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昨日一人で子供を連れ電車を乗り継いで実家へ行き、今日別のルートで主人と一緒に帰ってきました。昨日は新宿駅からJR山手線を利用する際、大きな改札を入ると左右両側に階段がありました。 が、エスカレーターもエレベーターもない!! エスカレーターは一ヶ所ありましたが、時間帯によって上りと下りを使い分けているようで、そのときは下り向きに動いていました。眠ってしまった子供を乗せたベビーカーを前に途方にくれた私は仕方なくベビーカーごと子供を階段で運び上げることにしました。背中にはリュックを背負ってのちょっとした大移動です。こんなとき、アメリカだったら周りの人が声をかけて手伝おうかと言ってくれたり、すぐに手を差し伸べてくれるのに、ここでは誰もが無関心。わかってはいたことだけれどちょっと悲しくなりました。JR線もエレベーターの整備がかなりすすんでいるようなので、多くの駅で電車からホームに降りた時はとりあえずエレベーターを探して乗ることができますが、主要駅の改札口を入ってしまったとき、そこにエレベーターもエスカレーターもないということに気づいたときのショックは大きいです。はやくすべての改札口からすべてのホームにつながるエレベーターもしくはエスカレーター(エスカレーターの場合、双方向にないとすべての人の役には立ちませんね)を整備してほしいものです。今日実家から帰ってくるときは、乗りかえの苦痛を和らげるため、少し遠回りだけれど地下鉄線を乗り継いで帰ってきました。が!! 営団地下鉄どおしの連絡通路の最初の階段部分にはいきなりエスカレーターがありませんでした。まあ、この駅のホームでは現在エレベーター設置工事が行なわれているようなので、じきに状況は改善されることでしょう。2段階、さらに3段階と地下に降りる部分には双方向ともエスカレーターがありましたので、こちらはとりあえず問題ありませんでした。近年、各路線の各駅でバリアフリー対策が急速に進められていますが、まだまだ赤ちゃん連れや足の不自由な方がたにやさしくない構造だらけの東京。アメリカのように、車椅子やベビーカーにのったまますべての人がすべての場所に行かれるような街に早く変わってほしいものです。あ、それから、スペイン文学史のまとめを始めることにしました。すべてスペイン語ですが、興味のある方はご覧ください。
January 31, 2004
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実家を出て自分の家(社宅だけど)に引っ越してきてからというもの、毎日買い物に出てはたくさんのものを買ってきます。アメリカから大量の荷物を持ち帰ったとはいえ、乾物、瓶や缶詰以外の食品とか洗剤の類が全くないわけですから仕方ないと言えば仕方ないんですけど、まあとにかく一万円札がなくなることの速さと言ったら…アメリカではほとんどの買い物をクレジットカードで行なっていたので、現金を持ち歩くのに慣れていないことも不自由の一つ。おまけに、今住んでいるところの最寄り駅の周りには銀行がない。なので、時にはセブンXレブンのキャッシュディスペンサーで手数料を払ってお金をおろさないといけないこともあります。新品で届いて空っぽだった冷蔵庫にも徐々に食品や調味料などが増えてきました。 私は何でも一通りの材料が手元にないと落ち着かないたちなので、いざというときはマンションの目の前のコンビニで24時間、必要なものは大体買える、とわかっていても、スーパーやデパートに行くたびに持ちきれるだけの食品、洗剤類を買ってきてしまいます。そんなわけで、今月の生活費は一体いくらかかるのやら。主人からもらう月の生活費を算出するに当たり、食費は1日当たり2千円ということにしてみましたが、すべてを買わなければならない今月はそれでは到底足りそうにありません。なので、今月は例外月として家計簿をつけるのをやめることにしました。来月から、調味料の買い足しと日々の食料品を普通に買うとどうなるのかをきっちり管理してみようと思います。
January 29, 2004
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週末に実家から社宅マンションへと移って来ました。社宅マンションと言っても、この社宅は一般のマンションの一部なので、全戸に同じ会社の人が住んでいる社宅に比べると気が楽です(なんだと思います)。私が今までに住んだことのある中で最も高い11階。 XX川とXX線(私鉄)を見下ろし、また対岸の街も一望できるため、昼間は電車好きの息子が大喜び、夜も夜景がなかなかきれいです。ただ…アメリカで増やしてしまった荷物は日本の平均的な3LDKのマンションに到底収まらず、今だ行き場のない荷物の入ったダンボールが山積みになっています。 自宅に引っ越すまでの間、倉庫を借りてでもこの家を住みやすくすべきか、あくまで仮住まいだからと我慢するかの決断がまだできていません。 まあ、アメリカから持って帰ってはみたものの、日本では使わなそうな洋服とか雑貨も結構あるので、少しずつ処分して荷物を減らそうと思います。実家にいる間、常に誰か(特におばあちゃん=私の母)と一緒に過ごしていた息子はパソコンママと二人っきりの生活が再び始まったことにちょっと不満のようで、私の気を引くためかよくもまあ次から次へといたずらをしてくれます。こちらも疲れがたまっている上、慣れないことだらけでイライラしているため、息子にしょっちゅう怒鳴ってしまったり、時には手を出してしまったり、「ママ、XX(息子の名前)嫌い!!」なんて言ってしまうこともあります。 ちょっと反省。だから、作業が一段落した時には抱っこしてテレビを見たり、お風呂で一緒に遊んだりして(風呂場に洗い場のないアメリカでは常に私が外から洋服のままお風呂に入れていたので、浴槽の中で一緒に遊ぶことはありませんでした)、バランスを取るようにしています。そうそう、洗濯機は結局ナXョナルのドラム式を買いました。 普通の洗濯機に比べると高かったけれど、かなり気に入っています。 衣類を上から下に向かって叩きつけるように洗う感じがちょっと手洗いっぽくていいし、本当にごく少量しか水を使用しないので節水効果抜群です。
January 27, 2004
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今日は週末に風邪がどんどん悪化した息子を小児科に連れて行きました。年末は病院の小児科に行き、2時間以上待たされて辟易としたわけですが、今度は実家近所の個人の小児科にトライしました。ごった返す待合室を横目に午前10時半過ぎに受付を終えると、息子の順番は10番目とのこと。 幸い実家から歩ける距離のクリニックなので、一度家に帰って時間をつぶしてから出直すことに。約1時間後にクリニックに戻ると、それでもまだ4人待ちとのこと。 待合室で息子に絵本を選ばせると、迷わず車の図鑑のようなものを選んできたので、それを一通り見て、次はどれにする?と聞くと再び同じ本を抜き取ってせがむ。 よその親子が絵本の読み聞かせなどしているのを羨ましく思いつつ、もう一度車図鑑をぱらぱらとめくる。やっと名前を呼ばれて、別室の待合室で待機した後ドクターにご対面。 てきぱきとした女医さんで、息子に聴診器を当てた結果、気管支にたんが絡んでいるとのこと。 抗生物質、気管支拡張剤、咳止めのお薬を出された後、アトピーの疑いのある息子の乾性湿疹のことに言及すると、「たしかに乾燥肌ですね」と、息子の体を見直すこともなくさらに2種類のお薬を処方してくださいました。すべてがスムーズでありがたいような、ちょっと物足りないような。その後、吸入を3分ぐらいしました。 アメリカでは、吸入器を自宅に用意(購入またはレンタル)して、処方された吸入用のお薬を1日に数回使いましたが、日本ではほんの3分なんですね。 ま、その分気管支拡張のための張り薬を出されたので、それで楽になるのかもしれないけれど。抗生物質は苦いので、特別にハーゲンダッツアイスクリームに混ぜて食べさせました。お薬を飲んだ後はかなり咳が楽になったようでしたが、熱が高かったのにそういえば熱さましのお薬が出されていなかったことに気づき、クリニックに電話して熱さましを飲ませてもいいかどうか聞きました。 アメリカでは常備薬であるアセトアミノフェンの飲み薬を与えてもよいとのことなので、早速飲ませました。 このお薬、日本で処方してもらうと座薬になるのでしょうか。 座薬って、使ったことがないのでちょっと怖い。 私はこれからもアメリカでシロップを調達してこようかな。
January 19, 2004
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今日は楽天でお知り合いになったhalricさんとランチしました。 私が具体的な地名を日記に書いたことで、お互い近くにいることが判明したためです。halricさん、今日はお時間とっていただいてありがとうございました。 これからもよろしくお願いします。その後、私が来週末いよいよ引っ越すことになるマンションへ行き、8年前に倉庫に預けた荷物を受け取りました。主人の会社で海外転勤する際には、海外へ持っていく荷物のほかに、日本においていく荷物を倉庫で預かってくれます。我が家はもともと物が多いのに(主人も私も古いものを捨てられずにとっておくたちなのです…)、アメリカにいる間に所持品の量は倍増してしまいました。 日本に帰国するに当たり、かなり頑張って不用品を処分したつもりですが、それでも日本の標準的なサイズのマンションには到底収まらないであろう量の船便を送ってしまったので、これからさらに持ち物の取捨選択をする必要があります。今日受け取った品物の一部は掃除機、座布団、台所の収納用具、ゴミ箱など、これからも使えそうなものですが、ファミコンや編みかけのセーター、昔の手紙など、8年前から届いたタイムカプセルの中身みたいな品物も結構出てきたので、あれこれ考える前にえいやっと処分することにしました。 本が入ったダンボールも数箱ありますが、8年間1度も思い出すことのなかった本はこれから本棚にしまっておいても二度と読むことがないか、あるいはどうしても読みたければ図書館で借りたりすればすむことなので、来週行った時に処分しようかと思っています。 これからは、アメリカから持ち帰ったスペイン語の本が私の本棚のメインになるはずです。所持品を最小限に抑えるコツをご存知の方、荷物の整理法をぜひ教えてください。
January 16, 2004
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今日の午後は小学校以来の友人の家に行ってきました。私は中学校以降大学までずっと私立に通ったため、地元で出来た友達は小学校の友人が唯一でした。小学校のときからいまだにお付き合いしている人は正式には2、3人だけです。 大学生、社会人時代に同級生にばったり出くわしたりしたり共通の知人を通じて会ったことが何度かはありましたが、その後彼らとは特に連絡を取っていません。今日会ったお友達の一人は地元の中学から私立高校へ行き、そのまま就職しました。 もう一人はやはり公立中学から私立の高校、大学へ行きました。 高卒で就職した友達の方はいまだに地元の友達が交友関係の中心のようで、私ともう一人の友達が最近の写真を見せられても全く誰だかわからないような小学校からの友人たちといまだに付き合いがあります。今日は最後には小学校の卒業アルバムまで出してきて、誰はどうした彼はああしたという話を4時間以上もしてしまいました。私としては、このような言い方をすると気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、公立の小学校に行ったことによって、その後の人生でおそらく知り合うことのありえなかった社会のいろいろな層の人たちに接することができてよかったと思っています。高卒の方の友達は、私が彼女の友人の中で一番俗に言う「成功」をしているといいます。 一方、私の交友リストの中では私自身など中の下、という感じがします。 何をもって「成功」と呼ぶかは難しいところですが、少なくとも私は彼女が何を言わんとしているかを自覚しています。彼女が今でもお付き合いしているのは同じ小学校の同窓生の中でも特に地元に根ざした仕事、生活をしている人たちであり、いわゆる世間一般に名の知れた企業などで活躍しているどころか、かなり危ない橋を渡って生きている人、社会のいわゆる底辺にいる人さえたくさんいます。私はそんな彼女といろいろな違いを無視して、ただ単に旧友として対等な付き合いが出来ていることを本当に嬉しく思っています。
January 13, 2004
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今日は、打ち合わせのため週末も出勤中の主人が1日だけ休みだったので、息子を連れてサンシャインのトーマス展に行ってきました。昔、私は自分が好きだったので同じ会場のピングー展に行ったことがあり、その時は家族連れ、子供たちに混じって約1時間の行列をして待ちました。 今回はそれに比べればましで、40分待ちぐらいだったでしょうか。中に入るとおなじみの機関車たちが展示してあって、それぞれに電動で動いていたりしています。 パーシーの運転席に座れる、というものがありましたが、列が長かったのでやめ。 次回のトーマスのステージは1時間20分後ぐらいでしたが、中にはすでに座って席取りしている人たちも。 うちは適当に会場を歩き回った後、トーマスが引っ張る列車に乗る、というアトラクションへ。 よその子供たちが機関車に乗って小さな庭のようなスペースを1周するのをずっと眺めながら約20分待って、いざうちの息子の番。 怖がって嫌がるかと思いきや、よその子からすでに乗り方を学んでいたのか、座らせるなり座席前部についている金属性のバーをしっかりと握り締めて神妙な顔をしておとなしく座っている。1周してきて下りる時、「もっか~~~い」と言って泣いたので、仕方ないから今度はパーシーの引っ張る列車に乗せる。 その頃にはもう眠くて仕方がないので、やっとのことで自分の順番をこなした後、ちょうどショーが始まった頃に会場を出ました。うちのデジカメは4年ぐらい前のものなのですが、一度シャッターをきってから次の準備が出来るまでにものすごく時間がかかるので、たったの30秒ぐらいの乗車の間には取り直しが出来なくて、写真はあまりいいものが取れませんでした。 最新型の携帯電話で手軽に写真が撮れてそれはそれで便利に利用しているものの、やはり保存用の写真はデジカメでちゃんと撮っておきたいので、近いうちにデジカメを買い換えようと思います。息子がおとなしく寝てくれたらお茶でもして帰るつもりだったのに、モールの中では興奮状態でぜんぜん寝る様子がないので、ちょうど通りがかりでやっていたさるまわしの見せ物をしばらく見物。 おサルが曲芸ジャンプするとうれしそうに「もっと、じゃんぷ」などと言い、また、周囲が拍手している時には一緒になって拍手をしていました。 また、最後にカンパのざるが回ってきた時にはちゃんと自分で小銭をざるに入れました。帰りは一度地下鉄に乗り込んだものの、そろそろ新居で使用する家電を注文しないと間に合わないだろうと思い直し、主人と息子を先に帰して私は家電のディスカウント店へ。 大体買うものを決めて来ましたが、映像、オーディオ関連のものはやはり主人の意見も取り入れて決めないと後が大変なので、近日中に主人に見に行ってもらうことにしました。 主人は今忙しいので店に行く暇がないと言いますが、私としては引っ越した当日からテレビとビデオが家にないと、息子を安心して一人にしておくことが難しいので何とか間に合うように購入したいと思っています。
January 11, 2004
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今日は久しぶりに深夜タクシーで帰宅してしまいました。まず、午後の行事としては、祖母主催による親戚新年会がありました。 国分寺から車でちょっといったところにある和風のお座敷レストランに一同が会しました。 私が米国駐在中に生まれたいとこの子供たちのほとんどとは初対面でした。 当然うちの子が一番チビですが、チビというだけでなく、兄弟もいなくて社会性がゼロなので、はとこ達が仲良くやっていてもそこに入っていくことが出来ない。 向こうからは誘ってくれるのに、はにかんでいるんだか、子供グループには入らず、結局ほとんどの時間をばあばの横で過ごしていました。ご馳走は、朴歯焼きやお刺身、てんぷらなど数々の前菜の後、メインのシーフードしゃぶしゃぶと牛シャブが出てきました。 お料理がいちいち汽車にのって部屋まで届けられるので、大きい子供たちは喜んでいましたが、うちの子は汽車好きのくせにちょっと怖がっていたみたいでした。シーフードしゃぶしゃぶの具は伊勢海老とかに。 イセエビのしゃぶしゃぶは身がとても甘いし、かにの足はお湯に入れてしばらくして浮いてきたところをすかさず食べるのですがこれがまた美味しい!! 牛肉も当然とろけるようでおいしかった。 今日は普段家庭で口にすることの出来ない大ご馳走を堪能しました。いとこたちには酒飲みが多いので、私も一緒になって美少年を数杯飲んでしまいましたが、私にはその後が控えていたのでほどほどにしたつもりです。帰りはみんなで途中まで中央線に乗りました。 駅のホームでイギリス帰りのいとこの子供(今度1年生の女の子)に英語で話しかけたら、上手なブリティッシュイングリッシュで返してきました。 What’s the opposite?というクイズ(出された単語の反対語を言うもの)をしばらくやりました。電車を下りて、子供を階段の上まで運んだらあとはばあば(母)と一緒にタクシーで帰ってもらうことにして(今日は主人が仕事で、妹が別件のため来られなかったので…)、私は続きに別件の会場へと向かいました。今夜の会場は鹿児島料理屋。 すでに友人たちには先に始めてもらっていたので、到着するとテーブルにはいくつかの料理が並んでいました。 私は大ご馳走を食べてきたばかりにもかかわらず、また珍しい食材をつつきつつ、今度はみんながボトルで飲んでいた芋焼酎のロックを飲みました。 最初のボトルはなんと言う銘柄だったか忘れてしまったけれど、さつまいも独特の(焼き芋のような)甘みがあり、おいしかった。 2本目もボトルで頼みましたが、こちらは同じ芋焼酎でも辛口系。 最後に焼き物を食べて、その店は終了。2件目はすぐそばにあったカラオケボックスへ。 私はもう久しくカラオケというものをやっていなかったので、最初は遠慮して傍観していましたが、そのうち周りからのリクエストで歌い始めると結構歌えてしまう。 結局、このメンバー(初めて就職した会社の同期+それに付随するダイビング仲間。現在女性は散り散りになっているので、昨夜の私は紅一点♪)で集まると懐メロばかりになってしまうのは毎度のことで、昔のノリで盛り上がる。 何度も「お時間です」の電話がかかってくるのに延長を連続。 結局、お店を出たのは終電が終わってから大分たった頃だったので、それぞれがタクシーで帰る羽目になりました。家に帰ると、母が恐ろしい顔をして寝室から出てきて、「不良娘。もう絶交よ。」翌朝、絶交は免れたものの、息子に「もうママとなんて絶交よ~、もう今後一切ママが夜遊びするとき面倒見てあげないから、一人で全部やりなさい~」などと話しかけている。私が「何よ、妹なんて風来坊みたいにいつも好きなことしてるじゃない。私はたまにしかないことなんだから…」と言うと、「妹と貴女は違います。貴女には責任があります」と厳しい。 そこへ横から「まあ、確かにたまにだから…」とちょっとフォロー。まだ後少なくとも数回、夜の予定が入っていますが、今夜ほど遅くなることはないので、まあばあばのご機嫌も直ることでしょう。
January 10, 2004
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行ってきました、自動車免許の申請。江東試験場に到着すると、無駄な時間を少しでも省くために行くべき窓口を教えてもらおうと、総合案内所で要件を告げました。「あのー、外国免許からの書き換えは何番にいけばよろしいですか?」すると、そこに座っていた白髪の紳士(←もちろんイヤミ)、「えっ? 外国免許からの書き換えなんてものはありませんよ。 外国免許からの切り替えならありますけどね。」なに~、なんというその横柄な態度。 どこがそんなに問題なんですか! って、偏屈そうな公務員(ですよね、試験場の従業員って…)相手につっかかっても結局は自分が損するだけだと思ったので、「あ、じゃーその「切り替え」は何番ですか?」って聞き直したら「X番です」と素直に教えてくれた。窓口へ行ったら、そこで応対してくれた人たち、そしてその後書類審査をする人、写真をとる人の態度は好感が持てたので、(視力検査の人はやはりちょっと無愛想だったけど、)私の怒りはすぐに収まったものの、あんな失礼な人が「総合案内所」なんかに座っているのは許しがたい。もっとも、帰りにもう一度ブースを除いたら、今度は女性が座っていたので、あのおじさんは一時的な交代要員だったのかなあ。なお、今日受け取った私の新しい免許証はなんとグリーン。 昔はゴールド免許持ってたのに、それは失効していて、今回はあくまで外国の免許証を日本のものに「切り替えた」わけなので、日本での運転歴は初心者扱い。 ただし、若葉マーク貼り付けの義務は免除となりました。 それから、昨日撮った写真は単なる提出用で、実際の免許証の写真は本日その場で撮影となったわけですが、昨日の教訓を生かして今日は眉の描き方をちょっと工夫しておいたのと、表情の作り方に気をつけたので、まあ年齢不詳のできとなりました。帰りに大手町駅で地下鉄を乗り換える時、駅にあった薬局に入って、SK-IIのたるみ取りクリームのカウンセリングを受けた。 今までホワイトニング中心のケアを心がけてきたつもりだったのに、昨日の写真で今度はたるみ対策をすぐに実行しなくては、と痛感したので、どうせやるなら少し奮発して効きそうなものを試そうかな、と。それから、恥ずかしい話ですが、今でもしょっちゅう夜クレンジングも洗顔もしないで寝てしまうことが多いので、それはいけないと思い直し、今後は夜のスキンケアを実践します!
January 9, 2004
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明日、アメリカの自動車免許を日本の免許に書き換えに行くにあたり、試験場近くで写真を撮るよりは近所の写真屋さんの方がいい写真を撮ってくれるだろうと思い、証明写真を撮ってきました。「スナップ写真もおまけに差し上げますから~」と言いながら愛想のいいお兄さんが気前よく何度もシャッターを切ってくれました。 最初の数枚はリラックスさせる目的か、肩をすこし斜めに構えての明らかにスナップ用写真。その後、歯を出して笑わされたり、まじめな顔をさせられたりを何回か繰り返し、撮影終了。 2時間後には出来上がるとの事。受け取った写真はバックの青も鮮やかでとてもきれいだったのですが、見るなり愕然としてしまいました。目の周りの小じわ、口の周りのたてじわ…どこからどうみても「オバサン」。自分の年齢と肌の手入れのずさんさを考えれば妥当な結果と言えないこともありませんが、それでも結構年の割には若いつもりでいただけに、しわがはっきり写っている画質のよいスナップ写真がなんだか憎くも思えてなりませんでした。よかったこと。 ずっと前(12月上旬)に日記に書いた、ドイツにオーダーしたアクセサリーを今日やっと受け取りました。 ドイツからアメリカの古い住所宛に発送されて以来、約1ヶ月が経過していましたが、無事アメリカの旧住所⇒アメリカ国内の転送先⇒主人の東京オフィス⇒宛名本人へと届きました。 中身は主人のオフィスからの帰りの地下鉄の中で早速開けてみてしまいました。 どれも思っていた通り、あるいはそれ以上に美しい!! 今までの不安を吹き飛ばし、幸せな気分になりました。 証明写真撮影時にはさっそくピアスとネックレスを着用してしまいました。そのうちアクセサリーの写真をアップして宣伝しちゃいます(スナップ顔写真は門外不出にしないと)。そうそう、昨日も実は大きな買い物をしてしまいました。カシミアのロングコート。そもそもはバーゲンの安いロングコートを見ていたのですが、どれも流行のデザインで、これじゃすぐに着れなくなっちゃう…と思っていたら比較的コンサバなデザインのカシミアが目に留まり始め、その後いろいろ見て回った結果、最後の1軒でその日の総集編ともいえる1点に出会ってしまったのです。主人に売り場から携帯で電話したのに出てもらえず、セールだったので取り置きも出来なかったことから、最悪自分のへそくりで、と思い、買ってしまいました。家に帰って母に見せたら、「なーにそんなの。 どこへ着てくの? いくらしたの、高いでしょうに…」主人に見せたら「えー、君そんなの着るのー? ふーん、趣味変わったねえ」で、結婚10周年の記念品にしてもらえないかとの提案はやんわり却下されてしまった。最後の妹だけが、「ふーん、おねえちゃまらしい。 でも薄くないの? (触る) あ、でもつるつるして気持ちいい」と言ってくれました。ふん、今日、主人の会社に用があって行ったとき、早速着てったもん。 でも、今日の写真で気がついた自分の顔とあわせると、なんだかマダム調かなあ…(冷や汗)
January 8, 2004
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今日は母と後楽園のラ・クーアという私のまだ知らなかった施設まで歩いて行ってきました。後楽園駅のすぐ近くにある牛タン屋さんの前を通ると、店からは昼間なのにもくもくといい煙が出ているではありませんか。 一度は店の前を通り過ぎたのですが、私の足は自動的に店の方へと戻り始め、2歳の子に牛タンは無理じゃないのという母を押して座席の交渉をした私は無事座敷席をもらえることとなり、タバコと牛タンを焼く炭火の煙の充満した店内の奥へと入っていきました。 (うるさいアメリカ人だったら絶対にこんな喫煙者がうじゃうじゃいる店に自分の子を連れて入らないでしょう。)お昼時で近所のサラリーマンでごった返していたため、注文してから食事が出てくるまでの間かなり待たされたものの、座敷だったので息子をなんとか飽きさせず、念願の牛タン焼きと麦とろご飯の定食にありつくことが出来ました。炭火焼の牛タンの美味しいこと! 息子にも小さくちぎってやったら、ちゃんと楊枝で突き刺して食べていましたが、すきあらば私の大きい肉に手を出してきて、とうとう結構大きいのも1切れ取られてしまいました。 (合計3枚しかなかったのに…) 麦とろご飯もぺろりと食べたし、スープも飲んだし、でも一番おかしかったのが、キャベツときゅうりの塩もみに唐辛子のまぶしてあるものを楊枝で刺して次から次へと食べたこと。 日本に来て以来、息子は次々と新しい食材にチャレンジしていますが、今までのところ拒否したものはないように思います。今日の午後など、母が食べていたゴーヤ(にがうり)の乾燥チップまで「にが~い」といいながらも「more, please」と言いながら結構食べたそうです。なんて生意気な2歳児(なりたてのほやほや)なんでしょう。 先が思いやられます…
January 6, 2004
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今日は、祖母の命日でもあったため、何はさておき父のお墓参りに行ってきました。母と妹と息子と一緒にお墓のある場所に着くと、見覚えのある顔の人がちょうどこちらへ向かってくるではありませんか。 それは、私のいとこでした。 彼の父親(父の弟)は家を出たがらないし、母も…なので一人でお墓参りに来たというのです。 祖先のお墓は私たちがするまでもなくすでにきれいに掃き清められ、榊(さかき・我が家は神道です)も沢山供えられていました。 さらに立派に榊をお供えし、お参りをすると、せっかくなのでいとこと一緒に駅のそばでお茶することになりました。 (そのドサクサで墓石に父の名前が追加されていることを確認するのを忘れてしまった…)彼は、昔々、まだうんと小さい頃から歴史狂(悪く言えばオタク)で、とにかく大人顔負けの知識を備えていました。 その興味が大きくなるまで継続した結果、大学でも日本史を専攻し、教職もとったのですが、新卒での就職時には教師の職に就くことが出来ず、一度は何かの営業マンになりました。 私たちからすると、あんなに歴史に造詣の深い人物が先生にならないなんてもったいない…と思っていましたが、やはり彼は教職に就くことをあきらめてはいなかったようで、最初の就職から数年後、無事キリスト教系私立の女子校(しかも進学校!)の社会の教員に採用され、以来本領を発揮すべく、風紀の問題から大学受験対策、部活の顧問、そしてカトリックの活動(彼は幼少時からの敬虔なクリスチャン)まで幅広く活動しているようです。 あれだけの歴史通が今は地理を専門に教えているというのはちょっと驚きでした(歴史はほかにも先生がいるそうなので)。わが息子の方は相変わらずのマイペースぶりで、電車の旅&電車見物を終始楽しんだようでしたが、今日はついに電車の座席に窓の方を向いて膝をついて座る座り方を知ってしまったので、今後電車に乗る時はこれをやりたがるだろうから、簡単に着脱の出来る靴を買って履かせなければ、とつくづく思いました。
January 5, 2004
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今日は息子の2歳のお誕生日でした。去年のお誕生会は親子3人でメキシコ(コスメル島)でしたが、今年は晴れて2人のおばあちゃんとおばさん(=私の妹)と一緒に祝うことが出来ました。かねてからどこでどうやって誕生会をやるかを決めかねていましたが、たまたまお正月の新聞の折り込み広告で近所のホテルのカフェテリアのファミリーバイキングというのを見つけたので、バイキングならば息子が少々おとなしくしていなくても大丈夫だろうということと、どちらかのおばあちゃんがもう一方の家に行って気を遣う必要もないということで、試してみることにしました。 このホテルがちょうど両おばあちゃんの家の中間地点にあるという地の利もよかったです。ディナーは6時からだったので、私は午後近所のデパートにバーゲンのブラウスを買いに出かけました。 昨日そのデパート(「お買い物、お買い物~♪」のあのデパートです)へ買い物に行った際、見つけることの出来なかったお店がやはりそこにあるということが確認でき、しかもすでにセールが始まっているということだったので、慌ててもう一度出直したのですが、そこの支店ではすでに小さいサイズが売り切れており、そこから電車で20分ほどの別の店にはまだ残っているとのことだったので、わざわざ別の店まで出向きました。 無事希望のブラウスは手に入れたものの、お陰で大分遅くなってしまい、再び近所のデパートのあるターミナル駅に戻ったのは家を出る予定時刻のわずか30分前。 バイキングにはデザートもついていますが、やはりバースデーケーキにろうそくを立てたかったので、私がホールのケーキを買うことになっていたのに、自分の買い物のせいでケーキを見る時間がなくなってしまい、気はあせるばかり。 地下鉄の乗り場に近い方のデパートの食品売り場をほぼ絶望的な気持ちで見回すと、ほとんどあきらめた頃に、とあるケーキ屋さんに思っていた通りの手頃なサイズで、イチゴがのっていてホイップクリームに包まれた丸いケーキがあるではありませんか。 その名もプリンケーキ、ケーキの上には丸ごとカスタードプリンが乗っていて、間にもプリンが挟まっているようです。 ろうそくとバースデーメッセージをつけてもらって、地下鉄に飛び乗り、普段はきなれない細いヒールのブーツをこつこつ言わせながら小走りに実家にたどり着いたのは、出発予定時刻のわずか5分前。 息子は私が居なくてもちゃんとおめかしの準備が整っていました。タクシーでホテルに到着すると、いつも時間に厳しい義母はすでにロビーで待っていました。 予約時間より少し早めでしたが早速着席し、飲み物をオーダー。 ここのバイキング、料金は比較的手頃なのに飲み物の料金は意外と高い。 いつもなら水で済ませてしまう息子にも、今日は主役ということで900円のオレンジジュースを注文し、これまたいつもなら思いっきり水で薄めて飲ませるところを原液のまま与えたところ、一気飲みせんばかりの勢いで飲んでいました。乾杯写真を沢山撮ると、すぐに料理を取りに行く。 バイキングって、待たされることなしに好きな時に好きなだけ好きなものを取りにいけるので、待つということを知らない息子と一緒でも安心。 好物の黒豆をはじめ、息子が食べられそうなものばかりを目の前に並べてやると、満足そうにひたすら食べ続ける。 両側におばあちゃんを従えて、こぼせばすぐに口を拭いてもらい、超ご満悦な息子。 食べるのにちょっと飽きてくると、プレゼントをもらってしばらく間を持たせ、また食べてまたプレゼントをもらうという何とも甘やかし状態でしたが、まあ、両おばあちゃんにとって唯一の孫で一人っ子なのですからいた仕方ありません。トーマスとパーシーの乗ったケーキ(デコレーションはアメリカで購入。プリンケーキはつるんとしていて食べやすいし、とても美味しかった)のろうそくをちゃんと吹き消し、たっぷりデザートを食べ終わったのは着席からほぼ2時間後。 最近外食で2時間なんて居られたためしがなかったので、今日はかなりの成功でした。 おかげで親も好きなだけ美味しいものが食べられてよかった~。明日からは主人も出勤となり、いよいよ普通の日常生活が始まります。
January 4, 2004
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新年明けましておめでとうございます。本日、伊豆高原の母の別宅から戻りました。スーパービュー踊り子号に乗った息子は相変わらずの興奮状態で、周りのみんなはほぼ居眠り状態なのに、一人で元気にはしゃぐので、逃げ出さないようにするのが大変でした。多少は外の景色を見せることでしのぐことが出来ますが、それにも飽きてしまった時におとなしくさせるには、飲み食いさせるしかありません。ぽんぽこお腹のおチビは、乗車してからりんご、ポンカン、コアラのマーチ、アンパンマンジュース、まろ茶などを口にしました。今年のおせち料理は母が近所のフランス料理レストランでフレンチおせちを注文していたので、洋風のおかずが勢ぞろいしました。 なので、今朝食べる代わりに昨夜、美味しいカリフォルニアの白ワインと一緒にご馳走を食べ(さらに、深夜年越し納豆そばも食べました)、今朝は簡素にお雑煮だけで済ませました。皆さんのお雑煮にはどんなものが入るのでしょうか。 わが実家のお雑煮は至ってシンプルであり、かつおだしのおつゆに角もち、小松菜、さといもだけを入れ、鰹節を山盛りにしていただきます。息子はお雑煮まで待ちきれなかったので普段どおりの朝食を先に済ませ、お雑煮も少しだけ口にしたのですが、小さくちぎったお餅だけは頑として嫌がり、すべてお椀から出してしまいました。朝食後、伊豆高原の駅から海の方まで散歩しました。切り立った岩肌に荒波が打ち寄せるのを眺めていると、改めて「あー、日本に帰ってきたんだ。 やっぱり日本の海はいいなあ。」と思いました。息子は前半はがーがー寝ていましたが、後半はちゃんと海を眺め、そのあと伊豆高原の駅まで自分の足で歩ききりました。お昼ごはんには伊豆高原の駅で駅弁を買いました。 出来たての脂金目の焼き魚弁当は最高に美味しかったです。 魚には名前の通りたっぷり脂がのっていたし、ご飯にかかった海苔も美味しかったし、わさびの茎の漬物も美味でした。伊豆高原にいらっしゃる方にはお勧めします。食べ物のことばかりですが、実家に戻っての夕飯にはきりたんぽ鍋を食べました。 まいたけ、せり、比内鶏など、アメリカでは味わうことの出来なかった美味しい食材とお気に入りの日本酒、高知の酔鯨に舌鼓を打ちました。今年の抱負としては、秋までは仮住まいの身になるため、あまり大々的なことは出来ませんが、オークション販売を再開し、新しい販売ルートを開拓すること、息子を保育園に入れること、スペイン語の勉強を再開すること、翻訳の仕事を増やすこと、などでしょうか。それから、この楽天広場での人脈も拡げて、もっともっと気の合う仲間にめぐり合えたらと思います。皆さん、今年一年、まずは無事にすごしましょう。
January 1, 2004
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