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2013.09.23
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カテゴリ: その他
20130923


『しょうがねぇなぁ』

9月21日は、古今亭志ん生師の40回目の命日であった。お亡くなりになられて早40年になるのだ。彼岸の時に彼岸にいかれるとは誠に志ん生師らしいではないか。
心中の落語でたしかこういうクスグリがあった。花魁との心中を決意した金公は今生の暇乞いにまわる。「旅に出る」と言う金公に親方は問う。「いつ帰ってくるんでぇ?」そして金公はこう応えるのだ。「彼岸時分」
最後の最後まで落語を地でいった感じがして見事だと思う。
「志ん生に間にあった」世代のシッポに属する身としては、そういうところに特別な感慨を抱くのだ。
だから、気のせいか彼岸時分に聞く志ん生師は事のほか熱を帯びて感じる。余計なお世話かもしれないがこの時分の怪談は禁じ手である。ゾクゾクッとし過ぎるのだ。彼岸時の志ん生師は滑稽噺につきる。

我ながら凝り性なもので(笑)、そこへ持ってきて矢野誠一さんの著著で

「五代目古今亭志ん生師くらい多くの人びとによって、その藝と人について書き記された例をほかに知らない。」

という一文をかつて目にしてから、志ん生師に関する文献を読み漁ったがいまだ尽きない。
馴染みの図書館では絶版となった志ん生師の関連書物が宝の山になっている。幸か不幸か同好の志もいないようでいつでも好きなものを借りられるのがうれしい。
そしていままでに読んだ文献を通してふたつの感想をもった。

もうひとつは、志ん生師は噺に頻出する『しょうがねぇなぁ』にすべて尽きる、ということである。

最初の一つは山頭火と比肩できること大なのだ。これについては、まだ書物が出ていないようであるから一考の余地ありだと内心思っている(笑)。結構な比較論を展開できそうだ。まあ、意義はさほど認められないのだが(汗)
二つ目は即ち志ん生師を解くキーワードである。
志ん生師の落語やその人生を考えるとき、現代で今の常識にあてはめてそれを考えるのは、今を普通に生きる我々には理解と想像をおおいに超えるのである。それこそが志ん生師と並の落語家の違うところなのであるが、そこの理解なくして志ん生師の落語は納得できないのだ。それを解くのが『しょうがねぇなぁ』である。
何だかわかったようなわからないようなことを言って申し訳ないのだが、そういうことなのである(笑)
詳細は後日お伝え致したいと思います(^^)v
(わかったようなわからないようなお話ですがね♪)

そんなことで(笑)、五代目古今亭志ん生、噺はモチのロンで関連文献(落語筆記本、志ん生師口述筆記もアリ)も読んで面白く飽くことはない。

ところで21日は宮沢賢治の命日でもあった。
賢治がとてつもなく素晴らしい人であればあるほど、志ん生師との乖離(というより落差か・笑)を感じ、それも落語っぽく感じ、何より亡くなった日が賢治と同じくすることも志ん生師らしいではないか。
そして命日が落差ならコチラも落差。

これまた志ん生師っぽくなくでもないが、シッポとはいえ「志ん生に間にあった」世代としては少し不当な扱いを感じなくでもないのだ、残念。

『しょうがねぇなぁ』

ひとりごち、空にむかって手を合わせるのであった。

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.09.23 06:14:07
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