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火星人来襲!1938年の10月30日は、「ニュースパニックデー」である。放送されたラジオドラマによって、一部にパニックが引き起こされた日である。放送されたラジオ局は米国CBCラジオ。放送されたドラマは、「SFの父」とも呼ばれるイギリスの作家、「タイムマシン」などのH.G.ウェールズの「宇宙戦争」だ。この小説は、ある日ロンドンの南西郊外に空から緑色の流れ星となって巨大な円筒形の物体が落下し、やがてその円筒形の物体から現れた火星人が圧倒的科学技術力、火力によって地球の侵略を始めるというものだ。問題のラジオ放送では、この内容を放送される米国に置き換える為、地名などを米国のものに置き換えたり、音楽を流している途中に「放送の途中ですが、ここで臨時ニュースです」といった具合に、架空の報道の形態をとって、自然に物語をスタートさせるなどの演出が功を奏した、現実の話だと大勢の人が勘違いを起こし、警察に問い合わせ電話が殺到した。一応、放送の始めと終わりには「このドラマはフィクションです」という断りが入ったそうだが、一般の人はそんなに注意深くラジオを視聴しちゃいないから、聞き逃して気がつかない人が大勢いたことだろう。この騒ぎの元となった小説、「宇宙戦争」はSFの古典的な名作として映画化されている。最近では「宇宙戦争」(米国 2005年 スティーブン・スピルバーグ監督 トム・クルーズ主演)がある。スティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演で、見ない訳はない。以上のようなことはなかったので、だけどおもしろかった。
2019年10月31日
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ドトールコーヒーの日暮里駅前店、神保町駅前店で220円が224円になった。札幌のドトールコーヒーにはまだ行っていないが、多分同じ値段だろうな。上野駅の中2階のトイレの近くにある”本場さぬきうどん”は、YouTuberの”スーツ”がお勧めのうどん屋だ。おいしかったけど、値段は700円程度で、また食べに行こうとは思わない。ただ1度食べに行くのはいい。真岡駅のレストランは、12時に開く。中の雰囲気駅前はパンなどを売っている店がない。そこで入った。メニューがなく、オムライスを頼んだ。おいしかったけど、1000円を出すと「1000円ね」と受け取ってしまった。味はともかく、何だか後味が悪かった。メニューを出せばいいのに。上野駅のパンダ広場でパンと牛乳を飲んでいると、鳩が1匹いてパン屑を欲しがっていた。もう大分上げた。上野駅のジャイアントパンダ帰りのフェリーで、非常に暑かったのでレストランの出口で、暑さを凌いで寝た。JR取手駅前JR下館駅前真岡鉄道真岡駅前伊豆大島岡田港波浮港
2019年10月30日
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いよいよ最後の日、上野駅を出る。茨城県JR取手駅に降りる。取手駅で関東鉄道常総線に乗る。のんびりとした田園風景だ。下妻駅を通る。関東鉄道常総線下館駅に降りる。降りたのはJR下館駅である。下館駅で真岡鉄道に乗る。車内の風景。左側に自分のリュックがある。真岡鉄道の真岡駅に降りる。大きな駅で小さな町だが、鉄道しかも蒸気機関車で持っている。駅の側にD51とキュウロクが飾ってある。1日に1回は蒸気機関車が走る。真岡駅の2階で列車を待つ。水戸駅に着く。水戸市内鹿島臨海鉄道大洗駅に乗る。大洗港フェリーターミナル深夜便(1:45発)を予約していたのだが、早めにフェリーターミナルに着いた為、夕方便(19:45発)に切り替えてもらった。帰りのフェリーは、いい気持ちであった。ビールを飲み、晩飯を食った。海はなだらかだ。雨も伊豆大島に行くとき、ちょっと降った程度だった。今までも、雨に合った日は数える日もない。少し混んでいたけど、深夜便を夕方便にして良かった。今度の”冬の旅”は”「名古屋近郊の旅」である。12月下旬に出発の予定である。あすは、いろんな写真を載せるよ。
2019年10月29日
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《川崎 横浜》川崎市の、JR鶴見線の支線である。JR浅野駅(川崎市)は無人駅である。JR浅野駅から2つ目の駅、終着駅のJR海芝浦駅である。駅から直ぐに海が広がる。海芝浦駅一般客はホームに出られない、それというのも直ぐ”東芝”の工場であるからだ。しばし、東京湾アクアラインを遠くに、海を眺めて行く。JR関内駅(横浜市)三大ドヤ街の寿町である。前に1度来たことがあるが、大分変った。写真を撮っているとき、車椅子に乗っている50歳ぐらいの奴が「写真を撮るな、そんなことをしていると殺されるぞ」と脅しを掛けてきた。相手にしないで、サッサと帰ってきた。宿無しのホテルが多い、他に何にもないところだ。中華街は混んでいた。まあ中国のものを売っている。自分も饅頭を100円で1個買ってみた。小さくて普通の味である。氷川丸山下公園からみなとみらい21を歩いてみた。結構、距離があって(3駅ぐらいか)疲れた。象の鼻パークの側電車の通っていた跡。モデルが写真に撮られていた。ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル(長い名前だ)展示ホール、国立大ホール、会議センターのプラザ。帆船日本丸ドッグヤードガーデンニューオータニイン横浜プレミアム(左) 横浜ランドマークタワー(右)JR関内駅からグルッと途中寄り道をして、JR桜木町駅まで歩いてきた。凄く高いビルなど、よく歩いてきたよ。寝るとき、右足に豆が出来て、足が吊ってしまったよ。
2019年10月28日
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《伊豆大島》夜行のフェリーが、満員の椅子席で行く。深夜に、暖房が効き過ぎて暑い。冷房が効いている、終わった食堂がちょっどいい具合で、そこに寝た。朝6時に着く。目が覚めていると、小雨が降っていた。岸壁に着く。伊豆大島岡田港朝6時に着き、7時半までバスが来ない。皆、船を降りて何処へ行ったのだろうか。自分は波浮港(はぶみなと)へ行く為に、7時半にバスに乗り元町港に行く。始めは、どうしようかと思った。三原山(758m)は、何処にも見えないし、波浮港に行こうとした。波浮港に行くのは、自分と2人だけだった。岡田港は雨が上がった。岡田港岡田港から元町港までバスで行き、元町港から波浮港までまたバスである。20分と30分で、後は待合で1時間掛った。波浮港見晴台見晴らしがすごくいい。”都はるみ”が歌う「アンコ椿は恋の花」は、「~船が行く行く 波浮港~」という歌詞だ。波浮港見晴台の側に建っている。波浮港の街並み下に降りて、港を探索した。川端康成の「伊豆の踊子」のモデルになった、旅芸人が芸を披露した様子が再現された旧港屋旅館は、”踊子の里”資料館になっていたのだが。旧港屋旅館が閉館になっている。波浮港波浮港を見下ろす。地層大切断面スコリア、火山灰、土の3層で構成されている。元町港から波浮港の、バスの中から見える。元町港店屋が多く、一番の繫華街である。繫華街といっても、小さな島のうちだものだ。また、岡田港に戻ってきた。岡田港で、地元民から伊勢えび、サザエ、アワビなどを只で食わせてくれる。その他にソーメンを食って腹一杯だ。腹一杯で港を探索した。帰りの船は、人がガラガラであった。東京湾アクアライン
2019年10月27日
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朝、起きてから上野駅へ行く。 上野駅 池袋駅 新宿駅 歌舞伎町一番街東京に来ると、必ず寄るところは新宿である。前に、東京に来たのは6月下旬で、4か月であまり変わりはない。 渋谷駅 スクランブル交差点渋谷は外人が多かった。ハチ公前は、外人が前に取り籠っていた。 東京駅新宿、渋谷、池袋、東京は何処も人でいっぱいである。人で人で、もう嫌になる。札幌の端っこに住んでいる自分としては、とても耐え切れない。 御茶ノ水駅 神田神保町古書店街御茶ノ水駅から明大の前を通り、神田古書店街に出る。早稲田にも古書店街があるが、こちらの方が日本一の古書店街である。もう7~8回来ている。古本といっても高い。文庫本2冊100円と安い物もある。3時間粘って、文庫本を6冊買った。 ドトールコーヒー屋靖国通りを挟んで反対側にあるドトールコーヒー屋がある。本を読んで、疲れてコーヒーを飲み、入ったのが4回目だった。 竹芝桟橋夜になって、竹芝桟橋に行く。 さるびあ丸”さるびあ丸”に乗り、夜行で今度の旅の一番の”伊豆大島”に行く。満員で多くの人が乗り込んだ。 レインボーブリッジ
2019年10月26日
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「東京近郊の旅」に行ってきた。6泊7日の旅で、22日に帰ってきた。まず最初に、苫小牧フェリーターミナルへ行く。夕方の出発だ。フェリーの中で、観客はまばらだった。ビールを飲みながら、晩飯を食べる。寝床はまばらで十分寝られた。朝、海は”なぎ”で気持ちのいい朝だった。風呂を浴びて、いい気持ちだった。大洗港フェリーターミナルに降り、鹿島臨海鉄道大洗駅に乗り水戸駅に着いた。JR水戸駅もう何度来たことだろう。水戸駅前にある、水戸黄門像である。 JR大甕駅、工事中である。日立市大甕(おおみか)で、最初は全然読めなかった。と、いうのも東京へ行く時間があったので、20分で行けるのでちょっと寄り道をした。今から16年前、2か月間出張で来ていたので懐かしくなって来てみた。今まで出張に行ったところは行ったことが無いのに。ちょうど出張している時、女房から携帯電話で離婚をするときた。帰ってから半年で、18年連れ添った女房と別れた。仕事も手に着かず、因縁の出張だった。今、建設会社は無くなり、自分が与えられ過ごした家はまだあった。古い家で、部屋は2間しか無かった。そういう家が12軒あり、入っている人は3軒ぐらいである。何も無く、よく過ごしたものだ。表通りの”大みかショッピングプラザ”には、弁当を買いに行ったのだが、今はもう閉店してしまった。中に喫茶店があり、そこでコーヒーを飲んでいたのだ。向かいに野菜店があったがそれも無くなった。16年も経つと、次々と変わっていくものだ。JR上野駅の広小路口からの眺め。JR大甕駅から上野駅まで汽車に乗り、東京に着いた。明日はフェリーに乗って、「伊豆大島」へ行く。
2019年10月25日
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きょう(16日)から”秋の旅”「東京近郊の旅」に行く。離婚してからの旅、47回目の春夏秋冬の旅に、6泊7日の旅である。”夏の旅”では、行けなかった「伊豆大島」と「真岡鉄道」「関東鉄道常総線」、そして今まで3回行った「横浜市」「川崎市」に行こうと思っている。フェリー賃とカプセルホテルも予約して、それらは予定だ。消費税が上ってから、その分を勘定して行かなくてはならない。”秋の旅”は少し日数が掛かるが、安いカプセルホテルと交通費で時刻表とインターネットを見て行くよ。 「東京の宝島」パンフレット
2019年10月16日
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台風19号は、河川の堤防決壊で各地が水害でひどい目にあっている。自分のところは、台風19号が温帯低気圧になり被害はなかった。家も川の側にないし、高台にある為に水害は大丈夫だ。地震が震度4以上にはならないので大丈夫だ。日本は、台風、地震、火山とその被害が起こらないことを祈るよ。自分は家に暖房が入っているので、シャツ1枚でYouTube、本を読んでいるよ。「雨が降る公園に子猫の兄弟が捨てられる」「ビックリ、裏山から野良の子猫ちゃんがやって来た~」(1)~(5)(YouTubeにて検索)どうして犬や猫を捨てるのか。自分はどうしようもなくて、猫を飼っているのだが。捨てることになんとも感じないのか。 野良の子猫国も戦争のことに金を使うのじゃなく、犬猫の為、福祉の為に少しでも金を回して欲しいものだよ。「因縁の母猫、子猫を人間に託しに来る」「因縁のコネコチャン、保護されて家猫修行を開始する」(YouTubeにて検索)見ていると、何とも言えない気持ちだ。母猫はドッシリとして、子猫は黙って従っている。母猫がいい感じだ。 親子の猫子猫、子犬が捨てられているのを、それに犬猫が動画で死を扱っているのは見るに耐え切れない。いっぱい、そういう動画があるけどどうしようもない。ペットをかわいがるのを、妨げるようなことをするのを、国が面倒を見て欲しい。国は戦争の道具になるのを、戦闘機一機何百億円もするのを他のところに回して欲しいよ。
2019年10月15日
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とうとう200回目を書いた。(3月から今まで)1日も欠かさずに(旅に行っているときは除く)、よく書いたものだよ。初めて書いたときは何も書くものが無く、1週間で書くものは無くなるのじゃないかなと思った。だけど、こうして書いているうちに、あれも書こうこれも書こうとなってきた。また書くことが無くなることになったら、少し休むよ。本当はブログを書くのは嫌だったというより、書いてどうなるのかということだ。他でブログを書いている友達から、「書いてみなさい」と勧められていたのだけど。書いても誰も読んでくれないし、書くのは自分の自己満足でしかないと思っていた。大学ノートに日記を書いても、目標を立てて「きょうはダメだった。きのうもダメだったから、あすもダメだろう」と愚痴のようなことばかりを書いていた。今は、今現在と昔あったことを書いている。今は、アクセス回数が60~70で、多いときで9月16日の「山田洋次の「悪童」」の96だった。くだらないことを書いている自分と、読んでくれる人には感謝している。またボチボチと書いていくよ。
2019年10月14日
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ゆりなとはなこはいいショットが中々撮れない。 部屋を暗くして 睨め合って さてと どうするか どうにもならん そうだ
2019年10月13日
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「少年ゲリラ兵の告白」(新潮文庫 2019年 NHKスペシャル取材班著)「護郷隊(ごきょうたい)」とは、太平洋戦争末期の1944年から終戦の年まで沖縄北部にいた遊撃隊(ゲリラ戦部隊)である。およそ1000人の部隊の大多数が、まだ10代の少年たちが兵士として戦場で戦っていたのだ。日本軍唯一の史上、他に頼を見ない特異な部隊だ。13歳から17歳までの、護郷隊の兵士として目を付けられていた子供たちだ。その死者は162人だ。元少年兵が戦場で実感したのは、虫けらをふみつぶすように扱われた命の軽さだった。「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」(新潮文庫 2015年 NHKスペシャル取材班編著)第1部 外交・陸軍編第2部 メディアと民衆第3部 果てしなき戦争拡大編一言で言うならば、指導者たちの、継続的な、命に対する麻痺、人間に対する想像力の欠如である。メディアやリーダーが、意識的・無意識に犯した過誤であった。メディアは恐ろしい、戦争は二度と繰り返してはいけない。
2019年10月12日
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新札幌駅のサンピアザの催し場で古本市場が始まった。10~12日まで、毎年開かれている。12棚の上で、いろんな本を売っている。4か所ぐらいの本屋が出している。まあかなりの人が、年寄りが多い。自分もいい本があるかと見ていた。4~5冊欲しいのあったが、だいたい高いので、定価の5~6割であった。松本清張の、光文社のカッパブックス「黒地の絵」が100円だったのでそれを買った。新札幌は週に1~2回来ている。病院や本屋に行く為に行くのだ。そして、マクドナルドのコーヒー100円で飲んで帰る。月に1回、中央区のBookOffに行く。108円(消費税が10%になり110円か)で、10冊ぐらい買ってくる。大通りのドトールコーヒー220円で(上げったかな)、飲んでくる。だけど、古本屋は買う人がいない。BookOffなら、安くて人が一杯いるのだけど。古本屋は段々と少なくなってくる。手稲区曙にいた頃は、古本屋が2軒あったけど、今は無くなった。西区琴似は、4軒あったけどどうなったかな。
2019年10月11日
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小樽市の北部のオタモイ海岸の秘境である。 オタモイ海岸 狭い崖道 崩れた道 龍宮閣 1952年に、火事で17年間続いた高級リゾート施設が無くなった。 龍宮閣があったところ 細い道 地蔵尊 火事で焼けた龍宮閣と地蔵尊 龍宮閣跡地すごく道が細いところだが、十分に渡れる。自分は4回行った。
2019年10月10日
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苔の洞門苫小牧市の千歳市の端にある、樽前山北山麓の支笏湖の千歳市モラップから約15kmのところに”苔の洞門”がある。約8mある岩壁に、約80種が密生した回廊で1kmにわたり続く。1739年の樽前山の噴火活動による、火砕流や大雨で浸食されて出来た渓谷だ。自分は、30歳代に5回行っている。南区真駒内から車で行く。車も止めるところもないので、支笏湖の端に止めた。(今はどうなっているのか)すごく、ひんやりしたところだよ。
2019年10月09日
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自分らのヒーローは、「月光仮面」や「赤胴鈴之助」だ。吉永小百合がデビューしたのが、ラジオの「赤胴鈴之助」だ。(12歳で)役名は何と”さゆり”だった。藤田弓子も同時にデビューした。ライバルの竜巻竜之進(声・宝田明)の、「十文字斬り」に対して、赤胴鈴之助は「真空斬り」を得意にしていた。少年漫画雑誌「少年画報」の原作は、福井英一であったけど、1作目で福井が亡くなった為、その後”武内つなよし”が引き続けた。武内は、その後「ぼくら」で「少年ジェット」を連載された。始めは、紙芝居作家として活動して、「赤胴鈴之助」「少年ジェット」で有名になり、1987年に肺ガンで65歳で亡くなった。「赤胴鈴之助」はテレビ、映画にもなった。映画は、大映で梅若正二が主演で7本作られた。赤胴鈴之助の歌「剣をとっては 日本一に夢は大きな 少年剣士親はいないが 元気な笑顔弱い人には 味方するおう! がんばれ すごいぞぼくらの仲間 赤胴鈴之助」自分は、小学校の低学年で他にヒーローがいない為、ラジオに齧り付いて聞いていたよ。今は「赤胴鈴之助」は歌は1番だけ、「月光仮面」はイントロから3番まで歌える。今見るとチャチだけど、小さい頃の思い出だよ。
2019年10月08日
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森山加代子は、今年3月に大腸がんで亡くなった。(享年78歳)出身は函館市で、札幌市のすすきので歌っているところをスカウトされた。デビュー曲は「月影のナポリ」である。「ティンタレラディルナ蒼いお月様~」と、訳がわからない歌詞でヒットした。それが「じんじろげ」(渡舟人作詞、中村八大作曲)で、全く訳がわからない歌がヒットした。「ちんちくりんの つんつるてんまっかっかの おさんどんお宮に願かけた 内証にしとこジンジロゲ ヤ ジンジロゲドレドンガラガッタホーレツラッパノツーレツマージョリン マージョンガラチョイチョイヒッカリ コマタキ ワイワイヒラミヤ バミヤチョイナダ ヂィーヤヒラミヤ バミヤチョイナダ ヂィーヤチョイナダ ヂィーヤチョイナダ ヂィーヤヒッカリ コマタキ ワイワイヒッカリ コマタキ ワイワイ」作った人はわかるんだが、わらべ歌、インド民謡であると説明している。誰も歌詞の意味はわからなかった。自分は、訳がわからずに「ジンジロゲ ヤ ジンジロゲ~」と歌っていた。
2019年10月07日
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ガチャポンプ「ガチャ、ガチャ」と、鉄の取っ手と押すと勢いよく水が流れ出す。「ガチャポンプ」などの名前で親しまれた手押しポンプが、道内各地の家庭で活躍していた。水道が整備されるまで、飲み水の確保は大変だった。近くに良い湧き水があるといいのだが、雨が降ると水が濁ってくる。細菌や汚水の混入が問題となり姿を消してしまった。空になったポンプを、水が出るようにするのは、水を少し入れて最初はゆっくりと、最後に勢いよく「ガチャガチャ」と両手で押す。そうすると出てくる。いつもそうやって水を出していた。水道が取り付いて、うちにも水道水とガチャポンプ、同時に据え付けていたなあ。まあ湧き水があるといいのだが、いつの間にか姿を消してしまった。
2019年10月06日
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自分は、フラフープとホッピングに熱中した。小学生のころ、フラフープとホッピングは買えなかった。その代わりに、友達から借りてよくやったものだよ。フラフープは、直径1mあまりの輪を腰のあたりでグルグル回すだけの遊びだ。「あんまりやりすぎと腸捻転になる」と噂され、いつの間にかすたれてしまった。アレッと思ったが、急に無くなった。ホッピングは、1本足の竹馬みたいな鉄製もので、両手で把手をつかみ、両足をバネの上のステップに乗せて飛ぶ。前飛び、片手飛び、後飛びなどいろいろ。子供たちの間で大流行した。ホッピングも、フラフープと同じように流行はそれ程続かなかった。おもしろかったが。だけど、フラフープとホッピングとはよく名付けたものだ。
2019年10月05日
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自分は”気違い”と名の付くものがあるけど、寅さん、旅、映画、野球のことがある。日本ハムの栗山英樹監督が、9年連続の指揮を取ることになった。8月に20敗し、ソフトバンクとの首位争いから最下位になり、アレレッと思ったけど5位に戸惑った。いろいろ理由があるが、来年はそうならないようにがんばってほしい。小さい頃、野球の三角ベースでよく遊んだ。普通の野球の二塁がない、広場よりも路地でする野球だ。一塁や三塁のベースには、電信柱やゴミ箱が使われた。バットは竹や木の棒で、グローブがないころだった。グローブは布製か素手で野球をやった。ボールはゴム製の軟球だった。近くの家などが、ガチャンと音がしてガラスが割れるのを聞くと、一目散に逃げる。それがゲームセットであった。小学校の低学年のころだった。そんな野球がおもしろくて、野球に熱中していた。
2019年10月04日
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拍子木か太鼓が聞こえると、五円玉を持って走って行く。路地の角には、自転車で一回りして戻ってきたおじさんがいる。荷台にある紙芝居の台になる木箱には、小さな引き出しが四段ぐらい付いていて、そこには酢コンブやソースせんべい、ニッキ、醬油づけのイカの足などが入っている。「只見はだめだよ」といい、それで「紙芝居」をやる。紙芝居で、覚えているのは「怪傑黒頭巾」で、「さて黒頭巾はどうなることやら、また今度」といい、続き物が随分あった。紙芝居が見たかったのか、割り箸で飴を色が変わるまでグルグル回して、それがおもしろかったのかわからない。その紙芝居も来なくなったが、だいたい紙芝居を見ることが無くなった。自分が小学校のときに、いつの間にか無くなった。
2019年10月03日
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頭の悪い人とは?・いつも愚痴をいう・いつも怒っている・いつも先入観に囚われている・いつも心配ばかりしている・いつも上から目線・人を差別する・人を邪魔者扱いをする・人の話を聞かない・自分の事ばかりずっと話す・自分自身には甘い癖に人には厳しい・失敗から学ばない・歴史から学ばない・周りが見えていない・落ち着きがない・寛大さがない・同情心を持てない・ここぞとばかりにクレームばかり付けたがる・他人と同じでいる事に気を配っている・自慢ばかりする・意地が悪い・冷たいそれ以外にもあるが、なるべくそうならんようにする。
2019年10月02日
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きょう(30日)、夕方より暖房が入った。すこし早いと思ったが、朝晚は冷えるし暖房が入ってもいいじゃないかと思った。札幌の予想最高気温は22℃、最低気温は15℃だ。東京は30℃、22℃だった。暖房が入るのは10月20日、暖房が無くなるのは4月20日で、住民のアンケートで日にちがずれる。まあ、だいたい10~15日ぐらいずれる。今年は5月10日から10月1日まで、約5か月間暖房が無かった。だいたい7か月間暖房が入る。今年の春は、4月20日に暖房が無くなるときた。4月20日はまだ寒いので、他の多くの人は5月にしたのだが20日に決まりそうだったけど、寒いと5月に決まった。4月20日はまだ寒く、今まで4月に決まったことはなかった。誰が4月20日にしたのだろう。今年もシャツ1枚で、暖かい部屋の中でビールを飲むとするか。暑いくらいである。自分は寒さには大丈夫だけど、猫は喜んでいる。結局、猫が寒くないようになるからいいのだろう。 寒がり屋の猫
2019年10月01日
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