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2014.01.27
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【北國新聞 時鐘】
20140127


安政(あんせい)の大獄(たいごく)で処刑(しょけい)された吉田(よしだ)松陰(しょういん)の辞世(じせい)の句(く)が幕府側(ばくふがわ)資料(しりょう)から発見された。弾圧(だんあつ)した側が政敵(せいてき)の偉大(いだい)さを知っていた証(あか)しとみられている。

松陰は辞世の句とは別に、獄中(ごくちゅう)で同じ遺書(いしょ)を2通書いた。一つは長州藩(ちょうしゅうはん)に渡るよう役人に頼んだ。もう一通は幕府に没収(ぼっしゅう)されることを想定(そうてい)して牢名主(ろうなぬし)に渡した。世に出ることがあれば長州の人間に渡してくれと頼(たの)んだのである。

牢名主が島流(しまなが)しになっている間に幕府は倒(たお)れた。約20年後、東京に戻(もど)った牢名主は明治政府で高官となっていた元長州藩士に遺書を届(とど)けた。松陰が維新(いしん)の立役者(たてやくしゃ)であることなど知らない。ただ約束を守ったのである(留魂録(りゅうこんろく)・古川薫(ふるかわかおる)全訳注(ぜんやくちゅう))。

同じ獄中の囚人(しゅうじん)がみな感化(かんか)されて弟子(でし)になったといわれる松陰である。牢名主もそうせざるを得(え)ない何かを松陰は持っていたに違いない。数ある吉田松陰のエピソードの中で最も好きな話だ。

松陰は坂本龍馬(さかもとりょうま)や高杉晋作(たかすぎしんさく)らと違って小説やドラマになりにくい。あまりに堅物(かたぶつ)すぎるからだという。だが、このような清々(すがすが)しい話がまだ眠っていることに維新史の深い魅力(みりょく)とドラマ性を感じるのである。


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此程に

思定めし

出立は

けふきく古曽

嬉しかりける


(これほどに おもいさだめし いでたちは けふきくこそ うれしかりける)

安政の大獄は大老、井伊直弼が執った。井伊はその応報で後に桜田門外に散る。「桜田門外の変」は、あっぱれ武勇伝として後世に伝わったので井伊には形勢不利であったが、このごろの解釈で井伊が脚光を浴びている。

それはそれとして、吉田松陰の覚悟や見事。覚悟とはまた「潔さ」か。

『私は死を覚悟しており、だから処刑の日をむかえることはうれしいのだ。』

辞世はそういう意味である。松陰は死を前にしていささかの曇りもない。その晴朗な心持ちに松陰の覚悟のほどを見て、私は魂の震えを覚えた。
事ここに及び人が守らなければならないものは、「潔さ」ただそれのみである、そう思うのだ。

そしてまた松陰の身の処し方にも感銘を受けた。

揮毫には「矩之」と記されている。
今回の発見以前から存在する遺書(2通のうちの1通)にも「矩之」と署名されている。なお松陰の実名は「矩方」という。
それをして佛教大学歴史学部の青山忠正教授は「松陰が処刑を前に実名を汚したくないと改名したのかもしれない」と指摘する。

生きるとは即ち名誉の守護であり、死はまたその完遂である。私は松陰の身の処し方で、改めて思い知った。


翻って現在。
名誉をお忘れになられたご老人二名が巷で話題だ。よくよく見ると多くのご老人を侍らせているようだ。「潔さ」は微塵も持ちえない集団である。
晩年の未練は老醜以外の何ものでもない。

殿様は書画骨董に通じ詩歌も嗜むという。ここは松陰先生の遺書をじっくりお読みいただき、我が身を省みてほしいものだ。
このタイミングで遺書が話題となったのは、ご老人たちのためではないか。まさに「妙」である。



20130124aisatsu





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最終更新日  2014.01.27 06:07:11
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