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人によって笑えるかどうかの温度差があると思ったこと。 ダウンタウンの恒例お笑い番組「笑ってはいけない」シリーズの中で毎回、お約束として山崎邦正がプロレスラーの蝶野正洋に理不尽なビンタを受ける、というコーナーがあって。私も今まで何気なく「ああ、いつものあれだよ」と笑っていたのですが。 で、「あれ、なんだか痛々しくて笑えない」という人の意見をネット見まして。で、そこで冷静になってしまうとたしかにそう見える人には見えるかも・・・たとえ台本があり、芸人同士のお約束があるとわかっていても、やはりごっついレスラーに脅され、おびえる山崎が理不尽なビンタを受けるのは、これによって彼らにお給料が入っている「芸」とわかっていてもいじめ動画を見ているようで思わず目をそむけたくなるそうです。 たとえば、下ネタを不快と思う人もいる。食べ物を無駄にするような笑いに嫌悪感を感じる人もいる。上のビンタも「理不尽な暴力」に見えてしまう人にとっては、どんなに他の人が笑っていてもそう見えなくなっている。 だからこのコーナーをやめろ、というのはそれこそ自分の好みだけの番組を作れ、という意見と同じですから反対します。ですが、こういった温度差は必ず人それぞれあるということを常に考えていたいし、もし、自分にとって不快な番組であったとしても、チャンネルを変えて不快なお笑いであれば見ない努力はしたいです。他人はどうであっても自分にとって笑えないお笑いだとしたら、それは苦痛でしかないし。
2015.10.31
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最近あったニュースに南麻布の有名割烹料理店で見習い従業員の股間を蹴って重傷を負わせて逮捕、という話題がありまして。 これをCBCラジオの「つボイノリオの聞けば聞くほど」で取り上げた際、リスナーからリアルタイムで送られてくるメールで「自分も昔、同じように職場で暴力を受けた経験があり、精神的に耐えられなくて辞めた」という飲食店系に従事していた人が結構いて。 で、料理の世界に限らず、暴力が指導として日常的に行われている業種って未だに職人の世界と言われる業界ではあるんだろうなと。 でも、番組内でも語られていましたが「暴力に耐えることと美味しい料理を作ることは関係ない」。特に重傷を負わせるような暴力って・・・怖いのはそうやって育った料理人は「自分はこの厳しい修行に耐えたから今の料理人としての地位がある」と・・・いやいや、それ、単に痛みに対して鈍感なだけだから。 上のメールの方のように日常的な暴力に精神がまいって辞めてしまった人が多いとなると、むしろ料理人としての才能があった人が暴力で潰された可能性の方が高いんじゃないかと思ったりします。暴力に耐えることで腕前が上がる、ってことはないし。 むしろそれを「仕方ない」と肯定してしまう社会の空気も恐ろしい。
2015.10.30
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女性声優が麻薬使用の疑いで逮捕され、それによって過去にその声優が出ていた作品が公式の有料サイトから軒並み見られなくなったことに関して。 怖いと思ったのは、今回アマゾンのDLサービスで買っていた人なのに見られなくなったという。つまり、企業側の思惑で「これは配信停止」と一方的にできる、というのはお金を払った人にとってかなりおかしな感覚で。 これに似たケースで電子書籍端末でそれまで買っていた本が、海外の性的描写倫理基準にひっかかり急に見られなくなる(紙媒体のほうは普通に売っている)とか。しかも、その分のお金は返ってこないなど 電子書籍は便利ですがこういうケースがあるんですねえ。 今回のアニメ声優に関して「作品と事件は何の関係もない」はずですから、そもそも停止される理由がないんだけどなあ・・・犯罪を犯した人間の作品は公表してはいけない、なんて言い出したら、それこそ勝新太郎の映画も角川春樹作品もダメなはずですが・・・
2015.10.29
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意見に反対するならその代案を出せ、って話をよく聞きますが、「それ自体をなくすことが最大の利益」である場合、何も間違っていないんだよな・・・ たとえば、沖縄の基地に反対する人にとっては「沖縄から基地が出て行ってほしい」ことが目的であって「だったら国防はどうなるんだ!中国の脅威は!アメリカとの同盟関係は」というのは別のお話で。あくまで「基地の騒音がうるさい」人にとっての利益を上回ることはない、ということは理解しなくてはいけなくて。 前に沖縄の基地依存の現状を語られた意見で「沖縄県民はいつも便所掃除をさせられていて、もう便所掃除なんてしたくない!それによって貰えるお駄賃もいらない!って言っても聞いてもらえず、どうして自分たちばかり便所掃除させられるのかといったら、部屋が便所に一番近いから、と言う理由でしかない」というのを聞きました。 昔は沖縄は基地依存経済状態でしたが、最近はどんどん減っている。そうなるとその「基地を受け持っているメリット」がなくなった状態で、どこまで上の苦痛を受け持ってもらえるか?は微妙なところになると思います。現に沖縄の人は代案として昔から「本土に基地を持っていけ」と出しているわけで。 また、こういうことを書くと必ず「だったらお前の家の近所に基地ができてもいいのか」みたいな意見が上がりますが、原発と同じで「自分の家の近くにあってほしくないもの」を沖縄に押し付けている、ということは自覚した方がいい。そりゃ納得できないのだろうなあ。 沖縄にとっての県民利益と本土の人間にとっての利益が、それこそ上の「便所掃除」ぐらい意識が違うからなあ・・・そりゃ意見が対立するわけだ。
2015.10.29
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CBCラジオ「つボイノリオの聞けば聞くほど」番組内で、リスナーのメールで「和式便器の製造が中止」というのが読まれました。で、その話題についてDJのつボイノリオさんも、そのメールに対しての別のリスナーからもリアルタイムで「そういう時代なんだねえ」的な番組内のトーク。 しかし、別のリスナーから「それ、ナイナイのオールナイトニッポンでも何年か前に流れたがセ情報ですよ」と。もとをただすとネットでウソの情報を流す「虚構新聞」経由のもので、その際もすっかり騙されてしまった、本当の情報だと思って公共の電波に乗せてしまった経緯があります。 今回、この番組の特性(メールを次々と読む)ですから、そういう突っ込みで偽情報であると同じ番組内で放送&訂正できましたが、番組内では普通にニュースも読まれる情報番組だけに結構怖いことですよ。自分も「和式便器が製造中止」という話を聞いたら「ああ、確かに最近は公共施設もほとんど洋式だし、そうなんだろうなあ」と思ってしまいましたし。ましてや、ラジオの情報番組で言われたらあっという間に真実っぽくなる。 しかも、数年前に同じようなことがあっても、風化するとまた誰かがひっかかったり。いつまでも「人類は月に行っていない」デマが定期的に広がるのと同じです。 今回は笑い話になる話題ですけど、ものによっては企業の株価や歴史といったものにまで影響を与える場合もありますから。 以前に「荻上チキ セッション22」でも検証されていた関東大震災での混乱による在日外国人大量殺害。あちらも公文書や裁判記録、当時の新聞記事などにはっきり証拠がたくさん残っているのに、リスナーからのメールで「あれはうそである」論が寄せられ、それに対して近代史研究の先生が丁寧に説明していましたが。じゃあ、その「なかった論」はどこからだれが広げたのか?それこそ上の和式便器のデマと同じく「ネットで流れている信じたい情報につい飛びついてしまった」のではないかとも思います。
2015.10.28
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東住吉女児焼死再審のニュースを受けて思ったのは「たとえば自分が罪を犯していないとしても、何十日も拘束され、連日尋問を受け、苦し紛れに自白してしまうことなんていくらでもありえる」ということで。 この事件だけではなく、冤罪であることが確定した足利事件であっても犯人とされた人は自白しています。その他、多くの冤罪事件で「自白」になっている。こうなると自白そのものの信憑性が疑われてしまう。 まだ結審がついていないので今後どうなるかわかりませんが、今回の事件の原因が本当に自然発火だとしたら、20年もの失われた時間をどうしたものか・・・そして、取り調べで偽りの自白を引き出した刑事には何の咎めもないのか? 「普段から疑われるような行動をとらなければいい」という人がいますが、たとえば満員電車での痴漢冤罪とか。手がお尻に触れた、触れない、という部分で女性に訴えられれば、それこそ男性は回避不能に近くなります。 自分がもしその手の容疑をかけられて身柄を拘束されたとして、拷問までされないとしても長時間の尋問に心折れず自白しないでいられるか?また、たとえ無罪であったとしても数日~数十日警察に拘留された場合、その人の社会的信用とか仕事への影響、私生活はどうなるのか? いろいろ考えてしまう事件です。
2015.10.27
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面白さって何だろうな、と思ったこと。 たとえば「孤独のグルメ」という漫画。中年のおじさんがたまたま入った店で一人飯を食べているだけの漫画です。本当にそれだけ。派手なリアクションも、料理の素材や調理法自慢も人情ドラマもない。黙々と飯を食っている。通常の漫画のセオリーであれば「何が面白いのか」説明できない。 でも面白い。明らかに。淡々と読んでいてもまったく退屈せず、毎回同じようなストーリなのに飽きることはない。また、実写ドラマもシーズン5が作られるほどの人気作。こちらも漫画と同じく主人公が飯を食うだけ。漫画よりちょっとしたドラマが追加されているけど基本はたいした起伏がある訳じゃない。 で、この「淡々と」したものの面白さって何でしょうねえ・・・下手に作ればそれこそ退屈にしかならないのですが、この作品のようについ読んでしまう、見てしまうものというのはあって。 趣味の中にも淡々と、黙々と、という趣味は結構あって。案外、そういう面白さってまだあまりマンガやドラマなどの題材として発掘されていない場所なのかとも思います。また、こういう人気は一過性でなく長く持つケースも多いです。
2015.10.27
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先日の荻上チキセッション22で、原田議員のアレな発言ばかり目立ってしまいましたが、実は番組後半で同じく自民党議員の猪口さんが海外の多くの日本研究家とされる歴史学者にいわゆる「日本史観」の本を送りつけた、しかも100人規模という話題。が冷静に考えるともっと問題があって。 この中で直接この猪口議員に電話でインタビューし、今回の経緯を聞く内容でした。で、この内容が危ないなんてものじゃない。 まず、最初にこの本を送ったのはあくまで猪口議員本人の自発的意思ということを本人は断言しました。で、そこでDJが「ではこの本を選んだのはあなたの判断ですか?」と問いただすと「いや、私だけではなくて党内の勉強会で~」と言葉を濁す。「ではこの本を選んだのは、あなたがこの本の内容に賛同したからですよね?」と問うと「そうではなくて世の中にはいろんな考え方があるということを海外の先生に知ってもらいたいから」と。で、本の内容に関して読まれましたか?という質問には「内容は知っている」とまた言葉を濁す。 で、ここから問題。この本の購入はあなたが行ったのですか?」という質問に「いや・・・これは献本としていただいたものを・・・」としかし、荻上氏の話「私も仕事がら本をいただくことはよくあるけど、100冊単位の同じ本をいただくことはない」「そもそもこの本を「誰にもらったのですか?」」ここで議員さんの会話がしどろもどろになる。「いや、こういうことは志のある方からいただいた、ということで名前はお伝えできない」 ???名前を言うことのできない人間の主張を国会議員が「個人的に」政治活動として対外的に行ったってこと? さらに追い打ちをかけます。「この本は猪口議員ご本人が直接、送ったのですか?封筒にはあなたの名前と産経グループの名前(送られた本の出版元)があり、それだけなら版元から直接送ったになるのですが、もう一冊、別の出版社から出された本も入っていて、これはどういうことですか?」 もう、、、だいたいおわかりになりますね・・・このおかしな状況。もし、議員が本当に「あくまで個人的に」送ったのであれば産経グループ企業の封筒に入っているわけがない。出版社によっては「プレゼント発送」のような、自社書籍を直接送るサービスをしている会社もありますが、他社の本まで一緒に、ということはありえない。また、違う出版社の本が同一の封筒で送られているのも、議員さん個人で一つ一つ入れたならともかくそういう話ではなく。アマゾンのまとめ便じゃないんだから・・・ また、そのお金(100人規模)の出所がポケットマネーでない寄付(献本)としたら、これは政治献金と同じく「金品の授与」行為に値する。賄賂扱いされたくなければ本来はその出所を申請、公表しなければいけない訳で。 もっといえば、内容に関してラジオ内で「あなたはこの本の主張を正しいと思ったから送られたのではないのですか」という質問に「いや・・・いろんな考え方があるということを知ってもらいたくて・・・」とあいまいになる。 さらにそこから踏み込まれ「ではどうしてこの2冊を選ばれたのですか?他にもいろんな本があるのですけど」という質問に「英語翻訳されているのがこの2冊だったから」と、もう失笑しかでない言い訳。そんな馬鹿な。自分の強く同意する意見でもない本を「英訳されている」という理由だけで海外の高名な面識のない学者に送る(しかも100人規模)なんてありえないだろう・・・ で、これに関して本当にしどろもどろで。むしろこの議員さん、誰かの隠れ蓑に使われているとしか。だって番組後半で本の内容に自分が納得しているわけではない、とぶっちゃけちゃってるしw。この議員さんはいわゆる「河野談話」を完全に支持する、とおっしゃっていますが、送られた本の内容は完全否定。言ってる事と送った本のつじつまが全く合わない。だったら余計になんでこの本選んで送られたのか?議員さんが名前を出してわざわざ海外の学者の住所を調べて送るにはおかしすぎる。 この話で同じく番組に電話で本を送られました学者の先生が登場。その内容を詳しくこちらに書かれています。猪口邦子議員からいきなり本が送られてきた――「歴史戦」と自民党の「対外発信」山口智美 / 文化人類学・日本研究 これとあわせて番組を聞いてみるとわかりますが・・・「自民党、もうちょっとマシな戦略立てないとこんな穴だらけ、突っ込みどころ満載の方法論で歴史戦(笑)など挑むのは国際的な恥さらし、あるいは日本の信用を損なう以外の何物でもないよ」 だって、素人である自分ですら電話の会話を聞いて矛盾点にゴンゴン気がつくのですから。そもそも自国の歴史を正しく知ってもらう、っていうのに、いわゆる学術論文でも世界的権威がある歴史家でもない、それこそ山口先生も突っ込んでいますが、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2冊とも、もともとは、日本の右派層をターゲット読者として書かれた記事を元にした書籍であろう。それをそのまま、注釈すらつけずに英訳して、英語圏の読者に通じると考えるのがそもそもおかしい。そして、ソースもほとんどないこれらの本は、明らかに研究者が資料として使える種類のものではない。資料になるとすれば、「日本の歴史修正本」のサンプルとしての使い方しかないだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー なんだろう?これが現政権の行っている「攻めの歴史外交」だとしたら、それこそ中国、韓国にしっぽ掴まれてぼこぼこにされるよ・・・あまりにも粗雑で内輪受け外交ばかりやってきた結果だろうなあ。 むしろ、この議員の行動を「どこからかこの本を自分の名前だけ貸して送るように指示された」以外に「論理的に」釈明できる人がいるのだろうか?
2015.10.25
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映画のスタッフロール、特に洋画の長いクレジットが本当に苦痛で・・・なにしろ基本は英語ですから正直何が書いてあっても読めない。10分近く続く。かといって席を立ちたくてもまだ見ている人の邪魔しちゃ悪いし・・・のように気を使ってしまう。あるいはスタッフロールの最後に何か1シーンあるかもしれない、なんて事も考えてしまったり。 あれって何かよい「離脱方法」ないんですかねえ・・・下手すると本編終わった余韻すら忘れてしまうような感動冷却装置になっていたり。かといって製作スタッフとしては自分がこの作品にかかわったという証明だし・・・ 実際、本編が終わると席を立つ人も結構いますから、あれはもしかしてみんな我慢して気を使いあっているだけなのかなあ?みんなが帰れば我も我もと席を立つかもしれない。 それこそ映画館の椅子がボタン押すとがたっと下に落ちてそのままロビーへ、みたいになってくれたらw
2015.10.25
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理詰めで討論することについて。 ラジオで荻上チキ というDJを好きな理由は私は「詰め将棋」のような討論形式を行っていることです。他の過激な政治系トーク番組に参加の際も他の参加者が声を荒げたり、過激な発言でテレビ受けを狙ったり、他の発言者を遮って延々と持論のみを語っている中で「それは○○、ってことですか?」「その元になる資料はなんですか?」「多くの学者が、とおっしゃりましたが具体的にどなたのことですか?」「××と発言されましたがそうなると△△のようなケースも当てはまってしまいますがその矛盾はどうお考えですか?」と。 一見、揚げ足取りのようですが、そこを突っ込まれると「う・・・」と口ごもり、言葉を濁す発言者が多い。そこまで考えていないから、その手の声だけ大きい議員さんなどはうろたえる。おそらく、今までそういう突っ込みを受けることは想定しないで「一方的にしゃべること=弁が立つ」だと思っていたタイプの人なのでしょう。 前回の原田議員のインタビューのほかに、ちょっと前に産経新聞のコラムで「外国人移民は日本人と住む場所を分けるべきだ、これは差別ではない」と書いて炎上した曽野綾子氏へのインタビューの際もそれは一貫していて。彼女がしきりに「わたしは南アフリカに行ったことがある、アパルトヘイトを知っている、現実を知っている、私の方が詳しい、私は差別主義者ではない」のような言葉を延々と語る中、「でもそれって強制はしないと言いつつ実質人種差別ですよね?」という論理的矛盾を指摘する質問にうろたえる。さらにそこを別の資料、根拠となる「誰に聞いたか?」とか「どこでそういう話が行われていたのか」を突っ込まれると、実は現地で見た、聞いたという話のどんどんボロが出てくる。 しまいには「私のは差別ではなく区別」という、最低の詭弁を引き出したり。 で、この形式って何だろうと考えた際、アメリカ式のディベートなんです。何かを討議する際に事前の資料と相手がするであろう発言の予測、そこに対しての地雷となるもの(矛盾点や資料的信ぴょう性のなさ、論理的におかしなところなど)を敷設し、その地雷を踏んだ人間がよろめいてさらに踏み出した先に更なる資料で矛盾を指摘して~のような。 こうなると情に訴えるタイプや大声を上げていれば勝てるタイプの人には天敵にあたるのだろうなと。また、ラジオを聴いていると理詰めの方が客観的に説得力がある。そりゃそうだ。政治討論や歴史検証などは熱血ドラマじゃないのだから理詰めで説明してもらわないと困る。過去の世の中(戦争期などには)の政治家には涙ながらに「国のために国民犠牲となって死んでくれ」というようなことを平気で語れる人とか。これなどは論理性がまったくない。 自身も「自分はデータ主義なところがある」と語っていますが、とにかく番組のテーマに関して「わからない時は専門家を呼んで話を聞く、当事者に取材する、公文書など大量の一次資料を集める」というスタンスから立脚する論客なのでしょう。先日の放送でもしまいには論理的に追い詰められたゲストが逆切れ気味に「私には確固たる証拠がある!詳しくは言えないけど」「君みたいな証拠証拠とうるさいこというけど・・・」のようなとんでも発言を引き出したり。 で、彼のようなタイプの論客に対しては、それ以上の証拠や論拠、資料を提示するしかない。ごまかすことができないでしょう。また、番組内で一方的にならないようにたとえば反対する側のインタビューや番組出演依頼、電話取材も行っている。これは自説の補強、あるいはそこからさらに矛盾を探り出す意図もあるのでしょうが。 いずれにせよ、本来海外に向けて論を発する、世界の人を説得する、というのはこういうやり方でないと通用しない。これこそ国内の、日本国民の一部だけに拍手喝采されるような愛国論的なものを他国民が納得するわけがない。それは「アメリカこそ正義!」の言葉をアメリカ国内では熱狂的に支持されても、日本人としては「はあ?」と冷ややかに見る感情と同じです。 だからこそ、先日の放送はその世界に日本の立場を伝えるという与党の「攻めの歴史戦略」の代表者としてこんな人が委員長でユネスコを説得できるわけがないと思ったので。そのあたりのおかしさを荻上氏が「理詰め」であぶり出した結果だと思います。
2015.10.24
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昨日の荻上チキ セッション22 の話題の続きです。 今回、原田議員とのインタビューで印象的な光景。原田議員が「私たちは~」と言ったところを荻上氏がさえぎって「それは自民党が、ですよね?」と言ったこと。 これはすごく大事なこと。この議員のトークは全編聞いていてわかるのですが、なぜか「日本人なら」とか「日本人はみんな」とか、自分の意見=国民の総意 のような発言をしている。 しかし、あの低レベル(矛盾や突っ込みどころ満載、という意味)な発言が日本人全体の意見、などと言われたら、同じ日本人である自分にとってたまったものじゃない。そうでなくても今の自民党が進めるこの歴史観に疑問を持っている人はたくさんいるし、国内、海外でも学者でまともに支持している人の方が少ない。 にもかかわらず勝手に「日本人なら当然」って言われることに、「いや、それは私たちの総意でなくあなた、あるいは自民党の意見でしょ」と、よく突っ込んでくれたと。 考え方はいろいろある。原田議員の意見を支持する人もいていいと思う。けど、一政党の意見を国民の総意として世界に発信するのはやめてほしい。こういう人の発言が世界に伝わると、それこそ「日本人は全員、今回のユネスコの南京大虐殺を否定している」と思われてしまう。 もう一つ。端々に細かい数字や論拠を求められて原田議員が憮然と「キミねえ、そうやって証拠、証拠というけど細かいことは~」の下り。おいおい、語るに落ちちゃってるよ・・・それを証明、立証することが今度のユネスコに対する抗議の本質「事実を検証する」あなたの役目じゃないのか?中国に「確固たる証拠がない」というからには、それを否定できる資料や検証材料を提示できなければ何の説得もできない。 饒舌に持論を展開中、その論拠を否定されてあわわなって話題をすり替える様子とか、もうめちゃくちゃだよ。この議員の発言こそ「国益を損ねる」「誤解を広める」内容でしかなくて。 真面目に昨日の放送は放送事故レベルだろうな・・・
2015.10.23
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いや~・・・これは久々にすごいものを聞きました。今夜のTBSラジオ「荻上チキセッション22」 テーマが「自民党の国際情報発信を徹底検証」と題して自民党、国際情報検討委員会委員長 原田義昭 衆議院議員に昨今の南京大虐殺ユネスコ登録に関しての自民党の立場を語ってもらう、というものでしたが・・・感想を一言。「もうやめて!おじいちゃんのライフは0よ!」 いや~本当に呆気にとられます。言っている内容がほぼネットでよく見る「南京大虐殺はなかった」論で、中国が汚い手を使って無理やり登録したことに日本は断固たる態度をとらねばならない~的な。 しかし、各所で荻上チキ氏に「数字として具体的には?」とか「多くの学者が言っているといいますがそれは誰が言っているのですか?」「その発言は事実ではないことがのちに誤訳であると検証されていますけど」など突っ込まれると、急に発言を遮るように滔々と意見を言う、割には具体的反証は何もできていない。しまいには「本日こういう内容でインタビューするということは事前にお伝えしたはずですが、それに対して具体的な資料や証拠を何も持っておられないというのはいどういうことでしょうか」という究極の突っ込みされて秘書に八つ当たり気味の「おい!資料持ってこい」発言とか。 もうこうなると「ああ、この議員さん、自民党の代表としてこれから対外戦略のリーダーなのに、何も知らないでノコノコ出てきて用意周到に資料を用意しているDJにことごとく地雷を踏まされてるよ」と。ある意味哀れささえ感じました。 荻上チキ 氏のインタビューは決して意地悪なものじゃないんです。要所要所で「具体的な資料」とか「それを言ったのは誰ですか」といった情報源のクリア化を求めているだけ。日本が南京大虐殺が嘘である、というのであれば、そういう資料はそれこそすらすらと提出できなくてはいけない。しかし、それに答えられないのは結局根拠があやふやなんです。逆に荻上チキ氏側は突っ込みの際に具体的数字や原典を提示した反証、論拠のプロセスの明確化をしていますので。 公式HPで今回の対談のポッドキャストが流れると思いますが、本当に「こんなのが日本の歴史観を変える」与党の代表だとしたら、絶対にユネスコ相手に意見が通るわけがない、もうちょっとマシな人間を代表にしろよと。 しかし・・・上のインタビューを聞いていてつくづく思ったのが、結局この議員が「中国の言っていることに具体的な根拠はない!」という発言と同じ、いや、それ以上に曖昧な回答しかできない人が「日本の主張が正しい!情報源は言えないが俺が聞いたから」って・・・それって恥を上塗りするつもりですかねえ? 少なくともこんな人が我が国の歴史認識を世界に発信!なんてしたら、世界中の歴史学者から笑われるよ。自民党ももうちょっとまともな論客を代表にしないと、もはやこの放送だけでトンデモ発言連発で・・・致命傷になるぞ。
2015.10.22
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たとえば、宝くじを大量に購入した、にもかかわらず当らなかった場合、それは「阿漕なこと」になるのだろうか?というお話。 確率は上がったとして抽選である場合、全部買い占めでもしない限り確実に当たることはなく。だから、アイマスCDに抽選のコンサートチケット応募券が入っていて、その応募券のために何十枚、何百枚同じCDを買っても当たるかどうかはわからない。場合によっては運営の側で「大量の同じ応募者の場合、転売防止や公平性を期するため一本分に統一」しているケースもある。人気のあるコンサートの場合はさらに厳しくてそういう人を弾いたりすることすらある。 で、思うのは金の使い方は自由だし、本人が納得している限りどんな無茶な買い方をしても趣味なんだからかまわない。けど、当らなかった腹いせにCDを割ってネットに画像さらしたところで誰も同情してはくれない、ということ。競馬のはずれ馬券を破って捨てるのと大差はなく。誰の責任でもない。 最初の話に戻るけどこういった抽選のモノで「大量に買って確率を上げる」には確実性がない以上、それこそ一枚だけ応募してあとは近所の神社にお参りにでも行った方がマシかもしれない。 しかし、AKBの人気投票券もそうだけどこの手の「何百枚買った」というのはいい意味での「馬鹿さ自慢」であってほしい。世間体はともかく自分の行為が自分で笑えなくなったら、それこそ「無駄」になってしまうものだから。
2015.10.22
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今季のアニメで楽しんでいる作品に「ヤングブラックジャック」があります。原作が好きで期待していたのですが、この作品、名前の通り手塚治虫先生の名作のスピンオフ作品です。 で、この漫画の好きな理由は手塚漫画で使われていたスターシステム(別の手塚キャラが登場する)をさらに発展させて作品そのものをリンクさせていたりするところ。このあたりはファン程「おお!あれとつながるのか!」と驚ける構成になっています。 また、モブキャラのデザインもどこかで見たキャラがいたり、時代背景の実際の事件とリンクさせたりと凝っていまして。ちなみに原作はチャンピオンで過激なバイオレンス政治漫画「アクメツ」を書いていた方なのでなかなかどぎついところもありますが読み応えあり、数あるブラックジャックスピンオフ作品の中でも突出して面白いです。 しかし、ブラックジャックだけでなくおそ松くん、ルパン、うしおととら、など、過去のリメイクアニメが盛んだですが、もう今の若い世代にとっては「全く知らない」作品でもあるのだろうなあ。
2015.10.22
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恐ろしい話として。「この中には2つの種類の○○がある」という言葉を漫画などでよく聞きます。が、それってなぜ選択肢を2択に絞っているのか、それがすでにおかしな話なんです。 たとえばブッシュ大統領は9,11の後に演説で「世の中には2つの選択肢しかない、我々(アメリカ)につくか、テロリストにつくか」と発言しました。でも、これっておかしいですよね?世の中にはもっと多くの選択肢があるはずなのに。 この手の2択というのはわかりやすいようで実に雑な論法です。自分たちに協力しない人間=敵 という見方しかない。でも実際は世の中「無関心」とか「非協力」「相手側の代弁者」といった選択肢はいくらでもあり。 原発も安保も沖縄基地問題もTTPの問題もそれぞれ立場があって意見が違う。それに対して「今の政権のやり方に反対す人間は反日」のようなのはおかしな話で。 だいたい、日本人として国の行く末を考えてのそれぞれの意見を、単に自分と違う意見だから「反日」ってどういう雑な思想だよと。多様な意見を認めず、「日本人はこう考えるべき!そうじゃないやつは非国民」というのが戦争中の日本で、その結果がどうなったか?これは70年前にわずか数年でこの国を滅ぼした思想たったじゃないか。 だから、思想で2択、しかも自分にとって敵か味方かで分けようとする人間には気を付けた方がいい。
2015.10.21
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昨日ちょっと取り上げた産経新聞の記事ですが、改めて読むとひどいな・・・これ、それこそ大問題で偉い人の何人か首が飛んでも不思議じゃない内容ですよ・・・ まず、誤報とねつ造の大きな違いは、たとえは人の名前のスペルを間違えた、日時や地名のミスや写真人物の取り違え、これらはうっかりミスで誰にでもありえるから、誤報として訂正すれば大きな問題はないと思います。 が、問題の記事は、まずその会場に問題になる発言をしたとされる人物がいなかった、という時点で明らかにライターが作為をもってウソの情報を故意にながしたことになります。また、その文章内容もその問題発言を起点に立脚した論調である以上、土台が崩れたからにはここに大きく取り上げられた記事がすべて崩壊する。チマチョゴリを着た女性も、台湾の女性の発言内容も、インドに住むタイ人女性も存在しなかったとしたらどうなってるの? しかも、これらは改めて取材すれば参加者が複数いて最近のことですから、もし、この訴えた側がウソをついているというのであれば真偽は検証できるはず。しかし産経新聞側は写真が違うこと、団体名が違うことという部分の訂正は記事にしたけれども、もっと本質的な問題に関しては回答がないという... さらに、この記事って時系列を調べると、朝日新聞を吉田調書問題でさんざん叩いていた時期なんです。いろんな意味でひどい。 産経新聞だけではありませんが、メディアにとって誤報は許されてもねつ造は許されてはならないと思います。ある人が「自分は野球よりサッカーが好き」と発言したらその通りに伝えるのがメディアの役割で「野球なんてクソと発言」のような付加をしてはいけないし、さらにはそんなインタビューしていなかったにもかかわらずその人の発言として記事にしていたとしたら言語道断で。小さな訂正記事で済まされる問題じゃないのです。 最近ではツイッターで政治家や有名人が個人で発言できるようになったので書かれた取材記事と発言内容が違うと指摘されることも。発言が双方向で出来る時代でもあります。 産経新聞だけでなく、朝日も読売も毎日も、どの新聞やテレビ、ラジオもそうですが報道というからにはこれをやったら根底から信用が崩れてしまうのですが。
2015.10.20
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なんだか産経新聞が特集している「歴史戦」というシリーズがどんどん危ない方向に突っ走っていて、そのうちに架空戦記モノになるんじゃないかと想像している。 ちなみにこういう訂正記事を「小さく」書いているのもすごいっていえばすごい・・・まあ、産経に限らずどの新聞も見出しの大きさと訂正の記事の大きさは比例しないですが。これでよく「朝日新聞はメディアとしての責任をとれ」と言えたよなあ・・・
2015.10.19
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マタニティーマーク10年、世間の反感に自粛する妊婦も 最近もベビーカーが邪魔だと乗客トラブルになった件を聞いたことがありますが、これは世間に対して「この人は妊娠しています」と気つかせるマークで自動車の初心やマークや視覚障害のある人の杖と同じく、片側だけの利点ではない、双方向に向けられたサインなのですが。 しかし元記事にもあるように「妊婦が電車に乗るな」みたいな意見をいう人がいて。しかも、この手の暴言を吐く人というのは年齢関係ない。それこそ老人が「母親なんだから自宅で育児に専念しろ!電車とか外に出るな!」なんて自分勝手なことを言ったり。 でも世の中の大半の人間はそんな風には思っていないし行動もとらない。この手の話を聞けば「ひでえ」と感じるのがごく一般的な感覚。そこは壊れていないし、もしそうじゃなく本当に攻撃してくるような人間は別の意味でやばい人だ。 ネット上にはわざと暴言や攻撃的な言葉で注目を集めようとする浅ましい人がいる。そういうネットの声におびえてマタニティーマークを付けないことは、運転初心者が「なめられる」と初心者マークを張らないのと同じで、かえって危険でもあるんですよね。ぜひ情報におびえず、積極的に使っていただきたい。 あと、その手のことを本気で苦々しく思っている人へ。妊婦がシルバーシートに座ったり、周りに気を使ってもらえるのは権利じゃなく思いやりであって、けっして妊娠していないお前に向けられる優しさじゃないってことを自覚した方がいい。自分に向けられていない優しさを「差別」とか「優遇」と感じる嫉妬は単なる勘違いだ。
2015.10.18
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人の重さ(物理)の恐ろしさを知らない人間が学校の体育で多すぎるんだろうなと思う事案。 運動会の人間ピラミッドのケガもそうですが、同じようにムカデ競争(足をひもで結んで集団徒競走)でも昨年だけで数百人のけが人が出ている、ということについて。 これは「集団で加速のついた人間の重さの物理的破壊力」の恐ろしさというのを甘く見ている。人間って壊れやすい上に一生のケガになることが多い。そのうえで許し難く感じた現役教師の意見それでも私が組体操に取り組む理由。ある現役教師の告白 なんだこれ?少なくともその「達成の感動」というのは「安全が確約されていない組み体操でなくてはできないこと」ではないし、たとえ組み体操であってももっと安全な技や演目はある。人間ピラミッドやタワーにこだわる理由はない。生徒は基本強制参加で逃れようのない状態では「教師が危険な技を過去に数百例の事故が報告されているにもかかわらず安全対策なくやらせている」になってしまう。 “ピラミッドは○段まで、タワーは○段までという規制に関しては子どもの無限大の可能性に上限を設定してしまう規制であるということをここで指摘しておきたい。” その「無限の可能性」とやらの犠牲で大けがをして一生脊髄や腰椎に障害を抱えてしまう可能性より優先されるものなのか?そこがまず大問題であり。 似たケースで学校体育での柔道の授業があって、こちらも受け身を満足に取れない生徒が組み手を行い、大技を中途半端に掛け合う結果けが人続出、という・・・ 「ケガのリスクを恐れていたら何もできない」という言葉の前には、きちんとした安全性と指導者の能力、そして強制参加でないことが前提になると思います。少なくとも人間ピラミッドの下敷きになって大けがをした昨今の大阪の子供にとって、その経験は「いつか役に立つ」いい思い出にはなるまい・・・ 冒頭の言葉になりますが「人間の重さ(物理)の恐ろしさを知らない」教師が感動とか達成感で語るなと思っちゃいます。
2015.10.17
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やな予感はしていたのですが、結局こういうことなんだなと。世界記憶遺産:ユネスコ書記「シベリア抑留も政治利用」 今回、世界記憶遺産に日本人のシベリア抑留に関する手記が登録されまして。これに対してのロシア側の反応です。これってまんま南京大虐殺に関する日本の反応の裏返しで。 つまり、南京大虐殺を記憶遺産登録として認めない、という人は同じように上のシベリア抑留に関しても「当事国から異論があった」ということで取り消すことを認めなくてはならない、ってこと。 もうバカバカしさは気が付いていると思いますが「自国の被害的なことは認めろ、でも加害的なことは認めない」という一点に尽きます。シベリア抑留に関してはソ連と日本とで被害者数が食い違うことも、当事国政府が事実自体は認めている(被害規模の問題)南京事件と酷似している。 しかし・・・こうまでして今の内閣が行っている「日本の歴史認識の改革」ってのはなんだろう?過去の蛮行を「なかったこと」にすれば日本人の誇りが取り戻せると本気で思っているとしたら勘違いも甚だしいし、例えばユネスコの拠出金を減らすという脅しを率直に他国が見たらどう感じるか?まるで時代劇や3流ドラマの「金の力で過去をもみ消そうとする」下種な悪役そのものじゃないか。 そして、いまだに「太平洋戦争は侵略戦争ではなく正義の戦い」と言っている思想と同じで、決して尊敬される国にはなるまいのに・・・
2015.10.16
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BGMの効果について。 たまたま見ていた2つの報道系番組で「あれ?」と思ったこと。どちらも安倍政権の歴史を取り上げていたのですが片方の番組はどちらかというと政権肯定、もう片方は否定的な番組スタンス。で、第1次安倍政権のころから現在までを振り返っているのですけど、内容は事実に基づいたことなのでほとんど変わらない、にもかかわらず、片方はかっこいいBGM,もう片方は間抜けなBGMが映像に使われていて。 これ、印象が全然違う・・・ 肯定的番組だと「一度政権を奪われたが復活し、ついに念願の安保法案を押し通した!」のようなドラマチックな勝利の印象、逆に否定的な番組側では「国民の理解のないまま永田町の論理だけで強引に通過させるハダカの王様」ちっくな。 BGMによって印象が変わるのはある意味怖いことであり。 私はいつも思うのですが、ニュースや報道番組でBGMを入れるのは危険だと思っています。同じ映像であってもたとえば人が車に跳ねられた映像も、BGM次第で面白映像にすらなる。上の政権に対しての心象もBGMだけでここまで変わるのかと。 いずれにせよ報道番組でのBGMは見る側の印象操作を容易にさせるので注意しなければいけないと感じます。
2015.10.15
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内閣の文科大臣である馳浩議員が教員時代の自分の生徒に行った体罰についてのコメント。 これ、昨日のTBSラジオ「荻上チキ セッション22」でも取り上げられてますが、記者会見の段階で「ウソをついている」としか・・・というのは、この会見では「当時の記事を読んでいただければわかっていただけると思いますが、自戒、反省、謝罪を込めた発言」としています。が、当時の記事がネットでUPされていますが、ヤンキー先生で有名なもう一人の議員と並んでの対談で、内容はまったく逆の、ほぼ自分の武勇伝、体罰自慢でした。反省という要素はまったくない。当時自分の顧問だった部活での指導の厳しさを「竹刀が一週間に一本持たなかった」と・・・どんな指導という名の暴力が蔓延していたか想像がつきます。しかも、それを「生徒との体当たり教育」という副題で語っている対談録なので美化こそすれ上のような反省の色はない。当時を反省している様子はまったくない。 なんだかなあ、と思うのは、まずあの当時も体罰は禁止されています。そして、竹刀を日常的に持っている先生の異常性、それを美談にしていたのが、今の立場で突っ込まれてあわてて軌道修正発言というあさましさというか。 もう一人のヤンキー先生の豹変もそうですが、この手の話を「美談」にする体質はちょっと視点を変えると恐ろしい話。いじめと同じで一般社会では許されない犯罪行為がなぜか学校という中だと指導の名のもとに許される。 何より卑怯だと思うのはこの手の体罰って「指導者側は絶対に反撃されない立場から一方的に振える暴力」であること。そして、こういうのを肯定する大人は「今、自分が殴られていないから」なんですよ。自分が会社で上司に同じようなことをされたら? 体罰が肯定される場合、すべてのいじめも、パワハラも肯定されてしまう。「当時殴った生徒に謝罪したい」という発言も、記者会見でこの昔の記事を突っ込まれての発言ですから言われなければ忘れていた、あるいは「なかったことにしている」訳で。 だからこそこの馳議員の豹変とウソ発言は許し難く感じました。
2015.10.14
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TBSラジオ「伊集院光 深夜の馬鹿力」が先週の放送で20周年ということで、特に番組内で特別な企画はなかったのですが20年前に何があったか?ということをトーク内で語ったときに「阪神大震災とオウム事件があった」ということ。 で、それで考えるとゲーム業界だと初代PSやセガサターンが出て一年ほど、アニメの世界ではEVAが放送された頃なんですよね。 この20年で一気に世の中が変わったのはネットが世の中の人に「普通に」広がったことで。20年前はそれこそインターネットというものが世の中に広がり始めた頃でしたが、今や普通に電車の中で各個人が携帯端末でネットにアクセスできる世の中、というのが最も大きいかなと。 で、いろいろ進化していますが、上の伊集院光のラジオ放送は相変わらず馬鹿な放送を「音声だけで」伝えるメディアの魅力は変わっておらず。でも、ラジオもテレビ同様、広告収入が厳しくなっている時代、という話も聞きました。それこそネットというモノの普及がそういった余暇時間の暇つぶし枠を大きく奪っている、ということでもあるのでしょう。 トーク内でDJも時折「この話、今聞いている人わかるのか?」と突っ込みいれる表現がありますが、放送開始より後に生まれた人が聞いている、特に深夜放送は未だに「若者にむけた」方向性があるだけに、しかし20年以上同時間帯聴取率がトップの化け物番組としてはもうこの路線でずっといってほしいなと。 私も聞き始めて10年ぐらいですが、相も変わらず馬鹿な放送を垂れ流してほしいです。
2015.10.13
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ユネスコの世界記憶遺産に南京大虐殺が登録されることに関して中国と日本の見解の相違からの対立、というニュース記事を見ました。 で、思うのは大虐殺、あるいは大量虐殺とは何人から言うのか?ということ。 たとえば、中国側が主張している30万人が大げさだとします。ではその1/10の3万人であったら大量虐殺にならないのか?もっと減って1/100の3000人では? しかし、感覚としては3000人であってもそういうことが起きたら「大虐殺」だよなあと。 で、実際の戦闘行動の中で「死傷者が一人も出なかった」のであればねつ造になります。が、そんなわけがなく。規模の違いはあっても確実にそういうことが起きたのは中国だけでなく、当事国の日本の歴史研究者からも出ている。しかし、慰安婦問題と同じでなぜか「まったくなかった」にしたがる勢力があって。 と、同時に日本も東京大空襲を記憶遺産に登録してもいいと思う。特に東京大空襲は非戦闘員と民間施設を狙った(しかも焼夷弾という延焼することを前提にした爆撃)この空襲は、原爆に匹敵する第2次世界大戦における連合軍側の非人道的行為です。それこそアメリカを責める意味ではなく、人類の負の記憶として後世に語り継ぐべきじゃないかと。 また、記憶でいえばもっと大きな被害を出した例として、中国共産党が行った文化大革命による桁違いの虐殺とか。あれも人類の負の記憶として上の例に匹敵、いや、それ以上の大失政の一つですから。 こうして考えるとこの「大量虐殺の歴史」というのは自国にとって都合のいい話ばかりではない、というのがよくわかります。というか「こういうことを国際政治の駆け引きに使うな」と主張している産経新聞が自社のコラムに「もし登録するなら日本はユネスコの拠出金を出さないようにすべき」というのは明らかな日本政府からの政治的圧力ですよね・・・その矛盾はどうなのよ? ちなみに日本政府の公式見解としては 日本外務省は公式サイトの「歴史問題Q&A」で「非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり、正しい数を認定することは困難」との公式見解を示す。 つまり、事実は認めている。というか、認めざるおえない。で、問題になるのは最初に書いた「何人からが大虐殺になるか」ということなんです。 どの国の政府も自国の負の歴史は必死に隠し、無かったことにしようとする。しかし、そうまでして手に入れた「自国の誇り」なんて何の意味も持たないのにねえ・・・ 私が考えるのは「お前の国もこんなひどいことをやっているんだから人のこと言えるのかよ」という論調にはしてはいけない、ということです。互いにひどいことをやっていた記録はどちらも裁かれるべきであって相殺され、うやむやにされることじゃない。あの当時何があったか?人類の歴史に残すことが記憶遺産の使命ですから。 今の世界はこれだけすさまじい歴史の上に成り立っているということです。
2015.10.12
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よく「誤解されるのは日ごろの行いが悪いから疑われるんだ」という言葉があるけど、これはあくまで個人の行動。それを所属している集団や民族、組織に適用してウソやデマに踊らされた人間が苦し紛れに放つ暴言には何の説得力もないということ。 というのは、たとえば何か個人的な犯罪を犯した人間が特定民族、国籍であったとして、その国籍の別の何もしていない人間に暴力や差別的行動を行っていい理由にはならない。その人間と競合して犯罪をほう助したのならともかく、全く知らない人間の責任を同胞だから共にとれ、お前にも責任がある、なんて頭がおかしい。 ましてや、日ごろの行いというのは個人の行動に見るもの。自分が真面目にやっていてもクラスの一人がバカをやって、なぜか「連帯責任」なる不条理でクラス全員が罰を受ける。こういう教育が未だに学校教育の現場で「常識として」横行しているのは意味がわからない。その枠がもっと広がった国籍問題になったらもう意味不明の領域。日ごろの行いでどうやって赤の他人の暴挙を止められるというのか? そもそも、その雑な理論だとたとえば日本で起きている日本人による多くの赤の他人の凶悪犯罪の責任をこの国の人間はすべて「同胞だから」責任をとらなければいけない理屈になる。そんな理不尽はない。 だから、この手の意見は単に叩きたい相手が特定の「自分たちとは違う組織や民族だから」叩けるのだし、これは海外に行って現地で日本人が同じ理由で迫害や差別を受けていたら怒るだろう。そのまんま裏返しでもあり。 そして、どの犯罪も「何の関係もない人」を罰していい理由にはならない。
2015.10.09
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ちょっと「お?」と感じたこと。TTP交渉の話題がニュースなどで取り上げられていますが、著作権の話題で普通の昼間の情報番組などでも「コミケ」とか「同人誌」「コスプレ」といった言葉が何の解説もなくさらっと使われていること。 これってある程度認知された言葉、ってことなのでしょうか?そういう意味では文化的な知名度が一般的なレベルになった、ということでもあり。それこそこの手の活動は一部に人間以外知らない頃からのオタクとしてはちょっと不思議な感覚です。 文化的な浸透は時間と共にある、人気が30年続けば社会的に認められる、という法則があって、コミケなんかも一部の特殊な人間の集まりではあるのですが、そこまで珍しい存在じゃない、って社会的に認知されることは差別的な扱いがようやく取り払われ始めたのかもしれないと思ったり。 冷静に考えたら分母が増えただけでやっていることは昔も今もコミケも同人文化も変わらないのですから。ごく普通の文化になってほしいと思ってます。
2015.10.08
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趣味の年齢について。 ツイッターで漫画原作者の小池一夫さんがこんな発言日本の大人の男には、「金を持ったにすぎない子供」の男が多過ぎる。大の男の暇潰しが課金ゲームではいけないし、コーラで飯を食ってもいけないし、聴いているCDに握手券が付いていてもいけないのである。大人の男として扱われたいのなら、大人の男になれ。いつまでも、少年のフリは出来ないのだ。 私はむしろ「金を持った子供に過ぎない男」がたくさんいることは喜ばしいことだと思う。というのは子供のころから好きなものを大人になって当時お金が自由にならなかったけど、稼ぐようになって思い切りつぎ込めるのは趣味として「大人だからできる」ことでもあり。それはゴルフの道具に何十万もかけるのも、高級な酒を飲むのも変わらない。 逆に言えば興味のない分野に「大人のたしなみとして」金をかけるバカバカしさの方が子供っていうか。上で語られているアイドルの握手券も課金ゲームにかける金も関心のない人にとっては「無駄」でしかない。どこに価値を見出すかは人それぞれ。 大人というのはその相手の趣味を認めることじゃないか。「本物を知らない人間は不幸だ」ということの本物に何が当るかは人それぞれ。ゲームの中でのゴルフは好きだけど実際のゴルフには全く興味がない人だってたくさんいる。 この先生も昔は「漫画なんて」と言われた時代に生きた人。当時のその馬鹿にしていた人と全く同じ発言になっているのは皮肉というか・・・ 大人の男として扱われるより、いつまでたっても自分の趣味に前のめりな人間の方がいい男だと思う。
2015.10.06
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大阪の学校で組み体操の10段ピラミッドが崩れ、生徒が骨折などのケガをした、というニュースを聞き、これで本格的にこの種目が危険であると認識され、各学校が取りやめることになってほしいと思います。というか、事件を起こした学校では昨年も同じようなケガ人が出た、という時点でもう・・・ 校長の説明では「集団の達成感を味あわせたかった」というけど、組み体操ってやっている側、特に下段の子なんて安全性をサポートしようがない、安全対策ができない状態です。背骨や頸椎といった重大個所に対してのケガは一生引きずるものですし、しかも、そういう事故事例が過去に何百件も寄せられている。 よく「危険性ばかり強調すると何もできなくなる」という人がいます。が、危険性を認識し、本人や保護者にそれでもやるかどうかの選択肢があるのなら別ですが授業の一環で強制参加では逃れようがない。 どうしてもこの手の体育会系文化では「苦痛に耐えること=すばらしいこと」になりがちですが、実際この演目は誰のため、何のためのものなのか?伝統、というけどこれだけの危険がわかっていて対策が取れない状態での伝統など放棄した方がいい。 子供を甘やかすな、という人がいますけど、骨折やけがのリスクと甘やかしとは違う。生徒がいかに一生懸命やろうと物理法則による衝撃や破壊力はそれらを無視して襲いかかる。子供の身体能力もバラバラですから。 むしろ危険性を「伝統」という惰性で許す教育が甘えだと思うのですが。
2015.10.06
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【特集】アニメ2期制作の資金調達に『クラウドファンディング』を使うべきという案 難しいと思うのは、2期が作られない理由が「円盤が売れなかったから」である場合、このクラウドファンディングに金を出す人もそもそも少ない、ってことが。というか、すでに円盤を「買う」という層が特殊でもあります。 ちなみにTVアニメで人気になった作品が劇場アニメになるケースが多い最大の理由は「テレビの実績で資金回収がより見込めるから」にあります。テレビ放送だと円盤の売り上げでしか回収ができないのに対して、映画だと入場料と円盤売り上げの2回分回収できる見込みがあるから。 漫画原作作品の場合、アニメは出版社が出資して漫画の知名度を上げて原作をさらに売るため、という理由がありますが、1クールで十分その作品の魅力を伝えることができたらあとはこれ以上アニメに予算をかける必要がなくて。「人気があるんだから第2シーズンやるのが当然だろ」ということにはならない。宣伝効果は十分果たしたということなのでしょう。 ゲームなどのクラウドファンディングの違いは「買った人、資金を出した人しか楽しめない」のではないのがテレビアニメの世界。それこそタダで見れるのが一番得な状態になる。だとしたら、他人が金を出すのを待っている、って人の方が多くて当然。そんな状態で1クール2億ともいわれる金を出してくれる人がどれだけいるか?という問題でもあり。それこそ「金を出した人しか2クールが見られない」であれば話は別ですが。 上記の例に出ているアニメ作品はどれも「劇場アニメ」が前提です。だから、テレビアニメにはなかなか適応されにくいんじゃないでしょうか。特にTVアニメはマニアですら「タダで見れて当然」がしみついていますし。
2015.10.05
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興味による「違いの分かるかどうか」ということに関して。 たとえば、100円ショップで売っているイヤフォンと家電量販店で売っている1000円ぐらいのイヤフォンでは音の違いは確かにあります(100円ショップのはこもったような音になってる)ですが音にこだわりのない、それこそ「聞こえればいい」レベルの人であれば10倍の価格を出す価値を認められないし、これがさらに上がって一万円とか、高級ヘッドフォンの10万円を超えるようなものとの違いはお金を払う価値がない、と判断します。 で、それを踏まえたうえでこんな話オバケは信じてないのに、100万のアンプは音が良いと信じているオタクは山ほどいるんですよ…… この手の話で対立が起きるのはこの違いを「明らかな差」ととるか「ほとんど変わらない」と取るか、の個人差で。オーディオマニアと呼ばれる人が「明らかに違う」ということが、一般の人には「明らかとは思えない」だけ。でも、人の趣味に対するお金のかけ方って、そういうところにおもしろさがあるんですよ。 また、価格=高精度とは限らない例として、たとえばスイスでは未だに手つくり完全オーダーメイド、一つ1000万もする職人による機械式腕時計の工房があります。が、本当の意味での「正確さ」というと、家電量販店で売っている数千円の電波時計の方が「時計としての精度」は高い。あくまで機械式腕時計の職人の持つ「こだわり」とか「それを持つことによるステータスにお金を払っている。そして、その時計を持つことが喜びであり、面倒くさいメンテナンスも楽しみの一つになっている。 だから私はそういう「俺らにはわからないことに大金をかける」ことは本人が納得しているのであればいいのではないかと。それこそオカルトや詐欺まがいのことに引っかかったとしてもそれは骨董屋業界でいう「高い授業料」なんでしょうねえ。 と、イヤフォンのLRが逆であっても気が付かないほど音にこだわりがない人間としての意見です
2015.10.04
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コンビニ店員に求められる技術って恐ろしく肥大化しているだな、と感じた事。ネットで知った主なコンビニでの対応---------------------------- レジ業務=販売・宅急便受付・保険代行受付・インターネット販売受付・電子マネー対応・道案内・クレーム対応・各種ギフト受付・他多数 店内業務=商品陳列・商品検品・清掃(床、窓、棚、トイレ、フライヤー、保温機、その他)・商品廃棄・商品返品・調理・クレーム対応・他多数 店外業務=清掃(駐車場、看板、窓、ゴミ箱、その他)・配達・雪かき・クレーム対応・他多数------------------------------確かにコンビニって最近は公共料金の振り込みからネットを使った代引き、宅配便の受け取り、店内での揚げ物などあらゆる仕事をやっていて・・・これ、アルバイトで、しかも時給1000円以下でやらせる仕事スキルじゃない。 客の便利が結局店員の負担となってふりかかり、対応にもたつくと「プロなんだろ!」とクレームの嵐では、こりゃやっていけないわな・・・
2015.10.03
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個人のセキュリティー意識について。 社会保険庁が年金情報の流出があり、その理由が職員が情報に一部パスワードをかけていなかった、とか、他にも民間の会社で社員が自宅で仕事をするために持ち出したデータが流出などのはなしがありますが。 で、ちょっとまえの「つボイノリの聞けば聞くほど」というラジオ内で「これって社保庁の問題のように聞いている人が多いと思うかもしれないけど、日本の大半の一般の人のセキュリティー意識でもあるのではないか?」という話をされていて、案外そうかも、と思うことがあります。 たとえば、会社の仕事ではないとしても個人のPCにパスワードもセキュリティーソフトも入れていない人は結構います。また、会社であっても仕事の効率を優先するため、本来禁止されているデータのやり取りを個人のUSBメモリスティックで行ったり、自宅で仕事をするために個人PCで持ち帰ったり。 パスワードもセキュリティー保安のため定期的に変えましょう、という通達をやらないとか、私的なメールのやり取りやソフトのダウンロードを社内のPCから行うとか。 こういったことは何かあった時にはじめて「セキュリティー意識がない!」と指摘され、糾弾されますが、結構な人が日常的にやっているかもしれません。 だからどちらかというと個人の資質の任せるのではなく、システム的に不可能にするのがもとめられているのかもしれない。セキュリティー強化って何もない時は単なる不便でしかないことが多いので、どうしても怠惰に流れてしまう人がいてもおかしくないし。
2015.10.03
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TBSラジオの朝の番組でアップルのスマホ対応の広告ブロッカーについて説明していまして、これを使うとこれまでネットを見ると入ってきた広告バナーが表示されず、動作がスムーズになる、というもの。しかし、解説者も言っていましたが「こういった広告収入で運営しているページの収入の根拠を断つということはサービスそのものが運営できなくなり、利用者がタダで情報を入手できたメリットが使えなくなる」と。 確かに例えばテレビの民放番組を私たちがタダで見られるのは途中に入るCMのスポンサーが製作費を出しているから。しかし、多くの視聴者にとって自分の興味のないCMは邪魔者でしかなくて。以前、家電メーカーがCMスキップ録画のHDレコーダーを機能で付けようとしたところ放送業界や広告業界から大反対を受けた、というのがあって。これを「ユーザーの利益を無視した行為」というのは、回り回ってタダで番組を見られる視聴者の今の利益を脅かす行為でもある。 かといって、しつこいぐらい画面に現れる広告ウインドに、本当にその商品の魅力を伝えるという本来の広告の意味があるのか?も疑問であり。 ジャンルは違いますが何年か前に長寿ラジオ番組が放送終了になった理由も「聴取率はよかったのだけど番組を支えたメインスポンサーが広告から撤退したので続けられなくなった」という、実際に番組末期はCM枠がずっと放送局の番組CMばかりでしたし。視聴者がどんなに求めていてもスポンサーがいないと続けられない、というジレンマを感じました。 上のアプリの話に戻りますが、ネットの基本タダ、というシステムは広告で成り立っている、そこを否定するソフトにもなっているんだろうなと。ユーザーの利益最優先はいいことのようでそれだけではやっていけない世界でもあり。
2015.10.02
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