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【クリムゾン・リバー2】「フィリップは俺の兄だ。酒は飲まず、外出もしなかった。かつては“神童”と呼ばれたこともあった。まさか壁に埋め込まれるとは・・・ノストラダムスの埋葬と同じだ。なぜノストラダムスは壁に埋められたと思う?」「知りません」「人が(ノストラダムスの)墓の上を歩かんようにだ」なんでもそうだが、初っ端の作品が思いの外成功すると、二番手三番手と、続々とシリーズ化する傾向にある。『クリムゾン・リバー2』も、前作(クリムゾン・リバー)の大ヒットにより続編として製作されたものだ。しかしながら、前作はベストセラー小説を映画化したものであったのに対し、2作目は完全に原作とは離れた作品に仕上がっている。脚本はリュック・ベッソンが担当していて、さすがにド派手なアクション・シーンは満載だ。このリュック・ベッソンの起用は賛否両論分かれるようだが、まずまずの出来具合だと思う。前作とは比べものにならないほどの激しいアクション・シーンは視聴者を飽きさせないし、「このあとどうなっちゃうんだろう?」というドキドキハラハラ感に溢れている。一方、私のような本物のミステリー好きには少し物足りなさを感じるかもしれない。十二使徒と同名の人々が次々と殺害されていく理由が明らかにされておらず、突飛な展開に思考が追いついていかない。また、イエス・キリストにそっくりの男が重傷を負って病院に運ばれるのだが、そのあたりのプロセスが混乱ぎみだ。さらには、フランス映画らしからぬドタバタ感に、ちょっとうんざりするかもしれない。 フランス・ロレーヌ地方にあるモンタナス派教会の修道院において、新人の修道士が13号室の部屋で祈りを捧げようとしたところ、壁に掲げられたキリスト像から血が流れ出て来た。さっそくパリから現場に駆けつけたニーマンス警視が捜査したところ、なんと壁の内側に何者かの死体が埋め込まれていることが判明する。一方、別件の麻薬捜査の最中だった若手刑事のレダは、イエス・キリストに似た傷だらけの男と遭遇し、急遽、救急車を呼ぶことにする。入院中のイエス似の男の様子を見ようと、レダが病室まで行く途中、修道衣姿の不審な男を見かける。慌てて病室をのぞくと、イエス似の男は生命維持装置を切られ、仮死状態となっているではないか。レダはすぐさま怪しい修道衣姿の男の後を追うのだった。主人公ニーマンス役に扮するのはジャン・レノで変わらないが、相棒役のヴァンサン・カッセルは登場せず、代わりにブノワ・マジメルが若手刑事レダ役として出演。カッセルほど知名度は高くないが、演技は安心して見ていられるし、ルックスもかなり良い。見どころは、修道士の超人的な運動能力で、屋根から屋根へ飛び移り、高い塀をよじ登ったり飛び越えたりと、見事なパフォーマンスだ。また、ニーマンスとレダが地下で囚われの身となった時、からくりが動き始めてそこらじゅうから水が溢れ出て来る。そんな押し寄せる水からの脱出シーンもまた刺激的だ。フランス映画では珍しい、アクション満載のサスペンス・ミステリー映画なのだ。※前作『クリムゾン・リバー』はコチラから。2004年公開【監督】オリヴィエ・ダアン 【出演】ジャン・レノ、ブノワ・マジメルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.12.23
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【クリムゾン・リバー】「悪夢の始まりはゲルノンでした・・・」「ゲルノン・・・なぜ警察に連絡しなかったんですか?」「相手は悪魔です。警察など何の力に?!・・・娘のことは手遅れでした」年末のこういう時期に見る内容じゃないと、拒否反応を示す方がいたら心からごめんなさい。でも私はこういうのが好きなのだ。自分でも何で好きなのかは深く考えたこともないけれど、こういう猟奇事件を扱った、衝撃的で緊張感のある作品は見終わった後、「自分はこんなに恵まれた環境の中にいる! ありがたや、ありがたや・・・(合掌)」という気持ちになるからかもしれない。『クリムゾン・リバー』は、フランスでベストセラーになった同名小説を映画化したものらしい。(ウィキペディア参照)これまで『羊たちの沈黙』とか『セブン』などを見ても、原作を読んでみたいとまでは思わなかったが、この『クリムゾン・リバー』を見て初めて原作を読んでみたいと思った。というのは、ところどころ原作を端折っているのか、「なんで?」と不思議に思う場面が多く、想像力を働かせないとストーリー展開に追いついていけないという失態を犯してしまうからだ。また、フランス人というのはある意味日本人に似ているのか、ハッキリとした意思表示のある表情を見せない人種に思えてしまった。なにしろ役者たちみんながみんな、雲行きの怪しい表情で、何をどう考えているのか読み取りづらい表情なのだ。舞台はフランス、アルプス山麓にある大学町ゲルノンにおいて、裸で目がくり抜かれ、手首が切断されている変死体が見つかった。しかも胎児のような格好で縛られている。その捜査を担当することになったのは、パリから派遣されたピエール・ニーマンス警視で、雪深いこの町の閉鎖的な雰囲気に、暗い影を感じる。一方、ゲルノンから遠く離れた田舎町ザルザックでは、20年前に亡くなった小学生の女の子の墓を、何者かが荒らすという事件が起きる。またその少女の在籍した小学校では、少女に関する写真や資料などが盗まれていた。こちらの事件を担当するのは、まだ若手のマックス・ケルケリアン刑事で、捜査をすすめていくうちに、ゲルノンで起こった事件とどうやら関係があることに気づくのだった。こういうゾクゾクするような猟奇モノは大好きなのだが、別の事件を追う刑事がお互いに二つの事件の関連性に気づき、パートナーを組んで一緒に解決していくプロセスを、もう少し具体的に表現しても良いような気がした。例えば若手刑事の方が、ニーマンス警視のこれまでの伝説的な武勇伝に尊敬の念を抱いていて、ひと目で一緒に捜査をしたくなったとか、あるいはニーマンス警視が元警察学校の教官で、若手刑事の恩師だったとか。ゲルノン大学での裏の顔についても、何で優生学を研究する必要があったのか? それがどんな利益をもたらすものなのか?そういう背景が分かってくると、私のようなサスペンス好きにはもっともっと楽しめたかもしれない。主人公ニーマンス警視に扮するジャン・レノ、それに若手刑事ケルケリアンに扮するヴァンサン・カッセルの、息の合った演技も見逃せない。ミステリアスでスリリングでホラー色がところどころに感じられるこの作品は、きっとサスペンス好きにはたまらない刺激になると思う。おすすめ映画だ。~追記~続編の『クリムゾン・リバー2』はコチラから。2000年(仏)、2001年(日)公開【監督】マチュー・カソヴィッツ【出演】ジャン・レノ、ヴァンサン・カッセルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.12.16
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【今そこにある危機】「なぜここへ来た?」「兵の救出に来た」「情報屋の君に何が出来る?」「・・・何が必要だ?」「ヘリだ」「ヘリコプターか・・・」この作品は、前作『パトリオット・ゲーム(記事はコチラから)』に続く、CIA諜報員のジャック・ライアンが活躍するサスペンス・ドラマだ。監督も同じフィリップ・ノイスが担当しているが、前作より『今そこにある危機』の方が、数段良く思えるのはなぜだろう?ストーリー展開も申し分ないし、爆発シーンなどの見せ場は、思わず映画であることを忘れてしまうほどだ。スケールは豊かだし、迫力はあるし、いやとにかくスゴイ。やっぱりハリウッド映画はこうでなくちゃと思わせる逸品なのだ。注目したいのは、クラーク役に扮するウィレム・デフォーだ。この役者さんが登場すると、全てこの人に持って行かれてしまうような快演だ。とにかく、舞台で培った豊かな表情とソツのない演技に、周囲が呑まれてしまうほどの勢いが感じられる。まずはウィレム・デフォーの、重厚にして迫力のある野性味を、じっくり堪能したいものだ。大統領の友人一家が、クルーザーの中で惨殺されているのが、沿岸警備隊によって発見される。どうやら犯人は、コロンビアの麻薬組織の者だと目星がつけられる。麻薬撲滅をマニュフェストに掲げて来た大統領は、急遽、CIAに対処措置を厳命する。 CIA諜報員のジャック・ライアンは、CIA副長官であるグリーアよりその代行を務めるよう依頼される。というのも、グリーアは癌を患い、入院を余儀なくされてしまったからだ。ライアンは捜査を続けるうちに、事件の背後にはとんでもない事実が隠されていることを突き止める。一方、大統領は隠密裏にCIA作戦担当副長官のリターと計り、議会の承認なしに他国に軍隊を派遣する報復作戦の承認書を与えるのだった。『今そこにある危機』は、サスペンス映画である前にアクション映画でもある。ハリソン・フォードが縦横無尽に駆け回って、役柄でもあるCIAとしての勇姿を見せつけてくれる。演技派のウィレム・デフォーとも充分に渡り合っていて、見ていて飽きさせない。こういう作品こそ、年末の家族団らんには持って来いの映画であろう。スリルあり、アクションありの、ハリウッドらしいハリウッド映画なのだ。※前作『パトリオット・ゲーム』はコチラです(^o^)1994年公開【原作】トム・クランシー【監督】フィリップ・ノイス【出演】ハリソン・フォード、ウィレム・デフォー
2012.12.09
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【パトリオット・ゲーム】「おれが祖国アイルランドの仲間を売ると思うのか?! おれを分かってない」「分かってるさ」「あの二人が何をしようとおれは構わん。だが同胞を裏切るくらいなら自分で自分の頭を撃ち抜くよ!」「それが答えか・・・」ハリウッド・スターの誰もがまばゆりばかりのルックスと、長身と、現実と見紛うばかりの演技をするのかと言えば、それほどではないこともよく知られている。たとえば、ダスティン・ホフマンやロバート・デ・ニーロなんか、かなり背が低いし、普段着で無精髭を生やして、そこら辺をのそのそ歩いていると、誰にもバレないほど一般人に溶け込んでしまうらしいのだ。そういう意味で、この作品の主人公を演じたハリソン・フォードあたりも、かなり一般的(?)だと思うわけだ。無論、エキゾチックなルックスでブイブイ言わせているジョニー・デップばかりがイケメンではないことぐらい分かっている。だが、ハリソン・フォードのルックスは彫りの深い西欧人の中にあって、わりと一般的なのではと思う所以である。じゃあ何がこれほどまでにハリソン・フォードを息の長いハリウッド・スターたる地位に至らしめたのか?それはやっぱり、視聴者との距離間を感じさせない、ある意味、等身大の男性に徹しているからかもしれない。もちろん、演じている役柄は様々だ。だが、にじみ出る人柄とか持ち味は隠し切れない。ハリソン・フォードは常に常識のある、節度を持った役者としてハリウッドに君臨している。その証拠に、下積み時代の長かった彼は、一度役者を辞め、大工としての技術を身につけ、家のリフォームや家具造りをしていた。(ウィキペディア参照)それがまた職人技で、見事な腕前を持っており、業界ではその方面で有名になったとか。きっかけが何であれ、コツコツ頑張る姿というのは清々しい。一生懸命は美しいのだ。 やがてハリソン・フォードは『スター・ウォーズ』のオーディションを受け、見事ハン・ソロ役を手にしたのだ。さて、前置きが長くなったが『パトリオット・ゲーム』について。元CIA分析官のジャック・ライアンは、妻子をつれロンドンに来ていた。一仕事を終えたジャックは、妻子と待ち合わせのバッキンガム宮殿広場にやって来る。 とその時、英国王室のホームズ卿がテロリストに襲撃される現場に出くわしてしまう。 ジャックはテロ集団に立ち向かい、負傷しながらもテロリストの一人を射殺。そのうち警官が駆け付けるが、逃げ遅れ、逮捕されたショーンという男が、挑むようにジャックを睨みつける。なんとジャックが射殺したのは、このショーンのたった一人の弟で、まだ十代の若者だったのだ。ショーンは、ひそかに弟の復讐を誓うのだった。作品に登場するテロリストというのは、IRAの過激派グループということになっている。各種の映画に登場するIRAとは何か? 今さらだが、その組織の背景には根深いものがある。私たちが高校時代、世界史で習った清教徒革命を覚えているだろうか? クロムウェルが先導したあれだ。イギリス本土で成功したプロテスタントによる革命を、アイルランドにまで広げたわけだ。でもアイルランドはカトリックで、イギリスの圧政に泣くしかない。だがもう我慢できない。こうして反英の動きが活発化したというわけ。『パトリオット・ゲーム』においては、そんなところからIRAの過激派が、憎んでも憎みきれない英国王室を狙ったテロを起こすのだが、そのうちの一人が個人的な恨みつらみで、主人公に復讐の念を燃やすという単純なお話。私はこの作品を見ながら、ハリソン・フォードの代表作でもあるインディ・ジョーンズシリーズを思い出していた。目の前に立ち塞がる困難と懸命に闘いながら、一つ一つクリアしていく姿がハリソン・フォードの実生活とオーバーラップする。ブラピやレオナルド・ディカプリオ、ジョニー・デップなどの若手が活躍する中、私はどうしてもハリソン・フォードに目が向いてしまう。ハリソン・フォードは、常に私たちの傍にいる役者さんのような気がするからだ。1992年公開【監督】フィリップ・ノイス【出演】ハリソン・フォードまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.12.02
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【リミットレス】「ある回路を活性化する脳内の受容体を発見したんだ。通常、人間は脳の20%しか使ってない。この薬は脳の力を100%引き出すんだ」「こんなボロボロの俺だぞ・・・薬を飲んだからって、人生が劇的に変わると思うか?」 この作品はそれなりにおもしろかった。のっけから映像のイリュージョンに目がくらんだほどで、見ているこちら側が高速移動しているような感覚に襲われた。おそらく、このぐらい鮮やかでスピーディーな脳の働きにより、十手も二十手も物事の先読みが出来る、そんなスゴイ新薬なんだぞ、という演出なのだろう。というのもストーリーが、NZT48という開発されたばかりの新薬を服用することで、脳を100%活性化することが出来るというものなのだ。(通常、ヒトの脳は20%ほどしか活用されていないらしい)だがそんな都合の良い薬があっていいわけがない。一度その新薬の効果を味わってしまうと、どうにもこうにもその薬なしでは生活できなくなってしまう。主人公は、いやが上にもその薬を飲み続けることになるのだが、評価したいのは役者の演技力。この薬を飲んでいない時と、飲んだ後の、生まれ変わったような変身ぶりを演じるのは、ブラッドリー・クーパーだ。だメンズからスタイリッシュでクールな男へと変貌を遂げる、この対比が見事に表現されている。さらに、財界の大物投資家の役としてロバート・デ・ニーロが出演。脇役にしておくのがもったいないような存在感ではあるが、この役者さんの持ち味を極力抑えぎみに、至ってスマートな役どころに徹していた。ニューヨークに住むエディ・モーラは自称作家だが、原稿は白紙のまま、収入もなく、ホームレス一歩手前の生活をおくっていた。金銭的に支えていた恋人も、いよいよエディのもとを去っていくのだった。そんなある日、元妻の弟であるヴァーノンと街でばったり遭遇。ヴァーノンは昼間であるにもかかわらず、エディを飲みに行こうと誘う。ヴァーノンは、落ちぶれたエディの風貌を見ると、怪しい笑みを浮かべ、開発されたばかりの薬NZT48を手渡す。最初エディは受取らないのだが、結局、押し付けられるような形で新薬を受取り、服用してしまう。するとエディの脳はたちまち活性化し、脳に埋もれていた過去の記憶から情報を集める能力が見事に覚醒するのだった。作中、金貸しのいかがわしい男から大金を借りて、それを元手に株で儲けるエディなのだが、後でその男とは新薬をめぐる壮絶なトラブルに発展するのが見モノ。さらに、新薬には恐ろしい副作用があることが分かり、突然服用を止めてしまうと死に至ることが判明。主人公が廃人のようになりながら、必死に次の一手を思考するシーンにハラハラさせられる。だが残念なのは、やっぱりラストだ。なんで主人公が成功してしまうのか?!よもやドラッグを擁護する映画でもあるまいに。2011年公開【監督】ニール・バーガー【出演】ブラッドリー・クーパー、ロバート・デ・ニーロまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.10.14
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「ジョーニーは?」「残念ながら一度も会ったことがない。詳細はボビー・アールに教わった。やつが凶器の場所を教え、俺が手紙を書き、罪をかぶった。・・・顔色がよくないぜ・・・ハハハ・・・何を考えてる?」「なぜ私を(はめた)?」「異常者のウソを正統化させるためさ」先進国では右へ倣えとばかりに、軒並み死刑廃止論が高まり、すでに実現した国や州も多い。いろんな考え方があるとは思うが、一端を担うのはキリスト教の教義にある“復讐をしてはならぬ”の精神である。一度復讐を許してしまうと、またその復讐をする者が現れ、それが実現されるとさらにまたその復讐を・・・と、永久に繰り返されてしまう所以でもあろう。さらに、白人や黒人、黄色人種など様々な人種を抱える国家においては、文化やイデオロギーの違いから取り返しのつかない判決を下してしまう恐れもある。そういう差別意識から、不当な裁決を下すことを避けるための死刑制度の廃止が叫ばれ続けているのだ。本作「理由」はサスペンス作品でありながら、死刑廃止論者に対し、一石を投じた社会派ヒューマン・ドラマとしても鑑賞できる。ハーバード大学の法学部教授ポール・アームストロングは、討論会を終え、帰ろうとしていた。その際、黒人の老婦人に呼び止められ、無実の罪で死刑監房へ入れられている孫を助けて欲しいと頼まれた。ポールは、その場ではいったん断ったものの、帰宅してからその話をしたところ、妻のローリーは「死刑制反対論者であるあなたが助けずして誰が助けるのか」と説得。そんな妻の後押しもあり、フロリダの刑務所に収監されているボビー・アールと面会することにした。連続殺人鬼ブレア・サリバンに扮したエド・ハリスには、正直驚いた。その迫真の演技さゆえ、今後こういう役しか回って来なかったらどうしようと、エド・ハリスに代わり、思わず悩んでしまった(笑)主人公ポール・アームストロングの一人娘ケイト(8歳前後)の役に扮したのは、スカーレット・ヨハンソンだ。この存在感はすごい!名子役だ。犯人に脅され、首にナイフを突きつけられたケイトが、恐怖のあまり声も出ず、ただ涙だけがツーッと流れるシーンがある。もうこのワンカットに吟遊映人は釘付けになってしまった。このスカーレット・ヨハンソンについて調べたところ、彼女は現在、無神論者だとか。 何らかの賞を受賞した時も、「神に感謝するなんてありえない」と言ったとかいないとか。いやまいった。大胆不敵というか、ユダヤ人でありながら正に、アンチ・ハリウッドな女優さんである。 「理由」のすごいところは、錚々たる役者さんが一堂に会しているところであろう。ハラハラドキドキ、実にスリリングな作品であった。【公開】1995年【監督】アーネ・グリムシャー【出演】ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、エド・ハリスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.09.05
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「権力を手に入れる男と、元娼婦を手に入れアリゾナへ行く男・・・さよなら」「・・・さよなら」日本では、昭和に起こった出来事を懐かしむ意味も込めて、あるいは半ば次世代への継承として、リメイクされたり新たに製作されたりして親しまれている。でもそういう動きは日本に限らず、比較的歴史の浅いアメリカにおいても、50年代を舞台にした作品に現代映画の刻印を感じるものがある。(アメリカには古い歴史がないので、わりと近い昔が古典だったりする。)本作「L.A.コンフィデンシャル」は、おそらくそういう類の作品で、90年代に入って様々なジャンルをやり尽くしたハリウッドが、やっぱり映画はアナログがいいんじゃないかと撮影現場主義に立ち返ったもののように思われる。内容としては、犯罪の根幹に実はとんでもない黒幕が潜んでいるのだ、という社会派サスペンスの仕上がりになっている。1953年のロサンゼルスが舞台。ダウンタウンにあるカフェ、ナイト・アウルという店で、6人もの男女が殺害された・・・ クリーンなイメージで正義をウリにしたいロス市警は、早速、捜査を開始する。女性へのD.V.を決して許さないバド・ホワイト刑事は、事件の核心に近付くにつれ、高級娼婦であるリンにたどりつく。だが、リンの魅力にいつしか翻弄されてしまう。一方、タブロイド誌の記者と結託しつつ、麻薬捜査の手柄をあげていたジャック・ヴィンセンズ刑事は、事件の背景に“白ゆりの館”というハリウッドの女優に似せて整形した娼婦たちを斡旋する、闇の売春組織の存在に気付く。だが、事件はとんでもなく根の深いものであることに気付いていくのだった。ジャック・ヴィンセンズの役に扮したケヴィン・スペイシー。この俳優さんの存在感はすごい!役どころとしては、テレビの刑事ドラマでアドバイザーを担当するという名誉ある麻薬捜査課の刑事なのだが、なんとも憎めない、飄々としたキャラクターなのだ。代表作に「セブン」や「月に囚われた男」などがあるが、前者は犯人役として、後者では声のみの出演として、それぞれ好演している。ラッセル・クロウやガイ・ピアースのまじめで熱のこもった演技もすばらしいが、ケヴィン・スペイシーの一見ゆるく、だけどインパクトのある演技が、ガツンと物を言う作品であった。1997年(米)、1998年(日)公開【監督】カーティス・ハンソン【出演】ラッセル・クロウ、ガイ・ピアース、ケヴィン・スペイシーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.08.23
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「苦学生だったんだな」「母子家庭で僕が19の時、母が死に、奨学金が頼りだった」「そりゃ大変だな」「(でも)僕より貧しい人も(いるしね)」「このオフィスにはいない。皆ハーバード出さ」「君も?」「まさか違うよ。僕はプリンストン出さ」サスペンスにはどの作品にも共通して見られるのが、最初の“つかみ”、この“つかみ”さえ成功していれば、ほぼその作品は完璧と言っても過言ではない。サスペンスにおける“つかみ”というのは、例えば「これから何かが起こりそうな予感」めいたものを視聴者に植えつけるものである。その点、本作は充分にその“つかみ”の役割を果たしていると言えるであろう。まず、カメラはニューヨークの夜景を捉える。そして、忙しなく働くウォール街のビジネスマンたち。こういう何気ない日常の光景が一転するのだと語りかけている。お見事。ニューヨークのウォール街、某弁護士事務所に派遣されて来た会計士のジョナサン・マコーリー。彼は、一人黙々と仕事をこなす毎日であった。ある晩、弁護士のワイアット・ボースが気さくに声を掛けて来る。話し相手のいない孤独なジョナサンにとって、ワイアットは刺激的な存在で、どんどん気を許し、オフの日にはテニスをして楽しむほどの仲になる。そんな折、お互いのケータイを取り違えたことで、ジョナサンは会員制のデートクラブの存在を知る。それは、電話一本で一夜限りの情事を楽しむという秘密クラブであった。注目したのは作中に登場する、ドイツの画家ゲルハルト・リヒターの作品である。この絵に一体どんな意味が隠されているのかと、さんざん思い巡らしてみたが、謎である。ちなみに作品は『二本の蝋燭』という絵であった。単純に考えれば、ジョナサンとワイアットの二人の男を意味しているのかもしれないが、不勉強のためそこからテーマを探り出すことは出来なかった。視聴者は、このサスペンス作品から一体どんなテーマを見出すだろうか。意外にも、ラブ・ロマンスであるかもしれない。各人の楽しみ方で満喫して頂きたい。2008年公開【監督】マーセル・ランゲネッガー【出演】ヒュー・ジャックマン、ユアン・マクレガーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。 See you next time !(^^)
2012.07.12
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「知人の遺体がここの海辺で見つかったんです」「船から落ちた英国人のことかね?」「そうです」「あれはおかしな話だ。この潮流で西に流れ着くはずはないんだがね・・・絶対に!」 久しぶりに本格サスペンスを見た気がする。むやみやたらなBGMに頼っていないし、派手なアクションシーンもない。残酷な殺人現場を見せつけるわけでもないのに、充分ミステリアスで心理的に迫って来るものを感じるから不思議だ。主人公はゴーストライターであり、それ以上でもそれ以下でもないためなのか、役柄としての氏名はない。そのため、ラングの自叙伝を執筆することになったゴーストライターとして、気のすすまないまま巨大な渦に巻き込まれて行くプロセスが、淡々と描かれている。会話は独特で、日本人には笑いづらいジョークがふんだんに盛り込まれていた。主人公が英国人という設定もあり、皮肉混じりの言葉の掛け合いが、よりいっそう知的なムードをかもし出すのに成功している。また、場面ごとに様々な仕掛けや意味合いが込められていて、映画全体の完成度を高めていた。元英国首相アダム・ラングの自叙伝を執筆していたゴーストライターが、謎の死を遂げたことで、その後任が募集された。面接に合格して後任のライターに選ばれた“ゴースト”は、執筆のため急かされるようにして、アメリカ東海岸に渡った。ラングがアメリカで講演中ということもあり、その間滞在する心寂しい島で執筆することになったのだ。真冬の凍てつく孤島で、しかも厳重な警備に守られた屋敷での生活は息苦しく、一向に執筆はすすまない。だが、前任者の使用していたクローゼットから数枚の写真と新聞の切り抜きなどの資料を見つけ出したことで、ラングの過去にいくつかの疑問が生じるのだった。作中の光景は、どれも曇天か雨模様か、あるいは寒風に吹きさらされているシーンばかりだ。だがその効果的な風景描写により、先行き不透明感が見事なまでに表現されている。監督はロマン・ボランスキーで、代表作に『戦場のピアニスト』などがあり、その映画的センスは多方面から絶大な支持を受けている。またキャスティングもすばらしかった。アダム・ラングに扮したピアース・ブロスナンなど正にハマリ役で、過去の出演作007の影響からなのか、ずっと怪しいムードをかもし出していた。やっぱりサスペンス映画はこうでなくちゃと思わせる、完璧なまでの完成度を誇る作品だった。2010年(英)(仏)、2011年(日)公開【監督】ロマン・ボランスキー【出演】ユアン・マクレガー、ピアース・ブロスナンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.07.08
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「パパはなぜ出てったの?」「それはね、あなたが生まれた日に“ある物”が届いたの。小さな箱よ。中身は何だと思う? ・・・“責任”というものよ。世の中には何よりも“責任”を恐れる人たちがいるの」「じゃ、パパは箱の中身が怖くて逃げ出したの? ・・・バカみたい」「ママもそう思うわ」イーストウッド監督の作品が優れていることには業界でも定評のようだが、この『チェンジリング』は申し分なく見事な作品だ。また一段と冴え渡る演出で、涙なくしては見られない出来映えだ。もともとイーストウッド作品には、生涯に渡るテーマを感じさせるものが多い。そこには、誰にも譲れないメッセージのようなものが込められていて、気付いた人だけが心を熱くさせるのだ。とりわけ強く感じるのが、権力の横暴に対する抵抗、あるいは人間が男女問わず与えられるはずの人権・誇りを死守する勇気。それこそが、クリント・イーストウッドがずっとずっと表現して来た世界観だと思うのだ。この『チェンジリング』にしても、クリスティン・コリンズというシングル・マザーの女性が、警察という国家権力に屈することなくひた向きに闘い続ける意志の強さと勇気を表現している。だが作中では、それが露骨にならないように、息子を探し出したいがゆえの、母親の情愛として心地良く仕上げられている。こういう上品な演出は、なかなかどうして難しい。さすがはイーストウッド監督ではある。1928年のロサンゼルスが舞台。クリスティン・コリンズは、9歳の息子ウォルターを育てながら電話交換局で働く女性。 ある日、休日出勤することになり、ウォルターを自宅に一人残し出掛けることになってしまった。予想外に帰宅が遅くなると、家にはウォルターの姿はなく、慌てて警察に通報する。だがウォルターの消息はつかめず、そのまま5ヶ月が過ぎる。その後、ウォルターが発見されたという連絡を受け、すぐさまクリスティンは駅まで迎えに行くものの、なんとその少年は別人であった。クリスティンは「この子はウォルターではない」と否定するが、警察はマスコミや世論に対する面子を気にして、クリスティンの意見に全く耳を貸さなかった。主人公クリスティン・コリンズに扮したのは、アンジェリーナ・ジョリーだが、この女優さんの訴えかける目力に注目していただきたい。“目は口ほどにものを言う”とは昔からの諺だが、正にこれをアンジェリーナ・ジョリーが演じている。哀しみ、怒り、希望など、そういう感情をセリフではなく、目力によって表現している。すごい。さらに、脇役だが重要な牧師の役で、ジョン・マルコヴィッチが好演。実は物凄い存在感とインパクトのある役者さんなのに、この作品ではかなり抑えられていて、それがまた輝きのある演技として光っていた。脚本といい、演技といい、何一つ文句のつけようがない、完成度の高い作品だった。2008年(米)、2009年(日)公開【監督】クリント・イーストウッド【出演】アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.07.05
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「記憶を失うんだ・・・ブラックアウトだ。時々だが不安なんだ。会話を避け、ただ食うだけ。ベッドから出るのもキツイんだ。ただ壁を見つめるだけ。何もする気になれん・・・何もだよ」「“燃え尽き(症候群)”だ」「何?」「脳が疲れてるんだ。2日も休めば回復する」率直な感想を言ってしまうと、決して一流の作品ではない。もちろん、B級というほどではないけれど。主人公のトム・ブラント刑事に扮したジェイソン・ステイサムは、その出で立ちや雰囲気からして、粗野で凶暴なキャラクターを演じるのはかなりムリがあるような気がする。ジェイソン・ステイサムの持ち味を生かすには、何と言ってもスタイリッシュでクールなキャラだろう。そういう演出の方がもっとずっと効果的だったろうに。ストーリーの流れとしてたまらなく気になったのは、自他ともに認めるゲイのナッシュの自宅に出向き、ブラントの抱える悩みを打ち明けるシーンだ。ゲイであることを理由に蔑視していたブラントが、一体どんな成り行きで心を開くきっかけになったのか分からないし、ブラックアウトという深刻な悩みをサラリと片付けているようで、この展開はキビシイ。脚本がもう少し丁寧で、膨らみのある会話を用意していれば、あるいは違和感もそれほど感じなかったかもしれないが。凶暴なほど熱血漢のトム・ブラント刑事は、夜の街角で車上荒しをしている3人の少年たちを、袋叩きにしてしまう。行き過ぎたブラントの行為をマスコミが非難したため、上司からも警告を受けたところ、ブラントは一向に聞く耳を持たない。一方、ブラントの所属する警察署に、西ロンドン警察からナッシュが異動して来るが、ゲイであるナッシュには風当たりが強く、決して良い環境ではなかったが、管内では警察官殺しが続き、騒然としていて一刻の猶予もない。そんな中、犯人は、新聞記者のダンロップに電話し、自らがブリッツであることを名乗り、一連の事件は自分の犯行であることを告げた。犯人の異常性を誇張するため、“犬を生きたまま燃やす”とか“ホルマリン漬けにしたマイケル・ジャクソンの便を飾る”などの猟奇的な行為は効果的だった。また、ジェイソン・ステイサムが自然体で車の運転をするシーンがカッコイイ。きっと日常生活でもハンドルを握るのが好きな人なんだろうと思う。気取っていなくて、余裕さえ感じられる表情が印象的だ。この作品は、ジェイソン・ステイサムが好きな人、ファンにはおすすめしたい映画だ。 2011年公開【監督】エリオット・レスター【出演】ジェイソン・ステイサムまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.06.10
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「ヤツは雇い主の白人妻と浮気してた。湿地で見つかった骨は、ヤツのだと思う」「名前は?」「気にしてどうする? 自業自得さ。過去は過去なんだ。掘り返すな」この作品の感想を語るにあたり、少し視点を変えてみた。というのも、この映画はフランス人監督による、アメリカ映画となっているからだ。例えるなら、日本の武士道にあこがれる外国人監督が、独自の世界観でサムライを表現するのにも似ているかもしれない。つまり、古き良きアメリカ、自由の国アメリカを憧憬するフランス人監督が描くアメリカ映画なのだ。そのせいか全体的にテンポは穏やかで、牧歌的なムードに包まれている。陰惨な連続殺人事件を捜査する、というストーリーでありながら、だ。もともとハード・ボイルド小説が原作にあるようなので、惚れたはれたの色恋沙汰は皆無だが、南北戦争時代の老兵の幽霊が出現したりで、ある意味ファンタジーな色合いも感じられる。森の中で19歳の少女の惨殺死体が発見された。地元の警察官であり、また、釣具店と貸しボート屋のオーナーでもあるデイヴ・ロビショーは、やりきれない気持ちになる。被害者チェリー・ルブランが売春していたことから、あるいはビジネスの絡んだ殺人ではないかと疑い、たてまえ上、映画プロデューサーであるバルボーニを聴取する。一方、ロビショーが街を巡回していると、赤いスポーツカーが危険極まりない運転で走行していた。運転していたのは、俳優エルロッド・サイクスで、助手席にはその恋人ケリー。サイクスはドラッグと飲酒で朦朧状態。すぐに運転を止めさせ、連行することに。だがサイクスは、撮影中に湖で鎖のついた人骨を見つけたと、出し抜けに話し出すのだった。この作品で評価できるのは、なんと言ってもキャラクター設定のおもしろさだろう。ロビショーは警部でありながら釣具店や貸しボートの店までやっている。トミー・リー・ジョーンズが、飄々としていて妥協を許さずハードで味わいのある男ロビショーを好演。脇をピーター・サースガードやジョン・グッドマンががっちり固めていて、演技には申し分なし。派手なアクションはなく、謎解き犯人捜しのおもしろさもない。だが、フランス人監督の描く、どこかノアール風で哲学的な印象の残るアメリカ映画なのだ。2009年(米)(仏)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ベルトラン・ダヴェルニエ 【出演】トミー・リー・ジョーンズ、ピーター・サースガード、ジョン・グッドマン
2012.06.03
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「悪者に追われてるのよ。守ってあげなきゃ・・・ハンナを見捨てるの?」「違うよ・・・ハンナはベルリンのグリムの家に行くって。パパに会いに行くんだ」カテゴリとしてはスリラー映画に属する作品だと思うが、雰囲気は実にファンタジックだ。作中の会話にも出て来るが、グリム童話の世界観がそこかしこから漂っている。本当は恐ろしくてたまらない童話だから、美少女キャラとは対照的に、陰惨で冷酷な人間の横顔がくっきりと映し出されている。主人公は16歳の美少女だが、ジャンヌ・ダルクのような使命感に燃える女戦士というより、もっと人工的でドライに描かれている。また、悪役として登場する女性CIA諜報員のマリッサは、童話のキャラに例えるなら間違いなく魔女である。こういう設定からして、普通ならB級モノになりがちなのに、この『ハンナ』に関しては余りそういう野暮ったさは感じられなかった。ひとえに、監督の高度な演出力にあるのだろうと推測する。16歳の少女ハンナは、父エリックとフィンランドの森の中に2人きりで暮らしていた。 ハンナの狩猟の腕前は見事なもので、一矢で鹿を仕留めるほどだった。また父親から、素手で身を守るための戦闘能力を叩き込まれ、その強さは少女の腕力を超越していた。さらに、英語以外の語学にも堪能で、ドイツ語、スペイン語、アラビア語をマスターしていた。人里離れた森の中で暮らすことから解放されたいハンナは、外界に出て行きたいと、父を説得するのだった。もともとこの手のスリラー映画は大好きで、完璧な美の内に秘める猛毒を表現した世界観に、共鳴せずにはいられない。胎児のころ遺伝子操作によって、人並み外れた戦闘能力を持ち、生きる人間兵器となったハンナの、思春期を経て森の外へと向かう自立心など、見事に表現されていた。主人公ハンナ役に扮したシアーシャ・ローナンの、感情に淡白な演技は抜群で、細身の体が鋭い凶器となる時など、そのメリハリに驚愕した。また、マリッサ役のケイト・ブランシェットは言うまでもなく、世にも恐ろしい女性悪役として周囲を威圧していた。しかし、一番の功績は、この不思議な世界観を生み出した監督のジョー・ライトにあると思われる。好きな人はもっと好きになるし、理解する作品ではなく、感じる作品だと思った。2011年公開【監督】ジョー・ライト【出演】シアーシャ・ローナン、エリック・バナ、ケイト・ブランシェットまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.05.20
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「アンナは目撃してしまったんだ。子供は息ができずにいた。だが誰も助けない、誰もだ・・・君の姿も見た。子供が喘いでいるのを聞きながら(君は)動かなかった」「もういい・・・たくさんだ」「(自分の余命が幾ばくもない)病気を知った日から彼女は、憑かれたようになった。目つき、電話・・・君を責め、忘れさせまいとした」人は皆、苦悩を抱えながら生きている。そんな単純で当たり前のことを、ややもすれば忘れがちだ。特に、自分に劣等感や挫折感を人より多く抱えているような気持ちにある時、他人に対して尋常な精神ではいられない。自分ではどうにもならない嫉妬心や羨望に囚われ、もはやコントロールが利かなくなる。 だが、いつも肝に銘じておかねばならないのは、人はこの世で生きている限り、多かれ少なかれ苦悩を背負っているものなのだ。幸せそうに見える他人も、実は内面、絶望の極みをよろよろと彷徨っているのかもしれない。本作「湖のほとりで」はイタリア映画で、静謐な殺人事件の物語である。スクリーンからは牧歌的な雰囲気さえ漂うが、人のいるところに必ず浮世の風が吹くことをテーマとしている。北イタリアの小さな村が舞台。静かな湖のほとりで全裸の女性の死体が見つかる。女性はアンナと言い、争った形跡がないため、彼女の身近な者の犯行ではないかと疑われた。ベテラン刑事のサンツィオは、犯人をあらゆる可能性から絞っていく。アンナを溺愛する実父、第一発見者であり、知的障害を持つマリオ、そしてその父、あるいはアンナの恋人のロベルト。しかしサンツィオは、犯人が意外な人物であることに気付くのだった。まず驚いたのは導入部。男の車に乗せられた幼女が行方不明となるシーンは、これから何か猟奇的な殺人事件が起こるのではと連想させる。だが違った。小さな村の、個々の家庭に横たわる苦悩を浮き彫りにさせるヒューマンドラマが展開するのだ。のどかで穏やかな片田舎の風景とは反対に、人の持つ業の深さ。だが、村の守り神の棲む湖が、何もかも呑み込んで、罪深き人間を解放してくれるのかもしれない。本作「湖のほとりで」は、重厚なヒューマンドラマであり、見事なサスペンス映画でもある。静謐で格調高い作品であった。2007年(伊)、2009年(日)公開【監督】アンドレア・モライヨーリ【出演】トニ・セルヴィソロ、ヴァレリア・ゴリノまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.05.01
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「彼は生まれて初めて自分に体臭がないことを知った。彼は誰にとっても“無”の存在だったのだ。“自分が誰の記憶にも残らない”という恐怖。この世に生きた証がないのと同じだ」18世紀のフランス、パリのセーヌ河沿岸に並ぶ魚市場でジャン=バティスト・グルヌイユは誕生した。彼は何キロ先の匂いも嗅ぎ分ける超人的な嗅覚を持っていた。成人して皮なめしの職人となったグルヌイユは、配達途中でプラム売りの赤毛の少女と出会う。彼女の放つ香りをグルヌイユの嗅覚は捉えて放さず、激しく鼓動した。彼はその香りを我が物にしたいと欲した。犬のように付きまとうグルヌイユに怯えた少女は悲鳴を上げる。彼は夢中で少女の口をふさぎ、過って死なせてしまう。しかし、少女の放つ香りに至福の悦びを覚えて、思わずその衣類をはがし、首筋から乳房、腹部から股にかけて鼻を押し付けるようにしてその匂いを記憶する。この作品は、すでに最初の数分のシーンにおいて成功している。パリの群衆が、冷酷な殺人者の処刑を待ちかねて騒然とする場面から入るのは定石だが、プロローグとしては最も興味を掻き立てられ、作品の核心へと触れていくに相応しい幕開けなのだ。人が人として生きる権利を全て剥奪されてしまったような劣悪な環境の中で生き抜いて来たグルヌイユは、感情表現が乏しく、口数も少ない。その能面のような無感動さを表現した演技力は、まるでヒッチコック作品の「サイコ」に登場するノーマン・ベイツを彷彿とさせる。猟奇殺人を題材にした作品の根底に流れるもの。それはおおむね、母親への異常なまでの渇望、言い方を変えれば、女性への偏った愛情表現。すなわち「執着」である。この作品においても例外ではなく、主人公のグルヌイユは、若く美しい女性の発する香りの虜となり、次々とその身を手にかけ、香りを捉えておくために冷浸法で抽出するのだ。誰からも愛されたことのない彼に、人の愛し方などわかるはずもなかった。ただ己の欲するものを必死に手中に入れようと執着するのみ。その手段など選ばない。それは幾重にも歪んだ自己主張、あるいは愛情表現だったのかもしれない。余談であるが原作はパトリック ジュースキントの「香水―ある人殺しの物語」である。実はこの翻訳が凄い!ドイツ文学者 池内 紀氏のペンにより、原作以上の「作品」に仕上がったといっても過言ではあるまい。ゲーテを身近に据えてくれた池内氏の翻訳を、是非ともご一読されたし。2006年公開【監督】トム・ティクヴァ【出演】ベン・ウィショー(グルヌイユ)、ダスティン・ホフマン(バルディーニ)、アラン・リックマン(リシ)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.19
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「一体何者なの? 自由自在になりすますなんて」「彼らは・・・いや、我々は暗殺団だ。今夜王子が殺される。私が仕掛けた爆弾で・・・私は死ぬべきだった」「・・・問題は今からどう行動するかよ」久しぶりにサスペンスの王道と出合った気がする。やっぱりこれぐらい筋が一本通っていると、ミステリー小説を読んでいるのと同じかそれ以上のスリリングな気分を味わえる。主人公のマーティン・ハリス博士役に扮したリーアム・ニーソンも、枯れてますます演技にメリハリがついて来たし、見ていて安心感が持てる。“強い男”を演じる時の、鋭い眼光とか内に秘めた荒々しさみたいなものを、抜群に発揮できるのもスゴイと思った。さらに、チョイ役だがブルーノ・ガンツも出演。旧東ドイツの秘密警察のメンバーという過去の経歴を持つ役柄だったが、何気なくコーヒーに青酸カリを入れて自死するシーンは見ものだ。こういう場面がところどころに散りばめられることによって、よりミステリアスでスリリングな構成になっていく。アメリカの植物学者マーティン・ハリス博士は、妻のリズと一緒にベルリンにやって来た。学会で発表することになっていたからだ。夫妻は、宿泊ホテルに着いたものの、マーティンがカバンを空港に忘れたことを思い出し、タクシーで急遽引き返す。ところが事故でタクシーは、凍てつく川に突っ込んでしまう。運転手のジーナが、懸命にもマーティンを救出するが、その後マーティンは病院で四日間も昏睡状態に陥る。目が覚めて無理やり退院すると、記憶の断片をたどりながら妻のいるホテルに戻るが、妻であるはずのリズは、別人のマーティン・ハリス博士と名乗る男と一緒にいるのだった。ボスニアからの不法移民でしたたかに生きるジーナ役を、ダイアン・クルーガーが好演。 下品になりすぎず、かといって女優であることを忘れていない堂々とした演技はすばらしかった。このように、ストーリーもさることながら、役者それぞれが体当たりの演技を見せてくれると、視聴者である我々もグッと惹き付けられてしまうから不思議だ。サスペンスとかミステリーなどに区分される作品は、はいて捨てるほど存在するが、どんなに奇を衒った斬新な作風でも、首尾一貫していなければ完成度は低くなる。定番中の定番と言われようが、『アンノウン』のように筋が一本通った安定感のある作品は、鑑賞後も程よい気持ち良さを味わえるのだ。2011年公開【監督】ジャウム・コレット=セラ【出演】リーアム・ニーソン、ダイアン・クルーガーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.04
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「どうした? 手を貸そうか?」「今週は最悪の1週間で・・・」「・・・分かるよ。俺もネイルサロンで泣くんだ。彼女たちにつらい思いを聞いてもらうんだよ。君はコインランドリーでかい? ・・・飲み物をおごるよ。小銭がなかったお詫びだ」あけましておめでとうございます。今年も張り切って、映画作品その他諸々ご紹介して参りたいと思いますので、よろしくお願い致します。明けて平成24年元旦の記事に選んだのはコレ、『ザ・タウン』だ。犯罪を重ねて来た主人公が、どうにかして人生を変えたいと切に願う姿が感動を呼ぶ内容となっているので、あえてこの作品にしてみた。監督はベン・アフレックで、『ゴーン・ベイビー・ゴーン』に続く2作目の監督作品である。吟遊映人は、『ゴーン・ベイビー・ゴーン』はまだ鑑賞していないが、かなり評価の高かった作品のようだ。そんなこともあって、『ザ・タウン』も視聴者にはとても期待を持たせる宣伝になっていたらしい。そういう外からの情報を全部シャットアウトして鑑賞したわけだが、ストーリー展開としては申し分ないおもしろさだと思う。朴訥とした無愛想な演技のベン・アフレックだが、この作品ではとてもしっくりとくるキャラクターで、視聴者の同情や共感を一心に集めていた。名優であるマット・デイモンの活躍に触発されるようにして、ベン・アフレックも『アルマゲドン』や『パール・ハーバー』で一躍脚光を浴びることとなったが、マット・デイモンに比べると、どうもイマイチの評価なのは否めない。だが、監督という立ち位置のベン・アフレックを眺めた時、その才能の行く末を期待せずにはいられない。強盗多発地帯であるボストンのチャールズタウン。強盗団のリーダーであるダグは、3人の仲間たちとケンブリッジ銀行に押し入る。綿密な計画を練り上げ、一つの証拠も残さない完全犯罪を成し遂げて来たが、その日は女性支店長のクレアを人質に取った。後日、ダグはコインランドリーで偶然を装い、クレアに近付いて、自分たちの正体に気付いていないかどうか試みる。クレアは、ダグの正体には全く気付かず、かえって優しい言葉をかけられたことでダグに惹かれていく。同様に、ダグ自身もクレアの純粋さや素朴さに惹かれていくのだった。全体を通して、とても筋の通ったサスペンス作品だ。銃撃戦あり、カーチェイスあり、ロマンスありで、最後まで話の展開をドキドキハラハラしながら楽しむことが出来る。また、一方でFBI捜査官のプロ、片や犯罪者のプロ、プロとプロの巧みな駆け引きが上手に生かされた演出も好感が持てた。さらには、ダグの強盗団仲間であり、親友でもあるジェムという凶暴で見境ない危険な人物というキャラクターを、ジェレミー・レナーが好演。『ハート・ロッカー』でもこういう危うい役を演じていたが、ここでもその演技が実に生かされている。アメリカというお国柄なのか、たとえ重大な罪を重ねて来た犯罪者と言えども、ラストではヒーロー的な扱いで、ややもすれば成功者に収まってしまいそうなくだりが、いく分気になるが、それでも人生を変えたい男の物語として捉えたらすばらしい作品に思えた。2010年(米)、2011年(日)公開【監督】ベン・アフレック【出演】ベン・アフレック、レベッカ・ホールまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.01.01
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「なぜここに来たの?」「僕の居場所はここだけだ」「どうやって中に?」「入り口で“妻を見張りたい”と言ったんだ。イタリアでは通じるんだ」この作品は、フランス映画『アントニー・ジマー』のリメイク版とのことで、期待され、ずいぶんと話題にもなった。というのも、ハリウッドの大スタージョニー・デップと天下の美女アンジェリーナ・ジョリーの共演ということで、よけいに盛り上がったわけだ。舞台がイタリアのヴェネツィアということもあり、それはもう格調高く優雅で、“そうだ、イタリアへいこう”的な気分を大いに誘発させられる。よもやハリウッドが旅行会社とタイアップしたのではと勘違いしそうな、風光明媚に仕上げられた作品なのだ。もともとは巻き込まれ型のサスペンスとして企画されたものだとは思うが、ヴェネツィアという土地柄を意識してなのか、どちらかといえばラブ・ロマンス的なムードがプンプン漂う。セリフ一つ一つを取ってみても、恋とか愛を礼賛する詩的なものが多い。つまりは、主人公二人が美男美女でなくては、とうていつじつまの合わない作品になってしまうから、やっぱりジョニー・デップでなければいけないし、アンジェリーナ・ジョリーでなければ成り立たないわけなのだ。パリの街角のカフェで、謎の美女エリーズは警察に見張られていた。エリーズは、知能犯ピアースの愛人だった。ピアースは巨額の脱税などで、国際指名手配犯だったのだ。エリーズは、ピアースからの手紙でリヨン駅に向かう。イタリアのヴェネツィアへ行く列車に乗るためだった。エリーズは指示通り、車内ではピアースに似た男フランクを見つけ、警察の追跡をかく乱する。その後、フランクはエリーズに付き添い、一流ホテルに宿泊する。そして、犯罪組織に命を狙われることになる。注目していただきたいのは、なんと言っても名優スティーブン・バーコフの圧倒的な存在感だ。覚えている過去の作品では、『ランボー怒りの脱出』にも出演していて、やはり悪役だった。悪役を得意とするだけあって、この役者さんが登場したとたん、ピリピリムードに変わったのがおわかりだろうか?スーツの採寸の途中で、仕立て屋のメジャーを取り上げると、なんの躊躇もなく部下の首を締め上げるシーンは、物凄い迫力だ。重厚な演技とは、正にこの役者さんのことを指して言うのではなかろうか。何をやらせても、どんな格好しても、エキゾチックでクールなジョニー・デップと、ひと際美しいアンジェリーナ・ジョリーが共演するのだから、作品そのものが悪かろうはずがない。ただ、残念で仕方ないのは、サスペンスとして鑑賞した時、あまりにも盛り上がりが少なく、スリラー感覚に乏しい点だ。そう考えると、やはりラブ・ロマンスとして楽しんだ方が全体的にしっくりとくるような気もする。『ツーリスト』を観て失笑してしまった視聴者もおられるようだが、個人的には評価したい作品だ。2010年(米)、2011年(日)公開【監督】フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク【出演】ジョニー・デップ、アンジェリーナ・ジョリーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.12.29
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「以前、その席に座っていた漫画家のボブは、なぜか今テレビに出てる・・・失礼、僕はポール・エイブリーだ」「ロバート・グレイスミスです。勤続9ヶ月になります」(中略)「このサイコ野郎は、タイムズ紙に暗号を解くヒントを送ったそうだ」この作品を観た感想の第一声は、ズバリ、長い!なんと2時間37分という長さだから、じっくり腰を落ち着けて鑑賞しないと、その途中であれこれ用事を思い出したりして、DVDプレーヤーを中断しなくてはならないからだ。それはともかく、この作品のモデルとなったのは、ずいぶん昔、アメリカを震撼させた“ゾディアック事件”という連続殺人事件を扱ったものだから、全体を通してトーンが低い。フィンチャー監督の傾向でもあるが、画面も暗く、陰鬱で、40年以上前の事件であることを巧みに表現している。映画としての作りそのものは優れているし、カメラワークも個性的でおもしろいのだが、内容が内容だけに賛否両論分かれるところではなかろうか。1969年7月4日、カリフォルニア州バレーホで若い男女が銃で襲われた。女性の方は死亡。その一ヶ月後、新聞社に自分が犯人だと名乗る手紙が届く。サンフランシスコ・クロニクル紙の記者であるポール・エイブリーは、この事件を追うことになる。一方、同紙の風刺漫画家(イラストレーター)であるロバート・グレイスミスも、この手紙に添えられていた暗号文に並々ならぬ関心を寄せ、独自に調査を始める。その後、またもや若い男女が襲撃される事件が起こり、やはり女性が死亡。さらに、タクシー運転手までが射殺される事件が発生する。犯人は手紙に、これら一連の事件の犯行を認め、自分は“ゾディアック”と名乗るのだった。この作品を観ていて、段々と絶望的な気持ちになっていくのは、この事件を追っていく者全てが不幸なプロセスをたどっていくことだろう。敏腕記者であるエイブリーは、酒に溺れるようになるし、アームストロング刑事は殺人課から詐欺課に異動するし、イラストレーターのグレイスミスも家庭不和になっていくし、トースキー刑事は濡れ衣で現場から外されるという、身も蓋もない状況だ。つまり、ゾディアック事件は、殺された被害者ら以外にも、それに何らかの形で関わっていた者たちをも不幸にした凶悪事件だったのだ。そんな大規模な事件といえども、月日の忘却は食い止められないのが現実で、ゾディアック事件を風化させないための、人々の記憶を蘇らせる意味さえ込められていたのかもしれない。2007年公開監督】デヴィッド・フィンチャー【出演】ジェイク・ジレンホール、マーク・ラファロ、ロバート・ダウニー・jrまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.11.29
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「教えて下さい。聞きづらいのですが・・・あなたの娘さんは23年前に亡くなりました。でもあなたはここにいる。部屋も当時のままです。・・・どうしてなんですか? 私の家内も5ヶ月前に・・・。でも泣けません。変ですよね・・・」「刑事さんは知りたいのね、なぜ私がこうやって生きてるのか・・・。でも自分でも分からないの」この作品の冒頭では、幼児性愛の性癖を持つ二人の男が、いかがわしい8ミリフィルムを見ているシーンから始まる。もうすでにこの冒頭部からして、かなり深刻なドラマを想像させるのだから、作品としての完成度は高い。事件は、人っ子一人いない真昼の麦畑で犯行に及ぶ。静寂とした空間で、聞こえてくるのは被害者少女のバタバタともがく音、うめき声。これがまた一層残酷さを際立たせるのだ。この作品はおおむね孤独をテーマにしたものだとは思うが、犯罪の質が特殊で、いたいけな少女が犠牲者となっているプロットを考えると、視聴者を選ぶ内容になっている、と思われる。(決して過激な映像があるわけではないのだが・・・)23年前、ゾマーとティモは、赤い車に乗って田舎道をドライブしていた。その途中、自転車に乗る11歳の少女ピアを見かける。ゾマーは、麦畑の人気のないところまで自転車を追いかけると、ピアを押し倒し、暴行に及ぶ。ところが必死で抵抗するピアに思い余って、ゾマーは石で殴り殺してしまうのだった。 車内で一部始終を傍観していたティモは、恐怖に脅え、ゾマーのもとを去ることにした。 その後、ティモは結婚して姓を変え、建築デザイナーとして成功し、家庭も持っていた。 そんな悪夢も風化して久しい23年後、全く同じ場所の同じ日付で、13歳の少女ジニカが失踪する事件が起こった。事件をテレビのニュースで知ったティモは、ひどく動揺するのだった。この作品に登場する様々なキャラクターの持つ背景は、かなり興味深いと思った。まず、事件を担当するダーヴィッドという刑事だが、5ヶ月前に妻を亡くしていて少し神経を病んでいる状態だ。また、この事件を23年前に担当し、定年を迎えたクリシャンという元刑事が、被害者の母親と仲良くなり男女の間柄になる。さらに、ダーヴィッドの同僚である女性刑事ヤナは、臨月近い妊婦で、歩くだけでも難儀な状態。だがそんな身重の体で、目撃された犯人の乗る車種の割り出しのために、一軒一軒聞き込みに回るのだ。こういう登場人物が、様々な思惑と絡み合って物語が重厚さを増していく一方で、今一つの感も否めない。ドイツ映画であることを考慮してみても、可もなく不可もなくと言ったところだ。2010年(独)公開 ※日本では劇場未公開【監督】バラン・ボー・オダー【出演】ウルリク・トムセン、ヴォーダン・ヴィルケ・メーリングまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.11.13
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「世の中には眠っている間に、女にペニスを切られた男もいる」「そうだな・・・だが、いろいろ迷ったあげくソファを買い、ソファの問題は一生解決したと思ってた。ステレオも自慢の品だったし。服もパーフェクトな一式をそろえてたから」デヴィッド・フィンチャー作品をさらに極めたいと思い、『ファイト・クラブ』を観た。 いや、驚いた。この監督はキャスティングも完璧に選抜する人物なのだ。この作品における主役には名前がない。終始一貫“ボク”という一人称でナレーションが入り、ストーリーが進行していく。その“ボク”を演じたのはハリウッドの演技派である、エドワード・ノートンである。 ポスト・ロバート・デ・ニーロと言っても過言ではない。なりきりタイプのすご腕演技だから、圧倒される。そのエドワード・ノートンが演じたのは、物質至上主義の大量消費社会から必死に逃げようとするビジネスマンの役だ。もともとはそういう社会風潮の中で、どっぷりと浸かっていたのだが、ある日を境に変わっていくというストーリー展開になっている。エドワード・ノートンの他の出演作を調べてみたところ、この役者さんは二面性のあるキャラを演じるのがお得意のようだ。人間の人格が真っ二つに分裂した際に見せる、もう一方の人物像を、同一人でありながら見事に演じ分け出来るのも、演技派と言われるゆえんだ。(ただし、『ファイト・クラブ』ではもう一方の人格をブラッド・ピットが演じている) ボクは物質的には何不自由なく恵まれていた。家庭はないが、マンションを持ち、北欧のブランド家具に囲まれ、職人による手作りの食器、C.クラインやアルマーニのスーツを着て、スタイリッシュな生活を好しとしていた。だが不眠症という重大な悩みを抱え、こればっかりはどうすることもできなかった。精神科医に相談してみたところ、睡眠薬の処方は断られたが、癌患者による自助グループに参加するのを勧められる。その後、会社の出張途中、飛行機内の座席に隣り合わせたタイラーと妙にうまが合った。 石鹸のセールスマンをやっているとのことだが、ユーモアがあり、ボクはタイラーに不思議と興味を持ってしまうのだった。現代の社会構造が物質至上主義という体制を取っているため、人間の本質的な感覚が失われていることへの警鐘を鳴らしている。たとえば作中で、“ボク”は、癌患者の辛い闘病体験を聞くことで涙を誘われる。その泣くという行為で感情が放出され、睡眠不足が解消されるのだ。あるいは、男同士が半裸になって殴り合いをすることで、痛みを感じる。それはつまり、痛みという感覚を伴うことで生きている実感を味わうのだ。今さらながら、デヴィッド・フィンチャー監督の作り出した作品のレベルの高さに、舌を巻く思いだ。1999年公開【監督】デヴィッド・フィンチャー【出演】エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーターまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.11.05
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「フランク、俺は死神とデートするんだ。そして大統領もな。邪魔するとお前もだ」「俺のケツとデートさせてやる!」「いいか、お前など簡単に殺せる。何度お前の部屋に出入りしたと思う? お前は生かしてやってるんだ。少しは俺に感謝しやがれ!!」自分自身を演じるって、一体どういうことなのだろう?答えは『マルコヴィッチの穴』を観ていただきたい。とにかく、ジョン・マルコヴィッチという役者さんの強烈なインパクトに度肝を抜いてしまう。屈折した攻撃性を持つキャラクターを演じさせたら、この人の右に出る者はいないだろう。『ザ・シークレット・サービス』では、往年のスターであるイーストウッドと共演しているが、完全に悪役であるマルコヴィッチの存在感に飲まれてしまっている。イーストウッドだってかなりクセのあるシークレット・サービスのエージェントという役柄なのに、なんだか物凄くまともに見えてしまうのだから、敵役のマルコヴィッチがいかに強烈なアクの強さを持っているか、その辺りからも推察できる。『ザ・シークレット・サービス』という作品そのものは、さほどの斬新さもなければ、アクション性も高い方ではない。では何がおもしろいかと問われれば、悪を体現したようなマルコヴィッチの芸術的とも言える演技だ。つまり、思わず引き込まれてしまうマルコヴィッチの演技こそこの映画の見どころであろう。シークレット・サービスのエージェントであるフランクは、相棒のアルとともに、大統領の警護を任された。というのも、大統領の暗殺を企てている、疑わしき人物が浮上したのだ。その人物はリアリーという素性の知れない男で、演説会場などに何食わぬ顔で出現していた。度々電話でリアリーからフランク宛に連絡があり、その都度、逆探知を試みるものの、巧みな回路操作で居所がつかめず、やきもきするフランク。ところがある日、リアリーの指紋から大変なことが判明する。それはなんと、リアリーは元CIA諜報員で、暗殺を担当していた殺し屋の異名を持つ男だったのだ。主役を演じたクリント・イーストウッドは、可もなく不可もなくと言ったところだ。というのも、70年代~80年代まで長きに渡ってシリーズ化された『ダーティハリー』シリーズの、一匹狼的刑事役のイメージが固定化し、この作品でもベテランすご腕のシークレット・サービスのエージェントというキャラで活躍しているからだ。(正に、イメージ通り)敵役のマルコヴィッチとは、一見、うまく渡り合っているように思われがちだが、完全にマルコヴィッチの主演級悪役に持っていかれている節がある。ある意味、イーストウッドがカバン持ちに徹した作品と言っても過言ではないかもしれない。まずまずの映画だ。1993年公開【監督】ウォルフガング・ペーターゼン【出演】クリント・イーストウッド、ジョン・マルコヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.10.13
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「俺は世間ではつまはじき者だ。神など知ったこっちゃないし、あの世の正義もクソ食らえだ。善も悪も俺には関係ない。・・・これは何だ? 俺の鼻だ。俺の自慢できる唯一の物。クサイと感じたら、ただひたすら鼻を信じる。鼻の調子がよけりゃ真実を見つけ出す」この作品は、冤罪事件を扱ったものだが、その根底には暗に白人至上主義を糾弾する意味合いも感じられる。様々な人種が混在する中で、まだまだ人種差別の越えられない壁があることを訴えている。さすがはクリント・イーストウッドだと思うのは、そういう社会風潮の批判を前面に押し出すことを回避し、どちらかと言えば、主人公のエベレットがなんとか無実の死刑囚の死刑執行を止めさせるまでに奔走する、時間との戦いの方に重点を置いていることだ。そのおかげで陰気で暗い作風にならず、冷静で客観的な作品に仕上げられている。もちろん、そこにはハラハラさせられるストーリーの山場も存在し、充分に計算された構成の素晴らしさも感じられる。カリフォルニア州オークランドに本社のある、トリビューン誌の新米記者ミシェルは、死刑執行の確定したフランクの立会人として出席することになっていた。ところが土砂降り雨の夜、車の運転を誤り、即死。代わりに引き継ぐことになったのは、ベテラン記者であるエベレット。しかし彼は、アル中の前歴を持ち、女性にもだらしない人物だった。上司の妻にまで手を出す女グセの悪さで、記者生命を危うくさせている始末だった。そんな中、死刑囚であるフランクの事件を洗い直してみると、現場の物的証拠と目撃者の証言に大きな誤りがあることを発見してしまう。エベレットは、フランクが無罪であることを確信するのだった。全体を通してすばらしい出来映えなのだが、一つ難をつけるとすれば、やはりクリント・イーストウッドのキャラクター設定であろうか。これまで硬派な役柄が多かったせいか、女性にだらしないキャラは、多少違和感を感じさせる。白人、東洋人を問わず、あの手この手の口説き文句で女性に語りかけるが、長きに渡って演じて来たハリー・キャラハンのイメージが強いせいか、ハード・ボイルド路線からはなかなか変更できない固定キャラが存在してしまう。だがそうは言っても、クリント・イーストウッドの存在感たっぷりの代わりの利かない演技力は、終始一貫輝いていた。1999年公開【監督】クリント・イーストウッド【出演】クリント・イーストウッド、イザイア・ワシントンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.10.05
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「一体どうすりゃいい? もう俺はやめる!」「何かを決める時は、全員でのはずだ」「実験終了だ。暴力行為があった!」この作品については、可もなく不可もなくと言ったところだろうか。内容としては、1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた、心理学の実験をもとにした映画であるらしい。〈スタンフォード監獄実験〉だがこの手の作品は、テレビのドキュメンタリー番組などで度々紹介されており、視聴者の大半が結末をご存知なのではなかろうか。そんな中、作品として盛り上げるためには、やはりもっと劇的なストーリー展開を演出しないと、単調になってしまうものなのだ。例えば冒頭で、主人公が失業する。その後、恋をして、彼女といっしょにインド旅行がしたいという夢を見出す。だがお金がない。そこで日当1.000ドルのバイトに手を出してしまう。・・・というまずまずの滑り出しで物語は展開する。しかしこのあたりはもっと手を加え、最大限ドラマチックにしても良かったのではないか。あるいはトラヴィスに扮するエイドリアン・ブロディは、どこまでもポーカー・フェイスだが、実験途中で気違いじみた行動や、半狂乱になってより一層惨めな囚人役を演出しても良かったのではないか。などと勝手に改善点をあげてしまった。恐縮。人件費削減で、老人ホームの仕事を解雇されたトラヴィスは、他にすることもなく、平和運動などに参加し、その日暮らしをしていた。そこで、チャーミングな女性ベイと出会い、会話がはずみ、やがて恋に落ちる。ベイは近々インドに旅行する計画を立てていた。トラヴィスにもいっしょにインドへ行こうと誘うものの、トラヴィスは失業したばかりで金がない。そんな時、トラヴィスは求人広告を見つける。それは14日間の実験で、日当にして1.000ドルという高額報酬であった。内容は24人の被験者たちが、看守役と囚人役に分けられ、模擬刑務所でそれぞれの役割に徹するというものだった。トラヴィスは、恋人とのインド旅行を夢見て、その実験に参加するのを決意する。看守役のバリスに扮したのは、やっぱりこの人、フォレスト・ウィテカーだ。このオスカー俳優については、申し分ない。実験を行う前と後の、驚くべき人格的ギャップを見事に演じ分けている。一見、スーツ姿のまじめで温厚な人物が、ひとたび看守役としての役割を与えられると、冷酷極まりない非情の持ち主として生まれ変わるのだから、見ていて度肝を抜く。このキャラクターは、フォレスト・ウィテカーのために作られたのではないかと疑いたくなるような、完璧なキャスティングだった。この作品は、ひとえに、フォレスト・ウィテカーによって支えられた映画だった。2010年公開【監督】ポール・T・シュアリング【出演】エイドリアン・ブロディ、フォレスト・ウィテカーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.09.29
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「考えすぎ? それが俺とは組めない理由かい?」「ああ、ダメだね」「なぜ?」「ためらえばしくじる。俺は今度失敗すると終身刑なんだ」正直なことを言ってしまうと、主役の顔ぶれを見ても、B級であることは否めない。演技そのものは味わいがあるし、個性豊かなキャラクターを自然体で演じていて申し分ない。ストーリー展開にしても、ラストは思わぬオチにさげられていて、見飽きた感のある作品とは異なる。だがどうやってもB級なところからは這い上がれない。なぜだろう?こういうのを“花がない”と言うのだろうか?しょせん映画は視覚的な娯楽なので、ハリウッドのトップ・スターや、とびっきりのセクシー女優が登場しないことには、インパクトがないのかもしれない。それにしたって、こういう作品が大好きなコアなファンがいるからこそ、映画業界は支えられているのだが。物語は二人の詐欺師のやりとりを中心に展開していく。要は、ベテラン(?)詐欺師のリチャードが、新米(?)詐欺師のロドリゴをだますのではと予想しながら見て行くと、ラストに来て大どんでん返しが待っているというわけだ。舞台はロサンゼルス。ロドリゴはカジノへ出向いて、ちゃちなつり銭詐欺を働く。ところがだまそうと思ったウェイトレスに気付かれ、騒がれてしまう。そこへ一人の刑事が現れて、逮捕されてしまう。店の外へ連行されると、手錠を外され、実は刑事だと思った男はプロの詐欺師でリチャードと名乗る。リチャードは、ロドリゴを誘い、コンビを組もうと提案する。ロドリゴは、ギャンブルでマフィアに借金をした父の肩代わりをするため、どうしても大金が必要だった。そこでリチャードと大口の詐欺をすることを決意するのだった。裕福そうな邸宅のインターフォン越しに、「オレだよオレ」と言って年寄りをだます手口は、正に“オレオレ詐欺”ではないか(笑)アメリカにも同じような犯罪が横行しているとは、思いもよらなかった。エンディング・クレジットを眺めていたら、なんと製作スタッフの中に、スティーヴン・ソダーバーグやジョージ・クルーニーの名前を見つけた。もしかしたら『クリミナル』は、商業目的などではなく、趣味の延長にあって、あくまで試作のためのビデオ・クリップなのかもしれない。おもしろいことはおもしろいのだが、もう一度見てみたいと思うような、後を引く感覚は皆無だった。2004年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】グレゴリー・ジェイコブズ【出演】ジョン・C・ライリー、ディエゴ・ルナまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.09.25
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「エリザベスを殺したか?」「いいえ」「言い直そう・・・妻を殺したか?」「・・・・!」この作品は、どう考えてもコアなスリラー・ファン向けのような気がする。吟遊映人などは、この手のジャンルが大好きなので、最初から最後までかじり付いて観てしまったクチである。とにかくラストのオチが良い!この手の作品にしては、珍しくスッとするような、あるいはなるほどと、妙に肯定したくなるラストに仕上げられている。作品の根底にあるのは“嘘”という不安定で頼りない観念的なものだ。嘘をつく者、嘘を見破る者、そして嘘をつかれる者の、三者三様が楽しめる内容だ。主役を演じるのは、英国人俳優のティム・ロスだ。以前にも書いたかもしれないが、吟遊映人はこの役者さんと誕生日がいっしょである。 そのせいか、なんとなく親近感を持ってしまう。ロンドン芸術大学で彫刻を専攻していた芸術家肌で、芝居に目覚めたのはその頃のようだ。代表作に「ロブ・ロイ」や「海の上のピアニスト」などがある。TLTという、てんかんに似た発作の症状が出る場面など、ちょっと演技とは思えないティム・ロスの鬼気迫る役作りだ。また、娼婦役でレネー・ゼルウィガーが出演。吟遊映人が大好きな女優さんの一人だ。彼女独特の泣き笑いの表情に、女優としての方向性を感じる。この持ち味を生かした演技は、美貌とスタイルだけで売っている他の女優さんたちとは、格段の差をつけるのだ。ウェイランドは警察署内の一室で、嘘発見器にかけられていた。捜査官はブランクストンとケネソウの二人だけ。容疑は、エリザベスという娼婦が胴体を切断され、惨殺死体で発見された事件についてだった。ウェイランドは資産家の子息で、プリンストン大学を首席で卒業しているエリートだったが、現在は無職で、しかもTLTという持病を抱えていた。緊張からか、何度となく発作に見舞われそうになるウェイランドであったが、嘘発見器にはさほどの反応はなかった。捜査官のうちケネソウの方は、何とかして口を割らせようと躍起になっていたのだが、それには理由があった。この作品で特に注目していただきたいのは、先にも書いたがラストである。ウェイランドが発作を起こして倒れた後、救急隊が駆けつけるシーン。そのうちの一人、黒人男性は作中の別の場面でも登場する。さて、それはどのシーンか?また、ウェイランドの自宅を訪れる葬儀屋も同様に、別の場面で登場する。この一つ一つのパズルを組み合わせていく謎解きが楽しいではないか。一見、イギリス映画のような趣のあるこの作品は、重厚にして見ごたえたっぷりのスリラー映画であった。1997年(米)、1998年(日)公開【監督】ジョナス・ペイト【出演】ティム・ロス、レネー・ゼルウィガーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.09.05
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「多重人格者にはすべてに共通した要因が見られるの。幼児期に精神に深い傷を負って・・・それで別の人格に逃げ込むの。母親に虐待されたとか、父親が暴力を振るったりすると、子供は愛する親がそんな仕打ちをした事を忘れたいと思って、別の人格の中に逃げ込むの。そして何かイヤなことはすべてその人格に押し付けてしまうの」「悪いことはすべてそいつのせいか・・・便利だな」「羨ましがることではないのよ!」ポスト・ヒッチコックとも言えるデ・パルマ監督は、ヒッチコック監督の空間や時間を自在に操ることに関して、ある意味、二人といない後継者のように感じられる。本作においても、デ・パルマ監督お得意の“長回し”が見受けられる。場面で言うと、ウォルドハイム博士という女性医師が、二人の刑事とともに警察署内を歩き回る(エレベーターに乗り、その後階段から廊下までを歩く)ところを、カットなしでずっとカメラを回し続けるという手法である。その間、もちろん役者さんはセリフをミスなく言い続けるのだから、なかなか大変なシーンだと思う。こういう手法を見ると、さすがは映像主義のデ・パルマ監督のことだけはあると、感心せずにはいられないのだ。一人娘のエミーを溺愛する、児童心理学者のカーター・ニックスは、2年前から育児休業を取り、専業主夫となる。そんなカーターは、しかし子供の心理に関して異常な興味を抱いており、まるでモルモットのように観察し続けるのだった。バレンタイデーが近づいたある日、カーターの妻であるジェニーは、プレゼントを買いに雑貨店でオルゴール付きの時計を見ていた。すると、かつての恋人であるジャックとばったり出くわしてしまう。ジャックは、今でも好意を持っていることをジェニーに告白すると、自分が泊まっているホテルの名を告げ、立ち去る。ジェニーは、再び恋心を募らせるのだった。「レイジング・ケイン」は、要所要所でヒッチコック監督の金字塔でもある「サイコ」の影響が見受けられる。まず、主人公からしてその設定が多重人格者であること。幼少期の両親との関係が、主人公の人格形成に何らかの影響を及ぼしているのだ。さらに、死体を遺棄するために、車を沼に沈めるシーンなどは、オリジナルよりもっと過激な恐怖感を煽る演出となっている。世界中にたくさんのヒッチコック・ファンが存在するのは確かだが、このデ・パルマ監督という人も、実はヒッチコック作品が好きでたまらないファンの一人かもしれない。単に模倣しているのではなく、尊敬してやまないヒッチコック作品へのオマージュとも受け取れる。スリラー好きには外せない作品の一つであろう。1992年公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】ジョン・リスゴー、ロリータ・ダヴィドヴィッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.09.01
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「今朝“特別サービス”があったの。頭に来たわ。・・・いけないかしら?」「いや・・・そのことを彼に言った?」「何を?」「君が怒ってると」「言ってないわ。反って、あえいでみせたわ。男は喜ぶでしょ?」やっぱりスリラー映画はこうでなくちゃ!そう思えるのが「殺しのドレス」である。もともとヒッチコック監督に傾倒していたデ・パルマ監督は、密室での殺人を猟奇的に、しかも緊張感を煽る演出で表現することに重点を置いたようだ。ヒッチコック監督の「サイコ」では、バスルームで女性がナイフの攻撃を受けるという、かなりショッキングな密室劇であった。なにしろ無防備な全裸状態で、そこにきて逃げ場のない閉所。そんな状況でいわれのない殺人行為がおこなわれたら、それはもう恐怖以外のなにものでもない。一方、「殺しのドレス」における殺人現場は、エレベーターの中である。バスルーム同様に閉所で、人目につきにくく、密室状態だ。だが「サイコ」におけるバスルームでの殺人シーンと比較すれば、エレベーター内ではインパクトの点でやや劣るかもしれない。ホラーやスリラーの類は、どちらかと言うとB級映画に区分されがちだが、非日常の究極をドラマ化すれば、必ずそこへたどりつく。本当の娯楽映画は、強烈なインパクトと出し抜けのストーリー展開に秘められているからだ。舞台はニューヨークのマンハッタン。何不自由なくセレブな生活を送るケイトは、夫婦生活に問題を抱えていた。夫との交渉に性的な満足を得られないでいたのだ。かかりつけの精神科でも、ケイトは性の不一致に関する不満をこぼすのだった。ケイトの一人息子ピーターは、機械マニアで、夜も眠らずに科学コンテストの出品作を製作していた。そんなピーターに理解を示しつつも、ケイトは一人寂しくメトロポリタン美術館に出かけて行く。だが、美術館でケイトは見知らぬ男から熱い視線をおくられる。そして、挑発的な誘いに乗ってしまうのだった。吟遊映人は大のヒッチコックファンで、デ・パルマ監督には恐縮だが、スリラー映画としては、本作はやはり二番煎じのような感想を持ってしまう。だが、ヒッチコック監督にはなくて、デ・パルマ監督にあるものと言えば、ズバリ“妖艶さ”であるかもしれない。様々なカメラワークやトリックを駆使したヒッチコック監督も、女性の艶めかしさや色気にまでは、あまり追求しなかったようである。その証拠に「殺しのドレス」には、ケイトの着る真っ白なドレスが鮮血で汚れるシーンや、肉感のある女性の太腿、臀部などが耽美的に映し出される。このコントラストは、デ・パルマ監督らしい趣向と仕掛けなのではと思った。“ポスト・ヒッチコック”として、最高にして良質なスリラー映画であった。1980年(米)、1981年(日)公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】マイケル・ケイン、アンジー・ディキンソンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.20
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「いい色に焼けたな」「焼いてきたの」「よかったな。誰と行った? 誰と一緒だった?」「一人よ」「一人で出かけたとは信じられんな」80年代前半は、日本もアメリカも好景気に沸いた時代だ。当時、流行した音楽やファッションからも分かるように、軽薄で上っ面なノリが世間を横行した。人々は陽気で明るく、ファンキーな時間が永遠に続くのだと勘違いしてしまった。だが、80年代も半ばを過ぎてみると、感受性の強い一部の人々は、このままじゃダメだと思い始める。真面目とか朴訥さを小バカにして来た向こう側の人々が、いよいよ慌て始めたのは90年代に突入してからだろう。正に、映画の世界では、この時代の世相が鋭く反映されることとなった。「追いつめられて」の主人公トム・ファレルに扮したのはケヴィン・コスナーだが、このキャスティングも肯ける。ニコラス・ケイジではなく、ケヴィン・コスナーである理由。それは、外見からかもし出される真面目さ、朴訥さのあるなしに他ならない。バブル期の終焉とともに、ケヴィン・コスナーが頭角を現すのだ。代表作に「アンタッチャブル」や「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「JFK」などがあるが、どれも一貫して正義とか誠実とかあるいは実直などのイメージがピタリとあてはまる。正に、ケヴィン・コスナーのハマリ役であろう。そういう路線にケヴィン・コスナーという役者さんを配置してみると、本作「追いつめられて」もまずまずの適役と言えるだろう。海軍将校トム・ファレルは、国防長官ブライス氏の秘書であるスコットと友人関係であった。トムは、スコットの招待で長官就任のパーティーに呼ばれる。会場で、トムは目の覚めるような魅力的な女性・スーザンと出会う。スーザンと深い関係になっていく中で、トムはスーザンが援助を受けている愛人の存在に嫉妬する。そんな中、スーザンの愛人であるブライス氏が、突然アパートを訪ねて来る。慌ててトムは裏口から逃げるが、スーザンとブライスの間では押し問答になっていた。 ブライスは思わずカッとなり、スーザンに対し暴力を奮う。そして成り行きで二階から彼女を突き落としてしまうのだった。作品の構成として残念なのは、やはり事件につながるまでの冒頭部が、やや間延びして感じられるところだろう。サスペンス色が出て来るまでに、かなり時間がかかっているような気がした。共演のジーン・ハックマンもすばらしい。悪役ながらも、正統派としてのイメージが全面に出ていて、ケヴィン・コスナーの個性を上手く引き出しているように感じられた。心理的緊張感にあふれるとまではいかないが、80年代にあって、真面目な(?)サスペンスという点で評価したい作品なのだ。1987年(米)、1988年(日)公開【監督】ロジャー・ドナルドソン【出演】ケヴィン・コスナー、ジーン・ハックマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.12
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「渡辺くん・・・爆弾を作ったのもスイッチを押したのも・・・あなたです」「うわーっ!! (号泣)」「・・・これが私の復讐です。本当の地獄。ここから、あなたの更正の第一歩が始まるんです」本作を鑑賞して、嫌悪をもよおす方々がいる一方で、罪を犯した少年たちへの懲らしめとして、肯定的な方々もおられることは確かだ。「告白」は、湊かなえの同名小説を原作としたサスペンス作品であるが、少年犯罪をテーマとしていることもあり、単なる謎解きミステリーとは一線を画す。R-指定だが、思ったほど残虐なシーンはない。むしろ、因果応報たるストーリー展開に、然り然りと肯いてしまう自分さえいるから恐い。少年犯罪というと、年々増加傾向にある、と思っている方々がほとんどであろう。しかし、実は減少傾向にあるのだ。逆に、戦前・戦中・戦後の治安が不安定な時代の方が、少年による凶悪な強盗殺人事件が横行した。その際、圧倒的に占めた動機は、飲食するための金欲しさとのこと。さらに、犯行に及んだほとんどの少年たちが、ろくに教育を受けていなかったという環境が背景にあった。ところが昨今の少年犯罪は、動機もさることながら、質的にも複雑化している。なまじ少年法という枠組みに守られているから、被害者遺族はヤラレ損の泣き寝入りがほとんどなのだ。本作は、復讐の鬼と化した、ある女性教師の物語である。S中学校1年B組の担任である森口悠子は、シングルマザーだった。当初、結婚する予定だった相手の桜宮正義は、熱血先生としてメディアでも取り上げられ、何冊も著書を残している著名人。ところが若かりし頃、海外を放浪しながら乱れた生活をしているうちに、HIVに感染。 生まれて来る娘の将来を思い、入籍するのを辞めた。その後、生まれて来た娘・愛美は、悠子のもとで育つが、ある日、学校のプールで溺死体として発見される。悠子が調べたところ、犯人は中学生の男子二人。少年Aと少年Bは、悠子のクラスの生徒であった。悠子は、教師を辞めるのと引き替えに、その二人に対する復讐を始めた。内容は、過去に起こった少年犯罪をモチーフにしており、あながちあり得ないことでもない人物設定であったため、よりリアリティを感じることが出来た。幼い頃に虐待を受けながらも、生き別れた母親の愛情に飢える渡辺。逆に母親から溺愛され、その存在を疎ましく思いながらも、一方で依存心の強い下村。 さらに、家族を次々と毒殺したというルナシー(通称)を崇拝すらしている、学級委員の北原美月。それぞれが現代の闇を内包し、狂信的な暗さを漂わせていた。憂鬱さを伴いながらも、目には目を、歯には歯を持って罰せられていくプロセスに、ある種の快感を覚える作品だった。2010年(日)、2011年(英)公開【監督】中島哲也【出演】松たか子、岡田将生、木村佳乃また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.08.04
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「妻いわく、人には2種類ある。快楽を求める者と、痛みから逃れる者・・・その通りかもしれない。ただ私は確信している。快楽は記憶を消し去るが、痛みは・・・希望を抱かせる」本作は日本において劇場未公開であることや、雰囲気的にも地味めであることなどから、いわゆるB級モノなんだろうと思われる。クレジットでは一応主役のラッセル・クロウも実際は特別出演的で、本来の主役は若い男女の役者さん二人が物語の軸になっている。だがこの作品、なかなかどうしてコアなサスペンス好きを唸らせる、凄いストーリー展開だ。英語のタイトルは“Tenderness”で、敏感とか扱いにくさ、の意である。つまり、多感な思春期のとんがった部分を観念的に表現しているのだろう。少年エリックの特殊なフェティシズム。それはヒスパニック系の女性に異常な興奮を覚え、殺人と暴行に快楽を求めるものだ。 そういう精神異常を母親に悟られてしまった時、エリックの行動はもはや常軌を逸していた。一方、母子家庭に育った少女ローリは、母親の恋人から性的いたずらを受け、その事実を母親にも言えず、孤独に耐えながらも自虐的な日々を送っていた。そんな若い二人の異なる性質がぶつかりあった時、果たしてベクトルはどういう方向へ向かうのか。それが本作のテーマであろう。舞台はニューヨーク市の郊外。テレビでは、両親殺しの少年エリックが釈放された報道で持ちきりだった。というのも、エリックは血液検査の結果、抗うつ剤を服用していたことが分かり、情状酌量となったのだ。一方、母親とその恋人の男と暮らす16歳の少女ローリは、もう何もかもがイヤだった。 自分を変えたい、それが叶わないのならいっそ消えてなくなってしまいたいと思っていた。そんな中、ローリは山中で偶然見かけてしまった殺人現場のエリックの犯行を忘れることができず、こつこつと新聞の切り抜きなどをスクラップしていた。そして、エリックが出所の日を待ちに待っていたのだ。いろいろな見方があると思うが、単なる16歳の少女ローリの自殺願望なんかではない。 誰かに必要とされ、愛されたくて仕方のない少女が、殺人鬼エリックの手により殺害されることで、自分の存在価値を確かめたいのだ。だがエリックはローリなどは鼻にも掛けない。自分の快楽の対象ではないからだ。この辺りから少女ローリの複雑な心理が視聴者を驚かせ、混乱させる。本作は、もしかしたら思春期の若者の扱いにくさをテーマにしたかっただけなのかもしれない。だがそれさえも深く陰鬱で、青春の蹉跌に苦悩する人間の赤裸々な姿に絶句を禁じえないのだ。賛否両論ある作品であろう。2008年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ジョン・ボルソン【出演】ラッセル・クロウ、ジョン・フォスター、ソフィー・トラウブまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.07.25
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「本気でブラウン氏が犯人だと思ってるのですか?」「病院に連絡したら、(彼は)抜け出したそうよ」「もう我々は担当外です」「彼は団地に戻るはずよ・・・ノエルを殺すために」「だから何だと? ノエルは生きてる価値もないヤツです。殺されたほうが好都合だ!」 イギリス映画は、正直なところ陰気なモノが多い。それだけにテーマはハッキリしているし、格調高いことは言うまでもないのだが、観終わった後の重い気分はいかんともしがたい。本作の冒頭部など、しょっぱなからショッキングなシーンで始まる。なんと、クスリでラリっている不良少年らがバイクに二人乗りして、ベビーカーを押す若い女性とすれ違ったところ、いたずら半分に銃を乱射するのだ。その際、誤って女性に当たってしまい、少年らはヤバイとばかりに逃走。ところがあわをくって大通りに出たところを逆に車に追突されてしまうのだ。ここは正にドキュメンタリータッチのカメラワークで、ちょっと気分が滅入る。これまでイギリスの治安状況について考えることはなかったが、この作品を観ると、いよいよ深刻な状況であることが想定される。ドラッグ中毒から引き起こされる犯罪は、今も昔も変わらないようだ。(60年代の米・英を席捲したサイケデリックは、社会問題にもなった)元英国海兵隊のハリー・ブラウンは、すでに退役し、公営団地で細々と余生を過ごしていた。入院中の妻は、すでにハリーのことを認識できておらず、明日をもしれない容態だった。 公営団地の治安は最悪で、不良少年らのたまり場となっていた。地下道では公然とクスリの売買が行なわれ、暴行や恐喝などの犯罪の巣窟と化していた。 ある晩、病院から緊急の電話が入り、ハリーは雨の中、駆けつけるが、例によって地下道は危険なため迂回して病院まで出向く。だがそのせいで、妻の死に目に間に合わなかったのだ。主人公ハリー・ブラウンは元英国海兵隊に所属し、北アイルランド紛争では修羅場をくぐって来た人物、という設定。この役に扮したのは、英国人俳優であるマイケル・ケインである。堂々とした風格で、存在感たっぷりだ。吟遊映人が個人的にカッコイイと感じたのは、不良グループの一人を捕まえて、ハリーの親友レンを殺害した主犯格を吐かせるシーンだ。これまで口にしたことのなかった海兵隊時代のことを話すのだが、戦友が目の前で死んでいく姿を淡々と語るのだ。この脅しは効果覿面で、男は縮み上がってしまう。本来の意図は全く違うところにあるかもしれないが、マイケル・ケインの他を寄せ付けない演技の魅力に、どっぷりと浸かるのも一興であろう。2009年(英)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ダニエル・バーバー【出演】マイケル・ケイン、エミリー・モーティマーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.07.09
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「あなたは彼女にタイーシャを演じさせたのね。そしてやらせ番組で賞を取った」「エラ・・・」「脅されてたんでしょ? バッファローから(彼女が)追って来て、ウソを暴くと脅され、口を封じるために始末した」「僕を愛してるだろ?」「何もかもウソだったのね・・・」どう言ったら良いだろう。本作に関して率直に言わせていただくと、B級モノに片足を入れたような・・・そういうスリラー作品である。なぜそんな言い回しをしたかと言うと、ラストのヒロインの一言、これはマズイ。品性も何もあったものではない。社会派サスペンスと謳っている宣伝文句も、説得力に欠けてしまった。さらに、主人公C.J.ニコラス(報道リポーター)とエラ(検事補佐官)との関係だが、深い関係になり、お互いをかけがえのない存在であると思えるほどに持って行くまでのプロセスが弱い。ここを丁寧な脚本に仕上げないと、エラが上司の目を盗み、命を狙われてまでC.J.ニコラスに尽くすシーンの辻褄が合わなくなってしまうのだ。しかし、そうは言ってもこういうどんでん返し的ストーリー展開を好む方々はたくさんいるだろう。スリラー作品としては、鑑賞に充分耐えられるかと思われる。報道リポーターとして第一線で活躍することを夢見るものの、C.J.ニコラスの思うようにはならず、苦悩していた。そんな中、地元の敏腕検事であり、次期知事選に出馬するとの噂の高いマーク・ハンターに目を付ける。ハンターは不思議にも、判決を勝ち取る最後の切り札として、証拠品をギリギリになってDNA鑑定に持ち込むという手法だった。C.J.ニコラスは、そこに何か漠然とした不自然さを感じた。そしてそれは的中し、捏造であったことが明らかになる。それもこれもC.J.ニコラスは、ハンターの下で検事補佐官として働くエラと懇意になり、事件現場の記録テープを入手することに成功したのだ。本作では、さすがに第一級の演技を見せてくれるマイケル・ダグラスに感謝しなくてはならないだろう。80年代では「危険な情事」そして「ウォール街」でその名を不動のものにし、90年代では「氷の微笑」で女性に翻弄される役がすっかり板についた。悪役なのに堂々としていてカッコイイ。観る人を引きつけ、キレのある演技で存在感のあるマイケル・ダグラスは、本作において唯一の救世主的存在かもしれない。ストーリー展開の上で、賛否両論の分かれるスリラー作品であろう。2009年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】ピーター・ハイアムズ【出演】ジェシー・メトカーフ、アンバー・タンブリン、マイケル・ダグラスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.07.01
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「銃を下ろせ! 下ろすんだよ、フレディ! なぜ殺したんだ!?」「あんたたち(アメリカ人)に、この国のことは決めさせない」本作は、言わずと知れたマット・デイモンの出演により、躍動感のあるアクションと重厚にしてキレのある演技に完成されていた。メガホンを取ったポール・グリーングラス監督とも、ピッタリと息が合っているのが分かる。と言うのも、グリーングラス監督の代表作である「ボーン・スプレマシー」や「ボーン・アルティメイタム」においても、マット・デイモンとはタッグを組んでいるからだ。どこまでも完璧さを追求する英国人監督を納得させるマット・デイモンという役者さんは、申し分なく一流俳優と言えるだろう。本作について一つだけ難を言えば、すでに冒頭のところで最後のオチが分かってしまったことだろう。ストーリーの流れとしては、アメリカ軍がイラク政府の隠す大量破壊兵器の在り処を、必死で捜索するというものだが、たいていの視聴者が“そんなものは存在しなかった”というオチを知っていることだ。これはサスペンス映画としてみたら、謎解きの楽しみを半減させてしまっている。実に残念でならない。ただ、この作品をアクションモノとして鑑賞するのであれば、完成度の高い映画であることは間違いない。イラクに駐留するアメリカ軍のMET隊は、イラク政府の隠した大量破壊兵器を捜索していた。ロイ・ミラー上級准尉は、確かとされる情報をもとに度々戦闘をくり広げるが、3度目の空振りに合うと、情報の出どころに疑問を抱き始める。そんな中、地元イラク人男性のフレディが、イラク政府の要人が集まるアジトを見つけたと情報をもたらす。フレディは、戦争により片足を失い義足を装着していたが、英語が堪能なことから通訳として採用するのだった。この作品の評価すべきところは、やはりラストであろう。吟遊映人が目を見張ったのは、最後の最後に来て、義足のイラク人フレディが決着をつけたシーンである。この場面をどう捉えるかで、作品の印象はかなり違って来るに違いない。正義の味方という立場を死守するアメリカではあるが、本作では見事にそれを裏切ってくれた。一見、アメリカはイラクに対し、救いの手を差し伸べて、優しい微笑みさえ浮かべる救世主的存在を誇示するが、実はそれは国家ぐるみの偽善でしかない。イラク戦争で辛酸と苦杯を嘗めたイラクの一般市民にとっては、正義をかざすアメリカ人と言えども、部外者にほかならない。アメリカ映画でありながら、自国をシニカルに描くことができたのは、やはり英国人監督の気質であろうか。アクション映画として評価したい、臨場感あふれる作品だった。2010年公開 【監督】ポール・グリーングラス【出演】マット・デイモン、エイミー・ライアン、グレッグ・キニアまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.02.25
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「紳士淑女の皆様、ゲームは終わりました。このポワロは闇に隠された一連の殺人事件の真相を解明した。私は偏見を持って捜査を開始したのでした」このところエジプトの社会情勢が、余り良くない。長きに渡って強力な特権を固持して来た、ムバラク大統領に反発するデモが続いているのだ。悠久の歴史を誇るエジプトも、今やますます格差が広がり、支配者層への不満が募っている。また、高い失業率に対する不安や貧困も、治安の悪化に拍車をかけているのだ。本作「ナイル殺人事件」は、そんなエジプトを舞台にした本格ミステリー作品なのだ。 イギリスの女流作家として有名な、アガサ・クリスティーの書いた「ナイルに死す」が原作となっている。本作はタイトル通り、ナイル河を遊覧する豪華客船内で起こった殺人事件を解明していくストーリーである。作中、惜しげもなく登場するピラミッドの幾何学的光景、さらには文化・伝統を誇示するスフィンクスなど、数々の彫像に心を奪われる。演出とは知りつつも、何気なくピラミッドによじ登っていく役者の、清々しい横顔に、思わず羨望の想いがよぎる。それほどの鮮やかな歴史の遺産に恵まれたエジプトを舞台にした作品が、つまらないわけがない!アメリカの資産家の令嬢リネットは、友人ジャクリーンの婚約者であるサイモンを略奪する形で結婚する。リネットとサイモンは、新婚旅行のため豪華客船に乗り、エジプトへと旅立つ。ジャクリーンは、サイモンに対する未練から、二人にストーキング行為を繰り返し、半ば嫌がらせのように付きまとう。たまたま同船に乗り合わせた私立探偵エルキュール・ポワロの存在を知ったリネットは、ジャクリーンを何とかして欲しいとポワロに依頼する。しかしポワロはこれを断る。その後、リネットが寝室で撃たれて死体となって発見されるのだった。こうして見てみると、出演者の顔ぶれも錚々たるものだ。奔放な作家の母親を持つ、清純な淑女ロザリー役に扮したのはオリヴィア・ハッセーだが、この女優さんなんと日本の歌手・布施明と結婚歴があり、一児を設けている。(その後、離婚している)また、看護士役として登場するマギー・スミスは、オリヴィア・ハッセー同様にイギリスを代表する女優さんであり、代表作の「眺めのいい部屋」で英国アカデミー賞を受賞している。最近の出演作に「ハリー・ポッター」シリーズがある。この作品に登場する女優さんたちの迫真の演技は、時代を越えて、何ら違和感を覚えず、思わず惹き込まれてしまう。天下無敵のミステリー作家アガサ・クリスティーの作品中、群を抜いて完成度の高い「ナイルに死す」は、滔々と流れるナイル河に寄せて、悠久の国家エジプトを格調高く優雅に描写した小説だ。そんなエジプトの昨今の不安定な情勢は、残念でならない。聞くところによると、何やら街では文化財の倒壊や、商店の略奪などが横行しているとのこと。とにかく、一日も早い解決と安定した国家に落ち着くことを願ってやまない。1978年(米)公開【監督】ジョン・ギラーミン【出演】ピーター・ユスティノフ、ミア・ファロー、サイモン・マッコーキンデールまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.02.01
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「何もかもあんたに教わったが、一つだけ抜けてた。それで悩んでる。聞いてくれ。(ここに)赤と青の線がある。片方を切れば絶縁で、もう一つは起縁する。この判断で間違いないか」「正解だ」「時間がない」「あと約3分だ」「青を切る。部下が待機してるから。私が間違えばわかるだろう」時代というのは本当に残酷なものだ。あのころ若かった、美しかった、何もかも素晴らしかった・・・。人はいつも古き良き時代に万感の想いを込める。映画にしても、アナログを愛する通たちからすれば、CGなしの本物の迫力に勝るものはないと言うに違いない。でも待てよ。実際そうだろうか?これだけ情報が氾濫している昨今、視聴者が求めるのは、臨場感に溢れたリアリティではなかろうか。本作「ジャガーノート」は、すでに37年も前の作品でありながら、映画通100人の評価を受けたイギリス映画とのこと。(“TSUTAYA発掘良品”に掲載記事あり)正直なところ、時代性は拭えない。現代人の追求するリアリティには、今一つの感もある。だがそれは仕方のないことなのだ。注目すべきはそういう点ではないことを、まず言っておこう。豪華客船ブリタニック号は、サウザンプトン港から華々しく出港した。ところが航海中、あいにくの悪天候に見舞われ、1200人の乗客は不調ぎみ。しかも悪いことは続くもので、船長のもとに一本の速報が入る。なんとジャガーノートと名乗る男が、ブリタニック号に時限爆弾を仕掛けたと言うではないか。期限は翌朝8時10分まで。犯人の要求は50万ポンドの身代金であった。ところが政府と軍は、あくまでもテロに屈しないという強気の姿勢を取り、軍の爆弾処理班が出動し、船内に仕掛けられた7つの時限爆弾の処理をすることになったのだ。本作を手掛けたリチャード・レスター監督は、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来る。ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を大ヒットさせた巨匠である。また、ペンシルベニア大学卒の秀才であり、吟遊映人が見たところ、頭脳派監督のような気がする。緻密なアクション、本格的なスタント、自然なセリフの流れなど実にバランスの取れた完成度の高い作品であったからだ。出演している役者らの顔ぶれも見事。若きリチャード・ハリスやアンソニー・ホプキンスを拝むだけでも、何やらご利益にあやかりそうな気がする。映画通の評価を鵜呑みにしてしまうのは危険だが、時代を揺るがせた作品として、実力派俳優たちの立居振舞いからセリフに至るまでをじっくりと堪能するのは、有意義なことであろう。1974年(英)公開【監督】リチャード・レスター【出演】リチャード・ハリス、オマール・シャリフ、アンソニー・ホプキンスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2011.01.25
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「人の作った物は破滅にもつながる。アメリカも学んだだろう」「(私は)正しい選択を促せたと思います。少なくとも今回は」「そうか」「・・・そう信じています」これだけ情報量の溢れた社会になると、同じ恐怖感を植えつけるにしても、ソンビやモンスターでは驚かなくなって来ているのだろう。唯一絶対の神を信じているお国柄でも、いかにも人間サマが作りましたと言わんばかりのお伽話には、限界を感じ始めたということか。そこで最近の主流と言ったら、人間の作り出したハイテクが一人歩きを始め、やがて人間の支配下から独立して意思を持ったコンピューターが出現する、というものだ。この発想はあながちありえなくもないだろう。リアリティの面から言ったら、墓場から死体が生き返る恐怖より、コンピューターによって世界が支配されるという方が、より身近なものに感じられるからだ。本作「エネミーオブUSA」も、アメリカにおける軍事情報システム“エシュロン”が、あまりの高性能さゆえに、コンピューター自らが意思を持ち始めるという内容なのだ。ビジネスでタイのホテルに滞在中、マックス宛にケータイが送られて来た。そのケータイには、送信者の分からない相手から、度々メールが届いた。内容は、ホテルの宿泊費半額キャンペーン情報に始まり、株の儲け話に至るまで、マックスには思いがけずもラッキーな話題ばかりであった。そんな中、カジノで、ケータイに届くメールの指示通りにチップをかけていたところ、やっぱり大儲け。イカサマではないかと警備員のジョンに目を付けられる。一方で、やはりそのケータイを手にしたマックスを、FBIのグラントが追跡しているのだった。作中には、追って追われてのカーチェイスシーンもあり、それなりにアクションとしておもしろい演出になっている。出演している役者陣は、正直な話、一流どころではないかもしれないが、自然な演技で充分観るに耐える。「エネミーオブUSA」は、作品としてどうしても二番煎じ的なところが目立ってしまい、新しさに欠ける。だが、映画という娯楽が自然と現代の有り様を反映する代物だとしたら、本作を鑑賞することで、アメリカの大衆が何を危惧しているのかがよく分かるだろう。徹底した娯楽を追求するアメリカ人が、観客に身近な恐怖を与えるために扱ったテーマが、“ハイテクノロジーの危険性”であるというのは、なんとも社会性を帯びているではないか。現代社会の人間のあり方、恐怖を理解する上で、なかなか有効な作品であると思った。 2009年(米)公開 ※日本では劇場未公開【監督】グレッグ・マルクス【出演】ジェーン・ウェスト、エドワード・バーンズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^
2011.01.09
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「たまには優しい言葉を(かけてよ)」「何度も言ってるだろ。俺が愛せるのはお前だけだ。それが不服か?」「もういい、忘れて」「お前がこの不死の夢を形にする手助けをした。百通りの人生を生きる俺の栄えある証人がお前なんだ」この作品に恐怖を覚えるのは他でもない。動機が不明でどんな利益があっての殺害なのかが、全く分からないからだ。普通一般的には、例えば復讐心だったり、利害にからむことだったり、あるいは精神に異常があったりなどが殺人の伏線として挿入される。だが「パーフェクト・ゲッタウェイ」は、幸せな新婚夫婦の、記念のビデオ撮影から始まるため、ついつい主役二人に感情移入してしまい、単純に物語の内幕を探ろうとしてしまう。そうしたところ、ストーリー半ばに差し掛かっても犯人がよく分からない。そういった読めないストーリー展開ほど、恐怖を煽るものはない。サスペンスモノとしては、成功していると言えよう。ハワイのカウアイ島を訪れたクリフとシドニー。二人はハネムーンのために、ハワイで最も美しいと言われるビーチを目指していた。途中、ケイルとクレオというカップルが、クリフらの乗る車をヒッチハイクして乗り込んで来たが、二人の素行の悪さが気になり、結局車から降りてもらう。その後、クリフらは成り行きで、たくましくワイルドなニックとジーナというカップルと出会い、行動を共にする。ところがそんな中、観光中の若い女性らから、オアフ島で新婚カップルが惨殺されたという情報を聞くのだった。本作の主人公シドニー役に扮するのは、ミラ・ジョヴォヴィッチである。この女優さんは、あどけなさの中に何やら秘めた魔力を持ち合わせているようで、いつも一目置いてしまう。代表作に「ジャンヌ・ダルク」や「バイオハザード」シリーズがあるが、一心不乱に立ち向かって行く姿は、正に狂気の沙汰で、映像の世界といえども度肝を抜いてしまう迫力なのだ。もう一人の主役スティーヴ・ザーンは、本作においてクリフ役として出演しているが、この人物、実はコメディアンなのだとか。そう言われてみれば、役柄もどこか滑稽で垢抜けない三枚目で、メガネがずり落ちそうな雰囲気を上手い具合にかもし出していた。「パーフェクト・ゲッタウェイ」は、なかなか読めないストーリー展開と、煽られる恐怖感で、スリラー好きには申し分のない一作であった。2009年(米)、2010年(日)公開【監督】デヴィッド・トゥーヒー【出演】ミラ・ジョヴォヴィッチ、スティーヴ・ザーンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.12.13
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「神様について聞かれたわ」「どう答えたの?」「(神様を)“信じてない”って答えた」「なぜ、そう答えたの?」「神様がいるなら、パパを死なせないもの」この止まらない恐怖感と言ったらない。これは真夏の暑い盛りに観るのがちょうどいい。晩秋の夕暮れ時なんて、間違っても見るものじゃない。観終わった後のどうしようもない恐怖感と、大切なものを全て失ってしまったような喪失感は、なかなか消えるものではなかった。そして、ある一つの命題に行き着く。それは、神の存在理由は悪魔の手から人間を守るためである。つまり、神が存在すれば必ず悪魔もセットで存在するということなのだ。もっと噛み砕いて言えば、神とは人間の科学や、事実としてこの世に明らかにされた光の世界であり、悪魔とは人間の業というものか、憎悪であったり復讐であったりアンダーグラウンドな闇の世界なのだ。それはいつも背中合わせで、お互いが忠実にバランスを保って存在している、摩訶不思議なものなのだ。どうしてそんなことを突然思ったのかと問われれば、本作「シェルター」を観てそう思ったとしか答えようがない。超常現象なんて全く信じていなかった吟遊映人も、なにやらにわかクリスチャンに改宗したくなってしまった。精神分析医のカーラは、同業の父親からデヴィッドと名乗る男の患者を任される。デヴィッドは、電話のコール音に反応し、別人格が現れるという多重人格障害の傾向があった。ところがカーラは、解離性同一性障害を認めていないため、度々父親と意見が衝突する。 そんなある日、デヴィッドのカルテを元に身辺を調査するうち、デヴィッドはすでに25年も前に亡くなっていたことが判明するのだった。主人公のカーラ役に扮するのは、ジュリアン・ムーアであるが、この女優さんは今年50歳とは信じられない美貌だ!代表作の「ハンニバル」では、ジョディ・フォースターに代わりクラリス役を見事に演じ、各界から好評を博した。ボストン大学卒の才女であることがうかがえるインテリなムードは、本作における精神分析医というキャラクターでも、ムリなくマッチしていた。さらに、デヴィッド役のジョナサン・リース=マイヤーズの狂気の沙汰は、とても演技とは思えない鬼気迫るものを感じた。首が直角に折れ曲がってしまうところなんか、「エクソシスト」を彷彿とさせるが、決して過度な演出にならず、作品のおどろおどろしさを際立たせることに成功していた。これから年末に向けて、この作品のレンタルを考えている方にはぜひともご忠告申し上げたい。あったかい部屋で、なるべくご家族と一緒に鑑賞することを。戦慄の恐怖が、あなたを襲うことだろう。2010年公開【監督】モンス・モーリンド【出演】ジュリアン・ムーア、ジョナサン・リース=マイヤーズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.11.20
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「ミス・オルソン、いつからその教団に(所属されているのですか)?」「5年になります。昔は夏には病気がちでした。庭の芝生に座っていると、空にイエス様のお姿が見え、まわりには大勢の子供たち。・・・みんな黒い肌の子です。“お告げ”でした。それで肌の黒い子の世話をシガモで(していました)」これほどまでに有名な作品であるにもかかわらず、吟遊映人は未見であった。わざと見なかったわけではなく、なんとなく機会を逃していたに過ぎないのだが。(一つには、サスペンスものでありながらヒッチコック作品ではなかったこともあるかもしれない)本作は、アガサ・クリスティ原作の「オリエント急行の殺人」を映画化したものであるが、何がスゴイかって、それはもう豪華キャストの顔ぶれだ。アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマン、どの役者さんも主役クラスの達人である。本作において、イングリッド・バーグマンがアカデミー賞助演女優賞を受賞しているが、なるほど、主役を食ってしまう勢いのある演技力であった。そもそも吟遊映人は、ヒッチコック作品の大ファンで、映画に興味を持ち始めたきっかけはそこに始まる。ヒッチコックという人は、とにかく好き嫌いのハッキリした英国人であるから、自分のお眼がねに叶った女優さんは繰り返し起用することで有名だ。その女優さんの一人が、本作にも登場しているイングリッド・バーグマンである。このイングリッド・バーグマンの代表作には、「カサブランカ」や「ガス燈」などがあるが、どれも素晴らしく、演技を超えた演技に魅了尽くされ、吟遊映人などはいまだ「好きな女優さんは?」と訊かれると迷うことなく「イングリッド・バーグマン」と答えている。ハリウッド界において美容整形はごく日常茶飯事的な行為であるにもかかわらず、このイングリッド・バーグマンに限っては、死ぬまで顔をいじらせなかったことで有名なのだ。さらに、被害者の秘書役として登場するアンソニー・パーキンス。この人もヒッチコック作品である「サイコ」において、見事な犯人役を演じ、一躍脚光を浴びた人物である。この役者さんはとにかく異常なまでの異常者役(?)がハマっていて、外見からかもし出される好青年ぶりのせいか、まさかの犯人役と分かった時、余りにもかけ離れたギャップが視聴者の度肝を抜かせるのだ。そんなアンソニー・パーキンスだが、コロンビア大学卒のインテリ俳優であることをお断りしておこう。オリエント急行で旅をしている探偵のエルキュール・ポアロは、鉄道会社の重役をしている友人の好意で、一等寝台車に乗り込むことが出来た。イスタンブールを出発して数日後、バルカン半島は雪に覆われ、列車はやむなく停車する。そんな時、ポアロと同じ一等車に乗るアメリカ人、ラチェント・ロバーツが死体となって発見される。ポアロは、私立探偵としての腕を見込まれて、事件の真相を解明するように依頼されるのだった。列車内における密室殺人トリックみたいなものは、その後どんどん小説やドラマ化され、今では決して珍しいものではなくなった。そのため本作を観た後、若干の時代性を感じないでもないが、それよりもむしろ華やかな役者陣の顔ぶれを楽しんでいただきたい。すでにこの世の人ではない往年のハリウッド・スターが、スクリーンの中ではさり気なく一堂に会しているわけだが、こういう夢の共演は本作に限って実現されたようなものなのだから。奇抜なアクションや、目にも鮮やかなCGに慣らされてしまっている現代人に必要なのは、やはり銀幕のスターが織り成す演技合戦、作品の広がりや幅を楽しむスローなゆとりかもしれない。1974年(英)、1975年(日)公開【監督】シドニー・ルメット【出演】アルバート・フィニー、アンソニー・パーキンス、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.11.04
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「人類の苦痛はまさに驚異だ・・・そう、これこそが世界一美しいのだ。・・・ゴルゴタの丘、そこに至高の木が立つ。十字架だ。そして至高の肉体、それは・・・裸で生気がない。肉体の完成には人類の苦痛が必要だった。ここでやっと俺は成し遂げた。“キリストの受難”の完成だ」参考のため、聖書中から引用した“恐れ”に関する節をほんの一部ご紹介しておく。それは、下記の通りだ。『だから、わたしたちは、はばからずに言おう。主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか』(ヘブライ人への手紙 13章5、6節より)本作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」はフランス映画であるが、キムタクやイ・ビョンホンらが出演していることもあり話題になった。内容は聖書中のキリストの受難、あるいは人間の誰もが抱えている恐れについて、実に哲学的なところから切り込んでいる。この作品を観るにあたって、やはりどうしても聖書の内容を知っているのと知らないのとでは感じ方が変わって来るのも否めない。まず、仮にキムタクの立場を主イエスと置くと、ジョシュ・ハートネットは差し当たり神から使わされた大天使ミカエルあたりか、そしてイ・ビョンホンは俗人、つまり罪深き人間の代表格とも捉えられる。しかし、ジョシュ・ハートネットの立場は非常に複雑で、捉えどころがなく、あるいはユダヤ教からキリスト教に回心したパウロに相当するかもしれない。いずれにしても観念的、抽象的、その背景に宗教・哲学の影が見え隠れし、吟遊映人も下手な感想をさらしてしまうことになりそうだ。元刑事クラインは、2年前に猟奇連続殺人事件にかかわり、精神病院へと収容される。 そのため、現在はしがない探偵を営み生活している。ある時、大手製薬会社の大富豪から行方不明になっている息子のシタオを見つけ、連れ帰って欲しいという依頼が舞い込む。だが最後の目撃情報によれば、シタオはフィリピンのミンダナオで殺害されたとのことだった。その後、シタオは香港で生存しているらしいという情報をつかみ、刑事時代の旧友であるジョー・メンジーに協力を要請する。本作のメガホンを取った監督の名前を、どこかで聞いたことがあるとずっと考えていて、思い出した。そう、本年公開された「ノルウェイの森」の監督である。「ノルウェイの森」と言えば、今や押しも押されもしない村上春樹氏の代表的作品であるが、ずっと映画化を拒んで来たという経緯のある小説なのだ。なにしろ日本人監督による映画化を絶対的に拒否し、出版からすでに20年以上が過ぎて、しかもフランス人監督によるオファーは快諾したというわけだ。だがそれも肯ける。トラン・アン・ユン監督の華々しいキャリアを見たら、否とは言えまい。まず、「青いパパイヤの香り」がカンヌ映画祭にて新人賞を、その後、「シクロ」がヴェネツィア映画祭においてグランプリを受賞しているのだから。「ノルウェイの森」では、松山ケンイチと菊地凛子が出演しているが、これは一見の価値がありそうだ。(ちなみに吟遊映人はまだ未見)話をもとに戻そう。そんなトラン・アン・ユン監督による本作「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」は、シュールレアリズムの中にしばしば垣間見える、虚構を超えた真実を探るというテーマを感じる。だが、これはあくまで吟遊映人の感想である。さて、皆さんはどのような感想を持たれるのでしょうか?2009年公開【監督】トラン・アン・ユン【出演】ジョシュ・ハートネット、木村拓哉、イ・ビョンホンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.29
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「少しだけ、少しだけ聞いてくれ。任務などどうでもいい。ただ君を愛してる。僕にあるのは・・・愛だけだ・・・君に愛されなくてもいい。人は皆、愛が大事なんだ・・・愛なんだよ」「愛・・・」ドタバタしたハリウッドのアクション映画とは、どこか一線を画すと思っていたら、本作はフランス映画であった。しかもピエール・モレル監督とリュック・ベッソンのプロデュースという強力なタッグにより製作されたものである。リュック・ベッソンと言えば、「TAXi」シリーズや「トランスポーター」シリーズを大ヒットさせたことで定評がある。得意のカーアクションにはキレがあって、見苦しくないのが受け入れられているのかもしれない。何より、フランス人らしい優雅な身のこなしを、映画の様々なカットに取り入れているところも粋な演出だ。この人物は、視聴者の喜ぶツボのようなものを、実にしっかりと押さえたキレ者なのだ。 フランスのパリにおいて、リースは在米大使館員として働いていた。だがもう一方で、CIAのエージェントになるため、諜報活動にも力を入れていたのだ。 ある日、CIAからリースのもとに初の任務を言い渡される。それは、相棒となるワックスとともに麻薬密売組織の捜査をしろというものだった。ところがワックスという人物は、エリートであるリースとは正反対の性格で、怪しい人物と見るや、一時間に一人の割合で殺していくという口より先に銃を向ける凄腕のエージェントであった。そんな中、麻薬捜査が終盤を迎えようとしていたかに思えたのだが、実はサミットを狙う爆弾テロ行為を阻止せねばならなくなった。吟遊映人の勉強不足のため、ジョナサン・リース=マイヤーズという役者さんについての知識がなく、あれこれ調べたところ、気の毒な生い立ちを持っていることを知った。この役者さんはアイルランド出身で、心臓に欠陥を持って生まれて来たとのこと。そんなわけで生後間もなくから病院の世話になり、退院してからは母親のアル中による育児放棄のため、孤児院に預けられるという不遇な生い立ちを持つのだ。【ウィキペディア参照】※まるで『軌跡のシンフォニー』張りの幼少期である。だが、“捨てる神あれば拾う神あり”とは言ったもので、スマートな出で立ちと透き通るようなブルーの瞳が幸いして、役者の世界に入る。最近ではヴェルサーチの広告モデルとしても活躍し、押しも押されもせぬ不動の人気を得た。そんなジョナサン・リース=マイヤーズの背景などを考えながらこの作品を見ると、役柄のリースとご本人のリースとがオーバーラップして、さらに共感を伴う。豪快で派手なアクションと演技で楽しませてくれるジョン・トラボルタと共に、最高の娯楽アクションに仕上げられた映画なのだ。2010年公開【監督】ピエール・モレル【出演】ジョン・トラボルタ、ジョナサン・リース=マイヤーズまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.17
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「妬ける? 謎の強盗犯に」「俺には縁がないから」「この人には風格がある。度胸もね。(あなた)似てるわね。少なくとも体格は」「強盗で風格を示さなくても」「度胸もね。でも人って、そこで評価されるでしょ?」本作「ザ・エッグ」に関する記事をあれこれ調べていて気付いたのだが、この作品はアメリカにおいてビデオ映画として製作されたもののようだ。ビデオ映画というのは、日本で言うところの“Vシネマ”という類に属する。つまり、劇場公開を前提としないパッケージ専用の映画を言うらしい。しかし、おもしろいことにアメリカでは劇場公開していないものの、日本では劇場公開している。それにしても、主役をハリウッドの重鎮、モーガン・フリーマンがキャスティングされていると言うにもかかわらず、アメリカ本国では“Vシネマ”扱いなのかと驚きである。作中、ショットバーで軽く飲んで、踊りなど楽しむシーンでは、ゴキゲンなハウス系ミュージックがかかっている。音楽好きな方は、「お、これってもしや」とすぐにピンと来るかもしれないが、もう遠い過去の記憶となってしまったバブリーな時代を、否が応でも思い出させるのだ。そんなところからも想像できるように、この作品は“金のなる木はあなたのすぐ傍にあるかもよ”的な軽めのタッチに仕上がっている。N.Y.では名の知れた、世紀の大泥棒であるリプリーは、ロマノフ王朝の秘宝であるイースターエッグを盗み出すことを計画する。その大仕事をするにあたり、相棒が必要となる。リプリーが目を付けたのは、マイアミからやって来たガブリエル・マーティンであった。 リプリーはガブリエルと組み、厳戒態勢の布かれた高級宝石店の保管庫への侵入に成功する。本作のヒロインとも言って良い、アレクサンドラ役のラダ・ミッチェルと、ガブリエル役のアントニオ・バンデラスとの絡みのシーンは、なかなかどうして官能的で、ややもすれば単調になりがちな流れの中にある種の彩りを添えてくれた。言うまでもなく、主人公リプリーに扮するモーガン・フリーマンの際立って存在感のある演技力は、スタイリッシュなダンディズムを体現する心地良さがあった。見終わった後は、何やらホッとするような爽やかなラブ・ストーリーへと転換するファンサービスも忘れていないから、さすがはアメリカ映画なのだ。2010年公開【監督】ミミ・レダー【出演】モーガン・フリーマン、アントニオ・バンデラス、ラダ・ミッチェルまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.13
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「あなたは私の夢を奪った!」「わかってるわ。あやまっても済むことじゃない。ただ、どうしても伝えなくちゃならないことがあって。鵜原さん言ってたわ。あなたとなら生まれ変わることができる、新しい時代を一緒に生きていくことができるって。あの時、間違いなく誰よりも、鵜原さんはあなたのことを愛していた」昨年は、作家・松本清張生誕100周年の年だったようだ。本作「ゼロの焦点」は、それを記念して製作された映画で、およそ50年前にも野村芳太郎監督作品として公開されているため、そのリメイク版とも言える。松本清張氏は、言わずと知れた社会派サスペンス作家の走り的存在であった。松本清張氏の後継として、森村誠一氏や夏樹静子女史などが続き、大衆的な推理小説を奥行のある重厚なヒューマンドラマにまで高めることに成功した。『或る小倉日記伝』で芥川賞を受賞しているが、その時、松本氏はすでに40代。作家としては遅咲きの花であった。ペン一本で食べて行く決意をした夫・清張を、実に辛抱強く妻が支えた。これはあくまでも推測だが、パート仕事やら内職まで、食べて行くために必死だったに違いない。それでも清張という人物を信じて、家族を養い続けたのである。そんな内助の功に、ただただ脱帽だ。お見合いを経て結婚に至った鵜原憲一と禎子。禎子は、夫が余り自分の過去を話さないところに不安がよぎったが、これから少しずつ理解していけばいいのだと自分に言い聞かせていた矢先のこと。結婚式から一週間が経ち、仕事の引継ぎで金沢へと出張になった憲一は、待てど暮らせど帰っては来なかった。胸騒ぎを覚えた禎子は、単身、金沢へ向かうのだった。作品の内容としては、やはり戦後の時代性を伴うもののため、平成を生きる我々には若干馴染みの薄いものを感じるかもしれない。敗戦国である日本が抱えて来た、戦後の混沌とした世相の中、女が身一つで生きるには血反吐を吐くような思いで、倫理と法を掻い潜るしか手段がなかったのだと、そういう悲哀が根底にある。金と名誉を手に入れた後も、いつも纏わりつくのは過去のどす黒い記憶で、枕を高くして眠る日はなかったであろう。我が身の地位を守りたい一方で、実は過去との決別のための殺人ではなかったかと想像した。辛酸と苦杯を嘗め続けた松本清張氏だからこそ書くことのできた、人間の底知れぬ暗黒の部分を描いているのだ。2009年公開【監督】犬童一心【出演】広末涼子、中谷美紀、木村多江また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.10.05
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「腐った世の中に生まれて、両親に見向きもされず、理解もされない子供たち」「お前は違う!」「この黙示録は終わらない。世界の親たちが・・・その事実に気付くまで!」9月になって既に半ばも過ぎようとしているのに、まだまだ暑い日が続いている。だからという訳でもないが、いっそ背筋がゾゾッと寒くなるようなジャンルの作品を観てみたいと思ってしまった。本作は、おどろおどろしいジャケットに惑わされてしまったが、実は、親子の物語である。(無論、サスペンス仕立てだが)親と子のつながりが、何らかの事情により希薄になってしまったことで、孤独な子どもたちが必死にSOSを送っているのだというストーリーである。要は、そのSOSに気付いてあげないと大変なことになるぞ、というむしろPTAが推奨しそうな(?)内容になっているため、ところどころのグロテスクなシーンも相殺されて、かえって受け入れられ易いのではなかろうか。事件は凍てつく冬の大地で起こった。おびただしい数の人の歯が発見されたのだ。その歯は、調査の結果、一人の人間から生きたまま抜き取られたらしく、血がこびりついたものだった。そして現場には“COME AND SEE”の文字が残されていた。一方、別件で白人女性が自宅で拷問台に吊るされた状態で死んでいるのが発見される。 なんと被害者は妊娠中だったらしく、腹の中の胎児が取り出されていたのだった。一連の事件を捜査するのは、歯科法医学を専門とする刑事のブレスリンであった。だが、さすがのブレスリンも難解な事件に苦悩する。第一発見者となる被害者の養女、クリスティン役を演じるのは、今や世界的な女優であるチャン・ツイィーである。童顔なだけに、薄ら笑いを浮かべて淡々と語る素振りは、正に狂人であった。演技にしては充分過ぎるほどの圧迫感。この女優さんの登場だけで恐怖感が倍増するというものだ。いつだったか、何かのインタビュー記事で読んだのだが、チャン・ツイィーは10年ぐらい前までは全く英語が話せなかったとか。だが本作では流れるような、淀みない英語で、何の違和感も感じられない素晴らしい語学力だと思った。「ホースメン」はそのタイトル通り、聖書中のヨハネの黙示録における四騎士になぞらえた猟奇殺人を扱った作品だ。だが、あえて言わせていただくなら、これはさほど気にするテーマではない。テーマは、“親子の絆を大切にせよ”だ。身勝手な大人は、我が子のSOSに気付かず、奈落の底に突き落とされるぞ的な意味合いを含んでいる。異色のサスペンス物で、思春期の子どもを持つ親御さんにオススメしたい。2009年公開【監督】ジョナス・アカーランド【出演】デニス・クエイド、チャン・ツイィーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.09.17
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「“私はデイブ・フィスク、第1級刑事ニューヨーク市警に30年勤務。俺を覚えてないだろう? 俺をヒザに乗せ、愛してると言ってから久しい。その間に14人殺した。きっと俺の名前を生涯忘れられなくなる”」レンタルショップで店内をぐるりと一巡すると、もうそれだけで現代という時代の有り様が分かるから面白い。話題性とか、興行的に成功を収めたか否かとか、B級モノとか、それらが配置された場所や在庫の本数で、自然と大衆の向かうべきところが分かってしまう。無論、それにケチをつけるつもりはない。店のルールやモラルに関することは、充分それなりに配慮がなされていて、それこそが現代のビジネスのあり方なのだから。ただ、惜しむらくは、本作「ボーダー」が店の片隅に、まるで目立つことが憚られるように、僅か2本だけ置かれていたことだ。ヒット作である「アバター」は、店を挙げて推奨しているだけあって、30本ぐらいズラリと前衛を飾っているのに対し、「ボーダー」は・・・。往年のハリウッド・スターであるロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの共演も、時代の流れには逆らえないということなのか。NY市警のベテラン刑事であるタークとルースターは、もう何年もの長い間コンビを組み、凶悪犯罪の捜査に携わって来た。ある時、暴行・虐待死の罪で裁かれていた男が無罪となる。正義感の強いタークは、それを許すことが出来ず、被告人に罪を着せ刑務所行きにさせる。そんな中、凶悪犯ばかりを狙った連続殺人事件が発生。状況証拠はタークの犯行を仄めかすものばかりだった。オスカー俳優である二人の共演は、多くのファンを魅了したに違いない。目を覆うような残虐なシーンもなく、本来のサスペンスを心ゆくまで堪能させてくれる、すばらしい作品であった。外見から役になりきることで定評のあるデ・ニーロは、刑事らしい刑事を熱演。一方、脚本を何度も読み返し、セリフから役になりきる手法を取るアル・バチーノも、負けてはいない名演技。この二人の演技合戦は、どんな派手なアクションシーンより存在感があり、鮮烈で、そして感動的である。忘れかけていた映画の本当の醍醐味を教えてくれる、見事なサスペンス作品であった。 2008年(米)、2010年(日)公開【監督】ジョン・アヴネット【出演】ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.09.09
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「嵐が来るわ」「まだ少し時間がある」「モリアーティよ・・・私の依頼主。彼は教授よ。私は弱みを握られてるの」「どんな弱みだ?」吟遊映人は、なんと小学校のころからのシャーロキアンである。と言っても、当時NHKで放送されていた英国グラナダテレビ制作による「シャーロック・ホームズの冒険」を欠かさず観ていたというホームズファンなのだが。ホームズに扮した役者さんというのは、過去に何人もいるわけで、そのつど賛否両論が巻き起こった。やはり人それぞれにイメージするホームズ像というものがあって、自分の好みに近ければ“ブラボー!”だし、自分のイメージと程遠ければ“これはホームズじゃない”となるわけだ。そんな中、グラナダテレビ制作のホームズに扮したジェレミー・ブレットは素晴らしかった。史上最高のホームズと評価され、ジェレミー・ブレットを超えるホームズは、この先現れないであろうとまで言われた。本作「シャーロック・ホームズ」は、まずキャスティングからして度肝を抜いた。なんとホームズ役にロバート・ダウニー・jrがキャスティングされるとは!?だが、ジェレミー・ブレットこそが正統なるホームズだと思い込んでいる視聴者の方々、安心していただきたい。本作は、サー・アーサー・コナン・ドイルの小説から独立したオリジナル作品であると認識してみれば、これほど面白いホームズはないからだ。原作にあるような“細面の色白で、神経質な表情、鋭角な顎”というホームズではないのだ。ここではロバート・ダウニー・jrの演じる、やんちゃで無鉄砲という愛嬌溢れるホームズなのだから。19世紀末のロンドンが舞台。怪しげな黒魔術を操り、若い女性が次々と殺害される事件がちまたを騒がせる。名探偵シャーロック・ホームズは、盟友ワトソンと共に、犯人がブラックウッド卿であることを突き止め、逮捕する。ところが死刑を執行されたはずのブラックウッド卿は、本人の予告通り復活を果たす。 なんと、墓場にあるはずの死体が、別人の死体となって発見されるのだった。ワトソン役に扮したジュード・ロウも、実に良かった。雰囲気からすると、こちらの方がホームズ役のような気もするが、それは従来のホームズキャラに囚われている証拠であろう。ラストで黒幕の名前が“モリアーティ教授”と出て来た時は、年甲斐もなくわくわくした。オリジナルの「最後の事件」という章では、ホームズと互角の頭脳を持ったモリアーティ教授が対決するのだが、最高にスリリングで面白かった。おそらく本作も続編が作られるのではなかろうか。そんな気配の感じられるラストであった。世界中のシャーロキアンが注目したであろう本作「シャーロック・ホームズ」を、とにかく一人でも多くの方々にご覧いただきたい。イギリスの格調高い近代文学をひもとくきっかけとなれば、原作者であるコナン・ドイル氏も本望であろう。一味も二味も違う、異色コンビのホームズとワトソンの軽快なドラマが堪能できるのだ。 2009年(米)、2010年(日)公開【監督】ガイ・リッチー【出演】ロバート・ダウニー・jr、ジュード・ロウ、レイチェル・マクアダムスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.07.26
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「山下本部長、MWは今どこにある?」「だから、私は何も知らないんだ・・・!」「MWは今どこにある?」「知らん・・・! 俺はただあの島の事故について、一切口外しないよう口止めされただけだ・・・!」昨年は、マンガ家・手塚治虫生誕80周年ということで、本作が公開された。本作「MW」は、原作が手塚氏のマンガ作品なのだ。吟遊映人の不勉強のせいで、残念ながら原作はいまだ読んだことがない。しかし作品のコピーによると、原作では主人公の二人が同性愛者という設定になっており、肉体関係もあるとのこと。なるほど、そういう事情が根底にあるならば、本作における二人の異常な親密度にも納得がいく。それにしても手塚氏の奇抜な発想には度肝を抜く。まるで21世紀を予測したかのように、混沌とした現代社会なら決してあり得ないとも言えない事象なのだから。もちろん、当時この作品のモチーフになった事故あるいは事件が存在したであろうことは想像に難くはないが、マンガの世界でこれだけの社会派ドラマを構築するのは、大変難しい。そんなところからも、“マンガの神様”と謳われた手塚治虫氏の偉業は、さすがに並々ならぬ才能を感じさせるのだ。現在は教会の神父となって神に仕える身となった賀来には、忌わしい過去があった。それは16年前、故郷の島が一夜にして全滅するという惨劇に見舞われたのだ。島民は、賀来の他に結城というもう一人を除けば全員が死亡。だが、政府によって隠蔽され何事もなかったかのように闇に葬り去られてしまった。事件の発端となったMWという猛毒ガスを探し続ける結城は、エリート銀行員を装いながら当時の関係者を次々と殺害していくのだった。猟奇殺人を繰り返していく結城役に扮したのは玉木宏であるが、役柄に近付けるため、かなり体重を落としての役作りであった。神経質さと鋭角さを兼ね備えたエリート銀行員という表の顔と、冷酷非情な殺人鬼という裏の顔が、玉木のスリムでシャープな演技で巧妙に表現されていた。さらに、過去に囚われながらも教会の神父として慈善活動を続ける賀来役の山田孝之も、憂いのある演技が実に冴えていた。本作を鑑賞し終えると、原作は一体どういうストーリー展開になっているのだろうかと、知的好奇心を掻き立てられる作品なのだ。2009年公開【監督】岩本仁志【出演】玉木宏、山田孝之、石橋凌また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.07.10
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「せっかく助かった命を無駄にしたくないんなら目を覚ますんだ」「どういう意味?」「聞こえなかったか?」「全部聞こえてるわよ。妹は殺された。父は3週間前に死んだ。そして次は私の番」「もういい!」普段ハードボイルド小説などはほとんど読まないため、本作の原作となった著書がこれほどまでに話題を沸騰したとは知らなかった。なんと全米で「雨の牙」が大ベストセラーとなり、それを受け、日本とオーストラリアとの共同製作が実現し、晴れて映画化されたとのこと。それにしても日本を舞台にした日本人メインの作品であるにもかかわらず、メガホンを取ったのがオーストラリア人監督であるせいか、実に異国情緒に溢れている。東京という街が日本の都市ではないような、例えばニューヨークやロサンゼルスみたいな、乾いた香りを漂わせているから不思議だ。しかしその効果はてき面で、正義と悪が混沌とした、ハードボイルドに相応しい舞台に変身している。日系アメリカ人のジョン・レインは、依頼人から仕事を請けると卒なくやり遂げる敏腕暗殺者であった。今回は、国土交通省の官僚である川村を狙っていた。仕事を終え、帰宅の途に就く川村は地下鉄に乗り込んだところ、にわかに列車内で激痛に苦しむ。なんと、ジョンがケータイを使うことで川村の体内に埋め込まれたペースメーカーを狂わせていたのだ。こうして川村を自然死に見せかけ、ジョンはその隙に川村の持っているはずのメモリースティックを奪おうとする。一方、CIAアジア支局では局長のウィリアム・ホルツァーの指揮のもと、ジョンを拘束するために血眼になって東京中を奔走する。久しぶりにお目にかかったのは、CIAのホルツァー局長の秘書役(?)として出演している清水美砂である。清水美砂は演技派として名高く、この役者さんを上手く利用すれば、あるいはCIAの存在感がもっと過激でクールに際立ったかもしれない。主役ジョン・レインを演じた椎名桔平は、その甘いマスクとは反対に、泣く子も黙る冷徹な暗殺者として登場。だがこれも監督の裁量なのか、日本人の気質を見抜いて、どこまでもクールになれない義理人情にほだされてしまう暗殺者として、どこか甘めの主人公というキャラになっている。そして何より、ヒロインを演じた長谷川京子は、実に綺麗だった。透明感のある演技で、モデルさんのような立ち居振る舞いが、陰気になりがちなサスペンスに花を添えてくれた。邦画らしからぬグローバルな作品であった。2009年公開【監督】マックス・マニックス【出演】椎名桔平、長谷川京子、柄本明また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.05.25
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「紗江子ちゃん、大丈夫かい?」「すみません、心配かけて」「いや、こっちこそ本当に申し訳ない・・・クリスマスに間に合わなくて」「・・・?」本作は、フジテレビ開局50周年ということで、フジが総力を挙げて製作した記念作品とのこと。本場イタリアでの海外ロケを敢行し、その風光明媚で異国情緒溢れる大作となっている。 メインに流れるテーマソングは、かのサラ・ブライトマンが“Time to say good bye”を披露し、天使の歌声を響かせる。主役は織田裕二で、フジのドラマではお馴染みになっている。「東京ラブストーリー」の完治役でブレイクし、最近では「踊る大捜査線」でも、三枚目ながら熱くエネルギッシュな主人公を好演。“平成御三家”と謳われ、吉田栄作、加勢大周とともにトレンディードラマ界ではトップの座を欲しいままにしていた。その後、他の二人はともかく、織田裕二だけは役者としての人気や名声を絶やすことなく今に至っているのだ。イタリアを観光中の矢上紗江子とその娘まどかは、美術館に来ていた。まどかがトイレに行ったきりなかなか戻らないので、紗江子はトイレまで探しに行くが、どこにもまどかは見当たらない。言葉の通じない異国で、不安と焦燥感の中、領事館へ連絡する。一方、クリスマスにローマ市ではG8が開催されようとしていた。外交官の黒田は、G8出席のためイタリアを訪問する川越外務大臣の警備に追われていた。しかし、大使館では日本人少女誘拐事件の案件も抱え、てんやわんや。そんな中、紗江子のケータイに身代金目的と思われる犯人から連絡がある。だが犯人がイタリア語を話すため、黒田が通訳をしたところ、成り行きで自分が少女の父親だと名乗ってしまうのだった。映画と言えば、話題性のあるものは大抵洋画と相場は決まっているが、「アマルフィ」を観たら、邦画もなかなかどうして負けてはいない。もちろん、映画には演出やストーリー性などが重視されなければならない一面もあるが、本作のように、思わず惹き込まれてしまうような映像美に夢中になるのも悪くない。「アマルフィ」を観ると、ああイタリアへ行ってみたい、世界遺産を堪能したい、迷わずそんな気持ちになってしまう。ジャンルとしてはサスペンス作品の部類に分けられると思うが、吟遊映人としては、ムードを楽しむ一作として捉えていただきたいのだ。本作は、それほどに全編を通して、映像美に惚れ惚れとする作品であった。2009年公開【監督】西谷弘【出演】織田裕二、天海祐希また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2010.05.17
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