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我慢して不味い飯を食わせるのを「もったいない」にすり替えていないか、という問題について。生徒の発言に市議愕然、橋下氏「ご飯一粒残したら、親に怒られた。食育を」 ここには書かれていませんが、元々大阪では公立校で完全給食制度ではなかった(弁当や持ち込みの昼食)のを、橋下市長の指揮で数年前から急に給食制度にした。しかし、いきなりのことで学校給食の設備が整っておらず、外部委託の給食になったけど、それが大変評判が悪い。特に衛生面から冷凍保存されたハンバーグを温めなおしなどまともにされていない冷たいままのものが出されたりで不味いと生徒に大不評になっているという話 しかし、頭がおかしいと思うのは自分が強行して導入した制度が現場で実際に食べている子供に不評であるにもかかわらず、それを「飽食時代を象徴しており、国の崩壊につながりかねない。食育をして、教育しなおすべきだ」とは・・・ いつの時代も不味いものは不味い。それを無理して食べることこそ「食に対する冒涜」であり。「食べるものがないから仕方なく」の時代ではない。一方的都合で子供にこれしか食べさせない制度にしてしまったんだ。元々持ち込み弁当が主流だった文化圏なのだし、だったら給食を希望者のみにすればいい。食わず嫌いで文句を言っているのではなく、毎日食べている生徒から不評だってことは完全に失敗じゃん。勝手に理論をすり替える詭弁をこの人はよく行いますけど、結局現場を無視してぶっ壊すだけの人なんだろうなあ。 そんな自分勝手な政治理念に付き合わされる子供がかわいそうだ。
2015.02.28
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自分がギリギリ社畜にならないでいられる理由があるとすれば「好きな仕事をやっている」自覚がある一点だと思う。 なんやかんやでゲームが好きでゲーム業界に入って、ゲーム作ってる作業の時間が好きだし。だから不満があっても残業やら休日出社にも耐えられている。もうOKが出ているデータをさらにいじったり。この部分の余裕はやはり楽しい。 もちろん楽になることに越したことはないし、早く帰れるときはとっとと帰るし。逆に言えば自分の興味のない仕事をやることが一般的な「仕事」だとしたら、それを強制されて、しかも残業代が出ないのは恐ろしくひどいことをしていることに気が付かないといけないと思う。 他人の人生の時間を金で買うのが「仕事」だと思うので。
2015.02.28
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TBSラジオ「荻上チキ セッション22」の2/25の放送で、従軍慰安婦問題が資料として「どれだけ当時の資料が残っているか」を取り上げていました。 その内容がすごくて、ただ淡々と当時の裁判記録や警察の文書、軍の書類など、「正規の公文書」として残っている資料の内容を読み上げる。この内容はインターネットにも公開されていて、アクセスすればだれでも読める。また、当時の記録には「慰安所を作る際、軍の命令であっても民間業者が自発的に行うような形式にすること」という指示があったこともきちんと残っている。それも1つや2つの資料ではなく、日本各所、あるいは日本の占領地の現地などにも数多く残されていて、たとえば当時も慰安目的の女性の海外渡航は禁止されていたが、外務省が軍の要請で渡航パスを作ったこと、慰安所で働く女性の年齢(未成年)や、女性の徴収方法など、当時も国内法で禁止されていた行為を行っていたことが、他ならぬ「軍の資料、外務省や警察、裁判所の資料として」残っているという・・・ 番組中、歴史学者の林博史先生もおっしゃっていた「歴史研究では吉田証言を使った研究はないはず(当時から資料性という意味で疑問視されていた)だから、朝日新聞の誤報=慰安婦問題は全部ねつ造にはならない」というのが上の資料からも語られると思いますが。 私はこの件に関しては「日本だけでなく、世界各国で戦争状態になるとこういうことは起きているし、日本をバッシングしている韓国や中国でも他国の女性に対して組織的に行ったこの手の行為の証拠はたくさんある。だから、どの民族が野蛮だ、とか、そういうことを言いたいのではなく、これだけ証拠があったとしても必死に「うちの民族はそんなことはしない!全部ねつ造だ!」というプライドこそ危険な思想であると。 むしろこういった資料を発掘、紹介することに対して「反日的」とか「自虐的歴史観」といった罵り方をして、「なかったこと」にしようとする方がよほど情けない。 *コメント欄の指摘、修正しました。ありがとうございます
2015.02.25
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人手不足なのに給与が安くて人が集まらないことを「今の若者は苦労を嫌う」ってのおかしいよ・・・それって安い奴隷が欲しい、って話であって。
2015.02.24
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たとえば、ここに赤や黄色や青、緑、紫など様々な色のビーズがあって。それを大量に一つのビンの中に入れてかき混ぜる。そしてそのビンの色を遠目から見ると、おそらく灰色っぽい、まだらで中途半端な色になる。 これが平均の色であって、個別のビーズの色とはかけ離れた色である事の方が多い。つまり、これを人間の思考、思想と考えればわかると思う。 だから「日本人ならこう考えるのは当然」とか「普通の日本人なら」といった括りで自分の意見の正当化を図ろうとする意見は私は信用しない。赤いビーズだけ集めてその他の色のビーズはビンから出ていけ、なんて、よく言えるものだと。 たまに駅前などで街頭演説している濃い緑色に日本国旗をはためかせ、公然とヘイトスピーチしている人の言う「われわれ日本人」の主張を、はたして全体の何割の「日本人が」支持しているか?それを考えると右も左も両極端になった人間には平均的日本人像を語ってほしくない。
2015.02.24
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ずっと思っているんだけど、よくTVや新聞、雑誌などでDQNネーム、キラキラネームと呼ばれる珍しい名前を特集して笑うコーナーがあるけど・・・ それって本人がどうすることもできない身体的特徴をあげつらって笑いものにしている行為と同じだってことに気が付かないのかなあ? 変な名前を付けた親の責任だといっても、バカにしたり笑いものにして、その人を傷つける行為が正当化される理由にはならない。その名前に込められた親の気持ちも文字面からだけじゃわからない。 そういう無神経な人間にはなりたくないよ。
2015.02.23
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海外のあるゲームがプレイ時間5時間でクリアできるからクソゲー、のようなネットの情報を見て思ったことですが、この発端になったのがプレイ動画で一連で通しでプレイした動画の時間らしい、という。 それってプレイヤーの腕前によるところも多いんじゃないかと感じます。たとえば超絶難易度の縦シューティング「斑鳩」も、ノーミスクリアであればわずか30分。しかし、当然そういう腕前の人の方が少ない訳で。 他にも謎解き系アドベンチャーなら答えを知っていればプレイ時間は相当短くなる。 ゲームのプレイ時間ってなんだろう、と考えた時に、クリアして「物足りない!」と感じるのはある意味よいゲームであると私は思っています。それは最後まで面白さが持続したという意味であり。それこそ延々とクリアという概念のないゲームが「ボリュームたっぷりか」という話にもなりますが。 私はむしろプレイ時間を引き延ばすための水増しした「やりこみ要素」は嫌いですねえ。クリアまで数時間であっても濃い面白さの方が印象が良いし、次回作に期待できます。
2015.02.23
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ラジオの投稿で「電車に乗ったら乗客のほとんどがうつむいてスマホや携帯の画面を見ていた。異様なものを感じた、昔はもっと車窓から流れる風景や新聞、雑誌や文庫本の小説、一緒に乗った仲間との会話などいろんな人がいたのに、皆が周りに無関心のように小さな画面に見入るのはおかしいと思った」という意見。 別に昔だって電車の中が退屈だからそういうことをしていただけで、携帯のおかげで退屈じゃなくなっただけなのではないか、ということなんだけど。たとえばソニーのウォークマンが流行した際も新聞投稿に「ヘッドフォンで外部との関係を遮断して一人の世界に閉じこもる若者たち」という取り上げられ方をしていましたが。 退屈な時間に何をするかなどというのはそれこそ個人の自由で。むしろ、ほとんどの人が携帯の画面を見ているのにひとりだけこの投稿者のようにみていない、ということが平均論では異常でもある、って論法にもできるんですよ?上の意見だと・・・
2015.02.22
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価格を維持する、というのが大変であるというお話。たとえば1個200円で一日1000個売ればよい商品を質を落とし、人件費を削って価格を半分にしたとします。そうすると以前より数は売れるようになる、けど以前と同じ売り上げを出すためには2倍の数を売らないといけない。これは至難の業で。 薄利多売の怖さは「余裕がない」ことだと思います。で、周りの競合する商品が同じように価格を下げた場合、その相手に合わせてこちらも価格を下げ、結果、業界相場が落ちてどんなに売っても儲からない業界になるという・・・ 企業にとって「粗利」があることが商売として美味しい訳だし、それによって従業員の賃金につながるのですが、この部分を消費者視点で「ぼったくり」と語ると、最終的には自分の仕事にも返ってくる。長年日本で起きているデフレスパイラルの原因でもあり。 価格を維持するのは品質安定と共に雇用の安定にもなるわけですから。コンシューマゲームも冷静に考えると20年前と開発費は膨大になっているのに価格は2倍程度にしかなっていない、だから、据え置き市場が衰退する訳で
2015.02.20
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よく聞いているTBSラジオ「荻上チキ セッション22」で、産経新聞に掲載されたコラムが「人種差別を肯定するものだ」として非難を受けている作家:曽野綾子さんにDJ自らインタビューで疑問をぶつける、という内容。なお、ポッドキャストで配信されているのでぜひ聞いていただければと思うのですが、私の感想としては「ああ、そういう雑な思考の人なんだ」と。 何しろ自分で「私は現地の現実を知っている」と大見得を切っているにもかかわらず、論理矛盾や現状を突っ込まれると「知らない」「わからない」であったり、この手の意見の常套句である「私のは差別ではなく区別」を臆面もなく使っていたり。 で、結局「知識人、文化人と呼ばれる人の中にもこういう人はいる」ということでもあり。特に保守論壇系の新聞記事などを読むと、本人たちは理論武装して隠しているようでもこの手の臭気がダダ漏れになっている記事を見かける。もちろん、逆もしかりで。 今回、インタビューとは別にここがある意味核心なのかもしれないと感じたのが、インタビューを受ける前に曽野さんが条件として「水の出なくなったマンションに住み続けられるか?」をたずねる、という2択を出す。それに対して荻上さんは「そういう2択で考える必要はないのでは?マンションの問題は住人同士が話し合って解決する問題で、解決できなければ引っ越すかもしれないがそれは隣が黒人だからではない」という受け答え。 正直、インタビュー以前の段階で大概の思考力、論理的解決能力がわかった気がします。と、同時に相手から思考力を奪う2択で論理誘導しようとする意見には注意しなければいけないと思ったり。
2015.02.19
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中島らも さんの小説「ガダラの豚」の中に私が好きな描写があって。TVの番組で現地の呪術者を取材するツアーの中で、一行がアフリカの都会からはるか離れた地区の呪術者を訪ねていくと、現地に着くとすでにお付の人間が村の入り口で一行の車が来るのを待っている。何も知らせていないのにどうしてわかったのかと驚くと「なーに、無線で連絡があったから」と。 つまり、この日本人の主人公たちはアフリカは未開の土地、文明の及ばぬ土地であるとどこかで思っていて、神秘的なちからで情報伝達がなされたと一段低く見ていたけど、彼らだって文明の力を普通に使うよ、というお話。 それに似た光景で、あるニュース番組でアフリカの部族を取り上げた際「最近では彼らもインターネットを使って~」のコメントをしていたけど、どこかに「こんな未開の土地の人間は使っていない」という古いアフリカ印象があるのではないか、という。 自分も含めてほとんどの日本人は自国以外での生活経験はなく、せいぜい海外旅行ぐらい。あとは喧伝とかテレビ、映画や本などから漠然と海外の印象を作っているだけで、その情報も古いものである可能性が高い。 たとえば未だにケニア人の印象は「槍や弓で狩猟生活をしている」というのがあるけど、そういう民族の方が数で言えば圧倒的に少数部族であったり。
2015.02.18
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先日の産経新聞の差別的発言に対する「当社はあらゆる差別に反対する」という言葉に違和感を覚えて、ちょっと昔の産経新聞の記事を思い出して漁ってみましたらあったあった。中韓=チンパンジー 日印=ボノボ っていうか、こういうことを昔から書いていて、今更「差別を肯定するものではない」と言っているとしたら手遅れな編集力だよなあ・・・明らかな人種差別(まったく科学的根拠のない、国籍による相手民族の性格の決めつけ)以外のナニモノでもない醜悪で下種な考えが言葉がこの数行に詰まっています。 昔、公民権法が制定された際に「私は人種差別と黒人が嫌いだ」というアメリカのブラックジョークがありましたが、まさにそれを地でいってる。
2015.02.15
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久々にすごい逃げ口上を見た。曽野氏コラムで南ア駐日大使が本紙に抗議 この中で産経の東京編集局長のコメントがさらにひどい。「産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」だそうだw。 もはや自分の掲載しているコラムニストすら守らない編集責任能力のなさに呆れますが。私はむしろ問題のコラムを書いた人に関しては「ああ、そういう人なのね」と思うだけです。以前、この人は台風の被災者に避難所で新品の毛布が支給されたことに対して「贅沢だ」と訳のわからない難癖付けてた人だし。他にも婦女暴行事件の被害者に「ミニスカートのようなそんな恰好をしていたら襲われるのは当然」とか、原発の被災者に対して瓦礫を燃やして暖をとれ、といった、他人事であればとことん残酷なことを無責任に言う人だし。 自分の言いたいことだけどそれを言ったら非難が来る、だからこういう人に意見を言わせることで責任だけ回避する、という卑怯なやり方だよなあ。
2015.02.14
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よく雑誌でセンセーショナルな見出しと挑発的な記事を書いて「批判覚悟であえて問題提起した。これによって日本人の論議が深まることを期待する」 って言葉があるけど、食卓のテーブルの上に乗っていきなりケツ丸出しでうんこすることを「問題提起」だと思っている輩がいるんだよな。 で、そういうやつに限って後始末はしない。
2015.02.14
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こういうのが人間の「質」というのを分ける分水点かもしれないと思ったこと。 昔、あるお笑い芸人のラジオトーク内で、その若手が自分の過去の話として「仲間で集まって飲み会の時、一人いじりやすいボーっとしたやつがいて、そいつだけわざと集合時間を2時間後、飲み会が終わるぐらいの時間だとウソを伝えてソイツがノコノコ居酒屋に来た時「もう終わりだよ!」と突っ込んで皆でゲラゲラ笑った、と面白話として語っていたのに戦慄したのですが。 なんだろ?この話を聞いたときに「おもしろければ芸人は何でも許される」の本質を見たようでゾッとしました。トーク内でその芸人、ひどいことをしたと一ミリも思っていない感覚で話しているし・・・
2015.02.14
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現在TPP(環太平洋パートナーズシップ交渉)の著作権に関する問題をTBSラジオ「セッション22」で取り上げており、著作権を非親告罪にする、という案件を専門家や漫画家;赤松健 さんが語っていました。 この非親告罪の問題で重要なのはたとえば作者側が黙認している分野を無関係の人間が刑事訴訟して、それに対して警察は動かざるおえなくなる、その際、作家側はオフィシャルに「2次著作を認める」という宣言をしていないと犯罪者として警察がたとえば同人作家を捕らえることができる、という、本来著作権を持っている側が意図しない法律の運用ができてしまうこと。 コミケなど2次著作同人活動は、たとえば漫画やアニメ、ゲームといった娯楽は趣味で好きになった人がプロになる前のステップアップとして擬似的に経験する修業の場でもあり。赤松健さんも元々コミケで活動されていたり、現役プロが同人誌を未だに作っている、などという場所でもあり。プロとアマチュアの「架け橋」の役割を持っている、だからこそ日本はこれだけ多種多様な漫画アニメ、ゲーム文化が育った。 私は親告罪のよいところは「作家本人の意思が最大限活用されること」であると思ってます。たとえばそういう2次著作物が嫌いな漫画家も当然います。その場合、自分の作品に関しては差し止めを求める権利があるし、同人側もしたがわざるおえない。これは正当な権利でここはしっかり守られるべきだと感じます。 しかしよくわからない人間が自分は同人が嫌いだ、という理由でそのサークルを訴えることになったとしたら?世の中には自分が嫌いなものを楽しんでいる人間が許せないから邪魔をしてやろう、という捻くれた輩はいて。たとえば昨今あった「黒子のバスケ騒動」。作品に全く関係ない人間が脅迫状で各種イベントをできなくするという、これに似たことができるようになる。 どうして日本は漫画大国、アニメ、ゲーム大国になったか?これまで国は手塚先生の黎明期からそういったコンテンツに逆風になる行動ばかり行っていたのに、今や「クールジャパン」だ。本当にクールジャパンを世界に売りたいなら、こういう知の腐葉土をなくしてはいけない。大きな森が育つのは小さい芽がある程度の幹まで育つ場があることが重要であり。 コミケだけでなく、ネットの世界でもいわゆるアニメアイコンとかイラスト投稿サイトなどは片っ端からアウトにできる。もっといえば路上で自分の曲以外に有名曲をカバーで歌っているバンドも著作権侵害として第3者が訴えることができる。多くの著作権者にとっては、直接収入の阻害になる海賊版やコピー商品といったものを問題視しているのであって、好意的なファン活動には「黙認」という姿勢で接してくれている。 「たとえば路上駐車であっても広い道路で交通の妨げにならなければ問題は発生しない、しかし、誰かが「ここに勝手に車を止めている」と警察に訴えたら、警察はうごかざるおえない」と番組内で例えられていましたが。 だいたい、作り手でも権利者でもない赤の他人の訴えでコントロールされる理由は?そんな単純な疑問が一番大きい問題だと思います。
2015.02.13
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一連の「名誉毀損判決」に対する私たちの見解 何年か前の記事です。一読して「報道の自由のために裁判に訴えないでくれ」としか読み取れなかったのですが。 たとえば、先日のTBSラジオ「荻上チキ セッション22」内で、いわゆる朝日新聞の慰安婦問題ねつ造をしたとされる 元朝日記者、櫻井よしこ氏を提訴…「捏造」憶測 この記事内の--------------------------櫻井氏は「訴状をまだ確認していないが、言論人はいかなる批判にも言論で応じるべきだと思う。私の論評に不満があるなら、言論の場で堂々と不満の内容を説明し、反論すればよい」とのコメントを出した。-------------------------- に関してDJが「言論人は言論で応じろ、という常識はない。法治国家である以上(どちらの立場であっても)名誉棄損で裁判に訴える権利はある。と語っていてなるほどなあと思いましたが。 表現の自由、報道の自由には責任が伴う、というのは常に言われていますが、上の「昨今裁判が増えていてやりにくい」的な考え方はそれこそ名誉棄損やねつ造をされたとする側にとって正当な権利行使を否定する行為にもなります。 だいたい、新聞などでも大きく見出しを使った特集なのに謝罪は新聞片隅にひっそり、なんてのはよくあることで。言論人が裁判に訴えられたら裁判の場で言論を戦わせることもできるのだし。
2015.02.12
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数年前にオタキングこと岡田斗司夫 氏がダイエット本で話題になっていたころのことを思い出すにつけ、ダイエットというのは3か月で○○キロ痩せた!という結果より、痩せた体重を維持し続ける継続性の方が難しいということがよくわかった。 あと、自分が痩せたことで太っている人間を「向上心がない」「デブに生きる価値はない」的な発言を聞いてラジオで「自分は昔煙草を吸っていて止めたけど、だからといって今タバコを吸っている人間を非難したくない、こう言う奴嫌いだ」と当時言っていた伊集院光 氏の言葉の意味もw。
2015.02.11
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エアコン論戦が熱い 所沢学校に設置問う住民投票 この学校の事情が他と違うのは、近くに自衛隊の基地があって騒音で窓を開けられない、という点。夏場にエアコンのない密閉された教室で何十人の生徒と共に授業ということを考えると、これは市長のいう反原発の立場から「今は我慢が必要だ。子どもたちは分かってくれるはずだ」は論理的でなく結局予算問題が最大の焦点になると思います。 私は都内の夏場のクーラーは冬場の北海道など寒冷地のストーブと同じで必需品であり、特に昨今の夏場の暑さはそれこそ熱中症による死者が出るほどなのだから、エコとか子供たちに我慢を、なんてこと以前の問題だと思っています。ただ椅子に座っているだけで汗が落ちるほどの暑さというのはすでに体が危険信号を出しているころですし。「自分たちの子供のころはクーラーなんてなくてもみんな我慢していた、だから今の子供たちも我慢するべき」論になるとちょっと違うと思う。むしろ夏の暑い時期だけ教室外の別のエアコンのある公共施設で授業をするとか。市役所の会議室とかw。反対に自衛隊の方を夏場の期間、訓練お休みにするとかw。
2015.02.09
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昨日の産経のコラムを読んで改めて思ったのだが、もし、あのコラムの言う「仇討ちは当然の権利」があったからこそ、9.11のアメリカの暴走とそれに対する報復、そしてISISの台頭とテロ増加、今なお続く世界各地の紛争があるんじゃないかと思う。 それを一番感じるのは、この日本という国は太平洋戦争でアメリカに、それこそ非人道的なまでの破壊と殺戮を味わった。それこそ原爆や東京大空襲に代表される一般市民を攻撃対象にした一方的な大量虐殺があったわけで。それに対して日本人は敗戦後どうなったか。完全に牙を抜かれた腰抜けになった。絶対もう戦争はしませんとある意味チキンになった。他国の戦争には一切加担せず、相手国の顔色をうかがい、理不尽なまでの屈辱的な外交すら受け入れてきた。 だから、戦後70年、戦争がなく中東なども含めて親日国が増え、他国に尊敬され、ここまで復興してきたとは思わないだろうか? もちろん、そこには島国国家という独特の地理的条件とアメリカという巨大な国の後光があったし、歴史的タイミングもあったと思う。けど、結果として恥ずかしいほど律儀に自国の平和だけに執着した結果が戦後70年の子の国の歴史でもあるんじゃないか。対外、内戦問わず戦争というのは膨大なコストと国家の疲弊を生む。 もし、多くの肉親や家族を失った日本人が戦後、それこそテロ活動で国内でアメリカ軍相手に報復(仇討ち)を各地でゲリラ的に続けていたら?そういう国は第2次大戦後の世界各国には未だ残っている。それこそ復讐の連鎖を一度日本人は断ち切ったから今がある。 今回のコラムで感じたことは他人に対して「報復しろ!仇を討て!自国の尊厳をテロリストどもに見せつけてやれ!」とはやし立てる新聞がたしか9.11のアメリカの大手新聞の論調と全く同じであること。で、結果は今、その社説を書いたアメリカの新聞はまるで自分たちが最初から反対していたかのようなことを平気で書いている。 これは日本も戦前は戦争を最初に威勢よく煽ったのが政府より時の新聞だったこと似ている。経済的に不可能と及び腰だった政府の弱腰を大手新聞がさんざん叩いていたんだから。 それに産経新聞って当初後藤さんたちを自己責任論で無責任だと非難してなかったっけ?生前にメディア人としてテロや報復による悲劇を自分の言葉を通してちゃんと説明していたジャーナリストを、死んだ後に今更知りようのない後藤さんの死の直前の感情を勝手に代弁して今度は自分に都合のいい改憲のネタに使おうなんて、このコラム書いた人は死者の扱いがISIS並に冒涜してるだろ・・・
2015.02.08
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2月7日の産経新聞より いろいろ言いたいことがあるが、この小説の言葉が一番しっくりくるので。----------------------------- 銀河英雄伝説より人間の行為のなかで、何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。ヤン・ウェンリー----------------------------- あと勝手に「仇討ち正当化」にするな。肉親や近親、親しい人以外のほとんどの日本人にとっては今回の件はその経緯も含めて「仇を討つほど思いつめちゃいない」ってのが正直な感想だろう。(だから過剰なほど自己責任論が出ている訳だし)それを「仇討は当然のこと」って勝手に一般常識化するな。気持ちが悪い。
2015.02.07
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面白かった漫画のセリフ表現を海外のスタンダードに合わせるべきかどうか問題竹熊健太郎氏 『業界関係者が横書きに反対する理由』 日本漫画の海外普及について論議の内容とは別に「ピーマンは体にいいからみんな我慢して食べなさい、俺は嫌いだから食べないけど」のような人の意見を誰が聞くか?という話になっている気がしますw。 国内のマンガ売り上げがジリ貧だから海外に視野を広げよう、これはわかる。けど、そのコスト的リスクを漫画家に求めるのはなかなか厳しいと思う。日本の漫画で育ち、漫画の文法で自分の作品の良さを最大限生かしている漫画家に「これからは海外で売るために吹き出しの形や横書きのセリフなどで書いてください。なーに、縦書きを横書きにするだけですから簡単でしょ?」と頼むような。 別の意味でもグローバル化とは本当にいいことなのか?たとえば、世界の国々、文化によって規制の基準が全く違う。有名な例だとドラゴンボールの女性の入浴シーンが海外では水着になっていたり、宗教的理由で話がそっくりカットされていたり。世界には様々な禁忌があってそれを見越した作品を書くのが「グローバル化」だとしたら?それは漫画という極めて家内制手工業の作家性で作られている作品にとって牙を抜く行為になりかねず。 海外の子供たちにも日本の漫画は大人気。ということは、むしろ日本型のフォーマットを頭の柔らかいうちに覚えさせるチャンスでもあり。自分もそうでしたが、好きなもの、夢中になれることがあると人間の学習力、吸収力はすさまじいです。私の会社のアメリカ人さんも「日本語をアニメや漫画で覚えた」という人ですからw 別に国内市場だけで考える必要はないのは、今のほぼ異常に高度に発達したマンガ文化をその読み方も含めて普及させることの方が手っ取り早い気がする。
2015.02.07
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嫌な雰囲気として。 昼のラジオ「大竹まことのゴールデンラジオ」内で昨今「国のやることに異を唱えるとは、お前はテロを容認するのか、という論調が多くてなんだか怖い。どうしてそう極論で決めつけるのか」というのがあって。 たしかに私もそれを感じるときがある。世の中、すべてが明確な白黒の問題ではない。テロに反対することとマスコミの相手を冒涜する過激風刺表現に異を唱えることは両立する。しかし、それを認められない、あるいは一方的に悪いことにされるのは怖い。 たとえば9.11事件の後、アメリカでは「ブッシュ大統領のやり方に反対することを禁止する」という州法案が提出されたところがあった。当時のアメリカの世論がどれだけ狂っていたか、これを聞いただけでも、そして、その後の戦争であるとされていた大量破壊兵器が実はなかった、あるいは昨今CIAが公式に認めた、当時数多くの罪のない中東の人に対する凄惨な拷問の数々・・・これは今でこそ「なんてひどいことを」と言えますが、9.11のショックでアメリカ全土の怒りがそれを言わせない、あるいは正当化する雰囲気としてあの国を支配していたわけで。 日本でも今回の人質事件に対する怒りをそのまま勢いで振り回すととんでもないことになりかねない。テロ事件の痛ましさと政治政策の支持とは別であり、そこにいろんな意見があっても当然で、むしろ「国民が一丸となって」なんて事の方が思想統制だと思う。人がこれだけいる以上、全員同じ考えになる訳がない。 みんなが同じ考えを持て、そうじゃない奴は非国民で排除される、なんて思想は、それこそかの国と同じことであることを70年前に日本人は嫌というほど味わっているはずだし、その結果、日本史上類を見ない悲劇を生んだことをちゃんと歴史で習ったはずですが・・・
2015.02.06
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名古屋モスク:脅迫・嫌がらせ 「後藤さん人質」で相次ぐ やはりこういうことが実際に起きていて。これは日本だけじゃなく、特に先日テロのあったフランスではイスラム教施設に対しての破壊行為というテロが起きています。 ひでえなと思ったのは、某2ちゃん系まとめサイトのコメントで「こういうことをするのは在日」と、さらに根拠のない差別の別の温床をまき散らす輩がいること。当たり前だけどこういうことをするのは日本人の中でもごく一部。責任は馬鹿なことをやった一人の責任で「だから○○人は、○○教の奴らは」と考えるのはそういう野蛮な人間と同じ思考だと思った方がいい。差別的過激派が望んでいるのはまさにこの混乱であり。結局知識と冷静さ、そして相手に対する理解があれば、そういった一見、快刀乱麻で言いにくいことをズバズバ言う俺、カッコいい系のヘイトスピーチの薄っぺらさに気が付くし、怪しげな陰謀論に飛びついてわざわざ怒りの火種を増幅させることもない。あと「日本は昔から多宗教国家でどんな宗教も受け入れてきたから宗教による迫害や差別、それに伴う事件は起きない」というのは幻想。その証拠に20年前にあった地下鉄サリン事件を忘れている人があまりに多いと感じます。この国はつい近年、無差別テロの標的にあった経験がある国なんです。
2015.02.06
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報道するのがメディア側だから過剰に擁護&英雄扱いするのは当然だけど。 今回殺害された後藤さんって、「取材メディア人として」現地入りしたんじゃなくて、先に捕えられていたもう一人の解放交渉するための交渉人として行ってISISに捕まったんだよね? ってことはテレビや新聞報道で言っている内閣に対する批判はおかしくね?先に捕まった湯川さんも妙な経歴で、そっちを取り上げたら「なんでこの人、あんな危険な場所に行ったの?」と首をかしげるような。 なんだろ?私は今の政権は支持してないし、ISISが一方的におかしいと思うけど、今回の事件を「内閣に危機感がない」と批判するメディアやそういうことを言うのは死者を冒涜する云々の雰囲気はおかしいよなあ。
2015.02.05
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例の人質殺害事件に関してメディアが「こういう悲劇を2度と起こしてはいけない」「海外の邦人がテロに巻き込まれないよう国は対策を」といいつつ、すでに40人以上の日本のジャーナリストが外務省が渡航をやめるように言っているにもかかわらず現地に入っているという情報に、自己責任論を語ることができても実行できる人は少ない、という言葉を思い出した。 結局「自分はそんなことが起きない」と、自分も含め事件に巻き込まれないとリアリティーは感じないし、自己責任と言いつつ何かあったら自己の責任で何とかできる範囲を逸脱した行動をとった「後始末」を誰がするのか?という話でもあり。
2015.02.03
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結局、こういう頭の悪い人間がヘイトスピーチや民族差別を生み出すのだと思ったこと。 ラジオ「吉田輝美 飛べサルバトーレ」内 でイラン出身のサヘルローズさんという方がレギュラーでコーナーを持っているのですが、先日のトークで、彼女の舞台宛に一通の手紙が届く。中身は乱暴な文字で「お前たちイラン人はこの国から出ていけ」的な内容。 昨今のイスラム国テロ絡みの嫌がらせと思いますが。番組をずっと聞いている人ならわかりますけど、彼女はイスラム教徒ではあっても今回のテロに関してはずっと反対している。というか、以前から中東の文化や風俗といった日本人にはなかなかわかりにくいことをわかりやすく、親しみやすく解説する「文化の懸け橋」を番組内でしている、だからこそ、今回のテロで多くの無関係の日本国内のイスラム教徒が迫害を受けることに懸念を表明していたのですが。 テロリストの行動はイスラム教の教えから外れている。これは多くのイスラム教信者が言うとおり。しかし、それをわからない冒頭の頭の悪い連中が、単に「イラン人である」という理由だけで上のような文面を書いて相手を攻撃することを「正義」と思っている。この場合、どちらがイスラム国のテロリストと思考が近いか、などということは一目瞭然であり。 今回の件だけでなく、昨今起きている特定民族に対するヘイトスピーチも全く同じ構図で、結局相手に対する無理解、知識不足、そして、相手の文化を尊重しない人間がこういった差別の温床を作り、それを正義面して大声で叫んでいる。その刃の切れ味に酔って振り回し、多くの無関係な人間を傷つける。 日本人は多宗教国家でどんな宗教も広く受け入れる懐があるから宗教対立が起きない、という意見があったけど、実際は宗教対立が起きるほど相手のことを知らないだけの結果で。この場合、何か一つきっかけがあるとオセロの盤面が白から黒に一気にひっくり返るようにあっという間に世間の目が変わる国民性でもある。 これは宗教じゃないけど、たった一つの事件で「オタク」というものがそれまで無視されていた文化が一気に差別対象になった30年前のあの事件をリアルタイムで経験している人間ならわかる。 別にイスラム教に入信しろ、というのではなく、最低限の文化や歴史を知るだけで「なんだ、同じ人間なんだ」とわかる。そうすれば上の嫌がらせ文を書いた頭の悪い連中とは一線を画すことができる。知識とは理解のための材料であって、攻撃するための半端な情報じゃない。
2015.02.02
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まずこれを読んで「?」と思ったこと。部下が土日に「イラストレーターの副業」をしていた! どうやったら止めさせられるか なぜ「会社の業務中心でその人の人生を左右すること」に何の疑問も覚えていないことに戦慄します。これはこういったケースだけでなく、一般の企業でも、いや、働いている側一人一人にも覚えがあるのではないかと感じますが。 たとえば、何かに備えて休日も自宅待機、というケースがあります。会社から連絡があった場合、即、出社できるようにという。でも、この場合本来その分の給与が支払わなければ法律上はいけない。たとえ待機であったとしても、その人を一定時間業務に拘束するのと同じだから。でも、実際にちゃんと支払っている企業は少ない。 それと同じで、業務外の時間にプライベートで副業禁止している企業があるけど、その分の時給を残業代としてちゃんと支払っているか?といえば?サービス残業が当然になっている企業では副業を禁止される言われはない。社内の設備や業務で得た情報を使った副業禁止はわかるが、こういったイラストを描くことは関係ない。あくまで趣味の延長。たとえ副業で稼いだとしても税金に関わる届け出をきちんとしているなら会社に迷惑かけた、といわれる筋合いはなく。「副業禁止が暗黙の了解」って、明文化されていないのは上記の拘束料が払えないからだよね? 思うのはこの上司の意見って「今の会社第一主義、人生のすべてを会社にささげよ」なんですよ。そりゃ、あんたがそう思うのは勝手だけど、部下に押し付ける理由も資格もない。そもそも会社で給料を稼ぐというのは、あくまで「日々の生活を営むため」の手段。仕事に生きがいを感じない人間が悪い訳じゃない。時間拘束分の給料を支払った以上の拘束をうけるのは筋違い。サービス残業という言葉があるように、支払われていない報酬以上の働きを「社会人なら当然」と強要するのはどこまで都合がいいんだよ、という話。
2015.02.01
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