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)(核実験によってできたクレーター(原子湖) 現地の旅行社提供)セミパラチンスクは、かつてはソビエト連邦共和国時代の核兵器開発のメッカで、空中で行われた核実験は1949年~1991年までの42年間に456回を数え、広島、長崎の被爆者と比べようもない150万人を超える人々が被爆したといわれています。1991年ソビエト崩壊に伴いカザフスタンは独立し、以後、核実験も禁止されて今日に至っているが、核実験によってできた原子湖は口を開けて碧空を見続けています。1998年に、双方の被爆者の交流を通じて核兵器のない21世紀を目指すことを設立目的にしたヒロシマセミパラチンスクプロジェクトが発足して、主に、セメイ市にある小児病棟に癌の治療薬を贈呈したり、留学生を受け入れて、相互に平和交流を推進してきました。私たちも遅まきながら、この運動に共感を寄せながらなかにし礼さんが作詩して佐藤しのぶさんが手話を交えて歌った「リメンバー」の歌をロシア語に訳して交流する旅を企画して、この秋に合唱交流訪問団を組織しています。ツアーの要領は添付のURLにコンタクトしてください。(下記にカーソルを合わせCtrlキーを押しますとホームぺージに飛びます。初めにモンゴルの旅が出ます。その下に、広島―セミパラチンスク合唱交流の旅の詳細を見ることができます。)旅行のユーラスツアーズ | 55年以上の実績でロシア・旧ソ連の旅をお届け (euras.co.jp) ロシア
2023.05.31
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週刊朝日が創刊して100年目を迎え、めでたし、めでたしと思っていた矢先、使命を終えて休刊するニュースが流れて久しいが、いよいよ、来月に迫ったようだ。そこで、今日のブログは週刊朝日惜別の稿として記憶にとどめたい・・・ 実は、今から15年前の週刊朝日が募集した「週刊朝日の悪口書いて世界一周 記念懸賞エッセイ」に応募した。最優秀賞はもらえず、掲載には至らなかったが、残念賞10作品の一つに入った。因みに選はニッポン放送の社長を歴任した亀淵昭信氏だった。いささか長いが、お付き合いのほどを・・・ 85年目の「関白宣言」 おまえも85にもなったか。いろいろあったなぁ。そもそもあんたが生まれた1922年といえば・・・日露戦争に勝ち、第一次世界大戦に勝ち、日本がますます調子に乗って本気になって中国取りに出ていった頃だ。そんな調子に悪乗りしたわけではなかろうが、新聞社があんたを生んじゃった・・・。さてと、気合を入れたとたんに関東大震災に見舞われた。世の中は、事に政治はここで少しは謙虚な気持ちになればあの悲惨な戦争にもならなかっただろうに、こうなりゃ自棄だといわんばかりに明治以来の大矛盾を欧米列強のごとく戦争で解決しようと企んだ。「さっきから黙って聞いていればいい気になって、それはあたしのせいじゃないって。」勿論だ。あんたのせいじゃないけれど、少なからずともあんたも言論の真ん中だか隅だか知らないが、そんな一隅に居て、クレージーな軍部と松岡洋右のような頑迷な政治家に牙を抜かれ、蹂躙されっぱなしで、言論は完全に去勢されてしまった時代だ。そういう意味で新聞やテレビ以上に自由に物が言えるあんたの存在は貴重なんていうものじゃない。雑誌とかサブカルチャーと言われるジャンルがお上や訳の分らない団体から圧力を受け、自らの自由を放棄し始めたらこの国の言論はまた悪夢を見ることになる。雑誌の自由はある意味で言論が正常か否かのバロメーターになっている。この機にもう一度しっかり噛締めようじゃないか。 ところで、あの忌まわしき戦争を経ながらも私の前に立ってくれたくれた時のことを忘れない。余談になるが、ウチはオヤジが毎日新聞、サンデー毎日、毎日グラフの「毎日一家」。たまに、朝日ジャーナルなんぞ買ってくると胡散臭そうに一瞥されるようなウチだった。単に新聞店のオヤジがウチのおやじと友達だったという理由だけで他意はなかったが・・・そんなわけであんたには18の春まで縁がなかった。高校を卒業したら大学に受かろうが受かるまいがとにかく「ウチを出る」と決めて東京に来た。大学に落ちて予備校に行く前に少し間が空いていたのでこの際だから東京見物でもしようとやってきたのがどういうわけか清水谷公園。「べ平連」の日和見シンパとしては清水谷公園を一度見ておかないと話しにならないという、思い出すだに恥ずかしい気持ちで行ったっけ。大久保利通の記念碑の前で「サンデー毎日」の大学合格者 高校ランキングのページをめくっていると、普通ではありえないことが起こった。可愛いけどどこか垢抜けない二人組みの女性がつかつかと寄ってきて、いきなり、図々しくも「その雑誌と私が持っている雑誌と交換してくれませんか」と言ってきた。・・・東京って言うところはこんな女もいるのかとやや怪訝な顔をしていると、気の短そうなもう一人の女が「交換してくれるの、してくれないの」と迫ってきた。東京って言うところに慣れていないのか、この手の女になれていないのか躊躇していると「あなたも大学落ちたんでしょう。実は私達も」と屈託がない。「あなたが見ている週刊誌と私の週刊誌のランキングのデータがあっているかどうか調べてみたいと思ったら、サンデー毎日を持っているあなたがいたって言うわけ。私達は週刊朝日、どう」・・・有無もなく交換させられたのがおまえとの出会いだった。おまえはともかく、あの2人連れと何にもなかったのは惜しいことをした・・・あれから、海外出張を除けば毎週手元においておかないと何か落ち着かなかったことを八十五周年のメモリーとして告白しておく。こう言っては怒られそうだが、あんたの他にも誘惑がたくさんあった。「平凡パンチ」「プレイボーイ」といったグラビアやトレンド情報には自慢じゃないが弱いところがあって結構買っていた。それから「週刊現代」「週刊ポスト」から「週刊新潮」に「週刊文春」と・・・事にグラビア特集にころっと宗旨を変えるくせがあったな。断っておくがこれは浮気とは違う。永六輔氏が何かに書いていた、「うちですればいいものを、ついしてしまった立小便みたいなものだ。」と。あんまり深く考えるな。しかし、こういっちゃあ何だが、あんたはこれといった色気があるわけでもなく、美人?でもないのに、毎週、毎週飽きもせず手元に引き寄せては前から後ろから上から逆さから蹂躙するように、可愛がってしまうのは我ながら的確な分析不能に陥っているきらいがある。不思議な関係になってしまったものだとも思っている。本命はいつもお前だから・・・さてと、俺の事はさておき、おまえも随分と・・・ま、いい加減とは言わないが、元気がない時もあったなぁ。これは、外の人間が書いている連載が多いから仕方がない気もするが、風邪をひく事もあろう。ネタが尽きることもあろう・・・が、しかし、ある連載が元気がなくても、他の連載が冴えていたり、表のグラビアがもう一つだと思っていても後のグラビアに光るものがあったりと雑誌の真骨頂が発揮されている。やっぱり、ごった煮に魅力があるんだなおまえさんは・・・決して見てくれがいいとはいえないが、噛めばそれなりの味は出してくれて全体にまとまった味をちゃんと醸し出している。それに一定のグレードも保っている。これも町の巨匠に感謝ということだろう。あんたに成り代わって俺が厚く礼を言っておく・・・。おっといけねぇ、明るい悪口を書いているのについ褒めちまった。あまり褒めるとつい頭に乗る悪い癖があるので金輪際褒めるのは止める。ここからは本格的な俺の悪口だから耳かっぽじって聞いておくれ。雑誌だから方々から人間を連れてきて書く事は誠に結構だ。その実績も認める。しかし、これからはおまえがおまえらしく自らの力で輝くようになって欲しいな。専門家には専門家の持ち味があるがあるように週刊朝日の雑誌記者ここにありと言うような気概を持った雑誌記者の目で書いた記事や写真がもっと欲しい。今、アタシジャーナルを書いている中森明夫氏がかつて雑誌の冒頭でコラムを書いていたような大局観のある編集長コラムがあっていいのではないかと思うがどうだろう。そして、俺は中道とか中庸が好きだが、中道こそ正義なんて思わずに、もっと右に行っても、左に行ってもいい、尾翼がぶっ飛ぶようなダッチロールは困るが、言いたいことを言って、週刊朝日から議論が沸いてくるような雑誌になって欲しいな。そして、その中核には外部の識者や評論家がいるのではなく、匿名ではない週刊朝日の記者や編集長がいて欲しいと思うがどうだろう。ともすると、外から買ってきた化粧や衣装で身を飾って見てくれのいいものを目指して気持ちよくなっている気配を感じるが、自ら、内面から輝くおまえになることが21世紀に相応しいのではないかと思う。このことは新しいことでも何でもない。こういう雑誌になりたい、作りたいといった85年前の意志は先ずはそういうところから生まれたんじゃないのか。つまり、アニバーサルは原点回帰も意味しているのだから・・・最後に、テレビから「お笑い」番組が消えてはならないように、雑誌も言論の中核から追いやられないように、いつも大局観を持ちながら、元気でいて欲しいな。いつの特集とは言わないが、旬が過ぎた人が出てきて、どうしてこの人・・・と、思うことがたまにあって、大衆感覚とずれている時がある。写真一枚の選択にも慎重になっておまえらしさを発揮して欲しい。冒頭におまえが生まれた頃のことについて触れたが、言いたいことが言えなくなるのは簡単なんだ。ほんの少しの油断が思わぬ、取り返しのつかない時代を招来してしまう。もう一度言っておく。サブカルチャーを含めた自由な言論におまえさんは立っている。俺はいつも元気なおまえを見ながら、日本は大丈夫だ。世界はどうあるべきだということを確認してゆきたい。週刊朝日も含めた雑誌カルチャーが骨抜きになったり、非合法的に蹂躙されたり、最もひどいのは、体制におもねて、自ら無用なセンサーシップをして自由に物が言えなくなるような「自由」を放棄しないことだ。いつも、俺のギャグに突っ込みを入れるように、悪態つくように、元気でいて欲しい。もう一つ、中東もアフリカも民族間の対立が泥沼化している。よせばいいのに、欧米列強は新たな利権を求めて口を挟む。かつて日本も朝鮮半島から中国、東南アジアに出掛けて彼等のこころに傷をつけてしまった。傷が癒えるにはそれ相応の時間がかかるのに、性急に、様々な理屈をつけて憲法を改正してつまらない戦争に加担しようとしている向きがある。それに対しておまえらしく厳しい論陣を堂々と張って欲しい。また、かつてあった狂乱のバブルやホリエモン、村上ファンドなど「踊った社会」にいつも冷静な目を向けて警鐘を鳴らし続けて欲しい。俺はそんなおまえをいつまでも大切にするから・・・そして、どんなに苦しくなっても、俺より先に死んではいけない。俺より早く逝ってはいけない・・・
2023.04.30
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(1972年羽田台北間に就航した日本アジア航空機・・・Wikipedeaより)米中の接近に伴って、1972年日中国交回復が調印され、その陰で、日本は台湾と国交を断絶した。しかし、1年3カ月後に、日台の航空路線は再開した。その再開に際し、中国政府は不干渉。アメリカと肩を並べるまでになって事あるごとに口出ししてくる中国とは雲泥の差の、まさに、“大人の対応”ぶりを見せていた。当時の航空業界も、イニシャル・フラッグの日本航空が後ろ盾になって、日本アジア航空という別会社を作り、表向きの日中関係を維持しながら、日台の特殊な関係を維持してきた。みんな表向きの歴史を踏まえながら、“それなりの知恵”を絞って関係の維持に努めてきた。 昨今の中国、台湾関係は米中の対立激化の中で、大きく揺さぶられ、台湾の現政権維持を表明した国とアメリカを訪問し、その陰で、中国との関係を回復したい台湾のアンチ政権派が中国を表敬訪問するという、傍目には理解ができない真逆な対応になっている。 国が向いている方向が違って、軍事バランスが損なわれて、ギスギスしても、培ってきた歴史と文化を旅して感得し、国やそこに生きている人々を理解する旅は、その国の今日的な思惑とは別次元で大切だ。そこに、時の為政者も知恵を絞ってきた。ここまで、来てしまったら、ここでまた改めて、ヨーロッパの歴史に学びたくなる。「また、始まった」と思われるが、ヨーロッパのかつては東西の最前線だった“マジノ線”上のオランダ・ベルギー・ルクセンブルグのベネルクス三国がEUの礎になり、スイスが中立国として存在するように、台湾を極東の中立国にして、平和を維持する知恵を発揮するときではないかと思うが・・・そこで、日本が、韓国が、フィリピンが非常に重要な役割を果たす意味は計り知れないが、そんなことを、本気で語る政治家がいないものか。また、中国は、あの1970年代の中国をもう一度振り返ってほしいものだ。世界は中国の香港に対する強圧的な覇権的な中国をある種のトラウマにしてみていることを知るべきでもある。
2023.04.23
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(Microsoft bing より) 先週、所要で広島、大阪に新幹線で出向くと、日本の桜目当ての外国人旅行者が日本人の乗客を圧倒するほど乗っていてびっくりした。彼らは既に書を捨てて、日本の花見と洒落ている・・・コロナが少しづつ落ち着てきた昨年の秋にウズベキスタンへ。歳を越えて、2月にオーロラを見るために、カナダはユーコン準州の奥、ドーソン・シティまで行ってきたが、マスクをしている人はいない。海外のニュース映像などもマスクの時代はもはや去った感じだ。まさか、今日は4月1日で例の日だからではなく・・・マスク期と言う時代があった人類に と、言った感じだ。そんな中、羽田空港に行く用があってこちらもびっくり、閑散としていた羽田空港国際線ターミナルの人の多さと言ったらない。春休みと、サクラ見物目的の外国人旅行者の急増か、手荷物検査場のスタッフが間に合ってないせいで、順番待ちがチェックインカウンターまであふれる始末。今日から、高くてもう一つ海外旅行の需要を抑制してた燃油サーチャージが下がり、アメリカの銀行倒産ショックの煽りは急激な円安も沈静し始め、新聞のコロナ感染者低下傾向と、町の桜の饗宴に、いよいよ、お題目の書を捨てる気になって町に人があふれ出した感が強い。エープリルフールの正夢でないことを信じて、書を捨てて、町に出ることを期待したい。
2023.04.01
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(マルセイユの、ル・コルビジェ設計のユニテ・ダビタシオンの集合住宅)3月13日のブログでマルセイユのユニテ・ダビタシオンの示唆するところというタイトルで、津波に備えるために、ル・コルビジェの試みについて紹介しました。そのくだりで、一つ、説明不足の気がしたので、補足しておきます。震災直後の映像や画像を見るにつけ、鉄筋のビルはあの大津波にも耐えて存在していたことから、そこに住んでいた人たちの土地を繋ぎ合わせて大きな敷地を確保して、まずは自分たちの住居をアパートの中にかまえ、そこに、公共機関や商業施設、必要ならば、住民のための娯楽施設や幼稚園などを組み合わせて大きな住宅施設を造る。そうすることで、かつてあった地縁的結びつきの強い共同体を再生することになるとともに、15mの津波に流されない堅固な建造物そのものが津波の避難場所になる。何よりも、海と共にあった共同体をそのまま再構築できることは、大堤防を築き、町を高台に移設することよりも重要なことではないかと思う。
2023.03.18
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(ル・コルビジェ設計のマルセイユの集合住宅ユニテ・ダビタシオン・・・Wikipedeaより)干支一巡して、東日本大震災から12年経ち、学生時代の友人の消息は未だ不明のまま・・・時の流れは人が癒され、力を得て行くのに必要と思われるが、消息が分からない場合の時の流れは残酷だ。 さて、12年前に思ったことを、また、思い出している。あの年の暮れ近く、釜石から大槌町、山田町、そして、宮古から盛岡までを旅して、津波の恐ろしさを骨の髄まで思い知った。場所によっては大きな堤防ができ、町を高台に移築して津波に備え始めていた。この時に思ったことは、フランスのマルセイユに立ち寄った際に見学した建築家ル・コルビジェの設計によるユニテ・ダビタシオンの集合住宅建築の様な住宅を建設することが復興には必要なことではないかと思った。その思いは、今でも変わらない・・・ ユニテ・ダビタシオンの集合、1952年にマルセイユに完成された集合住宅で、8階建て、全337戸、最大1600人が住むことができる集合住宅。集合住宅というと日本の公団のアパートを連想しがちだが、ル・コルビジェの設計は、2層のメゾネットタイプを元にして、23タイプの住宅ユニットが可能で、一人から4人の家族が基本になっている。そして、ユニテ・ダビタシオンの素晴らしいところは、店舗はもとよりレストラン、郵便局、銀行などの公共機関、屋上には保育園、プールがあり、中間層にはホテルまである。 集合住宅に一つの村社会が存在していることに注目すると、海を隔てた大堤防を建設することよりも、地縁的な人間関係を維持しながら海と共生するには、コルビジェが考えた集合住宅をそこに住んでいた人たちで集合住宅をシェアーして復興をしてゆくことが合理的だと思うがどうだろう。
2023.03.13
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ウクライナの人よ、ともにあります。дабай Україна ダバイ・ウクライナ ウクライナ・がんばれ空飛ぶ鶴の群れの中に あなたはきっといる きっとこのわたしを待っている(繰り返し)激しい戦いの日も空に群れて飛ぶ美しい鶴の群れあなたはそこにいるいくさに命捨てても死んではいない あなたはきっといる きっと生きているこのわたしを 待っている(くりかえし)鶴作詩:ラスール・ガムザートフ作曲:ヤン・フレンケリ編曲:中山英雄訳詞:中村五郎 (空飛ぶ鶴の群れ・・・Wikipedeaより)私の所属している合唱団白樺は今年、65回定期演奏会を8月6日、新宿文化センターで行う予定だ。2月からその練習に余念がない。上記の「鶴」もプログラムの一曲だ。プーチンが侵略する前は、漠然と戦争の、とりわけ、戦に倒れた兵士の悲しみを思いながら歌っていたが、ニュース映像で流れてくるロシアの侵略を阻止するウクライナ兵とその兵の無事を祈る家族が脳裏を駆け巡り歌う声が途切れる・・・冷静でいられない自分がいて何ができるかを問い詰める・・・そんな侵略するロシアの歌なんか歌いたくないという人もいる・・・究極の不幸、戦争は世界中の人の心に影を落としている。素朴で不器用で人のいいロシア人も知っている。だが、プーチンの間違った演説に歓呼の拍手で応えるロシア人もいる。そのロシア人にこの鶴を聞かせたい。この歌は同じ血が流れるロシア人が作った歌だ。そのために私は何度でも歌う。プーチン・ロシアは即刻、ウクライナ侵攻を止めよ
2023.03.04
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ウクライナの人よ、ともにあります。дабай Україна ダバイ・ウクライナ ウクライナ・がんばれ2022年2月25日の当ブログは下記のように綴っていた・・・ロシアがウクライナに侵攻した。北京冬季オリンピックの終盤から、ウクライナ国境線に沿って軍事演習をしているロシア軍の動きに対し、アメリカのバイデン大統領がしきりに警鐘を鳴らし、結果としてバイデンの言う通りになってしまった。残念の極みだ。 まさか、まさかの一年だった。始まった当初から短期で終わる予想を立てていた人はほぼなかったように記憶している。 侵略者プーチンとその取り巻きは一年中、同じ主張、つまり、ロシアを牽制したのはアメリカで、その手先のNATOが我々に引き金を引かせたのだと・・・全く、ドイツの不幸はフランス、ドイツ、そして、英国のせいだと叫んだヒトラーと何も変わっていない。 思えば、あらゆる期待が裏切られた一年であった。欧米の主要国はもとより、国連も、ウクライナ周辺の国も、誰もこの戦争を止めることはできなかった。国連の常任理事国が全面展開する戦争ほど厄介な物はないとつくづくに思い知った一年でもあった。あらゆる手立てが閉塞する中で、期待はロシアのロシア人による改革、プーチンの失脚へのシナリオに行き着くが、プーチンの利益を共に享受している政権中枢にそんなエネルギーはない。・・・と、すると、残るのは・・・これ以上は言えねぇ、言えねぇ、もう言えねぇ・・・プーチン・ロシアは即刻、ウクライナ侵攻を止めよ
2023.02.26
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はじめに・・・このブログへのコンタクトの延べ人数が12万を超えました。いつもお読みいただいている方はもとより、たまに・・・、ついでに・・・通りがかりに足を止めていただいているすべての方に厚く御礼申し上げます。本当に有難うございます。コロナが始まった2020年4月からですから足掛け3年になります。コロナで接触に制限ができたことを危惧してはじめ、とにかく毎日毎日綴ってきましたブログもこのところ停滞気味ですが、気概は衰えておりませんので、まだまだ続けます。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。 (シリア北部、アレッポ近くの紀元前3千年のエブラの遺跡・・・15000枚の粘土板出土(楔形文字)で、中東の考古学研究が大きく変わったとされる。宮殿が侵略者の火に包まれ、その火によって粘土板が焼かれ、しかも棚に並べられた状態だったためその当時の模様が浮かび上がったとされた・・・Wikipedeaより)(エブラのジグラット・・・日干し煉瓦を積み上げて造った祭事の塔。エジプトのピラミッド造営のイメージにもつながる・・・Wikipedeaより)さて、最初のニュースの時は、犠牲となった方は2000人という報道だったトルコ・シリア国境の大地震の犠牲者はここにきて、何と4万人超・・・凄まじい数字に驚いている。驚くと言えば、外電が映像で伝えているビルの倒壊模様に凄まじさに言葉を失う。ビルが横倒しではなく、上からの猛烈な圧力で潰した感じは想像しただけで身の毛がよだつ。 かつて、あのあたりを旅したことがある。古くは旧約聖書のウル、ウルク、そして、アブラハムが彷徨した時代、エジプトやヒッタイトと肩を並べたシュメール人時代に遡る。まさに、黄金の三日月地帯の一角で起こった大惨事だ。 中世にあっては、キリスト教の聖地エルサレムがセルジュクトルコの異教の手に落ちた時代、東ローマのコンスタンチノープルに終結したヨーロッパ諸侯が陸路をエルサレムへと急いだ道筋でもある。 シリアはアサド政権の内乱の中でその被害の実態がもう一つ見えてこないのが一層気になるが、とんでもないことが起こっていないことを祈る。
2023.02.15
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標記ツアーでカナダのユーコン準州はホワイトホースとドーソン・シティに2月2日にやってきました。実は、オーロラ観賞トライ4回の内、3回は天候が悪く、最悪の場合、つまり、一度もオーロラを見ることができなかった場合には、このブログをパスしようとも思って居ました。しかし、しかし、4回目の、しかも、午前2時に、今日もダメかと諦めかけたその時に、北東の空が俄かに青みかかり、オーロラ出現と相成り、成就した次第。この写真はiフォン12で撮影。現地でのレクチャーをお願いした、オーロラ撮影のエキスパートの谷角氏の言う通り、三脚なしで、スマホが自動的に10秒解放して撮れました。一眼レフの高感度カメラをお持ちの方々のチップにはまた新しいオーロラの1ページが展開したことは言うまでもありません。オーロラはやはり、肉眼では拾えない天空のキャンバスに瞬時に描きだされる大スペクタクル。今年も我慢を重ねた末の感動から始まりました・・・
2023.02.07
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朝日新聞朝刊 朝日俳歌壇からプーチン・ロシアのウクライナ侵攻は世界中の一人ひとりに何らかの影響をもたらして、もう少しで1年の時が過ぎようとしている。そんな動きが、毎日曜日に掲載される朝日新聞の読者の投稿の俳歌壇欄にも如実に反映される。NATO対ロシア陣営の対立図式から・・・山茶花の散る年の瀬に戦争へ急に舵切る岸田政権 (小牧市 白沢英生さん)・・佐佐木幸綱氏選次に来ること徴兵かもしれず思いもよらぬほどの急変 (東京都 中澤隆吉さん)・・・佐佐木幸綱氏選侵攻から一年で、中立を標ぼうしていたロシアの隣国フィンランド、スウェーデンがNATO入りを宣言して、ロシアに対して実線を引いた。日本政府はこのウクライナ侵攻を戦争ムードの煽りに変えて、対中国、北朝鮮、ロシアに過剰な反応ぶりを示し、タモリ氏指摘の、「戦前の日本のようになる」とも言わしめた軍事費の大幅アップは、アメリカの最新兵器購入で、NATOを支えている。そんな世相を俳壇欄では戦争が氷のやうに笑ひをる (柏市 物江 里人さん)・・・高山れおな氏選・・・と、詠む。 プーチン・ロシアが軍事進攻を始め、ウクライナをぼろぼろにした。兵士や戦車を失ったが、自国は攻撃されていない。この侵攻の責任をロシアに取る気なんてさらさらないとは思うが、侵攻を止める責任は厳然とある。アンチ・プーチンのロシア人よ、目覚めよ。世界中の平和を願う市民に愛想をつかされぬ前に。
2023.01.29
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(ヒエロニムス・ボスの「最後の審判」 ウィーン造形美術アカデミー所蔵・・・Wikipedeaより) 「5月12日発ナチスドイツの故地オーストリアと南ドイツを訪ねる」の旅の同行講師をお願いしているサカイヒロマル氏の著書「ヒトラー 野望の地図帳」にも書かれていますが、ヒトラーはウィーンの町の中心にある造形美術アカデミーの受験に2度失敗している。ヒトラーは水彩で絵はがき描きのアルバイトをしていたくらいで絵には自信があったようだが、この失敗が元で、後に、美術教育に対する強烈な復讐心となって、近代美術や前衛芸術を退廃芸術と批判して、ユダヤ系の画家や彫刻家をアカデミーから追放している。 その造形美術アカデミーは、ウィーンのほぼ中心の国立オペラ劇場や美術史美術館から歩いてすぐのところにあるので、ヒトラーに因縁のあるアカデミーであるとともに、ヒエロニムス・ボスの「最後の審判」がこのアカデミーにあるので是非立ち寄っていただきたい。因みにボスは、盛期ルネッサンスに駆け上がって行く15世紀後半から16世紀に掛けての画家だが、その時代とは一線を画する画風で是非とも御覧になることをお薦めしたい。 (ウィーン・分離派会館に描かれたクリムトの「ベートーベン・フリース」・・・Wikipedeaより)ウィーンには見るものがたくさんあるため、このアカデミーや隣り合っているクリムトのベートーベン・フリーズのある分離派もある。一般の市内観光ではなかなか立ち寄れない美術館だが、あれもこれもという美術館ではないので、短時間で済むので、是非ともお薦めしたい。
2023.01.28
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(世界で一番美しい村・レッヒ・・・レッヒ観光局提供) サンクト・アントンから半日かけて行くスキーハイキングはゴンドラで一つの山のピークに行き、滑り、を何回も繰り返してゆくので、景色がぐるぐる変わり、コースも緩急に変化して、人生を忘れるほどだ。サンクト・アントン滞在中に、天気が良ければ、是非ともお薦めしたいコースだ。そのレッヒは白馬村と姉妹村提携をしているので、サンクト・アントン同様、親近感が出てくるから不思議だ。ホテルで働いている人もその辺を十分承知してくれているのか、あちらも親近感を持って接してくれる。ところで、オーストリア人はこのレッヒを“世界で一番美しい村”という称号を与え、自慢の村で、スキーもさることながら、夏場のハイキングに多くのハイカーを内外から集めている。冬はスキーの高級リゾートになるため、比較的ホテル代が高騰するが、夏場のハイキングではホテルの値段もぐんと下がるので、観光局は夏のハイキングを積極的に薦めている。オーストリアはウィーンを初め、ザルツブルク、インスブルックなど町も素晴らしいが、ヨーロッパアルプスの東端の山岳地帯も知られざる魅力があふれている。二度目、三度目のオーストリア、地球にやさしいオーッストリアに是非行ってほしい。
2023.01.22
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(サンクト・アントンのゲレンデマップ・・・サンクト・アントン観光局提供)昨日のブログに登場したハンネス・シュナイダーは、オーストリアのアールベルグは、サンクト・アントンの小さな村、シュトューベン出身のオーストリアスキーの父と称される人で、当時のスキー技術を体現し、体系付けた人と言われている。シュトューベンには彼の生家が残っていて、小さなホテルとして残っている。余談だが、シュナイダーはナチス・ドイツを嫌って、1939年にアメリカに亡命して、アメリカでスキーの普及に努めた人でもあった。そこで、今日はそのサンクト・アントンについて・・・ スイス方面からオーストリアに抜ける11㎞に渡るアールベルグのトンネルを抜けたところにサンクト・アントンはある。長野県野沢温泉と姉妹村になっている。その縁結びもハンネス・シュナイダーだった。このサンクト・アントンでもう一つ注目しておかなければならないのは、オーストリア国立スキー学校がサンクト・アントンの一つの村、サン・クリストフにあることだ。 その昔、志賀高原の丸山Aコースのコブ斜面を華麗に舞うように降りてくる一人のスキーヤーが居た。舞うように見えたのは、コブを利用して空中でターンをして降りてくる技術。顔がだんだんクローズアップされて分かったのが、現在、奥志賀のスキースクールの代表杉山進氏だった。その杉山氏が卒業した学校がそのサン・クリストフにある。息子さんも確かその学校の卒業生。時は、札幌オリンピックが決まり、オーストリアスキー技術の習得に余念なく、スクールのインストラクターを見つけては真似をしていた。 札幌オリンピックと言えば、もう一人、忘れられない人がいる。サンクト・アントン出身のアルペン選手で回転、大回転、滑降の三冠王を狙えると言われたカール・シュランツ。前回大会のフランス・グルノーブル大会で三冠王になったジャン・クロー・キリーの好敵手だった彼は、ミスター・アマチュアと言われた当時のブランデージ会長のアマチュアリズムに反し、札幌オリンピックから追放された。現在もサンクト・アントンで小さなホテルのオーナーのはず・・・プライベートで行く機会があったら泊まりたいと思っている。 オーストリアスキーはわが青春時代に目指したテクニックだったこともあり、初めてのヨーロッパスキーの場所として敬意を祓うことができた。その動機は、1994年に野沢温泉で開かれたプロスキーヤーの祭典「インタースキー」に、オーストリア政府観光局から招待され、その恩返し企画だった。 (乾いた雪がグルーミングされて重畳と続く・・・思わず自分の腕前を錯覚させる雪質はまさしく別天地に連れて行ってくれる・・・サンクト・アントン観光局提供)エピソードたっぷりのサンクト・アントンはさすがに難度の高いコースが多く、上級者をうならせる。特に、半日かけて、ゴンドラ、リフトを駆使して滑り、また、乗り、滑りを繰り返してレッヒまで行くルートは全く飽きさせないお薦めコースだ。
2023.01.21
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(ピステ、オフピステどこでも自由な滑走が楽しめるダボスのゲレンデ・・・ダボス政府観光局)初めてスキーをはいたのが、家から最も近い菅平だった。その菅平は、スイスのダボスの姉妹ゲレンデと知り、一度はダボスでスキーをしたいという思いを持ち続け、実現したのが1996年1月だった。そもそも、菅平がダボスと姉妹ゲレンデになったのは、戦前の1930年にオーストリアのサンクト・アントン出身のハンネス・シュナイダーが、皇室の招きで来日して、菅平に行った時に、根子岳と四阿山の山容を見て、「ここはスイスのダボスに似ている」とコメントしたことから後に、姉妹ゲレンデの提携につながったようだ。現に、菅平には、「日本ダボス」の碑が立っている。初めてのダボスは夏場で、しかも、サンモリッツに行く途中に立ち寄った程度でどこが菅平に似ているのかさっぱりわからなかったが・・・ダボスの最高峰のヴァイスフルーの山容をゲレンデから仰ぎ見て、シュナイダーが菅平で感嘆の声を上げたことがよくわかった。(根子岳と四阿山の菅平・・・Wikipedeaより)ゲレンデはそのヴァイスフルーの頂上付近の急坂を除けば、比較的やさしいゲレンデが広がり、一滑り5㎞の大回りクルーズを楽しめ、隣村のスキーゲレンデに繋がり、そのダイナミズムに驚かされる。フランスからスイス、更に、オーストリアにまたがるヨーロッパアルプスのスキー場は3月の初旬が天気が安定して、いわゆる、ピーカンの日が続くとされ、最初は3月に拘って企画をしたが、ヨーロッパ各地のスキー場は3月がスキーのピークとなりホテル代が高くなる。そして、高い割には多くのスキーフリークが殺到するので、気に入ったホテルが確保しにくい状況も出てくる。そんな状況を回避するために1月を選んだその時は、快晴が1週間続き、忘れられないダボスになった。そのダボスも帰り支度が始まるころに、街角に自動小銃を持つスイス軍の兵士をおぼしき軍人が町の辻に立つようになり物々しくなる。何事かと聞くと、次の週の後半に「ダボス会議」が始まると・・・そうだ、確かに、1月は世界経済の問題点を討議する「ダボス会議」のシーズンで欧米の主な経済閣僚が集まる。今年も、昨日からダボス会議が始まったニュースが流れ始めた。その時に、思ったことだが、日本からもこの会議に参加している人が、会議が終わって、スキーを楽しむ人が何人いるだろうかと気になった。せっかくのスキーのメッカでの会議でもあるので、熱い議論の後は、広大なゲレンデに出て、あるいは、ヴァイスフルーヨッホの頂で冬景色を見ながら世界を見てほしいものだと感じた。
2023.01.20
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(サカイヒロマル氏の著書のブックカバーより)タイトルとは裏腹に、書を抱きながら旅に出よう。標記の旅の同行講師のサカイヒロマル氏の著書、「ヒトラー 野望の地図帳」に沿って、4回シリーズの第1回目のチラシができました。弊社ホームページに是非ともコンタクトをお願い致します。そして、旅に出ましょう。 当シリーズの大見出しは、ヨーロッパ・戦争と平和。そして、若干、タブー視されているヒトラーを正面から取り組んだ企画で、ヒトラーの生まれたブラウナウ、若い頃の挫折のウィーンからナチス党が台頭していったミュンヘン、ニュールベルグにヒトラーの足跡を追いながら、近代史の社会学の、なぜドイツはナチス党に席巻され、第二次世界大戦を引き起こしていったかを探ります。 そして、二回目は、第二次世界大戦の口火を切ったグダニスクの進攻からユダヤ人の虐殺に至ったポーランドを、さらに、連合軍の反抗の象徴のノルマンディ、パリ、そして、アンネ・フランクのオランダ、ベルギーなどEUへのベネルクス3国を・・・大団円は、ナチスドイツ終焉のベルリンまでを探ります。シリーズは長丁場になりますが、是非とも熱いご指示お願い致します。
2023.01.18
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「書を捨てよ、町に出よう」と言っている矢先にネパールで航空機の墜落のニュースが入ってきた。ニュースによれば、カトマンズからポカラに行く途中の事故で、亡くなった人は68名で日本人犠牲者はいなかったと・・・この路線はネパールで最も人気の高い路線だけに、今度のショックは計り知れない。ボイスレコーダーが回収され、これから事故の真相が明らかになると思うが、徹底した解明をお願いしたい。 (アンナプルナⅠ峰、標高8091m。世界の10位の標高を持つ山・・・Wikipedeaより)ポカラに行く大きな目的は、7000mから8000mのアンナプルナ山群が標高1400mのポカラの町から手に取るように見れることで、もうひとつのエベレスト街道に次ぐ人気を誇っている。しかも、トレッキングの標高が3000mほどのやさしいルートで初心者向けのルートで眼前にアンナプルナ山群が展開してゆくから、お天気に恵まれたら、生涯の思い出の1ページを作ってくれること間間違えなしだ。 ポカラは首都のカトマンズから西に200㎞なので、飛行機を使わないでも、バスで行けるので、陸路の選択もある。 (「神の座」マチャプチャレの雄姿・・・Wikipedeaより)ポカラの町には、アンナプルナ山群の前にある標高6993mのマチャプチャレをどのお部屋からも眺められるホテルがいくつかあるので、お薦めだ。因みにこの山は「神の座」として、ネパール政府が登山を禁止しているので、未踏峰の山でもある。ヨーロッパアルプスの針峰群の一つ、ドリューに似ている山は時々、ものすごい雪崩に遭遇することもあり、山好きには堪えられない。 今度の事故で、ネパールへの旅行熱が下がらないことを祈りつつ、犠牲になられた人の冥福を祈る。
2023.01.17
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(PCR検査などのチェックが緩和された上海浦東国際空港・・・AFP NET NEWSより)中国のコロナ情報が錯綜している・・・訪日中国人観光客を迎える方をインバウンド、日本人を中国に向かわせる私たちの様な業者はアウトバウンドと呼んでいる。年末に中国の航空会社がミラノで降ろしたうちの半数はコロナの陽性者と言うニュースが流れ、「スワ、カマクラ」と、各国の水際対策が見直され、中国人は国を出る前に、PCR検査の陰性が入国の条件とすることとした国が一気に増えた。もちろん、日本の水際対策然りだ・・・ 流石の習近平政権も「ゼロコロナ」対策の失敗で、中国各地で暴動と鎮圧のイタチごっこが始まり、検査を強化したり、すっぱり止めてみたり・・・混沌としてきた・・・コロナは相変わらず、厄介な代物?目に見えないものは、「こころ」と同じく、文字通り、疑心暗鬼を呼び、今や、過去にコロナに罹患して免疫を持っている人は入国でき、まだ、罹っていない人は免疫がないから入国を拒否されるという珍現象が起こっている。また、在日本中国大使館は、日本の水際対策強化に反発してか、査証(ビザ)の発給を停止したというニュースも今日の午後、ネットを駆け巡った。 インバウンドもアウトバウンドも実は、中国のコロナが下火になるのを今か今か待っている。コロナは既にインフルエンザと同じです。マスクなしでもOKですからどんどん来てくださいという欧米は燃油サーチャージという税金が高いので、起爆剤にならない。それよりも、近くて、比較的燃油サーチャージを低く抑えられる中国市場は冬場でも温暖で素晴らしい観光地があるし、夏場は夏場で、涼しい東北地方もあるので、春夏秋冬に行くところはいくらでもある魅力に富んでいる。また、中国からの観光客が日本に落とすお金は日本人の数倍といわれ、今の国内向け業者に偏った観光行政を敷く必要もない・・・経済の活性は、ゼロコロナに失敗した中国を笑うことではなく、どのように、中国のコロナ禍を終息に導けるかを、WHOを中心に考えることと思う。もちろん、その前に、中国は中国のコロナの実態を世界に公表することが相互理解の元になることは言うまでもない。・・・疑心暗鬼を持たれないために。
2023.01.11
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プーチン・ロシアがウクライナを進行して以来綴ってきた上記のテーマを毎日綴ってきたが、昨年の10月に3年ぶりに添乗でウズベキスタンに行った日を期に途絶えていた。理由は、添乗のよしなしごととウズベキスタンの情報を伝えることにブログの使命があったからだが、気持ちの中での厭戦感とサッカー、ワールドカップの感動を文字にすることの方が勝っていたにほかならなかったからだ。 ワールドカップが終わり、クリスマスが過ぎ、新しい年がやってきても、ウクライナの戦火は止まない・・・朝日新聞の俳歌壇もその勢い衰えず、とりわけ、短歌の三十一字の戦争告発は止まらない。以下、昨日の朝日新聞朝刊、朝日俳歌壇の選者選から・・・◆高野公彦氏選・暗い部屋に老女が独り寒いのと、震えておりぬこれが戦争(松戸市 遠山 絢子さん)(永田和宏氏共選)・湯たんぽにお湯入れ思うウクライナの冬寒かろうな辛かろうな(福島市 美原 凍子さん・「人は皆必ず死ぬ」とプーチンが戦死の兵の母に言いたり(観音寺市 篠原 俊則さん)◆永田和宏氏選・幾人が拘束さるる罰さるるかの国なれば今朝の歌壇は(松山市 宇和上 正さん)・雪ふぶく宗谷岬の怒涛聞くかくも近きか隣国ロシア(仙台市 沼沢 修さん)・カタールの溢れる会場とローソクの灯のキーウのシェルター(三鷹市 山縣 駿介さん)(馬場あき子氏共選)◆馬場あき子氏選・百日を耐えれば春はまた来ると我を励ますウクライナの人(五所川原市 戸沢 大二郎さん)戸沢大二郎さんは高野公彦氏の朝日短歌賞の選にも・青森は上空通過のミサイルもウクライナでは通過などせず ・「人は死ぬ」と病死事故死もあるけれど戦死はあんたのせいだプーチン(茨城県 樫村 好則さん)◆佐佐木幸綱氏は、年間賞の朝日歌壇賞に・戦争は祈りだけでは止まらない 陽に灼かれつつデモに加わる(東京都 十亀 弘史さん)そして、同じ朝日歌壇賞の永田和宏氏選に・虐待という言葉まだ知らぬ子は「ママごめんね」と餓死をしました(岡山市 牧野 恵子さん)ここにも、また、悲劇が・・・ 同日俳壇にも反戦句が・・・◆長谷川 櫂氏選・戦争は心の破壊霜の朝(新宮市 中西 洋さん)・武器論議まさかまさかの年の暮(東京都 片岡 マサさん) プーチン・ロシアは即刻、ウクライナ侵攻を止めよ
2023.01.09
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(ベネチア・サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が大運河に浮かぶ・・・Wikipedeaより)初めてのヨーロパ旅行はサブ添乗員として・・・ロンドンからドーバー海峡を渡り、パリ、そして、インターラーケンからオーストリアのインスブルック。ブレンナー峠を越えてイタリアのベネチア、フィレンツェから、文字通りすべての道はローマに通じたコースだった。その後、何度も何度も駆け抜けたコースであったが、とりわけ、ベネチアに初めて行った時の印象は未だに鮮明だ。映画「旅情」で、ジェーン役のキャサリン・ヘップバーンがベネチアを去るシーンを思い浮かべながら、サンタ・ルチア駅対岸のローマ広場からの水上タクシーは大運河を進む・・・町並みが水に浮かび、その不思議さに気を取られながら夕景の中のサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会とその向こうのサン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂のシルエットの美しさに圧倒され、縦横に走る細い運河を巡って着いたのは、ベネチアの五つ星ホテル、ヨーロッパ・レジナホテル。後年、ベネチアの空港マルコ・ポーロ空港からの船でホテルまで行くアプローチも含め、言葉がいらない最高の演出ルートだ。(かつて、ベネチア・サミットの会場にもなったさん・ジョルジョ・マジョーレ教会・・・Wikipedeaより)夜ともなれば、歌い手の声が小運河に響くゴンドラが一層の旅情を掻き立てる。「ベネチアに来て、あの不似合いなナポリ民謡なんか聞くのは愚の骨頂」と言う、塩野七生さんの想いが分からないでもないが、そんな情緒は日本にはないので、「まあまあ」と諌めたくもなる。その塩野さんの名著、「海の都の物語」はこのベネチアから遠くアドリア海を越え、「コンスタンチノープル陥落」まで続く・・・12世紀、ヨーロッパ人の心のふるさととも言うべきエルサレムがセルジュク・トルコのイスラム教徒の手に落ちた。時の教皇の命の元、ドイツ、フランス、イギリスの主力の王がこぞって、ベネチアから船団を率いてアドリア海のバルカン半島を伝いながら南進していった。そんな、中世のキリスト教国とイスラム教国の鬩ぎ合う地中海をなぞる旅は今年の夏の目玉に据えます。乞うご期待。
2023.01.07
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(ヒトラーが生まれたブラウナウの街・・・Wikipedeaより)ドイツとオーストリアの周遊コースは海外旅行黎明期からの定番だが、この地が、あの忌まわしき第二次世界大戦の引き金を引いたナチスの故地でありながら、正面からナチス党を率いたヒトラーに焦点を当てたツアーは少なかった。そこで、改めて、若かりし日のヒトラーの足跡なども追いながら、第二次世界大戦の始まりから終結までを4回のシリーズにし、”ヨーロッパの戦争と平和”を大見出しにしてヨーロッパを・・・ひいては、日本が三国同盟を結んで泥沼の太平洋戦争に進んでいった歴史を考えたい。ついては、どの専門家にこのツアーの講師をお願いしようかと思いあぐね、図書館はもとより、書店やネットで調べた結果、「ヒトラー野望の地図帳」という著書にぶつかり、実際に自分の目でヒトラーの足跡を辿りながらヒトラーの実像に迫って行く姿に惹かれ、すぐに連絡を取ったら、何と、コロナ禍の最中、ヨーロッパ取材中との事で益々興味が湧き、帰国後、すぐにお会いして、今回の同行をお願いすることになった次第・・・まだ、若い新進気鋭のサカイヒロマル氏は学生時代からヨーロッパ、中東をめぐり、とりわけヒトラーへの興味止み難くサラリーマンを続けながら30回近く訪欧して、書物を書き、YOUTUBEでも「ヒロマルちゃんねる」と言う名前で映像、画像、トークを公開していますので、登録して是非ご覧いただきたい。コースは、ヒトラーが受験に失敗した造形美術大学のあるウィーンから始まり、ヒトラーの生まれたオーストリアのブラウナウやナチス幹部の保養地ベルヒテスガーデンからザルツブルグ、そして、ナチス党の本拠、ミュンヘンとニュールンベルグへと続きます。そして、シリーズの2回目はナチスドイツがポーランドのグダニスクに侵攻した模様と600万人のユダヤ人を葬ったアウシュビッツ強制収容所などを巡ります。3回目は、連合軍の反攻が始まったノルマンディーやパリの解放。そして、最後はナチスドイツ終焉のベルリンを中心とした4回のシリーズに繋げ、日本の戦後処理が話し合われたポツダムまで行き、ヒトラーを軸にして、ヨーロッパの戦争と平和を考えます。
2023.01.06
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(トルクメニスタンの地獄の門・・・Wikpedeaより)この業界に入って旅行の仕事をしたころからこの言葉に突き動かされているが、このところ、特に、意識している。様々な形で政府のコントール下にある海外旅行で、タイミングの悪さや痒いところに手が届いていない齟齬を感じながらでも、自らの想像力を駆使して走り出さなければ誰も手を差し伸べてくれないことを銘じながら、昨秋から企画を進めてきました。円安と燃油サーチャージの高騰の中、幾多の現地手配会社の倒産の憂き目に合いながらもツアーのラインアップを進めています。昨年の10月に3年ぶりにウズベキスタンに行ってみて、四肢に、脳髄の奥に「格別の血」が染みわたっていくことを実感して、「そうだ、この感覚」を忘れていたと思い、企画に拍車をかけています。随時、ホームページhttps://www.euras.co.jpにアップしていますので、是非、注目していただきたいとおもいます。春の企画の目玉は、3月の俳人の高田正子さん同行の台湾吟行の旅。5月には、ヨーロッパの戦争と平和シリーズと銘打ったナチスとヒットラーを正面に据えた4回シリーズの第一回目、ヒットラーとナチスドイツの黎明期のオーストリアと南ドイツの旅。それから暑くなる前の砂漠に天然ガスが燃えるトルクメニスタンから中央アジアシルクロードはチムールの都を巡る旅。さらには、塩野七生さんの「海の都の物語」から世界各地で予定されている合唱祭や現地の合唱団と交流する旅をラインアップしてゆきます。「・・・古い上着よ、さようなら、忌まわしいコロナよさようなら・・・」今こそ、「書を捨てて、旅に出よう」
2023.01.04
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本年も宜しくお願い申し上げます。 初日の出ガリレオを思う惰性かな 泰斗 (パリはモンマルトルのシャンソニエ、「ラパン・アジル」のうさぎの看板・・・Wikipedeaより)今年の年賀状は、駆け出しの頃に行ったパリのシャンソニエ、「ラパン・アジル」のうさぎの看板にいたしました。コロナ禍でヨーロッパが遠くなり、とんとご無沙汰してしまいましたが、終息の状況を見ながら皆様をご案内したいと思います。ご来光を仰いで・・・まさに、世界は日の出を待っている・・・の感を深くしました。今こそ、寺山修司の、「書を捨てよ、町に出よう」の言葉を抱いて、ぴょんぴょんと実践したいと思います。よろしくお願いいたします。
2023.01.01
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(テレビのニュース映像より)ついにどん詰まりの日になった。振り返るシーンはついこの間のこともあるが、サッカー、ワールドカップの数々の歴史に残るシーンが蘇る。それから、北京の冬季オリンピックも・・・スキーをこよなく愛する自分の中で昨日のことのように蘇る。それはまた、ビッグイベントだけではなく、卓球、ゴルフ、野球、バドミントン、テニス、ラグビー、バスケットなどの球技から、体操、フィギュア、そうそう、世界陸上も、駅伝も・・・毎年スポーツシーンの思い出に事欠かない。そんな中で残念なことは言うまでも無く、オリンピック委員会理事とスポンサーの贈収賄事件だろう。以前、このブログでも書いたが、現在のIOC、JOC、スポーツ庁などの委員や嘱託の役に付いている人、国会議員はすべてその役から降りるべし。札幌オリンピック誘致なんて全くの論外。向こう10年はこの種のロビー活動は禊の意味も含め、活動は中止。ご本人たちの関与はないと信じるが、橋本聖子氏、山下泰弘氏、室伏広治氏らも、今の役職から降りて一から出直しすることと、組織員会と業界の癒着の無い新たな関係を構築しないとまた起こる。イベントは大きくなればなるほど疑獄化する。 末尾ながら、この一年、当ブログをお読み下さり有難うございました。コロナ禍の中、ウクライナ紛争の中、前途多難な最中ではありますが、皆様にとって、来年がより良い歳になりますようお祈り申し上げて、今年の筆をおきます。
2022.12.31
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(© Bloomberg・・・msnニュース画像より、北京空港チェックインの様子)昨日の続きを明日にと思っていたら、イタリアから飛んでもないニュースが飛び込んできた・・・既にご存じの方もいらっしゃると思うが、中国発ミラノ行きの航空機の搭乗の半数がコロナ感染していた・・・という、信じがたいニュース。一瞬、何かの間違えではないのかと耳を疑った。国際線の便で満席だったとして、300人は乗っていたと思う。その半分だから、150人の感染者とすれば、これだけで、マルペンサ空港は空港閉鎖になるほどで大パニックになっていると思われる。一体、どうしたことか・・・日本政府は昨日、中国がゼロコロナ対策を返還して、48時間以内のPCR検査で陰性ならば隔離政策を取るとの発表を受けて、逆に日本政府は水際対策を強化すると発表したことを揶揄したが、前言を取り消さざるを得ない事態だ。もう少し、詳しい内容を吟味する必要・・・つまりは、罹患者の症状はどういう状態なのか、熱は何度なのか、だるいのか、咳は出るのか、呼吸が苦しいのかとか。この症状は、インフルエンザにような流行性感冒なのか、重症度はどの程度のものなのかをWHOは精査した上で速やかに発表してほしいところだ。年末年始もおちおち休んではいられなくなった。
2022.12.29
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(ロシアとの国境をなすアムール河。手前は黒竜江省の黒河。対岸はロシア・・・Wikipedeaより)中国のセロコロナ対策から一転して、入国緩和に踏み切るニュースは一瞬、歓迎されるも、岸田政権はすかさず、中国からの渡航者に対して、他国とは一線を画す形で、水際対策の強化を発令・・・どうしても、中国に対する偏見の匂いを感じてしまう。世界的に、今流行っているコロナのオミクロン株は重症化リスクの無いウィルスで認識が一致しているのにだ・・・この押したり引いたりはいつもの儀式の様なものと思うが、4月頃には収斂して、まさに、ゴールデンウィーク明けには、正常化するものと楽観している。・・・となれば、まずは、3年前のコロナに阻まれた哈爾浜から北の黒竜江省はアムール河に挟まれた満蒙開拓団の跡地を訪ねる旅をすぐに企画したいところだ。待っててくれアムール、待っててくれ黒河、待っててくれ北安、そして、そこで、日本に帰られなかった霊魂の皆さん。もうすぐ、会いに行きます。
2022.12.28
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(コロナのニュース画像・・・アベマニュースより)昨日、コロナ禍による鎖国状態に喘いだ3年間に触れた。各国は水際対策を強化して、入国して1週間~10日間、隔離をして、何度もPCR検査をして、漸く入国が認められる情況に、旅する人はなく、航空会社は減便に次ぐ減便で、その復活は水際対策が緩和されても、なかなか元に戻っていない。・・・であるならば、国は国内の観光業者、主に、旅館やホテルと交通機関を助けるために、様々な割引対策をして、需要を喚起しているが、海外を相手にしている業者には何の施しも無く推移している。そこに持ってきて、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻の影響で高騰しているオイルと円安が追い打ちを掛け、東京から欧米へ行く際の燃油サーチャージが10万円を超える事態・・・これで、どう重要を喚起せよというのか。海外渡航需要喚起のための施策を至急立ててほしいものだ。そして、また、マスコミに物申す・・・旅行は国内だけではない、海外も含めた広い視野に立ちながら、ウィズ・コロナと向き合いながら、旅行業者の現場をしっかりルポして、問題点をあぶりだして欲しいものだ。また、隣国、中国のゼロコロナ対策が破綻しはじめているニュースが伝わる中、その実態の解明が急がれる。なぜなら、中国はワクチンに頼らず、封じ込め作戦を世界で唯一展開したことの推移の分析は、ワクチン対策国との対比においても重要な事例に他ならないからだ。
2022.12.27
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(ロシアのミサイル攻撃にさらされる首都キーウの街・・・Wikipedeaより)クリスマスが過ぎれば、気分はなぜか正月休みに直走る・・・こちらも仕事納めまで、残すところ3日。当たるはずもない年末ジャンボは先週の金曜日、有楽町で途中下車して、一番売れるから一番当たる確率が高くなる当たり前の法則に乗っ取って、この「当たり」前の縁起を担いで長蛇の列についた。前の人が大きな袋から札束を出して、買っているのを見て、一気に運気を吸い取られような錯覚に、「あのー、バラを10枚ください」と、吐息の声で何とか購入。今年最後の各社の雑誌も恒例の今年の出来事を掲載し、大きなお世話ながら、来年は「こうなる」と・・・こちらも当たった試しがない特集を組み、売れない活字媒体の先端を走っている。その中で、今年一番の番狂わせは、アベスガの訳に分からない失われた10年以上に1年でその化けの皮を剥がされたキシダ政権の体たらく。支持率が25%を切ろうかという段になっても、政権は歳を越すらしい。政権も政権なら、そのダメ政権を倒せない野党も野党だ・・・一体、日本はどこへ行こうとしているのか、まるで、訳が分からない。すっかり、戦後に、トルーマンが言った、飼いならされたサルになり下がってしまった感が強い。そして、コロナで明け暮れした3年で、すっかり、鎖国を強いられたわが業界に、ロシアのプッツン・プーチンによるウクライナ侵攻が追い打ちを掛け愚の音も出なくなった。嗚呼、あぁ、口を突いて出るのは愚痴と溜息・・・ それでも・・・それでも、めげずに、ピンチをチャンスに変えながらやってきたことを思い出しながら、「行け、旅に、今こそ・・・あこがれにになわれて」・・・佐藤眞さんの合唱組曲「旅」に歌われているフレーズを脇に抱えて、一途に、信じて、進みたい。(つづく)
2022.12.26
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(ジョットのイエス降誕・・・Wikipedeaより)金曜日に孫が怪訝な顔で帰ってきた。「今日は23日なのに、なんで、サンタさんが来たの、サンタさんが来るのは25日の日曜日だよねママー・・・」。保育園のサンタさん出現は保育園の都合なので、ママは、「25日は日曜日だから、お休みでしょう」に孫は納得するも、「24日に何でケーキをたべるの?」と突っ込む。ママは困った顔で、すかさず、こっちの顔を見た。そこで、物知り?のじいちゃんの登場。「24日にご馳走を食べてケーキを食べて、サンタさんからプレゼントをもらうのは、イエス・キリストのお誕生日だから」。すると、「お誕生日は25日でしょう」と孫は追及を止めない。「それはね・・・」と、おじいちゃんの説明が続く・・・孫に時計を見せながら「日本では短い張りが夜の12のところから一日が始まる・・・でも、イエス・キリストが生まれたところは、24日に太陽が沈むときから25日が始まる数え方が始まるからだよ」と・・・孫はいつしか、怪訝な顔を弛め、プレゼントを抱え、ケーキを頬張って、深い眠りについた。25日が明けた。今年もクリスマスは来た。楽しいはずのクリスマスはあのウクライナにも・・・
2022.12.25
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まだ、ワールドカップ後遺症の中にいる・・・ベスト16に勝ち上がった国々を眺めている・・・行っていない国はセネガルだけだせいもあり、今回は応援する国が多くて困った。残ったメンバーはほぼ予想どおりだったが、その中に常連のイタリアやベルギーがない・・・オリンピックだと当然有力な国のひとつとして名前が挙がるロシアや中国もない・・・サッカーは国のGDPや人口の多寡や伝統の力、いわんや金が有る、無しなどどこ吹く風・・・勝つために備えた総合力だけが物を言う世界を、世界の人々は知っている・・・ボール一つをけり合う単純なゲームながらその一挙手一投足に熱狂するほど奥の深さも感じる・・・もうそこまで来ているお正月はYOUTUBEをじっくり見直すことになりそうだ・・・
2022.12.21
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(富士山頂の日の出・・・Microsoft bingより)かつて、寺山修司は、こんなタイトルの評論集を出して、若者文化に火をつけた。ワールドカップが終わって、ある種の寂寥感を感得しながら過った言葉ではあった。しばし、テレビに、アベマのYouTubeに嵌っていたが、終わってみるとやはりどことなく寂しい・・・このブログも、行き先を見失いつつあるようだ。新聞のコロナ感染者数を横目に見ながら、ワールドカップの感動と勇気は”世界は日の出を待っている“という思いを惹起して、心を外に開いて、町に誘う。旅行屋的には、”ボールを蹴りに、町にでよう“・・・てなところか。メッシもエムバペも故郷へ帰りたいという・・・彼等は、しばし、ボールを置いて、遥かなサライに旅立つ。そうだ、”書を小脇に抱え、旅にでよう”
2022.12.20
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(写真、NHK実況放送から)誰もが思う誰がこの結末を想像しただろうか誰がこんなゲームの行方を想像できただろうかもはや、メッシの、エムバペの、もはや、アルゼンチンの、フランスのものではない世界の人々にサッカーの、スポーツの、平和の素晴らしさをもららした。プーチンよ見るがいい、世界はこんな姿を望んでいる
2022.12.19
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誰もが思う誰がこの結末を想像しただろうか誰がこんなゲームの行方を想像できただろうかもはや、メッシの、エムバペの、もはや、アルゼンチンの、フランスのものではない世界の人々にサッカーの、スポーツの、平和の素晴らしさをもららした。プーチンよ見るがいい、世界はこんな姿を望んでいる
2022.12.19
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(クロアチアのエース・モドリッチ選手・・・サッカーニュースより)(モロッコのエース、ハキム選手・・・サッカーニュースより)ワールドカップも1位と2位は共に長く記憶され、あの時の決勝戦のあのゴールはとか、仮に負けたとしても、あのゴールを守ったキーパーはとか、長く賞賛されるが、これが、3位、4位となると、深い縁がない限り、なかなか記憶に留まるところまでいかない。それでも、3位はまだいい、4位になったら悲惨だ。こんなことを言っていたら、4位になった国の人は、日本はベスト8にも残らないのに、何を悟ったようなことを言うかと叱られそうだが・・・一般的には3位と4位では大きな隔たりを感じる。さて、その3位決定戦の国だが、クロアチアもモロッコも観光的には甲乙つけがたい観光立国で、日本にないものばかりで、その放っている“観光力”に、大いに助けられた。だから、今回は決着なしの引き分けで双方3位にしてほしい気持ちが強い。明日の朝には決まり、明後日の朝には決勝も終わっている。寂しくなるなあ・・・そして、また、現実にひき戻されて正月を迎え、また、一つ歳をとる・・・さて、年賀状でも書き始めるか・・・
2022.12.17
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(ワールドカップ決勝トーナメント一覧・・・NHKニュースより) 今年最大の出来事、プーチン・ロシアによるウクライナ武力侵攻を無視してワールドカップが始まって以来、トピックとして扱ってきた。そのワールドカップも18日日曜日に、アルゼンチンとフランスの決勝で幕を閉じる。マスコミはフランスの連覇か、メッシ率いるアルゼンチンが36年ぶりの悲願達成かと思いっきり盛り上がっている。スーパースター・エムバペ擁するフランスにはジルーというベテラン。アルバレスというニューヒーロー擁するアルゼンチンにはもう一人のスーパースターメッシがいる。今までの得点数は双方互角でこの4人にディフェンスがどう絡むか、興味は尽きないが、決勝に残ったチームの勝利の方程式が見て取れるのは、前のブログでも触れてきたが、決勝まで残れるチームは老、壮、青が上手くかみ合うことが肝要と・・・翻って言えば、日本チームはあのクロアチア戦で、今大会で得点を取っていた堂安選手か浅野選手が得点をして、もう一人、三苫選手あたりが噛んで得点を取っていれば、ベスト8に大きく道が開けたことを想起させる。ここが、日本チームに欠けていたことであり、今後の課題がアルゼンチンとフランスチームを見ていて感じたが、どうだろう。ところで、そのアルゼンチンの北、ボリビアとチリの上にあるペルーで、大統領選がらみで議会が混乱し、観光客が足止めされて出国できないほどの酷い状態になっていると・・・南米に行くならまずはペルーからと薦めているほど観光資源に事欠かない国ペルーがワールドカップの平和の祭典とは裏腹に飛んでもないことが起こっている。ワールドカップが終われば、その現実に目を背けるわけにはいかない。混迷の岸田政権然りだが・・・
2022.12.16
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(激闘が終わったニュース画像の一コマ。GEKISAKAより)732年ツールポワチエの戦いでフランク王国がイスラムのウマイヤ王朝軍を撃破したように、アフリカ勢を日けた。そんな図を地で行ったフランスがモロッコに勝利した。18日の夜は南米の王者アルゼンチン対フランスの決勝でカタール大会は終わる。老練なメッシと若いエネルギーがかみ合ったアルゼンチンか、攻守のバランスが取れたフランスが2大会連続の覇者になれるか楽しみは尽きない。 ワールドカップはおよそ一か月に渡る夢の様な海外旅行を十分に味合わせてくれた。出場してくる各国への旅の思い出が蘇った一か月ではあった。エポックは何と言っても、ドイツとスペインを退けた日本の快進撃。これは私の中でも長く記憶に残るものだった。そして・・・、耳目は現実の、インフラを破壊されて寒いウクライナや、コロナの八波に見舞われて、いつしか敵地攻撃などと言う物騒な言葉が飛び交っている現実に向かわざるを得ない。
2022.12.15
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(好敵手メッシとモドリッチ・・・Sporting news提供より) 予選から準々決勝まで好セーブを見せていたクロアチアのキーパー・リバコビッチとは思えないファールからメッシにPKを決められてからタフなクロアチアのディフェンスまで綻びてしまった準決勝。応援していたクロアチアは良いところを見せないで敗退してしまった。それに比べて、アルゼンチンはエースメッシの壮と22歳のフォワードフリアン・アルバレスの青が上手くかみ合った。さらに突っ込んで言うと、クロアチアのモドリッチと若手がかみ合わなところが勝ち負けの差となった。この辺に日本が学ぶところがありそうだ。 そして、もう一つの準決勝、フランス対モロッコの海峡シリーズが明朝あるが、これまた楽しみなゲーム。まだまだ寝不足は続く。
2022.12.14
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準々決勝の、特に、海峡シリーズの、ジブラルタル海峡を挟んだモロッコの快進撃はイスラム教の始祖ムハンマドが起こしたイスラム教勢力がジブラルタル海峡を渡ってスペインを北上してピレネー山脈を越え、フランス中部に深く入り込んだように見える・・・西暦732年、それを時のフランク王国のカール・マルテルがツール・ポワチエで押し返した。(ツール・ポワチエの戦い・・・ヴェルサイユ宮殿所蔵) 異教徒の侵入にフランク王国は大いに震え上がったことは容易に想像がつくが、今度のワールドカップを見ていて、過去の出来事と被ってしょうがない。それも明後日の朝には決着がつくが、判官びいきも手伝って、ここはモロッコを押したい。(NHKニュース画像より) もう一つはアルゼンチンとクロアチア。ここもメッシ率いるアルゼンチンが優位に見えるが・・・日本とブラジルを破ったクロアチアは粘りと運を持っているので侮れない。野球もそうだがベスト8からベスト4の戦いが最も面白いゲームになりそうで、日本が、スペインが、ブラジルが消えてもまだまだ楽しめそうだ・・・しかし、宴の終焉はすぐそこにきている寂寥感もまた・・・
2022.12.13
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(モロッコのサハラ砂漠。メルズーガ大砂丘・・・Wikipedeaより)サッカー・ワールドカップもいよいよ大団円を迎える4強が出そろった。失礼ながら、モロッコの躍進を誰が予想していたであろうか。マスコミが伝えているようにアフリカ勢初の準決勝進出・・・その昔、モロッコは旅行業においてはとても大切な国であった。スペインとコンビネーションした旅は隣のポルトガルが普通だったが、時として、スペインにモロッコをを加え、初めてのアフリカの国、初めてのイスラム圏への国モロッコを一緒に回ることで、新しい文化に触れてもらう意図があった。この経験が、イスラム圏の中核の国、トルコ、シリア、ヨルダン、更には、ディープ・イスラムのイランへと繋がっていった。そのモロッコのひとつの訪問地カザブランカが、当時のお客様のイメージの中に、ハンフリー・ボガードとキャサリン・ヘップバーンの映画「カサブランカ」があったことも手伝って、行き先にカサブランカを入れて必ず立ち寄るように日程を作った。しかし、結果としては、モロッコに行ったお客様の心に深く刻まれたのは、日本にはまったくないイスラム文化が色濃く残るフェズやマラケシュ。そして、それを繋ぐサハラ砂漠のメルズーガ大砂丘にすっかり魅了された。パリや、ロンドンなどヨーロッパにない世界にすっかり魅了されるかたたくさん居て、その方たちが、旅行社の背中を押して、NHKのシルクロードの放送や高度経済成長が絡み合って海外渡航人口を押しあげていった。 3年続いたコロナですっかり冷え切った海外旅行だが、テレビやYOUTUBEなどの映像でたっぷり染み込んだイメージを年明けから実感できる“リアル”を求めて旅立ってほしいものだ。(マラケシュ。熱狂のジャム・エル・フナ広場・・・Wikipedeaより) 最後に・・・優勝候補はフランス、アルゼンチンと言うところだと思うが、予想をことごとく裏切ってきた今回のワールドカップを一層ミラクルなものになるためにモロッコとクロアチアに頑張ってほしい。
2022.12.12
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(ザダルの町並み・・・Wikipedeaより) ザダルは2017年、クロアチアの新しい世界遺産として登録された。そのザダルは今、行われているサッカーワールドカップのクロアチアのキャプテン、モドリッチの出身地。モドリッチは6歳でクロアチア紛争に巻き込まれ、18歳まで難民ホテルで生活を強いられていた。クロアチアの紛争が終わってからザグレブのクラブに入り頭角を現し、イングランドのプレミアムリーグで活躍し、2018年のロシア・ワールドカップでは、準優勝に輝き、その年のサッカーの最優秀選手に贈られるバロンドールに輝いている。そのモドリッチを生んだザダルの町を覗いてみよう。今から3000年前に最初の集落ができたと言われているが、注目は2000年前の紀元前後と、キリスト教徒の大切な聖地エルサレムがイスラムの手に落ちた10世紀、十字軍による聖地の奪還とその後のアドリア海交易の主戦場にあった。その歴史の名残が、2017年にスプリトやドブロブニクに次ぐ世界遺産の登録となり、コロナ明けのザダルにたくさんの観光客を引き寄せ、押しも押されぬ一大観光都市になった。(ローマ時代の遺構のひとつ、聖ドナット教会・・・Wikipedeaより) ベネチアからイタリアの東端の町トリエステ、そして、スロベニアの海岸線をかすめて下る位置にあるザダルはスプリトへのルート上にあり、絶好の位置にあるため、宿泊を伴う観光地になった。まさに、塩野七生さんの「海の都の物語」を地で行く、なくてはならないアドリア海の中世都市としてなくてはならなくなった。早速、コロナ明けの旅の一隅を照らす旅を作成したことは言うまでもない。(海の門。ローマンアーチが美しい・・・Wikipedeaより) ところで、深夜から今朝方に掛けてこのブログを草稿していた。海峡シリーズはフランスと何と、モロッコがアフリカ勢初の4強に躍り出る結果となり、サッカーの難しさをまたも見ることになった。そして、その4強のひとつに残ったモドリッチのクロアチアが前回のロシア大会の雪辱がなるか・・・まだまだ、寝不足は続く。
2022.12.11
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(カラカラ浴場を背にした野外劇場・・・Microsoft bingより) ワールドカップローマ大会。この時の決勝は西ドイツとアルゼンチンで、1対0で西ドイツが勝ち、有名な点取り屋はローター・マテウスとリトバルスキー・・・だが、史上最も退屈なワールドカップと酷評された大会だった。一つは、バックパスの多用で、ボール回しばかりでいかにも引き分け狙いの試合が多かったからだと言われている。 その後、ルールや勝ち点が見直され、退屈さは解消したとか・・・しかし、私には、ローマはカラカラ浴場跡の野外劇場で行われた前夜祭は、実はサッカー以上に興奮したことがあった。白血病に倒れたバルセロナ出身のホセ・カレーラスの復帰を記念して、同じスペインを代表するプラシド・ドミンゴと今は亡きイタリアはモデナ出身のルチアーノ・ヴァロッティーが集い、指揮はズービン・メータ、そして、演奏はフィレンツェ五月祭管弦楽団が彩りを添え、決勝の選手たちを招いてコンサートを開き、名実ともに世界三大テノールの饗宴と呼ぶに相応しい夕べとなったからだ。(三大テノール ローマ大会決勝前夜祭コンサートCDジャケット・・・Wikipedeaより)三大テノールは、2007年にパヴァロッティーが亡くなってから、二代目の三大テノールと形容された三人がいるがすぐに消滅して、十数年続いた3人には遠く及ばない。その後、この三大テノールコンサートはワールドカップ決勝前夜祭の一大イベントとなり各国の政治家や著名な映画俳優、歌手などがこぞってその舞台に駆け付けてワールドカップを大いに盛り上げていた。さて、日本が惜しくもベスト8に残れなく残念なことになったが、今年はどの国が決勝に残り、どんな前夜祭が仕組まれているかワールドカップの行方とともに興味は尽きない。
2022.12.09
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(ドーバー海峡。フランスからイギリスを望む・・・Wikipedeaより)折しも今日は、真珠湾攻撃から81年、太平洋戦争が始まった日だが、話題はまたサッカー・ワールドカップへ。準々決勝は明日から始まる。組み合わせの表を見て思ったことは、左の組み合わせはワールドカップらしい大陸間のゲームに比べ、右は海峡を挟んでのゲーム。モロッコ対ポルトガルは昨日書いたので、今日はドーバー海峡を挟んだイングランドとフランスの戦いに注目したい。イングランド対フランスの対戦を見て、NHKの今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」の時代に思いが飛んだ。同じ時代、イングランドはフランスに大きな領土を所有していた。時のフランス王フィリップ2世はイングランド王ジョンからフランス領内のイギリス領を奪還してフランク王国をヨーロッパ随一の国の押しあげた。一方、イングランド王ジョンは、後にジョン欠地王という仇名を付けられ、暗記しやすいケチな野郎と下げ済まされる汚名で歴史に刻まれた。こんなことにならないよう前回の覇者フランスに果敢に挑んで欲しい。ドーバー海峡は、今やフェリーで渡る人は少ないが、私の駆け出しのころは、フォークストーン~カレーまでフェリーで渡ることが多く、船内でお客様のパスポートを預かり添乗員がフランス入国のスタンプを代行してもらっていた。海が穏やかな時はいいが、冬の今頃の季節風が強い時は鬼門で、並びはじめるとすぐに船酔いが来て、パスポートを抱えながら、列を離れてトイレにも行けず、胃液の逆流を何回も押し戻したことを覚えている。そして、カレーに到着して、バスで入る夕刻のパリの美しさは言葉で表すことができないほど感動したことを覚えている。後年、飛行機や列車でパリに到着しても、あの感動は得られずにいる。
2022.12.08
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(スペインの猛攻を防いだモロッコのゴールキーパーを胴上げして喜ぶモロッコイレブン・・・Microsoft bingより)ヨーロッパの西の果ての国々の星のつぶし合いが続く。今朝は、ジブラルタル海峡を挟むスペインとモロッコの戦い。夜中に目が覚め、テレビを付けたら、何と、私の戦前の予想とは異なり、モロッコがスペインと互角の戦いをしている。結局、昨夜の日本対コスタリカの試合と全く同じPKシーンが展開されて、スペインが敗退してしまった。スペイン対モロッコとなれば、どうしても7世紀後半から8世紀前半のイスラム勢力のヨーロッパ侵入の歴史を想起してしまう。モロッコまで来たウマイヤ朝のイスラム軍はジブラルタル海峡を越えてスペインはおろかピレネーを越えて深くフランスまで侵入した。732年、カール・マルテル率いるフランク王国軍はこのイスラム軍を撃退して結果的にイスラムからキリスト教国を守った。そのイスラム勢力との攻防の歴史は1492年のグラナダ陥落まで続くことになるが、この700年間にスペインに残したイスラム文化はスペインに色濃く残り、他のヨーロッパとは違った趣を残して魅惑的な独特の文化に私たちを導いてくれる。(元朝日サンツアーズ社長柳澤保雄氏作成の添乗テキストから「レコンキスタの歴史の部分を転載」そのスペインがモロッコに敗れ、次の試合で、スイスに6対1で勝利したポルトガルと闘うことになった。ここで、現在のレコンキスタが完遂されるのかどうか、新たな興味は尽きない。
2022.12.07
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(白赤の格子模様が印象的なクロアチアの国旗・・・Wikipedeaより) PKでの勝敗の付け方は、負けてみると、こんなむごい決着はないと感じたがどうだろう?ところで、出てくる選手の名前の最後がほとんど「ッチ」が付いている。ゴールキーパーでPKを三つ止めたリヴァコビッチ、ミッドフィルダーでバロンドールに輝いたモドリッチ、フォワードのペトロヴィッチ・・・と枚挙に暇がない。クロアチアが独立した1991年以降、何回かクロアチアに行く機会があったが、その時に一緒にしごとをしたガイドの名前にもこの「ッチ」が付いている人が多く、一度聞いてみたことがある。その意味は、誰々の息子と言う意味があるそうだ。今朝のネット上でもこの「ッチ」がバズっているとかで、「たまごっち」もランクインしているとか。その意味で言うと、昔流行った守屋浩の「僕は泣いちっち」を捩ったタイトルは正しくない。さて、そのクロアチアに付いてはこのブログの6月ごろに詳しく紹介をしているので見てほしいが、サッカー、ワールドカップの好敵手のクロアチアに付いて少しだけその片鱗を紹介しておきます。第一次世界大戦後のヨーロッパの新しい秩序は、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した後、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人が一緒になってユーゴスラビア共和国を作った。この国は「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境」という複雑さを象徴する国家だった。それを、第二次世界大戦後はチトーという英雄が大統領になって、チトーのもとに結びついていたが彼の死後、その七つの象徴が綻びはじめソビエト崩壊後、それぞれの民族が独立を叫び独立を果たしていったが、20世紀最後から新世紀にかけての紛争で多くの血が流された。(赤い屋根瓦が美しいドブロブニクの町並み・・・Wikipedeaより)その中で、クロアチアは比較的早く、独立を果たし、隣国のボスニア・ヘルツェゴビナやコソボの紛争をよそに、いち早く西側に接近してEUに加盟して安定を保った。それ故に、首都ザグレブをはじめ、スプリト、ドブロブニクなど、かつての海洋都市国家は戦火の傷浅く、いち早く観光事業を復活させ、多くの旅行者を惹きつけている。当ユーラストラベルでも、塩野七生さんの「海の都の物語」の世界を巡るベネチアからイスタンブールまでの募集旅行をコロナが治まった初夏に企画しているので、是非、訪れてほしい。
2022.12.06
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(12月5日しんぶん赤旗紙面より。特別音楽会の模様)3日間に渡って開催された交流会も特別音楽会を最後の閉幕した。交流会の花はやはり地元色が濃く演出され、その時代をも象徴する音楽会なので、できるだけ聞いてきた。昨日の白眉は近年の音楽コンクールで金賞に輝いてきた名古屋市立志賀中学校合唱部のうたごえだった。変声期にも関わらず、その音色は見事なほどの統一感に脱帽。(2022日本のうたごえ全国交流会 in 愛知 プログラムより)そして、もう一つは音楽家を志望して音楽学校に進んだが昭和19年に航空隊に配属となり、訓練中に事故死した鬼頭恭一氏の実話を「銀色の翼にのせて」という合唱組曲の発表。指揮は前述の詩が志賀中学校合唱部を指揮した山本高栄氏。合唱組曲はどの曲も最初は馴染みがないためとっつきの悪さはあるが、紫金草組曲、悪魔に飽食組曲などと共にポピュラーになって行くことを期待するとともに、壇上に上がった若人が生涯を通じて平和の歌を高らかに歌える時代であってほしいと切に願った。 さて、来年のうたごえ祭典は北海道は札幌で、8月に開催される。当合唱団白樺も文字通り、白樺が美しい北海道で受賞できるよう研鑽を積む半年としたいものだ。
2022.12.05
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イベントの最終日は、特別音楽会。地元のうたごえ協議会が総力をあげて縦鼻をし、ご当地ならではの趣向で毎年楽しませてもらっている。今年はどんな音楽会になるか楽しみだ。さて、一昨日のコンクール形式の発表会なので、金、銀、銅の賞が出る。今年も金賞は東京都の三多摩青年合唱団と埼玉の埼玉合唱団でこの2強時代はまだまだ続きそうだ。残念ながら、当合唱団白樺は悲惨な目にあっているウクライナに気持ちを寄せたが、賞には与れなかった。また一歩一歩上を目指して切磋琢磨してまずは銅賞に手を届かせたい。そして、昨日は20人以下の合唱交流会を聞きに行った。その中で、近年、私のテーマになっている「リメンバー」を金沢紫金草合唱団と京都のいのちのうた合唱団が取り組み発表してくれてうれしくなった。(リメンバー(のCDジャケットより)「リメンバー」は今は亡きなかにし礼さんの作詩、鈴木キサブローさん作曲の被爆の広島と長崎をテーマにした曲。なかにしさん曰く、「ノーモア」からもう一歩踏み込んで積極的な意味を込めた「リメンバー」・・・それを、佐藤しのぶさんが手話付きで2013年、うたごえ大阪大会で初めて披露した。その約一か月後、日本記者クラブでなかにしさんと佐藤さんがCD発売の記者会見を催した。その時の、なかにしさんコメント、「この曲の楽譜は、レディー・ガガやマドンナ、そして、ポールマッカートニーにも送って、母国語で歌ってもらう」と・・・このことばを聞いて、少なからずとも世界の方々で合唱交流をプロデュースしてきた自分に照らして考え、この曲をマスターして、行く国々の言葉で伝えて行く使命があると思っている。手話までなかなか到達できないが、なかにしさんの後を追うように亡くなった佐藤しのぶさんのお二人の遺言として歌い継いでゆきたい。そして、賛同される合唱団の方々の反響を期待したい。
2022.12.04
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昨日、お知らせしたとおり、標記の合唱発表会で名古屋にきています。私が出演した発表会は、20人以上の合唱団が全国各地から推薦された合唱団35団体で、名古屋市民会館大ホール(日本特殊陶業市民会館)に集った。金、銀、銅の発表はまだないようだが、参加することに意義がある。一人でも多くの人に、ウクライナの片りんを知っていただければという思いがいつもある。今日もこれから20人に満たない合唱団の発表会を聞きに行く。2013年の大阪大会から毎年この大会に参加、あるいは、聞きに行く年中行事になっている。それはまた、かつての合唱交流で出会った人たちとの同窓会的再会が私を惹きつけている。昨日も何人かの懐かしい人に出会えて、お互いの健康を確認し合った。今日もまた、そんな再会を求めて会場へ・・・
2022.12.03
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(写真中央に”石棺”と呼ばれるチェルノブイリ原発・・・Wikipedeaより)今日から日本のうたごえ全国協議会の全国大会が名古屋で三日間行われる。私が所属している合唱団白樺も東京都の代表として馳せ参じる。1950年、私が生まれた年にできた合唱団白樺はロシア語を学ぶロシア語友の会が母体となり、指揮者にシベリア抑留を経験した北川剛を迎えて設立され、ロシアの民謡を歌い継いできた。しかし、プーチン・ロシアのウクライナ侵攻により、団内に動揺が走った。コロナ禍で延び延びになっていた創立70周年の記念公演を7月に控えていたこともあり、即座にプーチン・ロシアの蛮行に非難声明を出し、当初予定になかったウクライナ民謡をレパートリーに加えロシアの民謡を歌い継いでゆく決意をして大きな拍手をいただいた。そんな一年の締めくくりはこの交流会だが、披露する歌はウクライナのクリスマスキャロルの「シチェドリク」とチェルノブイリ原発事故を歌った「チェルノブイリのコウノトリ」。この「チェルノブイリのコウノトリ」の訳詞はたくさんのロシア民謡を訳され、今年お亡くなりになられた大胡敏夫さん。プーチンの暴挙によって破滅的な状況にあるウクライナは悲惨な原発事故にも遭遇していた・・・心を込めて歌いたい。 春めくチェルノブイリ コウノトリが帰るふるさとには廃墟が白々と広がる去年の巣は焼け焦げ 草木は錆びていたコウノトリの群れに何かが張り詰めた 呻きも叫びも無く 羽ばたきを聞くだけコウノトリは目に見えない柩死の灰積る森を 飛び去る鳥たちを手を翳して見る父 母は哭き崩れた 春めくチェルノブイリ コウノトリが帰る
2022.12.02
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翌日はベネチアの半日観光と午後は自由行動だった。半日観光は日本語ガイドだったので、私はホテルに残り、お客様に寄り添うことにした。その時、同室のおさな友達も「自分も残ります。添乗員さんではお手洗いに連れて行ったり、体を摩ってやることもできないので・・・」と言って、残ってくれた。本人は昨日の医者の薬で小康を保っていた。そのせいもあってか、病院への入院を薦めたが、その意志は全くなく、この様子なら皆さんと一緒に日本に帰れるの一点張りだった。その陰にはベネチアの観光を止めて寄り添ってくれた同室の幼友達が、心丈夫にしていた。 次の日は、半日かけてフィレンツェへ。やはり、一番後ろの席5席を潰して横になってもらった。しかし、4時間のドライブはかなり体力を消耗し、薬も切れ加減で、痛みと悪寒で、震えだし、フィレンツェのホテルに着いた時には気を失う寸前のようだった。しかし、本人は病院に行ってしまうと、みんなと一緒に帰れないと思ったのか、病院に行くことを拒み、ホテルドクターに見てもらって痛み止めの座薬でまずは小康を保つことを選択するのだった。しかし、痛みは顕著には引かなかった。翌日、同じく4時間のドライブでローマのホテルに着いた時は、不謹慎ながら、死ぬんじゃないかと気が気ではなかった。ローマは2泊なのですぐに病院にお連れして、則、入院。(ご本人は昏睡状態だったので、まさか病院にきている認識はなかったと思う。)ローマも日本人ガイドだった事と病院で診てもらうということで、同室の方もローマの観光をしてもらい、私は、離団を想定して、航空会社、保険の代理店と打合せをして、想定しうる事態に備えた。 翌日はナポリとポンペイのオプショナルツアーで日本人ガイドに任せて、病院に急いだ。病室に伺うと、生死の境を彷徨っていた面影は全くなく、ベッドに正座して私が来るのを遅しと、待っていた。そして、開口一番、「滝澤さん、帰りましょう。治りました」まさに、狐に摘ままれた感じ・・・そこに、担当の医師がやってきて、「お腹の中に大きな石があります。胆のうの出口が炎症を起こしていたので、石を落ち着かせているが、できれば、手術をここですることを進めます」と言いかけると、「私は皆さんと一緒に帰ります。ご心配無用」と・・・医師は続けて・・・「そういう事なら、一つ条件があります。帰りのその飛行機に医者がいること、そして、あなたが、横になって帰れる座席があることです」と・・・「その条件が満たされたうえでこの書面に署名をしたら、退院できます」早速、アエロフロートローマ支店に電話して、二つの条件をクリアして、日本にいる息子さんに電話を入れると、「おふくろは、返さないでください。そちらの医者の言う通りにしてください」と、事は思わぬ方向に行ってしまった。そして、この親子の間に入って調整してくれたのが、同室の竹馬の友で、結局、一緒に帰ることになった。その竹馬の友は、飛行機の中では、4席の席に友を寝かせ、自分は椅子の下に寝て、成田まで見守ってくれた。この友達の奮闘はこれに留まらず、発症してから帰るまでの体温の推移記録、症状の所感、医師に見せるための吐しゃ物の保管、体を拭いてやることから摩り、時に指圧して、終始寄り添ってくださった力が一緒に帰国で来たことは言うまでもない。
2022.12.01
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(オーストリアとイタリア国境のブレンナー峠・・・Wikipedeaより) 約一か月に渡って自分の駆け出しの頃の体験を綴ってきた。このエピソード集の最後は急病のエピソード・・・ ロンドンから始まったヨーロッパ周遊の旅はパリからスイスに入り、南ドイツからオーストリアのインスブルックへと順調に進んできた。今日から残りの三分の一はイタリアの旅。スイスのチューリッヒで出迎えてくれたドライバーのアントニオは生粋のローマっ子。底抜けの明るさはイタリア人ドライバーの中でも際立っていた。「タキザワさん、峠を越えると明るいイタリア・・・」と、朝からご機嫌だったが、夏だというのにブレンナー峠は雪。そのうち、高速道路は渋滞し始め、俄かに気温が下がり始めた。すると、一人の年配のお客様の一人が私のところに来て、「滝澤さん、友達のNさんが、寒くて腰が痛いと言っています。暖房を入れてほしいんですが・・・」と、すかさず、アントニオに暖房を入れてくれるように頼んだが、バスはまだ暖房の切り替えができておらず、暖かくできなかった。具合の悪いNさんは一番後ろの席に横になってもらい、ドライバーが持っている毛布などを用意して寒さをしのいでもらったが、見る見るうちに顔が青ざめ、痛みと寒さで震えが止ま無くなり、友達が体を終始摩って落ち着かせようとしたが、あまり効果はみられなかった。バスはおよそ2時間ほどの渋滞で、ようやく動き出し、宿泊のベネチアに到着したのは夜の8時を回っていた。 ホテルに到着して、すぐにドクターを呼んで診てもらった。ドクターは英語ができなかったため確たる情報を得られなかったが、しきりにストーン、ストーンと言っていたことから胆石らしいことが分かった。次の問題は、ベネチアで2泊、フィレンツェで1泊、ローマで2泊、それから東京に戻るまでまだ1週間近い旅行に耐えられるかどうかだった。(つづく)
2022.11.30
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