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1)「マイ」の意味
この本の前書きでは、「主人公ジムが、友人の思い出を文章化することを勧められて書いたもの」という設定。タイトルの『マイ・アントニーア』の「マイ」は、脱稿したのちにジムが咄嗟に追加したもの。
本文中では、アントニアの父親が大草原の夕暮れに、「マイ・アントニーア」と大きな声で呼びかける場面が印象的。
「ジムの祖父母も、家事見習い先の家族の人々も、同郷同年代の面々も、みんなが心のなかでアントニアに親しみをこめて「マイ」の称号を付していた。」と、いう解釈を自分はするのですが、いかがでしょう。トニーファンクラブというような団体があるわけではないので「our」ではなく、それぞれが、1対1の関係で「マイ」と。
米国の映画を見ていると、祖父祖母が、孫との再会にさいして、「My」を使う場面がときどき。血族関係または強い信頼を表現しているように思われます。
2)児童文学・ジュブナイル・ヤングアダルト?
この本が、児童文学なのか、どうかという点。たしかに、最後の30ページを除けば、10代から大学生までのお話。新装版では、タイトルのフォントも、なんとなく若返っている。
マイ・アントニーア [ ウィラ・キャザー ]
なのだけど、最後の30ページほどのクライマックスは、ジムとアントニーアが、50才近くになって思い出を語り合う場面。
「昔の思い出をまとめる」というジムの執筆の目的からすると、いささか、不似合。
この最終場がとても印象に深く、25年のときを経ても、記憶を共有していることの意味を、うったえかけられているように思われました。若かったころのことを書いた本ではあるけれど、若いひとに読ませるものでもないように思われます。
ちょっと、ちがったかな。
「25年ぶりの再会でも打ちとけるような親友」というイメージは、若いひとたちにも受け取ってほしい気もするし。。。。
( さいきんの朝ドラでも、20代の俳優さんが、60才くらいまで担当するけど、さて。 )
後日、再読ののち、再考します。
3)ペイトンさんの「愛の旅立ち」や、と萩尾望都の「ゴールデンライラック」や・・・
ふと、連想。萩尾望都さんのゴールデンライラックに似たお話を昔に読んだ朧な記憶。
岩波から箱入りで出ていた、あれは・・・。
ペイトンさんのフランバーズ屋敷シリーズだったんだ。すぐに見つけてくれた検索エンジンさん感謝。
あっちは、ジュブナイルだし、ヤングアダルトだし。
なによりも、波瀾万丈だったという記憶、だけどおぼろ。
あれにくらべたら『マイ・アントニーア』は、「大きな起伏はないのに、退屈しない。」物語。
できるだけ、のんびりと読んでみてください。
フランバーズ屋敷の人びと 新版(1) 愛の旅だち 岩波少年文庫/K.M.ペイトン【作】
ゴールデンライラック [ 萩尾望都 ]
4)歴史が生まれる
この本は、「主人公ジムが、友人の思い出を文章化することを勧められて書いたもの」という設定。ジムがまとめた物語を読者が受け取る。
そして、その友人であるアントニーアは、生活の中で、同じ思い出を、子どもたちに語り聞かせていた。そう、思い出の共有と継承。
歴史って、こんなふうに、うまれるのかも。あたらしい国で、あたらしく生まれる物語。
オオカミに襲われて絶望的な出来事に遭遇したロシア人の物語も、人間不信の金貸しの末路も織り込まれて。村の人々は、多くの伝説を共有する。
ジムが実体験した部分は、割と平穏な物語。ときおり、人づてに語られるものがたりは、刺激的。
自分たちが持ち続ける「普通の記憶の要素」と、他者にも保存される「極端な記憶の要素」。
さて、最近、芸術新潮の「ミュシャ特集」を、ときおりながめています。そこには、スラブ叙事詩の連作の記事。スラブ民族の歴史を20景の絵画で語っている。
アントニーアの家族はボヘミアからの移民。王国がたおれる少し前の、第19景の時代の少し前に、アメリカへ渡ってきているみたいだ。
きっと、スラブ民族の物語も、この村の物語に、織り込まれているのだろう。
芸術新潮 2017年3月号[本/雑誌] (雑誌) / 新潮社
5)では、死んだ人ばかりの本は?
ここでさらに、脇道。『大草原の小さな家』のテレビドラマで、『歴史の本ってきらい。死んだ人のことしか書いてないから。』との有名なセリフ。あの、歴史の本の時代は、建国から100年余、コロンブスから400年後。ひょっとしたら、みんなの祖国のヨーロッパの歴史が織り込まれた世界史だったのかな、それとも、自国おんりーのアメリカ史だったのかな。引き続き、捜索。
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