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昼のラジオ番組でDJが「国の予算が少ないというのに公務員給与のUPとかはおかしい、民間企業は下がっているのに」と言ってたけど、この人、うちの姉(国家公務員)みたいにここ5年近くベースアップもない、役職的には上がったはずなのにむしろ減っているということに関しては何も知らないんだろうな。 というか、公務員給与UPの話はマスコミの恰好の叩き対象になるけど、逆に公務員給与引き下げとか、一部をバイトや準公務員扱いで切り詰めていることに関しては報道されない、あるいは「当然」みたいなことを言っている。 たとえば姉が公務員になったころはバブルの末期で民間が景気よく「公務員なんて」と鼻で笑われていた時代だった。それが今や公務員試験の倍率が極端に上がっている。本来「黒字」ということを出すことができない仕事が公務員の仕事の大半であって。社会的システムを維持するのが公務員の仕事。そして何より、公務員は基本的に「試験に受かって」就職できるもの。この辺はむしろコネや学歴重視の民間企業より公平だと思う。 よく「私たちの税金を使って~」の話があるけど、姉だってサラリーマンとして税金払ってるんだよね。この前、収入を聞いたけど、役職(民間で言えば係長ぐらい)であればまあ、貰って当然だな、という金額だったし。逆に「俺たちがもらっていない残業代を公務員は貰ってる」って、国家が払うべき給与を払わない方が問題だろ!って思うけど。公務員の残業はサボっているから、と決めつけるタイプなのかなあ?
2015.01.30
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個人の発信する発言責任について考えたこと。今週のTBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」内でDJ本人も悩みながら語っていましたが、深夜のファミレスでネタ選びをしつつ自分のツイッターを見ていたところ、フォロワーから「今、伊集院さんこんなこと書かれてます」的なツイート。それは、その人とは別の女性が「今、ファミレスに伊集院発見、野ズラすぎ」みたいなもの。で、ファミレス内には4人しかおらず、誰だかすぐに特定できてしまうという。 で、DJ的には「これ、ラジオで話していいのか?」ということ。このことを放送すれば、伊集院のファンが逆検索欠ければあっという間にその女性を特定できる。で、それが元で炎上するかもしれない。けど、普段日常にあったことを語るのが職業のDJにとって、こういうネタを逃すのはどうかということでもあり。そして結局その女性本人の目の前に立って「今、ツイーとされたことをラジオで話すかもしれない」的な声をかけたところ、相手は予想外だったらしくおびえていた、のような顛末。 こういう場合「発言の内容に責任を取る」の本当の意味が変わってきて。たとえば私は「タレントなんだから失礼な事を言われても我慢しろ」というのは言う側の傲慢だと思ってます。有名人だろうが一般人だろうが、相手に失礼な事を言うのはそれなりの報いを受ける。まして影響力の強いタレントにツイッターというネット上の同じ土俵に上がってしまった以上、同等の影響力を自分が持つことにもなる。一般人だからタレント側が配慮しろ、というのは都合のいい話であり。 上の放送でも言葉の端々に「気を使っている」のが読み取れましたが、よく「公共の電波に乗せるのとネットで個人がつぶやくのは違う」と言っている人がいますがネットも公共の、それこそラジオ以上の簡単にアクセスできる世界です。そして放送局の検閲が基本ない以上、全責任を自分が追うことになる。それこそちょっとした発言で大炎上し、私生活にも影響する場合もある。 表現の自由がある世界というのは自分を守るのも自分の責任であり。調子に乗って自分がいつ「攻撃対象になるか」なんてわからない。
2015.01.28
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自分が行きつけの、それこそ週一回楽しみに行くラーメン屋があるとします。で、そのラーメン屋をたとえばネットのぐるなびのような食べ物サイトの星の数を見ると評価が高くない、食べた人の感想もイマイチであったとします。 その場合、自分の評価がおかしい、ってことになるのでしょうか?というお話で。少なくともそのラーメン屋は店を構え、店内に自分以外の客もいて、こうして楽しみにしている自分がいる。ということは自分にとって「旨いラーメン」であるのは事実。そして、味覚に関しては本人の感想がすべてであり、それを客観視する必要はない。 怖いのは自分が旨いと思っていたラーメン屋、あるいは面白いと思っていたマンガなどの感想をネットで検索したらボロカスに叩かれていたことによって、「そういうものなのではないか」と感想が揺れてしまうこと。まったく情報がない状態で自分が感じた感想が「本当の感想」だと思うし、そこを他人に合わせる必要はない。 何か一か所叩かれ始めると一斉にすべてを否定されるような流れがあって、その流れに乗らないとステマとか関係者扱いされるようなことがありますが、そんなわけあるかと。むしろその流れに自分の意見を合わせようとするのが気持ち悪い訳で。 また、同じ内容でも最初から悪評を聞いて入るのと、いい評価を聞いて入るのでも全く違うケースがあり。世の中、個人の感想すら他人に左右されます。
2015.01.26
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「たとえば日本人は中学で3年、ほぼ9割の進学である高校で3年間、合計6年も授業で英語を学んだ、にもかかわらず、大半の日本人が日常会話程度すら満足にしゃべられないのは今の筆記中心の英語教育というのが根本的に他国語を理解する、という観点から間違っているのではないか」 というのを聞いて納得しましたが。たぶん、これは「翻訳」という視点からの英語教育だからだと思います。逆に言うとヨーロッパのような民族入り乱れている地区だと母国語以外の多数の言語を日常的に使える、けど、文字は書けない、なんていう人も多い。 たしかに学校の授業でも教科書の単語を文字で覚えたり、文法を文字の羅列から判断したりと「文字中心の英語」だったからなあ・・・それは間違いはないけど、実際6年以上皆が勉強したから日本人は皆、英語が話せるかと言えば全くダメで。浅草の露店のおばちゃんの外国人観光客相手の滅茶苦茶な英語でも意思疎通できている様子を見て、英語は言葉なんだと改めて思ったり。
2015.01.24
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身近にあった贅沢な話として。 たとえば、海の近くに住んでいた人にとっては新鮮な魚が当たり前、東京だと高級魚であるけど比較的よく食べていた、というものが気が付かない贅沢だったことはあります。 自分にとってそれが「松茸」で。長野の実家の親戚のおじさんは秋になると自分の山に生えている松茸を取り、地元の市場に出していい小遣いかせぎをしていまして。で、時折その松茸でもたとえば一部が破損していたり、虫食いの穴があったりしたものは売り物にならないので「これ、よかったら土瓶蒸しにして食べてよ」と我が家によく届けてくれました。 ですので、松茸というのは比較的食べることができる、というか、むしろ「お金を払って食べるものではない食材」で。後にすごい高級なキノコであるってことを知ったのですが。他にも普段何気なく食べていた地元のお米が「川下り米」といって昨今科学的に「日本で一番おいしいお米」と呼ばれる場所のものであるとか。(食味値という計算方法があってその数字が高いという意味) 食べている当人はそんなことを考えたこともなかったのですけど、これは贅沢なことなのでしょうねえ。もっとも、味の大半は素材より調理法ですから。
2015.01.24
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イスラム国の身代金脅迫事件に対してツイッターなどでコラージュを作っている人間って、それがフランスの風刺画とそれによって起きた悲惨な結果を何も見ていないのかと思う。 危険が自分だけでなく海外邦人や日本という国全体に対する無差別テロに広がる火種になりえるのに。「こういうことがテロに屈しないことだ」という意見を見たけど、単に想像力ないから流行で遊んでいるんだろ?ネットの、しかも日本の閉じられたコミュニティー内の「こんなもので本気で怒るなよ」のようなユーモアの常識が武器を持っている人間に通用するとは思えない。 と、こういう意見を書くと必ず「お前はあいつらを擁護するのか」と言われるけど、なんでそういう雑な思考で考えるのか?自分の大切なものをよく知らない人間に遊び半分で踏みにじられたら何をされるかわからない、ってのは世の東西問わずだし、それによって起きる悲劇に無関係な人間が巻き込まれることだっていくらでもある。どんなバカバカしいことがきっかけであっても、相手のその怒りは本物だ。 クソコラ作っている人間は他人を危険に追いやっている自覚はないのだろうな。無自覚な悪意が一番タチがわるい。
2015.01.22
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旗を持つ人間について。例えば昨今話題になっている「イスラム国」という名前。この「イスラム」という宗教を前面に名乗ることによって、他の関係ない大勢のイスラム教徒にまで差別の目が向けられるようになる。これは非常に怖いこと。イスラム教徒であっても原理主義から普段は戒律など無視している人までたくさんいる。 日本人にとってイスラム教とか中東とかそういったものは全く知らない世界。そこでこういった名前を前面に押し出した組織がひどいことをすると、関係ない日本国内のイスラム教徒や中東の人間、というだけで迫害や差別を受ける。正しく冷静な知識を知っていればそんなことはないと子供でも分かる。ヘイトスピーチは相手に対する無知、そして無理解からくる野蛮な行いで、それを大声で叫ぶことがまるで「ずばっと言いにくいことを言ってくれた!」と拍手喝采するようになったらおしまいだ。 考えればわかる。同じ国であっても、自分の親や兄弟、友達、会社の同僚、誰一人として自分と同じ考えを持つ人間はいない。それを国籍や宗教といった旗を持つ人間に利用され、行われるのが戦争という行為であり。旗そのものに意味はなく、その持ち手を見極めることが重要だと思う。
2015.01.21
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阪神淡路大震災から20年という特集がTVやラジオで取り上げられており、改めて当時の映像などを見るとこの国において地震というのはリアルな事象であり、それがいつ起きるかわからない、そういう恐ろしさを感じました。 ラジオで特集を組まれていた放送では、古い街並みが壊滅し、人の流出などもあって当時の活気が戻らず建物は復興しても人のつながりがとぎれ、高齢化も含め過疎化が一気に進むといったことも。これは東北の震災でも懸念されていることですが。 自分も含め直接こういった被害にあった訳でない人間にとってはTVで事象が放送されなくなるとまるで「終わったこと」のように感じてしまうのですが、当然、被災者にとっては長く終わりはない訳で。たとえば当時勤めていた会社が影響で倒産し、人生設計そのものが狂ってしまった、などということもあるわけです。 阪神淡路大震災は、自分の物心ついた後の人生で最初にリアルタイムで見た大きな地震であり、今後、自分にいつ、どんな形でこういった天災が降りかかるかわからない、ということをはっきり感じさせてくれた事件でした
2015.01.20
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コンビニの食品につまようじなどを入れる様子の動画をYoutubeに投稿していた犯人の身柄確保、というニュースを見まして。 工場など生産段階での不慮の混入ではなく、こういった人間の行動は食品メーカーにとって恐ろしいだろうなあ。なにしろ防ぎようがない。どんなに生産者側が注意しても、単に動画で目立つために行うという人間の行動が商品そのものへの悪評となる。何ともやるせない結果でしかなく。 Youtubeに限らず動画の再生数で収入を得る、というのが昨今取り上げられていますが、結局本当に生活できるほど目立てる動画を素人が作るなんてのは不可能で。で、手っ取り早く目立つ方法としてこの手の悪目立ちを実行する連中もいる。でもそれは往来で全裸になって奇声を上げていたら誰でも見るのと同じで。いや、この場合自分が恥をかくだけだからまだましですが、上のような事件はまじめに一生懸命やっている人をあざけり、日々の仕事を邪魔するのが目的ですから。 いずれにせよ19歳無職、ということで企業の側も賠償請求しても無駄である(返す当てがない)、ってことをわかって本人もやっているのだろうし。この犯人にとってもこの注目のされ方が人生のピークみたいなものなのでしょう。なんだか黒子のバスケ事件と同じものを感じます。 悪意という意味では本当に胃液が逆流するほど不愉快な犯罪だなあ。
2015.01.18
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艦これは元々公式になかったファン同士で作った共通のキャラ設定がジャンルを盛り上げたところがあるのに、いざその設定に公式が乗ると「媚びてる」とか「プロのクリエイターとして同人人気に便乗するなんて恥ずかしい」的な意見を見るほどに、面倒くさいなあと思ってしまう。 なんだろ?自分たちが育てた、と思っていた作品がメジャーになり、公式がさらに多くの人知ってもらおう、あるいは旧来のファンに動くキャラを見てもらおうというアニメ化なのですが、自分たちの手から離れていくさみしさを感じているのかと思ったり。 艦これもスタートして3年程度でもう新旧ファンの対立が起きることがあったり、外部のファンでない人間が「これだから艦これオタは・・・」的な煽りを受けたり、というのを見ると、それこそアイドルマスター黎明期と同じ経緯を歩んでいるなと。 逆に今、公式がファンの作ったキャライメージと全く違う設定や行為を始めたら「アニメ化によるファンを無視した原作レイプ」扱いするんだろうなあ・・・
2015.01.17
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今週放送されたアニメ「SHIROBAKO」でアニメの声優オーディションの内幕を、もちろんアニメ的誇張ありでかなり過激に描いていました。 で、やはり難しいと思ったのは「このキャラのイメージにあっている、あっていない」という要素。漫画原作などの作品の場合、キャラに声が元々あるわけじゃないから読者が脳内で声をイメージする、そのイメージというのは千差万別、だれもが納得するというのは難しい。 逆に言うと「このキャラのイメージと違う!」という権利は誰にでもあり。だから、放送内で特定事務所の声優をごり押ししようとするプロデューサーの意見「声なんて3話も放送すればなれますよ」はあながち間違っていない、ということも。 原作者自らが「このキャラはこの声優で」という指定キャストがある場合もありますが、実際は「誰かの思惑にそった声」である訳です。それは声の質であったり、演技力であったり、はたまたビジュアルであったり、声優人気であったり、事務所の政治的思惑であったり・・・ 作画のようにはっきり「上手い、ヘタ」が指摘できるジャンルと違って「イメージ」という漠然としたものの最終的な決め手というのは明確なものがない分、納得というのはアニメを放送されて見た側の納得でしかないかもしれないと思っいました。 考えてみたらドラえもんの声優さんももう変わって10年ぐらい経ちましたから。現役で見ている子供にとっては大山のぶよさんの声の方が違うのだろうし。
2015.01.16
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ユーモアというのが必ず相手が笑ってくれるわけじゃない、ということについて。 今回のフランスのテロに関して、「風刺画を笑うユーモアセンスがイスラム原理主義やテロリストには欠けている」という意見を報道側の人間の発言で目にして唖然としたのですが。 風刺画というのは少なくとも誰かを傷つけることを笑いにしている訳で。傷つけられた側が笑わずに怒ることを「お前はユーモアのセンスがない」と仕掛けた側が言い放つのは違うと思う。一方的な笑いの強要が相手を傷つけ、怒らせることなど容易に想像できる。いや、それができない無神経な人間ほど「冗談が通じない・・・」と相手を非難するような。 信仰、というのは国によって、あるいは文化によってそれこそユルユルなところもあれば、命を懸けるほど熱心な人もいる。温度差が激しい場所。それを相手の怒りの沸点を見極められず、「ユーモア」という名の暴力で刺激する。これは怖い話。 漫画を描いた側はユーモアだったかもしれない。しかし、相手にユーモアが通じなかった、という理由で非難する理由にはならない。お笑い芸人が不謹慎ギャグに笑わなかった客を「センスがない」というようなものだ。
2015.01.14
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NHKで放送された「知られざるコミケの世界」。コミケ参加者を肯定的にドキュメントとして描いてくれた、珍しい内容でした。で、これに対して「きれいすぎる」とか「18禁本や徹夜、変態的カメコ、気持ち悪いオタクなど暗部が描かれていない」という不満を散見しました。 ・・・そういうのばかり今まで取り上げられてたから・・・ むしろ、今回のような「参加者がこんなに一生懸命やっている」という部分って今までコミケを取り上げた報道ではほとんどされていないんですよ。やれ露出度が高いコスプレとか、えげつないエロ本見本市とか、気持ち悪いオタクが汗まみれで押し合いへし合いの異常なイベント、としてばかり。でも実際は同じ趣味の人と喜びを分かち合うという部分が大半で。それより誉められなれしていないオタク側参加者が「いや、こんないいことばかりじゃないから」と卑下しすぎな気もします。 一部鉄道オタの暴走がまるで同じ趣味を持つ者すべての問題であるように報道されることがありますが実際はそうじゃないのと同じで、コミケの参加者のほとんどが「一般社会でも普通の人間」です。そこがきちんと描かれていたし、むしろ長年参加しながら「こういうジャンルもあるのか」「こういう人もいるのか」と驚いているベテラン参加者もいるんじゃないかと。長く参加すると行動範囲や視野が限定されやすいので。 上のタイトル通り「知られざるコミケの世界」というのは案外自分も含め参加者がもっと見るべき、知るべき世界かも知れないと思いました。
2015.01.14
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艦隊これくしょんのアニメで弓で矢を射る描写がおかしいと突っ込まれ、それに対してフィクションなんだからいいだろ!という逆突込みにさらに~の反応をみて思ったこと。 リアリティーってのは面白さを生かす土台にすべきで、自由さを縛る足枷になったら意味がない、ということ。というか、どこまでのレベルの人を相手の「リアルさ」なのかを考えるべきで。たとえばこのアニメが弓道の歴史や正確な作法を描くアニメであったらそれこそ最大の見せ場になるから専門家の監修を入れても正確さを前面に押し出す方がいい。しかし、このアニメは「戦艦の擬人化美少女」という時点でリアルさの方向が違う。 逆に言うと上の指摘はどんなに弓道的視点から正しかったとしても「いえ、これ、実際の弓道じゃありませんし。艦載機を飛ばすためなんです」となったら全て崩壊してしまう。まさか実際の弓道の世界に艦載機を飛ばす作法はあるまい。 リアルのレベルって難しいと思うのは、あるアニメでちょっと古い時代の設定でその中で列車の描写があった。スタッフもちゃんと調べて当時使われていた車両であることがはっきりわかる描写をしたから、これでマニアも文句あるまい、と思ったら、別のマニアが「ホームの時計の描写があるがこの時間、この駅から出発するダイヤは組まれていない」と・・・もうこうなると自分がどれだけ詳しいかの自慢合戦で。 怖いのはたとえば上の弓道的、あるいは下の電車マニア的な突込みは知らない側が99%。しかし、それをこの手の突込みで知ってしまうことで「ああ、この作品の描写はいい加減なんだ」と変なフィルターがかかることで。それは作品を知識でつまらなくしているとしか言いようがない。 あと、面白いのは「女の子が戦艦や空母の恰好でドンパチする」ってリアリティーのなさは突っ込まれないのねw。あれを許容できる人が楽しむアニメかと思った。
2015.01.14
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NHKでコミケの特集番組がありまして。たしかに前回コミケで「NHKの撮影があります、ご協力ください」的なアナウンスがありました。しかし、ずいぶんコミケに対するメディアの見方が変わらざるを得ない時代になったんだろうなと。 というのは、漫画やアニメ、ゲームといったものが生まれたときにすでに豊富にあった世代が社会の中心年齢になっているということは、無理解からくる偏見がだいぶ薄れるということであり。世の中の文化的差別はたいがいこの「そのジャンルに対する知識のなさから生じる不安」が大半ですので。 コミケでやっていることはそれこそ宮崎事件のあった時代と今とでも変わっていない。あの当時もHな同人誌はたくさんあったし、コスプレも、混雑も、オタクが引き起こす会場のトラブルも、素人同士が互いに作った本を売り買いする構図もまったくそのまま。しかし、メディアの取り上げ方が「ここに10万人の宮崎がいます」の時代でしたから。 この手の番組が社会的理解を早急に深める、とは思わない。気持ち悪いと思う人はどんな取り上げられ方をしても気持ち悪いままだと思う。でも「そういう文化がこの国には何十年も前からあって、たくさんの人が参加している」というのを邪魔しないでほしい。オタク側もルールを守ってお互いに迷惑をかけないようであれば共存はできる。 厄介なのは今回のフランスのテロの発端になった新聞社のような「ちょっかいをだして反応を面白がる」連中なんだよなあ・・・昨今でもテレビ朝日のTVタックルで「オタクは性犯罪予備軍」的な番組構成されてたし。TVメディアだけじゃなく、ネットのまとめサイトなどでもよくそういう取り上げ方(一部の同人誌を勝手にアップして笑いものにするなど)をしてるから。
2015.01.13
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人気漫画の実写化の成功例としてよくあげられる「孤独のグルメ」私も大好きなドラマなのですが。 その中ですごく気になる、というか、せっかくのドラマのほのぼのした雰囲気を壊してしまう描写の一つに、町中を歩いている一般の通行人の顔にボカシがはいっていること。これはいわゆる肖像権問題であとで何か揉めないように、という予防策なのでしょうが、まるで犯罪ドキュメントの犯人の顔を隠すような処理に異常なものを感じます。 似たケースで昨今、小中学校のホームページなどで部活や運動会などの生徒が写っている写真の顔にボカシや目に黒い線が入っていて、まるで犯罪者のような画面になっていたり。 個人情報保護という観点の法律が施行されて久しいですが、バカバカしいと大半の人が感じつつ、わずかな可能性のために手間をかけて異常なものをつくらなければいけない、というのがなんだかなあ、という・・・ そのうちにプロ野球中継のスタンド席全部にボカシがかかる時代が来たりして。
2015.01.11
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今期から始まったゲーム、そしてどちらも口コミで人気になった作品のアニメで「艦隊コレクション(以下艦これ)」と「アイドルマスターシンデレラガールズ(以下アイマス)がありまして。 どちらもゲームは非常に設定の共通点があり1、登場人物が多い2、各キャラに固定ファンがいる3、これといったメインストーリが本編にない4、プレイヤーキャラは基本主人公として登場しない という部分。で、アニメの第1話を両方見たのですが、似たような設定であるのに両方が全く逆のアプローチでアニメ化しているのが興味深くて。 艦コレは画面に提督(プレイヤー)が基本登場しない。あくまで大量に出てくる女の子同志のやり取りで物語を進めている、のに対してアイマスはプロデューサーの存在感が異常に個性的でw、むしろ放送後ネットでは「あの声優さんはすげえ!」と話題になるほど。 登場キャラも艦コレが一話目にかなりの主要人気キャラをぶち込んできて、各キャラの名セリフをちょっと無理矢理に近く言わせた、のに対してアイマスはストーリーに直接絡むのは2人だけ(最後にもう1人ちょっとだけからみましたが)あとは背景の看板などで存在を見せるのみ。そして名セリフはドラマのラストの盛りあがるところでボソッとつぶやくという自然な流れで。 好みはあるでしょうが、アニメ作品単体としてわかりやすく、そして面白く感じたのはアイマスの方でした。艦コレは派手な戦闘シーンが売りでしたが、どうしてもゲーム内ではプレイヤー(自分)が脳内で想像していたのをビジュアルとして明確に見せられると「なんだかイメージと違う」と思ってしまう、これは仕方ないことなのですが。想像の余地を奪ってしまうので。それに対してアイマスはデビュー前のメンバーを集める段階という未知のところを登場人物を絞って丁寧にゆっくり描いてくれたので放送が終わるころにはすっかりアイマスの世界と溶け込んでなじんでいた感じで。 今後どうなるかわかりませんが、どっちも作画レベルは異常に高く気合が入っているなあと。どちらも楽しみですわ。
2015.01.11
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例えるなら・・・ 村はずれに大きなスズメバチの巣があって。危険だけど不用意に近寄ってちょっかいさえ出さなければ大丈夫、という世界。ハチも自分の縄張りにむやみに人間が入ってこなければ攻撃の意志はない。 しかし、ここで村の悪ガキがスズメバチの巣に石を投げたり、水鉄砲で水をぶっかけたりいたずらするようになった。巣を攻撃するたびにハチが飛び出してきて、ガキどもは「わー」と歓声を上げて攻撃範囲外まで逃げる。ちょっとした度胸試し。その刺激が面白くて、次第に悪ガキの人数もいたずらの回数も増えていく。 ある日、いつものように巣に石を投げていると、その日は様子が違った。巣穴から一斉に大量のスズメバチが飛び出してくる。大慌てで逃げ惑う悪ガキを容赦なく行動範囲外まで追いかけまわし、刺す。それどころか、近所を歩いていた村人まで無差別に襲い掛かる。多くの人が刺されて村は大パニック。 ようやくハチが巣穴に戻り、事態がおさまったところでその最初にいたずらした悪ガキの親が言う「たかがいたずらぐらいでこんなにひどい仕返しをするなんて、あいつらは危険だ!!」 フランスで起きたイスラム教風刺漫画のテロってこういうことじゃないかと思う。この場合、スズメバチの側には昔からスズメバチのルールがあり、自分たちの守るべきものを守るための行動をとった。その行動は彼らの中にある倫理であって村人の倫理観とは違う。 マスメディアが言う「表現の自由」という自分たちの正義はその正義が通用する文化圏での約束でしかなく。必ず他人がそれに従うわけではない。 ましてや、特定文化や宗教、人種を風刺で露骨に茶化すことは、最近だと日本でも昨今問題になっているヘイトスピーチと何の差もないと思っている。一般の差別者が許されなくてメディアは許される、とは何とも都合のいい話で。 今回襲撃をうけた雑誌社の人間は「まさか殺されるなんて思わないから」あの手のマンガを掲載したのだろう。しかし、実際は一部の過激な行動者によってとんでもないテロ行為で報復された。相手が自分の都合のいい言論表現で対抗するなんて誰が決めた?という話で。勝手にペンの力で勝負をつけようとしたら相手が自動小銃を持ってきた、ってだけの話。メディア側の一方的なルールである以上、卑怯も糞もない。「表現の自由が脅かされる」としきりに新聞各社が報じていたが、自由がある以上、相手からの報復もあり得る責任も負ったのだ。過激な発言や差別的表現はこういう反作用がある。 ペンは剣より強し。しかし、それは剣の届かない範囲でのみ有効。
2015.01.10
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フランスで発生した風刺マンガに対する抗議のテロ、新聞など報道機関は「表現の自由に対する冒涜だ」と世界中で非難を上げました。 で、考えるのですけど、「他人に対する風刺という形であればメディアという名目が立てばひどいことを書いても許される」という思い込みを一方的に持っているんじゃないかと。わかりやすい例だと週刊誌の見出し。芸能人の悪口、誹り、誹謗中傷としか思えない言葉が多々並んでいて、それは「自分たちは攻撃されない」と思っている場所から石を投げつけている行為と何も変わらず。 そして、メディアの側は忘れているかもしれないけど、相手側の攻撃が自分たちの土俵で行われる、なんて約束はどこにもない。今回のテロやネットを使ったサイバー攻撃、場合によっては名誉棄損の裁判といった行動に出られる。「言論に対する抗議は言論で行うのが常識」というその常識は勝手に自分たちが作った幻想で恐ろしく脆く、根拠のないものであり。 相手が必ず自分の得意な土俵で戦ってくれるとは限らない。最初のテロもイスラム教を風刺するマンガというものにはそれだけの行動を起こす土壌や歴史、宗教観があって。書いた側はそこまでの覚悟をもって表現したか、あるいは話題優先で軽い気持ちで書いたかは疑問です。 テロには私も反対します。と、同時に同じぐらい、この手の事件の後に必ず書かれる新聞の社説に奇妙なモヤモヤを感じたり。
2015.01.09
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陰謀論について。 たとえば「人類は月に行っていない。あれはNASAがハリウッドで作った映像」というのが、それこそ定期的に話題になることがあります。その都度、そのバカバカしさを科学的、歴史的、そして当時の記録などから否定されるのですが。 この手の陰謀論を真実として受け止めてしまう人は、想像力の幅が「自分の物差しでしか測れない」というのがあると思います。 代表的な例として「あの当時のコンピューターなんてファミコン程度のもの。そんなちゃちなもので何万キロも離れた場所の月に行き、帰ってくるなんて考えられない」という・・・しかし、この方の頭の中にあるコンピューター像がゲーム画面なんだろうなと。元々コンピューターの進化の過程に戦争で使う砲弾の弾道計算という分野のためがあって。それまで人間の手計算、あるいは経験勘で行っていた行為を物理法則に基づいた機械計算で行うことにより、より高精度化した分野であり。で、その場合、コンピューターの能力というのは「正確な計算結果を出す」ことに集約されまして。で、計算の正確性というのは古いコンピューターも新しいコンピューターも結果に変わりはない。要はそのスピードが上がったことがコンピューターの進化であり。だから、計算式が同じであれば昔も今も結果は変わらない、という。 しかし、上のことを理解できな人にとってはファミコンのチープなゲーム画面のイメージ=あんなもので月に行ける訳がない になっている。(ちなみにファミコンだって出た当時は家庭用ゲーム機として驚異の性能だったんですけどねえ) この手の陰謀論が茶飲み話程度であれば済むのですが、この物差しが違う人が科学技術、技術分野の世界に陰謀論を持ち込まれるのが非常に厄介で。それによって結果を出しているにもかかわらずその結果の意味が理解できないから無用なもの、と判断される。宇宙開発がなければ現在、GPSといった日常的に使われている技術発展もなかった訳で。 陰謀論の便利なところは「自分の理解できないパズルのピースを自在に埋めてしまえるパテ」みたいなものであること。しかし、世の中は自分も含め知らないこと、定規の尺の違う世界が山のようにある、ということをまず理解しないと陰謀論に飲み込まれて郵便ポストが赤いのも誰かの陰謀に結び付け始めますから。
2015.01.08
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先日、産経新聞のネット記事で見たのですが、最近まとめサイトを装った広告記事からリンクされる怪しげな商材関連の詐欺にひっかかる人が増えているという。 「無職の俺が月収100万ワラタwww」みたいなリンク先は2chのまとめのように一見見えるけど、実際は単なる業者の作った広告、というパターン。中には特定ゲームのネットマネーの儲け方、みたいなメーカーが認めていないであろう広告方法まで。 やり方の善悪以上に「まとめサイトは匿名の意見が聞ける=信用できる」と思っちゃう人が上のような詐欺に引っかかるんだろうな。匿名ということは無責任にウソを書く人間であふれやすい、なんて簡単に想像できそうなものだけど。 「ネットで真実を知った」ケースが単に騙されていたり、都合のいい意見を真実であると思いこんだりすると、まとめサイト情報を信用することもある。だいたい、まとめサイトって管理者が自分の意図に沿った意見を「集めて編集」している時点で原典の無責任な匿名掲示板よりさらに信用が下がると思えないのかなあ? まだ責任者がいるだけで既存マスコミの方が数百倍信用できるのに*ちなみに最近見てあきれた「ネットで真実」系の記事では「人類は月に行っていない、全部NASAの創作」というw。何十年前のネタだよ。
2015.01.08
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マクドナルドのチキンにビニールが混入していた、というニュースを見て。 もし、自分の食べ物にこの手のビニールなどが入っていたらどうするかな~と考えたとき、たぶん「なかったこと」にしてしまうんじゃないかと。 実際、以前あるラーメン屋でラーメンの中にビニール辺が入っていることがありまして。どうやら野菜を束ねていたテープのようで。で、どうしたかというと別にひょいと脇にあった灰皿に捨てて、引き続きラーメンを食べ続けたという。 これは個人の感覚がかなり影響すると思いますが、自分の場合そのあたりがガサツなのでそういう行動で終わってしまう。しかし、気にする人は不衛生だ!客にこんなものを食べさせるなんて!と怒る人がいても当然で。 そうやって考えると、どのあたりまでがニュースとして取り上げられるラインなんだろ?さすがにペヤングぐらいになったら私もうえっとなると思いますが、あれだってネットで写真をUPされるという今の時代の情報伝播方法がなければここまで話題にならず、さらにテレビにまで取り上げられなかっただろうし。おそらくネットのなかった時代、この手のことは会社を個人で訴えてもナアナアで済まされる、あるいは代替品と謝罪文程度で終わる事案になっていたんだろうなあ。 また、この手の異物混入で言ったら焼き魚の内臓に○○が入っていた、なんてのも将来訴訟対象になるのかな?魚のワタは何が入っているかわからないからなるべく注意して食べろ、って親に言われていた自分としては複雑な気分。
2015.01.07
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アメリカのCG映画「ベイマックス」のシナリオつくりが合議制で日本もそれを見習うべき、という意見に関して。 この記事を見て最初に感じたのが「日本のゲームは一本道。アメリカのようなオープンフィールドの何でもできるゲームを作るべき、でないと世界で売れない」的な意見で。 で、上のようなことは結局「予算の問題」なんです。たとえば日本のTVアニメの1クールにかかる予算というのは、それこそアメリカのドラマなどにかけている予算と桁違いに安いです。昔、アメリカの企業が日本にアニメシリーズを作ってもらおうとしたとき、一話当たりの予算が高いと難色を示したところ、じつはそれは13話分の予算だった、という話が合ったそうで。もちろん、それは極端な話ですが。 ベイマックスもオープンフィールドゲームも日本のゲームやアニメの予算とはけた違い。スケジュールも長期になっています。とてもじゃないけど日本の市場規模、企業体力では太刀打ちできない。 が、じゃあそういう作り方をしないと面白いものが作れないか?は別問題で。その代表的な例は日本のマンガ文化。あれは究極の家内制手工業、作家主義的なものつくりですが、多くの名作、ヒット作を生み出してまず。それこそ日本にこれだけアニメが日常的にある土台になっている理由でもあり。 なにか一作ヒットすると「これからはああいうものが主流になる」になりがちです。しかし、売れた理由、ヒットした理由はそれこそ失敗した理由にもなり得る。合議制が過ぎたおかげでエッジの何もない、テンプレどおりの心に残らない作品がつくられることもあるのだし。
2015.01.06
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ゲームに限らずですが、世の中には「たまたま世間の需要があってヒットしたもの」というのがあって。ありそうでなかった、需要の穴みたいな場所にストンと飛び込んだおかげでそれこそ自社ビルが建つほどの大ヒット、みたいな。 しかし、その穴はやはりひとつでほとんど塞がってしまう。他社がその穴の隙間に入り込もうと、それこそ異常な力を入れてもなかなか難しい。しかし、企画段階でプレゼンを行う場合「今、こういうのが売れている」という形でヒットすることをアピールしなければならなかったり、さらにはその売れているものの上位互換として作らなくてはならなかったり。 また、たまたま予想外のヒットをした作品の続編がボリュームアップであったり、映像クオリティー強化やさまざまなギミック追加であっても、もはや消費者の需要は満たされていて難しいこともあり。倍の予算をかけても売り上げが半分以下、なんてのはそういう需要だったのでしょうねえ。
2015.01.05
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これが全体数が増えるとおかしくなくなる、ということなのかな、と思った経験で。 正月の企業駅伝の選手の名前にトヨタ自動車の早川翼 さんという選手がいまして。で、この「翼」という名前は漫画キャプテン翼の主人公からつけられたものだ、と実況解説で語られていました。 が、私の記憶ですがその昔、それこそキャプテン翼のアニメがヒットしていた時代、この「翼」という名前はまずありえない、今でいうキラキラネームに近い存在で。漫画の中だからこそ許されるような突拍子のない名前でした。なにしろ当時コミケのマンガレポートで「結婚して子供に翼って名前つけちゃいました」とオタネタにできるほど。 が、昨今は生まれた男児によく付けられる名前に入ってくる。キャプテン翼を知らない世代であっても普通に付けられる名前の定番となっているような。 逆に自分のじいさんばあさんのタイプの名前が少なくなっていったり。 同じ名前であっても絶対数の問題で価値観が変化する。 冷静に考えてみると、昨年の男児に付けられる名前ベスト5が自分の学生時代、どれも一人も同級生にいなかった名前であることもすごいなと思ったり。
2015.01.04
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年末年始の特番でちょっと感じたこと。新年の番組で一流のスポーツマンにバカバカしい課題(サッカーボールを蹴って走る車の窓に入れるなど)をあたえてクリアしてもらう、という番組がありまして。 で、その事前番組として昨年同じシリーズでやっていた放送を再編集したものをやっていたのですが、こちらの放送は本放送と違ってスタジオゲスト部分がない。実際の本編映像のみで構成されていたのですが。 これが実に面白くて。というか、スタジオゲストの部分、タレントが「え~どうなるんだろ~」的リアクションがまったくない方がテンションが途切れないというか。 おそらくこのスタジオ部分は番組の華やかさを演出したり、あるいは本編映像だけでは尺が持たないことを埋めるためだと思うのですが、ある意味テンポを悪くしてしまっているんだなと。 本編映像がなまじ面白かっただけにちょっと残念にも感じました
2015.01.03
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年頭に当たりまして一つ。 昨日よりコメント欄に一部の方の書き込みを規制させていただくことにしました。理由は1、コメント内容と関係のない書き込み2、根拠のない誹謗中傷や差別的発言、あきらかな煽り3、コメント内容から本人には十分自分が行っている行為が悪意であることを知ったうえでの書き込みである事4、さらに、これを一年以上、ほぼ毎日にわたって継続していること、また今後も続くと思われること 以上の状況を鑑みまして、これは明確な荒らし行為であると判断させていただきました。 こちらも基本はコメント欄は開放し、異論、反論、突発的荒らしの類の書き込みに対しても放置という形でいましたが、さすがに一年にわたり日常的に執拗に上記のような行為、しかもここ半年に至っては本文と関係のない煽りや意味不明な決めつけによる中傷をされている、ということに不安を感じまして(なお、その方のipアドレスなどはこちらでなにかあった際の証拠として履歴も含め控えさせていただいております)今回の措置を取らせていただきました。 間違っていただきたくないのは、この方が個人のブログなりツイッターでこのブログに対して今まで通り上のような行為を続けることに関しては他者の表現の自由なので仕方ないと思っています。 これまでコメント欄にいわゆる広告リンクなどで自動で書き込みされる迷惑コメントを制限すると同じものを今回、この方に適用した、と思っていただければ幸いです。 いずれにせよ、その方もわざわざこんな場末の個人ブログに毎日暴言を書き込むという不毛な日課から解放されると思いますので、お互いのためになると思われます。 以上、ご報告でした。
2015.01.02
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毎年正月恒例番組で行われる「芸能人格付けチェック」。正月に家族とみていたのですが、やはり相変わらず一流のものとその辺で買えるものを眼隠して比べても、意見が真っ二つに分かれるなど、この差はなんなのだろうな、と疑問に思うことがありまして。 特に味覚の場合、スタジオで食べ比べる芸能人本人しかわからないので批評できませんが、同じシナリオ構成で撮影された映像、片方は有名な監督、もう片方は映像素人の芸人が撮ったアクションであっても、そこまで明確な差が出ていない(スタジオでも意見が2分していた)場合、なにをもって素人とアマチュアの差になるのかがわからなかったり。むしろ出た意見では素人のとった映像の方が「見やすい」と好評な人もいたわけで。 また、自分が普段全く関心のないジャンル、たとえば楽器の良し悪しなどは2つ並べられて演奏されても、どちらが1億のバイオリンか?というのは全然区別がつかない。 この番組の面白いところはきっとそういう、普段皆がなんとなく思っている価格や一流といった肩書を隠した状態で「本当に違いがあるの?」という疑問をはっきり見せてくれるという。 逆に言うと数万円のフカヒレ姿煮と安物のフカヒレ食品を「え?どっちだろう?」と悩ませるということは、その安物のクオリティーの高さに驚愕するのです。 漫画「美味しんぼ」でしきりに「昨今はまがい物が横行して本物の味が失われつつある」といいつつ、案外まがい物扱いされる食材の調理や技術がどんどん上がっているから本物、とされるものが淘汰される、あるいは一部マニアだけにしかわからない差になっているのかもしれないと思ったり。それこそ冷凍うどんが本格手打ちうどんより滑らかさもコシも上になってしまったように。 もっとも、フカヒレに関しては素材そのものに味はなく、旨みは煮込む時の味であるということであることを考えると、本物のフカヒレも安物も関係なかったりして。
2015.01.01
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あけましておめでとうございます。 コミケ後実家の長野に帰省しての正月ですが、雪がすごい!大晦日夜から降り始めて朝起きたらもう10センチ近く積もっていてまだ止む気配はなく。こりゃ元日から雪かきだな・・・ ちょうどテレビで企業駅伝の中継(群馬)をしているのですが、そちらはまったく雪の気配はなく。あらためて日本国内であっても山を越えるだけでこんなにかわるものなんだなあと。 そしてこの雪の中、ちゃんと年賀状届けに郵便局の配達の人が来るのですなあ・・・元日に年賀状が届くのは当たり前、の感覚ですけど、公共交通やライフラインなど改めてこういう時にも働いている人はいっぱいいるわけで。 改めてそういう方々、お疲れ様です。と、同時に本年もよろしくおねがいします。
2015.01.01
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