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一昨日も書いた朝日新聞・埼玉版の連載企画「あの夏の記憶、高校野球埼玉大会 名勝負選」。読者から応募のあった名勝負の中から5試合を厳選し紹介している。第3回目の今日は、上尾高vs川越工高。<決勝>1979年7月30日 大宮県営球場川越工 000 000 000 =0上 尾 000 100 000 =1上尾高のエースは、右横手投げの技巧派・仁村徹。東洋大を経て中日に入団、その後投手から二塁手に転向し、野手として活躍した「仁村弟」のこと。現在は中日のスカウトをしている。この仁村、直球は120kmと速くないが落ちるシュートとカーブを得意とし、絶妙のコントロールを武器にしていた。後ろで守っている野手は、捕手が構えたコースを見ると打球の方向が予測できるほど、仁村のコントロールは正確だった。この大会中、仁村は54イニングを投げ、与四死球3、42イニング連続無失点という驚異的な記録を残した。優勝を決めた上尾高の野本喜一郎監督(故人)、「長かった一年だった」と語り、涙を流したという。この野本氏の言葉には理由がある。前年の78年、野球部員3年生の二人が不祥事を起こし、半年間の対外試合禁止の処分を受けていたのだ。普通ならモチベーションが落ちる状況で、選手たちは一日も休まず練習し、単調になりがちな紅白戦を丹念に繰り返した。その試練の末に掴んだ「甲子園行きの切符」、喜びもひとしおだったに違いない。上尾高の主将は福田治夫氏、現在は桐生一高野球部の監督をされている。------------------------------------------------------エース・仁村徹を擁する上尾高、甲子園の初戦で牛島和彦や「ドカベン」こと香川伸行のいる大阪・浪商高と対戦。9回まで2-0とリードしながら、勝利目前で牛島に同点の2点本塁打を打たれ、延長戦の末に敗退した。この仁村と牛島、不思議な縁がある。それは仁村の入団一年目(84年)のこと。初登板初勝利を挙げた時、救援で登場して仁村の初勝利をアシストしたのは、仁村から甲子園での勝利を奪った牛島和彦、その人だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.31
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今日の日刊ゲンダイ、ごく小さな記事に目がとまった。それは「ナントカ還元水、登録商標申請者がいた!」と見出しのついた記事。埼玉在住の男性が、3月20日に「ナントカ還元水」という言葉を特許庁に登録商標の申請をしていたことが発覚したという。この言葉、先日自殺した松岡利勝農水相が国会答弁の際に口をついて出た言葉。これにマスコミが飛びつき、流行語になっていた。それをさっそく商標登録申請をする「利に敏い(りにさとい)」男がいたということらしい。その行為を非難しているのではない。ある意味、うらやましい。何が何だかわからないことの多い今の時代、そういった屈託のない行動力(?)も大事なことかもしれない。でも松岡氏が死去したことで、ジョークとして使うことはまかりならぬかもしれない。その男性、今ごろ歯ぎしりをしているのかも--------------------------------------------------------同じ日刊ゲンダイ。別の記事には、「早慶戦 チケット9千枚1時間で売り切れ」早稲田大側のチケット販売が行われたが、たったの一時間で売り切れたという。あとは神宮球場で発売される当日券が少し残っているだけらしい。昨年までは、いかに早慶戦といえども空席が目立っていた。なのに、「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の人気はスゴイものだ。ん 「ハンカチ王子」さっそく特許庁のホームページで登録商標の申請状況を検索してみた。すると、あった、あった、「ハンカチ王子」がすでに9件もさすがに、申請した会社や個人名をブログに書くのは憚れるので書かない。大手商社や布製品のメーカーなどが名を連ねていることは確認できた。最も早く申請したのは大手商社で、出願日は昨年の8月22日だった。昨夏の甲子園、早稲田実と駒大苫小牧高の決勝再試合が行われたのは8月21日。ということは、その翌日にちゃっかり申請をしていたということになる。へぇ~、でも斎藤佑樹本人の了承とか必要ないのかな、この場合は?いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.30
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いうまでもなく坂元弥太郎はヤクルト、中里篤史は中日の投手。坂元は00年ドラフト4位で入団、通算成績は12勝14敗。そして中里、坂元と同じ00年にドラフト1位で入団し、これまでの通算成績は2勝2敗。この2人、00年夏の埼玉県予選の決勝で相対している。坂元は浦和学院高のエース、中里は春日部共栄高のエースとして。埼玉県内では、今も語り継がれる名勝負のひとつ。今日付の朝日新聞・埼玉版。「あの夏の記憶、高校野球埼玉大会 名勝負選」と題し、読者から応募のあった名勝負の中から5試合を厳選。第1回目の今日は、00年決勝の春日部共栄高-浦和学院高戦。(※下記の内容は、その記事を参考にしています) <決勝>2000年7月20日 大宮県営球場共栄 000 001 000 0 =1浦学 000 100 000 1X=2この試合、勝利し甲子園に出場したのは浦和学院高。でも、もともと戦前に評価が高かったのは中里篤史。打者から見ると、「わかっていても手が出ない直球」でグイグイ押しまくる投手、関東No.1投手の呼び声も高かった。一方の坂元、5~6月の練習試合では2ケタ失点が当たり前。浦和学院高・森士(もり おさむ)監督は、一学年下の大竹寛(現・広島)を夏の大会のエースにしようと考えざるを得ない状態だった。そんな監督の心の内を微妙に感じ取った坂元、落ち込まずに開き直ったことで道が開けた。「結果を求めるだけでは空回りする。野球を楽しもう」と。大会に入ってからは快投を演じ、あれよあれよという間に中里までも破り、甲子園出場を決めてしまった。勝負が決したのは10回裏、浦和学院高の攻撃。この回の先頭打者・坂元が四球を選んで出塁。二進後、打者・丸山の中前打で坂元は本塁に滑り込み、サヨナラ勝利と同時に甲子園出場権を手中にした。試合後、この瞬間を振り返った坂元のコメントが奮っている。「試合が終わったことを知らなかった。次の回を抑えなければいけない。投げなければって。それ以外、何も考えていなかった・・・」。すさまじい集中力だ ボクは、たしかこの試合をテレビで見ていたと思う。サヨナラの走者が坂元だったことは、まるで記憶にない。憶えているのは、サヨナラが決まった瞬間のこと。本塁の後ろにカバーリングに入った中里が、ぼう然と立ちすくむ後ろ姿。そして、埼玉高校野球の決勝、ボクが名勝負だと思うのは05年の春日部共栄高-埼玉栄高だ。優勝をほぼ決めていた埼玉栄が最終回に大逆転を喰らい、春日部共栄に敗れてしまう。まさに「筋書きのないドラマ」を具現化して見せた好ゲームだ。ちなみに埼玉栄のエースは、昨秋のドラフトで西武に入団した木村文和だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.29
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ZARD坂井泉水さんが亡くなったそうだ。事故死なのか自死なのか、様々な情報が錯綜していていま現在、本当のことはわからない。実は、ボクは彼女のファンでCDを結構持っている。カラオケに行けば、音痴ながら年甲斐もなく「負けないで」をガナッていた。一番好きだったのは「揺れる想い」だけど、カラオケでボクが歌うのは、聞いてる連中がさぞや気持ち悪かろうと遠慮していた。-----------------------------------------------------------以前、甲子園の行進曲に使われていたことを思い出し調べてみた。どうやら94年のセンバツだったらしい。いまから13年前のことだ。ずいぶん時間が経った。その「負けないで」が流れる94年センバツの甲子園。行進した高校球児たちは、現在は30歳前後の年齢になっている。優勝候補筆頭だったPL学園にいたのは宇高伸次(近畿大-元近鉄)、前田忠節(2年・東洋大-近鉄-阪神)、大村三郎(サブロー、ロッテ)、そして2年生ながら4番に座る福留孝介(中日)。ほかに横浜高・多村仁(ホークス)、大府高・赤星憲広(阪神)、宇和島東高・宮出隆自(ヤクルト)、東北高・嶋重宣(広島)らがいた。ちなみに、この大会で優勝したのは智弁和歌山高、準優勝は常総学院高だった。----------------------------------------------------------それから8年の時を経た02年のセンバツのこと。偶然どなたかのブログで見たのだけど、坂井泉水さんと高校球児たちとの、ある逸話が紹介されていた。ちょいと記憶がアヤフヤだけど。坂井泉水さんのファンだった日大三高ナイン。いや、坂井さんが日大三高のファンだったか?ハッキリしないけど、いずれにせよ日大三高ナインは甲子園出場を決めた後、坂井さん直筆のサインをもらい、それを甲子園近くの宿舎に持ち込んだ。その色紙には、彼女のこんなメッセージも添えてあったという。「負けないで。甲子園を駆け抜けろ~」。日大三高の選手たち、一回戦の報徳学園高戦の試合前に「負けないで」を全員で合唱し、大いに気勢を上げて試合に臨んだという。残念ながら、惜しくも2-3で敗戦したようだが。その時、相手の報徳学園高・エースは大谷智久(早稲田大-トヨタ)。そして、「負けないで」を合唱した日大三高には、エースの清代渉平(明治大-NTT東日本)がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.28
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東京六大学野球、明治大-法政大2回戦。昨日の1回戦に引き続き、明治大が勝利。「逆転V」に僅かだが希望を残した。そのためには、来週行われる早慶戦で慶應義塾大が早稲田大に連勝することが必須の条件となる。今日の試合、優勝の望みはないものの、最後に一矢報いたい法政大はエース・平野貴志(桐蔭学園高)が久しぶりに先発した。だが平野、どうにも落ち着かない。初回早々に1点を失い、なおも満塁のピンチで打席に謝敷正吾(大阪桐蔭高)を迎える。平野が投げたのは、外に逃げる変化球。それを謝敷はきれいに左中間へ弾き返し、走者一掃の二塁打を放つ。事実上、勝負はこの時に決まった。この春季リーグ、法政大にとっては何も良いことはなくシーズンを終えた-------------------------------------------------この対明治大2回戦。法政大のメンバーには、3人の中京大中京高OBたちがいた。渡辺哲郎(4年)、伊藤暢啓(3年)、亀谷信吾(2年)。渡辺哲郎、02年センバツで捕手として、甲子園に出場している。エースは中根慎一郎(慶応義塾大-三菱重工名古屋)、そして二塁を守っていたのは現・楽天ルーキー捕手の嶋基宏(國学院大-楽天)。豪華メンバーだが、一回戦で西村健太朗(現・読売)を擁する広陵高に完封負けを喫した。そして伊藤暢啓と亀谷信吾、一緒に04年夏の甲子園に出場している。一回戦で明豊高、二回戦で浦和学院高を破り、三回戦では静岡・東海大翔洋高に苦しみながら逆転勝ちをした。調べてみると、その試合後の伊藤暢啓主将のコメントがあった。「せめてアイツにいい報告がしたかった。だから勝ててよかった」と。アイツとは亀谷信吾のこと。主軸だった亀谷、大会中に発熱し一時は入院。退院後も「球場に入ってはいけない」とドクターストップがかかり宿舎のテレビで仲間のプレーを見守っていた。この時の中京大中京、結局準々決勝で済美高に敗れる。済美の投手は、現・早稲田大の福井優也だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.27
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今日行われた横浜-楽天戦。楽天・先発の山村宏樹(甲府工)が7回を被安打4、奪三振5、自責点1の好投で勝利に貢献した。「若手が頑張っているので、負けられない」と、試合後控えめに話していたが、好不調の波が大きい山村、今日は「良いほうの山村」だった。テレビ観戦中、思わず興奮したのは9回表。4番・山崎武司(愛工大名電高)が打った、この日2本目の本塁打は、レフトスタンド場外に消えた。それは、この回から5番手で登板した那須野巧投手(駒場学園高-日本大)が投げた5球目、真ん中高めの直球だった。山崎独特の左足を上げてタイミングをとって、思い切り振ったバットが運んだ打球。打った瞬間に特大本塁打とわかった。まさに山崎、ただいま絶好調。チームの好調をけん引している。--------------------------------------------------そしてこの試合、8回表には事件が起きた。楽天・フェルナンデスが右中間に放った打球を追いかけた中堅手・金城龍彦(近畿大付高)と右翼手・古木克明(豊田大谷高)が激突。古木はケガがなかったようだが、金城は立つことができず担架で運ばれた。その後の症状はわからない。直後の8回裏、横浜・ホセロ投手が投げた149kmの直球をもろに身体に受け、もがき苦しんでいたのは藤井彰人(近畿大付高-近畿大)。実はこの藤井と、負傷退場した金城は高校時代にバッテリーを組んだ仲。-------------------------------------------------------93年夏、二人とも2年生ながら甲子園に出場している。金城龍彦は背番号こそ「13」だが、実質的なエース。1回戦の青森山田高戦は登板しなかったものの9-1で大勝。2回戦の常総学院高では先発し、途中から藤井彰人が出場、金城とバッテリーを組んだが1-4で敗退した。当時の金城、最速147kmを投げる大会で話題の投手。ピッチングに全精力を傾けていたためか、常総学院戦の打順は8番。一方の藤井は5番を打っていた。常総学院、3番打者で活躍した金子誠(現・日本ハム)がいた。そして、この大会の準決勝で常総を破ったのは春日部共栄高。この春日部共栄のエースは、今日横浜・先発の土肥義弘だった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.27
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昨日行われた楽天-読売戦。小笠原道大(暁星国際高)とホリンズの、いずれも2点本塁打が飛び出して読売が4-1で勝利した。期待の楽天・青山浩二(函館工高-八戸大)は先発したものの、1回1/3で早々のKO。急きょ救援した有銘兼久(浦添商高)がゲームを作り直したものの、序盤失った4点差を追いつくことはできなかった。驚いたのは読売の救援で7回に登場した豊田清(鈴鹿高-同朋大)。読売の事情に疎いボクは、ここで豊田が登場するとは想いもしなかった。ただ、鷹野史寿と山崎武司をいずれも三振に仕留めた対決は、実に見応えがあった。----------------------------------------------------------≪鷹野史寿vs豊田清≫まず代打で登場した鷹野vs豊田。カウント2-1と追い込んだ後、直球が来るか、フォークかを悩ませておいて(TVの解説者によると)145kmの直球を外角低めに投げる(ファール)。そして5球目、今度は同じコースにフォーク。鷹野のバットは虚しく空を切った(三振)。≪山崎武司vs豊田清≫続いて4番・山崎武司vs豊田。あっさりと2ストライクを取り山崎を追い込む豊田。そして3球目、4球目は低めに落ちるフォークを続ける。普通の打者なら見極められずに空振りするかもしれない。が、絶好調の山崎はあざ笑うかのように、平然と低く外れるフォークを見送る。(カウント2-2)5球目。豊田は内角低めに146kmの直球を狙い澄ましたように放り込む。だが、山崎は変化球を予想していたのだろうか、バットはぴくりとも動かずに見逃し三振。豊田、7回のピンチを乗り切った。「丁寧に低めに投げれば本塁打はないと思った。去年は本塁打でやられたんで」とほっと息をついたそうだ。--------------------------------------------------------スポーツナビによると、昨年、このフルスタで豊田は屈辱を味わった。それは一年前の5月20日のこと。2点リードの9回にフェルナンデスに逆転サヨナラ3ランを浴びた。そこからチームは勢いを失った。豊田は不振が続き、抑えを外れた。因縁の相手に雪辱し「良かった。あれが僕のグダグダの始まりだったから」。今日の勝利、豊田にとって大きな1勝になった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.27
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東京六大学野球、明治大-法政大1回戦。結果は、明治大が7-3で法政大を破った。わずかながら優勝の可能性を残す明治。今日明日の法政戦で連勝し、かつ来週行われる早慶戦で慶應が早稲田に連勝すると、明治に優勝の可能性が生まれる。一方の法政、先週の慶應戦にも連敗し、すでに4位が確定している。投手陣もエース・平野貴志(桐蔭学園高)を欠いており、チームの目標もない、投げる投手もいない状態だ。有り体にいえば、まだ目標があるチームと、ないチームの差がハッキリと出た今日の試合だった。明治、試合を決めたのは7回裏。特に4-0と点差を広げ、なおも満塁の好機に4番・行田篤史(遊学館高)が走者一掃の二塁打を放ちダメを押した。---------------------------------------------------行田(ぎょうだ)篤史。高校時代、02年夏と03年センバツの2度、甲子園に出場している。ちなみに当時、遊学館高のエースは現・阪神の小嶋達也(大阪ガス)。02年夏の甲子園に出場したとき、行田は2年生。大会第6日・第1試合の対桐生市商高(群馬)戦では、夏の大会通算1000本目となる「記念本塁打」を記録した記念本塁打も放ち、勢いを加速する遊学館打線。桐生市商高を8-3、三回戦の対興誠高(静岡)を8-4で破りベスト8に進出したが、準々決勝で現・日本ハムの鎌倉健投手を擁する川之江高に完封負けを喫した。※この大会、本塁打を放ちながら、惜しくも一本違いで999号になってしまったのは、瀬間仲ノルベルト(日章学園)だった。----------------------------------------------------さて、今日の行田。終盤の守備は草野球並みだった。8回は一塁への平凡なファールフライを落球、そして9回には一塁ゴロの打球を、打球方向とは逆に身体が反応するチグハグなプレーも披露し、失点してしまった試合後のインタビューでは、「明日こそ、今日のような無駄な失点をする試合はしたくない。もういちど優勝を信じて引き締めないと」と、バツの悪そうな表情で話していた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.26
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07オールスター開催要項を発表…第2戦52年ぶり昼開催(サンケイスポーツ)7月20日、仙台で行われるオールスター第2戦。デーゲームで開催されるそうだ。ま、ボクにとってはどうでもいいこと。オールスターはあまり見ない。なぜなら、ゲーム中にインタビューがあったり、ネット裏で解説者やゲストが多数出演し、騒がしいったらありゃしない。でも、いまだに名勝負として語り継がれるシーンもある。江夏豊の9者連続奪三振と、ひとつ少ない江川卓の8者連続奪三振。当時阪神のエース・江夏豊の記録は71年(昭和46年)7月17日、第1戦の西宮球場で達成された。≪三振を奪ったパ・リーグの打者たち≫1回 有藤 道世(ロッテ) 基 満男(西鉄) 長池 徳二(阪急) 2回 江藤 慎一(ロッテ) 土井 正博(近鉄) 東田 正義(西鉄) 3回 阪本 敏三(阪急) 岡村 浩二(阪急) 加藤 秀司(阪急) ↑懐かしい名前が並ぶ。東田という選手だけは記憶にないが・・・。調べてみると、前年の第2戦の5打者、この試合の9打者、そしてこの年の第3戦で1打者から連続して三振を奪う「15者連続三振」の記録も、江夏は持っているということを初めて知った。そして当時読売の投手だった江川卓の記録は84年(昭和59年)7月24日、第3戦で4回から登板し達成された。≪三振を奪ったパ・リーグの打者たち≫4回 福本 豊(阪急) 蓑田 浩二(阪急) ブーマー(阪急)5回 栗橋 茂(近鉄) 落合 博満(ロッテ) 石毛 宏典(西武)6回 伊東 勤(西武) クルーズ(日本ハム) ↑ここまでで8者連続三振を奪う。そして9人目に登場したのは、我らが近鉄バファローズ「大ちゃん」こと大石大二郎。カウント2-0から、外角へのカーブを辛うじてバットに当てて二ゴロ。江川の9者連続を防いだ。記憶がはっきりしないけど、当てたというより当たったような、大石にしてはあまりに中途半端なスイングだったように思う。 上にパ・リーグの選手名を並べた。この選手名を見ているだけでも、昔のいくつかのシーンを思い出して懐かしい気分になる。※たとえば有藤、17年後「伝説の10.19」で近鉄バファローズの優勝を抗議時間を使って防いだ監督としても名を馳せることになる。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.26
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今日の日刊ゲンダイが報じている。楽天・野村克也監督、ある投手の現状を憂えているそうだ。その投手とは、シダックス時代に師弟関係にあった野間口貴彦(関西創価高-創価大中退)のこと。04年、自由枠で「鳴り物入り」で入団をしたものの、はっきり言って「鳴かず飛ばず」状態の野間口。通算成績は5勝6敗で今季は開幕一軍を逃し、背番号も「13」から「33」に格落ちした。ノムさん、そんな野間口を見ていて心配で仕方がない。仮にも最速150kmを投げられる投手、巨大戦力を擁する読売の中で埋没していく姿は見たくない。なにせ有能な選手を「塩漬け」にすることだけには長けている球団だ。だから、野間口を楽天に呼び、自らの手で再生したいと願っている。でも、欲しいといっても、おいそれと簡単に出してくれる選手ではない。いかに実績が出ていなくとも、商売となれば話は別だろう。それに、野間口に見合う楽天の選手とはいったい誰なのか?ノムさんの隠し玉は、なんと岩隈久志(堀越高)だという。一応、楽天のエースと呼ばれているものの、故障がちでパッ!としない状態が続いている。ノムさんは、そんな岩隈が疎ましい。「ほんとにやる気があるのか?」と。だから、岩隈と野間口のトレードを真剣に考えているらしい。・・・・・・・・・・ホントかな?-------------------------------------------------------岩隈久志。99年、ドラフト5位で近鉄に入団した。同じ時、1位は現・オリックス育成選手の宮本大輔(延岡学園高)。2位は現・オリックスの高木康成(静岡高)、そして3位は現・阪神の前田忠節(PL学園高-東洋大)。岩隈、03年いきなり2ケタ勝利(15勝)を挙げたことでまだ未熟ながら、翌年にはいきなりエースの称号を与えられる。その04年も15勝だったが、近鉄バファローズは球団ごと消滅、岩隈はオリックス入りを拒否して楽天に移籍する。 一年目の05年は9勝(15敗)したものの、野村監督が就任した昨年は故障がちで1勝止まりだった。日刊ゲンダイでは、岩隈が故障がちになった理由を、「最も信頼する義父・広橋公寿氏(元・西武)が、ノムさんの監督就任と同時に二軍コーチに格下げされたこと」が遠因ではないかと推測している。たしかに岩隈が調子を落とした時期と符合する。真偽はわからないが、ボクは別の理由を思いつく。それは、近鉄バファローズが岩隈にエースの称号を与える時期が、営業上の理由から拙速に過ぎたように思う。まだまだ下積みの段階に、名誉が与えられると多くの人は勘違いをする。オリックス入りを拒否した時点では、その心理を十分に理解できたけれどそのあとがいけない。近鉄のプロテクトから外れた選手の多くが失意の中で楽天に移籍した同じ時、「おれは楽天に行ってやる特別な立場だ!」といった、傲慢さを当時の岩隈に感じた。その延長線上に今があるように感じる。あくまで私見として。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.25
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いま新聞やテレビは大騒ぎだ。それは「消えた年金」問題。年金受給者への支給漏れが生じている事件。その数、約5000万件に上る。該当者は申告が必要らしいが、ただでさえわかりずらい年金制度。自分がその該当者だと認識している人は、いったいどれだけいるのだろう? そして野球界を揺るがす「裏金問題」。専大北上の再加盟認める=夏の岩手大会出場へ-高野連(時事)野球部を解散させた岩手・専大北上高が6月1日付で再加盟を認められることになったという。この点に関しては、まずはよかった。そもそも西武の裏金に端を発したこの問題。専大北上高が野球部解散に追い込まれ、いつの間にか高校野球の「特待生問題」に発展した。そして全国各地の春季大会では出場辞退や、高校と特待生の契約解除が行われるなど、あらぬ方向に事件は向かっていた、問題の本質はベールに隠されたまま・・・。この「裏金問題」の本質は、高校野球をやっている選手たちにあるというより、プロ球団はもちろん、優れた選手をエサにして「甘い汁」を吸おうとする指導者、ブローカーやタニマチ風情のオトナたちにこそある。なのに、その点を避けて、現役野球部員たちに出場辞退や特待生取消などの罰を課しただけで終息しそうな気配だ。根来泰周コミッショナー代行は、毎度のとおりアクションを起こすわけがないし、西武に調査結果の公表を求めるアマチュア野球団体にしても、とりあえずのポーズに過ぎないのだろう。公表されて一番困るのは、この人たちの近隣の人たちなのかも知れないから。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.24
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突然ですが、本日よりタイトルを「あま野球日記」から「アマチュア野球日記」に変更しました。何のブログなのか、今ひとつわかりずらかったため、内容を明確に表すための変更です。これまでと同様、よろしくお願いします。さて、本題-------------------------------------------------「僕にもプライドがある。制球のよさを見せつけたかった」。これは、昨日のヤクルト戦で見事に3勝目を挙げた楽天・永井怜投手(東農大二高-東洋大)の試合後のコメント。この発言、実は伏線がある。16日の日ハム戦に先発した永井、5回6失点と散々な結果に終わった。試合終了後に永井を評して、野村克也監督はこんなことを言っていた。「球は遅いし、制球は悪いし、少年野球みたい。二流や!」とケチョンケチョン。その発言を聞いた永井、食事もノドを通らないくらいに落ち込んだそうだ。穏やかな顔つきの永井、でも見かけによらず、本当は負けん気が強い。そのことを熟知した野村さんは、その負けん気を刺激しようと意図的にマスコミに流した「永井批判」だったようだが、それがまんまとハマった格好だ。さて、今日先発した田中将大(駒大苫小牧高)。2回と1/3を投げて、被安打4、与四死球3、自責点2と早々にKOされた。テレビでは「田中に非常な采配」と言っていた。今日の楽天、延長10回サヨナラ勝ちをしたものの、田中の試合後のコメントは「(チームは)勝ったけれど、複雑です」と言葉少なだったよう。永井とは逆に、心臓に毛が生えていそうな田中だけど、意外に繊細な性格な持ち主。この田中に対し、野村さんがどんな方法で鼓舞するのだろう?ボクにとって興味あることではある-------------------------------------------------------------そういえば、永井怜の母校・東洋大が今日、國学院大を破って「戦国東都」を制したようだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.23
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プロ野球、今日から交流戦が始まった。いま、楽天-ヤクルト戦をケーブルテレビ(録画)で観戦中。結果を先に言うと、楽天が4-2で勝利した。圧巻だったのは5回裏、楽天の攻撃。一死満塁で「ミニカー好きな単身赴任者」の山崎武司(愛工大名電高)が放った打球は、目が覚めるような左翼手・「謎の天才選手」真中満(宇都宮学園高-日本大)への強烈なライナー。真中、思い切りジャンプし、かつ右手を伸ばして打球を好捕する大ファインプレー! はじめこの左翼手が誰かわからなかったが、ほとんど守備につく機会が少ない真中だっただけに驚いた----------------------------------------------------------先発は楽天・永井怜(東京農大二高-東洋大)と、ヤクルト・藤井秀悟(今治西高-早稲田大)。永井は7回を投げて、被安打5、奪三振5、自責点2で3勝目(2敗)を挙げた。明日は田中将大(駒大苫小牧高)が先発する。さて、永井と言えば東洋大。その東洋大、東都大学リーグで今日、國学院大に勝利して優勝に王手をかけた。明日の2回戦で勝利すると、戦国東都の覇者になることが決定する。東洋大、今日の勝利投手はエース・大場翔太(4年・八千代松陰高)。昨年まで東洋大のユニフォームを身にまとっていた永井から引き継ぎ神宮のマウンドに立ち続けている、プロ注目の投手。高校時代、甲子園への出場経験はない。3年の時、春の県大会に優勝し関東大会に出場したが、関東大会の準々決勝で敗れた。--------------------------------------------------------------余談だけど。今日は岩手・盛岡での開催ということもあるのか、地元出身の畠山和洋(専大北上高)や岩手出身ながら仙台育英高に進んだ志田宗大が試合に出場していた。 いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.22
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「はしか(麻疹)」が大流行だ。早稲田大も一部の学生が感染したため、ほぼ全学で休講の措置をとったらしい。となると、話題になるのは斎藤佑樹のこと佑ちゃん、はしか直撃…早大29日まで休講(スポーツ報知)ひょっとしたら、6月2日から開催予定の早慶戦が延期になる可能性もあるのだとか。そして、斉藤本人は大丈夫なのだろうか? と心配している通信社もある斎藤投手、はしかの恐れなし=野球部で感染者はゼロ-早大(時事通信)それによると、斎藤佑樹投手は既に抗体があったため、はしかにかかる恐れはないという。ナハハ・・・こういうことまで斉藤を中心に報じるマスコミって、いったい? ま、斎藤が風邪で寝込んだだけで一面で扱った過去があるだけに、さもありなんか?最近、斎藤のご両親は「息子(佑樹)の子育て法」なるテーマで、雑誌への寄稿や単行本の執筆に忙しいらしい。次は「息子に抗体を持たせた、私の成功談」なんて本を書いたらいいのかも。(売れるわきゃないか)---------------------------------------------------------冗談はさておき、「はしか(麻疹)」に限らず、流行ってほしくないことがある。それはある日の朝、通勤電車の中で見た風景。座席に座った若い女性が、コンビニのおにぎりをパクついている姿をたまたま目にした。平然と、当たり前のように右手で雑誌のページをめくりながら、左手でおにぎりを口に運んでいた。郊外や地方の、4席がボックス形式になった電車ならまだわかる。ボクが乗る電車は普通にある長椅子の電車。以前は、車中で化粧している姿に驚いたことがあったが、今では驚かない。その「抗体」は、ボクにも最近できた。でも、朝の通勤電車の車中で食事をするのはなぁ・・・?流行ってほしくないもの、それは「はしか(麻疹)」もあるけど、こんな車中の風景にもいえる。しばらく、ボクにその抗体はできそうもない・・・いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.22
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こんなことになるとは・・・?それは早稲田大・斎藤祐樹投手のこと。最近は「サンデー佑ちゃん」というニックネームもあるそう。つまり2戦目には必ず先発するという意味だから、1年生のくせに(失礼!)大したもんだ。日曜日(20日)の対明治大2回戦。6回を投げて93球、被安打5、奪三振4、与四死球2、自責点0で3勝目を飾った。興味深かったのは6回裏、明治大の攻撃。二死満塁、代打で登場した謝敷正吾(1年・大阪桐蔭高)を、カウント2-1から得意のスライダーで空振り三振に仕留めた。---------------------------------------------------------斎藤佑樹と謝敷正吾は、昨夏の甲子園2回戦で相対している。2006年8月12日のことだ。その時の結果は、3番で登場した謝敷の4打数1安打。1打席目は三振を喫した。今日の朝日新聞によると、その試合の1打席目の三振も同じスライダーだったようだ。---------------------------------------------------------斎藤と謝敷のコメントが新聞に出ている。まず斉藤。「最後に謝敷に投げる球はスライダーと決めていた。(昨夏の)甲子園でも、それで三振を取っていたから」そして謝敷。「悔しい。(昨夏と)同じ球で三振してしまった」 時間と場所を越えて、再び斎藤と謝敷が対決した。昨年8月は甲子園で、そして一昨日は神宮の東京六大学で。高校野球、大学野球、なんて面白いんだ「あま野球日記」はテーマ「大学野球を応援しよう」を運営しています。どうぞ、こちらもご覧ください。また、「あま野球日記」は、慶應野球部ブログと相互リンクをはっています。こちらもどうぞ。そして、いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.21
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春季関東大会・準々決勝■富士見高(埼玉) 4-5 甲府商高(山梨)■富士見 101 001 100 =4 甲府商 001 001 30X =5 ひと言、残念だ今日行われた準々決勝、試合の詳細はわからない。が、スコアを見る限り、常に先手を取っていたようなのに。-------------------------------------------------------------タイミングが遅くなったけれど、20日(日曜日)に行われていた2回戦の模様(保土ヶ谷球場)を記録に残しておきたいと思う。■富士見高(埼玉)7X-0銚子商高(千葉)■銚子商 000 000 0 =0富士見 220 002 1X=7序盤、富士見高は効果的に得点した。まず初回。富士見は、粘って投手に7球を投げさせて四球を選んだ2番・本城と、ファールで粘り10球投げさせて、やはり死球で出塁した3番・簑輪。この2人を一・二塁に置いて5番・小暮が左翼線をライナーで抜ける二塁打を放ち、2者生還。(スコア2-0)※銚子商・先発の加瀬投手は1回だけで、投球数は33球。続く2回。この回先頭の7番・庄司は、カウント2-1と追い込まれながらも粘って四球、8番・上條は送りバントの構えからバスターに転じて三遊間をゴロで抜ける左前打。走者1・2塁となる。※普通なら送りバントをすると思うが、富士見高は埼玉県大会の時から序盤に送りバントはしないようだ。これは9番・徳世のときも同様。無死一・二塁だったら、ふつうは送りバントだろうが、ここも強攻(結果は三振)。そして、富士見高・監督の息子さんらしい1番・山崎が左翼越えの二塁打を放ち、2者生還。さらに2点を追加し、富士見高は4-0とした。※銚子商・加瀬投手はこのイニング、投球数は29球。加瀬投手、2イニング合計で62球も投げてしまった・・・3回以降はつねに3者凡退。中だるみの感があった富士見高、6回に再び目が覚める。3番・簑輪が二遊間をゴロで抜ける中前打で出塁。4番・太田が左翼線を抜ける二塁打を放ち1点追加。(スコア5-0)≪ここで、投手は加瀬から中嶋に交代する≫5番・小暮が振り逃げで走者一・三塁。6番・小池は三振したものの、その間に一塁走者の小暮が二盗し二・三塁。富士見、この後がすごかった7番・庄司がカウント2-2から、高めに外されたボールを強引に三塁前にスクイズを決めた。庄司、ガッツポーズをしながら一塁ベースを駆け抜ける(スコア6-0)7回にも、先頭の1番・山崎の右中間を抜ける三塁打を足がかりに無死満塁のチャンス。4番・太田が右犠飛を打ち上げ、山崎が生還。コールド勝ちを決めた。-------------------------------------------------------------銚子商高・先発の加瀬が1・2回の合計で62球も放らされたのに対し、富士見高・太田投手はいたって「省エネ投法」。ピンチは4回の1イニングだけ。3番・嶋田が中前打、4番・中嶋が右前打、5番・黒田が死球で無死満塁。最低でも1~2点の失点も覚悟したろうが、6番・瀧田を見逃し三振、7番・中西と8番・糸川を空振りの三振と3者三振に斬ってとり、最もいい形でピンチを乗り切った。太田投手、コースを丁寧につく投球が目立った。と序盤はそう思ったが、あるとき偶然に隣に座っていた客たちが「試合前にあの投手の練習を見たんだけど、コントロールがメチャメチャだった。だから、適当にボールがばらけて逆に打者が打ちにくいんだ」と話していた。好制球? ただの荒れ球?いずれにせよ、昨日ブログに書いた第2試合の主審が、この第1試合の主審だったら太田は大変だったろう。なにせ、内外角ギリギリの球はほとんどストライクと判定しなかったのだから。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.21
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今日、春季関東大会2日目(2回戦)を観戦した。第二試合は、埼玉・滑川総合高-東京・日大三高。滑川総 010 002 000 =3日大三 000 220 00X =4投手:【滑川】内田-照井【日大】上松-宮田滑川総合高、特待生問題に揺れた埼玉県大会を優勝。準決勝では、優勝候補の一角を占める春日部共栄高を3-1で破っての出場だ。応援団はおらず、野球部員の父母しかいない日大三高。一方の滑川にはブラスバンドを含めた大応援団が・・・。滑川の先発は背番号「10」の内田、日大三高は「11」の上松。日大三高・エースの池田は昨日登板したこともあり、今日は一塁を守った。両チームの投手にとって困難を極めたのは、主審の厳しい判定だ。左右の厳しいコーナーへの球は、ことごとく「ボール」と判定されたこと。カウントを整えることに双方とも苦労したようだった。さて、ゲーム内容。先制を許した日大三は4回、2番・田中洋の左翼越え二塁打を皮切りに、4番・池田、6番・岡の適時打で2点を得点し逆転。続く5回、走者を一・三塁に置いて2番・田中洋が打席に。外野手はタッチアップに備えて前進する。だが、その前進守備を嘲笑うかのように、田中洋の打球は外野のはるか頭上を越える二塁打を放ち、二者を迎え入れて4点目を加点した。(スコア1-4)滑川も黙っちゃいない、6回表の攻撃。走者一・三塁で、途中出場の照井が中前打。続く9番・安藤も中前打を放ち3-4。あと1点差に迫り、なおも無死満塁のチャンスが続く。打者は代打の北村。北村が叩きつけた打球は、高いバウンドで二遊間を抜けるように見えたが、遊撃手の田中洋がまわりこんで好捕。二塁へトスして、滑川のチャンスは潰えた。---------------------------------------------------------滑川総合高のOBには、阪神の久保田智之(当時・滑川高)がいる。そして日大三高には、このブログに書いたばかりの故・根本陸夫氏がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.20
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今日の第二試合。1ー4で迎えた6回表、滑川の攻撃。相手の失策に三本の安打を絡めて2点を追加し3ー4の1点差に。なおも二死満塁と日大三高を攻め立てたが、代打・北村のセンター前に抜けそうな打球をショートの田中洋平が好捕。滑川のチャンスはついえた。滑川の先発は内田。そして、5回途中から出場した照井が好救援したが、あと1点が足りなかった。※メール送信したものを17:17に修正した。
2007.05.20
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富士見が予想外の圧勝だ、しかも7回コールドのオマケまでついた。勝因はなんといっても主戦・太田の投打にわたる活躍。(制球がよかったのか、適当に荒れ球だったのかは、よくわからなくなったが)。6回無死満塁のピンチも、三者連続三振で乗り切り7ー0で古豪。銚子商に圧勝した。※メール送信したものを17:15に修正。
2007.05.20
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高校野球関東大会。対銚子商戦。主戦太田の内外角を巧みに投げ分けた投球で、5回を終わって銚子商を0点に抑える。※メール送信したものを17:10に修正
2007.05.20
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昨日の日本ハムvsホークス、日本ハムが5-0で勝利した。勝利投手は木下達生(東邦高)、3度目の先発登場だったが、プロ入り初勝利に初完封というオマケもついた。9回、123球、被安打6、奪三振4、与四死球1、自責点0。木下達生。プロボクサー亀田興毅似で話題をさらったスター候補なんだそうな。写真を見たが、似ていると言えば似ているが・・・。東邦高3年生の春、センバツで甲子園に出場している。育英高、東海大相模高などの強豪校を破りベスト8まで進むが、山形・羽黒高に1-5で敗れた。3試合目の先発となった疲労から、高めに浮いた直球を痛打されたのが敗因。「甘く入った。ボールが高かった。連投に耐えられる投手になって夏も帰ってくる。泣きもしないし、下も向かない」。試合後、木下君はそう話した。 「目指すところはまだ上ですから。プロに行ってメジャーで戦いたい」。木下、結局夏に甲子園に戻ることはなかったが、もっとデカイプロ入りを果たした。 木下が指名を受けた05年のドラフト、大混乱だったことを思い出す。日本ハムから1位で指名を受けた陽仲寿(福岡第一高)は、その10数分前はホークスが指名権を獲得していたはずだった。外れだと思ったヒルマン監督がテーブルに戻り、日ハム関係者に外れクジをみせたところ、「交渉権獲得」という書いてあることに気づいた。そもそもヒルマン監督に漢字を読め! ということに無理があるようにも思うが、ホークス入りを熱望していた陽仲寿にとっては、有難迷惑な話だったのかもしれない(当時は)。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.20
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スカウト活動の自粛継続 西武、今オフに球場改修へ(スポーツナビ)小林信次新球団社長は自粛中のスカウト活動について、根来泰周コミッショナー代行からの制裁処分が出るまで自粛を継続する意向を示した。アマチュア野球の2選手を、結局さらし者にしただけで収束しそうな「西武裏金問題」。「裏金問題」。決して西武だけの問題ではないと思う。だが、当時から裏金があったかどうか置いといて、この球団のスカウトといえば「寝業師」と呼ばれた故・根本陸夫氏(日大三高-日大専門部-法政大)を真っ先に思い出す。選手・監督として目立つ存在ではなかったが、スカウトおよび球団編成においては異彩を放つ存在だった。「寝業師」と呼ばれるだけあって、目をつけた選手はどんな手を使ってでも獲得した(ようだ)。それは他球団のスカウトから見ても「サプライズ」の連続だった。たとえば西武・管理部長時代。工藤公康(現・横浜、愛工大名電高)を熊谷組に入社すると見せかけ、ドラフト下位で獲得。そして現・西武の伊東勤監督。熊本工高時代の80年、熊本県大会の決勝でエース・秋山幸二を擁する八代高を破り夏の甲子園に出場したことで、根本氏にその才能を認められる。それが契機となり、他球団から守るために西武に囲い込まれた。具体的には、81年に西武球団職員として雇われ昼間は練習生として活動、夜は埼玉県の所沢高(定時制)に転校させられた。そして、中内功オーナーに請われて移籍したダイエー時代。城島健司(現・マリナーズ)。別府大付高(現・明豊高)時代、根本氏は城島に「プロ入りの意思はない、駒沢大に進学する」とウソをつかせ、他球団のスカウトたちに城島獲得をあきらめさせた。そして、いざドラフト当日には堂々と城島を指名してみせた。まわりのスカウト陣が「ウォー」と驚嘆の声を上げる中、根本氏はニヤリと笑みを浮かべていた。「サプライズ」。元首相・小泉劇場のそれは、いささか自己満足的な意味が強かったのに対し、根本氏の「サプライズ」はよっぽど実効性を伴ったものだった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.18
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もっか2冠の大砲・山崎武司(愛工大名電高)。今日の日ハム戦、田中幸雄の2000本安打を放った記念試合で、3本の本塁打を打って楽天の勝利に大きく貢献、同率4位に浮上した。今日の山崎、4番に座り1打席目は、正田樹(桐生一高)とのトレードで移籍した金澤健人(磯原高)からレフトスタンドへ2点本塁打。2打席目も同じ金沢からレフトスタンドへソロ、そして3打席目は、伊藤剛(日大明誠高)から、またもやレフトスタンドに2点本塁打。まさに乗りに乗っている「中年の星」のような存在だタイミングよく、今日の日刊ゲンダイは山崎のことを大きく取り上げていた。若手選手の育成に熱心であり、挨拶しないとか、声が小さいといった基本的なことに対して、遠慮なく叱責。選手やコーチから人望も厚く、野村克也監督からも一目置かれる存在だそうだ。何やら無骨なイメージも漂うが、趣味はミニカー集めとラジコンカー。ミニカーは現在4000台を収集し、名古屋の自宅には16畳のおもちゃ部屋を作っている。ラジコンカーの同好者は、中日時代のチームメイト・山本昌(日大藤沢高)。二人で苗字からとった「山山杯」という冠をつけたレースも主催している。いいことづくめのように見える山崎、でも心配事がある。それは食事のことだ。「魚や野菜を摂とうと思っても、どうしても肉を真っ先に食べてしまう」。実は、オリックス時代から単身赴任が続いている。自宅は名古屋。一男一女をもうけたが二人とも小学校の高学年。今さら仙台に転校させるのは可哀想だと考えている。だから、今後も単身赴任を続ける覚悟だ。昨日書いた亀井義行や坪井智哉のように、「子供が物心つくまでがんばるぞ!」という目標は、山崎においてはすでに達成できているようだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.17
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読売巨人軍に亀井義行という外野手がいる。ボーイズリーグ「オール大和」ではエースとして世界大会に出場しチャンピオンに。その後、上宮太子高から中央大に進み04年、ドラフト4位で入団した。一年目の05年の試合出場数は20。二年目の昨年は開幕スタメンを奪取、最先のよいスタートを切ったように見えたが途中でケガ、結局は65試合出場に止まった。今季の出場数はまだ3試合だ。『婦人公論』(4月7日号、中央公論新社)という雑誌にこの亀井義行選手のインタビュー記事が掲載されていた。(なぜこの女性誌に亀井が登場するのか? 今ひとつボクにはわからないが)。-----------------------------------------------------昨年一軍に上がったとき、最も自信のあった打撃がまったく歯が立たないことを知り、大きなショックを受けたという。 もともと考え込んでしまう性格の持ち主。カラオケなどで憂さを晴らすタイプではない。もし同僚と騒いで一時的に逃げたとしても、そのあと一人になったとき、結局落ち込んでしまう自分の性格を分かっている。「俺はダメだ、ダメだ」と自分を責めることが続いた。そんなだから、いざ打席に立っても「あぁ、きっと打てないな」と考えてしまう。その時のビデオを後から見ても、本当に自信がなさそうな自分の表情が映っていて、情けなくなることもあった。しかし、最近になって精神的な弱さを克服するキッカケをつかみかけている。その理由のひとつは、息子が産まれたこと。「野球も、この子のためにがんばるゾ!」という勇気が湧いてくる。そして、「子供が大きくなって、父親が現役でプレーする姿を見て、感想を話してくれる日が待ち遠しい」と。----------------------------------------------------------亀井、子供が物心つくまで現役を続ける意志を固めようだ。選手生命が必ずしも長くない、プロ野球の世界に身をおく選手達。「子供が野球をわかるまでは、せめてユニフォームを着ていたい」と願う選手は多い。昨年戦力外通告を受けた後、再び日本ハムに大幅な減俸を受け入れて再入団した坪井智哉(PL学園高-青山学院大-東芝)も、以前同じようなことを言っていた。「3歳になる子供が自分のユニフォーム姿が分かるようになるまでは現役を続けたい」と。ボクは知らなかったが、坪井の父・新三郎氏もかつてプロ野球選手だったそうだ。息子と同じPL学園高を経て、中日-太平洋クラブライオンズ-クラウンライターライオンズを渡りあいた。だが選手生命が短かったためか、息子の智哉は父のユニフォーム姿を憶えていない。だからこそ、坪井は現役を長く続ける思いを強く抱いているのかもしれない。今季これまでの成績、(チームは43試合を消化)出場試合数37で打率.336。背水の陣である今季、まずは絶好のスタートを切った。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.16
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今日の西武-ロッテ戦は、横浜高の先輩・後輩対決となり、見事に先輩・成瀬善久が後輩・涌井秀章に勝利した。これで成瀬は負けなしの4勝目、涌井は6勝2敗となった。この2人、03年センバツで甲子園に一緒に出場している。成瀬がエースで3年生、涌井は2年生。2回戦で明徳義塾高を、3回戦で平安高を破り、そして準決勝では本格右腕・平岡政樹投手(元・読売)を擁する徳島商高を5-3で破った。この時まで横浜の先発は成瀬、救援が涌井という順番だった。決勝戦を戦ったのは広陵高。この時は涌井が先発し成瀬が救援したが、3-15の大差で敗れた。広陵高のエースは、現・読売の西村健太朗。成瀬善久。出身は栃木県。横浜高では当初黒ブチのメガネをし「栃木の田舎者」と揶揄されたこともあったが、小倉清一郎部長の発案で、この大会からメガネをやめていた。一方の涌井秀章。千葉・松戸の出身。食べ物の好き嫌いが激しいこともあり、スタミナが課題とずっと言われてきた。こちらも横浜高・先輩の松坂大輔(現・レッドソックス)から「完投できるスタミナをもった投手になれ!」と発破をかけられていたっけ。さて、成瀬と涌井が揃って出場した03年のセンバツ。上記以外にも、この大会の出場選手に好選手が多かった。東洋大姫路高・グエン・トラン・フォク・アン(現・東芝)遊学館高・小嶋達也(大阪ガス-現・阪神)浦和学院高・須永英輝(現・日本ハム)東北高・ダルビッシュ有(現・日本ハム)ボクがこの大会で最も記憶しているのは、東洋大姫路高と花咲徳栄高との延長引き分け再試合。ボートピープル出身として話題になったアン投手、そして花咲の福本真史投手。福本は現在、明治大の4年生。投手でなく外野手として東京六大学リーグに出場している。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.15
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とんでもない事件が起きたものだ。同大ラグビー部員3人逮捕 わいせつ目的略取未遂(産経新聞)同志社大ラグビー部の部員3名が4月30日午前0時15分ごろ、近鉄「新田辺駅」近くの路上で、1人で歩いていた女性(20)を待ち伏せし、後ろから女性の首に腕を巻きつけるなどし、乗用車に無理やり連れ込もうとした疑い。同志社ラグビーといえば、その育ての親である岡仁詩氏(同志社大名誉教授)が去る5月11日に亡くなられたばかり。事件の悪質性もさることながら、間の悪さといったら...岡仁詩氏。99年まで40年間にわたって同志社大ラグビー部を指揮し、83年からは全国大学選手権3連覇の偉業を達成した。「横の早稲田」「縦の明治」に対して、「型のない同志社」と言われた。おそらくその背景にあるのは、自らの戦争体験を経て「個人」と「自由」という思想をチーム編成に反映させたことらしい。岡氏は言う。「その場、その場で戦術を考えるのがラグビーの面白さ。(監督が)こうやれと言うのは、面白さの半分を選手から奪うことにもなる。ひきょうかもしれません。ええ格好してるだけかもしれないけど、これはどうしようもない」。いま雑誌ナンバー(文芸春秋)が以前発売した「ナンバービデオ」の『トライ・トライ・トライ』を見ている。その中のワンシーンに85年1月6日に行われた大学選手権決勝の模様が収められている。同志社大-慶應義塾大。ほぼハーフライン付近でのラインアウトから供給されたボールを、平尾誠二氏が彼独特の判断と軽快なステップで、慶應のディフェンスを何人も振り切ってトライに成功していた。岡氏がチームに求めた「個人」と「自由」を、平尾が見事に具現化して見せたヒトコマに思えた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.14
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今日付けの朝日新聞、早慶戦のルーツが紹介されていた。---------------------------------------------------早慶戦の歴史は、1901年(明治34年)の野球部を作った早稲田大がその2年後、創部では13年先輩の慶應義塾大に挑戦状を突きつけたのが始まりとされる。一部を抜粋すると、「慶應は隆盛ですが、わが部は依然として振るわず、選手は稚拙。ついては近日中に試合をしていただき、大いに学びたい。ご都合いかがでしょう(後略)」これに対し慶應義塾大は返事を送った。「貴校と当校はぜひとも対戦すべきである」と。ま、時代が時代だけに大仰すぎるキライはあるが、11月21日、早慶戦が行われた。早稲田が手紙を送ってから15日後。わりと短時間で実施されている。結果は乱打戦の末に11-9で慶應が競り勝った。-----------------------------------------------------↑この記事を読んでいると、慶應が圧倒的大差で勝つのかな?と思って読んでいたのだが、結果は僅差であることに驚いた。Wikipediaによると、後発で格下と思っていた早稲田が善戦したことで、慶應は早稲田を対戦相手として評価し、翌年から定期戦が始まったという。もし、慶應が大差で勝っていたら---。逆に早稲田が大勝していたら---。そもそも早慶戦がはじまっていたのかしらん?ボクが知っている早慶戦の昔の選手名は、慶應・水原茂氏(高松商高)と早稲田・三原脩氏(高松中)。2人とも大学在籍は1930年頃。だから、2人が活躍していたのは、早慶戦がはじまってからすでに30年近い時を経ていたことになる。当時、水原氏は「リンゴ事件」を引き起こし、その事件が契機となり早稲田が一塁側、慶應が三塁側とそれぞれのベンチ・応援席が固定されるようになった。三原氏は水原投手を相手に、勝ち越しホームスチールを敢行したことで有名。そしてこの2人のライバル関係は、プロ入り後も長きにわたって続くことになる----。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.14
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楽天・青山浩二(函館工高-八戸大)がプロ入り初完投勝利を完封で飾った。今日のオリックス戦。9回、117球を投げ、被安打4、奪三振7、与四死球0。見事!と言うほかない。素晴らしい投球で、チームの4連勝に貢献した。楽天・杉山賢人ピッチングコーチの言葉を借りると、「まっすぐがきっちり低めに来ているし、それによって変化球を効果的に使うことができている」。青山浩二。函館工高時代は、3年春に南北海道大会準優勝、そして夏はベスト4の成績を残した。そして八戸大時代は、4年の春秋連続でベストナインに選ばれるなど20勝無敗。大学選手権では3年時にベスト4、4年時はベスト8に貢献した(ようだ)。-------------------------------------------------------この八戸大、中央では知名度がイマイチだが、02年~04年にかけて3年連続で、プロ野球選手を輩出している。03年、石川賢(中日)、川島亮(ヤクルト)04年、三木均(読売)05年、青山と内藤雄太(横浜)-------------------------------------------------------さて青山、このところ5連敗といいところがなかった。試行錯誤の末に出した結論は「テンポよく投げること」。今日の勢いで、今季を駆け抜けてほしいものだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.13
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ひょっとしてひょっとしたら・・・?そんな期待をもってテレビを眺めていた。東京大、惜しかった。もう少しで、連敗を「37」でSTOPできたゲームだったかもしれない。でも、あともう一歩のところで追加点が取れなかった。今夜はプロ野球の興行もあるため、六大学野球は延長戦なしの特別ルール。もし、延長戦があったら「たぶん」東京大が勝利していた。流れは東京大にあった。東京六大学野球、東京大-法政大2回戦。法大 010 100 000 =2 東大 100 000 100 =2 先発は法政のエース・平野貴志(桐蔭学園高)。肩を故障し、最近はあまり登板していない。一方の東大は三宅孟(城北高)、緩い変化球を多投する投手だ。素人目には、法政打線がなぜ打てないのかがわからなかったが。しかしなぁ、東大と引き分け試合を演じてしまうとは。法政選手も、さぞ恥ずかしかったに違いない。「あま野球日記」はテーマ「大学野球を応援しよう」を運営しています。どうぞ、こちらもご覧ください。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.13
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日本代表vsクラシック・オールブラックス。ヘッドコーチのジョン・カーワン(元オールブラックス)の呼びかけでマッチメイキングされた。チーム名に「クラシック」とついているものの、今も大半の選手が現役でプレイしており、今年9月から開催されるW杯に向けては、格好の相手といえる。今日の秩父宮ラグビー場、久々に超満員に膨れあがった。天候だけでなく、秩父宮は活気に満ちていた。「いずれ日本でW杯を開催しても、集客は大丈夫だろう」なんて勘違いしそうになるほどに。もちろん、集まった人たちの思いは様々だ。純粋に日本代表を応援したい人、オールブラックスが大好きな人など(日本人にオールブラックスファンは多い)事情は様々だと思うが、ボクの場合は「ジョナ・ロムー」を見たい!ただそれだけが理由だ。でも今日のゲーム、往年のパワフルな姿を見ることはできなかった。さすがに年齢的な理由もあるのだろうか。ジョナ・ロムー。94年、19歳という若さでオールブラックス入りを果たす、ポジションはWTB。そして99年のW杯、WTBとして大ブレイクする。身長196cm、体重120kg。でも、そんな巨漢でいて100mを10秒台で疾走する。タックルに入る相手ディフェンス陣4~5人をなぎ倒し、または引きずりながらトライする姿は圧巻。相手ディフェンスの間を「すり抜ける」テクニックを求められることも多いラグビーの世界。ロムーはそうじゃない。まともに正面から当たっていく。そして倒して前進を続ける。00年に来日し、秩父宮で親善試合を行った時にもボクは観戦に行った。攻め込む時の圧倒的なパワー、それでいてディフェンスにまわると脆い一面もあり、そのアンバランスさがコミカルに見える選手だった。一時腎臓を患い選手生命を失うほどの危機を迎えるが、幸いなことに腎臓移植を受け、見事に「奇跡の復帰」を果たした。リーグからのオファーもあるが、あくまでユニオンでの活躍を目指し、日本に「活躍の場を求める可能性もある」という。はたして、ロムーを日本でふつうに見られる日が来るか? いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.13
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東京六大学野球、明治大-立教大1回戦。結果は、明治大が4-0で立教大を破った。立教の先発は戸村健次(立教新座高)。先週の早稲田大戦に引き続き、第1回戦に登場。3回を投げ、被安打5、与四死球3、自責点3。先週に引き続き、野手に足を引っ張られて、不本意な投球で途中降板してしまった。ただ戸村、今日は運もなかった。野手のエラーがことごとく失点につながった。1回は二塁手・中山怜大(日大三高)の平凡なゴロの処理ミスと、外野手との間に飛んだ飛球を深追いしポテンヒットになり失点。2回は走者を置いて右翼手・岡部知弘(長野高)がライナーの打球を弾いて失点。戸村、次こそは白星を挙げてほしいものだ。-------------------------------------------------立教大・二塁手の中山怜大(2年)と明治大・三塁手の佐々木大輔(3年)は同じく日大三高の出身。03年と04年夏の甲子園に一緒に出場している。04年は、中山が背番号「4」、佐々木が「5」。二回戦でPL学園高に5-3で勝利、相手の先発投手は前田健太(現・広島)。そして三回戦、駒大苫小牧高に6-7で敗れた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.12
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今日行われたホークスvsロッテ。ホークス先発の新垣渚(沖縄水産高-九州共立大)、そしてロッテの先発は久保康友(関西大一高-松下電器)、軍配は久保に上がった。この2人、言うまでもなく1980年生まれの「松坂世代」の代表的な投手。98年のセンバツと夏の甲子園には揃って出場している。直接の対決はなかったが、その年の「高校JAPAN」ではチームメイトになっている。他の主なメンバーは、松坂大輔(横浜高、現・レッドソックス)、杉内俊哉(鹿児島実-三菱重工長崎、現・ホークス)、寺本四郎(明徳義塾高、現・ロッテ)、村田修一(東福岡高、現・日本大)、そして日本テレビの上重聡アナ(PL学園高-立教大)がいた。新垣渚。先日亡くなった高校時代の恩師・栽弘義監督のためにも、たぶん今日は勝ちたかったろう。そして、98年のセンバツ決勝で松坂と投げ合い、結果敗れた久保康友。その久保について以前から疑問があった。それは関大一高なのに、なぜ関西大ではなく松下電器に進んだのだろう? ということ。書籍『松坂世代』(矢崎良一著、河出書房新社刊)によると、もともと久保、当然関西大に進むものと自分自身では考えていた。ただ、関西大関係者から「ウチに来たらな、オマエ好きなとこ守らせたるし、好きな打順打っていいから」と言われた。久保、その話を聞いて驚いた。一選手のそんな要望を聞くチームがあるのか、と。ひょっとして、その言葉は冗談だったのか、そこまでしても久保に来てほしいという単なる意欲の表れだったのか、その関係者の真意はわからない。が、生真面目な久保にとって、その言葉は関西大を敬遠する十分な理由になった。のんびりした環境で野球をやってきた自分にとって、「自分なりのスタイル」でプレーができる大学がいいと考え、慶應義塾大学のA・O入試に挑戦した。久保以外にも、PL学園高でクリーンアップ打った大西宏明(近鉄-現・オリックス)、盈進高の江草仁貴(現・阪神)や鎌倉学園高の長田秀一郎(現・西武)らが受験をしたが、揃って失敗する。時は高校3年の11月、仕切り直しをしたくても進路の選択肢は限られてくる。大西は近畿大、江草は専修大に、それぞれ進路を変更。長田だけが一月の2次募集に挑み合格を得た。そして久保。大学進学ではなく、熱心に声をかけてくれた松下電器に入社することを決めた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.11
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昨日行われた楽天-西武戦。投手は、楽天・永井怜(東京農大二高-東洋大)と西武・岸孝之(宮城・名取北高-東北学院大)のルーキー対決。結果は永井が5回を投げ自責点3、岸は7回を投げ自責点5と、2人ともパッとしなかったようだ。ゲームのスコアも9-8と大荒れだった。すでに2勝を挙げている永井怜、大学入学当時は「プロ野球のドラフトで指名されるようになるとは思いもしなかった」。國学院大も専修大もセレクションに落ちてしまい、スポーツ推薦ではなく一般の自己推薦で東洋大に入学した経歴をもつ。もともとスタミナに課題があった。でも少しだけ自信を持つようになったのは、2年生の春季リーグ戦。対日本大戦で延長11回をひとりで投げ抜き、那須野巧(駒場学園高、現・横浜)の連勝記録を「10」でストップさせたときだ。一方の岸孝之、こちらは今季すでに3勝を挙げている。名取北高という無名校にいた岸、東北学院大に入学した経緯にはちょっとしたエピソードがある。それは高校3年の夏、宮城県大会1回戦。相手は多賀城高。実はこの高校の選手として、東北学院大・菅井徳雄監督の息子さんが出場していた。せめて息子の最後の試合は応援に行こうと考えた菅井監督、息子のチームを5回ながらノーヒット・ノーランに抑える名取北高の岸という投手を知る契機になる。菅井監督、その足で名取北高を訪ねて岸に「スポーツ推薦でぜひ!」と頼み込んだ。もし、菅井監督が球場に来なかったら、そしてもし名取北高に足を運ぶ偶然が重ならなかったら、西武ライオンズ・岸孝之はいなかったのかもしれない。ちなみに、岸のノーヒット・ノーラン。死球を1つ与えたがために完全試合にはならなかった。その死球、与えた相手は偶然にも菅井監督の息子さんだった。※参考:『アマチュア野球 Vol9』(日刊スポーツ出版社刊) いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.10
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ヤクルト・真中満(宇都宮学園高-日本大)という男を、ボクは大いに誤解していた。真面目にコツコツ練習を繰り返す「練習の虫」であり、「イブシ銀」的な存在感は、彼のそういった所作が反映しているものとばかり思っていた。でも、それは事実じゃないことを教えてくれたのは愛読紙の「日刊ゲンダイ」。小見出しからしてスゴイ。「チーム一(いち)の練習嫌い」だ。「大」がつくほどの練習嫌いであり、性格は「超」がつくほどの能天気。昨年、スタメンから外れ「代打屋」に活躍の場を求める崖っぷちにいるはずの真中、まるで悲壮感とか切迫感がない。その能天気ゆえにチームに欠かすこととのできないムードメーカーなんだそうな。今年の沖縄キャンプ、ある日の練習は、午前11時半に自分だけ勝手に切り上げても、平然としている。そしてオープン戦。ひとりだけベンチから外に出て、日焼けを楽しむこともあった。でも真中のスゴイのは、そのあと。突然に代打を告げられると、やおら立ち上がりベンチ手前で2回だけ素振りをすると、打席では簡単に適時二塁打を打つ離れ業を平然とやってしまう。チームメイトでは密かに「天才」と呼ばれているらしい。「卓越した能力をもつ打撃力」というのではない。何も練習をしないのに、試合で結果を出すことがその理由。イチロー(愛工大名電高)やチームメイトの青木宣親(日向高-早稲田大)のように、表だって万人から「天才」と崇められる選手と違い、「密かに」「天才」と呼ばれるのは、いかにも真中らしいと言えるかもしれない。真中、家庭では3児の父である。末っ子は産まれたばかりの、初めての女の子で「かわいいのなんの」(本人談)。そして、その娘のオムツ替えを嬉々としてやっているそうだ。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.09
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三遊亭円楽師匠、先日引退を表明した。その真相が雑誌『婦人公論』(4/22号)に掲載されていた。引退を表明したのは2月25日、「国立名人会」の直後に開かれた記者会見。その日の演目は「芝浜」、有名な人情噺だ。魚屋をやっている大酒のみのダメ亭主がある日、目を剥くような大金が入った財布を拾う。気が大きくなったその男は友人と豪遊するが、「偶然にそんな大金をもったら最後、ろくなことにはならない」と案じたおかみさん、翌朝二日酔いで目覚めた亭主に、「そんな財布なんて知らないよ」と押し通す。「あぁ、大金を拾ったのは夢だったか・・・」。そう思いなおした亭主、その日からは心を入れ替え、酒を断ち真面目に働くようになった。(※あらすじの詳細はこちら)。いつまでも亭主をだますことが心苦しかったおかみさん、もうそろそろ本当のことを話してもいいだろうと思い、大みそかの日、亭主に真実を告げる。「芝浜」という噺、ここからクライマックスに入る。「寒い中、天秤をかついで仕事に出かけていくあんたを見ながら、何度本当のことをを言おうと思ったかしれないよ。だけど、ほんとのことを言ったら、またもとのお前さんに戻っちまう。だから、あたしは心を鬼にして嘘をつきとおしたんだ・・・」。すっかり前置きが長くなってしまったが、この「芝浜」のもっとも大切なこの場面で、円楽師匠は初めてのとんでもない体験をする。「たしか、3月になったらすぐに親戚のお通夜があったな」自身の語り口とは別に、頭の中には全く別のことが浮かんでいる自分に気づいた。日頃から、噺はたんにセリフを言うのではない。登場人物たちの背景や心の機微に想像をめぐらせながら、表現するべきだと弟子たちに伝えてきた円楽師匠。そのもっとも感情表現をすべきこの場面で、全く違うことが頭の中に浮かんでいる。このことは、自分自身でまったく許すことのできないことであり、引退を決意した真相はどうやらこの瞬間にあったようだ。ちなみに「芝浜」のオチ(=下げ)は・・・、真実を知った亭主に、おかみさんは久しぶりに酒を勧める。はじめは拒んだが、「うん、そうだな、じゃあ、のむとするか」と盃を手にする。しかし次の瞬間、再び杯を置いてしまう。「よそう・・・。また夢になるといけねぇ」。---------------------------------------------------------引退を決意した円楽師匠には、「潔すぎる」と惜しむ声も多い。でも引退を引き延ばすことで、これまで「四天王」と呼ばれた自身の栄光、その晩節を汚すかもしれないことが受け入れられなかったのかもしれない。まさに「(これまでの栄光が)夢になるといけねぇ」だ。-------------------------------------------------------そういえば、同じ噺家にはご祝儀分を申告せずに「脱税」した卑しい輩がいた。円楽師匠とは「月とスッポン」だ。家にはご祝儀袋だけが残っており、中にあったはずの現金は抜かれていたらしい。ひょっとしてこの噺家、現金を抜く時「芝浜」を思い出していたのかもしれない。「夢になるといけねぇ」と。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.09
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<訃報>栽弘義さん65歳=沖縄水産高野球部監督栽弘義氏。高校野球ファンなら誰でも知っている有名な監督さんだ。1941年糸満市生まれ。糸満高校から中京大学へ進学。大学ではずっと控え選手に甘んじたが、そのかわりに「監督のノウハウ」を学んだ。76年から78年は豊見城高校を春夏連続で甲子園出場。90、91年の夏は沖縄水産を率いて2年連続の準優勝。初めて沖縄の高校が甲子園に出場したのは58年夏。この大会は、首里高が沖縄を代表して出場、仲宗根主将が選手宣誓をした。当初は沖縄だからという理由だけで、ある意味での物珍しさや同情の目で見られることが多かった。が、以降に栽監督が率いる豊見城高、同じく沖縄水産高が旋風を巻き起こし、90年と91年には連続準優勝することで、「沖縄の実力」が本物であること全国に示すようになる。そして99年センバツ、沖縄尚学高の全国制覇することで、沖縄県民、そして栽監督の夢は結実する。沖縄尚学高監督・金城孝夫氏は栽監督の教え子だった。有名なエピソードを↓上述した58年の首里高校、甲子園に出場したものの1回戦で敗戦。「甲子園の土」を沖縄に持ち帰ろうとしたナイン、可哀想なことに、土が港で海に捨てられる事件が起きる。高校時代の、そして野球をやっていた証としての最高の宝物であるはず。なのに、「外国の土」が植物防疫法に抵触するという理由で、問答無用で捨てられてしまう。あまりに理不尽な話だが、当時の沖縄は日本返還前。沖縄から甲子園に行くためにはパスポートが必要な時代だった。この事件、日本ではセンセーショナルに取り上げられ、大きな波紋を呼んだ(らしい)。話は遡り、その58年の沖縄予選。甲子園に出場した首里高と準々決勝で戦い、涙をのんだ糸満高の捕手は、栽弘義氏その人だった。(参考)「チバリヨ、沖縄野球」いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.08
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今日行われた東京六大学リーグ、第4週の立教大-早稲田大戦。8回から、3番手の投手として斎藤佑樹(早稲田実)がマウンドに。死球で出塁した3番・田島勇輝(立教新座高)を二塁に置き、5番・岡部知弘(長野高)はセンター前にクリーンヒット。走者の田島、てっきり三塁を蹴って本塁に突入すると思いきや、三塁コーチがSTOPをかけてしまう。なぜ?もちろん走者の足の速さ、中堅手の肩の強さなどを総合的に判断してのストップ。だから第三者がとやかく言うことではでもない。でも、突っ込んでいたらセーフだったなぁ・・・次打者・代打の小川陽平(桜美林高)が二塁ゴロを打ち併殺、立教大の最後のチャンスは潰えた。決して調子の良くなかった斎藤佑樹。なのに、今日もしっかりと2イニングを抑えた。「あま野球日記」はテーマ「大学野球を応援しよう」を運営しています。どうぞ、こちらもご覧ください。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.07
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前川勝彦、有罪判決を受けたそうな。無免許ひき逃げの元オリックス・前川被告に有罪判決 (読売新聞)今日、大阪地裁で判決があり、その内容は「懲役2年、執行猶予4年(求刑・懲役2年)」。無免許、逃走、証拠隠滅など、業務上過失傷害と道交法違反の罪に問われた。判決後、前川は「自分には野球しかないのがわかった。これからは身体を作り復帰を目指したい」と、あるサイトにコメントが出ていた。前川、復帰できるアテでもあるのかな?--------------------------------------------------------前川勝彦(PL学園高)。■近鉄時代、12月1日に行われる予定の契約更改をすっぽかした。「今日は11月31日だと思った」という言い訳は、前川らしいエピソードとして有名。■同じく近鉄時代、いつも監督に「前川が誤算だった」と言わせた。その素質からいって、ベンチは大いに前川に期待するのだけど、なかなか結果を伴わない。ある意味、督泣かせの投手ではあった。■この事件が発覚したとき、現・中日の福留孝介は「アホか、これで人生終わり」と嘆いた。この福留、PL学園高で前川の一年先輩。95年のセンバツで、2人は一緒に甲子園に出場している。一回戦の銚子商高戦、2番手でマウンドに上がったのは前川、3番手が福留(兼遊撃手)。ちなみに先発は、現・阪神の前田忠節(東洋大)だった。■2001年、近鉄バファローズが最後にリーグ優勝した時、前川と一緒に抱き合って喜んだのは現・中日の中村紀洋(渋谷高)。2人とも髪の毛を金色に染めており、「やんちゃな高校生」のように見えた。その中村ノリ、前川の事件が発覚後「自分自身を見直せ」と苦言を呈していたっけ・・・。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.07
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今日の横浜-中日戦。横浜は福岡・東福岡高出身の村田修一(日本大)と吉村裕基が、今季2度目のアベック弾で2連敗中だったチームを救った。村田、吉村がアベック弾 東福岡高出身 最近、プロ野球選手を多く輩出する東福岡高。日本ハムの田中賢介も同校の出身、98年夏は1年生ながら村田と一緒に甲子園に出場した。---------------------------------------------------------村田修一。98年のセンバツと夏、甲子園に出場している。センバツの3回戦では、松坂大輔(現・レッドソックス)を擁する横浜高と対戦、0-3で敗れた。そして夏、1回戦で豊田大谷高に4-6で敗戦。豊田大谷高には、現在ベイスターズでチームメイトの古木克明がいた。吉村裕基。01年センバツで甲子園に出場。2回戦で広陵高、3回戦で近藤一樹投手(現・オリックス)を擁する日大三高に勝利したものの、準々決勝で常総学院高に2-4で敗れた。---------------------------------------------------------そして今日、勝利投手となった土肥義弘(春日部共栄高-プリンスホテル-西武)。高校時代、93年の夏に2年生エースとして甲子園に出場した。準々決勝で川上憲伸(明治大-現・中日)がエースの徳島商高に11-4で勝利。続く準決勝では常総学院高を5-3で破った。常総には、現・日ハムの金子誠がいた。決勝は、兵庫・育英高に2-3で惜敗。育英高の3番打者は、現・ホークスの大村直之がいた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.06
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昨日の東京六大学野球、早稲田大-立教大1回戦。9回裏二死満塁、しかも打者のカウント0-2から救援のマウンドに立った斉藤佑樹(早稲田実)。あわや逆転サヨナラのピンチだったが、たった4球を投げることで見事に「初体験」クローザーの責任を果たしてみせた。早稲田、斉藤佑樹ばかりがマスコミに報道されているが、この「あま野球日記」では立教投手陣に注目をしてみた。先発は戸村健次(2年・立教新座高)、3回を投げて被安打5、与四死球3、自責点2。まだまだ本調子が出ないままマウンドを降りたようだ。その後、5人の投手が救援に登場するが、内3人は青森県内の高校出身者たち。-------------------------------------------------------東京六大学、やたらに中国・四国の出身者が多いように見える。逆に東北地方出身の選手を、実はあまり見かけない。立教大のその3人を除くと、慶應義塾大の佐藤翔(秋田高)、宮田泰成(東北高)、そして明治大の佐藤政仁(青森山田高)ぐらいだろうか。--------------------------------------------------------まず一人目。立教大、最後に登板した桑鶴康弘(4年・光星学院高)。出身は大阪・阪南市、泉佐野のリトルリーグで野球をはじめ光星学院高に野球留学した。高校時代、03年夏の甲子園に背番号「1」をつけて出場している。1回戦・必由館高(熊本)、2回戦・木更津総合高、3回戦・倉敷工高をそれぞれ破りベスト8に進出したが、準々決勝でダルビッシュ有(現・日ハム)を擁する東北高に1-2で敗れた。3番手で登板した菊池洸は、青森山田高出身の3年生。高校時代、02年夏と04年夏の計2回、甲子園に出場している。02年は1年生ながら背番号「11」を、04年の3年時は「10」をつけた。その大会でエースナンバーを背負ったのは柳田将利(現・ロッテ)。甲子園では開幕式直後の第1試合に登場。延長12回の激闘の末天理高に3-4でサヨナラ負けを喫した。そして三人目。5番手は瓜田周平(3年・青森高)。県内No1の進学校(らしい)。高校3年だった04年の青森県大会は、1回戦でその大会に準優勝した青森北高とぶつかり、2-12でコールド負けをしている。優勝したのは、現チームメイト・菊池洸がいた青森山田高だった。「あま野球日記」はテーマ「大学野球を応援しよう」を運営しています。どうぞ、こちらもご覧ください。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.06
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昨日のヤクルトvs読売戦。先発投手はヤクルト・松井光介、読売・久保裕也。結果は読売のワンサイドゲーム。松井は4回を投げ、被安打12、被本塁打2、自責点7と、悲惨な結果だった。----------------------------------------------------ま、そのことは置いといて。松井光介。経歴は、江戸川南シニア-横浜高-亜細亜大-JR東日本。シニアと高校は松坂大輔(現・レッドソックス)と同じ。松坂の2年先輩にあたる。横浜高・野球部部長の小倉清一郎氏が江戸川南シニアで松坂と出会ったのは、そもそも松井光介を目当てに見学したことがキッカケらしい。松坂の高校時代、全国制覇をしただけに確かに強いチームではあった。が、松井光介がいた世代の横浜高のほうが強かったという声もある。同じ学年には現・オリックスの阿部真宏(横浜高-法政大)、元・中日の幕田賢治(横浜高)らがいた。そしてエースで4番の「大黒柱」丹波慎也がいたが、2年生の夏に心臓発作で急逝。2番手投手だった身長169cmの松井が急きょエースになり、96年センバツと夏の甲子園に出場を果たした。松坂大輔、横浜高時代に「尊敬する野球選手」を聞かれ、「松井光介」と答えた有名なエピソードもある。「練習の虫」の松井、「手抜きのマツ」こと松坂、2人は対照的だった。---------------------------------------------------------さて、この松井と初完封勝利した読売・久保裕也(沖学園高-東海大)は過去チームメイトになったことがある。01年の日米大学野球。2人そろって日本代表メンバーに選出されている。他の主要メンバーには、和田 毅 (早稲田大-ホークス)石川 雅規(青山学院大-ヤクルト)新垣 渚 (九州共立大-ホークス) 阿部 慎之助(中央大-読売)らがいた。 いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.05
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【春季県大会 決勝 大宮県営球場 (07年5月5日)】富士見高vs滑川総合高。滑川高 002 000 000 =2富士見 100 000 000 =1「特待生問題」で揺れた埼玉春季大会、滑川総合高の優勝で幕を閉じた。この決勝戦、公立高どうしの戦い。強豪といわれる浦和学院も春日部共栄も、すでに昨日の準決勝で敗退している。---------------------------------------------------------思えば、昨年も公立高どうしの決勝戦だった。鷲宮高vs春日部東高(06年5月5日)、鷲宮にはエース・増渕竜義(現・ヤクルト)がいた。増渕、この決勝戦では二番手で登場。どうにも制球の定まらない増渕、たくさんのプロ野球スカウト陣がネット裏で見守る中、マウンド上に仁王立ちしたまま「行くぞ~!」と吠えて気合いを入れ直していたっけ。----------------------------------------------------------私立強豪校 特待生外したら壊滅状態…常総学院が済美が公立相手にコールド(スポーツ報知)さて「特待生問題」。高野連の脇村春夫会長が「子供にも責任」発言があってからは、特に「特待」選手たちの分(ぶ)が悪くなったように見える。「特待」選手たちに本当に責任があるのだろうか。素質に恵まれただけでなく、小さい頃から努力を積み重ねた上で掴んだものじゃないだろうか、本当は。いきなりオトナの事情で「悪者」扱いされるんじゃ堪らない。罰すべきは選手ではなく、ブローカーと呼ばれる輩や、甘い汁を吸うことに慣れきった一部のアマ指導者じゃなかろうか。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.05
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【春季県大会 準決勝 大宮県営球場 (07年5月4日)】第2試合 春日部共栄高vs滑川総合高。共栄 000 000 010 =1滑川 000 010 20X =3先ほど書いた第一試合の続き。春日部共栄高、こちらは「特待生制度があった」ことをすでに申告。準決勝に進出した場合には、特待生以外のメンバーで出場することを以前から発表していた。その言葉どおり、準決勝の先発メンバーは準々決勝の時と比べ4人の選手が入れ替わっていた(もちろん、その4人が特待生とは限らないが)。春日部共栄、滑川総合、いずれも失策3。失策がそのまま失点につながるケースが目立つ試合だった。5回裏、滑川の攻撃。二死満塁で3番・木村は平凡な二ゴロ。捕球した二塁手は、余裕がありすぎて逆に遊撃手にトスするか、一塁への送球かを悩んだようで結局お手玉。7回裏、再び滑川の攻撃。無死一塁で2番・三浦の送りバントを捕球した鶴岡投手が二塁へ悪送球。続く5番・高嶋、6番・小野田に連続適時打を浴びた。一方の春日部共栄は8回表、三塁手の失策で出塁した走者を含め、二死一・三塁で4番・村山の打球は、これも平凡な二ゴロ。ところが滑川の二塁手もお手玉。三塁走者が生還し、春日部共栄は唯一の得点を挙げた。第一試合の浦和学院と同様、春日部共栄も「らしくない」試合だった。共栄はベストメンバーでないことはわかるが、それにしてもなぁ。2日前、高校野球「通(つう)」らしきオッサンが、「決勝は富士見と滑川だ~」と仲間としゃべっていた。もちろん、その時には浦和学院も春日部共栄も残っていた。オッサンの予想の根拠はわからない。でも、なぜかそのとおりの結果になった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.05
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【春季県大会 準決勝 大宮県営球場 (07年5月4日)】第1試合 浦和学院高vs富士見高。富士見 000 000 400 =4浦和学 010 000 000 =1先ほどの続き。浦和学院・先発の内山、一昨日の準々決勝(対本庄一高戦)で登板した時とは見違えるほど、直球・変化球ともに冴え渡っていた。6回までは富士見ベンチの拙攻も手伝い、毎回3人ずつで終えた。6回、打者18人、87球、被安打2、奪三振9、失点0。ところが内山、7回表に突然崩れる。富士見高は一死一・二塁で4番・太田が三遊間をゴロで抜ける左前安打で1点。5番・小暮の左中間越え二塁打で2者が生還。7番・上條の右前安打、そして右翼手がお手玉する間に、走者の小暮は一気に生還し4点目を挙げた。 内山は今大会、背番号「1」を背負っている。たしか昨夏の埼玉県大会でもエースナンバーをつけていたが、甲子園では赤坂に譲り、悔しい思いをしたはず。ぜひ夏に期待したい。一方、富士見高のエース・太田。サイドスロー気味の投球は、確かに打ちずらそうに見えた。でも、浦和学院にとって何の策もなかったのだろうか。試合終了後、ベンチ前で森監督は選手を集め、喜びに沸く富士見のいる三塁側ベンチを指差し、選手たちに何やら語りかけていた。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.05
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【春季県大会 準決勝 大宮県営球場 (07年5月4日)】第1試合 浦和学院高vs富士見高。富士見 000 000 400 =4浦和学 010 000 000 =1試合前のスタメン発表。浦和学院高のスタメン発表の時、スタンドの観客からざわめきが起きた。選手名とともに出身中学をアナウンスするのが恒例だが、ベンチ入りの浦和学院の選手は、東京や神奈川、遠くは北海道出身の選手もいた。いま世の中を騒がせている「特待生制度」。埼玉の私立強豪校の多くは「特待生制度がありました」と申告をしているが、埼玉強豪校の最高峰にいる浦和学院は申告をしていない。だから、スタンドのざわめきを意訳するとこうなる。「そんなに全国から選手を集めておいて、ほんとに特待生制度をやっていないのかよ?」と。埼玉というところ、もともとが公立高びいきの土地柄である。いま話題の特待生問題はその意識に拍車をかける。浦和学院の相手は公立の富士見高。ネット裏に大挙押しかけた高校野球ファンの多くは、富士見の応援に偏っているように見えた。ボクからすれば、個々の学校が特待生制度をやってるかどうかは、まるで興味がない。そんなことより、純粋に高校野球の観戦を楽しみたいし、どうせなら5月下旬に開催される関東大会を勝ち抜ける実力をもった高校に埼玉で優勝してほしいと思う。それなのに今日のゲーム。どうも浦和学院のナインに元気がないように見えた。すっかり前置きが長くなってしまった。試合の詳細は後ほど。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.04
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試合の終了後、大逆転劇の主役、やけに目鼻立ちの整った顔立ちの中日・森野将彦(東海大相模高)がお立ち台に上がった。試合の流れからいって、読売が勝つはずだった。1-1で迎えた8回表に一挙4点を入れたのだから。8回表、読売の攻撃を振り返ると---。二死一・二塁で代打・木村拓也は三遊間をゴロで抜ける左前安打を打つ。二塁走者の小笠原道大は三塁を駆け抜け、本塁に激走。今季、左翼を守る機会の多い森野は懸命に前進。捕球後すぐさま、左足で本塁をブロックしながら待ち受ける捕手・小田幸平を目がけて必死の送球をする。タイミングは微妙だったが、森野の送球がわずかに一塁側に逸れて間一髪の「セーフ」。これで均衡は破れ、なおも鈴木尚広、矢野謙次、高橋由伸の三連打で、このイニングに4点を加点した。中日、スコアが1-5と4点差がついた8回裏。福留孝介の犠飛で1点を返し、なおも一死一・三塁の好機。森野は読売・林昌範投手が投げた真中に入るスライダーを叩き、右翼スタンドに同点となる3点本塁打を放った。勢いに乗る中日は9回、二死一・二塁で、ウッズが前進守備の右中間を越える安打を放ち、サヨナラ勝ちを決めた。----------------------------------------------------------森野将彦。ボクがこの名前を覚えたのは、つい最近のこと。昨年9月16日、山本昌(日大藤沢高)がノーヒットノーランを達成した時だ。この試合、1つの失策さえなければ「完全試合」だった。その唯一の失策、三塁を守っていた森野がやってしまった。その、山本昌から完全試合を奪った選手として、森野の名がボクの記憶に残った。さて今季、キャンプの時から三塁手定着を目指した。が、中村紀洋が中日に育成選手として入団。いきなり現れた強敵に三塁を奪われ、森野は外野に追いやられてしまう。さらに、自分が外野に入った影響で、尊敬する井上一樹(鹿児島商高)が二軍落ちすることになってしまった(←日刊ゲンダイより)。森野、中村紀洋からポジションを奪うためには打撃で勝つしかない。今日のサヨナラ打も、ウッズではなく森野までまわればよかった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.03
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不運だ、サーパス(オリックス二軍)の近藤一樹(日大三高)。昨日行われたウエスタンリーグ・サーパスvs広島。サーパス先発の近藤、9回二死まで広島打線を被安打0、与四死球0、失策0、自責点・失点0に抑え、「完全試合」まであと一人に迫っていた。いかに二軍戦であれ、完全試合など簡単にできるものではない。そして最後(になるはずの)打者への投球は、不運にも打者の頭部を直撃、危険球退場となってしまった。なんということだ!?当たった打者も痛いだろうが、近藤にとっても痛すぎる。完全試合まであと一人のはずが、完全試合どころか、ノーヒットノーランさえも吹っ飛んでしまった。慌てて救援に山口和男(広島・山陽高-広島電機大) が登板。次打者をなんなく抑え、チームは勝利したものの、近藤にとっては悔いの残る一球だったに違いない。※ちなみに広島の先発は、お父さんが「トラック野郎」のルーキー・前田健太(PL学園高)。このゲームは敗戦投手となった。近藤一樹。いうまでもなく01年夏、甲子園の優勝投手である。同年のセンバツも甲子園に出場し、2回戦で姫路工高と対戦、8-5で勝利した。姫路工高のエースは真田裕貴(現・読売)。続く3回戦は東福岡高に3-8で敗戦。その東福岡高、2年生ながら4番打者を務めていたのは吉村裕基(現・横浜)だった。この近藤、華やかだった高校時代と比べ、プロ入り後の成績はパッとしない。01年のドラフト7位で近鉄に入団。以後の通算成績は、19試合1勝0敗、防御率1.91。雑誌『野球小僧』(白夜書房刊)は、近藤にこんなコメントをしている。「昨年は右肩を痛め一軍登板なし。緩急を生かした投球が特徴。体が入団時と変わっていない。(体の)中から生まれるキレ、強さを作ってほしい」。さ、今年が勝負だ!いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.03
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【春季県大会 準々決勝 大宮県営球場 (07年5月2日)】第1試合 浦和学院高vs本庄一高。浦和学 111 004 000 =7本庄一 000 001 302 =6昨夏、甲子園に出場した浦和学院高。秋季大会でも優勝し、今年の埼玉はこの浦和学院を軸にまわりそうだ。----------------------------------------------------※浦和学院高、昨年・秋季県大会の決勝戦はこちら。※浦和学院高、昨夏・県大会決勝戦はこちら。-----------------------------------------------------浦和学院、先発は背番号「10」をつけた鎌田。甲子園で「1」を背負った赤坂(今大会は「9」)でもなく昨夏の地区大会で「1」をつけた内山(今大会「1」)でもなかった。相手・本庄一の失策に安打や犠打をうまく得点に絡める浦和学院。小刻みに加点し、3回終了時点で3-0のリード。さすが、試合巧者の浦和学院高。そして6回表、浦和学院高は大量得点。二死後、2番・三角が一ゴロ失で出塁。3番・鮫島の打球はドン詰まりのフライだったが、ちょうど遊撃手と左翼手の中間に落ちるラッキーな安打で、いきなり一・三塁の好機に。4番・赤坂は三遊間の深くに内野安打で追加点(4点目)。なおも走者一・二塁で、打者は5番・阿部。カウント2-2からの5球目を叩き、打球は左中間にスタンド・イン。3点本塁打となり、スコアを7-0とする。6回裏に1点を返した本庄一高。続く7回裏、浦和学院高が背番号「1」をつけた内山投手に継投したのを機に猛攻に転じる。一死後、7番・長谷部が幸運な左前打で出塁。8番・湯山が三塁前にプッシュバントを決め一・二塁、9番・川辺が死球で満塁に。この好機に1番・加藤が右前打、2番・奥田が中越え二塁打を放ち一挙に3点を加え、スコア4-7とする。最終回、最後の攻撃も本庄一高は反撃の手を緩めない。浦和学院、マウンドには再び先発だった鎌田が上がっている。二死走者なしから、9番・伊藤が中前安打で出塁。1番・加藤が右翼線への二塁打、2番・奥田が死球で満塁。3番・田中が左前安打を放ち、2点を返し6-7。なおも走者二・三塁、「一打サヨナラ」の好機。打席には4番・林が立つ。浦和学院のベンチは堪らず、投手を赤坂に交代。林を二ゴロに打ち取り、浦和学院高の準決勝進出が決まった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.03
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特待制度問題。締切日だった昨日、全国では334校からの申告があった。学校一覧は、こちら(日刊スポーツ)。春季県大会を勝ち進んでいる高校が突然辞退し、すでに敗退した学校が復活したりと大混乱。さて、埼玉高校野球。こちらは開幕が遅かったこともあり、「準々決勝で勝ったとしても準決勝は辞退する」とあらかじめ見解を示す高校が現れるなど、勝ち進む学校がすでに決まっている中での戦いが行われる異例な事態が起きている。【春季県大会 準々決勝 大宮県営球場 (07年5月2日)】第2試合 滑川総合高vs花咲徳栄高。滑川総合 000 000 300 =3花咲徳栄 000 001 010 =2すでに特待制度があったことを申告した花咲徳栄高。このゲームで勝利をしたとしても、次の準決勝に進出しないことを発表している。逆にいえば滑川総合高、勝敗に関係なく準決勝進出が確定。先制したのは花咲徳栄高。それまで散発3安打に抑えられ、まるで得点機を見出せなかったが徳栄が6回、相手ミスで先制点を挙げる。9番・村田が左越え二塁打で出塁。続く1番・大畑の送りバントを捕った滑川・内田投手はすぐさま三塁に送球。が、ボールは大きく逸れ、その間に二塁走者・村田が生還した。この徳栄高の先制で、やっと試合が動く。7回表、滑川総合高。二死二塁で打者は3番・木村、初球を叩いたが平凡な左飛。好機は潰えたかに見えたが、左翼手の目に夕陽が重なったのだろう、打球ははるか頭上を越えていく。二塁走者が生還し同点に。好機はまだ続く。4番・米盛の中前打で2点目。米盛が二盗後、5番・高島も中前打。米盛は三塁をまわり一気に生還し3点目を挙げた。スコア1-3、徳栄が2点のビハインドで迎えた8回裏。安打と2四死球で一死満塁の好機をつくり、4番・岸が左前打を放ち2点目を挙げたが、後続がなかった。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.03
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埼玉高校野球、今日は準々決勝の4試合が行われた。(大宮県営球場) (1)浦和学院 7 - 6 本庄一 (2)滑川総合 3 - 2 花咲徳栄 (上尾市民球場) (3)富士見 5 - 4 埼玉栄 (4)春日部共栄 9 - 1 成徳大深谷 今朝のブログにも書いたけれど、花咲徳栄高と埼玉栄高の2校はこのゲームで勝利したとしても、3日(準決勝)以降は辞退することを発表していた。このことが影響したわけではないだろうが、その2校はいずれも1点差で敗退した。明後日の4日に行われる準決勝、■浦和学院 - 富士見 ■春日部共栄 - 滑川総合 以上の組み合わせが予定されている。※尚、上記(1)と(2)のゲーム観戦記は後ほど。いつもご協力をありがとうございます。人気ブログランキングに参加中です。クリックをお願いします。
2007.05.02
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