良好な多くの書評と、最近のリンク友のブログに取り上げてあったのとあわせて、矢も盾もたまらず読みました。
そんな時、えてしてそんな結果になるのですが、わたしの感想は良好ではありません。期待しすぎ?いえ、冷静に読んだつもりなんですが。
良い、感動したという評はたくさんありますから、あえて違和感のあったところをメモします。
まず手紙文形式、漱石の「こころ」の後半も「先生」の分厚い手紙でこころをえぐりとって見せてくれるんですけど、わかったようなわからないようないらだたしさがわいてきたものです。
元夫と偶然再会して、往復書簡をとりかわす、心情の吐露のやりとりです。そういう形式が胡散臭いと思ったらもうこの小説は読めないんですけど。
ヒロイン「亜紀」の自己の無さ。これも「人形の家」のヒロインのように「父」の手から「夫」の手の渡されるだけの確立のない性格が、すべての原因をつくっていていらいらさせられるのです。最初の夫の心の奥まで理解できなかった想像力の無さもそこから来ていると思います。
そういう性格だからこの小説のテーマがあるということなら、彼女の手紙にある次の文章は唐突です。
モーツアルトのシンフォニー39番を聴いて「生きていることと、死んでいることはもしかして同じこと」(これがいいたかった作者だと思いますが)と哲学的な感想をいう彼女。同じ女性とは思えません。カンがするどいということになっていますが。
元夫「靖明」の現在の恋人、「玲子」の尽くしかたも男性に都合のいい女にみえて嫌です。
とこうわたしの好き嫌いを言ってしまったら、テーマがなくなるということですね。宮本輝という作家のあたたかい「再生へのまなざし」が台無しになるということです。
別の話ですが山本周五郎はよくダメな人間にあたたかいまなざしをそそぎ、感動の物語にしました。(例えば「さぶ」)
若い時はそれはそれは好きでしたが、今しっくりとはこない思いです。こころがカサカサになっているのかもしれないですね。
よみがえり 2023年12月21日
こういうエンタメが好き 2023年12月19日
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