全738件 (738件中 251-300件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 15 >
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて3週間。つまり、両腕と右膝を除く全身の好転反応が出始めて1ヶ月。仰向け寝も定着し、だって横向きができないのだから仕方がない。なぜか早起きになった。いつに間にか頭皮と眉毛が分厚いかさぶただらけで、びったりとこびりついている。第2ステージへ突入か?両腕と右膝の湿疹は、どうやって治ってゆくのか想像もできないほど、けがをしたようだったが、ちゃんと治ってゆくのだなぁ。黄色い汁も激減する。ただ、疲れを感じるようになってきて、正直、風呂場へ行くのも夜お布団へ入るのも億劫な時がある。全身湿疹だけど、特に両腕、耳の周辺、頭皮、首、手、脇、股、肘と膝の内側、右膝、がひどい。毎日の掃除機が欠かせない。爪も伸びないようにまめに切る。それにしても、毎日毎日寝ても覚めても、多量の汗をかきながらの湯治。どこへも行かず、半身浴ばかりして、我ながらよくがんばっていると思う。焦らずじっくり「自分の心身と向き合う」という鍛錬。唯一家を出るのは図書館へ行く時だけだが、週に1、2回だけ、しかも図書館滞在時間3分というなんとも外出と言い難い外出のみであった。引きこもり甚だしい。
2016/10/31
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2週間と半分。少し良くなったかと思えばぶり返し、一進一退を繰り返す。なぜかまた両肘は付けず。右膝は曲げたり伸ばしたりするからなかなかかさぶたにならずジュクジュクしたまま。黄色い汁が出て服とひっつく。今は相変わらず両腕と、そして手首から先、足首から甲、耳の後ろ、脇、股、首など皮膚の弱いところの湿疹がひどい。朝起きれば必ず指に水ぶくれが点々と増えていて、パンパンに張ったものほど、痛むずがゆい感じ。足の甲は、お風呂上がりにひとしきりかく。めがねを耳にかけるところから多量の黄色い汁が出る。目やにだけは激減する。ただ、半身浴をしているから新陳代謝がすごいのか、乾燥するのもものすごく早い。ようやく、夜に少し眠れるようになってきたが、寝ても覚めてもお風呂に入っているので、お風呂が夢にまで出てきてうなされる始末だった。半身浴をしていると、気付いたらお湯がうっすら白く濁っている。埃のようなものも多量に沈んでいて、私の体内から老廃物が出ているのがわかる。猛暑が収まる気配なし。ネットは便利だ。出かけなくても必要なものが買える。出かけないから写真が撮れず少し寂しい。半身浴の排毒の威力は凄まじい。プツッとできものができた時、半身浴をしない時と比べて治りは3倍速になる。お風呂で寝るのは結構気持ちいい。肘を置くことができない。右膝もひどいから湯船でも立て膝のまま。特に膝は曲げたり伸ばしたりするからなかなかかさぶたになってくれないらしい。
2016/10/30
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2週間。夏真っ盛り。暑さが体力を奪います。たかが除湿、されど除湿、除湿がないと暮らせない。ようやく両肘が付けるようになり、ごろんと横になって右肘を付いて頭を抱えてテレビを見てみる。なんと!こんな体勢ができたのはいつぶりかしら!?ただ、少しずつ黄色い汁が減って乾燥してきたので、とにかくかゆい。かゆくてかゆくてかゆくてかゆくて、夜は眠れる気配なし。夜中中、ずっと、ずーっとボリボリとかいている。布団の上は砂漠の砂のような皮の海。仕方がないから、夜の睡眠は諦め、ボリボリとかき続けることに徹し、昼間の半身浴中に寝ることにした。家の中で得体の知れない物体が落ちていたら、それは間違いなく私の皮膚から剥がれ落ちた巨大なかさぶたなのであった。朝起きてベランダからひとしきりシーツを叩くと、その砂のような皮が風に乗ってお隣さんの車の上に降り注ぎ、本当に、申し訳ない、と思う。まさに脱皮。正念場なり。でも、大丈夫、高校生の時はもっともっとひどかったから耐えられる。顔の腫れは引いてすっきりして、心なしか輪郭がシャープになったような。顔の湿疹そのものは、年末の時よりも遥かに遥かに楽。両腕と右膝が顔の肩代わりをしてくれたのか?(のちに調べてみると、ちょうど湿疹が出ていた両腕の箇所が、顔の湿疹に効く「ツボ」の箇所だった。)両腕と右膝の湿疹は、湿疹というよりケガに近い。もしこれが顔に出ていたとしたら、この好転反応を乗り越えることは決してできないと断言する。耳の後ろから黄色い汁が出てきて頭を横にすることができず、仰向けで寝るしかない。私は常にうつ伏せ寝か横向き寝だった。頭皮全体ともみあげのかさぶたが分厚く、取れる気配がない。どうせ夜もまともに寝られないから、お風呂でうたた寝する。1回につき1時間半〜2時間の半身浴、それを一日に2回繰り返す。さらに寝る前の入浴。私の場合一度に長時間入ると疲れてしまうからね。ただ淡々と続けた。出ていないのは足の裏と手の平のみ。手の指は、全指、おびただしい水ぶくれに覆われ、一回り大きく腫れている。お布団に多量の皮が落ちて、お皿に盛ればおそらくこんもり盛り塩ならぬ盛り皮?ができるほど。夜かさぶたがかゆくて本当に眠れない。
2016/10/27
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて1週間。月日がなかな流れません。一日がとても長く、退屈極まりない。寝て起きて半身浴、しかもとても疲れる、それしかない毎日だった。朝起きた時の顔の腫れは5倍増し。目が開かない。普通目と鼻の間の凹にめがねを置きますが、腫れ過ぎてお山のように盛り上がった凸にめがねを置く。半身浴をしたり何なりをしていたら、2倍増しぐらいに落ち着いてくる。夜寝る直前が一番腫れが引いている。そしてまた朝5倍増しになっている自分の顔とご対面。この腫れはなぜか数日で解消する。その後は毎日2倍増しの顔で過ごす。そして、朝起きた時の目やにがものすごい。
2016/10/25
コメント(0)
自分治療「更新」のお話ご存知のように私はこれまでありとあらゆる不定愁訴を抱え、自殺願望を抱き、さらにはアトピーに花粉症に難病患者です。この湿疹は、積年の溜め込んでいた内臓から出ている毒らしいのですが、なんだか得体の知れない宇宙人のようになっていました。黄色い汁や膿にまみれる両腕と右膝は、湿疹が出始めて2ヶ月ほど経った頃の7月前半がピークでした。それがだんだん少なくなってきて、カリカリのかさぶたになりました。アトピーの湿疹とは明らかに違い、今まで見たこともない経験したこともない湿疹です。年末の湿疹もそうでしたが、やっぱりこれは「冷えとり」健康法による好転反応の毒が出ているのだと改めて納得しました。と、両腕と右膝のピークが過ぎたところに、またしても顔と首、手首から先、足首から先、と末端に湿疹が出始めるようになりました。ついに恐れていた顔です。そしてあっという間に全身が湿疹に覆われました。人間みな一枚皮なのだから、おへそや鼻の中や耳の中までもです。でも、もう出るものは仕方がないし、これは体調が悪いのではなくてむしろ体調が良い好転反応なのだから、乗り越えさえすればまた一歩健康へと近づくのだし、とあれこれ考えながら(でも悶々としながらも)腹をくくり、薬に頼ることなく、もう一度おそらく過酷になるであろう湿疹と向き合うことを決意しました。どうせ酷暑なので、お散歩などできるはずがなし、幸い仕事もしていないし、だったらもう今向き合うしかないのです。延ばし延ばしにしても結局は訪れる道。逆に考えると、これは仕事もしていない私への最大のご褒美です。きっと今仕事をしていたら皮膚科へ直行ですもの。どれぐらいの期間がかかるかわかりませんが、どうしても限界が来たらまた皮膚科へ行くと決めて、少しの間修行僧になりました。でも、不安という感情はほとんどなく、むしろ毒を出し切ろうという前向きな気持ちの方が遥かに大きかったです。年末に一度目の湿疹が出始めた時はあまりに驚き、ひるみ、心と身体の準備ができませんでした。今から思えば、真っ向から立ち向かう気力よりも、「俗欲」たるものがたくさんあったように思います。◯がしたいとか、◯に行きたいとか。◯しないといけないとか、そういう変な決め事もあったことも確か。一応湿疹の好転反応を一度体験していたので、今回は顔に5日間ほどだけステロイドを塗って一時的に好転反応を止め、その間にしておかないといけない雑用や、行っておきたい美術館や映画館などへ行っておいて、本もたくさん借りておいて、(体には良くないけどおいしいものもたくさん食べて)、いざ湿疹に備えました。この間、いつもより厚めにファンデーションを塗って隠したりしましたが、それには追っつかないほどの私の新陳代謝のすごさに、やっぱりこれは向き合うしかないということなのだと悟った所存です。いえ、これだけ身体が良くなったからこその、喜ばしい好転反応なのだから。7月20日頃から、一時的に塗って湿疹を止めていた顔のステロイドをやめると、徐々に徐々にじわりじわりと湿疹が吹き出てきました。どうせ家で座って本を読んでいるのなら、その時間に半身浴をしようと決め、一日をほぼお風呂場で過ごす日々。夜の入浴も含め、一日最低1時間、長ければ計5時間ほど湯船に入っていたのではないでしょうか。幸い夏だから寒くもなく、比較的すんなりとお風呂場へ向かうことができました。無理矢理湿疹をステロイドで止めていた数日間に、顔をほぼ覆い隠す大きめの帽子も購入しておいたので、その帽子をかぶって図書館で本を借りることだけをして、運動不足にならないようにスクワットをしたりしてただひたすらに湿疹と向き合いました。特にひどかったのは、まず両腕と右膝と、体の末端。首と顔と頭、手首から先、足首から先と人目に触れてほしくない場所に出ました。でも結局あれよあれよという間に全身に広がっていったので、もうどうにでもなれという心境に近かったです。これは好転反応なのだ、身体が良くなる前に一時的にひどくなるだけのことだ、これを乗り越えたら輝かしい「ステロイドを断った」という皮膚に出会える!そう強く自分に言い聞かせて挑みました。ただただ母には感謝です。一日中じっとお風呂にこもる娘、湿疹はびっくりするほどひどい、それは心配だったと思います。私はなんだかんだ偉そうなことを言っても、結局母には頭が上がらないのです。毎日母のおいしい手料理に励まされ、特に愚痴を言われるでもなく、ただ淡々と時が過ぎていきました。私はこうやって実家にいて仕事もしていない身だからこそできたのです。仕事をしていたり、一家を担う主婦であれば好転反応と向き合うことはできなかったでしょう。母のためにもがんばろうと思いました。思いの外、お風呂場は快適でした。昼間からお風呂に入るとはなんとも贅沢なことであり、さらに下半身が温まっている状態だととっても気持ちがいいので、心がささくれ立つこともありません。暑い、汗が出る、というだけで神経は立つので、この神経難病を抱えている私にとっては楽園でした。それまでも毎日夜には1時間近く半身浴をしていたのですが、改めて半身浴の威力を知った日々でもありました。ただ、ずっと湯船に浸かっているだけではやっぱり退屈で仕方がなく、読書と言ってもそうは読めません。映画のダウンロードも考えましたが、積もると結構な出費になるので、結局小説ではなく普段読まないようなエッセイを読んだりしているか、ぼーっとしているか、うたた寝をしているかとなり、でも、不思議なことに美術館へ行きたいとかカフェへ行きたいとか、そういう欲求はまるで生まれてきませんでした。今となってはそれだけ好転反応と向かい合うことを覚悟していたと思われ、精神の軸もどしんと座っていたようです。結果、図書館以外は本当にどこへも出かけない夏を過ごしました。
2016/10/22
コメント(0)
自分治療「更新」のお話4月か5月だったか、今回の好転反応のきっかけは右の腕の外側にできた直径10cmほどの湿疹からでした。年末の一度目の経験を踏まえ、もしや好転反応か?とは思いましたが、それほど気にすることもなく、でもやっぱり少しずつひどくなっていったので、これは正真正銘好転反応だと確信したことが始まりです。その後、左の腕にも出て、右膝にも出て、夏本番になると汗もができたりもして(汗もは好転反応ではないと思い込みステロイドを塗っていましたが、汗もも好転反応の症状らしいです)全身の湿疹に広がっていった、と、ざっとそういう経過でした。誰しも幼い頃にすってーんとすっ転んで膝小僧に大きな傷を作ったことがあるかと思いますが、右腕はまさにその傷跡のような大きな湿疹でした。私の場合は、かゆくてかゆくて掻きむしったことによる。さらに左腕と右膝にも同じ種類の湿疹が出、これがまたちょっとやそっとのかゆさではなく、皮膚のもっと奥のもっと深層というか、ただ皮膚の表面だけがかゆいようなそんなかわいらしいものではなく、何と言えばいいのでしょうか、もう骨の髄からかゆい感じなのです。そして、初期の、ふつふつと湧き出てくるような膿から放たれる悪臭の臭いことと言ったら。そして、7月半ばからは全身にも湿疹が出始めたので(腕や膝よりは遥かにマシな湿疹でしたが)、3ヶ月は覚悟の上での怒涛の半身浴生活が始まります。半身浴の威力を身に染みて実感している今、一度目の年末の好転反応の時、もしかしたら半身浴をしていたら乗り越えられていたかもしれないと思わなくもないですが、あの時はあの時で、もし半身浴をしていたとしても心が好転反応に付いて行けず、結局皮膚科へ直行だったと、今はそんな風に振り返ります。さて、その半身浴の排毒促進力は半端なく、当の私本人が一番驚いている次第でありますが、目に見えて積年の溜まりに溜まった毒素が体から出ていく実感は、とても貴重な体験でした。正直、辛かったです。泣きたかったし逃げ出したかったです。でも、いつも嫌なことがあれば逃げてきた自分を顧み、これを乗り越えなければ未来はないととくと自分に言い聞かせて、泣き言は言わずここまで耐えました。何が原動力だったか ー それは、体を今よりも少しでも治したいという強い意志、その一言に尽きます。MSを経験しているからこそ、日に日に歩けなくなっていくというあの苦しさだけは、もう絶対に絶対にあってはならないのです。実は今日で半身浴を始めて3ヶ月なのです。まだまだ湿疹は出ているので、完治まではほど遠い道のりですが、ようやく自分なりに目処が付いてきて、覚悟していた期間をなんとか耐えたしるしとして、好転反応記録を綴り始めます。大変ご心配をおかけしました。ただ、不快感が呼び起こされる表現も多々あるかと思うし、また、とてつもなく長い日記にもなりますので、必要のない方はスルーしてくださいね。さぁ、MS発病後、左側の片側(へんそく)顔面痙攣に続くの最大の試練、二度目の好転反応日記スタートです。無事に完治して<完>と書けるでしょうか。それはまた、一体いつになるでしょうか。よろしくお願いします。
2016/10/21
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード274】少しごぶさたしていましたが、左側の片側(へんそく)顔面痙攣は、相変わらずです。止まっている時もあり、ピクピクすることもあり、まぁ、やっぱり完全に止まることはないようです。これも足に遺るしびれと同じだと考えているので、これからも付き合っていく所存です。ここまで回復したのでよしとします。
2016/09/30
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード273】直感、というか、まったく根拠のない自分の「勘」を頼りにしてこれまで生きてきた節がある。大きなことなら不登校、予防治療を拒否したこと、など。小さなことなら、その日に出かける場所、歩く道順でさえも。でも、たとえどんな小さな選択でも、その後の私の人生を大きく左右してきて今現在の私があると思う。私の「勘」がそう言っている。こっちだよ、そっちじゃないよと言っている。だから私はそれに素直に従うだけだ。私、数年以内に、40歳ぐらいまでを目処に、受給者証を持つ難病患者から外れます。敢えて卒業するとは言いません。「外れる」のです。
2016/09/22
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード272】私にだってパートナーがいて、母がいて、妹だっていて、家族はいる。でも、自分にもし何かあった時、お世話をしてもらえる人がいるかと言えば、それはなかなか難しい。母は老いる一方、妹にははなからきっぱりと「面倒は見られない、一人で生きていって」と言われているし(苦笑)、もしあの時のように歩けなくなって、もし車椅子にでもなったとしたら、パートナーにはそうでなくてもおんぶに抱っこで支えてもらっているのに、本当におんぶに抱っこになってしまう。それだけは何があっても避けねばなるまい。できる限り自立すること。それが目下の私の最大の目標である。人にはいつ何が起こるかわからないということを父の死と自分の病気を通して身を以て経験したし、実際自然災害だっていつどこで何が起きてもおかしくない地球。もしそうなったとしても、そんな中でもできる限り他人の負担になることのない心身でいたい。以前の私とは違い、もう、「生きる」ということしか見据えていないから、心と体の両面の強さを併せ持った揺るぎない肉体を作ることに甘んじることなく、日々取り組んでいきたいと思っている。昨日、来年度の受給者証が届きましたよ。
2016/08/25
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード271】回想つづき。顔の左側だけ歪んでひしゃげたような、顔の左側だけ踏みつけられてぺちゃんこになった缶ような、いくら頭で考えても自分の力ではどうしても戻すことも止めることもできなかった左側の片側(へんそく)顔面痙攣。特に一昨年の夏は心底病んだ。MSの発病時と比べたら、苦しい内には入らなかったけど、灯りはすぐそこに見えているのにも関わらずここは地下室だった。発病丸7年後の初めての「再発」(書類上)。この病気には極めて稀だという「痙攣」という症状が現に存在し、もしかしたら「痙攣」という再発も今後ありうるのだと、ある意味では勉強になった。もう再発はしないと決めてかかっていたので、地下室は案外暗かった。それでも、時はみなに平等に流れ、また癒してもくれた。痙攣は約一年でほぼ止まり、今は何ら問題のない以前の生活を送っている。いずれ「特定疾患受給者証を持たない難病患者」になりたいと思っていたが、やっぱりそれは少し難しいのかもしれない。やや理不尽だけど、もうそれはこの病気を患った時点で、平伏すしかなかったのかもしれない。いや、私は諦めてはいない。私はこれだけ元気になったのだ。希望を捨てたらそれで何もかもが終わってしまうではないか。忍耐力、それだけはなぜだか自然と備わった。今の自分にできることを無理なく続け、自分の身体の声を聞き、大切に、世間や他人に流されることなく、私はここで私らしく生きる。いずれ、特定疾患受給者証を持たない難病患者として。
2016/08/11
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード270】少し回想。左側の片側(へんそく)顔面痙攣は、MSの発病の時に比べると症状としては塵ほどのものだったが、精神はほとほと参ったと認めざるを得ない。夢や希望や、なんかそういうものまでも根こそぎ持っていかれた感は否めない。痙攣を患ってからのこの2年余り、私がずっと抱いていた夢は一体どこへ行ったのだろう。もう夢ではなくなったのかもしれない。どうせ無理さ、という諦めが8割、後の2割はもう気力が湧いてこない。ピアノも完全に辞め、復帰の見込みはなし。仕事も結局やる気がない。日々、ただ過ぎてゆくだけであった。寝て、起きて、食べて、お散歩へ出かけて、ぐうたら生活。唯一、精神だけはどんな時も波風立たずに一定で落ち着いたことだけが(つまり死のうとは思わなくなったこと)、救いなのであった。趣味はまぁまぁ増えたので、ただ淡々と生きる、これが痙攣から学んだことらしい。
2016/08/08
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード269】医者を選ぶときの心得。「患者としての直感を大事にする」「あいさつしない医者、患者の顔を見ない医者、患者を見下す医者はやめる」「医者の誘導に気をつける」「いきなり5種類以上の薬を出す医者は、要注意」以下省略。うーむ、すべて当てはまっているような…。次回の診察は12月かぁ。ちょっと本当にまじめに考えなくては。私の今後の一生がかかっていると言っても過言ではない、この病気との関わり方。いえ、主治医との関わり方。以前の主治医に戻してもらえないかと掛け合おうか。でなければ、もう通院すること自体を止めようか。はて…。ますますこの思いが強くなってゆく。
2016/08/01
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード268】いつだったか、背中のこぶし大のしびれが止まったかもしれないと書きましたが、いいえとんでもありません、暑さでしびれています。左側の片側(へんそく)顔面痙攣も明らかに感じているし、やっぱり夏はしんどいです。
2016/07/21
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード267】ところで、おもしろいことがあった。先日市役所へ行った時、たまたまテレビ局らしき人たちがいて、なんの取材だろうと不思議に思っていたのだが、必要書類を揃えて保健所へ向かおうとした時に声をかけられた。「◯市在住の方ですか?」「はい」「小学生の時も◯市在住ですか?」「はい」「◯市は水泳が熱心と聞きましたが、熱心でしたか?」「…?…はい、熱心でした」「ジェイコムですが、水泳についてインタビューして下さる方を探していまして…」もう少し柔らかい感じのやり取りだったが、まぁこういう感じの会話だった。実は私の住む◯市は水泳の指導が厳しく、全精力を注いでいることで有名なのだが、小学6年生の時には修学旅行の他にもう一つ「臨海学校」という宿泊行事があって、これは、みんな命綱をつけて必死で海で1km平泳ぎする、というなんとも過酷極まりない宿泊行事なのである。放課後は強制的に連日特訓の授業となり、とんでもなく泳ぎに泳いで毎日へとへとだったが、私は水泳が大好きだったため、こんがり日焼けして健康そのものだった。何せ、有無を言わさず海へ放り込まれるので、必死でもがいてでも泳がざるを得ず、だから、◯市はいわゆるカナヅチという児童はいません。みんな、泳げます。と、こんなことを聞くために市役所にジェイコムがやってくるとは(笑)ちょっと行かないといけないところがあって(保健所)、とお断りし、インタビューを受ける気などさらさらなかったけれど、なんだか思いの外楽しい一日だった。と、こちらは梅雨明けです。こんなに暑いのにまだ梅雨明けしていなかったのかと、本格的な夏到来に既に辟易していますが、とにもかくにも涼しい内に保健所へ行っておいてよかった〜。
2016/07/18
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード266】暑いと言ってもまだ涼しいし(今日はびっくりするほど涼しかった)、煩わしい事は早めに済ませておこうと思い家を出ると、アキヲがいた!ちょこんと座って、まるで私を待っていたかのようにかわいい顔してこちらを向いている(すぐ逃げたけど)。わぁアキヲ♪私が保健所に行くことどうしてわかったの?まずは病院に提出していた受給者証更新の書類を受け取り、病院の近くにあるおいしい定食(ヒレカツと夏野菜のトマトソース)をもりもり食べて力をつけてから市役所へ行き、もろもろの必要書類を揃えて(住民票の写しが値上げされていて驚いた)保健所へ申請へ。毎年変わらず、霊でも取り憑いていそうな陰鬱な雰囲気の保健所だが、もう少し照明を明るくしたらどうかしら。運良く待っている人が誰もいなかったので、すぐに呼ばれ、さまざまな書類を窓口の方にまとめて渡し、記入漏れや誤りがないかしばし確認待ち。去年は有無を言わさず流れ作業のように保健師の方との面接があったのだが、これといって相談したいことはないと言うと、じゃあ今日はこれで結構ですとすんなり終わった。こんなにもスムーズに申請できたのは、MS歴10年目にして初めてである。なんと清々しい。ありがと、応援してくれたアキヲのおかげだね。帰りに冷た〜いソフトクリームを食べてから帰る(ちゃっかり朝起きた時から決めていた)。おいしい♪今年一番の仕事が無事に終了してホッとする。それにしても、あと何回保健所へ行くのかしらね。(ところで、こちらでは、今年はマイナンバーは記入してもしなくてもどちらでもいいということだったので、私は記入しなかったのですが、おそらく来年は必ず記入になるだろうということでした。何がどう変わるのでしょうか??)
2016/07/15
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード265】私、主治医の研究のためにMRIを撮りに行っているのだろうか。どうですか?という質問もなく、予防治療を勧められに行くだけの通院。本当にそろそろ受給者証の更新を止めようかしら。数年前から考え始めたことだけど、それはもちろん主治医にわざわざ書類を書いてもらって市役所で必要書類を取り、保健所へ行かなければならないという雑用と諸費用がかかるのが面倒だという気持ちは大いにあることは認める。素直に、受給者証を持たない難病患者になりたいという思いも認める。でも、それよりも、今の私は極めて症状が軽い。もし今発病時のような症状なら、どんなに手間がかかってでも間違いなく受給者証をいただくが、私のような患者ではなくもっともっと重い症状を抱えている方に、私の分のお金を使っていただきたいと思うのである。受給者証を持たなくなれば病院にも行かないし、私は行かない方が心身ともに元気でいられると思う。主治医に会わなくていいということも含め、病院へ行くという行為と、数週間前からまた病院か、と気分が落ち込むことが本当に滅入るのだ。逆に病院へ行かない方が病気のことも考えないでいいし、私にとってはそれこそが治療のような気がしてならない。予防治療もしない、病院へも行かない、受給者証も持たない。これこそが私なりの健康への最短の近道。そう、私がずっと貫いている、何もしない、ということを。
2016/07/10
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード264】なぜ私がこんな考え方になったかというと、それは育ってきた家庭環境が大いに影響していると思われる。もともと、私は体が弱かった。小学校低学年の時に、一緒に暮らしていたおじいちゃんが亡くなり、今と変わらぬ感情で死というものを悟った。そのすぐ後におばあちゃんも亡くなったが、手の施しようのない卵巣がんで、抗がん剤治療のため、誰が見てもすぐにそうとわかる鬘をかぶっていた。高校生の時、引きこもって自殺願望を抱く日々。同時期に大切だった人の突然の事故死。同時期に母がC型肝炎で入院し、お尻にインターフェロンの注射を打ち続けぐったりと寝込み、おばあちゃんと同じようにごっそりと髪の毛が抜け落ちていった。そして、あっけなく逝った父と自分の難病。それらが着々と私という人格を形作っていった。
2016/07/05
コメント(0)
自分治療「更新」のお話バンザーイ!と手を挙げた時に、正面にいる人に見える両腕の手首〜ひじ。それから右膝に500円玉2枚分ほど。今ここにまたびっくりするほどひどい湿疹が出ています。おそらく、年末に薬で抑え込んだ「冷えとり」健康法の好転反応の湿疹が、出たくて出たくてまた毒として出てきた模様。もう2ヶ月ほどになるでしょうか。やけどをしたようなジュクジュクとした皮膚で、とにかくかゆいです。服にも黄色い汁がシミのように付くので、しかも夏ということもあり、少し不快な感じは否めませんが、我慢できるまでがんばってみます。ただ、年末と同じように、限界が来たと思ったら迷わずステロイドを塗ろうとは決めているので、ご安心を。(因みに、今も靴下8枚履いてます。)さらに、実は、5月末からまたある自分治療を開始しています。禁断症状が出るかと思いきやまったくそんなことはなく、何ら変わらず普通に過ごしています。さぁ、身体はどう変わるでしょうか。もしこれで身体が大きく改善されれば、今までの私の不調のすべての根本的な原因の究明となりそうだなと感じています。でも、無理はしない範囲でですよ。さて、いつこのブログに綴ることができるでしょうか。1年後か2年後か、気長に続けます。
2016/07/03
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード263】おととい、受給者証の更新書類が届いていたので、今日病院へ提出してきた。この間診察してもらったばかりなのに、タイミング悪く毎年この時期に書類が届くのよね。また受け取りにも行かなければならないし、一年の中で最も疎ましい場所、保健所へも行かなければならないと考えると、どうにかして避ける方法はないかとどうしてもそこへ思考が進んでしまい、結局自分が受給者証を更新しなければいいんだ、というところへ行き着くのだった。それにしても今日は左の瞼がピクピクするなぁ。
2016/07/01
コメント(0)
再生?そういえばふと気付いた。左の脇腹の少し上の背骨寄り、に、こぶし大ほどのしびれがずーっとあった。これは発病してから始まり、しびれる時もあれば落ち着くこともあってほんの軽い症状だったが、でもしびれが完全に止まることはなかったので、以前主治医に聞いてみた。すると、そのこぶし大のしびれの平行線上の脊髄に発病時の病変があるからだろう、と言われた。そうかと納得し、まぁそれなら仕方がないなと思っていたのだが、そういえば最近しびれを感じていないような…?1ヶ月前からなのか、2ヶ月前からなのか、はたまたもっと前からだったのか、わからない。ふと気付いたらしびれていない。もしや止まったのだろうか。脊髄の病変はMRIを撮ってももう写らないことは数年前から知っていたが、ということは、もしかしたら再生されてきたのかもしれない。MS歴10年目。やっとここまで来た。
2016/06/30
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード262】昨日の夜、寝床に入り、ザーザー降りしきる雨音に耳を傾けて思いに耽っていると、ふいに「以前の主治医に戻してもらおうか」と頭をよぎった。と同時に、先日の予防治療をしない理由は?という問いに対する最善の答えを思い付き、大きな雨音に負けないぐらいの音でおでこをパチンと叩いた。予防治療をしない理由は? ー 発病当時、予防治療をするかしないかを決める時、以前の主治医はしてもしなくても数年後の状態はさほど変わらないと言ったので、私は予防治療をしない道を選んだ。そうやって大きな再発もなくここまで来た。予防治療をしなくてよかったと思う。このまま予防治療をしないという道で行きたい。ベストアンサーである。しまった、こう言えばよかった。と、今更遅い。MS歴10年目。私は予防治療はしなかったが、これまで何もして来なかった訳ではない。こつこつと自分治療に励んできた。自分で言うのは何だけど、私なりに日々努力してきたつもりなのだ。この病気は難病であって治療法が確立されていないのなら、「予防治療をしないという治療」だってれっきとした治療だと思う。しかも医療は日進月歩である。私の主治医は患者を個として見ず、自分の患者すべてに予防治療をさせて研究対象にしたいという考えをお持ちらしい。何度となく「研究」という言葉が口から発せられた。私の名がその名簿一覧に加えられる時、血液検査をさせてほしいと言う時、半年に一回はMRIを撮らせてほしいと言う時。それなら、「予防治療をしなかった患者」として私を研究してほしい。何も予防治療をした患者ばかりが研究対象ではあるまい。少なからず主治医の頭の上に札束が散らつくのだが、毎回それは見なかったことにしている。専門医というものは一体どういうものなのだろうか。私の主治医にそもそも医者としての能力はあるのだろうか。私などは足元にも及ばないぐらい賢いことはわかりすぎるほどわかっているが、いっそのこと研究所の研究者の方が向いているのではなかろうか。今の主治医になりまもなく3年になる。そろそろ潮時かもしれない。ただ、来週あたり今年の受給者証の更新書類が届く。これは主治医に書いてもらうほか仕方がない。更新の手続きが終わったら、以前の主治医に戻してほしいと頼みに行こうか。これ以上今の主治医と分かり合えるとは思わないし、お互いいたちごっこのような関係性を続けるのであれば、それは今度のためにもよくないとも思う。研究対象と言うけれど、患者にだって自ら研究対象から外れたいと申し立てる権利はあるのである。この病気は難病だからこそ、もう少し患者に耳を傾け、患者の気持ちを尊重してもらいたいと思う。(パートナーに相談するも、「それは無理。先生たちの関係性も考えないと。(今の主治医は)多発性硬化症を証明するために頑張っておられる人の中でもトップの人だから、それはそれで敬意を表さないと」とたしなめられた。)
2016/06/25
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード261】それにしても、図太くなったと思う。恐怖だったMRIは今やベットと化し、主治医にもちゃんと意見を言って渡り合えるようになり、昨日は左側の片側(へんそく)顔面痙攣もなぜか始まらなかった。でも、帰宅してから急激に眠気を感じ爆睡してしまい、30分寝たのか〜と思ったらまさかの1時間半だった。やっぱり緊張したことによる疲労感だったのか、はたまたはぁ〜これで半年会わなくていいのか〜という安堵感だったのか。はて。
2016/06/24
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード260】朝から気持ちが重く、なかなか支度がもたついたが、地元の駅に巣を作って、ツバメの親鳥がぱっかと開けた雛の口に餌を与えているところを偶然見て、とても幸せな気分になる。私が頑として予防治療はしないと言うものだから、じわりじわりと予約の間隔が開いていき、ついに半年になった。年に2回の通院。長すぎず短すぎず、私にとってはちょうどいい間隔だ。そうでなくても受給者証の更新だとかなんとかで、診察とは別に数回病院へ足を運ばないといけないのだから、これ以上の通院はストレスになってしまう。このまま年に2回が続きますように。さて、造影剤なしの頭部のMRIを撮ってから(理由は前回の日記参照)診察室へ向かう。今日は病院自体がものすごく空いていたので、がらーんと静かめだ。もう半分睡眠時間となっているMRIの後で、若干朦朧としている。主治医に頭部の病変は増えていないと言われる。それなのに、今も予防治療はしない意思かとまた聞かれ、一気に目覚める。今の状態ではしなくてもいいと思うが、もし今後病変が増えていくのであれば5年後10年後に車椅子になる可能性が高い。それでも? ー はい。私の患者でも何人か予防治療はしないという人がいるが、その理由を知りたいんだけど。 ー 例えばガンになったとしても、治療はしないと考えている。早期ガンでも? ー はい。とても不思議そうな理解できないという顔をされるが、これで今日の診察は終了。たった5分ほどの短いやり取りだったが、この上なくイライラしたやり取りで、たぶん私のことが面白くないのだと思う。ごめんなさいねセールスマンさん、何度言われても私からは研究費は捻出できませんのよ。ただ半年に1回はMRIを撮らせてもらうと言われたので、受給者証をいただいている手前それだけは了承したが、予防治療を勧めることばかりが主治医の頭にあるので、体調はどうですか?の一言もなかった。まず、開口一番にそう尋ねるのが医師の基本原則であり、礼儀ではないだろうか。私の主治医は患者を見ない。個としての私を見ない。みなに、一様に、予防治療を勧める。ただそれだけ。半年に一回会うのでさえも多いわね。私はね、もう自分で命を終えようとは思わないし、毎日楽しみもあって、日々私らしく生きられていると思うのよ。ここまで元気になれたしね。でもね、別に今日でもいいのです。明日でもいいのです。薬漬けになって、病気に支配されているような、そんな長生きだけはいらない。向こうから、早めにやってくるのなら、それに越したことはないと、思っているのですよ。
2016/06/23
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード259】去年の夏に、暑くなれば左側の片側(へんそく)顔面痙攣も悪化するという法則が裏付けられ、さらにそれが今年証明された。明日は久しぶりに病院へ行きますよー。
2016/06/22
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード258】となると、やっぱり再発だったのかもしれません。
2016/06/11
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード257】今日はとても日差しの強い暑い一日でした。梅雨に入り、やっぱり予想通り、左側の片側(へんそく)顔面痙攣がむくむく顔を出しています。左耳の鼓膜のまだもっと奥の方で、ト、トト、と痙攣が響きます。左側の口角辺りも僅かに違和感を感じ、なんとなく下に引っぱられるような、そんな感じです。暑くなってくると痙攣もひどくなるという連鎖はやはり正解だったようです。今年もがんばってこの夏を耐えます。
2016/06/10
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード256】さて、6月になりました。今月で発病して9年、左側の片側(へんそく)顔面痙攣は2年、このブログも開設して3000日を迎えたらしく、なんとなく自分の中でけじめを感じているので、そろそろ初心に戻ろうかと思います。日記をシリーズ化したりして自由気儘に書くことも楽しかったですが、その日の行動がメインの日記ではなく、本来の「心」がメインのブログに徐々に戻していこうかな、とつまりはそういうことです。発病10年目というそんな日を迎えるなんて、あの時は想像すらできませんでした。正直長かったです。一言や二言では到底済ませられないほど、長かったです。でも、もう前を向くのみ。それしかありませんね。病気は私に偉大な力を与えてくれました。左側の片側(へんそく)顔面痙攣に関しては、急性期を除き、一年間という季節を通しておそらくこういう状態で四季が巡るのだろうなと大体知ることができました。おそらく、梅雨〜夏には暑さの影響で多少ひどくなり、それ以外の季節にはある程度落ち着くのだと思います(精神的なものを除いて)。結局再発だったのか、あるいはそうではなかったのか、未だにはっきりとしませんが、もうそれはこの際いいです。下半身に遺るしびれと共に受け入れ、これからも一緒に歩んで行きます。それよりも現状維持に努め、絶えずよりよい明日を迎えられるように日々自分に向き合っていきたいと思っています。これからもどうぞお付き合いくださいね。
2016/06/01
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード255】5/27(金)体調はかなり良くなる。だが、一気に食べられなくなったのでお腹はぺったんこになる。それにしても、なぜこうも季節の移ろいに身体が付いていかない。ぐったり寝込んでしまった1週間だった。そして、まだ5月なのにこんなに暑いなんて、私は今年の夏は越せるのかと毎年真剣に思い悩む。もう、死活問題に近いのである。5/28(土)お腹の調子が悪い。5/29(日)久しぶりに美術館へ行く。素晴らしい!幸せ♪5/30(月)お隣さん宅の外壁工事も含め、あちこちで工事をしているので、本当に毎日工事現場の中で暮らしているようなものである。日曜日だけは休日なので街がしーーんとなり、普段はこんなに静かなのだなといつも思う。それにしても、家というものは、壊すのも一瞬なら建つのも一瞬である。今日は涼しくてうれしい限りです。5/31(火)私、復活。ブログ開設3000日ですって!
2016/05/31
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード254】5/23(月)暑いなー。身体がピリピリするのは神経痛だろうか。5/24(火)昨日とおとといは本当にしんどかったが、少し体調は楽になる。5/25(水)蛙さんが賑やかだ。さて、今年は蛙さんの写真は撮れるでしょうか…?5/26(木)月曜日からお隣さん宅の外壁工事が始まっている。耳をつんざくような騒音。1ヶ月はかかるんですってー。むしむしむしむしむしむしむしむし。
2016/05/26
コメント(0)
来月で9年数年前からうすうす感じ始めていたこと。でも、ここに綴ることは果たして許されることなのか、ずっと憚られていたこと。この度、おぼろげだったものが確信へと変わったので、そして私は難病患者だから、敢えて綴ろうと思います。MSを発病し、来月で9年を迎えます。今となっては遥か昔の出来事のようですが、あの頃の絶望は今でも手に取るように甦ってきます。なんで私が?何か悪いことでもした?だったら病気になるのは妹でもよかったんじゃないの?そんなことしか考えられず、まだ26歳なのにどれだけ理不尽な想いをしたか、どれだけのものを諦めたか、将来への悲観、健康な人への戒め、まるで私は説教者であるかのように日記を認めていました。どれだけの苦しみを味わったかを惜しげなく披露することで満たされ、それが当時の怒りをぶつける場所がない日々の安らぎだったように思います。でも、年月を経るにつれ、それは逆に「恥さらし」だったのではないかと思い始めたのです。病気というものは、自分自身が日々の生活の中で着々と積み上げ、結果創り上げられたものだと思います。不規則な生活や暴飲暴食、もしくは苦労を避けて楽な道ばかりを選んで生きて来たなど、それらは人によってさまざまだと思いますが、何より一番の影響を及ぼすのは心の在り方ではないでしょうか。私は、がんばってもがんばってもまだ足りないと、身体はもうこれ以上は無理だと切実な声を上げていたにもかかわらず、仕事やらピアノやら資格の勉強やらとにかく必死に予定を詰め込むことで自分を無理矢理正当化していました。認められたい、その思いだけが拠りどころとなってなんとか精神が保たれていたと思います。忙しくしている自分が好き、という人がいますが、それとは違ったように思います。絶えずがんばっていなければならないというような切羽詰まった感に自分で自分を追い込んでいたという表現に近い気がします。なぜそうなったのかというと、おそらく不登校の頃に遡ってしまうことでしょう。何もすることがなく引きこもっていたあの恐怖の2年間には何が何でも戻りたくないという反動がすべてを占めていたと思いますが、ここでは割愛します。そのように私は他人からの評価にばかり捉われていて、自分を自分で認めてあげること、よくがんばっているねと褒めてあげること、もう十分なんじゃない?と現状に満足することをこれっぽっちも顧みない病的な状態に陥っていました。もう思考が先へ先へと突っ走ってしまい、忙しくしている日常が当たり前、現実問題毎日が忙し過ぎて少しも振り返る余裕もなく、ふいにある目標が達成されて予定がなくなると何かしなければならないとあたふたと焦り始め、また次の目標をどこからか見つけ出す始末。要するに、自分で自分を苦しめていたのですよね。その結果、ご存知の通り発病しました。心と身体は繋がっています。身体が赤信号を発していたら心も赤信号を、心が赤信号を発していたら身体も赤信号を発しているのです。私の場合、赤信号どころかもう警告のレベルだったように思います。自律神経は大きく乱れ、その他アトピーを含めありとあらゆる不調が身体を支配し、ふと疲れが溜まって弱った瞬間にインフルエンザを発症してしまい、それが引き金となりました。すべて自分の行い、いえ、9割は心の行いが原因です。身体の発する声に無視することなく、その都度耳を傾けていたならば、もしかしたらここまで大きな病気を発病することはなかったかもしれません。難病だなんてそんな未知の世界に存在する病気などに自分がなるなどとは、微塵も頭をかすったことはなかったですもの。まさか自分がそんなことになるはずはない、いえ、そんなことすら考えたこともない、というほどに馬鹿だったのです。発病して9年、10年目を迎えるのを前に、自分の中である区切りが付いた気がしています。そんなこれまでの不登校をも含めすべての自分を受け入れ、それが私という人間であり、これからもこれが私自身だと認められたこと、それが一番大きな理由です。それに加え、ここに綴ってきた自分治療や趣味を持つことの素晴らしさ、日々感謝の念と危機管理と心積もりを忘れないこと、決して決して身体が発する声を聞き流さないこと、いえ、自ら事あるごとに何?と聞いてあげること、身体と心の両面からこつこつと向き合ってきた結果です。これからは、苦しく虚しく空回りした心ではなく、清々しく現実をしかと見た無理のないありのままの心をより多く綴ることができるよう努力します。もちろん生きていれば荒波は押し寄せますが、身体と心がより健康である日々を目指して、病気とも共存しつつ、私らしくしっかりと生きていきたいと思っています。
2016/05/24
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード253】5/19(木)ヘルペスさんこんにちは。1月、3月、5月と最近頻繁にできている。そんなに疲れているのだろうか。朝から遠くの方で小さく動くアキヲのシルエットを確認する。家のすぐ近くで、赤いバンダナをしたねこちゃんと出会う。わぁバンダナがマントみたいにはためいていてかわいい!どこのお宅のねこちゃんかしら♪5/20(金)小満今回のヘルペスは鼻の下。小さいけど、跡形は残るだろう。まぁ、鼻の影になっていてそんなに目立たないからよしとする。ところで、ヘルペスができても、もう数年前から薬は使わず放置するようにしている。自然治癒力の威力を鏡を見る度に感じる訳である。暑い。しんどい。帽子も日傘もなしではそろそろ歩けないな。5/21(土)私、たぶんフランス映画が好き。窓を大きく開け放つ季節となった。どこからか風に運ばれてピアノの調べが私の耳に届く。全部、弾いたもしくは知っている曲だ。たぶん有名な曲が一枚になったCDね。久しぶりに、少し、弾きたくなるよね。5/22(日)満月昨日、ぴかぴかのお月さまを仰いでからぐっすり眠る。この季節特有のしんどさ。取り憑かれたようにだるいなと思っていたら、そうか、今日は満月なのであった。
2016/05/22
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード252】5/16(月)妹ともんもんが帰宅し、一気に静けさが戻る。「嵐は去った」と母が言う…。あのリビングの散らかりは幻だったのかしら。私はすぐ図書館へ行ったので、もんもんと付かず離れず過ごしたのはほんの1時間ほどだったが、大いに疲れたらしく、今日は一人の時間が新鮮に思える。と、ピアノの椅子にバイキンマンとカレーパンマンのシールがこっそりと、でもほどよく目に留まる絶妙の位置に貼られていることに気付く。おそらく妹の仕業だろう。企み顔が目に浮かぶ。仕方ない、そのままにしといてやるか(笑)妹は昔からこういう茶目っ気を持ち合わせているのです。5/17(火)もうすぐ80歳になるというとても元気な女性が、今時の子どもの名前はなんだか宗教じみていると言っていて、妙に納得してしまう。そういえばいつだったか、あるパパが息子を呼んだのだが、「ぞーへー」と言った。美術館マニアの私には「造幣」としか漢字が浮かんで来ず(苦笑)一体どんな漢字を書くのでしょうか。9割方「へー」は「平」。「ぞー」はまさかの「象」?……………。5/18(水)最近は幼稚園の子どもまで歩きスマホ。おしゃれな感じのブックカフェへ行ってコーヒーを注文したら、湯気の「ゆ」の字も立っていない生温〜いコーヒーが運ばれてくる。「あっさり」とメニューには書かれていたのだが、あっさりなんてほど遠く、生温さのせいでもった〜りしたお味がする。久しぶりにこんなにまずいコーヒーを飲んだなとかなり驚く。
2016/05/18
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード251】5/14(土)妹ともんもんが泊まりに来るというので、お出かけする。行きたかったところへ行ったりしていつも通り結構楽しく過ごす。夕食を外で食べることはめったにないのだが、久しぶりに外で軽く済ます。おいしい。10時頃帰宅。リビングに入った瞬間、おもちゃ箱をひっくり返したような散らかり様に唖然とする。バイキンマンのシールが床に引っ付いているし、二人分のおむつや服が山のように盛られ、ここは夜逃げ現場かしら。ちらと覗くともんたは蛙さんの足をしてすやすや、もんじはブブブブブといびきをかきながら夢の中。もんもんの寝顔を見ながら、妹と1時間ほど姉妹他愛のない会話を交わして寝る。5/15(日)早朝からとても元気な声に起こされる。もんもんとご対面。だぁれ?という顔をしてきょとんとしているが、昨日から「ママのお姉ちゃんの尚と明日会う」というお膳立てがされていたらしく、尚、尚と呼び捨てで連呼される。もんじに「もんちゃん(もんじの)ママ?」と聞かれ、私はおかしくて笑いが止まらない。私ともんもんとの再会はいつもハイタッチと決まっている。私がもんもんの顔の前に手をパーにして出すと、人見知りしないもんじがまずタッチ、少し緊張して恥ずかしい顔をして妹の背後に隠れ1分ほど様子を見た後にもんたが小さくタッチ。はい、お友達ね、という感じになる。その瞬間から、扱われ方はママと同等になる。始終家中を走り回り、どうやら忙しいらしい。プレゼントがあるよ、な〜にかなと言うと、うーーんとー、えーーっとー、と二人に同じにやにや顔で見上げられ、ふむふむ双子だな、と思う。それぞれに絵本をプレゼントすると、うれしそうな顔をして大きな本を脇に抱えて大急ぎでママの元へ飛んで行き、もらったよ!とぎゃあぎゃあ大騒ぎ。ママに順番に読んでもらい、まぁ、喜んでくれたと思う。私はいつも絵本をくれる人だと合点はいっているらしい。それにしても、もんたももんじも大人と普通に会話ができるようにまで成長した。思った以上に大人の会話が理解できているようで、子どもの成長とは本当に著しいこと極まりない。絵本も、理解が「絵」から「物語」へとステップアップ致しました。8月で3歳になりますのよ。もう小さな大人ね。体の大きさは年子と言っても通るぐらい差が開いてきた。ご存知の通りもんじの方が遥かに小粒だ。もんたは生まれつき骨格ががっしりしていたので、これからもっと大きくなると思う。もんじは…、まぁ小粒なままでしょうね。ただ、もんじの方がお口は達者なようですわよ。五分五分の取り合いっこのケンカが絶えない双子の男の子の子育ては心底大変だと思う。男の子にしてはおとなしい方だとは思うが、体力はびっくりするほど有り余っているよう。このまま元気にすくすく大きくなりますように。また大きな声で尚と呼び捨てしてね。尚おばさんはもんもんに会えてうれしかったわ。また遊んでね。
2016/05/15
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード250】5/11(水)雨の日が続くと調子が悪い。気持ちがどんよりし、体も重たい。とにかく、歩きたくて、お散歩に出る。カフェで隣に座る男性がイタリア語の勉強をしているらしい。一人は堪能、もう一人は中級といったところか。ところで、例えば2年前にお世話になった人に2年ぶりに再会する場合、「2年前は大変お世話になりました。ありがとう」というしゃべり出しはイタリアには存在しないそう!もう2年前にありがとうと言ったのだから更に何回も何回もお礼を言うことはしつこいんですって。ほほぅ、勉強になるわね〜。「今」を基準に話し始めたらいいのね。なかなかおもしろいカフェ時間を過ごす。5/12(木)あさってのことを考えるとすっきりせず。やっぱり歩きに行く。のらねこちゃんを4匹も(それとアキヲの足だけ)見る。地元の図書館では一冊につき2週間借りられる。もし次に予約をしている人がいなければさらに2週間延長できる。つまり、最大4週間借りられるということだが、なぜかたった一冊の350ページほどの小説を読み終えることができなかった。仕方なく半分ほど未読のままで返却する。はて。おもしろくない訳ではなかったのに。きっと気分が乗らなかったのね。また改めて借りるとするか。5/13(金)私、発病したのが6月だったし、顔面痙攣が始まったのも6月だった。なんとなく私の要注意月間は5月と6月だと思う。おそらく気候の影響を受けやすいんだろうけどね。なるべく慎重に、より慎重に、穏やかに過ごすように心がけよう。明日は妹ともんもんが泊まりに来る。痙攣がむくむくと顔を出す。逃亡場所は、決まった。
2016/05/13
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード249】5/6(金)雨の日が多いですね。よーく眠る。5/7(土)新月少しだけ遠出して美術館へ行く。妹から無料のチケットをもらっていたのだった。おそらく半年ぶりだが、なんとなく懐かしい場所というか、行く度に家に帰ってきたのと同じような気持ちになれてほっと落ち着く。と、帰宅中に五ェ門に会い(というかある場所へ行くと90%いる)、これまたアキヲハウスへ帰宅中のアキヲにも鉢合わせする。あら、偶然ね♪アキヲもお出かけしてたの?5/8(日)朝からねこちゃんが追いかけっこをしているところを見る。良い日になりそうな予感は的中し、良い日になる。左側の片側(へんそく)顔面痙攣は来月で2年になるにあたり、ようやくまぁまぁ落ち着いたかと思う。ただ、完全に止まることはない。なんでもない日々を過ごしていても、忘れた頃にピクっと震え、あぁ、そういえば痙攣していたのだったと自分が自分に気付く。5/9(月)連休、終わりましたね。そして雨、ですね。5/10(火)毎日、過ぎるのがとても早いですね。もう、あっという間に半ばですね。
2016/05/10
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード248】5/2(月)「彼女が何見ても欲しい欲しいって言う」とぼやく学生。あのね、それはとどまることを知らない「欲しい欲しい病」っていう病気ですわよ。お隣さん家はいち早く冷房と暖房を入れるのだが、もう冷房を入れている。最近どこへ行ってもコーヒーが「アメリカン」になった気がする。アメリカンを注文したらお湯割りのようになるのでは…気のせいだろうか。みなさん、もしや豆の量を減らしてはいませぬか?5/3(火)楽しい連休のはずなのに、なぜかみんな顔が疲れている。デモがすごい。5/4(水)風がすごい。連休はいかがお過ごしですか?私は大掃除をしました。5/5(木)立夏ねこちゃんの写真をいーっぱい撮る♪五ェ門にも遭遇する♪来週末妹ともんもんが泊まりに来るので、母が敷布団を買った。旦那さんが旅行らしいので、自分たちも負けじと旅行という訳である(苦笑)私は憂鬱でしかない。もんもんに会えるのは多少うれしいけれど、私は母がいたら楽しめないので、いつものように逃避行することにしようか…。毎回毎回何をやっているのだか。まったく自分が嫌になる。
2016/05/05
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード247】4/30(土)左の坐骨神経が少々疼く。長編小説を読み終えた後は、雑誌などをめくってしばらくふわふわとまどろむ時間を作るようにしている(もう次に読む小説は借りてあるんだけど♪)。それにしても、雑誌も良いと思えるものはほとんどないなと感じているので、いつも毎月2冊だけを借りている。近頃「それこそ」という言葉がはやっているのかしら。よく聞くけど、意味がよくわからないし、巷の会話は全然接続語としての機能を果たしていないと思う。というか、どういう時に使うのやら。本屋さんで平積みの本がざざっと雪崩のように崩れ落ちる現場を2回、雑貨屋さんでも塩こしょう入れの雪崩の現場、脚の長い椅子が一脚真横にガタンと倒れる現場、呼び鈴が落下してチンチンチンチンと狂ったように鳴る続ける現場に遭遇し、なんだか変な一日となる。でも、楽しくてかわいい映画に出会えて全部がトントンとなり、幸せ気分でよく眠る。5/1(日)八十八夜しかしアレですね、先日妹のお姑さんのお姑さんが亡くなりましたが、つまり旦那さんのおばあちゃんということですが、私が一緒に住んでいた母方のおばあちゃんなんてもう小学校低学年の頃に亡くなって数枚の静止画として記憶に残っているくらいだし、おじいちゃんなんてさらにその前に亡くなったので遺影とおばあちゃんよりも薄い記憶しかないし、父方の祖父母は年に数回しか会わなかったから妙に仰々しかったし、というか父さえ亡くなって来年でもう15年だし、地元の友達は成人式の時に3人目を身ごもっていたし、大好きだったカフェのおねえさんは40代後半でもう2人のお孫さんのおばあちゃんだったし、かと思えばお向かいのお宅は奥さんが急死したから父子家庭だし、そう考えればもんもんは尚家のおじいちゃん(父)のことはまったく知らない訳だし(というか、私は勝手にもんじは父の生まれ変わりだと決めてかかっている)、となると私は早くに祖父母と父を亡くしたとは言え両方の祖父母に抱っこしてもらえたことはある意味奇跡であり幸せなことだったと思うし、もんもんは双子という生物学的に不思議な多胎児で生まれたし、言い換えればそれは父といつかの時代に生きたもう一人の先祖が生まれ変わった証であるし、私はもう今年36歳で9割9分9厘子孫を残す確率はないだろうけれど、極めて辻褄の合わない話ですが、これもすべてトントンなのかしら?
2016/05/01
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード246】4/26(火)帽子をかぶって美術館へ。汗ばむ陽気である。帽子をかぶると、ほんの少しだけうれしくなる。4/27(水)昨日の朝妹のお姑さんのお姑さんが亡くなったので、母がお葬式へ行く。施設に入っていてお姑さんがずっと介護をしていたのだが、結局もんもんとは一度も会わずじまいだったそう。熊本にいるお姑さんの実父母とも一度も会ったことがないので、妹は、もう少し落ち着いたらもんもんを熊本へ連れて行こうかと考えているらしい。やっぱり一度は会わせたいと思うのが親心かもしれませんね。しっとりと雨。蛙さんの合唱が心地いい。今年は蛙さんの写真、撮れるかしら?4/28(木)昨日と今日は妙に眠たい。雨のせいかな。でも今日は、雨音をBGMにして読書に精を出す。2ヶ月半ほどかかって長編小説を読み終える。読了した直後の、体中を満足感でいっぱいに満たすあの清々しい瞬間は、いつも大好きな瞬間である。そして、なぜか左目がめばちこのように腫れているのだが…。4/29(金)ついにgwが始まる。どこもかしこも混んでいることだろう。初日、やっぱり私は美術館へ行く♪貸切状態で大満足。
2016/04/29
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード245】4/22(金)満月急に陽射しが強くて暑い。そろそろ帽子の出番だろうか。しかし、体感温度というものは実に人それぞれで、半袖の人もいれば、コートにマフラーの人もいる。人間観察がなかなかおもしろい。4/23(土)昨日はぴかぴかの満月だった。ところで、私、おそらく汗疱状湿疹(かんぽうじょうしっしん)と思われる。手の指に無数の水ぶくれができて、とにかく異様にかゆくてかくと、水ぶくれが潰れて結果あかぎれのようになる。どうも汗が上手く外に出ずに水ぶくれとなるものらしいのだが、原因はわからず、これといった治療法もないそう。私の場合、右手の人差し指がとてもひどく、ステロイドを塗ったら少し楽になるのだけど、完治するものでもなく、えっと一体どうしたらいいのかしら?4/24(日)お散歩へ行くものらねこちゃんに遭遇せず、今日は寂しいなと思っていたら、最後の最後でアキヲに会う(というか、アキヲハウスをちらと覗くといた)。アキヲ♪♪ただいま。おかえり。それにしても、今日はやけに目がかゆくて鼻が出るなと思っていたら、今年に入って黄砂初観測ですって。そりゃあ仕方ない。4/25(月)月日はあっという間に過ぎてゆく。みなさん、もうすぐgwですわよ。私は毎度のことながら予定はなく、いつも通りの日々を過ごします…。
2016/04/25
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード244】4/17(日)妹のお姑さんのご実家が熊本なのですが(実はもんもんには熊本にひいおじいちゃんとひいおばあちゃんがいるのです)、避難されているとのこと。ご無事で何よりだけど、これからが心配です。そして今日はものすごい風。4/18(月)肌寒いけど、今までがちょっと暑すぎたのかな?4/19(火)お散歩に行って、たくさんお花の写真を撮る。春は色とりどりのお花が咲き誇るから街が明るくなる。私もうれしくなる。そろそろ長編の小説が読み終わる見込みだ。やっぱり私は、何冊もの小説を並行して読むより、1冊読み終わったら次の1冊へ、という読み方の方が合っているように思う。読む速度も決して速くないし、そんなに器用じゃないからね。さて、次は何を読もうかしら♪4/20(水)穀雨晴天。どこまでも果てしなく青い。夜空に浮かぶ月はあんなにも美しく光り輝いているのに。4/21(木)微力だけど、ほんの少し、募金する。
2016/04/21
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話そして、現在。皮膚は元の状態に戻りました。多少色素沈着が残っていますが、徐々に薄くなってきたように思います。ただ、ビキニラインの色素沈着はひどいです。それと、指の水ぶくれは続いていて、ものすごくかゆいです(無数に水ぶくれができてかゆくてかくとぱっくりとあかぎれになる)。本当に過酷な経験をしたと、「冷えとり」の威力のすごさを改めて実感する日々です。結果、腸と月経が大きく好転しました。ただ、皮膚は無理矢理薬で抑え込んでしまったので、好転したとは言えないかもしれません。でも、中断したとは言え、1ヶ月半は毒を出し続けたせいか、少し皮膚の状態が変わったように感じています。体にたっぷりと塗っていたワセリンをほぼ塗らなくなりました。顔もごくごく薄く。極度の乾燥肌の私が、しかも冬に、です。確かに乾燥肌には違いないのですが、つっぱるほどのどうしようもない乾燥はなくなったのですよね。なぜかほどよい潤いが生まれました。不思議です。さらに、目薬を入れなくなりました。こんな花粉の時期に、です。ひっきりなしに点していた頃が懐かしいです。不思議です。さらにさらに、私はずっと横向きかうつ伏せで寝ていたのですが、うつ伏せ寝をまったくしなくなりました。耳の後ろから汁が出て仰向きしかできなかったというやむを得ない経験が、なぜかうつ伏せ寝を私の習慣から取り除いてくれたようです。つまり横向きか仰向け寝になった訳ですが、そりゃあ仰向きで寝るのが一番いいと思います。結果、これもある種の好転反応でしょうか。不思議です。それから、もともと私はメイクが好きではないし、冬は紫外線も気にならない季節だし、花粉症もあるからマスクで顔を隠しておけばいいや!と思い、引き続きメイクをしていませんでした。実にノーメイク期間4ヶ月。でも、さすがに徐々に紫外線が気になってきて、1ヶ月ほど前に紫外線予防のために薄くメイクをしてみたのです。すると、なんとなく違和感を感じ、やっぱり皮膚のためにはすっぴんが一番だと改めて痛感しました。ただ、これからの季節はほどよく紫外線だけは避けたいと思うとどうしても塗らざるを得ないので、違うメーカーの良さそうなBBクリーム(ファンデーション)を試しているところです。今のところすごく塗り心地がいいので、このまま使い続けたいと思っています。さて、紆余曲折あったものの、もちろん「冷えとり」は今でも真面目に続けています。顔と体のかゆいところだけごく少量のステロイドは我慢せずに塗るようにしています。これだけ好転したのだから、それで十分なのです。好転反応はうれしいことだし、できればその好転反応を受け入れて乗り越えたかったけれど、それはあまりに壮絶過ぎて今の未熟な私では精神が付いていかないのですよね。偉そうに「自分治療」日記に綴ったくせに、だったら、今は心の安定を選びます。ステロイドを塗った方が心と身体が安定をするのだったら、ステロイドを選ぶことにしました。だって、ひたすら湿疹に耐えて、下を向いて顔を隠し、美術館にも行けず家に籠りっきりでは余計にしんどいですもの。またいずれ好転反応が出てきたら、その時に改めて向き合おうと思います。その時の私に耐えられる範囲内ということが大前提ですが。つまり、焦らずにゆっくりということですね。これからは、今の状態をよりよく「保つ」ということを一番に考えていこうと思います。最後に、ただ、この過酷過ぎた好転反応を経験し、正直、顔に湿疹が出る好転反応なら、もういらないかもしれないと思っています。
2016/04/17
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード243】4/13(水)美術館へ行くといつも思う、日本語は美しいと。まだまだ知らない言葉がたくさんあって、小説や詩や作品のタイトルにしたらさぞかし粋だろうなぁという言葉に多々出逢う。例えば「青楓」。読み方は「せいふう」。例えば「玉章」。読み方は「たまずさ」(手紙のこと)。4/14(木)急に蒸し暑い。夏日、ですって。そういえば夏とはこんな季節だったなぁとすっかり忘れていたことを思い出す。でも、蛙さんが大合唱をし始めているのですごくうれしい。それにしても、電化製品とはなぜこうもくそ忌ま忌ましい。ふて寝する。ついに大きな地震が起きましたね。みなさんお気をつけください。4/15(金)これから汗をかく季節になるから、今のうちに美容院へ行っておこうと思いつつも重たい腰が上がらず、でも今行っておかないとますます汗が出て、出れば出るほど悪循環に陥って緊張するし、現実に日を追えば追うほど暑くなっていく訳だし、と悶々としながらここ数日を過ごしていたのだが(大げさだけど私には一大事)、意を決して行く。とっさに判断した結果。半年ぶりに切ってもらう。雑誌を読んでいるふりをして、必要最小限の会話だけを交わしてなんとか耐え忍び、どっと急激な疲労感に襲われ、帰って横になる…(苦笑)よし、今日もがんばった。では、次回はまた半年後!因みにこの美容院、最寄りの駅前にあって、シャンプーはもともと組み込まれていないのだ。霧吹きでシュッシュッと髪の毛を湿らせてカットと軽くブローだけ。毎日お湯洗いしかしていない私にはこんなにありがたいことはないし、何と言っても滞在時間が短いことがこの上なくうれしいので、もう15年ぐらい通っているのであった。4/16(土)土用なんというか、日本中どこへいても恐いですよね。でも、日本中同じように時計の針は回り、こちら関西では深夜の地震では多少揺れたものの、昨日となんら変わらない今日が巡っていて、同じ日本に住んでいるのにとても不思議な気持ちがします。いつもいつも思うことです。これ以上被害が拡大しませんように。九州の方、一日も早く心が安らぐ日が来ることを祈っています。
2016/04/16
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話人生ほぼすべて、35年間アトピーで生きてきたのに、しかも難病の身であり、たかが1ヶ月や2ヶ月でステロイド含めすべての薬から脱出し、体質が改善するはずがないではないか。ほとほと自分は浅はかだと思った。いやはや、私は一体何を見くびっていたのだろうか。心は冷え、精神的にも参り、夜は眠れず落ち込み、パートナーには八つ当たりし、そういう自分が嫌なこともわかっており、それでもこの好転反応を乗り越えてみせたかった。そんな欲張りな話があっさりと成功する訳がない。もっともっと時間がかかる。一切の薬から手を切るには、年単位での時間が必要に決まっている。そうじゃないか。これまでもそうやって私は地道に治して来たのだ。焦りと甘え。それ以外の何者でもなかった。もっとも、アトピーが治るとは思っていない。MSも治るとは思っていない。それは認める。でも、それに近い状態にはしたい。私の切なる願い。これから歩むであろう人生の折り返しの後半は、健やかに穏やかに「我が身体」で生きてみたいのだよ。これからは、ゆっくりゆっくり取り組もう。自分に無理をせず、嘘を付かず、焦らず、甘えず、パートナーの理解も得、向き合おう。ただ、この経験は本当に大きかった。多大な財産になった。私は心身共に一つ階段を昇ったと思いたい。自分を褒めてあげようと思う。ご心配おかけしました。引き続き冷えとりを続け、自分治療に励みます。
2016/04/14
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話12/23つるん。卵の殻が剥けたようにつるんとする。まだ赤味は残っているものの、普通の顔になる。シーツや毛布を毎日叩き、皮を吸い取る掃除機生活がようやく終わりを告げた。首も良くなったため、いつも付けていたお守りのような華奢なネックレスを今日ようやく付けられる。目下の不安は、薬を止めたら好転反応の症状がぶり返すんじゃないかということ。12/24完全に皮が取れる。赤味も引く。でも、皮膚の状態は無理矢理薬で抑えたから薄っぺらくてもろい。塗り薬を止める。首のコリは完全に取れていて、肩も軽くなった。首が左右に大きく倒れるようになった。12/26三度目の皮膚科へ。これで終了。これでお正月には持ち越さないで、新たな年を迎えられそう。ただ、不安は残る。私は、喜ばしきはずの好転反応を、あまりの過酷さに無理矢理薬で抑え込んでしまった。体内へ封じ込めた訳だ。薬を止めたらまた湿疹がぶり返すのだろうか。ぶり返したらどうすれば良いのだろうか。また鱗になるのだろうか。それにしても、ストレスで過食に走った今週だった。12/28まだ飲み薬を飲んでいるのにもかかわらず、もう耳の後ろから汁が出てぶり返してきた。いたちごっこ。私の好転反応の方がステロイドよりも勝つ。もう、つべこべ言わずに腹をくくるしかないのか。12/30ついに飲み薬を飲み切る。1週間、たった1週間だけ、天国を味わえた。本当に、言葉の通り、1週間「中断」しただけだった。皮膚科へ行くという労力と薬代。でも、一瞬でも心身が解放されたから、それは心の底からよかったと思う。また好転反応と向き合うか。好転反応は「良くなる前に一時的に悪くなる」というものだけれど、その一時的が私の場合とても長いし、症状がびっくりするほどひどい。私は体調が悪いのかと勘違いしてしまうほど。乗り越えられる自信は今のところない。12/31しばらく顔にステロイドを塗り続けよう。化粧だってしたい。いくら好転反応だと言っても、これじゃあ精神的にやられてしまう。冷えとりに捉われ過ぎず、私は私らしい楽しい日常を選ぶ。
2016/04/13
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード242】4/8(金)もう桜も終わりだ。こちら関西は、曇りがちや雨の日が多く、残念ながらコバルトブルーの空の下、満開の桜を仰ぎ見ることはほとんどできなかった。でも、桜は本当に美しく咲き誇り、思う存分に満喫できた。やっぱり桜は日本人の命ですよね。また来年に会おうね。4/9(土)私はタバコを吸ったこともないし、吸いたいとも思わないし、嫌いだけど、喫煙できる喫茶店などに行くことは結構好きである。というか、その空間と波長が。みんな思い思いの空想に耽っていて、カフェとは違い少し陰気な雰囲気で、もしそこにクラシックかジャズが流れていたらば、最高である。タバコに害があることはみんな重々承知だと思うけど、喫煙できる喫茶店という場所はなくならないでほしいような気がする。喫煙者のためにも、私のためにも。4/10(日)こちらはずっと青空が晴れ渡ることがない。陽は射していてもなーんか曇っている。元気が出ない。そして最近とても眠い。4/11(月)4月も10日が過ぎ、春爛漫で新生活にうきうきしている人もいる一方で、おそらく社会から脱落している人もかなり多いと言えるだろう。かくいう私もそうだった。肌寒い。でも久しぶりに青空だ!桜吹雪に包まれ、お散歩する。4/12(火)寒さが戻ったので、湯たんぽを入れて寝た。あったかーい♪小説が佳境に入ってきた。おもしろーい♪地元に某有名大学があるのだが、この季節恒例、学生たちで溢れ返っている。GWが過ぎれば一気に減る。相場は大方決まっている。数日前から左のこめかみだけが痙攣していて止まらない。
2016/04/12
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード241】4/4(月)清明仄暗い空の中、妖艶な姿で魅了する夜桜。あゝ、美しい。朝、満開の桜を仰ぎながら地元の喫茶店へ行く。フレンチトーストとコーヒーのモーニングを食べて、優雅な一日が始まる。モーツァルトの協奏曲やシューマンのトロイメライが流れ、小説の情景がより鮮明に目に浮かぶ。あゝ、清々しい。これで晴れていれば言うことなし。ところで、もんもんが揃ってお熱、妹も39度の発熱だそうです…。いろいろと無理がたたっているのでしょうね…。4/5(火)ざっと5ヶ月に渡ったマスク生活。暑いから取る(花粉症だからくしゃみが出るけど)。息がしやすい。暑くない。そろそろ湯たんぽも片付けようかしらね。映画をよく見るようになったけど、良い映画ってたくさんある。と言っても、図書館で借りるだけだから数も少ないし、再生できないものもあったりして、見たくても結局見られなかったものも結構あるのだけど。でも、そんな中でも素敵な映画に巡り会えることは、これも本と同じで縁だと思う。満面の笑みで咲き誇る桜を背に、かわいいお顔のアキヲを撮りたいけど、絶対に無理だな(苦笑)実はアキヲのおうちの真上は一面桜なのです。材料だけは一人前に揃っているのだけどな〜。4/6(水)どうでもいいけど、今の子どもの名前は本当に読めませんね。当て字もいいところです。私が幼い時、未来くんという名前の男の子がいて、それはそれはみんなに噂されたものでした。今ではむしろ無難な名前だと思いますけれど。私は素朴で古風な名前が好きなんだけどなぁ。ところで、私の尚という漢字は左右対称の漢字ですが、実は父も母も妹もみんな左右対称の漢字なのです。私と妹は画数で考えて名付けたらしいので、まったくの偶然です。なんだか、ふとそんなことを考えた今日でした。4/7(木)新月大雨。蛙さんの数が増えてきた!
2016/04/07
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話12/19限界。皮膚科へ。好転反応は中断。ちょうど好転反応が始まって1ヶ月半だ。家を出る時、保険証も診察券も何もかもすべて忘れていることを最寄り駅に着いた時に気付き、取りに帰ったため、片道10分往復20分のロスになる。よほど皮膚科へ早く行きたかったらしい。でも、再び家を出る時、思わぬアキヲに遭遇する。アキヲなりに応援してくれているのだ。皮膚科の先生に「冷えとりの好転反応」などと説明できるはずもなく、何か変わったことはしなかったか?と尋ねられ、とっさに10日に病院へ行ったと言う。造影剤の薬疹ということになってしまった。嘘、ごめんない。ステロイドの飲み薬と塗り薬をもらう。若干のどが乾く。冷静に考えて、とうに限界を越していた。もうこれ以上は心が持たない。一旦終了。過酷過ぎた。壮絶過ぎた。1ヶ月半も本当によくがんばった。とりあえず薬で治して、また次に好転反応が訪れた時に、その時に向き合おう。正直、またこの壮絶体験をするのかという恐怖もあるが。もう勘弁。12/20赤味が引く。腫れが引く。目が開く。口が開く。笑える。皮が取れる。めちゃくちゃ楽。気持ちがホッとして、もう何も考えられない。ステロイド薬って、すごい。12/21まだ皮は少し引っ付いて、髪の毛はふけみたいだけど、顔が自分の顔に戻る。やぁ、久しぶり、私の顔。「この日記」を書いている。…ぐらい良くなった。12/22二度目の皮膚科へ。飲み薬の量が減る。よーく眠れる。先生が優しい。笑えるって!口が開くから歯ぶらしが奥歯まで届くって!食べ物を食べる時に口が開くから口の周りが汚れないって!ずっと我慢していたカフェにも行けるって!(ちょっと食べ過ぎたけど。)なんて素敵!!!!!私の平凡だけどこの上なく幸せな日常が戻った!
2016/04/05
コメント(0)
【左側の顔面痙攣 エピソード240】3/30(水)そろそろ桜を見に行きたいけど、ここ数日いまいちお天気が良くないし、まだこちらは3〜5分咲きだから、もうちょっと様子を見ることにしよう。毎年見に行っている枝垂れ桜がきれいな場所に行くんだー♪なぜかそんなに人が来ないのもいいところ。家にいるとまだ結構寒いから、湯たんぽは手放せない。3/31(木)美術館のチケットを3枚ももらう。うれしい!春季展と秋季展はメインだからね。4/1(金)雨で4月がスタート。新生活が始まりましたね。私は、何も、なんにも、変わりませんが。毎年のことながら、少しおいてけぼり感を感じています。蛙さんは、早々楽しそうに鳴いていますよ。相変わらず左側の片側(へんそく)顔面痙攣は続いている。たまに目の周りや口角辺りがピクピクしたり、左耳に響いたり、もう気にはならないけれど、やっぱり完全に止まることはないらしい。まったく、6月で2年だわ。4/2(土)晴れ!お花見に行く。枝垂れ桜は少し遅かったようだけど、淡いピンク色がなんとも美しい。アキヲとも鉢合わせし、かわいいお顔で写真に収まってくれる。もんたともんじは揃ってお熱だそうです…。4/3(日)20代で父の突然の死と自分の突然の発病を経験し、危機管理と心積もりと、ある意味での諦めは身についたと思っている。さらにそれらが読書や美術と映画鑑賞によって裏打ちされていく日々。これを強さと呼ぶのかもしれない。もう、死にたいとは思わない。なぜこの世に生まれたのかとか、生きる意味とか、もうあれこれ考えないことにした。だって、息をしているだけでいいらしいから。これが私の人生だから。
2016/04/03
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話12/10病院へ(MSの)。こんなに行きたくない日もない。「アトピー?ステロイド使ってる?塗り薬?」と聞かれてはいと言う。聞いてくれて少しうれしかった。顔の皮がボロボロ取れる。陰部がもう最悪。12/11いつまで続くのか。ついつい焦ってしまう。イライラ、イライラ。皮がかゆくなってきたからお風呂でお湯の中でこすったら全部取れる。真っ赤っか。お湯の中で足のスネをかいたら、お湯に上澄み液みたいに皮が浮く。必死で取る。12/12昨日お風呂で顔の皮を取ったから、引きつれた感じがなくなって自分では楽になる。でも汁が固まって生々しい赤。耳の周辺がひど過ぎる。もみあげにごっそり、耳の後ろにもごっそり、重量感のある分厚い皮が剥がれる様子もなくへばり付いている。(11日から妹の家へ泊まる予定だったのだが断る。アトピーひどいからという理由にする。)12/13人差し指はかなりまし。好転反応のピークは過ぎたかもしれない。おそらく、病院の日がピークにピークだったと思う。この好転反応の間に化粧品の使用期限が切れるな、とふとどうでもいいことを考えたりする。12/14人差し指のあかぎれは引っ付く。親指はまだ。ふけみたいに頭皮がボロボロ。陰部がかゆ過ぎる。汁が出る。ショーツのビキニラインにシミが出来ている。耳の汁で寝返りができず、絶えず上を向いていなければならないから辛い日々(私はいつも横向きかうつ伏せで寝ている)。12/15何度となく皮膚科へ行こうかと思う。意志が揺らぐ。パートナーががんばれと言う。でも、ついに限界が訪れ、夕方、全身にワセリンを塗ってみる。夕食後、体が熱く火照っているような??微量の月経じゃなくてちゃんとした月経が始まったか?12/16朝、全身猛烈な湿疹!!!膿を持ったブツブツ!!!ワセリンがダメだった!!!顔の皮がワセリンでふやけて全部取れる。真っ赤っか。ただれ。腫れ。神経が高ぶっておさまらない。2ヶ月弱ぶりに月経になる。夜、アレッポの石鹸でワセリンを根こそぎ落とす。12/17半分ぐらい膿が枯れる。親指のあかぎれ引っ付く。膿を持っている全身の湿疹は、かいたらチクチク痛む。12/18見事に枯れた。代謝は良いらしい。あの皮膚の状態じゃワセリンでさえ炎症が起きるはずだよな。陰部に汁が溜まる。ショーツのシミが半端ない。
2016/04/01
コメント(0)
自分治療「冷えとり その後」のお話11/29朝ご飯を、ごはん、納豆、味噌汁に。夜中も湯たんぽを入れるようにする。パートナーとちょっとしたことで言い争いになった時に、「自分で好転反応を選んだんじゃないのか」と罵られ、少なからずショックを受ける。まさかそんな言われ方をするとは思ってもみなかった。でもそうだ。私は自分でそうした。辛いのなら冷えとりを止めればいい。でも、私は冷えとりを選んだ。医者に頼ることなく自分で自分を治療する道を選んだのだ。11/30夜寝る時、顔にシルクの布をかぶせてみる(しかし12月5日までで終了。)12/2ついに左手に一つ水ぶくれが飛び火する。首から上が汁っぽい。12/3人差し指のあかぎれが引っ付く。耳の後ろ全体に汁が出て、髪の毛が引っ付く。めがねも引っ付く。マスクの紐が真っ黄色。12/6顔と陰部が本当にピーク。好転反応が始まって1ヶ月。まだまだ頂上へと登り続けている。私は爬虫類か?顔の皮がボロボロ。ダイヤ柄。カリカリに乾燥させた爬虫類の甲羅を顔に纏っている。ほら、やっぱり蛙さんとお友達だった。よく考えると、人生で一番アトピーがひどかった高校生の時に出ていたところに出ているような。体の前面はより白くなる。もうすぐ月経か?12/7月経になる。少ない出血程度。12/8両耳の後ろから汁が出て、夜眠れない。指の水ぶくれが、両手全指に飛ぶ。マスクに血が付く。もちろん布のマスクをしている。紙はかぶれるから数年来使っていない。マスクで隠せるから(隠れてないけど)良い季節に好転反応になってくれたとは思う。12/9今度は右手の親指にあかぎれ。この前あかぎれになった人差し指の第二関節の1mm下がまたあかぎれになる。強烈に痛い。グーもパーも、伸ばすことも曲げることもできず。人差し指と親指が使えないってこんなに不自由なのか。力の入れようがない。これは苦行か?私は修行僧か?毎日毎日ステロイドと皮膚科がチラついて離れない。
2016/03/31
コメント(0)
全738件 (738件中 251-300件目)