全26件 (26件中 1-26件目)
1
日本代表選手たち、そう嘆いているという。選手とは、北京五輪アジア予選に出場する星野JAPANの面々。そう日刊ゲンダイが報じている。なにせ練習以外は「外出禁止令」が星野仙一監督から発布されている。だから、ホテルでじっとしているしか術がない。あらかじめ、それを予想していた選手たちは、あらゆるものを持ち込んだ。阪神・藤川球児(高知商高)やロッテ・渡辺俊介(國學院大栃木高-國學院大)らはテレビゲームを。そして中日・森野将彦(東海大相模高)はDVD7枚を台湾に持参した。でも軟禁生活が長く続くとゲームには飽き、DVDはとっくに見終わってしまう・・・。---------------------------------------------------昔、広島(だったかな?)にいた外国人選手みたいに時間さえあれば、聖書を読んで過ごす敬虔さをもつ選手などいるわけがない。それは、フツーのサラリーマンだって同じだ。同じ社内の人間とはいえ、あまりよく知らない人どうしが、初めての台湾に連れて行かれ、仮に1週間缶詰になって研修したとする。研修時間は、ある程度集中しているからヒマではない。最初の一日二日は、懇親会と称する夜の飲み会もあって時間は潰せる。でも、それも3日もすれば飽きてくる。まして外出禁止令なら、息が詰まってしまい、途中から気分はどーだって良くなってくる(はずだ)。昨日、最終代表選手から漏れたことを告げられた渡辺俊介。すぐさまクルマを呼んで、台中市内の夜の街に消えたという。その気持ち、よーくわかる。--------------------------------------------------さて、明日(いや、今日)から北京五輪の出場をかけてアジア予選が始まる。暇をもてあまし気味だった選手たち、いったいどこまでやれるのか。ボクはそこにのみ興味がある。その勝敗などどうでもいい。付言すると、五輪にプロの選手がシャシャリ出るべきではないと、常々ボクは思っている。北京以降は五輪から野球という競技が消えるわけだし、できれば最後はアマチュアの選手たちに出場してほしかった。まして---。「金以外はいらない!」と語っていた星野さん。最初その記事を見たときに、ボクは「金」はメダルの意味だとわからなかった。事業欲旺盛な星野さんだから「金」=MONEYと読んでしまった。だから、そんなチームだから、ますます応援する気にはならないのだ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.30
コメント(5)
タレントのケーシー高峰さん、2年前に舌ガンを患った。なにせ「しゃべり」が商売ゆえ「舌」の手術は、商売道具を失う危険性も秘めており、心中穏やかではなかった。手術を直前に控えたある日、担当医は語りかけた。「芸人やめて、政治家になる予定は? あるなら、もう一枚舌をつけてあげますよ」落ち込んでいたケーシーさん、「先生、俺よりうまいな」といって、思わず笑い転げたという。 (朝日新聞)------------------------------------------------------ヤクルトから西武にFAで移籍した石井一久(東京学館浦安高)。日刊ゲンダイによると、西武のホームグラウンドであるグッドウイルドームを見学後に、こんな感想を語ったという。「チームが明るくていい」「屋根と観客席の間に隙間があって、空気が吹きこんでいい」「球場のまわりが緑に囲まれていい」???口ベタな石井にしては、目一杯の社交辞令だったのだろうが、「今年、裏金問題を引き起こした球団であり」「球場の隙間は確かに換気にもなるが、春先や秋は冷たい風が吹きつける寒い球場だし」「緑が多いのは田舎にあるからで、観客が増えない理由にもなっている」など突っ込み所が満載のものだった。石井に二枚舌はまるで似合わない。------------------------------------------------------ボクが今年、ナマ観戦したプロ野球はたったの一試合。それは、神宮球場で行われたヤクルトの試合。先発は、その石井だった。試合中盤で早々にKOされた石井。降板を告げられると、ふてくされた仕草でダグアウトに引き揚げた。出迎える控え選手たちは、そんな石井を見てビビりまくっているように見え、その姿は「わがまま放題」の「裸の王様」のように、ボクには思えた。------------------------------------------------------西武での入団会見。若手の教材となることも期待されるが「僕ができるのは自分をしっかり持って成績を出すこと。個人的な部分をしっかりやっていきたい」とプレーでの貢献に専念することを断言した。 「わがまま」という意味ではない。「和を乱さずに周りと歩幅を合わせてやっていきたい」と協調性は意識している。 (日刊スポーツ)二枚舌だったら、逆に面白いが・・・。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.29
コメント(2)
今月11月3日、東都大学リーグ・1部と2部の入れ替え戦1回戦を5回ごろから、神宮球場で観戦した。1部(6位)は國學院大、2部(1位)は日本大。ボクのお目当ては日米野球のMVP男、國學院大の村松伸哉(1年・光星学院高)だった。だが村松は投げておらず、一方の日大は篠田純平(前橋商高)が登板していた。國學大 000 000 000 =0 日本大 111 000 00×=3 その篠田、被安打1の完封劇を演じて、日本大の一年ぶりの1部復帰をアシストした。ボクは最近、視力が落ちていて神宮のスコアボードにある、國學院の安打数が全イニング「0」に見えていた。「ん? とすると、篠田のノーヒットノーラン?」だとすれば、初めて肉眼で観るノーヒットノーランだと期待しつつ、篠田のエンディングを半分興奮しながら見守った。でも、勝利を決めた瞬間は淡々と握手をしているだけで、ノーヒットノーランぽい感動シーンはない。「なぜだ?」不思議に思いながら、開始時間が迫っている知人の結婚式に慌てて向かった。後から調べたら、3回か4回に1本だけ安打を打たれていたことを知り、自分のアホさ加減を嘆くとともに、篠田純平の名前をハッキリと記憶した。その篠田、先ごろ行われたドラフトでは広島から1巡目で指名を受けた。身長186cmの大型左腕、速球が武器の本格派で、広島での背番号は「14」と決まった。その番号は、炎のストッパーと呼ばれた故・津田恒実(南陽工高)がつけていた出世番号でもある。--------------------------------------------------------------津田恒実。ルーキーイヤーだった82年、いきなり11勝6敗の成績を残して新人賞を獲得するものの、2年目以降は肩や指の故障に悩まされ、85年までの3年間は成績の低下を余儀なくされる。患部の指にメスを入れて復活したのは86年。抑え投手として22セーブを挙げ、カムバック賞を獲得した。以降、打者に真っ向から立ち向かう投球スタイルを武器に、91年引退するまで、広島に欠かすことのできない抑え投手として活躍した。現役引退の理由は脳腫瘍。手術不能な部位にできた腫瘍のため、手の施しようがなく、32歳という若さでこの世を去った。-----------------------------------------------------------この津田には、いろいろな秘話がある。(1)現・ホークスコーチ森脇浩司との強い友情津田、生前の頃の話。奥さんに常々言っていた。「俺は女房と友情のどちらをとる? ともし聞かれたら、申し訳ないが、森脇との友情をとる」(2)森脇、亡き津田へのシャンパン■闘病中の津田を積極的に面倒見たのは森脇。「たとえ俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に交渉してやる」と、津田に語りかけていた。■津田が他界した一年後、森脇は結婚式を挙げる。披露宴の際、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行い、口をつけられるはずもない津田のグラスにもシャンパンを注ぎ、同席していた友人たちの涙を誘った。 (3)津田が好きだった「相田みつを」「炎のストッパー」とまで呼ばれた津田、だが弱点はメンタルだった。真っ向勝負のスタイルは、それを隠すための手段だったといわれている。闘病中、ファンから贈られた相田みつをの「道」という色紙を大事に持っていた。 「道」長い人生にはなあどんなに避けようとしてもどうしても通らなければならぬ道-てものがあるんだなそんなときはその道を黙って歩くことだな愚痴や弱音を吐かないでな黙って歩くんだよただ黙って-涙なんか見せちゃダメだぜ!!そしてなあ その時なんだよ人間としての いのちの根がふかくなるのは・・・・・ 1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.28
コメント(2)
今日付けの朝日新聞、名物記者の西村欣也氏(編集委員)が書いている。「19日に行われた大学・社会人ドラフトは指名された選手たちの喜びの声であふれた。(中略)希望する球団を表明する意味はなく、指名球団が意中と違うと嘆く選手はいなかった。これは『希望枠』を廃止し、フェアなドラフトが行われたからだ。西武の裏金問題に端を発したファンの反発に球界がやっとえりを正した形だ」続けて「なのに、来年からまた制度を変えようという動きがある。(中略)成功したドラフトをなぜ変えなければならないのか。裏金や囲い込みにつながるような逆行した制度改悪はファンの理解を得られないだろう」 --------------------------------------------------------まったく、そのとおりだと思う。今年のドラフト、従来と比べて大きく違っていたように思う。それは指名を予定されている選手たちが、概ね「12球団OK」と事前に公言していたこと。これまで、ドラフト前には必ずといっていいほど「意中球団じゃなければ入団しない」という報道が当たり前だったのに、今年はそれがないことが、とても清々しく見えた。なのに読売を中心として阪神、ホークスの3球団は、アマチュア選手に希望球団を表明させるドラフト制度に、早期に改変しようと躍起になっている。※もちろん、コミッショナー代行・根来某も一生懸命サポートするのだろうな、きっと。-----------------------------------------------------今春発覚した西武裏金問題に端を発した希望枠の廃止。その理由は、希望枠が裏金の温床になる可能性があるから。それを今、なぜ再び変える必要があるのだろう。ひょっとして、来年のドラフト候補選手にぜひ獲らなければいけない選手がいるのだろうか。また、これまで2~3年内に指名を拒否した選手の指導者との間に、すでに何らかの約束があるのだろうか。今年は新鮮に感じたドラフトを見ると、昨年までの選手たちの入団拒否がそもそも選手本人の希望というよりは、アマ球界の指導者たちが言わせていたのでは?なんて思えるようになるから不思議だ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.27
コメント(12)
前・日本ハム打撃コーチの淡口憲治氏(三田学園高)がヤクルト二軍の打撃コーチに就任が決まった。元ロッテ監督の八木沢壮六氏(作新学院高-早稲田大)も同時に二軍投手コーチに。まず八木沢さん、たしか社会人・東京ガスの投手コーチをされていた。今春発覚した西武裏金問題の主役にさせられた木村雄太投手(明桜高、旧称:秋田経法大付高)にはカーブを伝授し、一層に投手としての完成度を高めたと言われている。また過去、阪神コーチ時代には井川慶(水戸商高)にチェンジアップを教え、大黒柱に育てた。そして、淡口さん。たぶん今回の就任は、高田繁監督(浪商高-明治大)の引きによるものなんだろう。そもそも日本ハムのコーチに就任したのも、当時のGMだった高田氏の要請によるものだった。淡口さんの日本ハム時代のコーチとしての実績については、賛否両論がある模様。まっ、それはここでは省略して、ボクには忘れられないことが2つある。≪その1≫85年のオフ。それまで在籍していた読売から近鉄にトレードされるのだが、そもそもは近鉄・有田修三(宇部商高)と読売・定岡正二(鹿児島実高)と決定されていた。だが、定岡は「トレードされるなら引退する」と言い放ち退団。その後釜として据えられたのが淡口だった。その年の読売の納会。たしか熱海後楽園ホテルの宴会場で、浴衣姿の淡口がウルサ型のOBたちに挨拶して回る写真が新聞に掲載されていたのを、ボクは憶えている。「近鉄に来てくれてありがとう!」たかが一ファンに過ぎないのに、ボクはそう思って写真を眺めていた。これは時期は前後するけど、同じく読売から近鉄に移籍した大森剛(高松商高-慶應義塾大)、香田勲男(佐世保工高)、そして吉岡雄二(帝京高)にも同じことを思った。≪その2≫このブログで何度も書いた「伝説の10・19」。あまり語られることはないが、淡口は素晴らしいプレーを見せている。それはダブルヘッダー第2試合でのこと。近 鉄 000 001 210 0 =4 ロッテ 010 000 210 0 =4 4-4の同点で迎えた9回裏、ロッテの攻撃。二死満塁と一打サヨナラの場面を迎えたロッテ、打席に立った愛甲猛(横浜高)が放った打球は低い弾道でレフト手前に飛ぶヒット性の当たり。レフトを守っていたのは淡口。懸命に前進し、走りながら地面スレスレでライナーを捕球した。もし他の選手だったら、どうだったろうか・・・?この愛甲の打球、ヒットだったなら近鉄はサヨナラ負けを喫していた。そういった結末だったなら、10・19への世間の評価も別なものになっていたのかもしれない。淡口憲治、ボクには絶対忘れられない選手の一人なのだ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.26
コメント(10)
京セラドームで開催されている日本選手権・決勝戦。トヨタ自動車-三菱重工名古屋の対戦カードは、どちらも初めての決勝進出であり、かつ東海勢どうしの決勝は大会史上初めてのことだった。トヨタ自 000 000 040 =4 三菱重 001 000 000 =1 優勝したトヨタ、逆転した直後の8回裏からはエースの左腕・服部泰卓(川島高-駒澤大)がクローザーで登板。先ごろ行われたドラフト1巡目でロッテから指名を受けた。初めて服部という投手を見たが、直球は140km前後と特に速い球を持っているわけではない。変化球の割合が多くて、直球とのコンビネーションが武器の模様。ともかく服部、今日のマウンドがアマチュア野球での最後の登板となった。----------------------------------------------------一方の三菱重工名古屋、実は逆転される8回まで主導権を握っていた。それを支えていたのは中根慎一郎(中京大中京高-慶應義塾大)。走者を許すものの、我慢しながらの投球を続けていた。だが8回表、二死満塁で6番の指名打者・清水明彦(甲府工業高-国士舘大)を打席に迎える。カウント2-3で投げた直球が真ん中高めに入って、ライト前に逆転適時打を打たれ、中根は降板してしまった。マウンドでは常にポーカーフェースだった中根、戻ったベンチでは俯いたまま、何かに耐えるような表情をずっとしていた。実は、清水の前の5番打者・福田康一(波佐見高-亜細亜大)に対して、フルカウントから放った外角いっぱいへの直球に中根は悔いを残したようだ。ボクにはストライクに見えたけど、審判の判定はボール。思わず帽子のツバを口もとに近づけ、噛んで見せた中根。「たら、れば」を言ってはいけないが、もしこの一球がストライクだったら、試合の流れは三菱重工のままだった。---------------------------------------------------------中根慎一郎、三菱重工名古屋のホームページ中に「憧れ・目標とする選手」に、ポジションの違う捕手の嶋基宏(楽天)と書いている。その理由は分からないが、中根と嶋(國學院大)は中京大中京高時代にチームメイトだったという共通点がある。エースはもちろん中根、そして当時の嶋は二塁手だった。捕手は来春からトヨタ自動車に入社の決まった法政大の渡辺哲郎。02年センバツで甲子園に出場したものの、西村健太朗を擁する広陵高に初戦で完封負けを喫した。-----------------------------------------------------両チームの来季の新戦力たち。【トヨタ自動車】≪捕手≫渡辺哲郎(中京大中京高-法政大)≪外野手≫田中幸長(宇和島東高-早稲田大)荒波 翔(横浜高-東海大)※そういえば今日の決勝戦、二番手で投げたのは大谷智久(報徳学園高-早稲田大)だった。【三菱重工名古屋】≪投手≫白石 守(駒大苫小牧高-明治大)≪内野手≫佐藤康平(修徳高-法政大) ※尚、選手の進路についてはブログ「B,R,R & K BLOG」から一部を引用させていただいた。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.25
コメント(2)
ベースボールと野球、日米での違いはいろいろある。スピード、パワー、ストライクコースやボールの違い・・・。メジャーの審判を目指す平林岳氏の著書『パ・リーグ審判、メジャーに挑戦す』(光文社新書)は、日米の野球観の違いを教えてくれて興味深かった。試合序盤、「同点、ノーアウト一・三塁で、内野ゴロ」のケース。これが、その違いを端的に表す象徴的なケースだという。例えば三塁にゴロが飛んだとき、日本ではバックホームを選択するのが普通と思うが、米国では、三塁走者の生還を許しても、5-4-3のダブルプレーの成立を目指すという。元近鉄・中村紀洋のドジャース時代、同じケースでバックホームし、大ブーイングを浴びたらしい。--------------------------------------------------日本から見ると、中村の守備は当然であり、「なぜバックホームしてはいけないのか」「どうしてわざわざ一点を献上する必要があるのか」と思う。「相手に1点入ってしまうじゃないか」というのが日本の感覚。「2点以上取ればいいじゃないか」というのが米国の感覚。そのへんの違いが根底にあるそうだ。なぜなら、米国での「ベースボール」。もともとは「21点を先取した方が勝ち」というルール。投手は、打者が指定する打ちやすいコースに下手投げで投げて、お互いが打って点を取り合うスポーツだった。一方日本の「野球」。日本に入ってきた時点で、すでに現状のルールに進化しており、常に勝負に主眼が置かれている。----------------------------------------------------著者の平林岳氏。中学時代から審判に憧れをもつ。県立柏高時代には野球部に所属して、準レギュラークラス。練習試合では、自ら進んで審判を担当。高3で引退後には、地元・我孫子市の審判連盟に所属して審判活動を。國學院大に入学後は、神宮外苑審判倶楽部に所属。神宮球場脇にある軟式野球場で、年に300~400試合の審判を担当。プロの審判を目指す意欲が日々高まって、多い時には一日5、6試合を担当するまでになる。気づいた時には大学に行く時間がなくなり、3年生になる時は昼間部から夜間部に編入。偏差値的にマイナスな転部は、開校以来初めてだと大学職員を驚かせた。------------------------------------------------------93年から02年にかけてパ・リーグの審判を務めていたため、平林さんの名前をご記憶の方も多いと思う。いま平林さん、日本の審判を辞め、メジャーの審判になるため挑戦中。興味のある方は、『パ・リーグ審判、メジャーに挑戦す』(光文社新書)をどうぞ。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.24
コメント(4)
楽天から戦力外通告を受けた藤崎紘範(宮崎一高-近鉄)、来季から打撃投手で再出発するという。普通、投手といえば「打者に打たれないように」投球するものだけど、打撃投手は真逆で「テンポよく打者に打ってもらう」のが仕事だ。彼の27歳という若さを考えれば、早いうちにサラリーマンになるという選択もあったはずだし、そう考えるほうが合理的とも思う。でも藤崎、あえて打撃投手という道を選んだ。「打撃投手で再出発します。家族(妻、娘)のために気持ちよく打ってもらおうと思っています。打者との距離も短いし、いやあ、難しいですがね」迂闊だったけど、楽天の藤崎が打撃投手になったことを、つい最近になって知った。ルーキーだった1999年、先発登板したことがある。これは、近鉄バファローズにおいては画期的なことであり、赤堀元之(静岡高)以来の快挙だったが・・・。通算成績(現役生活は8年間)49試合、1勝7敗、防御率5.94。-------------------------------------------------------打撃投手と聞いて、先日読んだばかりの『スローカーブを、もう一度』(山際淳司著・角川文庫)に登場する黒田真治という打撃投手を思い出した。黒田についての詳細は、ここでは省略するけど、打撃投手という職業を知る上で、ボクにとって興味深い点が3点書かれていた。(1)打撃投手のタイムテーブル試合がナイターなら、2時に球場入り。2時半頃にはグラウンドに出て、軽くウォーミング・アップすると、すぐにマウンドに立つ。バッティング練習は4時頃までで、それが終わるとさっさとシャワーを浴びて帰ってしまう。球場で試合を見ることは、ほとんどない。(2)一日当たりの投球数実働時間は、上記のとおり2時間程度のもの。時間だけを見ると簡単な仕事に見えるけど、正味30-40分程度の間に最低120球を続けざまに投げる。つまり、最低でも通常の投手の一試合あたりの投球数を、休みなしで毎日投げるということになる。(3)打撃投手が抱える故障何年も続けていると、当然肩がガタガタになる。肩のうしろが痛い分には大事に至らない。ただ肩が張っているだけだから。でも、肩の前の筋肉が痛くなると危険信号。所属する球団の事情にもよるが、実際には自費で鍼やマッサージでの治療を受ける必要が出てくる。「肩を壊しちゃって・・・」なんてことをコーチに言ったら最後、「なに、打撃投手でも一人前に肩を壊すのか」と皮肉を言われることになる。-------------------------------------------------------ことほどさように、打撃投手といえば「負け組」のイメージが付きまとう。厳しい競争社会であるプロの世界ゆえ、実際にも負け組なのかもしれない。でも、その与えられたポジション内での勝利とは何か。それをぜひ藤崎に具現化してほしいと、ボクは思っている。先日ブログに書いた故・稲尾和久氏や西本聖氏のスタートは打撃投手のようなものだったし、野村克也氏はそもそも「壁」と呼ばれるブルペン捕手だった・・・。<追記>現在の主な打撃投手たち中日・平沼定晴(千葉商大付属高-中日-ロッテ-西武)42歳阪神・嘉勢敏弘(北陽高-オリックス)31歳横浜・関口伊織(大宮工高-東洋大-横浜-近鉄)36歳ホークス・門奈哲寛(常葉菊川高-日本大-読売)37歳オリックス・古溝克之(福島商-オリックス-阪神-日本ハム)44歳ロッテ・榎康弘(東海大甲府高-ロッテ-読売-ロッテ)35歳1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.22
コメント(6)
昨日行われた大学社会人ドラフト。阪神が4巡目で指名した選手は黒田祐輔。ボクはまったく知らなかったけれど、ドラフト当日朝の時点で各スポーツ紙は一斉に「阪神“隠し玉”シャンソン・黒田」と、ほぼ同じ原稿のまま報じていたことを先ほど知った。黒田祐輔のこと、ちょいと調べてみた。■静岡高時代。2003年、2年生の夏に背番号「18」をつけて甲子園に出場している。チームメイトには現・慶應義塾大の青池悠五がいた(当時は捕手)。1回戦は長崎日大高に5-4で勝利、2回戦で八頭高を相手に3-2と、これまた僅差で勝利した。ただ、ここまでに黒田の登板機会はない。初登板は3回戦の常総学院高戦。4番手で登板したものの、0-7で大敗した。完封された常総学院の投手は、現・茨城ゴールデンゴールズの仁平翔。そして現・阪神の坂克彦が主軸を打っていた。---------------------------------------------------------■駒澤大時代。1年時の登板記録は見当たらなかった(モレがあるかも)。2年時の春季リーグ戦で、やっとボクは黒田の名前を見つけることができた。それは2006年5月10日、対東洋大2回戦。駒澤大 000 000 000 =0 東洋大 000 110 02X =4黒田は駒澤大の先発としてマウンドに立ったが、4回途中に1点を失いあっさりと降板、敗戦投手になっている。3回0/3、被安打5、与四死球1、奪三振1、自責点1。その試合、東洋大の投手は今ドラフトでホークスから1位指名を受けた鉄腕・大場翔太(八千代松陰高)で完封負けを喫した。--------------------------------------------------------制球がまだ覚束なかったものの、駒澤大投手陣の一角を担う存在になっていた黒田。だが、太田誠監督が退任したことで「心の支えを失った」ため野球を辞める決意をし、昨年12月に野球部を退部、そして大学も辞めてしまった。静岡に帰ってからは、母校の静岡高グラウンドで後輩の野球部員ととともに筋力トレーニングや走り込みを続けていた。そんな時、同校OBでありシャンソン化粧品の社長・川村修氏に声をかけられ、契約社員としてシャンソン化粧品に勤務するようになった。本人の話では、阪神のスカウトに注目されていることなど、まったく気づかなかったという。---------------------------------------------------------ひとつ不可思議なことがある。黒田、もし大学を中退していなければ、今は大学3年生。もちろんドラフトで指名を受ける権利はない。今回は中退したことで、高卒で社会人に進んだものと見なされて指名を受けることができたのかな?ルールの解釈を間違っているかもしれないけれど。もしそうだとしたら、プロ球団が大学生を意図的に中退させて高卒後の3年目に、一年早く「奥の手」として囲い込んでいた選手を指名する方法もあるのかしらん・・・?もし、このへんのルールに詳しい方がいらしたら教えてください。お願いします!1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.20
コメント(5)
プロ野球、大学社会人ドラフトが今日行われた。注目の「ビッグ3」の進路は次のとおり。■東洋大・大場翔太(八千代松陰高) → ホークス6球団が競合したが、王監督が見事に引き当てた。王監督のコメントが面白い。「大場を獲得したことを、昨年入団した大隣憲司(京都学園高-近畿大)へのカンフル剤にもしたい」そうだ、ホークスには大隣がいたんだ!今季の成績を調べてみると、8試合に登板し2勝4敗。防御率は5.98と散々な結果だった。■愛工大・長谷部康平(杜若高) → 楽天 5球団競合ながら楽天が引いた。この杜若高時代のチームメイトには、中日から1巡目で指名を受けた名城大・山内壮馬がいる。■慶應義塾大・加藤幹典(川和高) → ヤクルト指名する球団が競合するかと思ったが、結局ヤクルトの単独指名だった。最近のヤクルト、東京六大学というか早慶出身の選手獲得が目立つ。ならば、早稲田大・田中幸長(宇和島東高)や法政大・平野貴志(桐蔭学園高)は要らなかったか?■そして昨日のブログに書いたとおり、ボクが注目した九州国際大・松山竜平(鹿児島・鹿屋中央高)は、広島から4巡目で指名を受けた。早く一軍での出場を見てみたい。そして、ぜひ持ち味の「喜怒哀楽」を大胆に表現してほしい。-------------------------------------------------------■サプライズだったのは元3Aサクラメントの多田野数人(八千代松陰高-立教大)。日本ハムが外れ(×2)1位で指名した。高校は八千代松陰。大場翔太の5年先輩にあたり松坂世代の一人。1998年夏の甲子園にエースで出場し、1回戦でPL学園高と対戦。180球完投したものの2-6で敗退した。相手・PL学園のエースは現日テレ・アナの上重聡。だが不思議な縁があり、多田野はその上重と立教大でチームメイトとなり、投手陣の主力として活躍した(大学通算20勝)。多田野、大学4年のドラフト直前まで横浜ベイスターズと相思相愛で、順調そのものだった。だが、トラブルを引き起こして一瞬にして破談になってしまう。その後、いきなり米球界に挑戦してインディアンスとマイナー契約。2004年にはメジャーデビューし、対レッズ戦でメジャー初先発初勝利を挙げた。「米国で5年プレーし、(先発から救援まで)すべての役割をやった。他の新人よりも経験だけはあるので、それを武器にしたい」多田野、インタビューにそう答えている。------------------------------------------------------------■そしてもう一人。まったく知らないのだけど、シャンソン化粧品とやらの黒田祐輔。調べてみると、静岡高から駒澤大に進学したものの、昨年中退したらしい。その理由までは結局わからなかったけど、同じ時期に何人か主力選手が辞めている模様。駒大野球部に何かあったかな?1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.19
コメント(4)
とある団塊世代の集まりに参加したことがある。男女10人ぐらいの小さな寄り合いで、ボクもたまたまその場に居合わせていた。主要なテーマについての議論が終わった後、ある女性は、突然に「わたし、子育てに失敗したなぁ」と呟いた。その女性、成人し大学を卒業したひとり息子がいる。だがその息子、最近流行りのフリーター。正社員で企業に就職する気はないようで、なかなか就職活動をしようとしない。「わたしの子育て、どこが違っていたんだろ?」頷いた別の女性は「自分の子育てを振り返ると、こころが痛い」と言った。--------------------------------------------------団塊世代に関する書籍を書店で見かける機会が多い。団塊の「子育て」に関しては一様にこのような記述が目につく。例えば、「経済至上主義」と「私生活主義」などの風潮の中に生きてきて、「お金より大切なこと」「人と人のつながり」といったことを、子供たちに伝えなかったのではないか。「他人に迷惑をかけなければ何をやってもいい。好きなことをどんどんやりなさい」。そういったメッセージしか発してこなかった・・・。まっ、大概そんなことが書かれている。賛否両論、いろいろあるのだろうけど。---------------------------------------------------さて、先の寄り合いでのこと。黙って聞いていた代表格の男性が、こう解説してくれた。「団塊世代にそう思う人は多いようですね。それは、団塊の親世代にも一因があるのかもしれません。親世代の多くは、戦争で出征しました。お国のため、といった大義名分を信じつつ。でも終戦後、社会の価値観はがらりと変わってしまいました」「親世代が、これまで信じていたことが一気に180度変わったことで、親自身が何を信じていいのかわからなくなった。そんな理由もあり、子供に対しても何を伝えるべきか迷い、結局子供に対し口をつぐんでしまった」「だから、その子供である団塊世代は、自分の子供に対して伝えるべきを伝えてこなかった」-----------------------------------------------------そんな話を聞きつつ、納得することもあるが、何も団塊世代固有の問題でもなかろうとも、ボクは思った。ボクにも、まだ成人までにはほど遠いが、ひとり息子がいる。団塊世代よりひと回り年下の世代であり、「子育て」を振り返るにはまだまだ早いのだけど、「伝えるべきを伝えているのか」は、まだまだとしか思えない。話を聞いていて、ある傾向に気づき面白く思ったことがある。それは、団塊女性たちの多くは息子のことは嘆くが、娘のことは胸を張る傾向にあるということ。「私たちは就職する時、夢をもって入社したのに、結局お茶くみでしかなかった。だから娘には、いまの時代に育って幸せなこと。そして、あとで後悔することのないように働きなさい、そう言いいながら育ててきたのよ」「だから娘は、いま企業でバリバリ頑張っているの」その話の意図は、こんな風に聞こえた。「娘の教育は母である自分がやってきた。息子に関しては、本来父親がその役目ではなかったのか。でも子育ての大切な時期に、父親が仕事ばかりで家庭を顧みなかったことが、今の息子の現状につながっている」と。男性陣から反論はなかった。あえて反論しなかったかもしれないし、逆に納得しすぎて反論する術がなかったのかもしれない・・・。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.18
コメント(2)
いよいよ明日、大学・社会人ドラフトが行われる。大学生の候補選手は「ビッグ3」と言われている。それは、以前このブログに書いたとおり、それ以外に目立った選手がいない「不作の年」ということの裏返しなのかもしれない。ちなみに「ビッグ3」とは、東洋大・大場翔太(八千代松陰高)慶應義塾大・加藤幹典(川和高)愛知工大・長谷部康平(杜若高)大場翔太。何といっても注目度No.1投手。ちょっと前までは、慶應・加藤の注目度のほうが高かったが、特にこの一年の実績で注目度はグーンと上昇した。東都大学リーグ史上1位の410奪三振、そして6位タイの通算33勝をマークした本格派右腕。先ごろ行われた明治神宮大会、3連戦3連投(完投)し東洋大を優勝に導いたスタミナは立派。6球団前後からの1巡目指名が予想される。加藤幹典。東京六大学で通算30勝をマークした左腕。速球に加えスライダーの切れが鋭い。特に右打者の膝もとに落ちるスライダー、この秋季リーグでは多くの空振りを奪っていた。ヤクルトが獲得にご執心のようだ。長谷部康平。北京五輪アジア予選の代表候補にアマからただ1人選選出された左腕。中日など複数球団から1巡目での指名が予想される。----------------------------------------------------そして、ボクが勝手に注目しているもう一人は九州国際大・松山竜平(鹿屋中央高)。今年6月に行われた大学選手権。早稲田大との対戦で斎藤佑樹(1年・早稲田実)からフェンス直撃の二塁打を放つも、もう一歩のところで惜敗した。そして敗戦直後、松山はヘルメットを人工芝に叩きつけ、号泣していた姿が強烈にボクの記憶に残っている。先日、このことをこのブログに書いたところ、松山竜平選手の出身地・鹿児島大崎町の大山大可さんからメールをいただいた。「大崎小ソフトボール少年団の先輩福留孝介選手もFAでにぎわっていますが、松山君も先輩に続き吉報を期待しています。小学校時代全国大会優勝など強運の持主です。できればホークスに・・・」大山大可さん、連絡ありがとうございます。松山は中日・福留孝介(PL学園高)の少年団の後輩だったこと、初めて知りました。さて、ホークスが指名を予定しているそうだが、他球団からの指名も可能性がある。松山本人は、「12球団OK!」と言っている。果たして、どこの球団に決まるのか?1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.18
コメント(4)
「ヨッシャー!」近鉄・佐々木恭介監督(当時)の張り上げた声が、ドラフト会場に響いた。得意満面の笑みで、ガッツポーズとともに当たりクジをかざして見せる。なにせ7球団が競合しての当たりだから、その喜びぶりも当たり前だった。1995年のドラフト会議。佐々木監督が見事に1位指名で引き当てたのは福留孝介(PL学園高-日本生命)との交渉権。だが、あらかじめ「中日と巨人以外なら社会人」と公言していた福留、近鉄のラブコールに応えることなく日本生命への入社を決めた。先日FA宣言をした福留。阪神、巨人をはじめメジャーとの交渉をするということで最近やたらメディアに、その顔が登場する機会が増えた。ボクは福留の顔を見るたび、いつも「ヨッシャー」という佐々木監督の発した歓喜の声と「近鉄を蹴った男」という苦い記憶が呼び起こされる。以前からずっと近鉄ファンだったボクは、その出来事以来近鉄が指名した選手は「イヤな顔をしないでほしいなぁ」とか「ちゃんと入団してほしいなぁ」なんてことを考え、近鉄が指名する選手に対して妙に臆病(=PTSD、トラウマ)になってしまった---------------------------------------------------------幸い、その後に大物選手から拒否されたことはなかったように思う。ただ、過去に遡って近鉄の指名を拒否した選手を探してみると、出てきた出てきた---。■應武篤良氏(崇徳高-早稲田大-新日鉄広畑-新日鉄君津監督)現・早稲田大監督。1976年、近鉄からドラフト3位で指名を受けたが拒否、早稲田大に進学した。同じ時、近鉄から指名された選手は1位・久保康生(柳川商高)、5位・山本和範(戸畑商高)。■同じく東京六大学、法政大監督の金光興二氏(広島商高-法政大-三菱重工広島)。1977年、近鉄から1位指名を受けたが、希望球団は広島カープだったため、プロ入りはせず地元の三菱重工広島に入社した。同じ77年のドラフト、近鉄から指名を受けた選手に2位・山口哲治(智弁学園高)がいる。■三輪田勝利氏(中京商高-早稲田大-大昭和製紙-阪急)1967年、近鉄からドラフト1位で指名を受けるが拒否し、大昭和製紙に入社。2年後の69年、ドラフト1位で阪急に入団。そして約30年の月日を経た98年、オリックスのスカウトに転じ指名権を得た選手の獲得を目指したが、完全拒否に遭い交渉途中で自死した。■そして現・野球解説者の池谷公二郎氏(静岡商高-金指造船所-広島カープ)。金指造船所に入社後、一年ももたず野球部が解散になり、1971年、特別措置で近鉄から7位指名されたが拒否。日本楽器に移籍し、翌72年ドラフト1位で広島カープに指名され入団した。池谷が指名を蹴った71年、近鉄のドラフト選手が凄い。1位は、後に福留のクジを引き当てた佐々木恭介(柏原高-新日鉄広畑)。2位・梨田昌孝(浜田高)、4位・羽田耕一(三田学園高)、6位・平野光泰(明星高-クラレ岡山)など、1979年の近鉄パ・リーグ初優勝に貢献する主軸打者たちをこのドラフトで獲得した。この1979年、日本シリーズの相手は広島。第7戦の「江夏の21球」はあまりに有名だが、近鉄が2勝0敗と絶好調で迎えた第3戦。広島の先発は、過去に「近鉄を蹴った」池谷公二郎。結局この試合で勝利を導き、広島の逆転優勝に大いに貢献した。もし、池谷が近鉄に入団していたら、この79年の日本シリーズの結果は変わっていたのかな? 日本一に一度もなったことのない近鉄バファローズとは言われることがなかったかもしれない。まっ、いずれにせよ、不思議な縁を感じる近鉄と池谷の関係だった。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.16
コメント(4)
昨日の明治神宮大会・決勝戦。大学の部では、大場翔太(4年・八千代松陰高)が3連投。早稲田大を2-0で破り、東洋大を明治神宮大会の初優勝に導いた。東洋大 000 000 101 =2 早 大 000 000 000 =0 大場、この試合の成績は、9回、被安打2、奪三振10、与四死球1、自責点0。この3連投の合計は---3試合で3勝0敗。すべて完投(内、完封は2)で27回、396球を投げ、被安打11、奪三振34、与四死球2、自責点3。ついでに東都大学の通算成績を。通算33勝11敗、奪三振数は410。いやはや、スゴイ投手だ。150kmの直球、鋭く変化するスライダー。そして何より連投をものともしないスタミナが大場の武器。逆に弱点を知りたくなって調べてみたが、コレといって出てこなかった・・・。東洋大・高橋昭雄監督は、大場を「宇宙人」と呼ぶ。広島・苑田聡彦スカウト部長は「怪物。黒田2世だな」。そしてファンは「神様、仏様、大場様」と讃えた。昨日ブログに書いた故・稲尾和久氏みたいだ。大場、あとは19日のドラフトを待つのみ。最大7~8球団からの指名が予想されるそうだ。-----------------------------------------------------話は変わるが、東洋大-早稲田大戦の主審を務めたのは清水幹裕さん、65歳。この試合を最後に39年間にわたる審判を引退するそうだ。東京大OBで、本業は弁護士。東洋大・大場と早大・斎藤の投手戦。「大場君の気迫のこもった球を見ていると(明大時代の)星野仙一さんを思い出した」。弁護士と審判について「弁護士には駆け引きがあるが、審判にはないのがいい。最終回は同点になってもう少しできれば、なんて思いましたよ」(毎日新聞)---お疲れ様でした。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.15
コメント(2)
13日、悪性腫瘍(しゅよう)のため死去した西鉄ライオンズ黄金期のエース・稲尾和久氏。今日の新聞、稲尾さんに関する多くの記事が目についた。でも、新聞記者の多くは稲尾さんをリアルタイムで見たことはたぶんないだろう。西鉄の黄金期を知っているのは、団塊世代(60歳前後)より年齢が上の人たちゆえ。だから、今さら「神様、仏様、稲尾様」なんて常套句の記事を読まされても興醒めなだけだ。もちろん、ボクも稲尾さんの現役時代なんて知らない。知っているのは、解説者としていつも温和な表情を浮かべていたことくらい。稲尾さんのことをもっと知りたくなって、Number Video『西鉄ライオンズ 銘々伝』を久方ぶりに見た。スリークオーター気味で、ゆったりとしたフォーム。持っている球種は少なく、直球、スライダー、シュート。稲尾さんの武器は、緻密な制球と巧みなコンビネーションだった。ビデオを見ていて、こんなエピソードを知った。稲尾さん、しょっちゅうマウンドで女房役・和田捕手とケンカをしていたらしい。例えば、こんな話がある。稲尾さん、自分ではカーブに「根拠のない」自信をもっていた。だから、ピンチでカーブを要求しない和田捕手のサインに不満を募らせていた。マウンドに呼びつけて「ここはカーブを投げされろ」という。でも、和田捕手の返事はにべもない。「お前のカーブはダメだ。絶対に打たれる」「打たれない!」「打たれる!」・・・・・そう言い争っている二人を見て、ショート・豊田泰光さんが慌ててマウンドに駆けつける。すかさず和田捕手が豊田さんに言う。「カーブを投げるっていうんだけど、ダメだと言ってやってくれ」「稲尾、お前の投げるカーブは曲がらないぞ」(豊田)「ちゃんと曲がるんだよ」(稲尾)「いつも曲がらずに打たれているじゃないか。いつから曲がるようになったんだい?」(豊田)「今朝から曲がるようになった・・・」(稲尾)「??? もう勝手にしろ!」(豊田+和田)落語の中途半端なオチみたいだけど、稲尾さんにはそんな茶目っ気もあったらしい。いや、本人は大マジメだったかもしれないが。知将・三原脩監督のもと「個性派」「野武士」と呼ばれる選手が集った西鉄ライオンズ。昨日、豊田さんが言っていたとおり「稲尾が死んで、西鉄ライオンズが完全に消滅した・・・」のかもしれない。合掌<資料>西鉄ライオンズ、黄金時代のスタメンは下記の通り。1番から8番まで、ほぼ不動だった。1番・高倉照幸(熊本商高) 俊足強肩の「切り込み隊長」2番・豊田泰光(水戸商高) 本当は4番を打ちたかった・・・不動の2番打者3番・中西 太(高松一高) コミカルだけど、打てば豪打、守っても堅守のサード4番・大下 弘(明大中退) 二日酔いながら7打席連続安打の記録を作った「青バット」5番・関口清治(台北工業) 右中間への長打が特徴、巨人からの移籍組6番・河野昭修(早大中退) どんな送球もさばくファースト、「ハエ取り紙」の異名をもつ7番・仰木 彬(東筑高) 守備の要であり、伝説の「10・19」の立役者8番・和田博実(臼杵高) 稲尾投手と長くバッテリーを組んだ強肩・俊足の捕手1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.14
コメント(2)
明治神宮大会、高校・大学ともに準決勝が行われた。早稲田大-八戸大。早大 000 210 000 =3 八大 002 000 000 =2 早稲田大、キチッと逆転勝ちを収め、明日の決勝にコマを進めた。4回には、小野塚誠(4年・早稲田実)が同点適時打を放つなど、早稲田いいムードみたいだ。そして小野塚、泣いても笑っても明日の決勝戦を最後に野球人生に終止符を打つらしい。先発投手は、昨日に引き続き斎藤佑樹(1年・早稲田実)。5回、被安打4、奪三振4、与四死球1、自責点2。斎藤らしく手堅くまとめた感じなんだろうか。救援で登板したのは大石達也(1年・福岡大大濠高)。知名度では斉藤にはかなわないものの、その直球の威力への評価はウナギのぼり。ひょっとしたら、来年か再来年にはエース番号を奪取する可能性もある。そんな期待をもてる投手だ。今日の試合では、ふつうに150km前後が計測されたらしい。一方の八戸大。メンバー表を見て気になったのが、エース・桜田裕太郎(2年・横浜高)。横浜高出身の投手なのに、ボクには桜田という名前がまるで記憶にない。さっそく調べてみると、高校3年の夏は県大会4回戦で慶應高に敗れ、甲子園には出場していない。当時の慶應高には、現・慶應義塾大の中林伸陽や漆畑哲也らがいた。そして今をときめくロッテ・成瀬善久の2年後輩、西武・涌井秀章の1年後輩にあたる。今日の桜田の成績。4回2/3、被安打4、奪三振2、与四死球5、自責点3。ちょいと後悔の残る結果だったかもしれない・・・。------------------------------------------------------------東洋大-上武大。東洋大 000 000 002 =2 上武大 000 000 000 =0 スコアを見る限り、緊迫感に満ちた試合だったようだ。東洋大の先発投手は、またしても大場翔太(4年・八千代松陰高)。昨日は東海大を相手に完投し、今日は完封。そして何より内容も立派!9回、被安打2、奪三振14、与四死球1、自責点0。明日も大場が投げるのだろうか。だとすれば3連投。相手の早稲田は、斎藤佑樹?これまでエース格の須田幸太(3年・土浦湖北高)が登板していないのが気にかかる。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.13
コメント(2)
団塊サラリーマン。定年退職後にやりたいこととして「地方に移住」を希望する人が少なくないらしい。これまでいろいろな調査データが発表されているため、どれが本当かわからないけど、首都圏に住む団塊サラリーマンに聞いたところ、「8割の人が希望」という結果もあれば、「4人に1人が希望」とする報道もある。移住先の希望地では沖縄と北海道が、その覇権を争っているらしい。さて、北海道。移住先の1番人気は函館だと、今日付けの朝日新聞が伝えている。雪が少なめで都市近郊、そして近くに景勝地があることが理由らしい。2位は摩周湖で有名な弟子屈町(てしかがちょう)。そして3位は、道南・函館に近い八雲町。知名度こそ低いが、積極的な移住促進ツアーの開催と、移住者には土地を無償提供するなどの他地域より一歩先んじた政策が功を奏したようだ。--------------------------------------------------------------一年ほど前、複数のNPOが会したイベントに参加した。田舎暮らしを推進するNPOなどの説明などがひととおり終わった後、40歳代後半の女性が質問に立った。その内容は---、彼女のご亭主は、年齢の離れた団塊世代のサラリーマン。そのご亭主、定年の時期が近づくにつれ、「定年になったら田舎に移住して、気楽に農業でも一緒にやろうよ。いや、ワイナリーの経営もいいなぁ」などと、妻である彼女に囁く頻度が増してきたという。「なにが農業よ・・・!? 自慢じゃないがウチの亭主、これまで自宅のちっぽけな庭の雑草取りも、プランタに植えた花に水をあげることさえ一度もなかったんです。そんな男が農業なんて、夢みたいなこといってんじゃないわよ。やれるわけないでしょと、亭主に言ってやったんです」そして彼女は続ける。「なぜ男性は、向いているはずのない人間までもが田舎暮らしとか、農業とかを簡単にクチにするんでしょう?」途端に会場はシーンと凍りつき、その質問にパネラーがどう答えたかは残念ながら、ボクの記憶にない。ただ、ボクはそばで聞いていてもっともな話に聞こえたし、「そうだよな~」なんて納得してしまった。ボクがこのイベントに参加した理由も、「田舎暮らし」や「就農」が団塊世代に流行っているという風評に疑問があってのこと。高校卒業まで田舎生まれの田舎育ちだったボクは、田舎で暮らすことの大変さは少しだけ知っている。だから60歳を過ぎてから、便利な都会の生活を離れて田舎暮らしを希望する気持ちがよくわからない。そういえば、別な人にこんな話を聞いたことがある。「定年後に田舎暮らしを希望するのは都会育ちの人が多い。地方出身者が、定年後に自ら好んで田舎暮らしを志す例は都会育ちの人と比べて多くない」と。その理由は、地方出身者はその大変さを知っているから、ということらしい。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.13
コメント(0)
明治神宮大会、一日遅れで昨日から始まった。大学の部、今日のトピックスは早稲田大・斎藤佑樹(1年・早稲田実)が、大学入学後最短の3回でKOされたこと。九産業大 102 000 0 = 3 早稲田大 000 600 4x=10 斎藤佑樹、今日の成績。3回、被安打5、奪三振3、自責点2。斎藤、打線に大いに援護を受けて敗戦を逃れた。また、この試合の調子はよくなかったということらしいけど秋季リーグでは、優勝を決めた試合以外は春と比べてそもそも良くなかったように思う。そしてもう一方の雄、東洋大・大場翔太(4年・八千代松陰高)。東洋大 000 313 020 =9 東海大 210 000 000 =3 大場翔太、今日の成績。9回、被安打7、奪三振10、自責点3。東洋大の決勝点は5回。大場の高校の後輩・十九浦拓也(3年・八千代松陰高)が適時打を放ったこと。大場が投げるとき、必ずこの人が打つ(?)-----------------------------------------------------------さて、明日の早稲田大の相手は八戸大。八戸大には、背番号「38」をつけた久保一等(1年・聖望学園高)がいる。この大会、まだ試合に出場はしていないけど、ボクには忘れられない選手だ。それは昨年4月29日に行われた春季埼玉大会。強豪・浦和学院高を相手に勝利寸前だったのに、レフトを守っていた久保がエラーし同点に追いつかれる。茫然と立ちすくむ久保の姿。そしてその裏(9回)。走者を一塁に置いて、打席に入った久保が汚名返上のサヨナラ本塁打をレフトスタンドに放ち、塁を駆ける途中から嬉し涙が溢れていた久保の表情をなぜかよく憶えている。ぜひ、明日の試合では出場してほしいものだ。------------------------------------------------------------------高校の部。関東一高から堂々の勝利を飾った横浜高。9番・センターの中原北斗は、まだ1年生。リトルリーグ時代の2003年8月、武蔵府中リトルのトップバッターとして世界大会に出場し、見事に世界チャンピオンに輝いた実績をもつ。お兄ちゃんは中原大地。この夏、浦和学院高を甲子園に導いたバッターだった。余談だけど、昨日の1回戦で横浜高の救援でマウンドに上がった近江直裕(1年)。2003年10月のリトルリーグ秋季関東大会で、現在チームメイトの中原と準決勝で相対している。近江は投手として、中原は捕手そして2番手投手として。結局この試合、近江が完投勝利を挙げて決勝に進出、優勝を飾っている。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.12
コメント(2)
とても複雑な気持ちだ・・・。関東学院大・ラグビー部員2名の大麻栽培事件。種を買ってきて、寮で栽培していたというから驚く。たまたま2日ほど前の深夜、ボクはNHK「知るを楽しむ、人生の歩き方」(再放送)という番組を見ていた。春口廣監督が出演し、3部リーグに加盟して初優勝したころの思い出を語っていた。「優勝したときは、嬉しかったですがねぇ。賞状をもらったら『関東学院大学』殿と、毛筆じゃなく、鉛筆でなぐり書きしてあったんですよ。3部リーグじゃ、こんなものかと。興醒めして、喜びも半分でした」「ともかくお祝いをしようということになって。部員の知り合いのお店が横浜・中華街にあるからと、みんなでワッーと押しかけたんですが、どうにもショボイお店でして・・・。中途半端なお祝いになりました」たしか、そんなことを春口さんは語っていて、そして次にこんな言葉を言っていたのを、ボクははっきり憶えている。「私にはラグビーしかないんです、ラグビーしか」かつての弱小チームを大学ラグビーの強豪に育てた春口さん。今日は二度も、まったく不慣れな釈明会見に臨んていた。小さな身体を一掃縮めていたのが、まるで春口さんらしくなかった。やはり春口さんは、正月の国立競技場に立つブレザー姿がよく似合うのに。来年3月まで対外試合は自粛。今季、全国選手権で関東学院大のユニフォーム姿を見ることはできなくなった・・・。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.09
コメント(4)
今日、戦力外通告を受けた選手らを対象にした合同トライアウトが行われた。楽天・河本育之(田布施工高)、西武・河原純一(川崎北高-駒沢大)、西武・柴田博之(栗東高-東北福祉大)、そして元ホークス・宮地克彦(尽誠学園高、現・北信越BCリーグの富山サンダーバーズ所属)ら総勢53名が参加した。ボクが注目したのは、このトライアウトに参加して2本塁打を放った読売・小関竜也(國学院栃木高)。小関が戦力外通告を受けていたこと、実はボクは知らなかった。小関と言えば、思い出すのは7月15日の読売-広島戦のこと。2-2の同点で迎えた7回、読売の攻撃。二死満塁のチャンスで5番・二岡智宏(広陵高-近畿大)が打席に向かったとき、なぜか原辰徳監督(東海大相模高-東海大)が代打・小関を告げた。テレビ解説をしていた掛布雅之氏が「なぜ?」と絶句した。二岡も憮然としてベンチに戻る。そして小関、ここで適時打を打てればよかったのだけど、あえなく三振。気マズそうな表情を浮かべてベンチへ。二岡と目が合いそうだったが、二岡は無視して視線は宙を睨みつけたまま・・・。※後日、この采配の理由が伊原春樹コーチのスタンドプレーだったことが判明。調べてみると、今年の小関の打席数はたった「4」。終盤はずっと二軍だったらしいので、この打席がひょっとしたら今季最後の打席になったのかもしれない。なぜ、あの場面で二岡の代わりに打席に立ったのか。見ているファンも、ほかの選手も、小関本人もわからないままでの登場だったかもしれない(原監督もわからなかったかな?)。だから、あの打席が現役最後だったら、あまりに悲しい。小関竜也。國学院栃木高時代はエースで4番。控え投手に、現・ロッテの渡辺俊介がいた。小関、変わった記録を持っている。昨年11月の対ロッテ戦。李承ヨプがロッテ・渡辺俊介から本塁打を放ったものの、一塁走者だった小関が三塁ベースを踏み忘れて、李の本塁打は取り消しになった。本塁打を打った打者以外の走者がベース空過で本塁打取り消しになったのは、セ・パ両リーグを通じて史上初。(Wikipedia)ちなみに本人のベース空過や走者の追い越しで、本塁打を台無しにしたケースは長い歴史の中で20人いる。1958年の長島茂雄氏はあまりに有名だが、ほかに東映・白仁天(1967年)らがいる。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.07
コメント(5)
約半年ぶりに学生時代の友人Nに会った。そのN君、学生時代から趣味は落語。いまも、たまに(趣味で)高座に上がっている。モツ鍋をつつきながら、いくつか小噺を教わった。ある外国人がうなぎ屋に入った。「この蒲焼になっているうなぎは、日本食ですか、外国食ですか?」すると店主、こう答えた。「何言ってんですか。これは養殖(洋食)でさぁ」---------------------------------------------------------------ん? もうひとつ。ある噺家さんは、子供の情操教育を兼ねて小学校で落語会を継続して開催しているという。その時のエピソード。「母ちゃん、パンツに穴があいちゃったよ」「えー、また(股)かい?」そんな小噺をしたところ、小学生たちにウケたのは「パンツに穴があいちゃった」という箇所。大ウケだったらしい。本当のオチは(言うまでもなく)「また(股)」なのだけど、そこはシーンと静まり返っていたらしい。なんだか、笑うポイントがズレていたようだ。ま、小学生なら無理ないか・・・。----------------------------------------------------------笑うポイントがズレた小学生がいれば、怒るポイントがズレている大人もいる。民主党の党首・小沢一郎氏。自分の意見が通らないからと、突然に辞任を発表した。所詮、寄せ集め集団でしかない民主党。自民党との連立構想をぶちあげたら、党員の何分の一かは猛反対することは予想できたこと。なのに怒ってみせ、辞任をほのめかした小沢さん。これは壮大なプランの序章なのか、ポイントのズレた大誤算なのか。---------------------------------------------------------------早稲田大・應武篤良監督。先ごろ行われた早慶戦で審判にクレームをつけた。「ストライク、ボールの判定がおかしかった」まだ怒りの収まらない翌日には、「慶應大との優勝決定戦の可能性を残していた明治大のOBが球審を務めていた。試合前から引っ掛かっていた」と重ねて批判した。結局、應武監督は5日、東京六大学連盟に対し謝罪文を提出して一応の決着を見たらしい。應武さんの言い分、どうにもポイントがズレているように見える。例えば、この春に行われた全日本大学野球選手権。最後に早稲田大が優勝するのだけど、準決勝か決勝だったかその試合に登場した4人の審判の内、東京六大学の審判が2人いた。相手校からすれば「早稲田への贔屓じゃないか」と批判することだってできたわけで、ある意味お互い様なのだ。日刊ゲンダイには、應武さんは謝罪文を提出したものの、本気で誤っているかどうかは怪しいと書いていた。無責任な予測はできないが、あとは本人の人間性次第ということか。ぜひ、怒るポイントを誤らないでほしい。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.06
コメント(0)
まず日刊ゲンダイのスクープ記事から。「日本ハム・白井ヘッドコーチがロイヤルズ臨時コーチに」これまで二人三脚で行ってきたチーム運営。ヒルマン監督がロイヤルズ監督に就任するからといって、白井一幸コーチを日本に置いていくのはヒドイな! と思っていたら、同じチーム・ロイヤルズの臨時コーチになるのだという。臨時コーチと言っても、メジャーの場合は春季キャンプでの評価次第では、専門コーチになる可能性もあるらしい。やはり双方の信頼感は厚かったのか。------------------------------------------------------そして今日の朝日新聞。ヒルマン監督の退任会見の模様を伝えている。「日本シリーズでは敗れたが、やるべきことはやった。悔いはない」この発言、本人にとってウソではないだろう。でも、聞く人によっては全く異なる反応を見せる。「いまさら言われても。(ヒルマン監督)本人だけ喜んでそれでいいのか。時期が悪い。就職活動ができないよ。誠意がないよな。前もって決まっているなら言ってほしかったな」------------------------------------------------------------言葉の主は佐藤義則投手コーチ。日本シリーズ終了後、白井コーチや淡口憲治打撃コーチとともに今季限りの解任通告を受けた。先日もこのブログに書いたとおり、ペナントレースが終わってから、日ハム首脳陣の動きは目まぐるしかった。ヒルマン監督、そして高田繁GMが退団を発表し、梨田昌孝新監督の就任を矢継ぎ早に発表した。でも、何も発表されなかったのはコーチの陣容。日本シリーズに出場したがために、通告が遅くなってコーチ陣がワリを喰った格好だ。---------------------------------------------------------そんな状況の中で、梨田新監督が「日本ハム」丸の舵をとり船出する。日刊ゲンダイが見出しにつけたように「嵐の船出」。ロッテから戦力外通告を受けた吉井理人。日本ハムから一軍投手コーチの要請を受け、受諾するらしい(Yahoo! スポーツ)。そして、オリックスコーチを辞した真喜志康永も日本ハムコーチに就任する噂もある。すると、あれかな?コーチ陣を元・近鉄ファミリーで固めようということかな?ボクは嬉しいけど、たぶんブーイングも大きいだろうか。はてさて、どうなるか。淡口コーチの再契約はあるか。いずれにせよ、まさに「嵐の船出」なのだ!1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.05
コメント(2)
昨年、大いに話題になった「2007年問題」。明けて、その2007年になったら、急にその「問題」は話題にすらならなくなった感がある。そして、この年はそろそろ暮れようとしている。そもそも「問題」とは、1.企業にとっては団塊世代の大量定年による労働(技術)力の低下についての懸念であり、2.当の団塊世代においては、「人生80年時代」となった今、経済的、そして体力的な余裕を持った方が、これまで以上に多くいる中で、「定年後に何をやればいいのか、その方法を示す前例がない」ということ。だが、各企業が行った雇用延長などの実施により、現状ではおおかた上記1は当面回避された格好になっていて、「2007年問題」という話題は一気にしぼんだ。だからといって問題が解決したわけではなく、ただ数年間だけ先延ばしになっただけのこと。----------------------------------------------------------ここ数年、「団塊世代の皆さん、地域にお帰りなさい」と題したイベントを始める自治体が多い。そのイベントの内容は地元地域でのボランティアや起業、そして趣味をもつことのススメ。『公』のサポートを十分にできるほどの予算がない自治体の思惑もあり、こうしたイベントは数を増している。でも、残念ながらターゲットにしている「団塊サラリーマン」たちの参加は一様に低い。なぜか?それは、社会活動とかボランティアといったって、それは長年にわたり地域にネットワークを作ってきた女房たちのほうが先駆者であり、いまさら団塊サラリーマンが入り込む余地なんてないよ・・・思っている人が多いこと。まして起業など、自分にはとってリスクが大きすぎると思うケースが多いのだろうと推察する。そこで起きるのは、今後の人生を、何とか充実させたいと考えているが、何をすればいいかわからない個人と、総花的にプログラムを提供する自治体との大きなギャップ。--------------------------------------------------------------団塊世代のHさん(60歳)のブログに、「郊外の朝の風景」と題した日記が書いてあった。平日の朝、現役サラリーマンたちの出勤後、いつも同じ風景を目にする。それは、定年退職したと思しき男たちが、それぞれ苦虫をかんだようなサラリーマン時代と同じ表情で、駅に向かう姿。もちろん定期券はないから駅についた後は、踵を返して家に戻るしかないのだが。誰と会話するわけでもなく、風景を楽しむといった風でもなく、ただひとり駅に向かって歩く。しかも毎日同じ時間に、同じ行動する人が何人かいるという。--------------------------------------------------------------昨年、通信教育のユーキャンが団塊サラリーマンにアンケートを行った。「あなたのサラリーマン人生を漢字ひと文字に例えてください」すると、「忍」という文字と「耐」という文字が、回答の多いベスト3に入っていたという。それだけ耐え忍んだ40年前後のサラリーマン生活。なのに退職すると、サラリーマン時代と同じ行動を繰り返すのが不思議でもあり、半面なんとなくわかる気もしたり・・・。これも、「何かをしたいけど、何をすればいいかわからない」といった不安の表れなのかもしれない、なんて思っている。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.04
コメント(0)
久々にこの名前を見つけた。以前、このブログに書いたこともある九州国際大・松山竜平(4年、鹿屋中央高)。佑ちゃん撃ちの男に熱視線-。福岡ソフトバンクが、九州国際大の主砲・松山竜平外野手(4年=鹿屋中央)を指名候補に挙げていることが1日、分かった。今年6月の全日本大学野球選手権で早大・斎藤佑樹投手(1年=早実)を打ち崩し、今秋の九州六大学リーグで首位打者にも輝いたスラッガー。(西日本スポーツ)松山、斎藤佑樹(1年、早稲田実)と対戦し柔らかいバットコントロールでフェンス直撃の二塁打を放っていた。ボクはテレビを見ていたので、このシーンをよく憶えている。ただ記事によると、斎藤佑樹から打ったという点で注目されているようだけど、ボクが彼の魅力を知ったのは、そこではなく実は次の瞬間だった。松山の二塁打で、一塁走者が一気に本塁への生還を狙ったが間一髪アウト。あともう一歩のところまで早稲田大を追い込んだものの、敗れ去ってしまう。すると松山、二塁ベース付近でヘルメットを人工芝に叩きつけ人目をはばからずに号泣する。そして、自身では歩けなくなり両脇をチームメイトに支えられながらベンチに戻った姿が、とても印象的だった。大学野球で、しかも春の大会であれだけ悔しがる選手は珍しいし、それだけ凡人とは違う「心根」の持ち主に見えた。九国大では1年から4番に座り、以後数々のタイトルを獲得。今秋のリーグ戦では打率4割6分2厘で首位打者にも輝いた。4年間の通算122安打は九州六大学野球リーグの新記録(2001年以降)。小川一夫スカウト担当部長も「パンチ力があって、広角にも打てる。打撃に関してはかなり高いレベルにある」と認める逸材だ。「指名してもらえる球団があればどこでもいきたいです。持ち味の打撃と肩を生かしたい」。松山はこの日プロ志望届を提出し、12球団OKの姿勢。現時点ではホークスのほかにもオリックスや広島など複数球団が獲得の意向を持っているといわれる。(西日本スポーツ)来週から明治神宮大会が始まる。松山竜平のいる九州国際大が、九州六大学リーグで敗退したことを知り、残念に思っていた。が、ドラフト情報でその名前を見つけて嬉しく思った1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.04
コメント(4)
たまに遠征で都内の自宅に戻ると、20歳のひとり息子と野球ゲームに興じる。「ここでは何を投げればいい?」「巨人の小笠原か。ここはインコース」「こいつはシュートだ」本業の血が騒ぎ出し、息子は「母ちゃん、嫌になっちゃうよ。本当の攻め方を教えるんだよ」(朝日新聞)53年ぶりに中日を日本一に導いた落合博満監督。氏の日常生活のヒトコマ。現役時代、つねに「オレ流」を貫いた。だから、監督としてこういった功績を築くことを、予想していた人は少なかったはず。落合氏の監督に就任時、中日・白井文吾オーナーがこう言った。「落合監督には大きな期待とともに、『あの変わり者が…』と皮肉を持って眺める人がいる。しかし私は経験豊かで理論、洞察力もしっかりしている人だと思う」落合監督就任の理由。もしこの言葉どおりなら、大新聞社のオーナーだけあって、白井オーナーの洞察力もさすがだ。落合さんの現役時代、朴訥とした東北弁での語り口に親しみを覚えたが、それ以外でボクが落合さんに興味をもったことはなかった。例えば日ハム時代。試合前のボールまわしやシートノック。それぞれの内野手が機敏に捕球し、送球を繰り返す中にあって、必ずそのリズムを断ち切る選手がいた。それが一塁を守っていた落合。やる気があるのかないのか、帽子を浅めにかぶって、緩慢な動きでの捕球と山なりの送球・・・。その姿は、元々ロッテ時代に二塁手をやっていた選手の動きには、とても見えなかった。そして、87年、中日へ移籍した際に日本人初の1億円プレーヤ-となり、93年には選手会が獲得したFA権を最初に活用したのが、選手会を脱退していた落合であったことなど、お金に執着心の強い印象ばかりを強くボクは受けていた。今年のセ・リーグ。選手会を無視して高額の収入を得た「オレ流」の落合さんが日本一に輝き、選手会会長も務め、その指導力を高く評価された古田敦也氏が率いるヤクルトが最下位に沈んだ。落合さん、実は相当に「人間くさい」人らしい。なぜか、選手たちからの信頼も厚いようだ。/font>1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.03
コメント(2)
早稲田大・應武篤良監督、先輩理事と称するOBたちを激怒させてしまった。先日の早慶戦、試合終了後に「へたくそだ」と審判批判し、ついでにマスコミの取材を一切拒否してしまったから。審判関係者は怒り心頭の面持ちだ。「長い間審判をしてきて、こんな発言は聞いたことがない」これまでも應武さんが引き起こした事件はあった。五輪代表チームに入れる入れないで、斎藤佑樹をめぐって星野仙一ジャパン監督と揉めた。そして、自チームの選手を巻き込んだ西武裏金問題が発覚した時は、西武に対して「クソバカタレ!」と叫んだ。でも、これまで大した問題にならなかったのは、アマチュア野球界の要職にあった長船騏郎氏という後ろ盾があったから。(日刊ゲンダイ)ところが、この9月に長船氏が亡くなった。そのことと、應武さんへの風あたりが強くなったことは無関係でないかもしれない。さて應武さん、今後しばらくは優勝を狙える戦力を武器に、うるさ型のお歴々とどう戦うのか、やんちゃなグラウンド外の戦いも見てみたい。1日1クリックお願いします >>人気ブログランキング
2007.11.01
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1


