孫の 村岡恵理著『アンのゆりかご』 という村岡花子伝記を読んでいる
花子は外国で暮らしたこともないのに
将来あの『赤毛のアン』を訳し、日本の女の子たちをとりこにし翻訳家になって村岡花子女史として活躍した人が
どのようにして英語に堪能になったか
ひとこと言えば父親の教育方針がよかったのである
しがない地方の商人であった父8人きょうだい、けして暮らしは楽ではない
父親が彼女の利発さを見抜き、父親の期待、夢があっても
明治36年(1903年)当時
カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校の編入させるなどなまなかなことでは実現できない
お金持ちや華族のお嬢様ならいざ知らず
しかし、クリスチャンであり、社会主義者でもあった父は奔走し
10歳で給費生(奨学生)として寄宿舎に入れてしまうのである
人道的な意味で平等精神からも受け入れてくれたのである
彼女も賢かった、期待に応えて10年間みっちり学ぶのである
カナダ人の女性宣教師に囲まれて
書籍室(図書室)で好きなだけ洋書の世界文学が読めるように実力もつく
洗練されたすばらしい上級生、友人たちにも恵まれ
文化水準も高い、学校のしつけも厳しい環境で
知的にもおおいに成長するのである
と、ここまで読んできて、昨今の学校教育の現状が心配だ
田中真紀子文科大臣が先走って間違えたのはお粗末だが問題は
「誰のために、なんのために、学校というものががあるのか?」
「国を作るには教育が一番はじめにある」ということを日本人は忘れてしまったのではないか
いつからそうなってしまったのだろう?戦争に負けて腑抜けにされてのやはり戦後からだろうし
あるいは経済大国になるため
即戦力を重視するあまり
中身のない機械的人間をところてん式に作ってきたらしい
簡単に言うと
学校とは人間として社会に出ていくときに
必要な知識と考える力を引き出すところ、文字通り学問
そのような学校が今、あるのかどうか
登校拒否だの中途退学などがものすごく増えたのも子どもたちが無気力や悪いのではなく
学校が学校らしくないからかもしれない
戦後に教育を受けたわたしたちも本当の学校で、ではなかったのかもしれない今教育者となっているひとたちも正しい教育を受けていないのかもしれない
そんなことではいい学校はできない
それではもうどうしょうもないではないか
絶望的気分になってきた
よみがえり 2023年12月21日
こういうエンタメが好き 2023年12月19日
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