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2013.10.26
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カテゴリ: 読書案内
【村上龍/インザ・ミソスープ】
20131026

◆唯一絶対の神が不要の国

つい最近のことだが、テレビを点けたらお見合い番組のようなものをやっていた。嫁不足の地域に全国から募った独身女性がやって来て、その村の男性と集団お見合いをするという内容だ。
驚いたのは、その村に在留する青い目をした外国人青年に群がる独身女性の多さだ!
外国人がお見合いに参加するのは全く問題はない。気になったのは、他にたくさん日本人男性がいるにもかかわらず、あえて外国人青年と懇意にしたいと希望する日本人女性がうじゃうじゃいたことだ。
メスという種族は、本能的に種の保存をインプットされた動物であるから、優れたオスを求める傾向にあることは当然知っていた。それにしてもだ、これほどまで西欧人へのあこがれが強いというのは、島国日本ならではのことかもしれない。

日本人というのは、自分で意識する以上にコンプレックスの塊を抱えている民族かもしれない。それは遺伝子レベルのもので、ふだんはそれほど感じていない。でも、ついこないだまでちょん髷を結い、お歯黒を塗ったりしていた歴史を持ち、幕末になって「これじゃいかん」ということで、死に物狂いで西欧文化を取り入れ、物凄いスピードで近代化に成功した他に例を見ない国家なのだ。
言わば、これまでの武家社会を断ち切り、伝統を中断してしまった背景を持つことで、底知れぬ劣等感を背負ったと言っても過言ではない。それをひた隠しに隠し、必死に生きて来た民族、それが日本人なのではなかろうか。
だから、それが子々孫々まで青い目をした異人に対する憧憬の念と、嫉妬と、いろんなものがない交ぜになって現在に至るのかもしれない。

前置きが長くなった。
『インザ・ミソスープ』では、うだつのあがらない二十歳の青年ケンジが、外国人相手に性風俗のガイドをする中で、事件に巻き込まれて行く。

ケンジはそれほど得意とはいえない語学の知識を利用し、外国人相手に性風俗の案内通訳を生業としていた。
ある日、フランクと名乗るアメリカ人から依頼を受け、12月29日~大晦日までの三日間を性風俗の店をあちこち案内して回ることになった。
フランクは、とにかく驚きを隠せないでいた。
というのも、日本という国が、ありとあらゆる手段で性的欲求に対処している国だったからだ。
ケンジは、フランクをさっそく新宿歌舞伎町に連れて行くことにした。
その際、ケンジが気づいたのは、フランクが何らかの事情で嘘をついていること、そして得体の知れない奇妙な男であることに、いつになく違和感を覚えた。
こういうビジネスを続けていると、様々な個性とか特徴を持った外国人と関わるものだが、このフランクはこれまでにないタイプで、一抹の不安を感じた。
それでもケンジは、ビジネスに穴は空けられないので、フランクをランジェリーパブに連れて行ったり、覗き部屋にも連れて行った。
女が舞台の床に横になって、全裸で足を広げ、目を閉じて、小さく呻き声を洩らすのをひたすら見るのだ。
だがフランクは、氷のような冷たい視線を送るだけで、さほど楽しんでいるようには見えない。
帰り道では、様々な日本における不可思議なことをケンジに質問してくる。

日本のビジネスマンは過労死するまでどうして働く必要があるのか?
家族の幸せのために働くのに、どうして単身赴任というシステムがあるのか?
それに対し、どうして誰も異議を唱えないのか?
だがケンジは、何一つまともに答えることは出来なかった。
その後、歌舞伎町では女性のバラバラ死体が発見された。この数日のうち、すでに二件目である。

ケンジは、その記事を新聞で読むやいなや、もしかしたら犯人はフランクかもしれないと、疑惑を持つのだった。

この作品は、ホラー小説というカテゴリに分類されるものだが、何がスゴイかと言えば、フランクという青い目をした外国人が次々と無抵抗の日本人を殺害していくという内容だ。
無論、これは象徴的なものであり、このアメリカ人青年は強力な破壊力を持った外国勢力を暗示するものであり、優しい日本人を食い物にすることへの警鐘だ。
外国人に対し、むやみやたらとヘラヘラ笑って愛想をふりまく日本人の大半に、危機感はない。
相手を察することに長けた日本人は、言葉少ない空間を読むことに抵抗はない。だから必要以上の言葉を嫌がるし、反って多くを話すことは面倒に思いがちだ。
だがグローバル社会において、それは負の作用しか生み出さない。
自分の意志をはっきりと伝えることのできない人間は、世界を生きていくことはできないのだ。
“NOと言えない日本人”と言われる所以でもある。

この小説が上梓されたのは、すでに15年以上も前のことだが、現状はほとんど変わっていない。当時マスコミなどで騒がれた“援交”とか“オヤジ狩り”などの言葉は余り聞かれなくなったが、実際のところはどうなんだろう?
日本は、他国にはない思いやりや優しさを持ち、気配りのできる国である。
これは世界に誇れる日本人の気質だ。
しかしながら、それは裏を返せば他者に対する緊張感とか危機感がないことのあらわれでもある。
歴史的なものを少しだけ考えてみよう。
この日本という国は、幸いにも他民族による大虐殺を受けたり、国を追われて難民になったり、独立国家を目指すためにクーデターを起こしたりなど、まるでない。
目の前に敵が現われ、肉親を殺され、婦女子が犯され、あるいは異なる言語を強要されたりすることも一切なかった。
こんなに恵まれた国家は、この地球上において日本以外にあるだろうか?
他の国々は、それはもう侵略と混血の歴史を繰り返し、神にすがって生きるしか他に術がないところまで辛酸と苦杯を嘗め尽くしているのだ。だからこそキリストやマホメットの存在がある。これが宗教なのだ。
その点、日本には唯一絶対の神の必要性はなく、森の大木でも山の岩でも先祖の霊でも何でも神に成り得た。
これは西欧人がイメージする神とは全く異質のもので、もっと漠然とした対象である。

我々が強い日本を目指す時、まずは根本的な宗教観からして変えなくてはならない。
というのも、強い神を背景に持った時、初めて日本人はぬるま湯から脱却し、捨て身の覚悟で世界と対等な立場に挑む度胸が生まれるかもしれないからだ。
侵略と混血の歴史を持たない日本は、国際的な理解の基本に弱い。外交に弱い所以だ。

そんな日本人がこの先出来ること。それは、『インザ・ミソスープ』にもあるように、NOと言える強さを持つこと。そして自国の弱点をちゃんと認識することから始まる。つまり、歴史を知ることだ。
とにもかくにも歴史をひもとこうではないか。
歴史を知らなくては、世界における日本の立ち位置すら見誤ってしまう。
『インザ・ミソスープ』は、世界から見た日本のありのままをホラー仕立てに表現した作品だ。この小説を読み、今後の日本のあり方を考えてみるきっかけになればと思う。

『インザ・ミソスープ』村上龍・著


~70年代の若者の、無謀で刺激的な風俗描写~
20130424
コチラ から


20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.97)は酒井順子の「負け犬の遠吠え」を予定しています。


コチラ





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最終更新日  2013.10.26 05:56:37
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