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「時間がない、急ごう。夢は向こうから近づいてこない。追うんだよ。計画とは違うがこれしかない。これからクラブで金を出して、グランド・セントラル駅へ行く。マイアミ行きは11時30分・・・いいね? 愛してるよ」「(お願い)遅れないで!」回想で始まる映画というのは、どうしてこうも悲哀に終わるのだろうか。この回想型の映画で有名なのは、「タイタニック」である。冒頭で年老いたヒロインが登場することで、何やら豪華客船の夢の跡を連想させるのだから、この回想型スタイルの効果はスゴイ。本作「カリートの道」も、いわゆるこのタイプ、回想で始まるのだ。もう初っ端から主人公のラストが“死”であるという悲劇的な告知をされるのだから、ストーリーが展開しているうちでも、ずっと頭の片隅で死の影を感じ続けている。そして、予想どおりの結末になったところでも、ある種の絶望的な悲哀観に襲われ、胸が締め付けられそうになる。だが、こういうインパクトで視聴者の悲しみを誘おうとするテクニックだとすれば、それは正に、デ・パルマ監督の作戦勝ちであろう。お見事としか、言いようがない。カリート・ブリガンテは、グランド・セントラル駅でマイアミ行きの列車に乗ろうとしたところ、腹に数発、撃たれてしまう。本当は、愛するゲイルとお腹の子とバハマでレンタカー会社を経営しながら余生を送ろうと思っていたのだ。だが、元麻薬王であり、何人ものチンピラを始末して来たカリートが、簡単に堅気になれるはずもなかった。死の直前、彼の脳裏には走馬灯のように、これまでの記憶がよみがえる。彼は、駅の壁に飾られた“パラダイス”の看板を見ながら、一生を終えるのだった。デ・パルマ監督の描く主人公のタイプとして多いのは、女・子供にはめっぽう弱い男だ。 だがその反面、喧嘩はめちゃくちゃ強く、裏切りには容赦なく、人を人とも思わないほどに打ちのめす、バリバリのワルな男でもある。このギャップに魅了される視聴者も多いのではなかろうか。特に、アル・パチーノは、デ・パルマ監督の描きたい主人公に持って来いの適役であろう。「カリートの道」では、カリート・ブリガンテという役柄がアル・パチーノに限りなく追いついたような、あるいはその逆なのか、とにかくひと際異彩を放つ演技であった。他にも、堕落した弁護士役にショーン・ペンが出演しているが、このキャスティングもすばらしい。エンディング・タイトルである「ユー・アー・ソー・ビューティフル」にも、思わず目頭を熱くした。英国のミュージシャン、ジョー・コッカーが魂の歌声を奏でてくれる。最初から最後まで、非の打ちどころのない作品であった。1993年(米)、1994年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】アル・パチーノ、ショーン・ペンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.28
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夏旅や 俄か鐘きく 善光寺飯田蛇笏
2011.08.22
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「今朝“特別サービス”があったの。頭に来たわ。・・・いけないかしら?」「いや・・・そのことを彼に言った?」「何を?」「君が怒ってると」「言ってないわ。反って、あえいでみせたわ。男は喜ぶでしょ?」やっぱりスリラー映画はこうでなくちゃ!そう思えるのが「殺しのドレス」である。もともとヒッチコック監督に傾倒していたデ・パルマ監督は、密室での殺人を猟奇的に、しかも緊張感を煽る演出で表現することに重点を置いたようだ。ヒッチコック監督の「サイコ」では、バスルームで女性がナイフの攻撃を受けるという、かなりショッキングな密室劇であった。なにしろ無防備な全裸状態で、そこにきて逃げ場のない閉所。そんな状況でいわれのない殺人行為がおこなわれたら、それはもう恐怖以外のなにものでもない。一方、「殺しのドレス」における殺人現場は、エレベーターの中である。バスルーム同様に閉所で、人目につきにくく、密室状態だ。だが「サイコ」におけるバスルームでの殺人シーンと比較すれば、エレベーター内ではインパクトの点でやや劣るかもしれない。ホラーやスリラーの類は、どちらかと言うとB級映画に区分されがちだが、非日常の究極をドラマ化すれば、必ずそこへたどりつく。本当の娯楽映画は、強烈なインパクトと出し抜けのストーリー展開に秘められているからだ。舞台はニューヨークのマンハッタン。何不自由なくセレブな生活を送るケイトは、夫婦生活に問題を抱えていた。夫との交渉に性的な満足を得られないでいたのだ。かかりつけの精神科でも、ケイトは性の不一致に関する不満をこぼすのだった。ケイトの一人息子ピーターは、機械マニアで、夜も眠らずに科学コンテストの出品作を製作していた。そんなピーターに理解を示しつつも、ケイトは一人寂しくメトロポリタン美術館に出かけて行く。だが、美術館でケイトは見知らぬ男から熱い視線をおくられる。そして、挑発的な誘いに乗ってしまうのだった。吟遊映人は大のヒッチコックファンで、デ・パルマ監督には恐縮だが、スリラー映画としては、本作はやはり二番煎じのような感想を持ってしまう。だが、ヒッチコック監督にはなくて、デ・パルマ監督にあるものと言えば、ズバリ“妖艶さ”であるかもしれない。様々なカメラワークやトリックを駆使したヒッチコック監督も、女性の艶めかしさや色気にまでは、あまり追求しなかったようである。その証拠に「殺しのドレス」には、ケイトの着る真っ白なドレスが鮮血で汚れるシーンや、肉感のある女性の太腿、臀部などが耽美的に映し出される。このコントラストは、デ・パルマ監督らしい趣向と仕掛けなのではと思った。“ポスト・ヒッチコック”として、最高にして良質なスリラー映画であった。1980年(米)、1981年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】マイケル・ケイン、アンジー・ディキンソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.20
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「いい色に焼けたな」「焼いてきたの」「よかったな。誰と行った? 誰と一緒だった?」「一人よ」「一人で出かけたとは信じられんな」80年代前半は、日本もアメリカも好景気に沸いた時代だ。当時、流行した音楽やファッションからも分かるように、軽薄で上っ面なノリが世間を横行した。人々は陽気で明るく、ファンキーな時間が永遠に続くのだと勘違いしてしまった。だが、80年代も半ばを過ぎてみると、感受性の強い一部の人々は、このままじゃダメだと思い始める。真面目とか朴訥さを小バカにして来た向こう側の人々が、いよいよ慌て始めたのは90年代に突入してからだろう。正に、映画の世界では、この時代の世相が鋭く反映されることとなった。「追いつめられて」の主人公トム・ファレルに扮したのはケヴィン・コスナーだが、このキャスティングも肯ける。ニコラス・ケイジではなく、ケヴィン・コスナーである理由。それは、外見からかもし出される真面目さ、朴訥さのあるなしに他ならない。バブル期の終焉とともに、ケヴィン・コスナーが頭角を現すのだ。代表作に「アンタッチャブル」や「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「JFK」などがあるが、どれも一貫して正義とか誠実とかあるいは実直などのイメージがピタリとあてはまる。正に、ケヴィン・コスナーのハマリ役であろう。そういう路線にケヴィン・コスナーという役者さんを配置してみると、本作「追いつめられて」もまずまずの適役と言えるだろう。海軍将校トム・ファレルは、国防長官ブライス氏の秘書であるスコットと友人関係であった。トムは、スコットの招待で長官就任のパーティーに呼ばれる。会場で、トムは目の覚めるような魅力的な女性・スーザンと出会う。スーザンと深い関係になっていく中で、トムはスーザンが援助を受けている愛人の存在に嫉妬する。そんな中、スーザンの愛人であるブライス氏が、突然アパートを訪ねて来る。慌ててトムは裏口から逃げるが、スーザンとブライスの間では押し問答になっていた。 ブライスは思わずカッとなり、スーザンに対し暴力を奮う。そして成り行きで二階から彼女を突き落としてしまうのだった。作品の構成として残念なのは、やはり事件につながるまでの冒頭部が、やや間延びして感じられるところだろう。サスペンス色が出て来るまでに、かなり時間がかかっているような気がした。共演のジーン・ハックマンもすばらしい。悪役ながらも、正統派としてのイメージが全面に出ていて、ケヴィン・コスナーの個性を上手く引き出しているように感じられた。心理的緊張感にあふれるとまではいかないが、80年代にあって、真面目な(?)サスペンスという点で評価したい作品なのだ。1987年(米)、1988年(日)公開【監督】ロジャー・ドナルドソン【出演】ケヴィン・コスナー、ジーン・ハックマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.12
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「渡辺くん・・・爆弾を作ったのもスイッチを押したのも・・・あなたです」「うわーっ!! (号泣)」「・・・これが私の復讐です。本当の地獄。ここから、あなたの更正の第一歩が始まるんです」本作を鑑賞して、嫌悪をもよおす方々がいる一方で、罪を犯した少年たちへの懲らしめとして、肯定的な方々もおられることは確かだ。「告白」は、湊かなえの同名小説を原作としたサスペンス作品であるが、少年犯罪をテーマとしていることもあり、単なる謎解きミステリーとは一線を画す。R-指定だが、思ったほど残虐なシーンはない。むしろ、因果応報たるストーリー展開に、然り然りと肯いてしまう自分さえいるから恐い。少年犯罪というと、年々増加傾向にある、と思っている方々がほとんどであろう。しかし、実は減少傾向にあるのだ。逆に、戦前・戦中・戦後の治安が不安定な時代の方が、少年による凶悪な強盗殺人事件が横行した。その際、圧倒的に占めた動機は、飲食するための金欲しさとのこと。さらに、犯行に及んだほとんどの少年たちが、ろくに教育を受けていなかったという環境が背景にあった。ところが昨今の少年犯罪は、動機もさることながら、質的にも複雑化している。なまじ少年法という枠組みに守られているから、被害者遺族はヤラレ損の泣き寝入りがほとんどなのだ。本作は、復讐の鬼と化した、ある女性教師の物語である。S中学校1年B組の担任である森口悠子は、シングルマザーだった。当初、結婚する予定だった相手の桜宮正義は、熱血先生としてメディアでも取り上げられ、何冊も著書を残している著名人。ところが若かりし頃、海外を放浪しながら乱れた生活をしているうちに、HIVに感染。 生まれて来る娘の将来を思い、入籍するのを辞めた。その後、生まれて来た娘・愛美は、悠子のもとで育つが、ある日、学校のプールで溺死体として発見される。悠子が調べたところ、犯人は中学生の男子二人。少年Aと少年Bは、悠子のクラスの生徒であった。悠子は、教師を辞めるのと引き替えに、その二人に対する復讐を始めた。内容は、過去に起こった少年犯罪をモチーフにしており、あながちあり得ないことでもない人物設定であったため、よりリアリティを感じることが出来た。幼い頃に虐待を受けながらも、生き別れた母親の愛情に飢える渡辺。逆に母親から溺愛され、その存在を疎ましく思いながらも、一方で依存心の強い下村。 さらに、家族を次々と毒殺したというルナシー(通称)を崇拝すらしている、学級委員の北原美月。それぞれが現代の闇を内包し、狂信的な暗さを漂わせていた。憂鬱さを伴いながらも、目には目を、歯には歯を持って罰せられていくプロセスに、ある種の快感を覚える作品だった。2010年(日)、2011年(英)公開【監督】中島哲也【出演】松たか子、岡田将生、木村佳乃また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.04
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天の心人生の最後までついていてくれるものは光 空気 水この厳粛なる天の心に合掌する関口江畔
2011.08.03
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