~弾丸ツーリングREPORT~
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そろそろ冬眠から脱出せねば。とは言え、まだ、まだ肌寒い日が続きます。ちょっと、近場を回ってみました。お隣の赤磐市を回ります。赤磐市名物「桃のタンク」近くに見えるけど、道が分からん。到着!結構でかいね。岡山ガスのガスタンクだったんだね。次は足神社。ガスタンクからすぐ。サッカーで足首がダメになっているので、足首すりすりしておきました。両足とも、スリスリ。特にダメダメな左足は、しっかりスリスリしておきました。本日のメインの「金勢大明神」へ向かいます。途中、山の中に、巨大な変電所発見。あまりの巨大さにびっくり。この巨大さが伝わらんな・・・。金星大明神到着。割とちゃんとしてる?いや、してない。のっけからこれか・・・。鳥居がな・・・。赤磐市教育委員会、手書きかよ(笑)やっぱりこうなるわな。金勢大明神(こんせいだいみょうじん)は、知る人ぞ知るご神体が男根の神社です。子孫繁栄・性器にまつわる病気・夜尿症どに御利益があるとして多くの人が参詣しています。境内のいたる所に男根の形をした物が驚くほどたくさんあります。かつて未婚の男女が春秋二季に集まって宴を行った歌壇の場所といわれる所の近くに社を建てて性神を祭ったといわれていますが、詳しい来歴は分かっていません。男根のオブジェクトを作って奉納すると良いとされ、境内にはたくさん奉納されています。って境内の中もこれでもか・・・。これは誰が奉納していくのかね?拝殿内をのぞいてみましたが、やっぱりか・・・。春の大祭のお知らせチラシが置いてありました。昨年の大祭の写真も置いてありましたが、結構たくさんの参拝客が集まっている様です。帰途に就きます。帰り道に気になる看板発見石の掛樋と田原用水を小野田川を越えて渡すために設けられた水路橋で、江戸時代につくられました。 小野田川の改修時に解体され、現在の場所に移築復元されています。当時は、田原用水が小野田川の上をとおっていましたが、現在は、田原用水が小野田川の下をサイホン構造で通過しています。当時の高度な石工技術が認められます。そこで活躍したのが碑にも記されている石工、河内屋治兵衛です。河内屋治兵衛は1666年、津田永忠が光政公に和意谷墓所の造営を仰せつかった際に大坂から呼び寄せた石塔石工です。河内屋治兵衛と津田永忠のコンビは、岡山藩の土木工事でよく名前を聞きます。コンクリートの無い時代の土木工事には、名石工の技が必要不可欠だったんでしょうね。津田永忠の土木技術による岡山への寄与って「凄い」で済まされるもんじゃないんです。津田永忠のゆかりのものを巡ってツーリングするのも面白そうですね。岡山への帰路の途中のため池に、何か浮いてます。ソーラーパネルですね。こりゃ凄い。要塞みたいです。小さいソーラーパネルがパズルのように幾何学的に組み合わさってます。ちょっと時間が取れたので、思い付きで出てみましたが、途中から雨がぱらつきだしたので、次回への宿題が残っちゃいました。次回で赤磐を征服しちゃいましょう(笑)
2018年02月25日