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表紙には、東昇平と思われる高齢の男性の姿が描かれている。 一人で椅子に腰かけているが、 体全体に緊張感がなく、表情はやや厳しそうでありながらも、視線はうつろ。 元中学校校長の面影は、もう感じられない。 お話の中で、東昇平がかつてのように主体的に行動する姿が記されることはない。 もちろん、東昇平が自らの意志で動いている場面は多々ある。 しかし、それは、かつての東昇平とは違う、 別の何ものかに突き動かされているだけの姿としか思えない。認知症が進行するというのは、こういうことなのだと思い知らされる。そして、その周囲の妻や娘たち、家族らは、間違いなく、この別の何ものかに正対し、共に生きていくことを迫られる。人の死に、これほどの安ど感を覚える作品は、あまりない。
2018.06.30
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著者の森さんは小説家だそうですが、 私はその著作を一冊も読んだことがありません。 「まえがき」によると、幼少の頃から遠視で、一文字ずつしか読み取れず、 本を読むという作業が、とても大変だった方のようです。 本著は『読書の価値』というタイトルが掲げられていますが、 読書を中心に据えながら、著者のこれまでの生涯が記されています。 もちろん、そこには著者の「読書」についての考えが述べられていますが、 なかなかユニークな内容になっています。「本選びは、人選び」であり、自分自身で選ぶしかないとする著者は、人に本を薦めることについて、否定的に語ります。「誰と友達になったら良いか?」と人に聞くことなんてないし、「私が推薦する友達ベスト10」みたいなリストを用意している人もいないのだからと。さらに、ベストセラは避けるべき、もし小説家になりたいのなら、小説は読まない。幅広いジャンルのものを読む。ただ文字を辿って読んではならない等々、自らの体験をもとに指摘しています。そして、ネットに本の感想を上げることについても述べています。奥様が買い物にメモを持って来るのを忘れ、何を買っていいか思い出せないでいると、「メモをしたから忘れるのだろう」と感じてしまう著者には、読んだ本の中身を、自身が後日思い出すために書き留めておくブログ記事は、全く理解出来ないもののようです。第5章の日本の出版事情に関する記述は、とても興味深いものでした。多種多様な判型、文庫書下ろしが少ない理由、縦書きか横書きか、二段組み、電子書籍の普及が遅れる理由、作家と編集者の関係等、裏話的なものも盛り込まれており、本好きの方には必見の内容です。
2018.06.30
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数年前、「におい」が原因で、 同じ部屋で共に活動する者同士が、鋭く対立する事態が生じた。 それも「臭い」ではなく、「匂い」が原因だった。 調べてみると、それは柔軟剤の「におい」だと分かった。 白衣を洗濯する際、柔軟剤を用いたのに深い理由はなかった。 CMでもお馴染みの柔軟剤で、使った本人は良い「匂い」だと思っていた。 自分自身の体臭を気にしていたこともあり、周囲を不快にさせないためにと、 白衣以外にも、色々な形で自分の身の回りに「におい」を散りばめていた。多くの者は、そのことに気付きさえしない程度の匂いだったが、ある者が、それに耐えきれず、「何とかしろ!」と私のところに怒鳴り込んできた。双方の意見を聴きながら、周囲の協力も得て、調整を進めていったのだが、残念ながら、両者が完全に納得し和解するまでには至らなかった。そして先日、ネット上で本著のタイトルを見つけた。「これだ!」と思わず反応し、すぐさま購入、読み始めたのだった。そして、読み終えた後、「あの時、本著が手元にあれば……」と強く思った。 ***CS(化学物質過敏症)について、著者は次のように記している。 CSは2009年に病名が登録され、病気として公的に認知されました。 この結果、診断書を学校や職場に示して対策を求めることや、 医療保険を利用することができるようになりました。 でも課題は少なくありません。(p.43)CSを正しく理解している医師は少なく、専門的な診察を受けられる医療機関も少ないと著者は言う。さらに、化学物質がCSだけでなく、アレルギーや発達障害、不妊の増加に関係しているとも。そして、EDC(ホルモン撹乱物質)については、次のように記している。 EDCの存在はシーア・コルボーン博士らの『奪われし未来』(1996年)によって 世界に広く知られるようになりました。 日本では邦訳が出版された98年に大問題になり、 環境省が疑わしい物質67を選び出して調査研究を始めたのですが、 間もなく化学・農業業界や一部の学者たちが猛烈に反発し、 「(根拠のない)空騒ぎ」にされてしまいました。 その後はほとんど話題にもなりません。(p.84)ところが、世界では研究が進み、深刻な影響を与えることが明らかになっていると、著者は言う。国連環境計画(UNEP)と世界保健機関(WHO)が公表した、『内分泌かく乱物質の科学の現状2012年版』に、それらはまとめられているとも。その後、著者は問題がありそうな様々な製品について、次々に実名で記していく。「フレア フレフグランス」(芳香柔軟剤)「ファブリーズ」(消臭除菌スプレー)「ウルトラアタックNeo」(合成洗剤)「薬用せっけんミューズ」(抗菌・除菌製品)「タンスにゴンゴン」(医療用防虫剤)「バルサンSP」(家庭用殺虫剤)等々。 ***私に「何とかしろ!」と怒鳴り込んできた人物は、「頭が痛い」「ふらつく」等の症状を訴えていた。しかし、当時、CSについて正しく理解し、診断や処置をしてくれる医師がどれほどいただろう。本著に書かれていることは、現在、世間で、どれほど正しいこととして認められているのだろうか?しかし、「におい」に苦しんでいる人たちが、相当数いることは確かだ。そのことは、「におい」を使う者は心得ておく必要がある。
2018.06.30
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高須院長のエッセイ。 高須院長がどんな考えを持ち、どんな行動をした、どんな人なのかが、 本著を読めばおおよそ見当がつくと言えるくらい、 自分自身について赤裸々に語っている。 その歯に衣着せぬ物言いは、共感も呼べば反感も買う。 その点は、高須院長も重々承知の上でのことなので、 『炎上上等』ということになるのだろう。 まぁ、そういった姿勢で、これまで生きてきた方ということ。さて、私が本著の中で特に興味深く読んだのは、第8章「日本ももう一度戦争をやってみたら?」のなかの「政府は国民に早く死んでもらいたがっている」。医者としての高須院長の思いや考えに、「そうなんだ」と思わされた。 要ろうと気管チューブを付けると、年寄りはなかなか死ななくなる。 国は医療費を抑制したいから、これを年寄りみんなにやられたら、 国にとってはエライことだよ。 だから胃ろうは禁止ではないけど、ほとんど禁止に近い。 今は、長生きを推奨しない世の中になったの。 僕は病院を経営しているから、患者が死んじゃうってことは、 牧場からヒツジがいなくなるのと同じ。 だから、ウチを頼ってきてくれるヒツジを大事にして、 ずっと生きていてもらいたいと個人的には思う。(p.215)これは、本著の直前に読み終えた『人生の退き際』や、『もう親を捨てるしかない』、『親の介護をする前に読む本』と真逆の内容。さらに、第8章のなかの「寿命60歳定年制を提案」に記されている内容は、『七十歳死亡法案、可決』を彷彿とさせるものだった。賛否両論、喧々諤々、色々な思いや意見があるものの、高齢化が進んだことによる問題が、様々な形で、いよいよ具体的な形として目の前に現れるようになり、遂に待ったなしの状況になってしまったと、強く感じる。
2018.06.23
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「人生の退き際」について書かれたものかと思って読み始めたが、 特段、それに拘り、焦点を当てた一冊というわけではなかった。 夫である三浦朱門氏の最期を看取った後の、日々の思いを綴ったエッセイ。 『週刊ポスト』に連載中の「昼寝するお化け」に加筆・再構成したもの。 本著のタイトルは、第1章『長寿社会の「副作用」』のなかにある 「この世を辞退する」からネーミングしたものと思われる。 この部分には、確かに「人生の退き際」について、 著者の考えが、明確に述べられている。曽野さんは、高齢者が事故の原因となることが多くなったことを、日本が医学的に長寿社会を出現させることに成功した副作用だと言う。また、日本でも惨憺たる老人虐待の現象が始まると予想し、そういう未来小説を書き始めていたとも言う(きっと『七十歳死亡法案、可決』とは、一味違うものになるのだろう)。 日本の社会では、老人が今すぐ口減らしのために自殺をする必要は全くない。 しかしただ寝たきりでも長生きするために高額な医療費や制度を使い、 あらゆる手段で生命を延ばそうとするとするのは、 実に醜悪なことだと私は思っている。 人は適当な時に死ぬ義務がある。 ごく自然にこの世を辞退するのだ。 それで初めて私たちは人間らしい尊厳を保った、 いい生涯を送ったことになる。(p.65)曽野さんのこういった考え方は、島田さんが『もう親を捨てるしかない』で述べていることと共通するところが多い。また、『親の介護をする前に読む本』で述べられていたこととも共通する。どうやら、こういった考え方が世の主流になろうとしているのかもしれない。
2018.06.23
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久しぶりに伊坂さんの作品を読んだ。 『死神の浮力』以来、2年余ご無沙汰していた。 今回も、とても伊坂さんらしい作品。 どんどんページを捲り続けた。 *** 「田原さんがどう考えようと、どれだけ不満があろうと、 今のこの社会を生きていくしかないよね。 ルールを守って、正しく。 気に入らないなら、国を出ればいい。 ただ、どの国もこの社会の延長線上にある。 日本より医療が発達していない国もある。 薬もなければ、エアコンもない。 マラリアに怯えてばかりの国だってある。 この国より幸せだと言えるのかな。 それとも、いっそのこと火星にでも住むつもり?」(p.120)これは、田原彦一が、平和警察の加護エイジに尋問されている場面。平和警察に連行された人物は、ことごとく危険人物と認定され、公開処刑されていく。この状況に疑問を抱く人権派の金子教授のもとに、メンバーが集められた。田原は、他のメンバー2人と平和警察に潜入するも、唯一人捕らえられたのだった。 「逃げたって無駄だよ。 逃げれば逃げるほど近づく。 地球は丸い、とフォーリーブスも言っていたように。 まあ、本気で逃げるなら、火星にでも行くしかない」(p.172)これは、平和警察に潜入した3人のうち2人に逃げられた後、宮城県警の中で、平和警察の薬師寺警視長が署員と言葉をやり取りした際、警視庁の真壁鴻一郎捜査官が発した言葉。真壁は、このお話の中で重要なキーとなる人物。 自分でもどうにもできない恐ろしいニュースを目にし、落ち込んだ時、 デヴィッド・ボウイの名曲「LIFE ON MARS?」を聴くことがあります。 この名曲の和訳は、この本のタイトルのような意味だと (調べもせず)勝手に思い込んでいたのですが、 実際には、「火星に生物が?」と言う意味だと知り、 恥ずかしくなった思い出があります。(p.495)これは、巻末にある「参考文献」と共に記された伊坂さんの言葉。『一九八四年』や『すばらしい新世界』に代表される、監視社会を描いた作品をどうして伊坂さんが書くことになったのか。その答えが、この中にある。
2018.06.16
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「足利幼女殺人事件」や「東電OL事件」、 そして、先日、東京高裁が静岡地裁の再審請求をが取り消した「袴田事件」。 さらには、「日航機御巣鷹山墜落事故」において、 法医学者としてDNA型鑑定や遺体検案に携わった押田氏の回顧録。 上記以外にも、「保土ケ谷事件」「トリカブト殺人事件」等、 当時、世間の耳目を集めた事件の現場や、 「中華航空機墜落事件」「阪神・淡路大震災」等の大災害の現場で、 こんなことも行われていたのかと、改めて知ることが出来る。中でも興味深かったのは、「中華航空機墜落事件」。その対応のドタバタさ加減には、腹立たしいというよりも呆れてしまった。そして、私たちが知らないだけで、こんないい加減なことが、実はあちこちで起こっているのかもしれないと、恐ろしくもなった。第4章に記された内容は、それまでの章に記されたものとは趣が異なるが、筆者のこれまでの歩みや、法医学について知るには良いものだった。法医学後継者の現況は、本著出版から8年を経た現在、多少なりとも、改善されてきているのだろうか。
2018.06.16
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男三人組が身を潜めるため上がり込んだ「あばらや」。 そこはかつて、雑貨店が営まれていた店舗と兼用の民家だった。 その店は、40年前にどんな悩みも解決してくれると評判になったようだが、 今では、シャッターが降りたままで、住む人の気配もなかった。 ところが、そのシャッターの投函口から、相談の手紙が投げ込まれる。 手紙の主は、オリンピックを目指す女性アスリート。 恋人がガンで余命いくばくもないと知った彼女は、恋人のそばにいるべきか、 このままオリンピックを目指し、競技を続けるべきかで悩んでいた。悩みながらも、返事の手紙を店舗裏の牛乳箱に入れ、やりとりを続けた三人組は、その後も、実家の魚屋を継ぐかどうかを迷っているミュージシャンや、ホステスに専念するため、現在のOL生活を止めることを、どうやって周囲に理解を得ればよいか困っている、十代女性からの手紙ももらう。お話の途中では、店主自身が受けた悩みについてのエピソードも盛り込まれる。そして、最後には、それら全てが、ひとつながりのものへと形作られていく。その様は「さすが東野さん。お見事!」と言うほかない。キーワードは「丸光園」です。
2018.06.09
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著者の郡山さんは1935年生まれで、現在83歳。 伊藤忠商事、ソニー、米国シンガー社を経て、ソニーに再入社。 そこで取締役、常務取締役、ソニーPCL社長、会長、ソニー顧問を歴任。 その後、プロ経営幹部の派遣・紹介を行う会社を設立し、代表取締役に。 と言うわけで、著者が日々相手にしているのは、 かなりの企業で、かなりの仕事をしてきた人たちをが主。 なので、本著に記されている事柄も、そういった人たちがメインターゲットか。 誰にでも当てはまるものではないことを念頭に、読み進めた方が良いと思われる。 ***寿命が延びたので、老後も働くことが必要。そして、それが身体面・精神面の健康を保つことにも繋がる。ただし、定年後の労働者に求められることは、定年前のものとは異なる。そのため、そこでの役割や収入額に拘り過ぎると、就職は難しい。定年後を見据えた暮らしに転換し、生活水準を上げてはいけない。宝くじは買わない、年金はあてにしない、借金は定年後に持ち越さない、起業はしてはいけない、子や孫の面倒は見ても見られてはいけない、資格をとっても仕事につなげるのは困難等々が、著者の本著における指摘事項。収入額に拘り過ぎず、自分の能力を生かし、人の役に立てる仕事を続けることが、生きがいに繋がる。著者の言葉には、「なるほど」と思わされるところが多いものの、じゃあ、具体的にどうすれば良いのかというと、これが相当難しい。 こうなると再雇用制度とは、熟練の労働者を”買い叩く”制度のようにも思えてくる。 再雇用制度を採用している企業が圧倒的に多いのは、 それが企業にとって最も都合がいいシステムだからにほかならない。(p.57)そんなことは、皆分かっている。けれど、それに乗っかってくことしか思いつかず、気が付けばズルズルと……ということになってしまっている人が、相当多いのではなかろうか。まぁ、それでも、働く場があり、収入があることだけでも有難いのだが。
2018.06.02
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昨年の秋頃からか、このブログに9年ほど前に書いた 『日本一醜い親への手紙』の記事へのアクセスがチラホラ増えてきた。 何故だろうと思っていたら、「毒親」がちょっとしたブームらしい。 昨年10月には、『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』 という第2弾が刊行されたとのこと。 そして、そのこととは全く関係なく、たまたま本著を読む機会を得たのだが、 これがまさに大当たりで、今年、これまで読んできた書籍の中でNo.1の逸品! 世間であまり騒がれず、大きな評判になっていないのは、 あまりにも「直球」過ぎて、メディアで取り上げにくいからではないだろうか。 ***毒親の抱える4つの精神医学的事情(1)発達障害タイプ ・自閉症スペクトラム障害(ASD) ・注意欠陥・多動性障害(ADHD)(2)不安定な愛着スタイル(不安型と回避型)(3)うつ病などの臨床的疾患 ・トラウマ関連障害 ・アルコール依存症(4)DVなどの環境問題 ・深刻な「嫁姑問題」 ・親になる心の準備不足 ・障がいのある子の育児など、圧倒的な余裕のなさ ・親の親も「毒親」だった ・子育てより大事な「宗教」など(p.105)これが、本著で述べらていることを集約したもの。こういう観点で「毒親」を見ることで、初めてその対処法が見えてくる。 「はじめに」で触れたAさんの母親は、 『毒になる親』の分類の中では「『神様』のような親」 「コントロールばかりする親」に該当すると思われますが、 先述のようにそれは発達障害によるものだったわけです。(中略) 単に発達障害であるがゆえに、 ある点に注意を奪われるとそれを達成することだけにとらわれてしまい、 うまくいかないとパニックになる、ということだったのです。(p.51)親の子に対する理不尽な行動の根源に、親の発達障害があるケース。そのことを頭の隅に置きながら対応することで、様々な場面で、より適した言動が可能になるはず。そのためにも、この問題に対応する者には、発達障害に対する知識理解が求められる。 前述しましたが、ASDタイプの人は、 自分の領域を侵害されたと思うと、攻撃的になる場合が少なくありません。 その間、頭脳はほとんど働いていないので、 いくら説得しても、ますます怒らせてしまうことになります。(p.62)これも、このことを予め知っているのと、全く知らないのとでは、その状況に遭遇した際の行動に、大きな違いがきっと出てくるはず。予め知っていれば、そういう事態に陥ることを未然に防ぐことも出来るし、また、そういう状況になってしまった場合にも、とるべき行動が分かるだろう。 ADHDの親は、自分が子どもとの間に問題を抱えているという自覚が ほとんどありません。 親の不規則さについに子供がキレて問題が顕在化するまで、 そちらの方面にはあまり関心が向かないようです。 ですから、子どもが親を愛していることを確認したりするような親は、 発達障害ではないと言えるでしょう。(p.82)もちろん、素人判断で親を「発達障害」と決めてかかるのは良くない。「そういうことも考えられる」というレベルで対応し、普段の行動を観察したり、会話の中から親の特性を把握していく必要がある。もちろん、子どもから聞き取った情報も重要なものとなる。 うつ病は、子どもをかわいいと思えない、子どもの世話をする体力も気力もない、 という「症状」を作ってしまいます。 それゆえに「親は本来子どもを愛するもの」という「常識」を 平気で覆してしまいますし、 不安が強いタイプのうつ病では、 子どもに対して理不尽に過保護になる場合もあります。(中略) そのほか「毒親」としての形は、 ネグレクトや子どもに対するネガティブなコメント、 イライラを反映した暴力、不適切な不安や焦燥、 「もう死んじゃうから」など、 自分の自殺をほのめかして子供にプレッシャーを与える、などで表れます。(p.84)これは「うつ病」に対する理解が不十分だと、決して良い対応には結びついていかないだろう。言葉としてはよく知られていても、本当の意味で理解している人は少なく、まだまだ「気持ちの持ちようの問題」と捉えている人が何と多いことか…… 例えば、複雑性PTSDを持つ人の中には、 他者に対してとても攻撃的になる人がいます。 それは「感情コントロールの障害」として きちんと「症状」と認められているものです。(中略) 「ひどい目に遭ったことはわかった。だからと言って何でもしてよいのか」 というような批判に私が違和感を覚えるのは、そんな背景があるからです。 「症状」は、本人にはコントロールできないからこそ「症状」なのです。(p.111)これこそが、精神疾患の様々な問題の根源となるところ。「症状」ということが理解してもらえないことが本当に多い。ほとんどの人が「本人にはコントロールできない」という体験をしたことがない故だが、「脚を骨折していたら、走れない」のと同じだということが、想像してもらえない。 1つの象徴的なやり方は、経済的に多少の無理をしても可能であれば 子どもがひとり暮らしを始めること、 そして親がそれを認めることです。 これは親のコントロール下から解放されることであり、 治療中の方であれば、私はその家賃負担を親に頼みます。(p.119)親の抱える問題が、親自身では解決しようのないことに起因するものなら、子は、その事実を認めたうえで、親から離れ、自立していくしかない。この事実を認めていくプロセスが、とても大切なものであるのは、本著の中で、著者が繰り返し述べていることである。
2018.06.02
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シャーデンフロイデ。 あまり耳に馴染みのない言葉ですが、ドイツ語だそうです。 「シャーデン」は、損害、毒、「フロイデ」は、喜びという意味で、 誰かが失敗した時に、思わず湧き起こってしまう喜びの感情のことだそうです。 この感情は、愛情ホルモン・幸せホルモンとして知られる 「オキシトシン」という物質と、深い関りがあるそうです。 この「オキシトシン」は、「安らぎと癒し」「愛と絆」をもたらしますが、 愛情は、次のようなネガティブな感情を引き起こし、妬みも強めてしまうのです。 「私から離れないで」 「私たちの共同体を壊さないで」 「私たちの絆を断ち切ろうとすることは、許さない」(p.28)自分たちの共同体にとって「脅威」となる存在を発見すると、その存在に対し、警戒心を強め、排除しようとし始めます。その共同体の中で、「一人だけ〇〇」という認定がなされてしまうと、皆から寄ってたかって非難され、激しく攻撃されることになってしまうのです。 「最近目立っているあの人」 「もうすこし、あの点をこうすればいいのに」 「なんかがさつ」 「どこがいいの」 「成金のくせに」 「上から目線で気に入らないんだよね」 - などという形で「検出」が行われ、 「あの人がちょっと痛い目に遭えばいいのに」 「掲示板に書き込んでやれ」 「コメント欄で炎上させてやれ」 「ツイッターで攻撃してやれ」 「どうもへこんでいるらしい」 「いい気味だ」 - というように、「排除」が実行されていきます。(p.58)そして、「サンクション」という行動が、次のような思考から発生します。「ズル」をする○○、私の気分を害する○○を許してはならない。そのために、私が○○に制裁を加える。なぜなら、私は常に正しく、それを実行する正当な権利を持っているから。 規範は社会にとって必要なものではありますが、 使われ方次第で、本来、目指していたのとは まったく逆の方向に行ってしまうことがあります。 実は、「いじめは良くないことだ」という規範意識が高いところほど、 いじめが起きやすいという調査もあります。 規範意識から外れた人はいじめてもいい、 という構造ができてしまいやすくなるからだと考えられています。(p.72)「いじめは許せない!!」と声高に叫びながら、その時々に、誰かターゲットを見つけると、社会総がかりで、その標的を徹底的に叩きのめし続けているのが日本の現状。まさに、シャーデンフロイデですね。
2018.06.02
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