今月は少し遅くなって、今日が墓参。うらうらに晴れたる春の道をゆく。墓は生駒山系の山裾の高みにあるので、結構、坂を登らなくてはならないが、墓まで来ると大阪平野が一望である。
線香の煙が風に流れてゆく。瞑目して祖父母、父、妹、娘と生前の彼らの面影を順に思い浮かべてゆく。亡き人のことを思い出すことが墓参りだと思っている。
「お墓の前で泣かないで下さい。そこに私は居ません。♪」 この歌に言われるまでもなく、亡き人達は墓に居るのではないのだ。僕らの思い出の中にこそ居るのだ。その面影を思い出の中から引き出してやるために、僕らは墓にやって来るのだ、と偐家持は考えている。
思
(しの)
ふれば いざよふ雲か 山の端に
直には逢はね 面影立ちぬ (偐家持)
(お墓から枚岡梅林への山裾の野道)
墓参のあと、枚岡梅林、枚岡神社へと野道を散歩。土筆はないかと道の辺の草むらに目をやるが、それらしきものはなかった。
(この古墳は、最近までは墳丘にクヌギなどの雑木が生い茂ってい
たのだが、今は丸坊主同然。)
(枚岡梅林の梅)
(手前が枚岡梅林で、この奥に枚岡神社本殿がある。)
(枚岡神社本殿)
(枚岡神社拝殿脇の梅)
(沈丁花)
甘過ぎる 春風となり 沈丁花 (筆蕪蕉)
(馬酔木)
わが背子に わが恋ふらくは 奥山の 馬酔木の花の 今盛りなり
(万葉集巻10-1903)
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