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お久しぶりです。この数日間、ちょいと仕事でバタバタしておりました。さて。先ほど「ニュース・ZERO」(日本テレビ系)を見ていた。レギュラー出演している長嶋一茂氏が、今日の特集「うつ病」を取り上げた際に自らの「うつ病(パニック障害)」の経験を語り、回避するためには「勇気をもって休むこと」とカメラ目線で力強く語っていた。そうかぁ。オヤジさんが偉大過ぎたがために、かかるプレッシャーは相当だったろう。精神的に疲れるのもわかる。いまネットで調べたら、パニック障害で、現役選手の頃にもバッターボックスに立てないことがあったそうだ。これまで、なんで報道番組に一茂氏が出ているのかわからなかったけど、今日はじめて氏の存在感を感じた。(フジTV系の「NEWS JAPAN」のミノワさんは、いまだに何のためにいるのかわからないけど)ま、わが家の場合。わが息子はオヤジに対して同種のプレッシャーは全くないだろ。そういう意味で、わが家は精神的には安泰だで、長嶋一茂氏。立教高(現・立教新座高)-立教大。(プロ入団以降は省略)83年夏。高校3年のとき、埼玉県大会準決勝まで勝ち進むが、その大会で優勝した所沢商高に敗れ、甲子園出場の夢を絶たれた。そして大学時代。立教大4年のときは主将、かつ4番打者をつとめた。また、春と秋のシーズンに、東京6大学のベストナインも獲得。父・茂雄氏の8本塁打を抜く11本塁打を神宮で放った。ボクは一茂氏の立教時代の姿を、神宮で見たことがある。三塁を守っている姿は、いかにも身体が固そうに見えた。特にヒザが固そうで、常に腰が高い姿勢だったように記憶している。長嶋一茂氏といえば、思い出すのは高校・大学時代を一年遅れで氏とともに過ごし、日本ハムに入団した矢作公一氏(浦和リトル-立教高-立教大)。中田亮二(明徳義塾大-亜細亜大)に似ているというか、元・近鉄の佐野重樹投手(松山商高-近畿大工学部)に似ているというか。矢作氏、いまは埼玉で「お好み焼きレストラン」を経営しているそうだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.28
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今日付けの朝日新聞スポーツ面、こんな見出しが出ていた。いうまでもなく、01年のパリーグ優勝時に、2人合わせて101本塁打・263打点をたたき出した近鉄「いてまえ打線」の中村紀洋とタフィ・ローズのこと。ただいま2人とも初心に戻り、野球を続けるために「テスト生」として真摯にチャレンジをしている。中村紀洋(中日テスト生)。今日の紅白戦の出場し、3打数無安打。育成枠内に入れるか否かの判断は落合博満監督に一任され、25日に合否が発表される。落合さんに一任されたということは、とりあえず「育成枠」は合格なんだろう。そして6月末までには「支配下選手」登録することも、すでに視野にあるのだろうか。先日の練習でノックを受け、フラフラになった中村。容赦なく、落合さんの叱咤の声が向けられた。「近鉄やオリックスの頃は、どうせラクをして厳しい練習なんかしなかったんだろ!」。なんだか近鉄をバカにされているようでイヤ。でも、こと中村に関しては「ま、そんなもんだろ」と、納得してしまう自分に気づいた。タフィ・ローズ(オリックス・テスト生)。ここ3日間の紅白戦、ローズの打撃は絶好調。今日は左翼スタンドに本塁打も放った。「チャンスをもらえたことに感謝している」とはローズのコメント。近鉄時代、というより読売移籍後の荒れていたローズのイメージは払拭され、まさに「初心に戻った」感がある。育成選手枠で思い出した。現在、読売の育成選手・松本哲也(背番号は105)が紅白戦で大活躍らしい。「走攻守」の三拍子揃った選手であり、原監督や伊原コーチは「支配下選手」に格上げすることを決めたようだ。もし正式決定すると、読売では最初のケースとなる。松本哲也。山梨学院大付高-専修大。昨秋の育成ドラフト、3巡目で読売から指名された。高校時代、’00年の夏に1年生ながら甲子園出場を果たした。だが、1回戦で青野毅投手(現ロッテ)を擁する鹿児島・樟南高に1-4で敗れた。そして、大学時代。専修大では主将をつとめ、昨秋の東都リーグでは、長野久義のいる日本大と入替戦を戦い、9季ぶりの1部復帰を決めている。大物選手がFAで集い、「生え抜き」が育ちにくいといわれる読売。松本の場合、ただの生え抜きではない。育成枠というハンディを背負ってスタートし、今後一軍のレギュラーに定着するようなことがあれば、ぼくにとってはメチャメチャ愉快なことだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.23
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この21日、26歳の誕生日を迎えたソフトバンク・和田毅。紅白戦に登板、松田宣浩(中京高-亜細亜大)にホームランを許したものの2回で5三振を奪う力投。下半身主導で投げる理想のフォームを目指し、このキャンプでは股関節の運動やランニングなどで下半身を鍛えてきた。その効果もあって、ブルペンで多くの球数を投げても肩や肘が疲れにくいと手ごたえを感じているよう。 (ソフトバンク・キャンプ・リポート)和田毅。浜田高-早稲田大-ホークス。「球の出どころが打者から見えずらい」投手。でも、それは意図してやったことではない。子供の頃から無意識のうちにヒジから先が遅れて出てくる投げかたをしていた。まわりの人に指摘され、打者から見ずらいフォームであることに初めて気づいた。さらに、大学時代。背の低さをカバーするために、ポーンと跳ねるようにステップ。それが打者に、より近い位置でボールを離す「球持ちの長さ」につながった。いまや『松坂世代』の代表格となった和田。だが高校時代、間近かで松坂大輔を見て「バケモノだ!」と思った。それは98年夏の甲子園。準々決勝の第1試合。松坂のいる横浜高と、田中一徳(元・横浜)がいたPL学園高が延長17回の死闘を繰り広げた同じ日。第3試合に、和田の浜田高と古木克明(現・横浜)のいる豊田大谷高との対戦カードが組まれていた。延長に入り、なかなか終わらない第1試合を、和田は球場通路から観戦していた。ゲームは延長15回、松坂の投球数は200球を超えていた。しかし、いざマウンドに立つといきなり143kmの速球を放った松坂。それを見て和田が呟いたのが先の言葉。「バケモノだ...」。当時の和田、時を経て『松坂世代』の代表格になるなんて思いもしなかった。球速は130km前後、スピードという点では「どこにでもいる投手のひとりに過ぎなかった。でも、ボールの出てくるところが見えずらいため、なぜか打者を抑えてしまう不思議な投手だった。そして早稲田大時代。球威を増すためにフォームを改造。そして走りこみやトレーニングを積むことで、大学1年の秋季リーグでは、いきなり141kmを計測するまでになった。結果、江川卓氏のもつ持つ奪三振記録(東京6大学)443個を更新。476個の記録を打ちたてた。 (参考:『松坂世代』矢崎良一著・河出書房新社刊)いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.22
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-最速148キロで2回無失点 増渕、上々の実戦初登板- ボクの地元・埼玉が生んだ「大器」、増渕竜義投手(鷲宮高)。韓国プロ野球のSKとの練習試合で登板。最速148kmの速球で、2回を2安打無失点に抑え、その才能の片りんをのぞかせた。 (Sports Navi) 昨日の日刊ゲンダイでも、増渕のことが記事になっていた。ブルペンで投球する増渕を見て、ヤクルト・古田敦也監督(川西明峰高-立命館大-トヨタ自動車)や八重樫幸雄コーチ(仙台商高)は、「さすがだ、器が違う!」とクチを揃えていたという。あわせて、評論家の山崎裕之氏(埼玉・上尾高-ロッテ-西武)のコメントも併記されていた。「昨夏の埼玉県大会で増渕を見た。当時は下半身が安定せず、上半身のチカラだけで投げていた。でもこのキャンプで見た増渕は身体が絞られており、安定している」。増渕竜義。なんてったって、武器はスリークオーターから右打者の外角へ投げる140キロ台後半の直球。そしてスライダーとフォーク。昨秋の高校生ドラフト、1巡目でヤクルトから指名を受けた。鷲宮高の先輩に楽天・西谷尚徳(明治大)がいる。※西谷のブログ「ひとりでできるもん!」はこちら。わけのわからないタイトルだけど、競争の激しい明治大にあって、1年生時から二塁手のポジションを奪取していたように記憶する。増渕の高校時代。といっても昨年のことだが。春は埼玉県大会で優勝。甲子園に夢をつないだかに見えたが、夏は県大会決勝で敗れ、もう一歩のところで甲子園を逃している。ボクはこの一年、増渕の投げるゲームを数多く観戦した。忘れられない出来事だったのは、たしか春の県大会のある試合。この日、なかなか制球が定まらない増渕。そんな自分自身にイライラしたのか、マウンドに仁王立ちしたまま、突然に「行くぞぉーっ」と吠え、気合いを入れ直していたこと。なかなか高校野球で見られないシーン。プロ野球のスカウトたちの多くがネット裏に陣取る中で、だれにも遠慮のない堂々とした姿勢に、彼の「大器」ぶりを感じることができた。県内で一緒に切磋琢磨したのは、埼玉栄高エースだった木村文和。同じく昨秋のドラフトで、増渕のハズレ1位で西武に入団した。だが昨夏、甲子園のマウンドに立てたのは、この木村でもなく、浦和学院高の2年生だった赤坂和幸。県予選ではエースナンバーをつけていたわけではなかったが、今年のドラフト候補の一人として挙げられる選手になっている。たぶん今年の埼玉高校野球、この赤坂を中心に回っていくのだろう。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.21
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どうやら今年のシーズン終了をもって、プロ野球界から「バファローズ」という名は消えるらしい。30年以上にわたり「近鉄バファローズ」のファンだった。勝手なことを言わせてもらえれば、ボクのこれまでの半生の大半はバファローズとともにあった。でも、何の感慨もない。感傷的になる気もサラサラない。すでに近鉄という球団が消滅し、他の球団が事情によりバファローズを仮称としてつけていただけなのだから、当然なことかもしれない。簡単に「ボクとバファローズ」を振り返る。■小学生低学年のころ■岩手生まれの岩手育ちのボクが突然、バファローズファンになった。理由は他愛もないこと(ここでは省略)。以降、ラジオで大阪の放送局が発信する「バファローズナイター」を、岩手で聞いていた。実況アナの声より「ザッー」というノイズの音のほうが大きかった。試合内容が断片的にしかわからなかった。でもラジオを聴き続けた。当時の近鉄にはすごい選手が結構いた。でも勝てなかった。次第に勝てないことで落ち着ける自分がいた。天邪鬼な性格はこの頃に芽生えたのかもしれない。永淵、土井(正博)、伊勢、安井、清、神部、佐々木(宏)などがいた。■中学生・高校生のころ■いきなり、阪急の監督だった西本幸雄氏が近鉄の監督に就任。弱かったバファローズが、阪急と優勝争いを何度か演じるようになる。「天王山。阪急-近鉄、西宮3連戦」なんてフレーズがよく新聞で飛び交うようになる。■浪人のころ■バファローズ、パを初制覇。マニエルおじさん、「弱冠二十歳」という称号を冠した山口哲治(智弁学園高)が活躍した。そして「江夏の21球」。スクイズを失敗した石渡にも腹が立ったが、その前に三振に倒れた佐々木恭介に怒りを覚えた。たしか、その年の首位打者。もっと何とかならなかったのかと。■大学生のころ■仲間と一緒に草野球チームを作った。名前は「金欠バッキャローズ」。ユニフォームの胸には「Buffaloes」と同じ字体で「Buccaloes」と入れた。チームはかなり弱かった。西本さんがシーズン終了とともに勇退すると聞き、「ラスマエ」のゲームを観るため、深夜急行に乗って、初めて大阪という土地(藤井寺)に行った。就職活動。近鉄のグループ会社の面接を受ける。「私は近鉄バファローズが好きです」というと、担当者は「私は嫌いです」と即座に切り返された。はぁ・・・撃沈!■1988年■伝説の「10.19」は、川崎球場3塁側のベンチ裏で、声を嗄らして2試合とも応援した。一年前まで、10年以上にわたり三塁コーチャーだった仰木彬氏が、この年いきなり監督になってスゴイことをやってしまい、ボクは一気に仰木さんのファンになった。■1991年■大阪支店に転勤になる。最初の営業先は「近鉄球団」。何を話したか、まるで憶えていない。名刺をもらえたことが、ただ嬉しかった。大阪支店は大阪ビジネスパーク(OBP)の中にあり、ボクの勤務先は15F。窓からは、森ノ宮にある日生球場の照明の灯りがはっきりと見えた。残業もそこそこに球場に足を運んだ。■2001年■北川の代打・逆転・サヨナラ・満塁・本塁打でリーグ優勝を決める。もしこのゲームで優勝が決まらない場合は、一日をおいて千葉マリンのロッテ戦で決定する可能性があった。ボクはそのチケット(ネット裏)をもっていたので、大阪で優勝が決まったことが嬉しくもあり、残念でもあった。■2004年■バファローズの身売りだ、合併だ、1リーグ制だ、そんな話題が席巻し、なにやら不穏な動きが出始める。どさくさにまぎれてホリエモンが登場。「救世主」として歓迎するムキもあったが、ボクは興味をもてなかった。決してホリエモンのその後を予見したとかじゃない。テレビのあるインタビューで「もし買収したら、誰を監督にしますか?」と聞かれ、「うーん、原さんかな」と応えたその一言で、このヒトは野球を知らないし、興味もないんだなと思った。ま、そんなこんなで近鉄は消滅した。そして同じとき、ボクは必死で「バファローズ」という名も記憶から消滅させようとしはじめた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.20
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楽天・期待のルーキー田中将大(駒大苫小牧高)が今日も登板、2本の本塁打を浴びた。次回は25日のロッテ戦に登板予定。(SPORTS NAVI)ま、どうってことないでしょ。今のうちにどんどん打たれたらいい。打たれてわかることもあるわけだから。そして、田中将大から本塁打を打った打者がエライ。今年の楽天、打者に期待がもてる!と思うことにしよう。えーと、本塁打を打ったのはリックと~~~、そして、中谷仁(なかたに じん)。智弁和歌山高-阪神-楽天。05年のオフ、阪神から楽天に金銭トレードでやってきた。高校時代の中谷、他のメンバーとともに智弁和歌山の黄金時代を築いた。甲子園には96年センバツ、夏、97年夏の計3回いずれも捕手として出場している。■96年センバツ。決勝に進出したが鹿児島実高に敗れ準優勝。■96年夏。初戦で水戸短大付高に敗退。■97年夏。決勝で川口知哉(元オリックス)を擁する平安高を破り優勝した。-----------------------------※余談だけどこの大会、川口を見に甲子園に行った。たまたま相手は藤川球児(阪神)のいた高知商高。当時の川口の人気は凄まじく、試合開始前に彼がグラウンドに現れただけで、甲子園は「ウオォーッ!!!」と地鳴りがした。-----------------------------さて、中谷がいた頃の智弁和歌山。同じ学年に喜多隆志(慶応義塾大-ロッテ)や高塚信幸(元近鉄)らがおり、一学年上には広島に希望枠で入団したばかりの宮崎充登(ホンダ)がいた。そして中谷、97年にドラ1で阪神に入団(2位は井川慶)したものの実績を作れず、いま楽天で正捕手を目指している。楽天の捕手といえば藤井彰人(近大付高-近畿大)や入団したばかりの嶋基宏(中京大中京高-國学院大)らがおり、決してラクな競争ではないが、打撃をアピールできればひょっとして...?今年は正念場なのかもしれない。------------------------------で、また別な話。「中谷仁」と書いていて、一文字違いの「中根仁」を思い出した。東北高-法政大-近鉄-横浜。法政大時代に本塁打を放ったものの前にいた走者を追い越して無効になってしまった有名なエピソードがある。調べてみたら、現在はシーレックス(横浜二軍)の打撃をコーチをやっているらしい。------------------------------いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.19
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先ほど何気なく見たテレビ番組。槇原寛己(愛知・大府高-読売)、そして今年揃って読売から横浜に移籍した工藤公康(愛工大名電高-西武-ホークス-読売)と仁志敏久(常総学院高-早稲田大-日本生命-読売)の3人が居酒屋で、野球談義に花を咲かせていた。番組の半ば過ぎ。槇原が2人に「横浜でオススメの選手は誰か?」と聞いた。工藤は、那須野巧(駒場学園高-日本大)を挙げ、192cmの身長をその理由にした。そして、仁志は吉村裕基(東福岡高)を。何よりも飛距離が魅力であり、性格が素直であることを理由に挙げた。那須野巧。その持っている資質を十分に開花させていない感のある那須野。大矢監督の就任時も、那須野への期待を語っていたっけ。ボクも、那須野の大学時代に神宮で見たことがある。ちょうど3塁側スタンド下の、立ち食いソバ屋横の階段付近。そのころ那須野はプロに自由枠で行くことは公然のことで、新聞記者たちのインタビューを受けていた。プロの選手でバリバリやるタイプには見えず、どちらかというと「気さくな、ヒトのいい、茫洋とした青年」に見えた。「プロで大丈夫だろうか?」なんて、ボクは勝手に心配をしたものだ。吉村裕基。プロ入り3年目。昨年は3割超の打率を残し、26本の本塁打を放った。仁志の言うとおり、今年はより一層の飛躍の年になるかもしれない。正直言ってこの吉村についてもあまりよく知らないが、東福岡高出身というのが気になった。東福岡といえば、同じ横浜に村田修一(東福岡高-日本大)がいる。吉村と同様に飛距離に魅力のある選手だ。そして田中賢介(東福岡高-日本ハム)もいる。東福岡という高校、最近強力なスラッガーをどんどん輩出している。昨年、日ハムが優勝した功労者の一人に田中賢介を挙げる人も多い。二番打者として、チーム事情を優先した打撃を見せたけれど、本来この選手もクリーンアップを打つべき選手。さて、東福岡トリオ。今年はどんな活躍を見せてくれるだろう。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.18
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試合終了後、トヨタ・朽木英次監督は「意地の勝利」であることを強調した。(日本選手権 準決勝)■トヨタ 39-17 サントリー■その意地を向ける先は、サントリーの清宮克幸監督であり、佐々木隆道選手。昨年、この選手権でトヨタは早稲田大にまさかにの敗戦を喫した。早稲田の中核にいたのが、この2人だった。当時、なぜトップリーグのチームが、学生チームに負けるのか? と話題になった。トヨタの首脳陣の心痛は相当なものだったろう。敗戦が契機となって、朽木さんは監督を辞することを決意。チーム事情により1年間契約を延長したが、今季限りでの辞退が決まっている。その意味で、今日はぜひ勝ちたかったろう。次の決勝は、東芝との対戦となる。東芝の薫田監督も今季限りでの勇退を決めている。勝っても負けても、両監督にとっては最後の試合となる。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.18
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中村紀洋をキッカケに、いま話題になっている「育成選手」。ビールを飲みながら、何気なく育成選手の名前を見ていた。そして目に付いた選手がいた。強豪・智弁学園高出身の選手がいる。中村真人(なかむら まさと)。昨ドラフトで育成選手枠の2巡目で楽天から指名され、支配下選手いや一軍登録を目指しアピールを続ける選手。高校卒業後は近畿大-シダックス。野村克也監督のシダックス時代の秘蔵っ子でもあるようだ。この中村、調べてみると98年夏と99年の計2回、甲子園に出場している「松坂世代」に属する選手。厳密に言うと、ひとつ年下の世代。98年、夏の甲子園。言うまでもなく松坂大輔が優勝投手となった大会。中村はまだ2年生だったが、背番号「9」をつけ出場。1回戦は北北海道・滝川西高に6-2で勝利するものの、2回戦で桜美林高に3-4で敗戦。中村自身の成績は2試合出場、7打数3安打、打点1。そして99年の夏、同様に背番号「9」をつけて出場。1回戦は県岐阜商高を9-2で破ったが、2回戦で由田慎太郎(早稲田大-オリックス)を擁する桐蔭学園高に5-9で敗れた。この大会には、楽天でチームメイトの一場靖弘(2年。桐生一高-明治大)や大廣翔治(2年。桐生一高-東洋大)。また、鳥谷敬(聖望学園高-早稲田大-阪神)や田中賢介(東福岡高-日本ハム)らがいた。さて、去る2月6日。中村真人、シート打撃で今年のチーム第1号となる本塁打を放ち、支配過選手登録を猛烈にアピールした(報知)。「育成選手枠」という逆境から這い上がるサクセス・ストーリー。ぜひ見てみたい。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.17
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星野監督もうならせる楽天・田中将大(スポーツナビ)JAPAN監督の星野仙一氏、楽天のキャンプ地・久米島を訪れた。そしてルーキー・田中将大投手(駒大苫小牧高)のいるブルペンに足を運んだ。田中の投球を視察後、開口一番にこう言った。「荒々しい、若さいっぱいの投手だ」---------------------------たしか昨日だったかな?田中がインタビューを受けていた。これまで一番の快心の投球をしたのはいつかを聞かれ、「高校2年の時の神宮大会が最高によかった」と応えていた。05年の明治神宮大会。ボクもケーブルテレビで駒大苫小牧-早稲田実戦を見たことがある。この時、早実の投手は斎藤佑樹、駒大は二番手で田中が登板した。田中の投球は圧巻だった。いきなり5者連続三振を奪うなど、ストレートも変化球もビシビシ決まっていた。星野さんが言ったとおり、その時の田中はかなり強引な放り方で「荒々しい、若さいっぱいの投手」だった。それに比べると、昨夏の甲子園や今キャンプの田中のフォーム、だいぶ大人になったような気がする。それが良いことかどうかは、わからないけれど。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.16
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中村紀洋の退団騒動、前川勝彦の逮捕事件。そして、引退からすでに1年を経過したタフィ・ローズの入団テストでチーム内に内紛の発生。このところのオリックス、まるでいいことがない。近鉄ファンだったボクとしても、騒動の元凶にいる3人がすべて元近鉄の選手だったことに心境はちょいと複雑である。夕刊フジによると、チームの選手たちは、球団の清原和博への特別扱いだけでも辟易しているのに、今度はローズ。この2人の組み合わせ、想像するだけで「球団は何を考えているんだ?」とボヤいているようだ。それに追い討ちをかけるように、チーム内の「オリックス」「旧近鉄」「外様」の3派の内紛。所詮、寄せ集め所帯だからなんて言葉で片付けられる話ではない。中村ノリ、清原、そしてローズなど、名前と過去の実績にとらわれた補強を繰り返す体質にこそ問題があるかもしれない。そして、もうひとつ。チームの「和」という観点からすると、「両刃の剣」的な存在を敢えて招き入れることも拍車をかけている。オーナーの思い入れの強い「1リーグ制」。その夢が叶わないのであれば、どうせ野球=宣伝。知名度の高い選手をかき集めて球団価値を上げることで、あとは得意のリース(≒身売り)にしちゃいましょ。なんては考えていないよね。最近、迷走気味のオリックス。起きる問題が偶然なのか必然なのかをつかみかね、つい変な想像をしてしまう。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.15
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ヤクルト、昨日の紅白戦。宮出隆自(宇和島東高)は、あらたに取り組んでいる三塁手の守備で活躍。身長190cmと大柄ながら、ホットコーナーへの難しい打球への守備機会を、機敏に処理したらしい。昨年、右翼手のポジションを奪取。今年は「ポスト岩村明憲」として、古田敦也監督から正三塁手を期待されている。ゆえに古田、宮出の守備面での成長を喜んでいるのだが、実は古田以上に喜んでいる人が他にいる。それは宮本慎也(PL学園高-同志社大-プリンスホテル)。このキャンプ、宮出の守備をマン・トゥ・マンで熱血指導しているのは宮本。三遊間を組む先輩としてはもちろんだが、「ポスト古田」の宮本、次期政権を固める上でも宮出の成長は必須条件なのだという。 (日刊ゲンダイ) -----------------------------ちょいと長い引用になってしまった。ボクはセ・リーグのゲームをあまり見たことがない。そのため、宮出隆自(みやで りゅうじ)という名前を聞いても、あまりピンとこない。彼のことを調べてみた。ボクにとっては、初めて知ることが多かった。■ヤクルトに入団後、6年間は投手だったこと。■カツノリ(明治大)とヤクルトへの同期入団であり、決して 若い選手ではないこと。■「ポスト岩村」と呼ばれているが、岩村明憲と同じ宇和島東高 出身であること。■そして高校時代は、その岩村とバッテリーを組んだこともある こと(宮出が一学年上)。高校時代、甲子園には94年春と夏の2回出場している。だが、本来は投手だったものの2年生でもあったため、ポジションは一塁手だった。94年の春、準々決勝までコマを進めるが延長の末、智弁和歌山高に敗れている。1回戦では東北高に大勝したが、その東北高にはエースで4番の嶋重宣(広島)がいた。そして、「ポスト古田」の宮本慎也。PL学園高出身。87年の夏、2年生の時に1度だけ甲子園に出場し優勝している。一学年上には立浪和義(中日)や片岡篤史(阪神)らがおり、決勝で対戦したのは仁志敏久のいる常総学院高だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.14
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横浜の正二塁手争いが熾烈を極めているそうだ。しかも相当に高いレベルでの競争らしい。日刊スポーツがそのニュースを伝えている。正二塁手を目指して戦っているのは、元々横浜にいる種田仁(上宮高-中日-横浜)と、今年読売から移籍したばかりの仁志敏久(常総学院高-早稲田大-日本生命-読売-横浜)の2人。年齢も同じ35歳とあって、イヤでもライバル心がメラメラと燃え上がっているかもしれない。周囲の声によると、「ポジションどりなど魅せる守備」の仁志。対して「粘り強さで負けていない」種田。どちらも譲らず、甲乙つけがたいのが現状のようだ。仁志敏久の名前を聞いて思い出したことがある。たしか正月に発行された日刊ゲンダイだったと思う。新春のインタビューに、仁志が応えていた。テーマは、たしか「自分自身の生きかた」だったか。--------------------------いわく、ここ数年、ゲームに出場する機会がめっきり減って自分を見失いがちになっていた。どうしても目の前のことだけを見つめると、悲観的な考えになってしまう。そこで発想を変えることにした。1年後の目標と、長期的な目標の2つを自分に課すことにした。複眼的に自分を見つめなおすことで、心に余裕が持て、冷静になることができた。少なくともクビになったらどうしよう? という不安から心が開放された。-------------------------仁志にとって「1年後の目標」はゲームへの出場機会を増やすこと。その実現のため、移籍を直訴する勇気をもてた。そして「長期的な目標」は少年たちに野球の楽しさを伝える仕事をすることだという。さて、種田と仁志に話を戻す。同年齢で、しかも甲子園常連校で育った2人。甲子園でも対決していたろうか?そう思い、さっそく調べてみた。だが残念ながら、2人とも3度ずつ甲子園に出場していながら、いつもすれ違いで全く対戦したことがないようだ。上宮高・種田仁。チームメイトに元木大介(元読売)■88年センバツ、1番・二塁手(2年)■89年センバツ、1番・三塁手(3年)■89年夏、1番・三塁手(3年)常総学院高・仁志敏久。チームメイトに島田直也(※)■87年夏、3番ほか・遊撃手(1年)■88年夏、1番・三塁手(2年)■89年夏、3番・遊撃手(3年)同じ大会に出たのは、89年の夏。仁志のいた常総学院高は、福岡大大濠高に初戦敗退。一方の上宮高は準々決勝まで進出したが、大越基投手を擁する仙台育英高に敗れた。※島田直也。日本ハム-横浜-ヤクルト-近鉄-日ハム・打撃投手。今年から、北信越BC・信濃グランセローズの投手コーチに。97年に「最優秀中継ぎ投手」を受賞した。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.13
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オリックス自由契約のノリが中日テストオリックスを自由契約になった中村紀洋内野手(33)が、中日の入団テストを受けることが12日、分かった。沖縄・北谷で春季キャンプを行っているチームに合流しテストを受ける。中日側は育成選手での獲得を検討している。 (日刊スポーツ ドットコム)中村ノリ、ついに中日との縁が見つかったか!?なんて思ったら、「育成選手」の可能性もあるらしい。先日、育成選手について書いた。再度記すと、こういう条件の選手のことをいう。■一軍の試合には出場できないが、二軍では可能■年俸の下限は年俸240万円(支配下選手は440万円)■背番号は3ケタ■6月末までなら育成登録から支配下登録への変更(昇格)可能 ほかプライドが相当に高い中村紀洋(渋谷高-近鉄-オリックス)のこと、3ケタの背番号に耐えられるのだろうか。それとも、6月末までには支配下選手登録をする合意でもあるのだろうか。ちなみに、現在の中日には5人の育成選手が在籍する。内、2人は日本人選手。背番号201の加藤光教、そして背番号202の竹下哲史。 --------------------------今日、動きがあったのは中村紀洋だけではない。同じく元近鉄のタフィ・ローズが来日し、オリックスの入団テストを受けるという。元・近鉄ファンとして、ボクの心境は複雑だ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.12
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昨秋のドラフト、オリックスに大・社ドラフト3巡目で指名され入団した大引啓次。さっそく今日の紅白戦、二番・遊撃手で出場。二塁打を放つ活躍もあったが、失策も1つ記録した。「大学時代と違って追いついたと思っても抜けてしまう。はやく慣れないと」とは本人の弁。大引啓次。身長178cm、体重78kg、右投右打、内野手。浪速高-法政大。浪速高時代。2年生の時、センバツで甲子園に出場している。1回戦で福井商高を7-6、2回戦で徳島・小松島を破ったが3回戦、この大会で大旋風を巻き起こした「21世紀枠」出場の宜野座高に2-4で敗れた。この大会の注目選手に、東北高・高井雄平(2年・ヤクルト)、関西創価高・野間口貴彦(3年・シダックス-読売)、真田裕貴(3年・姫路工高-読売)らがいた。そして法政大時代。1年春から神宮に出場、歴代4位の121安打を記録した。「難しいプレーを何気なくアウトにできる」堅実な守備をはじめ、玄人好みの走攻守そろった選手。プロでも十分に期待できる選手の一人なんだろう。でも、オリックスに入団したことが吉なのか凶なのか?そもそも阪神やロッテが狙っていたはずなのに、なぜかオリックスが指名をした。このオリックス、大引に似たタイプのニ遊間の選手が多い。水口栄二(松山商高-早稲田大-近鉄)、阿部真宏(横浜高-法政大-近鉄)、平野恵一(桐蔭学園高-東海大)、塩崎真(熊本工-新日鉄広畑)、後藤光尊(秋田高-川崎製鉄千葉)、森山周(報徳学園高-大阪産業大-ヤマハ)らがいる。オリックスという球団、大引のライバルが多い。そもそもオリックスに入団したことが失敗だった、などと言われることのないよう祈りたい。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.11
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今日で、今季・大学チームのラグビーは終わった。日本選手権2回戦、関東学院大(大学選手権優勝)が14-53のスコアで、トップリーグ3位のヤマハに敗れた。前半は関東学院ペース。素晴らしい攻撃で、続けざまに2トライを奪う。ひょっとしたら...昨年の早稲田vsトヨタの好ゲームを思い出した。ぜひ、あの再現を期待したのだけど。前半終了間際に2トライを返したヤマハ。風上に立った後半は、「シンプルなミスを修正」(ヤマハ・堀川隆延監督)し立て続けにトライを決め、結局は53点を奪っての圧勝。トップリーグに何の恨みもないが、関東学院に勝って欲しかった。でも春口廣監督、ゲーム終了後は満面の笑み。少しは救われた気分になった。気になったのはヤマハのCTB・今利貞政(天理高-日本大)。初めて見たがいい選手だ。身長165cmと小柄だが「当たりに強い」。タックルされてもなかなか倒れない。このゲームでは2トライを決めた。-----------------------今年はW杯の年。でも、まったく盛り上がりがない。もうちょい、話題づくりとか何か方法がないもんだろうか。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.11
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早稲田大に進学予定の斎藤佑樹(早実)。インフルエンザで発熱したという記事が、軒並みスポーツ新聞の一面を飾っている。両親までが駆けつけたというから、さすが大物である。ふつう学生が風邪で寝込んでも、田舎から両親が上京するなんてことはない(はずだ)し。少なくとも、遠い昔ボクらの頃はそうだった。さて本題。「たかだか(失礼!)風邪で、スポーツ新聞の一面に登場できる人」って、誰だろうか。野球界でいうと、王さんと清原和博ぐらいか。そして今だったら中村紀洋。悲壮感たっぷりな記事になるかもしれない。政治の世界では首相の安倍晋三。いや、彼では一面はムリかも知れぬ。微妙発言の柳沢伯夫大臣だったら、多分の皮肉を込めて一面もあり得る。そのほかでは、チリ人妻アニータ・アルバラード。青森の焼肉店でたらふく食べて、山形に向かう途中に「発熱ダウン」だったら面白い。一面候補になる。とまれ、斎藤佑樹。新しい環境で練習を開始して、ちょうど疲れがピークの時期に違いない。まして、多くのマスコミやファンの監視のもとでは、ダウンしないほうがおかしい。まだまだ実践練習前のダウンだったのが不幸中の幸い。こうなってくると、早稲田に他に投手がいないのか?いつもながら、そう思ってしまう。宮本賢(関西高、日本ハム)や大谷智久(報徳学園高、トヨタ)らが卒業しても、まだまだいい投手がいるだろう。まずは、須田幸太(新3年・土浦湖北高)や大前佑輔(新2年・社高)などに期待しよっか。新4年生には、いい投手だれかいなかったかな?いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.11
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「マーくん」こと田中将大(駒大苫小牧高)が、常に注目を集める楽天のキャンプ。そんな中にあって、もっとアピールすべき選手もいる。今日、紅白戦に先発登板した朝井秀樹もその一人。結果は2回を投げて8失点。まだまだ始まったばかりだから、結果に一喜一憂していても仕方がない。今季は朝井にとって5シーズン目。開幕時にはベストな状態にもっていってほしい。通算成績登板試合数29、4勝10敗 防御率5.01この成績、朝井の持っている潜在能力から言えば「まだまだ」の数字だ。朝井秀樹。177cm、82kg、右投右打。PL学園高-近鉄-楽天。01年にドラフト1巡目で近鉄に入団した。確か、朝井のお祖父さんが昔からの近鉄ファンだった。だから、朝井もドラフトの時「近鉄への入団は嬉しい」と言っていた。それまで近鉄に指名を受けて「嬉しい」と応える選手があまり多くなかったので、朝井の笑顔を見てボクも嬉しくなったものだ。00年夏、高校2年の時に背番号「10」をつけて甲子園に出場。すべてのゲームに先発した。2回戦で明徳義塾高に9-4で勝利したものの、3回戦で智弁和歌山高に7-11で敗れた。3年生のときは不祥事が起き、府大会への出場を辞退している。チームメイトには今江敏晃(ロッテ)がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.10
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正田耕三。いつの間にか、気がついたら阪神の打撃コーチになっていた。ボクの記憶からは近鉄のコーチだった時点を最後に、彼のことは消えていた。その正田、今季から同じ打撃コーチに就任した広沢克実(小山高-明治大)をいじめているという。そう、日刊ゲンダイが伝えている。正田は岡田彰布監督(北陽高-早稲田大)とベッタリ。些細なことでも監督に報告し、岡田さんも可愛がっているらしい。このキャンプでは、主要選手へのコーチは自分が行い、広沢にはせいぜい投手陣のバントを押し付けている。普通、この2人を比較すればバントの指導は正田だろう。広沢は長距離打者だったし。ところが、投手にバントを教えることをバカバカしく感じた(?)正田、事前に岡田さんに根回しをして、それを広沢にやらせた。また、こんなこともあった。飲み屋でコーチ陣が揃って酒宴を開いたときのこと。皆、岡田監督への悪口で盛り上がった。もちろん正田も例外ではなく、悪口を言い放った。ところが翌日。正田は岡田監督を訪ね、昨晩のコーチたちの陰口をそのままに伝えた。そして自分だけは悪口を言っていないということも。あとになって正田の告げ口が他のコーチたちにバレ総スカンを喰った。いやはや...正田耕三。和歌山商高-新日鉄広畑-広島-近鉄-阪神。幼い頃から、大がつくほどの「阪神ファン」。高校時代は一回戦で、優勝候補の箕島高と当たってしまい、0-1で敗戦。あっという間に「夏が終わった」。結局、そのまま箕島高が和歌山県大会を制して甲子園に出場。この大会の注目選手には、市立銚子高の銚子利夫や上尾高の仁村徹などがいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.09
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今季より読売に移籍した小笠原道大。さっそく、自身のニックネームをなぞった「チームガッツ」を結成したようだ。メンバーは元日ハムであり、現在は読売の選手の古城茂幸(中央学院高-国士舘大-日本ハム-読売)、実松一成(佐賀学園高-日本ハム-読売)、木村拓也(宮崎南高-日本ハム-広島-読売)の3人。 (サンケイスポーツ)でも、「チームガッツ」。元祖は別にあった。そのことを日刊ゲンダイが報じている。小笠原を徹底的にサポートし、小笠原自身が心底信じきれるスタッフが日ハムにいたのだという。トレーナーであり、打撃投手であり...。その面々が元祖「チームガッツ」。それは誰なんだろう?スタッフの名前を知りたくて調べてみたけど、結局わからなかった小笠原が読売に移籍する直前、多くの新聞は「中日に移籍するようだ」と書いていた。それは落合博満監督との師弟関係が強力だったから。恒例により「札束攻勢」の読売へ対抗のため一計を案じた落合氏、結局は敗れたが、日ハムの「チームガッツ」スタッフたち全員を中日に受け入れることさえも考えたという。小笠原が読売を選択した理由は金銭面だとか、子供の教育問題を心配する奥さんの意向だとか、いろんな報道があった。真偽はどうでもいいけど、今後は元祖「チームガッツ」を恋しくなることはないのだろうか。他人事ながら、ちょいと気になる。小笠原道大。高校は千葉・暁星国際高。高校2年の時、夏の千葉大会決勝に進出したが、勝利し優勝したのは成田高。成田が甲子園に進出した。この甲子園大会。成田高は2回戦で、この大会で優勝する天理高に2-3で敗れるが、後にスターとなる選手が多く出場した大会だった。イチロー(愛工大名電高・2年)、松井秀喜(星稜高・1年)、中村紀洋(渋谷高・2年)、北川博敏(大宮東高・3年)etc...当時話題をさらっていたのは、優勝した天理高・南竜次(元・日本ハム)、育英高・戎信行(元・ヤクルト)らだった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.08
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佐藤翔、身長190cm、体重98kg。慶応義塾大、不動の4番であり、昨秋行なわれた「東京六大学選抜vsヤクルト」では堂々、六大学選抜の4番に座った。ちょいと気が早いが、今年のドラフト候補として注目されている選手だ。秋田県生まれ。両親はバレーボールの選手だったし、叔父さんは名門・秋田工高ラグビー部の監督というスポーツ一家。これだけの血統と体躯があれば、バレーボールのエースとしても、ラグビーのロックとしても一流の選手になれたかもしれない。高校は県内No.1の進学校・秋田高。テレビのコーナー「拝啓、石井浩郎です」で知名度が広がった石井も同校のOB。佐藤は、その石井の背中を追い野球を続けた。石井の背中とは、例えば「ボールをだれより遠くに飛ばすこと」。今年はリーグの本塁打記録と三冠王を狙う。(※佐藤翔選手のブログ、「慶應大野球部ブログ」にあります)。そして目標とされる石井浩郎。秋田高-早稲田大-プリンスホテル-近鉄-読売-ロッテ-横浜。近鉄時代、4番打者として362試合連続試合出場のプロ野球記録を樹立するなど、一時は近鉄には欠かせない選手の一人となっていた。近鉄ファンだったボクは、石井と野茂英雄が一緒に入団した時から嬉しかった。だがそれも束の間、肝炎で出遅れ石井は開幕に間に合わなかった。そもそも石井と近鉄の関係は、この最初の頃からギクシャクしていたように思う。最後、石井は近鉄と喧嘩別れすることになるのだけど、どうにもお互いにすれ違いがあったように思う。ま、詳しくはまた後日。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.04
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昨日の続き。読売のチーム内では、伊原春樹野手総合コーチを軸に不協和音が発生しそうな、不穏な空気が漂っているらしい。これ、日刊ゲンダイが報じた情報。わりとこの手の情報、日刊ゲンダイは的を射たケースが多い。だとすれば、伊原はきっとその人間性は変わらないわけだから、上司や部下の伊原への接し方が重要になる。ヘタをすればチームが空中分解しかねない。『困った上司、はた迷惑な部下』(矢幡洋著:PHP新書刊)を参考に「処世術プラン」を提案したい。(ま、お節介この上ないのだけれど...)まず伊原コーチのタイプ診断(ボクの予想)。「サディスト性格」。競争心の激しい怖いもの知らず。「他人にフレンドリーに接しよう」という気配りがまるでない。顔つきは険しく、威嚇的で、ぶっきらぼうでとっつきにくく見える。そして、タカ派的な勇ましい強硬意見をぶち上げる。■原辰徳監督、上司として伊原へのベスト対処法とにかく、すぐにイニシアチブをとろうとして発言し、権限もないのに仕切りたがるパワーファイターゆえ、原監督にはこんな対処法があるそうだ。(1)「力には力を」で押さえつける →この方法、原監督にはちょいと荷が重そうだ。 (2)「ファイティングスピリッツあるリーダー」として育てる →選手や他のコーチが納得しないかもしれない。 育つ前にチームが崩壊しかねない。(3)「島流しにして徹底的に遠ざける」 →たぶん、コレだ。いや、これしかない。 でも、だったらなぜコーチにしたんだという 「そもそも論」になってしまうのだけれど。原さん、どうです。役に立ちましたか? 全然立ちませんでしたねぇ。とんだお節介でございましたぁいつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.03
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「伊原? 読売のコーチになったけど、彼が引っ掻き回したらチームが崩壊すんじゃないの。彼は自信家なんてもんじゃない、自信過剰家だから」。楽天・野村克也監督、今季から読売・野手総合コーチに就任した伊原春樹をさしてこう言った。ノムさん、阪神の監督時代に伊原がコーチとして仕えた。だが、双方の意見が対立し、伊原さんが退団した経緯がある。読売ではすでに練習方法をめぐって、伊原と篠塚利夫コーチ(銚子商高)などとの対立が表面化している。まだキャンプ初日なのに、である。 (日刊ゲンダイより)この人には、ほかにも「対立」という言葉がつきまとう。西武のコーチ時代には東尾修監督(箕島高)との対立、そして自身がオリックス監督時代には選手たちとの対立。良くも悪くも、自己主張が強すぎる御仁ではあるようだ。伊原を表現する言葉は他にもある。「頭脳派」「武闘派」など。「頭脳派・伊原春樹」西武の有能な三塁コーチャーとして、その頭脳を最もアピールしたのは87年の日本シリーズ。対読売の6回戦。辻発彦(佐賀東高-日本通運)を一塁に置き、打者秋山幸二(八代高)が中前打を放つ。普通なら一・二塁か、せいぜい一・三塁になるところを、辻はまったく躊躇することなく一気に本塁を駆け抜けた。あまりに有名な話だけど、まさに「シンジラレナーイ」走塁だった。この走塁の裏にあったのは伊原の頭脳。読売・中堅手のクロマティが緩慢なプレーをすることを予想していたこと。そして中継に入る遊撃手の川相昌弘(岡山南高)は、常に右回りで振り返るクセがあることを熟知していた伊原、確信をもって辻を突入させたものだった。「武闘派・伊原春樹」清原和博(PL学園高)を殴り、カツノリ(堀越高-明治大)を足蹴りもした。目も前で、あからさまな走塁妨害をした相手チームの三塁手・元木大介(上宮高)にはヒザ蹴りを喰らわせたこともある。伊原春樹。広島・北川工高(現・府中東高)-芝浦工大-西鉄-太平洋-クラウン-西武-読売。コーチになってからも転々とする。西武-阪神-オリックス-読売。高校時代は広島商高・三村敏之(元広島)や福山電波工高(現近大福山高)・浅野啓司(元ヤクルト・読売)らと同期。甲子園を目指して広島県大会を一緒に戦った。ちなみに、同じ広島県内の一学年下には広島商高・山本和行(元阪神)や福山電波工高・村田兆治(元ロッテ)らがいた。そして大学時代の同期には、広島バッテリーコーチの道原裕幸(山口・桜ヶ丘高)がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.02
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明治大の大越遼介(2年)という投手を知っていますか?日大三高時代、甲子園に出場しチームをベスト8に導いた左腕といえば、思い出す方がいるかもしれません。--------------------------05年夏、不祥事で辞退した明徳義塾高に代わり、甲子園に出場した高知高と1回戦で対戦。14個の三振を奪う力投を見せた。この「14」という数字は、大阪桐蔭高の辻内崇伸(現・読売)の「19」に次ぐ歴代2位の記録でもある。さて、本題。この大越、早稲田実の斎藤佑樹とは因縁浅からぬ縁がある。その1。大越、斎藤佑樹(早稲田大進学予定)と高校時代に対戦。西東京大会の準決勝で大越自らも斉藤から本塁打を打ち、8-1で圧勝したことがある。大越が3年、斎藤が2年のときだった。※ちなみに翌年の西東京決勝でも同カードの対戦。大越は卒業していたが、斎藤の早実がサヨナラ勝ちして優勝。甲子園でも一気に頂点まで駆け上った。その2。そして、その勢いもあり甲子園に出場しベスト8になった。が、準々決勝で敗れたときに青いタオルで涙を拭ったことで、付けられたニックネームは「手ぬぐい小僧」。「ハンカチ王子」というネーミングとは随分な格差を感じるが、元祖・青いハンカチ(タオル)は大越だったようだ。お父さんはNHKワシントン特派員。東大の学生時代には野球部に所属してエース。通算8勝を挙げ、東大で初めて日米野球の代表選手に選ばれたこともある。ニックネームはちょいと格好悪いが、血統は一級品。そんな血統も手伝ってか、大越は人気で先行する斎藤に対抗心メラメラだとか。今後の早明戦、「手ぬぐい小僧」vs「ハンカチ王子」の対戦が見られれば、それはそれで面白い。(参考:夕刊フジ)いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.01
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夕刊フジより。人気低下が著しい読売。今年は桑田、工藤、仁志ら人気選手の放出、星野JAPANの始動。そして、甲子園に登場する中田翔や早稲田大に進学する斎藤佑樹と、同じ野球というスポーツの中だけでも、とても競争が激しくなっており、読売の陰が一層薄くなる気配だ。日本テレビでは、読売主催試合の地上波での中継予定を、昨年の63試合から40試合に削減する。でも、手をこまねいているだけではない。ちゃんと工夫も考えている。その工夫とは、「今年は本塁打を打った直後の選手などに対し、試合中インタビューをできないか? 検討しています」(日本テレビ関係者の話)----------------------???????????????野球ファンは、ホントにそんなことを望んでいるのだろうか。野球は球場でナマで観戦するのが一番。でも行けない人が見るのがテレビであって、テレビに求めるものは、「自分が球場のスタンドにいるかのような臨場感」少なくともボクはそうだ。そして、テレビ局だけではどうしようもないけど、「試合時間の短縮」。この2点が充実すればいいなぁ。試合中の選手のインタビューなんて、ただ白けるだけ。日テレさん、どうしてそんなバカな発想をするんだろ?もう一度聞きましょう。本当に野球が好きですか?いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.02.01
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