卸に命である。「とにかく鮮度・・いやここでは「活き」が命なので」と中卸20年のキャリアを持つ田中さんは言う。まるでけんかのようだが、うまくできていて、うまく昨日している。そこには「プライド」という大きな自信があると思うよ」と話す。見ていてもテキパキと仕事が進められる。一番多く扱われるマグロのセリは壮観である。朝の4時から行われる。大間のマグロが1匹2000万円で取引されたのが最近のニュースである。日本人ほどのこマグロにこだわる民族はいないという。 ここの魚が来るまではいろいろなドラマがある。インド洋スリランカ沖のこの時間。まだ漁は続けられる。大きな群れにぶつかったのだ。空で1ヶ月前に出た、焼津漁港所属の第5大漁丸は、今日の漁いかんで明日でも進路を日本に向けることができる。あと2トンで船底にある冷凍庫は一杯になる。この時間遠くヨーロッパにカナリア諸島付近ではスペインの漁船が日本に向けて輸出する蛸を捕っていた。お正月が近いこの時期高値で売れるのだ。インドネシアのカリマンタン島北部コキタナバル沖ではエビの底引き網漁が最盛期である。真夜中に採るエビは伊勢エビに近い大きさの者である。ただし網にかかったエビの足1っほんでも折れると、価格は半減してします。その際は海に投げ捨ててしまうこともある。見てくれが大事という「MITEKURE」とううことばがインドネシアでは盛んに言われている。釜石に来た人たちは「マツカワ」という幻のカレイを求めてきた。近ごろ洋食が可能になったと聞く。しかし、あじの方がまだ知られていない。築地は味も広く人に知らせていくことをモットーとしている。深夜、ある釜石の料亭でマツカワを食べる。5人の仲卸はおたがいの目を見つめうなった「月に100キロは、築地に送ってください」世界各地この時間、働いている人がいる。
2007年11月16日
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埼玉県上尾市、JR上尾駅前にうまい讃岐うどんの屋台ができたということが11:30分のメールで飛びこんできた。「ながもの会」という何しろめん類が好きで、長いものが好きなこの会は発信者は香川の琴平の人。全国の讃岐うどんを食べ歩き常にリアルタイムで会員に通知している。毎晩11:55分までにはメールが来る。「ウドンマン」という愛称をもつ。実はこのウドンマンさんは全国の薬をおろしている富山県出身で全国を回っている。親が香川出身だったので。小さいころからうどんを食べていた。今週は九州の福岡・・広島・・・岐阜・・・埼玉と移動した。富山の薬は今でも全国で通用している。なくなった分だけ薬を足していくという合理的なシステムが受けている。上尾の駅に自転車でかけつけた大学生「ウドンマン」の言うことにまちがえない。「かけ」「はいよ」この店主が屋台を借りたウドンマンとはだれも思わないであろう。この「ながもの会」にはうどんの他にラーメンがある。そばもあるが、やはり夜食べるのは・・・ラーメンとということで、ホームページを立ち上げ会員を募りメールで情報を送っている。うきしずみが激しい激戦区である、東京そして各地に人気ラーメン・・・旭川 函館 札幌 喜多方 横浜 佐賀 福岡 鹿児島 などの情報が次々に入る。このメールを発信しているのはまたしても愛称「ラーメンマン」なのである。この人は一人ではなくグループで動いている。しかも今まで雑誌やテレビなので紹介されていない店を出すものだから。マニア以外にもラーメン屋自身がこのラーメンマンの情報に注目しているのである。11:50に全国にまた一つ新しいラーメン屋が紹介される。
2007年11月15日
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11:41PM あともう少しで1日が終わる。今日という日はどんな日だっただろう。この時間、家でゆっくりしている人。飲み屋で飲んで人。警備でビル内を巡回している人。オールナイトの映画「ゴットファーザーパート3」を見ている人。銀座のクラブで接待している人。赤坂の料亭で次の総裁選について話をしている人。24時間の牛丼屋で、割り箸を足している人。スーダンのダルムーク地方で敵の奇襲を恐れて銃口を一点に絞り、はいつくばっている少年。明日の開店を前に、3回目のスープを作り、ようやく納得しているラーメン屋の店主。0:00が最後のステージになる、浅草ニューパラダイスの踊子さん。沖縄の民謡酒場では、ソーメンチャンプルで泡盛をあおり「オリオンビールではい乾杯」のフレーズの歌をもう20回も歌っている。ステージでは0:00に始まる最後の歌「しまんちゅうの歌」をスタンバッテイル。大阪の難波の小さな飲み屋では、おでんに牛筋をどれだけいれるかで客ともめている。その横のたこ焼き屋ではソースをかけるかどうかでもめている。東京国分寺のスカイラークでは、0:00からバイトが変わる。以前はこのバイトは応ぼが少なかったのだが、深夜の時給が1200円になるということで、近くの大学生や専門学生が多数応募してきた。今日は初日である「いらっしゃいませ」「スカイラークへようこそ」「禁煙席ですかそれとも」「ドリンクバーはあちらです」マニュアルでは注文から15分で料理を運ぶことになっている。
2007年11月09日
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11:40PM アメリカ フロリダ ある村の郊外。地表には平屋建てモーテルが3棟あるだけだが、その地下はNASAの秘密基地となっている。アメリカでも情報公開法でほとんどの軍事基地の場所が国民に明らかになっているが、この場所は証されない12の基地の1つである。富士山北麓の富士山ロッジからホットラインで司令官の陸軍少将ホイットニー氏に連絡が入る。「あの計画が始まった、37名の人間が今現地に全員集合し、これから1年間の研究プロジェクトに入る」「YES]「そこで、スミス大統領に許可は得ているが、アメリカの軍事衛星サウスダゴタ2を午前0:00時から1年後のこの時間まで日本が借りることになる」「SURE」「MRホイットニー ここまでの道のりは大変であった。しかし、近い将来この地球が人類を全てまかなえるとは思えない、。スーパーコンピューター「フジコ」も悲観的なアンサーを出している。人類が日本が選んだ37人と君たちが選んだ48人さらに同盟国が選んだ15人計100名が。第二の地球を目指して調査を始める。サウスダゴダ2は軍事衛星でもあるが、周辺の20の軍事衛星にキーステーションとなりドッキングすれば一台宇宙ステーションになることは世界でも数名しか知らない」「I UNDERSTAND」「昨晩 フジコは最新の地球脱出日を試算した。20・・・年5月13日」ということだ「WHEN?いつ」「では、このホットラインも本日で修了する地下に潜ったら一切の外部からの通信は受け付けない、私はあらためて報告するのは1年後である。SEE YOU」「WAIT WHEN?」妨害電波の影響かそれともわざと言葉を詰まらせたか・・・地球脱出の日は耳に届かなかった。 この基地にも今日でお別れである。中東のテロ組織がここの場所をウェブサイトで公開した。すぐに世論や議会が騒ぎ出すであろう。機密書類の廃棄は修了した。コンピューター内の情報も永遠に表に出ることはないであろう。今頃日本沖の日本海溝に重さ20トンもある。コンクリートの固まりと一緒にコンピューターごと廃棄しているところである。残った10名のエイジェントも11:45を持って脱出する。時限爆弾は0:00にセットしてある。モーテルは今頃CIAによって火を放たれ、ここへの入り口は小型爆弾で破壊されていることであろう。「では・・・」司令室の電源を切り。地上への階段を上る。脱出用の装甲車は火の海の中を進む。「いったいいつなんだ」ホイットニー少々は大西洋上にある。人工衛星の軌跡を目で追った。
2007年11月07日
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11:38PM 愛知県渥美半島。地図帳を見ると、花や野菜、果物の記号がぎっしり印刷されている。ほとんどがビニールハウスによる栽培である。季節のものを季節に出すでのではなく、そうでない季節に出すことで収入を得ている。ですから自然の摂理に反している。そこをうまく生産者は考えているのだろう。脱帽である。この時間ハウスの中の温度調節が難しくなると言う「一応自動で温度は調節されるのですが、やっぱり最後は人の勘ですね」という伊勢さん。メロンがずっしりとわらの上に横たわっている。ひとつひとつが宝物のようです。あと1週間で出荷です。とうれしそうに言う。主に名古屋、大阪方面に並ぶ。ひとつ2000~5000円する。ここまで仕上がるには5年かかった最初に3年は収穫~であった。妻の用意したコーヒーをポットから注ぐ。傍らにある大学ノートの1ページ1ページにこれまでの思いが書き込まれている。ゆっくりとページをめくる。11:38PM 同じくこの時間、山梨県の塩山市。露地物の桃が最盛期である。しかしこの1本の木だけは、他のと違う感がある。作が二重にしてあり。いつもよるには誰かが見張っている。「特別」のようである・持ち主の大藤さん多くは語らないが「この木は契約である有名な果実店・・・新宿のTに卸している」「単価は1万はするだろう。店頭に飾るそうだ。こういう桃を買っていく人が後を絶たないのだから日本はすごい国だ。」しかし10年間契約で毎年、毎年同じように素晴らしい桃を作るというのも大変だ。天候、病害虫、水いろいろな要素がいくつも重なり合ってひとつの桃ができる。「オレはあっちの小さくて見てくれ悪い桃の方がうまいと思うな」と帰りがけに言っていた。「あと一カ所あるさ、特別な桃の木が、それは妻だけしか知らない」・・宮中の晩餐会用だという噂も聞く・・・夜なのにはっと目が覚めた一瞬だった。
2007年11月06日
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11:35PMタイ バンコク。アジアの中で一番元気がいい街である。と私は思う。香港、上海、シンガポール、マニラ、ジャカルタ、ホーチミンと言う人もいるが私の言うニアンスがわかるかどうか・・・恐ろしいほどの人がうごめくのである。店の前、店の中、店の地下で人が人でなくなる様々なことが行われている。世界中からある目的を持ってこのタイにやってくる。夜の世界は昼のほほえみの国とは一転する。金と欲望が渦巻いている。タイの東北部では若い女の子は自分の体と代償に一家を支えていく。人身売買が公然と行われている。日本でも昭和不況の時に東北の大飢饉が起き、娘の身売りが村あげて行われた悲惨な歴史がある。タイでは今でも身売りは行われ、暗い店の中で一生を終えていく、寿命も短くいろいろな感染症にかかり、死んでいく。娘の亡骸は両親が引き取りに来るのである。そういったリスクを承知の上で売春が行われ、一夜を共にする値段は3000円くらいである。そのうち2500円はいろいろな形で吸い取られていくのである。タイ北部の1年間の平均収入は3000円くらいというのだからたとえ差し引き500円でも大金であろう。16歳~20歳の女性はひしめくハッポン通り、今夜の相手を見つけないとご飯さえ食べられない。そこに、「お母さん」と呼ばれる。サイヤムさん(52歳)が屋台を営んでいる。彼女も17歳の時タイ北部ミャンマーとの国境の町メーホーソンからバンコクにやってきた。日系の縫製工場で働くと言って出てきたが。辛い労働と、体も弱いところから、3ヶ月で夜の街に入る。15年間働いて貯めた金はほとんど故郷に送る。知り合いのエスコート(娼婦)から屋台をやらないかと持ちかけられ、禁止されている売春(避妊をしない、コンドームを使わない)を強要される。実入りはいいが「エイズ」は恐い。しかし・・そういっているうちにエイズにかかる。すぐに店から追い出される。残ったものは屋台と少しの金である。故郷でもエイズにかかった者は「死んだもの」とも見なされる。屋台でトムヤンクンを作り、エスコート達に食べてもらう。「お金はいいよ」と決してお金を取らない。でも・・・と置いていくお金でどうやらやっている。若い子を見ると自分の一生を思い出す。30代なのにあ5年くらいの命と言われている。「あたたかいスープお食べ」「だいじょうぶかい」「きちんと病院行くんだよ」「・・・」その時だけ普通に女の子にもどる。化粧をして、自分を隠そうとする恥じらいにある女の人たちだ。泣きながら暮らしている。「早く故郷に帰りたい」・・それはできないよ・・と言うことを知っているサイヤムさん。それでも「そうね、その夢絶対にかなうよ」タイの夜。ソイという細い路地に目だけが光る。バイヤーが袖をつかむ。警官がそれを止めようとすると。タイで人気がある日本車から、人がさっと出てきて袖にゴムで束ねたバーツを入れる。昼間は日本人でにぎわう伊勢丹付近、ナライパンの近くにはおおくの女性が立っている。女性ばかりではない男性も多い。ジギジギという東南アジアの共通な言葉が行き交う。アジアのこの時間は、ものすごい勢いで増殖している生物のようである。
2007年11月05日
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11:32PM 漆黒の闇が広がり、遠くでかすかに銃声が聞こえる。遠吠えするオオカミは今日も死肉を求めてさまよっている。隣国のルワンダのあの凄惨なツチ族とフツ族の血で血を洗う争い。20世紀は第二次大戦後、核の傘下の下冷戦がぎりぎりのところでおさえられ、経済的に破綻したソビエト政権の崩壊によって、東西の冷戦は表向きは終結した。しかし、冷戦の陰に隠れ沸々と怨念を煮詰めていた少数民族、虐待された民族が一斉に蜂起した。アフリカ、アジア、中南米では大国の利益の末端で人権を無視した。恐ろしいことが展開されていた。大国が利権を放棄あるいはその国の傀儡政権に委譲したことがきっかけで政権のねらう軍部、反政府軍の横暴、傀儡政権にないする非民主主義的な一方的な選挙による転覆。CIAが暗躍するかのごとく見せかけて、自らがクーデターを起こす軍部の青年将校。「アメリカは自国の利益のこと以外は無関心さ。コカコーラとクスリと石油があればいいのさ」とルワンダに派遣された国連平和維持軍の高級将校は答える。国境近くのその難民キャンプは推定で5000人が住んでいる「斧と鎌」による虐殺を恐れ、着の身着のままで逃げてきた人たちである。男は連れ去られ強引に兵士にさせられている。多くは老人と子どもである。母親は戦火の中、行方不明になって者が多い「母親のことは、子どもの前では話せないと」しゃがみ込んだ老人は目に涙を浮かべる。この子の姉はゲリラにレイプされ、誰の子かわからないけど・・・と大きなお腹に目をやる。「希望も何もないさ」「食べ物もない」「水もない」「死んでいく人もこれじゃあ死にきれない」キャンプでもいろいろなことが起こる。食糧の配給がおろそかになっているため、一粒の麦にも血眼になる。毎日生きるための「戦い」がいろいろなところで繰り広げられている・私たちがCNNや大きな通信社を通して、目にしている事実は確かに事実なのだけれども。どうも難民が整然と並び、国連やNGO団体からの衣料や食糧を配給されているシーンがあまりにも多い。しかしそれは事実の一部であって、そこでの生活はひどいものである。キャンプというとある程度の設備があり、水があり、食糧は、保管されているのだと思うが、とんでもない。何もない岩だらけの、砂だらけの不毛な地。灼熱の太陽も遮ることもできず。ひからびた皮膚を太陽にさらけ出している。栄養がとれないため思考がうまく機能せず。目の前にあるコッフェルに入ったミルクを飲むことができない。蝿がたかり、下手するとカラスに食べ物を持っていかれてしまう。木はとっくに燃料となり、全ての草は腹の中に入った。体の弱っている者は真っ先に死んでいく。特に熱帯でも高地にあるその地域は日中は30度を超えるが、朝は5度近くになる。その気温の変化についていけなく死んでいくのである。小さなテントの中で肩寄せ合っていつ来るとも知れない敵の攻撃恐れ。やっやっかいものになっている身を案じ。支給される、食糧を待っている。トウモロコシの粉、小麦の粉、米、固いパン、粉末のミルクなどである。それでも平均のカロリーにまったく達していない。その中でも一番の問題が「水」である。不衛生な水。泥水などの混ざる終えない。弱っている体には水は堪える。すぐに下痢になり脱水症状で死んでいく人が一番多いと国境なき医師団のフランス人医師フランソワさんは言う。「この子は、衛生的な水と少しの食塩で命が救われるのに」と枯れ枝のようになった体を抱きしめる。「どうにかなる」と言う段階ではない。この時間、人のテントに潜り込み、食料を盗む人が増えてきた。見つけたら即処刑である。でも一向にその盗みは減らない。命がどんどん消えていく・
2007年11月01日
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