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2013.07.27
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カテゴリ: 読書案内
【大塚ひかり/『源氏物語』第三巻 玉鬘~藤裏葉】
20130727

◆光源氏のセリフを借りて紫式部が語る「物語論」

私はこれまで『源氏物語』を、それはもう高貴で雅な宮中における恋愛絵巻だと思っていた。だがそれだけではなかった。
読み進めて行くうちに、紫式部という一人の女流作家が声をあげて言いたかったことが見えて来る。
それは、身分制社会へのどうしようもない嘆き、経済力こそが物を言う世間の厳しさを、物語のそこかしこに散りばめているのだ。(決して、ハッキリとは批判などしない。はんなりとした行間から感じられる。)
そのテーマに気づいた時、改めてリベラルでぶれない紫式部の聡明さに驚かされる。

第三巻の目次は次のとおりだ。
玉鬘→初音→胡蝶→蛍→常夏→篝火→野分→行幸→藤袴→真木柱→梅枝→藤裏葉 となっている。
この巻で注目したいのは、作家・紫式部が主人公である光源氏のセリフを借りて、「物語とは何ぞや」を展開するシーンである。現代語訳では次のとおりだ。
「良いことでも悪いことでも、この世に生きる人の有様の、見ても見飽きず、聞くにも余る出来事を、後の世にも語り伝えさせたい節々を、心にしまっておけなくて書き残したのが、物語の始まりなんだ」
有名な紫式部の「物語論」である。他にもこんなことが語られている。

大塚ひかりの解説によれば、すなわち、「物語にこそ真実が描かれている」「極端な善悪の設定も、人の真実を描くための方便であって、仏教でいう菩提と煩悩が極端に違っているのと同じこと。共に一つの趣旨を表現するための手段」なのだという文学論である。
千年も昔を生きた人が、これだけの創作に関する方法論まで語ってしまうのは、スゴすぎるだろう! おそるべし、紫式部である・・・。

第三巻においては、徐々に世代交代が進んでいくのだが、それでも相変わらず若々しく、いつまでも艶っぽいのが光源氏。
源氏がまだ18歳ぐらいのイケイケの時、夕顔というコケティッシュでチャーミングな姫君と情事に耽った。イメージし易いように現代のタレントに例えるなら、壇密みたいな女性だと思ってくれたら良い。
だがこの姫君、なにぶん身分が低い。しかも、源氏のマブダチでもある頭中将の囲われ者だった。半分は興味本位もあったかもしれない。だが、この夕顔の魅力にとりつかれ、源氏は夕顔が絶命するまで体を重ねたのだ。この時、夕顔は六条御息所の生き霊に呪い殺されてしまうのだが、源氏はこの夕顔のことがずっと忘れられないでいた。
ところがこの夕顔には、頭中将との間に儲けた一人娘がいた。第三巻ではこの一人娘の存在を知った源氏が、亡き夕顔の忘れ形見だと思い、自らが引き取って養女にしようとするストーリーが展開する。(皮肉なことに、実父である頭中将は生き別れた娘がその後どうしているのか全く知らないでいた)その姫君こそ玉鬘と言い、それは美しく可憐で、母である夕顔に勝るとも劣らない容姿の持ち主なのである。
源氏は表向きは良き父親面しているのだが、その実、血のつながりはない。喉から手が出るほど玉鬘を我が物としたいところなのだが、こんな源氏でも世間体が気になり、せいぜい添い寝するのが精一杯という始末。
実父である頭中将は、玉鬘が、よもや我が子であるとは思いもしないでいたのだが、結局、源氏が時を見計らって打ち明けるのだ。
このあたりのストーリー展開は、ぐいぐいと惹き込まれるものがあって、玉鬘のシンデレラ・ストーリーを心ときめかせながら読み進むことができる。
また、後に玉鬘が結婚する相手も登場するのだが、この男がなんというかパッとしない、無骨者で、“美女と野獣”さながらのカップルとなるのだ。
そんなこんなで前半はこの玉鬘一色の物語となっている。


『源氏物語』第三巻 玉鬘~藤裏葉 大塚ひかり現代語訳

※ご参考
大塚ひかりの『源氏物語』
第一巻/桐壺~賢木
第二巻/花散里~少女

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.07.27 07:57:48
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