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ここのところ、中国生産の問題がヨーロッパで問題になっています。特に繊維関係なのですが、5分の1~10分の1にコストを押さえられる事から、中国生産が増え、それだけではなく市場価格が崩れてしまい、こちらフランス国内で生産したものは太刀打ち出来なくなっています。それが原因でフランス国内では工場が倒産し、失業者も増えています。フランスは外国生産の規制を始めるでしょう。例えば、昔フランスにヤオハンが進出出来なかった理由もそこにありました。映画界も同じように、アメリカ映画の上映に制限があります。(フランス映画を守る為に)しかし、こういう規制が良いのかどうかは私もまだ分かりません。フランスに限らず、多くの国が同じ問題を抱えている事でしょう。それと同時に日本の農業を考えてみました。現在、農家の後継ぎが減り廃業せざるを得ない状況が多いようです。それに伴い、地方は過疎化が進み、畑などの土地がそのまま放置されている現状があるようです。この状態が進んで行きますと、多くのものを輸入に頼る事になってしまうのでしょうか?農業を知らない私がこういう意見を持てない事は解っていますが、農業だけに限らず、各地方の活性化を考えてしまいます。出身地を出まして、東京で学び仕事を始めまして、海外に出てしまいました私には何も言う資格はなさそうですが、離れて分かる状況をしみじみ感じております。皆様の御意見をお聞かせ下さい。そして何方か、良い案をお持ちの方お聞かせ下さい。
April 30, 2005
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4月もいよいよ最後の日となりました。日本の皆様はゴールデンウイークを楽しんでいらっしゃいます事でしょう。今日は、少々馬鹿げた疑問が湧いてしまいました。フランスのベルサイユ宮殿で優雅に暮らしたマリーアントワネット王妃は、オーストリア出身で14歳の時に、後にルイ16世となる夫と結婚し、フランスへ来ました。私の疑問は二人の当時の共通語なのです。上流階級では、昔からフランス語を学ぶ習慣があったのでしょうか?それとも言葉は通じないまま結婚し、後からフランス語を学んだのでしょうか?ルイ16世がドイツ語を話せた事は考えにくいですね。本当にどうでも良い疑問で申し訳ございませんでした。私の友人達の中には、当然日仏カップルも多いのですが、その子供達の言葉の問題はやはり大きいようです。日本語とフランス語と両方を赤ちゃんの時から聞いている訳ですから、私などからしますと羨ましい話しなのですが、言葉が遅れる子が多いようです。特にある友人カップルは英語での会話、子供とはフランス語、日本語と3ヶ国語が家庭の中で入り乱れているところの子供は本当に混乱しているのか学校で言葉の遅れが見られます。まだ言葉を覚え始めの時に見ていましたら、単語を覚えるのに簡単な方を選んでいました。例えば、『うさぎ』はフランス語で『ラパン』遥かに『ラパン』の方が発音しやすいのでウサギはその子にとっては『ラパン』でした。『ゾウ』は『エレファント』、その子にとっては『ゾウ』は『ゾウ』でした。大きくなるに従い、何も問題なくなり3ヶ国語を流暢に話せるようになるのでしょうが、親にとりますと当然の事ながら学校での遅れはかなり心配なようです。そして、多くの子に共通していますのが、日本語を話す時は可愛い甘えん坊の子供のようになり、フランス語を話す時はすでに一人前の大人のような話し方をします。これはどうしてなのでしょう?言葉の持つ力、言葉の文化に関係があるのでしょうか?
April 30, 2005
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今日から日本はゴールデン・ウイークですね。皆様ご家族でいろいろなご計画がおありの事でしょう。残念ながらこちらはお仕事です。疑わしい内容ですが、ゴールデンウイークという名前がついた由来に『黄金のジパング』と言ったヨーロッパ人が日本に訪れた週だった為というのを読んだ事があります。(勿論マルコ・ポーロではありません。)第一生命の調査で(フランスにいます私が日本の話題で変な話しですが)、3年ぶりに男の子の将来の夢が『野球選手』に返り咲いたという記事を読みました。女の子は8年連続、『食関係』だそうです。フランスで同じ調査をするとどうなるかしら?とふと考えてみました。男の子は野球はフランスはありませんので、きっと『サッカー選手』『バスの運転手さん』くらいでしょうか?女の子は『お母さん』『パン屋さん』こんな感じでしょうか?調査対象年齢によっても違いそうですね。しかしなぜ子供に夢を聞くのでしょうか?と単純な疑問が湧いてきました。(否定の意味ではありません。単なる疑問です。)私の子供の時には、小学校3年生の時に国語の教科書にありました『ぼくの夢・わたしの夢』を学ぶ時に、実際に夢を書く課題がありました。私は『世界中を周り、それに基づいた職業につきたい』とその当時書いたものが今でも残っています。その後、『ピアニスト、音楽家』『バレリーナー』と変わっていますから、本心だったかどうかは今でも定かではありません。それが不思議に実際に、職業は全く違いますが、世界中をいろいろ仕事で訪れる事になりました。最終的には、中学時代に一人密かに温めておいた夢を現実にする事にしたのですが。。。今考えますのは、なぜ『お母さん、ママ』と書けなかったのか?という疑問なのです。書いておけば良かったとちょっとだけ思ってしまいます。私に女の子がいましたら、迷わず『お母さん』と書いて欲しいような気がします。皆さまの子供の頃の夢をお聞かせ下さい。先程ある方のプログで簡単に出来るボランティアを知りました。使用済みの切手を送るだけで、動物が救われます。http://www.fuchu.or.jp/~john/pochi/kittetop.htmこれから切手を送る楽しみが出来ました。
April 29, 2005
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只今管理ページを見ましたら、開設100日となっていました。初めの数日間は何も書きませんでしたので、書き始めて100日ではありませんが。この100日の間に素晴らしい皆様とお会い出来た事を嬉しく思います。素晴らしい方々が本当に沢山いらっしゃる事に改めて感動致しました。自分自身の為に始めた日記ですのに、こういう出会いがあるとは全く想像もしておりませんでした。改めまして、皆様に感謝したくなりました。今日はこれから、一年ぶりに会う友人と左岸のカフェに行って参ります。お仕事は夜になってしまいます。(又寝不足になりそうです。)前にも書きましたが、パリはセーヌ側を基準に右岸と左岸に別れています。左岸にあるカフェは昔から、芸術家、文学者の集まりで何時間も何時間もお喋りが続きます。右岸は最近は華やかで商業の街になってしまいました。私が右岸に引越しする時に、左岸のカフェである画家から『え?右岸に行くの?左岸に残りなさいよ。』と言われた事を思い出します。左岸は頭を使うところ、右岸はお金を使うところ、パリは何処でも何かを使うところだそうです。という事で、これから頭を使いに行って参ります。*100日で99件という数字を見まして、100件にしてみました。
April 28, 2005
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今日(正確には昨日)、あるフランスの企業の女性役員と話した時の事です。この女性役員はとても感じ良く、お仕事の話しをしていましても外国人同士と感じる事なく心から正直に話し合いが出来る女性です。本日で3度めだったのですが、彼女が好意的な事は始めから感じていました。実際に貴女には正直にすべて話したいからといいながら、本当に包み隠さず話されるのが伝わってきます。(私がその会社に起きている訴訟問題の記事を1月に読んだ事をお話ししました時)お仕事の話しが終わりました時に、彼女からお寿司とお刺し身の質問を受けました。そして日本人の気質についてのお話し・・・その時に初めて彼女が日本に興味があるという事が分かりました。彼女『日本人というのは、自分の事よりも先に人の事を考える人種ですよね?』雪之嬢『そうとは一概には言えませんが、その傾向はあります。人への思いやりはとてもあります。そして人を傷つけるような事を言ったり、行ったりを余り好みません。勿論いつも例外はあるでしょう。それが人の事を一番に考えるという風に映るのでしょう。』雪之嬢『時々、日本人は笑いながら本当は何を考えているかわからないとか、NOと絶対言わないとか耳にする事がありますが、それはこう言った思いやりから来るもので、NOと言っているのですが、NOの言い方が相手を傷つけないように言おうとするからでしょうね。』彼女『日本人がNOと言わないと感じた事は全くありませんし、本当は何を考えているかわからないなんて全く感じた事はありませんよ。それは中国人ではありませんか?』雪之嬢『私は残念ながら中国人の事を余り知りません。』彼女『貴女達日本人は、真っ直ぐですよね。』雪之嬢『私の知り合いのフランス人の男性(60歳位)が日本の事を世界の中で唯一信用で成り立っている国であり、信頼出来る国民だと言っていましたが、唯一かどうかは私はわかりませんが、そういう国であり、そういう国民だと思います。』彼女『貴女独身ですか?』雪之嬢『はい。そうですよ。』彼女『フランス人の男性をどう思いますか?フランス人との生活は難しいですか?』雪之嬢『フランス人の男性は表面はとても優しいですね。しかし日本人と比べるなら日本人の方が優しさ、思いやりはあるでしょう。フランス人との生活は子供といると思って割り切ると難しくないでしょう。食生活の違いはやはり大変な事も出てくるかと思います。』会話はもっと続きましたが、この変で終わります。日本、日本人の事を誉められると嬉しいものですね。
April 28, 2005
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本日、エアバスのA380が初めて大空に飛び立ちました。このA380はパリ-日本、パリ-サンフランシスコ、日本-中国、日本-○○(日本からの線はいろいろあるみたいです。)等の線で活躍します。これは現代の飛行機の旅に合わせたものになっており、エアバスがかなりの力を入れて創り上げたものです。世界初4通路、車より環境に優しく燃費効率が高い機体に出来ているそうです。座席も少々大き目に取ってあり、すべてのクラスにサロン、バー、閲覧室があります。安定飛行に入った時には、座席から離れてバーやサロンでくつろげるという事ですね。機内はプライベートジェットを思わせるような優雅なものです。(映像で見る限りは・・・)飛行機といえば、日本は特にボーイング社のものが多く、一番大きな旅客機には747がありますが、これはすでに35年という月日が経っており、現在の状況にそぐわない所もすでに多々出ているようです。今回のA380はとても楽しみではありますが、私としましてはまだ少々不安でもあります。ハイテクノロジーによる精密な計算に基づいて出来ているのは当然ではありますが、実際の飛行の経験がないというのは不安です。こうやって今書いている時間帯には、すでに着陸していますので、飛行は成功したわけですね。これからもっと変わっていくのでしょうね。楽しみな反面、不安は隠せません。http://www.airbusjapan.com/product/a380_backgrounder.aspこちらにエンジンなども含めて詳しい情報が出ています。勿論機内の写真も御覧頂けます。
April 27, 2005
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先日、テレビでドイツ人二人が考えた新しい製品をドイツで広げて行く事を特集していました。この二人は、船で世界一周をしながらいろいろな国に立ち寄り、この製品を考えたそうです。彼らの新しい製品というのは、『缶コーヒー』です。私もこちらに来まして、缶コーヒーがない事を少々残念に思いまして『なぜ、誰も始めようとしないのかしら?』を考えた事がありました。そのうち、ヨーロッパでは冷たいコーヒーを飲む習慣がない事と、冷たいコーヒーと聞いただけで、嫌そうな顔をする事が分かりました。初めての日本への帰国の際、友人がカフェでアイスコーヒーを頼んだ時に、その存在を忘れていた事に気付いた程でした。最近では、観光客が多く入るカフェでは注文すると出してはもらえますが、氷を入れて下さいと頼まないと氷は入ってきません。そして、ガムシロップがありませんので、冷たいコーヒーにグラニュー糖を入れる事になります。溶けるか、溶けない感じで戴かなければなりません。このドイツ人二人は日本のコーヒー産業が1500億円を超えるものであり、その理由に缶コーヒーの存在がある事に注目しました。そしてドイツで此の度、製品化したのです。テレビで映し出されましたのは、二人が一件一件営業に回っている姿でした。その相手は決まって、不安そうな顔をしながら試してみましょうという感じです。その顔には、絶対に売れる訳がないという気持ちがあからさまに出ていました。これから広がるかどうかはなぞですが、もしかすると此処フランスでもお目見えする日も遠くないかもしれませんね。この二人のドイツ人が、日本がとても好きになった事、日本には多くの素晴らしいものがある事を熱く語っていますのを聞きながら、なぜか『黄金の国ジパング』と呼ばれた事を思い出しました。私は今でも日本を別の意味での『黄金の国ジパング』『日出る国』だと信じています。
April 27, 2005
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昨日は何が起きてしまったのでしょう?同日、同会社、離れた海外で・・・兵庫県の列車事故のニュースをこのプログで皆さんお見かけの方のプログで知り、インターネットで事故の記事を探し驚きと悲しみで一杯でした。その後、こちらのニュース番組で事故の様子が流れました。次いで、JR側のお詫びのシーン、そして天皇皇后両陛下の御挨拶・・・その後、流れたニュースは日本旅行社JTB(JR子会社)の主催する観光旅行中、パリからモンサンミッシェルに向かう観光バスが高速道路で転倒し、日本人女性2人死亡と言うニュースでした。なんとも言えない心境です。御冥福をお祈り致します。JRにとりましても大変な一日となりました事でしょう。
April 26, 2005
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第二次世界大戦から60年を迎える今・・・本日、フランスではパリ市内トロカデロ広場(エッフェル塔正面)においてユダヤ人強制収容所60周年の式典が行われました。次世代へ受け継がれる為に・・・平和を約束する為に・・・出席者はシラク大統領を始め、首相、大臣、収容所より解放された人々、その家族でした。シラク大統領の挨拶後、当時の様子をありありと思い出すようなナレーション、列車の音等、体験者にはかなり生々しく辛い過去を思い出させられるような仕掛けが続けられました。ナレーションの声は・・・『お腹がすいた。』『喉が乾いた』『死体の上を歩く』等・・・この式典を見ながら、なぜ此処まで生々しく当時を思い起させるような事をするのでしょうか?悲しみをそそるだけではないかしら?という思いで見ていました。実際、出席者の頬には涙が流れています。しかし、彼らには何かの大きな区切りが必要だったかもしれません。思いっきり泣いて切り替える時が必要だったのかもしれない事を考えました。式典終了後、テレビの画面に収容所が映し出されました。ガス室が出来た時は、その試験でもするかのように十数人選び、ガス室に入れられたそうです。収容所で亡くなった方々の名前が刻まれているところで、ある男性が『当時3歳の弟と両親の名前を見つけていました。』そして画面はアルメ二アへ・・・アルメニアは1915年の本日(4月24日)数十万人もの人々をトルコによって殺害されました。その式典です。そこでは、『事実を否定し続けるトルコに、いとも簡単に殺害したこの現実を認めて欲しい』『絶対に許す事はない』『次世代に伝えていく事は大切な事だ』こういう声が聞かれました。アルメニア人が多いこのフランスでも至るとところでアルメニアの式典が行われました。反日運動を思い出しました・・・ユダヤ人が受けた不正当なこの仕打ちは想像を絶するものです。彼らは平和を訴えています。それなら、なぜパレスチナを奪う為に争いを続けるのでしょうか?自分達が受けた不当な過ちを繰り返さないようにしてもらいたいと思います。60周年という境目を期に一日も早くパレスチナとの和解を望みます。これらのニュース後、すぐにイラクが映し出されました。今日もアメリカのジャーナリストが殺害された模様です。世界の多くの都市で世界平和が唱えられている時に、戦争が続いている国があるというのは理解しがたい状況です。偶然にも、本日はベネディクト(フランスではベノアといいます。)16世の初めてのミサが開かれました。世界平和へ・・・合掌
April 25, 2005
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続きです。その前に、フランスは昨年よりもほんの少し景気が良くなったのですが、まだまだなのです。(2%UP)子供服・玩具売り場へと到着。またまた同じ状況です。日本の子供服売り場にいるみたいでした。フランスも頑張って乗り切ろうとしている事を改めて感じる日となりました。最近、多くのメーカー(有名ブランド含む)が生き残りのために、子供服を展開するようになりました。今まで日本でしか展開されていなかったブランドの子供服などもお目見えしていました。子供の人数が減り、一人当たりの子供に掛ける金額が多くなっているそうですから、子供をターゲットにするところが増えたのですね。バーバリーの幼児服、とても可愛くて必要なくても欲しいと思うものでした。バービーは、中国、韓国の衣装をまとっているのも登場していました。(お着物を着せる前に、流れは韓国・中国とすでに変わってしまったようです。)ぬいぐるみコーナーへ・・・可愛い真っ白いウサギさんが木の箱に2匹ディスプレーしてありました。どうしても欲しくで1匹買う事にしたのですが、ストックがない為、ディスプレーから取るしかありません。1匹とると、抱き合っていたもう1匹がとても可哀相に感じて、2匹買おうか悩みながらお会計を済ませました。そこで良い案を思い付き、お喋りしている店員さんに気付かれないように奥に置いてあった色違いのグレーのうさぎさんを木の中に入れ抱き合わせて、これで心おきなく土曜日のデパートを後に出来ました。地下鉄を降りて、地下道を歩き始めました時に、前に自分の身体よりも大きな真っ白のゾウさんのぬいぐるみを持って(というよりも抱いて)歩いている婦人に遭遇しました。大きすぎて、壁や天井を擦りながら歩き、ゾウさんはすでに汚れています。此処なのです!日ごろから慣れないフランス人の気質・・・汚れないように、壊れないようにと注意が出来ないのです。細かい配慮が全くたりません。なぜなのでしょう?始めは子供のように視界が狭いのかな?と思ったのですが・・・
April 24, 2005
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先程のニュースの驚きで書きそびれました日記を。。。昨日は、日差しがとても強かったので落ち着くのを待ってデパートへと外出しました。お部屋に暖房が未だに入っていた事をすっかり忘れ、とても暑い事を想像して薄着で出てしまいました。。。パリで一番大きなデパートと言えば、ギャラリーラファイエット(日本の松坂屋が入っています。)とプランタン(高島屋が入っています。)です。お隣同士に並んでいるのでとても便利ですね。デパートが好きになれない私は年に一度くらいの確立でしか行きません。本日は、東京のデパートを思わせるような人込み・・・人口は半分以下なのにどうしてでしょう?プランタンはなぜか流れている空気が好きに慣れず、いつもギャラリーラファイエットの方行きます。まず、始めの印象は『日本にいるみたい』でした。ギャラリーラファイエットは10年位前に、日本に感銘した女性が責任者で入りました。彼女から、改革の意気込みを聞かされた時に『若い彼女一人頑張っても大きな変化は無理ではないかしら?』と思いながらも、何かあったら協力しますという事だけ言って別れました。それから、時々日曜日にも開店したり、木曜日を夜遅くまで開けたり・・・目に見えての改革が表われました。(今は又日曜日は閉店しています。)今日、その事を思い出しました。全く、日本のデパートにいるみたいな商品構成になっていました。雰囲気も・・・目的地の子供服・玩具売り場へ向かう途中、少しだけチェックしてみました。まず、婦人服・・・最近街でシャネルのシーズン遅れのコピーを来ているフランス人を見るようになりました事を驚いていたのですが、ありました・・・そういうブランドが。本当に日本製みたいです。(フランス人の性格が変わったのかしら?)そして数年前から流行っています日本の鼻緒のついた草履・・・そしてその進化のビーチサンダル。そして子供の雨靴・・・カエルの目がついたカエル色のもののみしか無かったような雨靴が豊富になっていました。(これも日本の影響でしょうか?)そして下着売り場・・・男性がマイク越しに『ワコール』と盛んにさけんでいます。そして子供服・玩具売り場へ・・・続く・・・(小さな話しを此処まで長く書いてしまいました。)
April 24, 2005
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いつものように20時のニュースが始まりました時に、キャスターがとても興奮気味に「今日はとてもショッキングな出来事から・・・」と。。。すべての人に「何かしら?」と思わせるような興奮が伝わってきました。そしてすぐにビデオが流れ始めました。5歳の黒人の女の子が何やら騒いでいます。フロリダでの出来事です。算数の授業を受けなくないと、突然女の子はノートを大声で喚きながら投げつけたり机の上に登ったりの大騒ぎになったそうです。最後には先生を叩いたり(叩くといいましても5歳の子ですから、子供が泣きじゃくる時のようなものです。)誰にもコントロール出来なくなり、母親に連絡しました。子供を別のお部屋に移し、母親を待っていましたが、母親が着くまでに一時間かかりました。その間に警察を呼んだのです。警察が学校に到着し、その女の子に手錠をかけるシーンが映し出されました。3月14日の出来事です。5歳の女の子の母親の弁護士は、5歳の女の子に手錠をかけるという行為は、この子供の心に傷となって大きく残る事を訴えています。そして、こんな事ではこの先のアメリカはどうなってしまうのか?という事を問い掛けていました。学校側は法に従って警察を呼んだと・・・ビデオで見る限りは、コントロール不可能という程までのものには見えませんでした。警察を呼んだ学校側もさる事ながら、手錠をかけた警察の行為が理解出来ません。大勢の大人達がいる中、5歳の女の子に手錠をかけなければ収める事が出来なかったのでしょうか?!刃物などの凶器を持っているわけでもなんでもありません。二度々、こういうニュースは何処に国においても聞きたくないものです。
April 24, 2005
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続きです。久世さんの言葉です。家族の中できちんと伝わっていないものの一つに言葉があります。向田さんは今は半死語になってしまった豊かな言葉をかなり意図的に小説やエッセーで使っていました。ぼくらがドラマでおじいちゃんやおばあちゃんも出したがったのも実は、そういう言葉を世代的に日常語として使えるからでした。『わたしは家族に囲まれて冥利に尽きる』なんてね。例えば、『じれったい』という言葉があるけど、それが『あせっちゃう』とか『いらいあらしちゃう』などどニュアンスの乏しい言葉にどんどん置き換えられている。戦後は『合理化』『簡略化』といって言葉を減らそうとしていますが、沢山の言い回しがあるというのは『豊か』な事なのです。教育の場でもそうだけど、言葉は伝承だから、日常生活の中で親から出ないものは伝わらない大きな理由ですね。縁側はすっかり姿を消しつつあって、大家族も現実的ではない時代だけど、『連帯感』は決して過去のものではないと考えています。忘れ物は今からでも取に行けるとね。日本の風土、四季が変わらない限り、そこに即して生まれたものは変わらないと思う。ただ欧米のように靴を履きっぱなしの生活スタイルに変わっちゃうと心配だな。精神構造がまるで違ってきてしまうからね。
April 23, 2005
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続きです。久世さんのお言葉です。今、家族をテーマにしたドラマが少ない。若い男女の恋愛ものばかりです。現実の家族に『精神力』が欠落しているからドラマにしても面白くないのだと思っています。例えば、息子がぶらぶら遊んでいる。昔だったら大事件ですよ。親類の手前とか、世間の手前とかね。今はそれはない。むしろ「お隣の息子もぶらぶらしているからうちのもしょうがないか」となってしまう。お互いに座り直すんじゃなくて姿勢を崩しちゃう。ドラマは『枷(かせ)』があるところに成立するものです。ヤクザ映画みたいに義理や掟に縛られるから、人間の気持ちは乱れるし、切迫する。つまりせめぎ合いの話しなのです。今の家族のように自分の気持ちの前に立ちはだかるものがなく、野放図になんでも出来てしまうと何の魅力もない。お父さんが子供にものをちゃんと教えていかなければと思う。単に上から押し付けるのではなくて、子供が『その方がいいんだ』と納得できるような教育が欠けているのでしょう。最近、家族内の凶暴な事件が多いでしょう。昔はみんなもっと辛抱していた。親が子供をみててああ困ったものだな、と思うのも辛抱だし、子供が親にこうしなくちゃいけないと言われるのも辛抱。夫と妻の間にだってそういうものがあった。辛抱しながらやった事が実になっていた。昔から親殺し、子殺しがなかったわけじゃないけど、そmっま事件が頻発するのも心に『枷(かせ)』がなくなっている表れじゃないのかな。続く・・・
April 23, 2005
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続きです。久世さんのお言葉です。向田邦子さんが不帰の人となった後、ぼくは約束を果たすべく85年より17年間お正月に『向田邦子新春ドラマ』を放送し、昭和10年代というのをひたすら描き続けました。このドラマにはかつての旧家には必ずというほどあった『縁側』をあえて作りました。これは近隣との『連帯』のためです。母親が夫、子供達を送り出して洗濯など家事が一段落してほっとしている時に、垣根ごしにお隣さんから「奥さん」と声がかかる。「どうぞ」という前に隣の奥さんがもうとことこと入ってきて縁側に腰掛け、たわいのない世間話が始まる。お茶を替えるために台所に立つと、隣の奥さんは身を乗り出して部屋を眺め、「あら、この家、ミシン買ったのかしら」とつぶやく、と言った具合。でも縁側には、これ以上、決して下駄を脱いで家には上がらない、お茶は出るけど御菓子はでない、という不文律がきっちりとありました。そこで交わされる会話は、子供を幼稚園に送り出した後のお母さん達の井戸端会議と同じようにも思えますが、決定的に違うのは『1対1』で、縁側からプライバシーを覗かせること。こんな日々の積み重ねで互いに信頼が生まれたのです。こうして向こう三件両隣まで連帯が生まれていました。当時『とんとんとんからりんの隣組』って歌がはやったけど、その中の歌詞にある『あれこれ面倒みそしょうゆ ご飯の炊き方垣根越し 教えられたり教えたり』の世界。それが縁側の効用で非常に豊かな時間を共有していたと思うのです。マンション生活の多い現代では、先立つのが警戒心であり、隣の部屋で爆弾でも作っているかもしれないとか言う疑惑でしょうね。ネガティブなところから始まるわけです。つまり信頼と正反対のものですよね。続く・・・
April 23, 2005
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81年秋、向田邦子さんが飛行機事故により不帰の方となり、その後向田ドラマを毎年手掛けていらっしゃる久世光彦氏(作家・演出家)が語っていらっしゃる文章を朝日新聞で見つけました。とても考えさせられるところがありましたのでそのまま御紹介させて頂きます。以下は久世氏の言葉です。昭和の始めを描いた数々のホームドラマには、明るくて何処かほろ苦く、ちょっと悲しい家族団欒の風景がある。『私達はあの時代に何か大きな忘れ物をした。』東京五輪から10年たった74年に向田さんと組んで『寺内貫太郎一家』を手掛けました。核家族が常識になった時代。子供が発言権を増し、家族がてんでばらばらでまとまらなくなってきた風潮を向田さんは『困ったものだ』と嘆いていました。家族構成はおばあちゃんに、息子の貫太郎夫婦、さらに孫もいる3世代同居の大家族。貫太郎は頑固一徹で口より先に手が出てしまうとか、戦前の旧弊な家長スタイルをもっていました。でも気は優しくて力持ちというのが貫太郎でした。ただこのドラマを『父権回復』『復古主義』と捕らえられる事もありました。もはやユートピアになっている事を承知の上で『核家族』に対するアンチテーゼとして『大家族』を我々は提示したのです。けれどそれはスタイルの問題というより、精神野問題でした。向田さんはよく『足し算引き算』という言葉を使いました。視聴者が『おばあちゃんが生きていたらうちと同じだね。』などと自分の家族に誰かをプラスする事で貫太郎一家と同じようになるように足し算でありたいと願っていました。我々は現実の家族の変わりように、『私達は戦前のあの時代に何か大事なものを忘れものをした』と感じ、それをホームドラマで伝えたいと願っていました。それは古くからの日本の良さであり、家族の温度、匂いとかと言ったものであり、一言で言うならば『連帯』です。人と人の結び付きが希薄になったと感じていたのです。続く・・・(お仕事に戻らなければ・・・)
April 22, 2005
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昨日、スペインで同棲愛者の結婚が略正式に認められる事になるという報道がありました。議会の多数決で180対130(細かい数字は覚えていません。)だったようです。カトリック色が強いスペインにしては少々驚きの結果でした。ヨーロッパでは、オランダ、ベルギーに継ぎ3ヶ国目となるようです。そして継ぎに続く国にフランスも入っています。フランスではパリ市長が同性愛者なのですが、全く隠さず同性愛者のストライキの時も参加されています。私は賛成でも反対でもありません。ただ同性愛を隠しながら生きなければならない状況は良くないと思っています。人を愛するという事は誰もコントロール出来ませんから、それが同性である事もありえる事なのだと思います。
April 22, 2005
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一昨日、ビジネスディナーを友人宅で行いました。友人(フランス人男性)から向かいのビルに住む男性が双眼鏡でいつも見ていると聞かされました。笑ってすませていました。そして友人も面白半分に双眼鏡を購入し、お互いに見合っていたのです。そして、どういう訳かそのビジネスディナーの相手はその双眼鏡の男性と奥様。道でバッタリ合って、お互いに知らないふりをして知り合いになりビジネスの話しになったそうです。我々は(友人とその奥様、弁護士、雪之嬢)で事前に集まり、どういう風に話しを進めるか前もって話し合いをしました。そして彼らをどうやって迎えるか・・・双眼鏡の話しをダイレクトにするのは可哀相だから、双眼鏡のメーカーは何処が好きか?という会話をしようか?等と冗談も話ししながら待っていました。時間になってもなかなか彼らは来ません。そこで友人は双眼鏡で彼らが出かける支度をしているか確認します。彼らが到着し、シャンパン(食前酒)でお喋り・・・食前酒のお喋りの間、余りの退屈な話しに我々は今晩は失敗した事を合図しあいました。彼らのお話しは、自分達の自慢話しばかり・・・その上、彼らの仲の危機が伝わって来ます。(こちらでは珍しくもない事ですので、笑い話しにしていました。)私の頭の中では、仕方ないから今日は和食を美味しく戴く事だけ考えようと思いました。メニューは日本レストランに注文した、前菜・・・生魚と海草のサラダメイン・・お寿司デザート・・・ヤマザキのケーキ日本で食べるような訳にはいきませんが、このサラダは私の大好物なのです。サラダのドレッシングは中華風で甘辛い赤い色をしたものです。(今度、何が入っているか確認してみようと思いますが、生魚と海草にピッタリ合うのとフランス人の口にも合います。)そしてヤマザキのケーキは、フランスのケーキ屋さんのよりも甘くなく人気があります。前菜に入った時にお箸を使うのが難しい人にはフォークを渡しました。そしてお寿司・・・お寿司にはこちらでは、だいたい白ワインを戴きます。これが意外と合うんですよね。この日はBIO(有機栽培)のワインでした。ビジネスの話しは予想を反して盛り上がり、だんだん楽しくなってき頃、ふと双眼鏡の男性のお皿に目が行きました。なんと・・・初めての光景を目にしてしまいました。『とろ』のお寿司がフォークとナイフで切られようとしている瞬間でした。フランス人もお寿司だけは慣れないお箸、もしくは素手で食べるのでこの光景は本当に初めてでした。そこで他のお皿を見渡しましたら、サラダの後ちゃんと皆さんお箸に変えていました。持ち帰りのお寿司でしたから、ご飯を少し多めに固く握ってあったから出来た事でしょうが・・・とてもお寿司が可哀相に見えたのです。その時に思いました。やはり日本のお箸は食べ物さえもいたわる事が出来るものだと・・・奥様の方は予想通り、弁護士に離婚の問題も扱っているかどうか皆に聞こえるよう(勿論ご主人にも聞こえるように)聞いていました。(こちらは、離婚には必ず弁護士が必要です。)
April 22, 2005
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4月19日18時(日本時間20日午前1時)に白い煙の合図と共に第265代教皇が誕生しました。(昨日はこの煙突をはずす作業が映し出されました)1927年4月16日ドイツ・バイエルン生まれ。78歳。本名 ヨゼフ・ラッツィンガーベネディクト15世の教えに共感されていた事と、御自身の年齢をお考えになり、御自身の教皇としての生命の短さをお考えになり、ベネディクトという御名をお選びになったそうです。新教皇に対しては、いろいろな選挙の時と同じように様々な意見が飛び交っています。ドイツの人々は勿論喜び・感動の涙を流していました。生命に関るもの(避妊・中絶・尊厳死)の不認可はヨハネ・パウロ2世のまま受け継がれる事になり、落胆の声も上がっています。各宗教家(ユダヤ教・イスラム教)からは、ベネディクト16世が保守派という事より少々の不安の声がありました。ヨハネ・パウロ2世が、各宗教との友好を深めておられただけに不安が残ったようです。保守派という事による不安は、時代に沿った改革(モダニズム)への不安も上がっています。(ある神父様の言葉)一方、選出に立ち会ったフランスの神父様がおっしゃっていました事は、とても感動の時間だった事、様々な囁かれる不安に対しては、ベネディクト16世の知的さを指摘し、その知的さはモダニズム・各宗教間友好でさえ、受け入れるものでしょうという事でした。この知的部分は、ブッシュ大統領や反対派もすべて共通の意見のようです。まだまだ、こちらでは特集が続きそうですが、まずは世界平和のために是非に立ち上がって頂きたいと思います。
April 21, 2005
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今日、一人の友人から電話がありました。日本へ帰る事を決めたと・・・彼女は長年の酷いアトピーに苦しんでいました。私も彼女ほどひどいアトピーを見たのは初めてでした。一昨年、彼女はある事が発端となり自律神経に支障をきたし、又それが原因で今まで以上にひどいアトピー・アレルギーとなりました。こちらフランスに来て、自律神経に支障をきたす人は少なくありません。環境の変化と、人種の考え方などの違い等に対応出来ずに病んでしまい帰国する事になります。とりあえず、日本に帰り入院治療を続けていたのですが、全く良くならず疲労と精神衰弱から『人間はこうやって病んで行くのだなー』とはっきりと自分が病んで行く過程が感じ取れたらしいのです。いろいろな土地の病院に変わったらしいのですが、実家の病院に入院している時にふとその病んでいく状態に自分をなくしてしまったらしいのです。そして屋上へと行ったそうです。その屋上は彼女が子供の頃に遊んだ屋上です。其処から見るお庭のお花や木が大好きだったのだそうなのですが、その時はお庭のお花や木を美しいともなんとも思わなかったそうなのです。それに彼女は落胆してそこから飛び降りようと思ったらしいのです。(初めて自殺を考えたと言っていました。)その時に結局飛び降りる事は出来ず、子供のように大声で泣き続けたそうです。とにかく、大声で泣いて泣いて・・・どれくらい泣き続けたかもわからないくらい。その涙で浄化されたのでしょう!突然、様々な考えが変わったそうです。そうしたらどうでしょう?!アッと言う間に長年苦しんだ、そして又今回の病でひどくなったアトピー・アレルギーが跡形もなく消えていったのです。彼女はアトピーで苦しんでいる人を助けたいけど、病気の時は本当に病んでいるから周りは助けられないのよね~。自分で気付くしかないのよ。と言っていました。今回の帰国の決意は、今年日本でコンサートを開いて来た際、昔の(10数年前)ファンの方々も来て下さったのだそうです。ファンの中には、この10数年の中で亡くなった方などもいらっしゃって、その奥様が『主人の変わりに参りました。』という方もいらっしゃったそうで、彼女はそこで感動を頂いたようです。そこで帰る決意をしたそうです。芹沢光次郎の『神の微笑み』の中でフランス留学時、結核にかかり治療の為にスイスとの境の高原で治療をしていた頃の出来事の話しを思い出しました。自分の夢を追っていたように思えていたものが、本当の夢ではなく、周りの為の夢だった事が分かり、自分の本当にやりたい事(自分の道)を見つけた人だけが治るというものでした。そこの療養所を出る事が出来る(治る)ものは、自分の心を見つけた人達だったのです。(実話です。)
April 20, 2005
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今夜は、日本舞踊の名取りのお師匠さんとお琴のお師匠さんの友人二人がお着物を習いに来ました。(二人ともほんの少し私より歳下です。)玄関を開けると、お琴の師匠をしている方の友人がお着物姿で立っていました。開けた瞬間に『まぁー素敵!』と声に出してしまいましたが、藍色の地色に大き目の桜が全体に散りばめられている小紋で、それがとても良く似合っていて、一瞬にしてとても幸せな気持ちになりました。まずお着物を着る心得、東洋の思想を一通りお話ししましたが、二人とも私よりも勿論日本文化に慣れ親しんでいる訳ですから、お教室と言うよりも三人で語り合ったという方が合っているかもしれません。日本舞踊の師匠曰く・・・踊りというのは、もともと神に捧げるものだったらしいのです。西洋の踊りは、天に向って飛んだり跳ねたりという動きが多いのは天の神様に捧げる為だそうです。ですから出来る限り高くと・・・(日本でもパトリック・デュポンの跳躍などが話題になりましたよね。私も日本にいた時に見にいきました。)そして日本舞踊は飛んだり跳ねたりがなく地についた踊りなのは、日本では神様というものは我々と同じところに、例えば木々に、空気に、すべてのものに神様は存在するという思想の元から来ているのだそうです。とても勉強になりました。そしてもう一つ知らなかった事を教わりました。お琴の師匠は黒留袖を着ると決まっているのだそうです。師匠以外は別です。今日は誰が生徒で先生か分からないお教室でした。その後、着付けに入りました。お着物はただ着るだけではなく、お着物を着る時には一つ一つの動きを美しく流れるように、例えばお着物に袖を通す姿から、腰紐などの小道具を置いているところから取る時の姿などを説明しましたら、二人ともこんな世界があったとは知らなかったと大声で大喜びしていました。(二人とも今まで、ただお着物を着ていたのですね)教えている方の私も此処まで喜んでもらえて、とても幸せな時間を過させてもらえました。本日は、お稽古というよりも日本文化を愛する仲間の会でした。
April 19, 2005
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郵政事業民営化に関して、今週にでも何か動きがあるのでしょうか?現在私の頭を悩ませているのは、中国の反日運動と郵政事業民営化です。郵政事業民営化には絶対反対です。現在の自民党内の動きなどをニュースなどで読んでいますと、それぞれの利害の上に立つものが多いように思います。“打倒小泉内閣”のチャンスにしている動きが見られるのも残念でなりません。私は小泉内閣の支持者という訳ではありませんが、反対派でもありません。今は本当に郵政民営化が日本に何をもたらすのか?を真剣に考えて頂きたいものです。政治家の利害から来るものでない間違いない判断をお願いしたいものです。(本音は利害から来る判断でも凍結に持っていければとまで思う時があるほど反対しています。)そのまま凍結する事を望んでやみません。賛成派の方々には失礼な日記になってしまい失礼致しました。皆様の御意見をお聞かせ下さい。
April 18, 2005
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反日デモのニュースは勿論こちらフランスでも流れています。ニュースを見る度に悲しみで一杯になります。我々国民一人一人に何が出来るのでしょうか?先日、お買い物の帰りに雑誌を買おうとその通りのキオスク(日本と同じですね。こちらは路面店ですが)に立ち寄りました。屋主は今年に入り、中国人に変わったみたいです。御主人は東京に2年間滞在していたらしく、日本人に対しても好意的なのですが、先日は奥様の方は全く笑顔もなく無言のままでした。その様子を見た時に、反日デモが頭を過りました。中国だけではなく、日本は勿論の事、世界中に住む中国人、日本人に影響を与えはじめているかもしれません。歴史の塗り替えは今までも問題になっていましたが、私はどうしても本来の怒りは其処にあるのではないような気がしてなりません。戦争というものは、様々な悲劇を生むものである事は間違いはなく、現在でも続く世界中の戦争を見ていましても全く同じ状況が沢山見られます。戦争時代は、勝利国、敗戦国に関らず、双方に被害も及べば、悲劇も生まれます。それを承知の上で戦争は勃発すると私は考えます。そう考えると終戦後に様々な事を掘り起こす事はルール違反のような気がしてなりません。そして戦争が如何に無意味なものかを学び、世界平和へと力を注ぐ・・・という図式でならなければならないのでは?と思います。少なくとも、日本はそれが出来ていると思います。教科書の塗り替えは私は余り大きな事だとはどうしても思えないのです。だから同時に、中国の人が望む通りに真実に書き換えても勿論全く今までと何も変わらないと思います。例を出すような事ではありませんが・・・聖書から輪廻転生を説いた部分が削除されたのも、伝導活動(普及)に支障をきたす事を案じたからだと聞いております。これは、現実に起きた歴史の塗り替えとは異なりますが・・・自然災害が増え、地球が泣いているような時です。もっと世界中の人が手をつなぎ、向かう道があると思います。中国在住日本人の方々は危険にさらせれ不自由、不安な生活をしていらっしゃる事と思います。一日も早く、皆様に平和が訪れます事をお祈り致します。そして中国人の心に平和が宿りますよう・・・合掌
April 17, 2005
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昨今、日本の伝統文化のお茶・お花などを習う人が減っているのだそうです。私個人の意見は、お茶のお点前や生け花の基礎知識を習いに行くだけでしたら、必要ないのではと思います。しかしそこには、もっと大切な素晴らしい世界が広がっています。それが『心』だと思っています。お茶もお花も学ぶのはそこにある、又そこから発生する心を学ぶものだと思っております。(ですから、お教室などで学ばなくても家庭でも学べるのかもしれませんね。)生け花の始まりは、道に咲いていた花を持ち帰り、美しく生けてあげたいという心から始まったものですし、お点前も同じだと思います。本来はそういう『心』は人から学ぶものではないのでしょうね。千利休の逸話をある故人が語っていらっしゃいました。千利休が宇治の御茶屋さんをお尋ねになった時の事、その御茶屋の主人は緊張の余り、お茶をこぼしたり、散々な結果だったそうです。帰り道、お供の人は『なんと無様な・・・』と笑ったそうです。しかし千利休は『亭主は私を心からもてなそうとしてくれた。あの心こそ学ぶべきものだ。』とおっしゃったそうです。礼儀、作法もすべて同じだと思います。頭を何度下げるのが『真のお辞儀』等といった決まり事ではなく、如何に相手に失礼にあたらないか?又不快感を与えないか?が礼儀・作法であると思います。お箸も同じです。神と共食の祭器としての『お箸』、神聖なるものを前にした時にどうでしょう?!誰もが丁寧に扱うはずですよね。やはりその心ですね。本日も『和』にたっぷりと浸ってしまいました。先日、お作法を教えながら考えた事でした。
April 16, 2005
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昨夜は本当に久しぶりに丑満時を待たずしてお休みしました。とても気持ちの良いものですね。昨日、友人夫婦に誘われお昼を日本レストランで戴きました。日本レストランと言えば、お寿司、やきとり、鉄板焼き等が主流の中、我々が行きましたところは、夜は居酒屋風になります。(居酒屋といいましても海外ですからお値段的には高級居酒屋ですね!)お昼のランチに焼き魚定食がありました。焼いたサバにおろし大根が添えてあり、お味噌汁と白菜の一夜漬け、そして肉じゃがです。日本にいらっしゃる皆様に取りましては、何でもないメニューかと思いますが、我々は本当に心にも身体にも優しいお食事が戴け、大満足でした。こういう家庭料理が一番の御馳走です。その上にお食事中、ある話題で涙する程、笑い続け楽しい一時でした。それからお茶を飲む為にカフェに向かう途中(奥様は車で移動)、画廊の前を通りました。その友人宅に何とも言えない少々不気味な絵があるのですが、その画家の展示会でした。丁度今日からその展示会が始まるらしく、昨晩はその前夜祭があるという事でした。その友人は、その画家の絵を購入したわけではないのです。20年前、まだ画家が無名だった頃、私の友人(現在64歳・フランス人)は一世を風靡していました頃でその画家と知り合い、物々交換したらしいのです。それから20年の年月が経ち、その画家も世界で名が知られるようになったわけです。とても懐かしいという事で、又夜に前夜祭に一緒に行く事になりました。お茶を飲みながら、その話しになり・・・奥様は現在の絵の価格を聴いて、売りましょう!とおっしゃっていました。(奥様には不気味な絵でしかないらしいです。)そして二人と別れ一人で歩いていますと、先程の笑った話しが思い出され、一人で歩きながら笑いをこらえるのに必死でした。変な人に間違われないように・・・そして前夜祭に出かける前にその64歳の友人から電話があり、『これから出るから、どちらが先に着くか競争しよう!』と。私のところから歩いて3分、友人宅からは車で5分くらいでしょうか?ところが、バイクで駆けつけてきました。(私より早く到着する為に)奥様と二人のりで・・・いつもながら楽しい、なんと素敵なカップルなのでしょう。前夜祭に行きますと、立派になった画家の姿がありました。私の友人を見つけるなり、懐かしかったらしく、お話しがはずんでいました。彼の最近の絵は色使いなどは明るく、とても美しい絵です。ところがやはり何処かに不気味なところを残す絵でした。昨夜は前夜祭で楽しんだ後、又皆んなでイタリア料理へ行き、最後のグアッパまで戴きました。最近お酒を余り戴かなくなっていましたが、昨夜は楽しさから戴いてしまいました。という事で丑満時を待たすして床に入ってしまったのでした。昨日の日記の『無駄』ばかりの一日だったような気がしますが、とても心地よい一日でした。
April 15, 2005
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イタリア映画『マカロニ』の中で、マルチェロ・マストロヤニが『人生には無駄が必要だ』と言う場面がありました。もう20年近く前に見た映画(ビデオにて)ですので、言葉は少々違ったかもしれませんが、このような事を言っていました。その言葉は合理的な事が好きだった私の心を魅きつけました。確かにハードな部分での無駄はない方がいいけれども、ソフトの部分での無駄は必要だと考えたのを覚えています。そしてソフトの部分での『無駄』がすべてにおいて良い影響を与えているのだと思いました。『人生には無駄はない』という言葉が盛んに使われる現在、この『無駄』という言葉を変えた方が伝わり安いのかもしれませんが、ニュアンスとしては解って頂けると思います。例えば、車のハンドルに『遊びがある』という言葉を使いますよね。そういう意味合いでしょうか?とすると『遊び』という言葉になるのでしょうか?もっと良い言葉があるのような気がしますが・・・もしかすると、先日の日記の非合理的な部分も『無駄』の一つかもしれない事を考えていました時に、この言葉を思い出し、このフランスには『無駄』がとても多いかもしれない事を考えました。だから、画家やアーティストにとって住み易い場所なのかもしれません。仕事をやっておりますと、こういう気質に時々頭悩まされるのですが、そう考えてみると良いところなのかもしれない事を改めて考えさせられました。カップラーメンが日本で発明された話しも有名ですが、あの製品も一つの無駄が生み出したものかもしれませんね。確か日清だったかと思いますが、新製品開発の為に一年間の休暇を会社から与えられた一社員がその休暇の間に発明したとか・・・毎日会社に通勤して、それなりにお仕事をして一年間過しても同じ一年間です。しかし毎日の雑用に追われ、新製品の開発どころではなかったかもしれませんね。ただし、これもすべてには当てはまらない事は当然ですよね。何時良い案、新しい案が浮かぶかは、人それぞれでしょうし・・・又、新製品を何か開発しなければと言う追いつめられた状態で一年間を過しても浮かばなかったかもしれませんし、たまたま成功した例かとは思います。そう考えますと、『無駄』と言われるものは、その人の心が良い状態にある事かもしれませんね。もしかすると『魂が喜ぶ』状態なのでしょうか?!しかし、魂が喜ぶ状態も人それぞれでしょうし・・・???とにかく『人生の無駄』・・・いろいろな事を考えさせてもらえました。
April 14, 2005
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フランスの良い習慣ですぐに目についた事が幾つかあります。しかしそれが何時からか不思議に思われるようになりました。その中でも毎日目にするものがあります。扉を開けて外に出る、あるいは中に入る時に後ろに誰かがいる時は必ずその人の為に開けて待っていてくれます。それもその後ろの人がちゃんと扉にさしかかるまで扉をきちんと押さえています。始めはなんと素晴らしい習慣でしょう!と思いました。その上、ほぼ全員の人が同じ行動をとります。メトロに入る時に扉があります。その扉を次の人の為に開けておく、デパートに入る時、出る時に後ろの人の為に開けておく、アパートの扉を出る時も同じです。とにかく扉があるところはすべてです。後ろにいる人が遠い場合も視界に入れば開けて待っています。逆に待たれている方は急がなくてはいけません。余りに遠いと走る場合もあります。(礼儀として)時々とても非合理的だと思う事もありますが、気持ちの良いものなので皆笑顔でお礼を言います。もう一つは、乳母車を引いた人達がメトロに乗る時です。(バスの乗り降りも)地下鉄ですから、当然地下までの階段があります。大きな乳母車を持ち上げて階段の上がり降りは大変だと解っています。大変というよりも一人では出来ない大きさがほとんどです。しかし多くの乳母車を見ます。理由は、通りかかりの男性達が必ず手伝ってくれるのです。これは100%の確立ですね。男性が二人通れば、乳母車の持ち主は全く手を離せる状態なのです。この光景も素晴らしいものに映りました。勿論今でも素晴らしいと思っています。(乳母車の持ち主が手伝ってもらう事を当然に思っている事以外は)勿論我々外国人もすぐにこの習慣は見習います。というよりも自然とすぐに身につきます。この二つの事を始めは手放しに素晴らしい事だと思って感動すらしたのですが、最近ちょっと考えるようになった事があります。このフランスに長くいますと、フランス人の気質が解ってきます。そのフランス人がどうしてこういう事が出来るのか?それも100%に近い人々が?!それが私の疑問となってきたのです。親切心?思いやり?習慣?教育?勿論困っている人がいれば助けるのは当然ですし、後ろに人がいれば扉をバタンと締める事はありませんよね。しかしこういう事がすぐに気になったという事は、他の国と違いが分かるくらいの行動なのだと思います。とりあえず、良い習慣ですので続いて欲しいと思いますが、フランス人の気質からするとどうしても不思議です!レディーファーストと似たところが背景にはあるのでしょう。
April 14, 2005
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今日は、ちょっと恐い地区へと行ってきました。(今日はすでに3件日記を書いてしまって書けませんでしたので、白く開いていた日にちを選びました。本来は4月22日)恐い地区に行く時には、服装も気をつけ、お財布の中からは余分なカードや現金を取り出して十分に準備をしていきます。行き先で地図を見なくてもいいように(地図を見ていると、その辺の住人ではない事が分かります。)あらかじめ調べていきます。メトロから外に出て、外を歩きながら此処もパリ・・・観光客は美しいパリだけではなくこういうパリも見ると楽しいのではないかしら?などと考えながら歩きました。結局、ちょっと迷って地図で確認したかったのですが、我慢して本当の事を教えてくれそうな女性を見つけて聞きました。(フランスで道を聞く時は3人に聞きなさいと言われる程です。)やはりちゃんと本当の道を教えてもらえました。恐る恐る歩きながら、目的地へ・・・しかし道を歩きながら、その昔此処は決して恐い地区ではなかったはず・・・その昔はこの道をどういう人達が歩いていたのかしら?等と想像を膨らませながら歩きました。用事を済ませ、お買い物もその辺のスーパーで済ませると一旦帰って出直す事もない事を考え、スーパーへと・・・至るところにある大型スーパーですのに、流れている空気が違います。レジで計算をしてもらっている途中に袋がない事に気付きました。ここはとても非合理ですが、一人一人にその量に合わせてその分の袋を出してくれます。きっと袋を沢山持ち去る人がいるからでしょう。この場所には信頼というものがないのですね!昔の日本の農道で見かけました、箱にお金を入れてお野菜などを持ち帰る等と言ったものなどは通用しませんね。少々悲しい思いでこの地区を後にしました。
April 13, 2005
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今日は朝方見た『夢』が頭から離れず、少々悲しい気分でした。夢の内容は、亡くなったフィアンセと一緒に友人の生まれたての赤ちゃんを見ながら、自分達の子供の話しをしていました。とても楽しい夢だったのですが・・・今朝、コーヒーを飲みながらその夢の事を考え、もう少しで自分を悲劇のヒロインにしたてあげるところでした。頭を切り替え、仕事をしようとするのですがなかなか思うように捗りません。今日はその上に絶対に出かけなければならないところがあったのですが、出かける時も気分が優れませんでした。そういう時は何時もでしたら外出を辞めますが、今日はそういう訳には行きません。こういう日は何か良くない事が起きるといけないので、お守りを持って出かけました。スリの多いこの街で今まで一度もスリや何かの被害に合った事がないという事は、当たり前というよりも感謝すべき事なのかもしれないと考えながら歩きました。そして、良い事が起こらなくてもいいから、普通に行って戻って帰って来れますようにと祈りながら・・・この『普通』にいつも感謝しなければならないのに・・・と改めて考えました。途中、いつもながらメトロの中の素敵な音楽に触れ笑顔を取り戻せ・・・行き先は日本文化会館でした。用件を済ませ、一階にあるお店に入りました。和食器を中心に日本のものが売られています。和食器を見ているうちに、心が和んで来るのに気付きました。和食器は好きでしたが、此処まではっきりと和みを感じたのは初めてで、驚きと喜びが交差しながら、帰路へと・・・何事もなく無事、戻れた事に感謝しながら遣り残した仕事にかかりましたら、今度は朝と違って、すべてがスムーズに行きました。今日も一日何事もなく、普通に過せた事を感謝します。
April 12, 2005
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レストランの隣の席では家族でのささやかな誕生日のお食事会のようでした。(本当にそうかはわかりませんが)とても素敵なカップルと息子さんとそのお嫁さんのようでした。(友人によると)そしてそのお父様の誕生日のようでした。お父様が私の友人の犬に気付かれ、静かに可愛がって下さいました。奥様はその様子を微笑みながら、静かに見ていらっしゃいました。70歳代の御夫婦でしょうか?!個室のようになっているところに我々(私と友人と友人の犬)とそのお隣のテーブルだけでしたのでお互いの様子が分かりました。メインが運ばれて来た時です。(それまではお喋りに夢中になっていましたので何があったかはわかりません。)お嫁さんが『私の嫌いなものばっかり!』と言って手をつけようとしません。お義母様が『貴女が選んだものよ。・・・何が食べたいの?』と全く嫌みを感じさせる事なく、又しなやかに、しかも適確におっしゃいました。なんと素晴らしいのでしょう!と私はその言葉に魅せられてしまいました。ああいう風に言葉を表現出来たらと・・・(言葉のトーンや態度すべてにおいて)レストランのギャルソンを呼ばれて、メインを交換されました。我々よりも先に席を立たれましたので、御夫婦が我々に御挨拶をされ帰られました。その時に、もう一つ気になりましたのが服装でした。御夫婦はとてもシックなきちんとした身なりをなさっていました。息子さんはスーツ姿。(お父様の誕生日を尊重しての事でしょう)ところが、お嫁さんがジーンズにセーターでした。ジーンズにセーターでも良いと思います。誕生日にお洒落する必要もないと思います。ただ状況判断と尊重は必要だと思いました。ただでさえ、他人が家族となり一緒にやっていくには様々な難題があるでしょう。だからこそ、小さな事でも尊重などが必要になってくるのでしょうね。この場合も、数時間隣合わせになったばかりではこの家族の事は全くわかりません。義理の御両親が気難しい方であったり、又逆であったり、いろいろなパターンがあると思います。そして他人は簡単にその時の評価は出来ますので、一概には言えない事ばかりです。ただ尊重という事を考えさせられた一場面、一時でした。
April 12, 2005
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この二日間で身をもって思い知らされました。最近1日24時時間では少なすぎると思っていました。もう少し睡眠時間が欲しいと・・・そしてここのところ時間に余裕が出てきました。ところがどうでしょう?!全く同じです。忙しい時は、限られた時間を知らない間にちゃんと有効に使っていたのですね。そして時間があるから、ない時の何倍もお仕事が出来るかというとそうではないのですね。その上に、メリハリが無くなり切れのある行動が取れません。とても良い経験をさせてもらえました。元の時間がない状況に戻った時に、有り難く思いながら毎日が過せそうです。そう思うとなんとなく嬉しいですね。例えば、仕事と家事を両立している女性の方々が、仕事のみに時間を使える人を羨ましく思われているかもしれません。しかし羨ましく思う必要はないのですね!その方が素敵に生きられるかもしれませんね。同じ仕事をしながら、お料理も楽しめて、子育ても楽しめて・・・勿論人それぞれですが。今おかされているところに感謝しながら、一瞬一瞬に心を込めて生きて行きたいと改めて思った日でした。
April 11, 2005
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本日4月10日、パリ国際マラソン開催の日です。出場者は35500名。内女性15%、外国人8450名、88ヶ国。10日08時45分、シャンゼリーゼ通りスタートです。フルマラソン42.195Km。この走距離がなぜこんなに端数になっているか皆様御存知ですか?先日テレビのクイズ番組で見ました。イギリスの大会の時に陛下がウインザー城の窓から御覧になりたかったそうなのですが、それまでの距離でいくとウインザー城の少し手前で終わる予定だったそうです。そこで、陛下がウインザー城から御覧になれる距離まで伸ばした事によりこの距離になったそうです。ところが、正式にこの距離が定められたのは1924年パリとなっているそうです。本日はその42.195Kmのフル走行です。日本から数名参加する為にいらっしゃっていまして、一昨日夜資生堂の松田千枝さん等を囲んでの会がありました。松田さんは、今世界で注目されています浪花走行に挑戦する為に訓練していらっしゃったそうです。御活躍が楽しみです。御本人はすでにタイムや完走を目的には走りたくないとおっしゃっていました。(第1会東京国際マラソンより走り続け、国際大会最高4位、現在57歳)私の知人(パリ在住)も参加するらしいのですが、彼女はフランスの様々な大会に出ています。一昨日松田さんを囲んでの会の時に、その知人がフランスでの大会について話してくれました。その中でも面白かったのが、ブルゴーニュマラソン大会です。名前はわかりませんが、マラソンの時に途中にお水などが準備してあるところがありますよね。そこにお水の変わりにとても美味しい上質のワインとフォアグラが置いてあるのだそうです。知人はワインを余り飲むと走れなくなると思い、控えて戴いたらしいのです。すると、その場にいらっしゃった人達から『ワインが嫌いなのか?!』と言われ、もっと飲むように勧められたそうです。さすがワインの国ですね。8時45分スタートを観にいくかどうか悩んでいます。歩いて1分もかからないところなのですが、日曜日に早起きをする習慣がありません。現在0時50分ですので、後8時間ですね・・・日本からわざわざいらっしゃっている方々を応援したい気持ちはありますが・・・ベットの中からの応援になるかもしれません。
April 10, 2005
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チャールズ皇太子御成婚ライブが今、終了したところです。イギリス国民70%反対という中の御成婚。本日、イギリスで行われた競馬の方が視聴率を上回っていたように報道されました。私も実は反対ではありませんが、余り好まない一人だったのですが、結婚式の様子を見ながら意見が変わりました。それぞれの人生、それぞれの心、誰にも咎める事は出来ない事を考えました。あるジャーナリストが、この結婚はイギリスの調和に繋がる事を述べていましたが、確かに外見だけ見た場合も、お二人並ばれた姿はとてもお似合いでした。結婚式の間、チャールズ皇太子の胸中をちょっと考えました。35年の愛が実って感無量?もしくは本当に良かったのか?複雑なお気持ち・・・想像しても意味がない事を考えてしまいました。まず、役所(市役所・区役所等)での結婚式を終えた後、教会での結婚式となるわけですが(ヨーロッパはだいだいこのスタイル)本日役所では所用時間が20分だけだった事が報道されました。その理由は土曜日は結婚式が多く、次のカップルが控えていたので時間がなかった模様です。こういったちょっと笑い話を入れながらのライブでした。そして最後に印象的でしたのは、皇室関係の招待者が宮殿での宴に向かうのに女王夫婦を覗いて皆さんバスで移動された事です。勿論王子達も一緒でした。フランスの報道者もその風景を驚きを交えて話していました。何はともあれ・・・『御成婚おめでとうございます。』
April 9, 2005
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今日から私の子供みたいな子(弟?)が一ヶ月のヴァカンスに出発しました。出発の時間まで不安そうな顔で行きたくないと言いながら、発って行きました。何時からでしょう?この子が私のところに来るようになったのは・・・もう5年になるようです。不思議なものなのですが、全くの他人で国籍も違うのに家族愛みたいなものが出来上がるとは全く想像もしていませんでしたし、そういう事を求めてもいなかったのですが、子供の透き通った目を持ち、純粋な心で真っ直ぐに向って来る子を見ているうちに本当の子供のような感覚に変わって行きました。ある日、彼にとってかなり大きなショックな事が起きた時に私のところへ来ました。その出来事を話しはじめるなり、大粒の涙がポロポロ流れ出しました。その時に、とても辛い思いをしている私がいました。泣き疲れて寝てしまったその子の手を取り、『夢の中では今日起きた出来事が出てきませんように!幸せな夢を見せてあげて下さい!』と祈りながら、これが子供に対する母性愛なのだろう事を感じました。しかし実際は、寝静まったのを確認出来た後、御家族に御心配なさらぬようという報告の電話を入れました。この子には多くの事を教えてもらったような気がします。立場的には、彼が持ってくる悩みや問題に対して私がアドヴァイスするという形なのですが、彼の発する純粋な言葉に驚かされたり、気付かされたりします。そして無邪気な笑顔はいつも私の心を清くしてくれます。そして何よりも多くの感動があります。この子は何処から来たのかな?と時々不思議に想う程、大きな感動を沢山運んで来てくれます。彼の叔父様にある日、『貴女は我々が想像を絶するほどの事を彼にやってくれています。本当に感謝します。』と言われた事がありました。しかし、実際は私が多くの事を与えてもらっているのです。ある日、この子が私に向って『僕達は二人とも与える事の方が好きなんだね。』と言ってきました。確かに、年齢はこんなに違うのにこの子は私を喜ばせたい、私に幸せを感じて欲しいという事が前提にある事を感じます。それでも時々、話しを聞いてあげたり、励ましたり、一人で三人分くらい食べるお食事を作ってあげたり、お弁当を作ってあげたりすると(勿論毎日ではありません)仕事の時間がとられ、ヴァカンスに発ってくれる事をちょっと楽しみに待っていました。ところが実際、発っていくと淋しいものですね。ヴァカンスに発つ予定が一日、又一日と伸びる度にまだかな?と待っていましたのに・・・大袈裟なようですが、身を半分削ぎ取られたような感覚です。この子が抱えている大きな問題が解決するまでと決めていました。それが5年目にしてやっともうすぐ解決する予定です。その時には、元気に私のところから飛び立って行って欲しいと思っていましたのに、最近私の方が子離れが出来ないのでは?と不安に思っているこの頃です。支えているつもりが、支えられていたのですね。とりあえず一ヶ月のヴァカンスを思いっきり楽しんで来て欲しいと思います。何も考えず・・・
April 9, 2005
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昨夜21時頃、アマゾンにて本を購入しました。するとどうでしょう・・・今朝玄関にすでに届いていました。驚きと喜びが交差しました。その上、この本は東京に住む友人が一年前、日本のヤフーのオークションで見つけて教えてくれましたが、4万円というとても高価な値がついていましたので悩んでいましたら次の日には売れていました。フランスで探しましたけど残念ながらありませんでした。昨日、別の本を注文したくアマゾンを開きました時にその本の題名が検索の覧に残っていましたので、思い出し検索してみましたら、一件古書でありました。それも70ユーロ(現在レートで約9800円)、古書は余り好まないのですが、奇跡でもない限り新書があるはずもなく、今後手に入らないかもしれない事を考え、購入しました。それに日本のオークションで見ましたものも古書で、4万円でしたのでこんなに安く手に入って大喜びです。古書を購入する時のシステムを知らなかったのですが、持ち主の名前とメールアドレスが表示されました。その持ち主から送られてくるらしい事は解りました。朝、パソコンを立ち上げましたらその持ち主からメールが届いていまして、私の家に届けましたと書いてありました。そこで玄関を開けると・・・大きな本が奇麗な包装がされて置いてありました。とてもとても嬉しかったです。アマゾンからではなく、本の持ち主から送られて来るシステムは少々不安もありましたが結果はアマゾンからよりも良い結果となりました。(前回、アマゾンで購入しました時に小さな問題がありましたので)その方の住所を見ますと、パリの郊外でした。わざわざ届けて下さったのです。その上、古書と言えども新品同様のものでした。改めて、最近増えてきましたリサイクルの事を考えました。不必要に思う人から、必要に思う人へ・・・とても良い事かもしれない事を今更ながら実感した次第です。
April 8, 2005
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4月6日モナコ王国レーニエ大公逝法。レーニエ大公は1949年5月9日26歳で祖父ルイ2世後、後継者となりました。モナコ王国はヴァチカンに次ぐ小さな国で人口32000人です。レーニエ大公はこの小さな国土を埋め立てによって2割り広めました。モナコの住人の事をモネガスクと呼びます。モナコは税金がない事で有名ですが、すべての物の価格が税金が入ったように高価格です。モナコは高額所得者が居住に選び始め、いわゆるモネガスクにとり、大変住みにくいところとなっていきました。モネガスクは近郊に引越し、モナコに仕事に来る。そしてモナコ住人の外国人は、モナコから外に仕事に行くという奇妙な光景となりました。そこでモナコではモネガスクを一番に守る法律が出来上がりました。レーニエ大公は1956年、ハリウッド女優グレース・ケリーを結婚し3人の子供を儲けました。二人は略一目ぼれだったそうです。しかし、結果はアメリカとの交流関係が深まり、モナコにとっては救いの結婚となりました。その後、グレース・ケリーはレーニエ大公の協力もあり、女優としての復活を試みますが、モネコ住民の反対により断念し、辛い日々を過す事になりました。末娘ステファニー17歳の時、ステファニーが運転する車に乗車していたグレース・ケリー逝法。それから、レーニエ大公は、子供たちの様々な問題に頭を抱える事が多く、決して安泰な生活ではありませんでした。レーニエ大公後、アルベルト王子(47歳)が後継者となります。モナコは私が一人で休養に出かける所です。ニースからヘリコプターですぐです。ヘリコプターはタクシーよりもほんの少し安いのですが皆さん御存知ないようです。カジノ広場にあるホテルに泊り、ホテルで泳いだり、本を読んだり、のんびり過すのみです。17年近くこれを続けています。プリンセスの夫がヨットレース事故で亡くなった時も、ちょうど居合わせそのレースを観ていました。最近、何かが変わり前のように落ち着いて過せなくなり、ここ3年位御無沙汰していますが、これからも私の好きな国であって欲しいと思います。15年位前に友人が、ディズニーランドはモナコ王国を子供の国にしたものと言っていましたのを思い出します。
April 7, 2005
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モナコのレーニエ大公の逝法。レーニエ大公はなぜか私の好きな方でした。女優であるグレースケリーと結婚なさるなど、御自身のお気持ち(意志)を大切に通された方だと思います。アルベルト王子がまだ未婚ですので、今後の御心配の中での逝法だったことと思います。現在、テレビで特集が行われていますが、お仕事中ですので又改めて御報告させて頂きます。御冥福をお祈り致します。
April 6, 2005
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明日から一ヶ月ヴァカンスに行く友人がお食事に来るというので、お料理をしながら合間にテレビを付けましたら『E.T』を放映していました。E.Tと言えば、最近面白い秘話をあるメルマガで拝見しました。同じメルマガを御覧の方はすでに御存知かと思いますが・・・最後の方にE.Tと子供達が自転車に乗って空を飛ぶ場面がありますが、その自転車が作られた場所が大阪府 生野市だという事です。私が一番好きな場面です。何気なく観ていた一場面の小道具でしたが、今日は気をつけて見てみました。この生野市というのは小さい街なのに人口が14万人と密集しているらしく、そして企業がとても多いところだそうです。生野の自転車がハリウッドの空を飛んだので、今度は世界の空を飛ばそうと、生野市の工場長さん達が集まり、様々なコラボレートの結果、今年一台の自転車を創り上げ、イタリアで展示されたそうです。私は生野市の生まれでもありませんが、日本人ですのでこういう秘話を知った後に観る『E.T』が今までよりも身近に感じました。生野市の繁栄をお祈りします。
April 6, 2005
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今、懐かしい声を聴いて電話を切ったところです。日本にいました頃、一緒にお仕事して下さった方と話しました。彼は外注でお仕事を受けて下さっていたのですが、そういう方々の中でも一番お年を召していらっしゃったので、昨夜急にお元気でいらっしゃるかどうか気になり、先程お電話しました。4年前に、一度御挨拶のお電話を入れました。70歳近くになられると思いますが、お元気なお声で今でもお仕事を続けていらっしゃいました。こういう外注で影の力になって下さった方々には当初より、一番支えられ、彼らのおかげで今の私があるといいましても過言ではないほどです。雪之嬢『こんにちわ雪之嬢です。お元気でいらっしゃいますか?』N氏『わぁー嬉しいなーーー。元気でまだ仕事してるよ。』雪之嬢『奥様もお変わりはありませんか?』N氏『うん。心臓をわずらっているけどどうにか元気にしている。』N氏『今は○○会社の仕事をやっているよ。』雪之嬢『そうですか。良い会社ですよね。』N氏『大変だけど、性に合っているみたい。』 『でも、もう一度貴女の仕事がしたいよ。』雪之嬢『有り難うございます。もう少し待っていて下さいね。私もNさんにお願い出来るように早くどうにかしたいと思っています。』N氏『会いたいな~。パリに会いに行こうかな?!』雪之嬢『ええ。是非いらっしゃって下さい。私が日本に帰った時に御挨拶に伺わなければなりませんのに、本当に失礼ばかりして申し訳ございません。』N氏『貴女の声が聞けたから、またこれで長生きできそうだ!』 『時々声が聞きたいから、こちらから連絡出来る方法を教えて!』雪之嬢『何時でもお電話下さい。お元気で!また御連絡します。』『もう一度貴女の仕事がしたい』何度言われても目頭が熱くなります。一生のうちにこういう方々と会えた事、又一緒にお仕事をさせて頂いた事、本当に有り難く感謝しつくせない想いで一杯です。
April 5, 2005
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昨夜、映画を2本テレビで観ました。ながら族をしてしまいましたので、途中から観ましたのと何処の映画かもわからない状態ですが、とても気持ちの良い映画でした。偶然にも2本とも同じような内容なのです。今、多くの人に必要とされている内容ですので、偶然と言うよりも良く見かける内容です。1本目は『8日目』という題名でした。内容は、家庭を振り返らず忙しく飛び回っているビジネスマンが、身障者に出会い、その身障者から生きる事、愛、笑う事、自然と触れ合う事、本当に大切なものを学ぶというものでした。その身障者は、とても純粋な子供のような心を持ち、どんな時でも笑顔を絶やしません。どんなに辛い時も次の瞬間には笑顔でいます。その笑顔、笑いは周りの人を笑顔にします。そして自然と対話します。太陽、風、草木、水・・・身障者の亡くなったお母様が時々出てきて勇気を与えたり、導いてくれます。その中でも印象的でしたのが、「あなたはこの世の中で一番優しい美しい心の持ち主です。あなたには何でも出来ます。」という言葉でした。自然の恵みの感じ方、動物、子供達との触れ合い方の教えがありました。そして笑顔、笑いの大切さ。2本目は題名も分かりませんが、以前見た事のある映画で、弁護士だった主人公が事故に合い記憶をなくし、記憶がもどらないまま仕事に戻った時に沢山の矛盾を感じ、仕事を辞め、今まで振り向かなかった家族との時間を大切に生きていくというものでした。文頭にも申し上げましたが、最近(もう随分前からになるかもしれません)こういう内容のものが増えているように感じます。人生を見直す時、本当に大切なものに気付く時、自然の素晴らしさに気付く時という事を私も含め多くの人が理解し始めたのだと思います。魂が喜ぶ事をしていきたいと想うこの頃です。良い世の中になっていくのでは?とささやかな期待を持てた一時でした。
April 4, 2005
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ローマ法王が帰天されました。4月2日21時37分 ローマ法王庁(ヴァチカン)にて。(時差7時間)テレビでは今までの御功績等が放映されています。初めてのポーランド人のローマ法王でした。幼少の頃、お母様を亡くされたそうです。ローマ法王の幼なじみの方のお話しによりますと、大変知的で、そして演技力に優れていらっしゃったので俳優になられるのでは?と思っていらっしゃったそうです。そして、演説等ではその言葉、文章といい大変優れていらっしゃったという事です。ローマ法王は25-26年程前に日本へもいらっしゃいました。大雪の中の野外ミサを今でも思い出します。(信者ではありませんでしたが、出席致しました。)様々な国へ御訪問なさった様子が放映されましたが、その中でも印象的でしたのが、イスラエルのシナゴック(ユダヤ教)に御訪問された時、そして何処の国か聞き逃しましたがある男性がローマ法王に向って発砲した時です。そして勿論キリストが眠るベツレヘムへの御訪問でした。シナゴックに行かれた時も素晴らしい歓迎を受けられるのを見まして、今でも宗教上の争いが堪えない中で、もっとこういう交流を増やす事も解決の一つになるのではないかと思いました。そして発砲された時は、傷を受けられ入院されましたが、その後退院なさった後、犯人に面会に刑務所まで行かれた姿が印象的でした。犯人を手をお取りになり、何かお話しされていました。自分を殺めようとした人をも許し、愛するお姿はなんと素晴らしいものでしょう。キリスト教の方々を中心に、世界中悲しみに包まれている事と思います。ローマ法王の御言葉『怖がらないで・・・』を忘れる事なく、宗教間、又世界中に平和が来ます事をお祈り致します。合掌
April 3, 2005
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余命の期限を宣告された友人のところへディナーに招待され行って参りました。その期限はもうそこまで来てしまいました。しかし不思議な事に最近私は、奇跡が起こるような気がしてなりません。彼は毎日を本当に楽しんでいます。彼のところのディナーはいつものことながら、準備が余りされていません。到着した友人達が順番にキッチンに入り、準備された食材で勝手に創っていきます。我々が到着した時には、ある夫婦が食前酒の為のおつまみを創っていました。次々に人が集まり、ある程度揃ったところで、彼がブルターニュから取って来た新鮮なあわびを集まった男性達で調理始めました。同時にベランダでは、大きな子豚が一匹、火の中に入りました。(ちょっと可哀相でした。)子豚がある程度、奇麗に焼きあがったところで、子豚のお腹の中にお米を入れ、次はオーブンの中へ・・・12人のディナーでしたが、最後まで美味しく楽しく戴きました。12人の中にセネガル(アフリカ)出身の男性がいました。彼はイスラム教で本来は豚は食べてはいけません。この男性はいつも皆を笑わせる役に回るのですが、今回もイスラム教の本人が豚を食べる事も笑い話しにしながら、楽しませてくれました。そしてセネガルの子供時代の話しを面白おかしく話してくれましたが、実際の内容は本当に悲しいものでした。彼は外交官でエリートコースを来た人なのですが、子供の頃、学校でフランス人(白人)を道でみたら、頭をさげながらフランス語できちんと挨拶をする事、食事の席では絶対に同じテーブルにつかない事などを教えられたそうです。そして彼がフランスに来た時に、数日間アパートの中で食事をしたといいます。理由は、近くのレストランやカフェを除くと必ず白人がいるので、入ってはいけないと思ったそうです。そういう内容を笑い話しにして聞かせてくれましたが、学校で差別を教えるという環境を知らされました。ちょっと悲しい話しとは思いながら、皆大笑いさせてもらいました。そして・・・最後まで癌と戦うと言っていた彼の言葉は変わっていました。勿論、ディナーの席では我々は普通に今まで通りに楽しく過しますので、彼の病気の事はあえて話しません。彼の親友と少し彼の様子について話す時間がありました。彼は、最近は死が近くにある事を認識しながら毎日を贈り物だと言いながら精一杯楽しんでいるという事でした。そして又テーブルの席で、皆に私の家で行ったディナーについて楽しそうに語っていました。もう一年半前の事なのに・・・毎回、聞かされます。有難い事です。最近の疲れからディナーに皆さんを招待する事は出来ないでしましたが、近いうちに同じようなディナーで招待しようと決心しました。彼と一緒に暮らしている息子さんは彼の病気発覚後、医学部へ編入したそうです。
April 2, 2005
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今日から4月です。お天気もとても良く、この4月のスタートに素晴らしい日となりました。小さい時に4月1日は嘘がつける日として、良く遊んでいました。もうすでにそういう事は忘れていたのですが、今日大きな嘘をつかれてしまいました。疑いもなく信じましたら・・・今日は4月1日と言われました。こちらでも同じ習慣(遊び)があるようです。
April 1, 2005
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ローマ法王が危険な状態にある事が報道されました。ローマ法王が日本へいらっしゃった25-26前の事を思い出します。大雪の中での野外ミサ。寒さの為に倒れ病人に運ばれる人が続出しました。信者でない私にとりましても感動するものでしたので、信者の方々にとりましては忘れられない素晴らしい想い出で残っていらっしゃる事でしょう。生かされている限り、その立場を全うしたいという御本人の意志を尊重され、御病気になられた後も交代されなかったとか・・・モナコのレーニエ大公も危険な状態が続いているみたいです。お二人がこの状態を乗り越えられる事をお祈りします。
April 1, 2005
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