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この前、石けん作りのイベントに参加して「シアバター」ってのを初めて知りました。 手荒れに悩んでいた私が「シアバター」を塗ったら信じられないくらいにキレイに治りました。 今まで寝る前にお薬を塗っていたけど、 子どもを触ったり家事をしたりするから昼間は薬を塗れなかったんです。 だからこのシアバターに感動しました。 個人差はあると思いますが、私の肌には合っていたみたいです! 実は私は昔から手あれがひどくて、主人と結婚する時に手をジロジロ見られたくなくて 「婚約指輪も結婚指輪もいらない!!」って言ってしまったんです。 主人は???ってかんじでしたが、「私、そういうのもともと付けないから、もらっても付けないと思うし要らない! そんなものにお金を使うなら、そのお金で一緒に旅行に行ったり、美味しいもの食べたり、気に入った家具とか買ったりしようよ」って言い訳して・・・。 今、思えば、惜しいことをしたな~、貰えば良かったと思うのですが あの頃は乙女心いっぱいでした。 今はツルツルおててになったのでもう1回催促してみようかしら(笑) それに石けんを作って思ったのが 今は台所用とか洗濯用とか洗顔用とかシャンプーとかボディソープとか 「洗剤」は多種あるけれど、 どれも結局は「せっけん」をあれこれ応用したモノなんですよね。 洗顔用やシャンプーやボディソープはもちろん、 洗濯洗剤も身につけるものを洗うし 台所洗剤も食器とか口に触れるものを洗うので、 やっぱり安全でお肌に優しいものを使いたいなと思いました。 そしてこれを使ったお水は川に流れて海へ・・・。 そう思うと石けんって毎日使うものだけに色々考えてしまいました。 そこで、その時の講師の方に連絡を取り、 今回エコママキッズのイベントでお世話になることになりました! というわけでちょっと宣伝させてくださいね☆ お子さん連れ大歓迎です。同室保育あります。 もちろんママさんのみの参加も大丈夫です。 第7回 ママと子どものエコロジー講座 カリテバター(シアバター)を使って、 とってもマイルドな使い心地の石けんを作ります。 こんな方はぜひご参加してみてください! ・石けんは作ってみたいけど、幼いお子さんがいるので 苛性ソーダや苛性カリの扱いが心配で作れない ・道具を揃えたりする前に1度体験してみたい ・お肌が弱いお子さんのために良い石けんを探している ・敏感肌のママさんで自分に合う石けんが欲しい 同室保育付きですので、 お子さん連れでも安心してご参加ください☆ 日時:6月25日(水)午前の部10時~12時 午後の部13時半~15時半 参加費:2500円 精油を使用したい方は+500円 持ち物:牛乳パック・エプロン・マスク タオル(作った石けんの保湿用) お子様用のマイカップ 場所:京エコロジーセンター 3階エコ厨房 ご予約、お問合せ : お問い合わせや、ご参加頂けます方は、 メッセージをお願いします。 詳細お知らせいたします。
May 31, 2008
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指先や脳を使うから良いよ!と聞いたのでこのまえ、お姑さんにDSをプレゼントしました。「意外に面白いわ」と毎日遊んでくれているようですが脳トレで「80歳」と出たらしく、本人はかなり嘆いていていました。・・・お姑さん79歳なんですが。 でも昨日エステやっているお友達に「お肌診断」をしてもらったら「肌年齢35歳」と出たときに、やっぱり1歳でもイヤやなとお姑さんのキモチがちょっとわかった34歳今日このごろです。(来月35歳なんで歳相応なんですがね。) そういえばGWで実家に帰省したときに家族で『こいのぼり』の歌の話題になり「屋根よーりー高い」鯉のぼりも最近あまり見ないねぇ、とか「柱の傷はおととしのぉ5月5日の背くらべー」って 柱に傷つけている家も今は少ないんじゃないかなってな話のところで父が「これから毎年5月5日にこの柱に孫たちの成長をつける!」と言い出しました。 しかし肝心の孫達はみんな柱のところでジッとまっすぐ立てる年齢ではなく、押さえつけられ大泣きしながら、しかもかなりアバウトな計測でこの企画は失敗ではないかと思いきや結局「次はわたしね」「その次は俺も測って!」と大人が喜んで測りあいしてました。そして、「いや~ん縮んだ」 「あれ、もう少しあったのと思ったのに」「朝にもう1回計ればもうちょっと伸びてるかも」と、少し寂しい会話で終わりました。中でも私の母は「もう1回はかって、納得できんわ」と軽く背伸びまでして、おとなげない行動もしていました。 歳を重ねるということが単純に嬉しいのは何歳まででしょうか? 25歳の誕生日のときに10年後の私って何をしているのかなと思ったのが昨日のことのようです。「自分の夢を実現しているかっこいい35歳でいたい」とかなんとか言ってたようにも思います少なくとも25歳のときは35歳に対して憧れがありましたね。その憧れの35歳を目前にして、はたして夢を実現してかっこいい生活を送っているか否かと申しますとかっこいい生活はしていませんが夢を抱いては生きています、といったところですね。少なくとも夢に向かって今何をするべきかは見えてきたかなと思います。1歩1歩なんですけどね。確実に動いています。 今日は私の好きな詩人の1人の坂村真民さんの有名な詩をご紹介します『花ひらく 心ひらく 道ひらく 』講談社プラスアルファ新書より 「念ずれば花開く」念ずれば花ひらく苦しいとき母がいつも口にしていたこのことばをわたしはいつのころからかとなえるようになったそうしてそのたび私の花がふしぎとひとつひとつひらいていった 「 ひらく 」花ひらく運ひらく道ひらく目ひらく心ひらくすべて開くことが大事だ大道は無門閉ざしてはならぬ 「二度とない人生だから」二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう二度とない人生だから一匹のこおろぎでもふみころさないようにこころしてゆこうどんなにかよろこぶことだろう二度とない人生だから一ぺんでも多く便りをしよう返事はかならず書くことにしよう二度とない人生だからまず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう貧しいけれどこころ豊に接してゆこう二度とない人生だからつゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い足をとどめてみつめてゆこう二度とない人生だからのぼる日しずむ日まるい月かけてゆく月四季それぞれの星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力しそういう詩を一編でも多く作ってゆこう私が死んだらあとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書きとづけてゆこう 前回のブログで『花さき山』をご紹介しましたが私はどうもこういう系(どういう系?)が好きなようですね。ともかく、2度とない人生、こんなふうな花を咲かせたいなと思う夢をもっていることは叶う叶わないは別として幸せなことだな~と思っております。
May 19, 2008
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大好きで大好きで、どうしようもなく大好きで それでも別れなきゃいけなかった切ない恋愛なんてぇのが 誰しも1つや2つはあるわけで、 でもこうやって妻になり、母になり、 そんなことがあったことすら思い出すこともなく毎日を過ごしているわけで、 そんな甘く切ない気持ちなんて、とうに忘れてしまっている日々の中、 まさかまさかこんなカタチで思い出すことになるとは。 そして、そしてこの恋が こんな今頃になって完結するとは思いもよらなかったというお話。 ある日、ネットで調べ物をしていたら、 偶然、覚えのある名前がヒット。 同じ名前の人なだけかもしれない、でも、もしかして。 少し震える手でクリックしてみる。 10年経ち、少し痩せたが、間違いない、 かつて大好きだったA氏の顔が画面に現れる。 連絡が途絶えた日からも1年間くらいは,会いたい会いたいと1人で泣いた夜も何度もあった。そんな切ない10年前の片想いの人物と、まさか10年後にこんなカタチで再会するとは。 ・・・・・・・・・・・そこには、とある雑誌記者とA氏との対談の内容が一部始終記載されていた。 何ページにも渡る一問一答に目を通す。 『 記者:ところで、この構想を練っておられたのはいつ頃ですか? A :ちょうど10年前になりますかね。』 熱く夢を語っていたあの頃やね。 いっぱい悩んでいたけれど、いつか成功させてやるって何度も口にしていたね。 対談の一言一句が聞き覚えのある話の内容だっただけに 頭の中身がいっきに10年前にタイムスリップする。 あの時、忘れもしないあの場景。当時つきあっていた彼氏の部屋を尋ねたら 玄関先に女モノのサンダルが置いてあった。 どういうことかと尋ねると、部屋の奥から女が出てきた。 ブチ切れした私は、無言で飛び出し、なぜか行ったこともないパチンコやさんに。 操作もルールもよくわからないまま、3千円ほど使ったところで すごく玉が出てしまい、何がなんだかよくわからないが、 まわりのおっちゃんに教えてもらいながら、 現金7万円を手に店を出た。 気分が良いのか悪いのか複雑な気持ちになりつつももう1度、彼のマンションの部屋に戻ってみようと試みる。とそのマンションの前で、声をかけられたのが A氏だった。 「このマンションにお住まいの方ですか?」 「いえ、違います」 「そうですか。よくわかりませんが元気だしてくださいね」 よほどヒドイ顔をしていたのだろう。 見知らぬ男性に「元気を出して」と言われるなんて。 あとで知ったのがA氏はこのマンションのオーナーだった。 偶然は再びやってきた。 彼と別れ話をするために少し早めに着いた喫茶店で A氏が新聞を読んでコーヒーを飲んでいたのだ。 「またお会いしましたね。 この前は泣きはらした目でしたからね。 もう元気になられましたか? 今日はどなたかと待ち合わせですか?」 「いえ、待ち合わせではありません。 よかったらこのお店を出て、少しお話しませんか」 もう彼氏のことなど、どうでもよかった。 それからA氏とはたびたび会うようになった。 夢をよく語ってくれた。 むずかしい話をかみ砕いて分かりやすく語ってくれた。 映画のプリティウーマンとまではいかないけれど よくサプライズなことをしてくれて楽しませてくれた。 よく話をした。 よく笑った。ダメなときは厳しくしかってくれた。 どんどん惹かれていった。会うのが嬉しくて仕方がなかった。好きで好きでどうしようもないあふれる想いというのをはじめて体感した。 ただ、お互いの名前を知らなかった。聞きもしなかった。いまさら聞けなかった。そのことは気になりつつ言いだせず、ただ日々が過ぎた。 そしてその意味も少しずつ感じてはいた。 出会って1年が過ぎたころ、 彼の会社のビルが家事になったとニュースで見た。 さいわいケガ人などは無いとのことだった。 本名を知った。 年齢も知った。 会社のことも知った。 そして妻子あることも。 もうこれ以上、この人と関わってはいけない。 ニュースを消した。 大好きだった。 大好きで大好きで、大好きで泣いた。 握りしめたテレビのリモコンに大粒の涙がいくつも落ちた。 「大事な話がある。」 「火事でしょ、ニュース見たよ、大変だったね」 「そのことじゃない、俺、離婚することにした。 正式に来月。 ずっと言えなかったことがある。 Aと申します。つきあってください」 「私はうゐのと申します。 大好きでした。いえ、今でも好きだと思います。 でも、おつきあいは出来ません。 1年間、大好きでした、ありがとうございました」 燃え上がった恋心は火事とともに燃え尽きた.この1年、夢心地だったのは、夢だったんだと思う。 というより、1年もよくこんな状態でいたと思う。 確認するのが怖かっただけかもしれない。 そしてその後、私はすぐに引越しをすることになりその時に電話番号も変えた。 私が逃げた恋である。 そして思い出しては涙する夜も少なくなり、やがて切ない思い出となり日常で思い出すこともなく、引き出しの奥のそのまた奥に閉まいこまれた状態に。あれから10年。 私もいろいろあったが、 今はこうして優しい旦那さまに出会え 可愛い子どもを授かり、 健康で笑顔で過ごす幸せな日々を送っている。 ただ、A氏がその後、どういう人生を歩んでいるのか 気にならなかったかといえば嘘である。 長い長い対談記事を食い入るように読み進み その苦労と成功までの道のりに安堵する。 そして最後の最後の記者の質問。 「記者:Aさんの1番の心の支えはなんですか?」 「 A :カミさんですね。 カミさんにはずいぶんと迷惑をかけましたから。 夫婦というよりある意味、戦友ですね。 いろんな面で本当に我慢もしてくれています。 私のカミさんは彼女でないと務まらないと思いますし すごく感謝しています。」 結局のところ、もし彼の人生の映画があるならば 私は登場人物にもならない存在かもしれない。 でも、それでいいんだと思った。 カミさんがよくぞ支えられたとカミさんを素直に尊敬した。いろんな憶測もしていたが1番よい結果を偶然にも知ることができた。 この恋の本当のピリオドは今日だったのかもしれない。 そして改めて、あのときに良い時間を過ごせて私は今、彼に感謝している。 夫婦って他人にはわからない色々なことがあるけれど それでも私も、何十年後かに主人に 「俺の嫁はコイツでないと務まらないし、感謝している」と 思ってもらえる妻でありたいと願う。 そして、若かりし頃のせつない思い出を、 笑顔で思い出せる今に感謝している。
May 16, 2008
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大好きな絵本をあげればキリがないのですが 私がこのの世界にとりこになったきっかけになった絵本は 『花さき山』 という1冊です。 OL時代にたまたま立ち寄った書店で姪っ子にプレゼントでも と絵本コーナーへ。 そこで手にしたのが『花さき山』だった。 「八郎」などで有名な、斎藤さんと滝平さんお二人の絵本。 そのとき「あ!これ子どものとき怖い絵って思っていた絵本や」 すぐさま立ち読み。 「そうそう、やまんばが出てくるのよね。これも怖いと思っていたな」 そして読み終えたあと、熱い想いで胸がいっぱいになり、 しばらくそこから動けませんでした。 たかが絵本にこの衝撃は何だろう。絵本とは何ぞや?児童文学とは何ぞや? はずかしながら、それまでは絵本=幼児のための可愛い絵の本 と思っていました。 そしてこれだ!私が今、求めているモヤモヤしたものが 晴れやかになっていくのがわかりました。これを深く学びたい! そういう思いで27歳、会社を辞め、翌年の4月、児童文学を学べる大学に社会人入学しました。楽しかったなー。学ぶって楽しいんだ!って本気で感じました。それまで学生時代は授業とか試験とかイヤでイヤで仕方なかったタイプなのにこの児童文学だけは「授業の先生の言葉は一言も聞き漏らすまい」と録音したり集中したいから1番前の真ん中の席に自ら座ったりノートも家でもう1度清書してまとめてみたりたかがちょっとしたレポートも「卒論?」っていうくらいのもの仕上げたりしてましたね。定期試験も、ワクワクでした。ノート持ち込み可の試験も「よーし、今どれだけ自分が理解できているか挑戦してみよう!」ってノートを持ち込まずにチャレンジしたりしてました。好きな分野って必死で覚えようとしなくてもどんどん頭に入ってきますよね。反面、苦手なことは「どうして??」っていうくらい覚えられませんが。そんなこんなでハマってしまった児童文学ですが今は、2児のママとして絵本を楽しんでいる1人です。子どもを通じて読むとまた新たな発見が多く絵本の奥深さを感じている今日このごろです。 『花さき山』有名な絵本ですが、この絵本をまだ読んだことがない方は、 ぜひ図書館でも借りてみてください。 私は、映画でも本でもストーリーを先に教えるのは好きではないので機会のあるかたは読んでみてくださいね。 そんなこんなで絵本のこともこれから少しずつ書いていこうかなと思っています
May 12, 2008
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ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワンになろう・・・・とかなんとかいう歌が流行りましたが、実際のところ私はナンバーワンも大切なことだと思っています。 例えば勉強にしても、全国一斉テストなどでまさか全国1位を取れと言いたいのではありません。例えばクラスで1番でも良いのです。あるいは自分が今まで取った点数の中で1番良い点数とか。スポーツにしても、オリンピックに出るほど頑張らないにしても例えば運動会のかけっこの4人中で1番になることでもいいしゴルフ仲間の中で1番のスコアを出すことなどなど1番になるっていうことは嬉しいもんだし自信につながると思うのです。 余談ですが最近の小学校の運動会は、ビリになった子が可哀想だとかでみんなで手をつないでゴールするそうですね。ニュースなどでは聞いてはいましたが、まさか知っている小学校までもがそうだと聞かされて驚いている次第です。 私は運動が苦手でいつも1番ビリでしたがそのかわり音楽の時間はいつもお手本として前でリコーダーを吹いたり合唱でも「独唱」のパートを与えられたり活躍の場を自分でわきまえていましたので、手をつないでゴールしてもらわなくても、そんなに自分が可哀想だとは思っていませんでした。でも、前の人がコケて3番になった時はちょっぴり嬉しかったこともあります。(実力じゃないのにね) いつもいつも1番という人は追われる立場なので苦しいとは思いますがその追われる苦しさと戦うのが1番の人の試練ではないかとも考えます。ナンバーワンを目指すときの集中力や記憶力、判断力、瞬発力・・・・いろんな○○力がつくのはナンバーワンを目指している時ではないでしょうか。 なんて、難いお話をしてしまいましたが今日、園のお迎えに行ったら先生が「・・・ちゃん、今日・・・・が1番でした」と聞き取りづらい声で言われたので「え? なにが1番だったんですか?」と聞き返したら「お昼寝です。みんなで『おやすみなさい』って言うんですけど言ったあと即、寝られました」「・・・・・・・・。」ややリアクションに困ったものの、ニコニコして息子も私の顔をのぞき込んでいるので「す、すごいやん!1番に寝たんやってな! おやすみって言うたらすぐに寝たんやってな(オマエはのび太くんかよ) お兄ちゃん1番、やったぁ♪」とホメて育てる方針の私も???に思いつつ、いちおうホメてみました。でも、お昼寝が1番だったことを誇らしげにお向かいのおじいさんに説明している息子を見てこれもまた良しと思ったのでありました。(お向かいのおじいさんは???な顔をしていましたが(笑)) ところでオンリーワンももちろん大切だと思っています。息子の通っている園の方針に「ひとりひとりの個性を大切にする」のほかに「どんなことがあっても親をせめない」という言葉があるのですがこれは親の個性も大切にしてもらっているということ。 どんな状況であれ育児を必死でがんばっているお母さんに「それは間違っている」と否定してはいけない。「そうだね、そういう方法もあったかもしれないね。でもこんな方法もあるんだよ」と手を差し伸べる、これは独身時代のまだ子育ての「こ」も知らない私が仕事で先輩に教わったことだった。人間は、否定されたところから這い上がるエネルギーを誰しもが容易に持っているわけではない。ましては不安要素の多い育児を孤独にがんばっている母親に関してはことのほかである。だからこそ、この園の「どんなことがあっても親をせめない」という言葉の奥深さをひしひしと感じます。私の意見はこうであり、あなたは自分の意見とは違うけれども、その考え方も認める。私が思うオンリーワンとはこういうことだと思っています。 そういえば最近の新入社員あるいは就職活動中の学生さんはあまりにも「オンリーワン教育」をされてきたため「自分にしか出来ない仕事がなかなか見つからない。 自分にしかできない仕事や夢を見つけるためにしばらくはフリーターで」とか「こんな誰にでも出来る仕事をやるために勉強してきたんじゃない。もっと自分にしか出来ない仕事を求めて、今この会社に辞表を出します」なんて早々に退職する子が多いと聞きます。確かにそうなんだけどねー、誰にでも出来る仕事でも、さらに創意工夫して、自分しかできないものに変えていける能力も大切なんじゃないかなーなんて思ったりするわけで。そういうことが出来てこそ、はじめてオンリーワンな仕事も出来るんじゃないかなと思ったりもするわけで。 なんにせよ、ナンバーワンとオンリーワンを同じ土台にしちゃあいけないんじゃないですかって思う今日このごろです。本当にオンリーワンになれる人は結局のところナンバーワンなんだと思うしナンバーワンになれる人はオンリーワンなんだと思うんですが、こんなことを言うのは私もおばちゃんになった証拠かしら(苦笑)
May 2, 2008
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