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Photo By NYbuffストリームライト正規輸入代理店株式会社ルミテック日本http://www.lumitech.co.jp/facebook - 懐中電灯ストリームライトのルミテック日本 Streamlight 4AA Propolymax Flashlight, Yellowストリームライト 4AA プロポリマックス 米国防爆モデル UL認証http://www.lumitech.co.jp/catalog/propolymer/index.html 明るさ:300 Lumen 17,000 CDP 重量:233 g 全長:178 mm 点灯時間:2.75 時間 本体材質:耐衝撃性ポリマー樹脂 色:イエロー 備考:防水 ヘッド径 49 mm 使用電池:単3形 アルカリ乾電池 4本使用 使用光源:リフレクター一体型スーパーLED 付属品:アルカリ乾電池 Youtube - Streamlight 4AA ProPolymax Flashlight Overview - FDIC Show 2013https://www.youtube.com/watch?v=EZA08R-AW-s Candle Power Forums.com - Streamlight 4AA Propolymaxhttp://www.candlepowerforums.com/vb/showthread.php?364434 facebook - Streamlight, Inc.
2015年03月31日
Photo By Robert Cross 1 (off and on) facebook - Victorinox Japan Victorinox Classic SD Blossoms Limited Edition 2014 0.6223.L1406ビクトリノックス・クラシック リミテッドエディション2014 ブロッサム 機能:7種類1.ブレード2.爪やすり3. _マイナスドライバー4.はさみ5.キーリング6.ピンセット7.ツースピック ビクトリノックス・ジャパンhttp://www.victorinox.com/jp
2015年03月30日
Photo By CC days 体充曰く、士〔さぶらい〕の孝行はいかが。 師の曰く、かりそめにも二心なく、わが身をすてて、君を愛敬する心をうしなわず、それぞれの職分をよくまもりつとめて、その長をうやまい、傍輩〔ぼうはい〕にたのもしく、いつわりなく、人あいやわらかに、ねんごろにして、たちふるまい、ことばつきいやしからず、心だて身もち義理にかない、簡要の礼法芸能などうとうとしからず、軍陳〔ぐんぢん〕にのぞむか、または君長の難にあう時は、樊噲〔はんかい〕をもあざむくほどの武勇をいだし、武功をたて、その禄〔ろく〕位をたもちて、祭祀をまもりぬるは、さぶらいの孝行が大がいなり。
2015年03月29日
Photo By kansaikate 体充曰く、卿太夫〔けいたいふ〕の孝行はいかが。 師の曰く、其の位の職分に愛敬の孝徳をあきらかにするが卿太夫の孝行なり。心をただしうし、身をおさめ、仮初〔かりそめ〕の行跡〔こうせき〕も人の手本となり、ことばひとつもあだならぬ様によくつつしみ、君のため、てんかのため、くにのためのみに思いいれ、我がわたくしのいとなみ、利害のはかりごとをば露ほども心にかけず、おさまりたる時は、天下国家あんおんのまつりごとをなし、みだるる時は大将となりて、軍兵〔ぐんひょう〕をさしつかい、軍法をよくこころえ、謀〔はかりごと〕をめぐらし、百戦百勝の功をたて、よく其のくらいをたもちて その宗廟をまもりぬるは、卿太夫の孝の大がいなり。
2015年03月29日
Photo By peaceful-jp-scenery 体充曰く、諸侯の孝行とは如何〔いかん〕。 師の曰く、愛敬の孝徳をその国にあきらかにするが諸侯の孝行なり。先身〔まず み〕もち心だてただしくして、すこしもおごることなく、そのおこない節にあたり、国持ちの作法をよくまもり、家老大臣をうやまい、もろもろの臣下を体にして、情〔なさけ〕ふかく、かりそめにも無礼をなさず、しんかの心だて器量をよく試みて、出頭、諸奉行の職をさずけ、しおきを淳〔すなお〕にして、百姓をあわれみ、なかんずく鰥寡孤独〔かんか こどく〕のたよりなきものをはごくみ、国中臣民のよろこぶこころをえて、国 とみさかえ、ながく社稷〔しゃしょく〕をたもちて その先君〔せんくん〕につかえぬるは、諸侯の孝行のたいがいなり。
2015年03月28日
Photo By tossan51 体充曰く、天子の孝行とはいかが。 師の曰く、愛敬の孝徳を天下に明らかにするを、天子の孝行とす。先みずから其の徳を明らかにして、万化〔ばんか〕の大本〔たいほん〕をたてさだめ、賢人を愛敬して宰相〔さいしょう〕となし、善人をあいけいして、器量にしたがいそれぞれの官職にさずけ、小国の臣下をもあなどりわすれず、礼楽刑政、学校のおしえ、いとただしく、天下、人ごとにその本心の孝徳をおこし、その利を利とし、そのたのしみをたのしむように、万民を愛敬すれば、四海のみなその徳教に化し、徳沢〔とく たく〕にうるおいて、家ごとに孝子〔こうし〕、国みな忠臣となり、天下一統おさまり、万国のよころぶ心を得て、その先王につかえ給うは、天子の孝の大概なり。
2015年03月28日
行蔵の逸話逸事は少なくない。 ある時、厳寒さ中に、一夜中水にひたっても堪え得るや試さんとして、水風呂に入ったが、さすがの行蔵も忍びかねて出てしまった。こんどは睾丸を真綿でつつんで試みたところが、滞りなくためしおおせたという。この我慢強い修業の経歴は、時にまた次のような事をさせた。 同じ長沼流の兵学の同門で、後天下に知られた清水赤城とは親交深く、ある年の厳冬の夜、相携えて両国橋の上を通行した際、赤城はふと思いついて、「寒中水泳はいかが」といい出した。行蔵はすかさず「戦争に季節なし。宜し。」と言下に裸体となってざんぶとばかり飛び込んだ。赤城もこれにつづき、二人は暫時泳いで陸にあがり衣服をつけたが、さすがに寒さに堪えず、行蔵が「一杯どうだ。」と誘うや、赤城すかさず、「戦場に酒屋あらずだ。」と復讐したので、二人はそのまま哄笑〔こうしょう〕して別れたという話もある。 寛政五年に、かれは選抜されて昌平黌〔しょうへいこう〕に入り、五年の修業を終えて、聖堂出役というものから、御譜請見習という勘定役に命ぜられたが、わずか数日で辞職し、そのまま小譜請入りとなった。これは懲罰的な役柄であった。下勘定所で、算盤はじきの有様を眺めた時のことを、 ……子龍此の有様を見て大いに仰天し、こはそも如何なる事ぞや。 潜(行蔵のこと)不敏なりといへども、夙に父母の厳命を蒙り、 明師につきて武藝を演習し、又諸家を叩きて韜略〔とうりゃく〕を講究し、 攻守闘戦の道に於て一點の疑ひなく、 神武の大道に帖立せしものゝかゝる所に至れること、 因果悪縁の致す所かとあきれはてたり。 しやつらが面目には尿〔いば〕りをもたれかくべく唾きをも吐きかくべき思ひ、 ふつふついやになり、身の毛も彌立つ程に、病に託して退仕せり。 と、後に著書の中に書いている。 よくよくいやであった事がうかがわれると共に、かれが、堕落しきっていた時流に敢然と抗して立ち上がった心持ちのほどもよくあらわれている。 六十一歳の年、還暦を祝として樂翁公から絹布の夜具一重ねを下さった。かれは一夜用いてあつくしまい、後再び出して短刀でこれを切り裂き、ことごとく刀袋にしてしまったので、これを伝え聞いた樂翁公は、不機嫌かと思いのほか、さもあるべしと頷かれ、改めて木綿の夜具を運ばせたところが、今度はそれを使用した。 六十七、八歳の頃中風にかかったので、板の上に寝る事だけはやめたが、それでも畳の上にごろ寝して蒲団をかけたのみであった。 知人某が、病を慰めんとして、行蔵自作自筆の詩を巻物に仕たてて見せ、何か希望はないかとたずねると、とてもの事に、これに樂翁公の御染筆がねがいたいといった。幸い、公の家臣でもあり行蔵の門下である青木某が、右の巻物をもって願い出でたところが、樂翁公は一覧してその出来のただならぬを賞され、次の歌を書きつけられた。 書きながすこの水莖に面影を うつして後の世にもつたへよ 文政十一年十二月十四日、眠るがごとく世を去った。行年七十歳、四谷愛住町永昌寺(今は東京都杉並区下高井戸一ノ六八に移転)に葬った。門弟並河鋭次郎という者が、のぞまれて養嗣子〔ようしし〕となったが、この人も行蔵の名を辱めぬ立派な剣者として世を終わった。 文化四年、ロシア艦我が北境を侵略した際には、憂憤やるかたなく、六月には「上執政相公閣下書」を、七月に「上北闕書」を上訴して、わずかにその鬱を遣った。それは、自ら市井の浮浪の徒を率いて外夷を撃退せんというのであって、後かれは人に語り、「あの時は、本当に松前へ出かけて行って夷人どもをやっつけようと上書したのだが、その時着用して行って、夷人どもの目を驚かそうと、甲冑に金箔をつけ、この指物を拵えておいた。」 といって、白地に朱書の隷書で、 皇和忠義平山子龍 と書いたものを示したという。 さらに話をつづけ、「松前へ討手を仰せつけられたならば、三百目筒に乱玉をこめ、立ち放ちにうって、その烟〔けむり〕の下から槍を入れ、毛唐のやつばらを微塵にしようと思ったのに、その事もなくて残念千万じゃ」 と語ったそうである。 行蔵は、泰平の世に生まれて畳の上で死に、その武もその錬達もついに施すの時のなかった事は、かれのために惜しむのだが、しかしその精神は永く生きていて日本を護った。
2015年03月27日
Photo By Akhenaton Lichterowicz "AkheL" 体充曰く、孝経〔こうきょう〕 発端の章に、余の人倫をば あげ給わで、中〔なかごろす〕二於 事〔つこうまつるに〕一レ君〔きみに〕 (※)と忠の一典〔いちでん〕を説きたまうは、いかなるゆえにて御座候や。 師の曰く、君夫〔くんふ〕は恩ひとしきものなり。父生〔しょうじ〕レ之〔これを〕、君〔きみ〕食〔やしなう〕レ之 (父は之を生じ、君は之を食う)と云いて、皆いのちをたもつ恩也。親は始〔はじめ〕なるゆえに、孝のこんぽんとす。恩ひとしきゆえに、中二於 事一レ君(君に事つるを中し)と第二にとき、孝徳、万事ばんぶつに感通する礼となして、兄弟夫婦朋友の道をそのうちにふくみかね給う。孝経の篇末〔へんまつ〕にひとり事君〔じくん〕の一義を発明し給うも此のこころ也。 ※孝経 開宗明義章 第一 夫孝始二於事一レ親、中二於事一レ親、終レ立二於身一 (夫れ孝は親〔しん〕に事つるに始まり、君に事つるに中し、身を立つるに終る。)
2015年03月26日
Photo By Fuyuki Kohyama "kaze photo" 体充曰く、孝行に五等の差別〔しゃべつ〕あるは いかなる故にて御座候や。 師の曰く、人間尊卑〔にんげん そんひ〕の位〔くらい〕に五だんあり。天子一等、諸侯一等、卿太夫〔けいたいふ〕一等、士一等、庶人一等、すべて五等也。てんしは天下をしろすめす御門〔みかど〕の御くらいなり。諸侯は国をおさむる大名のくらい也。卿太夫はてんし諸侯の下知〔げじ〕をうけて国天下のまつりごとをする位なり。士は卿太夫につきそいて政〔まつりごと〕の諸役をつとむる、さぶらいのくらい也。物作〔ものつくり〕を農〔のう〕といい、しょくにんを工〔こう〕と云い、あき人を商〔しょう〕と云う。この農工商の三はおしなべて庶人のくらいなり。孝徳は同一体なれども、位によって事に大小高下〔こうげ〕あるゆえに、そのくらいくらいの分際相応の道理を、後世凡夫のために分弁をときあらため給う。たとえば孝徳は大海のごとし、五等のくらいは器〔うつわもの〕のごとし。器にて水を汲むに、大小方円のもようはかわれども、水はおなじ水なるがごとし。むかし聖人の御代には、人間のくらい五等のほかはなきゆえに、五等の孝を発明し給う。
2015年03月26日
Photo By samantha Gillard & Kiba the Akita "bunnysmith2785" エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 17 不平等は衣服に存在するのではなく、 表現と行動の力に存在するとわたくしは断言する。 それは原始的な貴族主義である。 そしてわれわれは、ここで美服を来た卑俗性を描く段階に至っていないと確信する。 イギリスにおける貴族の称号が純粋な血統に対して与えられるのか、 三分利つきの公債の最大保有者に対して与えられるのか、わたくしは知らない。 イギリスの政府ならびに国民、あるいはフランス政府は容易にあやまちを犯すだろう。 しかし、「自然」は絶対にあやまちを犯さない。 自然の記号、標札はどれも体質的な素質を示す。 科学、貿易、社交、また国家においても、事実は同じである。 1ポンドの重量を揚げるには、永久に1ポンドの重量を必要とするのだ。 この「紳士」の観念に対する近代社会の尊敬、 この崇敬にたえず接木されてきた気まぐれで横暴な「流行」はみな、 各人のうちに当然やどる真実と愛とに対するひそかな賛辞であることはあきらかである。 これはガーゼやレース、花や飾りボタンの下に隠された鋼鉄のようなものである。 さらに、この偶像崇拝ではなくて真の礼拝、 人格に対するこの不純な崇敬でなくて純粋な崇敬、 個人の神聖さに対する新しい尊敬は、わが国における世論への恥辱的な恭順さ、 狂乱的に目的を手段に従属させる傾向を かならず矯正する解毒剤であることもあきらかである。 あまりに人と交わるばからしさから、 われわれは自己の崇敬と信頼という平穏な世界に戻らなければならないのだ。 この世の中における競技は、 人間と事件のあいだにおこなわれる力のたえ間ない試練である。 ふつうの人は事件の犠牲になるのだ。 すべてのできごとに堪えることができないで、 彼はあちこちに引きずられ、全生涯、あわてふためいて暮らしている。 すぐれた人は自分の心のなかで悠然としている。 われわれが冷静な人びとを好むのは、 彼らがあまり多くを望まず、恐れず、弓に多くの弦を用意して 万一の場合にそなえているかのようにみえるからである。 彼らは株式が上ろうが下ろうが、政党が分裂しようが、 持ち金や家族が分散されようが、その打撃に堪えて存続できる。 彼らはまた中傷されてもよく我慢できる。 実際、彼らは事件によってほとんど影響されず、 毅然と死に直面することができるのだ。 要するに、われわれは皮相的な人生や行為のしるしを嫌って、 中心点のある人生をあらわすものをすべて重んずるのである。 商業文明がこれほど勝利をおさめたところで、 われわれが救いがたいほど戦争を礼賛して ラッパや太鼓の音を完全に鎮めることができないのは、 どういう意味なのだろうか? 剣が鋤〈すき〉や車の輪からすべての名声をさらってしまうのは、 どうしたわけだろうか? 好戦的な古代のメロヴィンガ王朝、ゲルフ党、 ドリア人、スフォルザ人、バーガンディ人、ゲスクリン人などは、 歴史上なんと強壮な風貌にみえるだろう! われわれは、彼らはどれもこれもわれわれと同様にすぐ消える影として、 おこりや熱病、あるいは一滴の水や一片の氷にあたって最後をとげたとは、 まず信じられない。 今日でもわれわれは軍人に同様の有利な地位を与えている。 極度に蓄積された文化を去って、 われわれはたえず何かの種類の太鼓や横笛に走り戻っているのだ。 そして貿易、法廷、果樹園や農場はもちろん客間〈サロン〉においても、 軍人精神を身につけ、精力的にしかも機敏に 剣や大砲の型を設計する人びとだけが繁栄するか、 あるいは彼らがもっとも繁栄するのである。それはなぜだろう? 勇気はまだその高価な代償を失わず、目的のためにまず命を危険にさらして、 自分の行為の責任をとるために命を投げ出すことを苦にしないとき、 人生はもっとも豊かに飾られて魅力があるとおもう人びとを、 われわれが見たがるためであるにほかならない。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.231 ~ 233 ) I affirm that inequalities exist, not in costume, but in the powers of expression and action; a primitive aristocracy; and that we, certainly, have not come here to describe well-dressed vulgarity. I cannot tell how English titles are bestowed, whether on pure blood, or on the largest holder in the three-per-cents. The English government and people, or the French government may easily make mistakes; but Nature makes none. Every mark and scutcheon of hers indicates constitutional qualities. In science, in trade, in social discourse, as in the state, it is the same thing. Forever and ever it takes a pound to lift a pound. It is plain that all the deference of modern society to this idea of the Gentleman, and all the whimsical tyranny of Fashion which has continued to engraft itself on this reverence, is a secret homage to reality and love which ought to reside in every man. This is the steel that is hid under gauze and lace, under flowers and spangles. And it is plain that instead of this idolatry, a worship; instead of this impure, a pure reverence for character, a new respect for the sacredness of the individual man, is that antidote which must correct in our country the disgraceful deference to public opinion, and the insane subordination of the end to the means. From the folly of too much association we must come back to the repose of self-reverence and trust. The game of the world is a perpetual trial of strength between man and events. The common man is the victim of events. Whatever happens is too much for him, he is drawn this way and that way, and his whole life is a hurry. The superior man is at home in his own mind. We like cool people, who neither hope nor fear too much, but seem to have many strings to their bow, and can survive the blow well enough if stock should rise or fall, if parties should be broken up, if their money or their family should be dispersed; who can stand a slander very well; indeed on whom events make little or no impression, and who can face death with firmness. In short, we dislike every mark of a superficial life and action, and prize whatever mark of a central life. What is the meaning of this invincible respect for war, here in the triumphs of our commercial civilization, that we can never quite smother the trumpet and the drum? How is it that the sword runs away with all the fame from the spade and the wheel? How sturdy seem to us in the history, those Merovingians, Guelphs, Dorias, Sforzas, Burgundies and Guesclins of the old warlike ages! We can hardly believe they were all such speedy shadows as we; that an ague or fever, a drop of water or a crystal of ice ended them. We give soldiers the same advantage to-day. From the most accumulated culture we are always running back to the s ound of any drum and fife. And in any trade, or in law-courts, in orchard and farm, and even in saloons, they only prosper or they prosper best who have a military mind, who engineer in sword and cannon style, with energy and sharpness. Why, but because courage never loses its high price? Why, but because we wish to see those to whom existence is most adorned and attractive, foremost to peril it for their object, and ready to answer for their actions with their life. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年03月25日
Photo By Brian Imagawa "rocketdogphoto"ストリームライト正規輸入代理店株式会社ルミテック日本http://www.lumitech.co.jp/facebook - 懐中電灯ストリームライトのルミテック日本 Streamlight Strion HPLストリームライト ストリオンHPLhttp://www.lumitech.co.jp/catalog/strion/index.html 明るさ:(高) 40,000 CDP 615 Lumen (中) 20,000 CDP 160 Lumen (低) 3,300 CDP 55 Lumen 重量:202 g 全長:178 mm 点灯時間:(高) 1時間 (中) 2時間 (低) 3時間45分 本体材質:航空機グレードアルミ合金 色:ブラック 備考:ヘッド径 56 mm 使用電池:専用リチウムイオン電池 使用光源:C4テクノロジースーパーLED 付属品:・急速充電セット バッテリー チャージホルダー AC100Vアダプター ・ライト単体 バッテリー Youtube - Streamlight Stinger HPL and Strion HPL Previewhttps://www.youtube.com/watch?v=PRGy2pPlcGs SHOT Show Product Spotlight - Streamlight - 2015 SHOT Showhttps://www.youtube.com/watch?v=0mMbPSludl4 facebook - Streamlight, Inc.
2015年03月24日
Photo By Hilde Heyvaert "House Of Secrets Incorporated" facebook - Victorinox Japan Victorinox Classic SD Limited Edition 2014 ClockWork 0.6223.L1402ビクトリノックス・クラシック リミテッドエディション2014 クロックワーク 機能:7種類I.ブレードII.爪やすりIII. _マイナスドライバーIV.はさみV.キーリングVI.ピンセットVII.ツースピック ビクトリノックス・ジャパンhttp://www.victorinox.com/jp
2015年03月23日
Photo By Sergii "Wolfhowl" facebook - Nuclear Genocide
2015年03月22日
Photo By JamesWired デッド・レーン(デス・シャトル) 監督:エドワード・アンダーソン 出演:ペイトン・リスト キャメロン・グッドマン カレン・ダグラス他 発売元:株式会社トランスワールドアソシエイツ 株式会社ラインコミュニケーションズ http://books.rakuten.co.jp/rb/5946312/ メーカー取り寄せ ※画像はヨーロッパ版ジャケット Si vis pacem, para bellum ~ "デッド・レーン(デス・シャトル)” 1 和光大学の岸田秀 名誉教授が著書の中で「学校は子供の収容施設である」と書かれていたことがあって、まったくさもありなん、と考えていた時期が長くあった。このようなことを思い出したのは今日、たいらんさんのブログ記事「逃げるが勝ち」 (http://plaza.rakuten.co.jp/tairanroad/diary/201503210001/)を拝読したからである。 自分など小学校時代には、上級生たちからだけではなく、ガチガチの左翼、秋山という担任職員(男)から狙い撃ちされた。自分の祖父が生前に同校で教頭を務めていたこともかなり気に入らなかった様子だ。件〔くだん〕の教員、左翼だから社会科(歴史)の授業内容も偏向していた上に、授業中わざわざ恥をかかせるように仕組んだり、罠を仕掛けることも一度や二度ではなかった。…たかが小学生相手に。自分はこの教員から授業で習った(とされる)ことを何ひとつ覚えていないのである。唯一頭にこびり付いているのは「浅野内匠頭はバカだ」という呟きだけである。つまるところ、自分の学校教育の過程は、ひたすら家と学校を往復したという「運動」でしかなかったのだ。まさしく「逃げるが勝ち」、学校へ行くべきではなかった。こんなもの、実質的に学歴と呼ぶにはお粗末すぎる。自分の恩師は武道の師範と、在野史学の先生(故人)だけで十分である。 横溝正史氏が驚愕しただけあって我が郷里の特殊性はまったく壮絶なもので、ハイスクールを卒業した志の高い人らは、次の朝バッグを抱えて出て行く(※)。…もしも、学生時代の自分に何か伝言することができるのであれば、「学校へ通っても同級生の性格の悪さが伝染するだけだから無理をして行かなくてよい、 小遣いを貯めてアウトドア用品を買い集めて、 学校へ行く振りして山へ隠れて本を読め。 同じ場所に居着いていると痕跡が残って目ざとい地元民に感づかれるから、 居場所は毎日変えよ、動植物に精通しろ。星で方位を読めるようにしておけ。云々」と、読むべき書籍をリストアップして送信したいぐらいだ。 現在、不登校問題で悩んでいる方々には、金子修介監督作・映画『毎日が夏休み』(1994) もひとつの示唆になるかもしれない。社会人とて同じこと、人を殺したり殺されたり、犯罪行為に関わったり、人格が破壊されて犬猫、家族や知人に危害を加えるぐらいなら、闇雲に動きまわるよりも万難を排して一旦停止しなくてはならぬ。残念ながら、現代社会は他人を陥れる罠だらけなのだ。 (本稿続く) ※ 浜田省吾 作詞作曲 「MONEY」より引用 https://www.youtube.com/results?search_query=shogo+hamada+money
2015年03月21日
行蔵が心服した人が一人、心から感じた事が一つある。それは、時の宰相樂翁公松平定信の人物と、薩摩の示現流剣法とである。 当時、世間のほとんど全部といってよいくらいにかれを半狂人扱いした中に、樂翁公のみは、かれの真意を見抜いて激励し、心からかれに同情したからであり、 一つは己れのたてた武術に最も似通ったものが示現流の精神であったからである。 その事は、自著『鈴林扈言』に大略次のごとく述べているのでもわかる。 ……古松軒(姓は古川、地理学者)が、ある時六十六部に身をやつして 薩州に入り込んだ時、ある一家で、かけ聲をして木刀の音のするのを聞き、 茶を乞うて喫しながらしばらくながめ廻して居ると、 その先生と見えた人が、 「六部は武藝がすきそうだが何をつかったのか。」 と、たずねたので、小松軒は、 「若い時鞍馬流をつかったが、気合いのおさめ方、などという事があって、 甚〔はなは〕だむづかしかった。 ところで、そなたの御流儀は何と申されるか。」 と、反問した。すると先生は、 「だた御流儀とばかりで別に名はない。また気合いの心持ちということもない。 ただ大音聲をあげて刀を打ち込み、敵軍にかかってゆく勇気を引き興すだけの事だ。」 と、簡単に答えたというが、そこの意味がはなはだ面白い。武藝の根本はここにあって、ここが出来なければ、いかほど手練ができても魂がないから、芝居狂言のごときもので、事に及んで狼狽するばかり、これを、武藝の習いだおれというのである。云々。 行蔵の兵原草廬〔へいげん そうろ〕を描いた二つある。一はその門弟森四郎という者の手記と、一は江戸の学者山崎美成の訪問記とである。 前者の意訳略記すれば、 ……式台には鎧数領、鉄砲十挺程かざり、式台を上って通った稽古場には、 坊主畳三十畳敷で、それから居間へと通るのであるが、ここは十畳敷で、 座の後方には刀架があり、六尺余の大刀に脇差を添え、 左右には、数十の箱に入れた和漢の書籍が置かれ、 具足櫃二、負荷一、数十本の槍がかけられ、床には巻物掛物数々ある。 ……板戸には、武蔵野に髑髏〔どくろ〕を描いた書があり、 それには自筆で、 志士不忘在溝壑、勇士不忘失其頭、 と書いてある。 ……押入れには四斗樽一本を据え、それを時々栓口から出し、冷酒で飲用する。 次の稽古場には、居台付き大筒三つ、四百目位の抱え砲二つ、 二、三十目筒五挺、射込桶があり、鉄棒二挺、長刀、大鑓、木刀しなえ その他数々の武器が押入棚にあって、実に目を驚かすばかりである。 稽古場はあまり破損していないが、居間は甚だいたみがあってきたない。 庭前には草が茫々と茂っている。 山崎美成の随筆を略記すれば、 ……入り口の木戸を入ると玄関のわきには芭蕉が茂って、 羽目には蔦が這いまつわっている。 玄関には、行蔵自筆の「鞱略書院」と認めた額が掲げられ、 掛け札には「他流試合勝手次第、飛道具其外矢玉にても不苦」と記してある。 玄関の次はすぐに稽古場、その次が居間で、 子龍は木綿の袷〔あわせ〕の上に陣羽織を着て机に対していた。 梅漬や漬大根を肴に、冷酒を出し、激談がはずむ。 四辺を見ると、庭の草は縁より高く生い茂っている。 稽古場には、車に乗せた一貫目筒が一挺、 三百目、四百目、百目、五十目、三十目筒が七挺ある。云々。 ……六十一の賀に拵えたという五尺ばかりの角鍔の刀を出して示し、 また關の兼永の作刀一を示す。 中心〔なかご〕には、「馬場美濃」とあり。 裏には、「長蛇三尺之義心、勢如巻風砂」の十二文字を金象眼にてあらわしている。 鉄杖を出し、 「年が寄って今では少々重い。」 と云ったその銘字は、「嗚呼棒根、勢如長蛇、天魔盡殺」とある。云々。
2015年03月20日
Photo By lemonhats 体充曰く、今までは おやをよくやしなうをのみ孝行なりと存候。あまねく世俗さように心得たるとみえたり。いま先生のおしえをうけ給わり候えば、孝といえるものは、外もなく内もなき無上の妙理なり。まもりおこなうべき術〔じゅつ〕をくわしく承〔うけたまわ〕りたく候。 師の曰く、元来孝は太虚をもって全体として、万劫〔まんごう〕おえても始なし。孝のなき時なく、孝のなきものなし。全孝図には、太虚を孝の体現となして、てんちばんぶつを そのうちの萌芽とせり。かくのごとく広大無辺なる至徳〔しいとく〕なれば、万事万物のうちに孝の道理そなわらざるはなし。就中〔なかんずく〕人は天地の徳、万物〔ばんもつ〕の霊なるゆえに、人の心と身の実体みなそなわりたるにより、身をたて道をおこなうをもって功夫〔くふう〕の要例とす。身をはなれて孝なく、孝をはなれて身なきゆえに、身をたてみちをおこなうが孝行の綱領〔こうれい〕なり。おやによくつかうるも、即ち身をたて道をおこなう一事なり。身をたつると云うは、我が身はがんらい父母にうけたまわるものなれば、わが身を父母の身と思いさだめて、かりそめにも不義無道をおこなわず、ふぼの身をわが身とおもいさだめて、いかにも大切に愛敬して、物我〔もつが〕のへだてなき、大通一貫〔だいづういっかん〕の身をたつる也。さて元来をよくおしきわめてみれば、わが身は父母にうけ、父母の身は天地にうけ、てんちは太虚にうけたるものなれば、本来わが身は太虚神明の分身変化なるゆえに、太虚神明のほんたいをあきらかにしてうしなわざるを、身をたつると云う也。太虚神明のほんたいをあきらめ、たてたる身をもって人倫にまじわり万事に応ずるを、道をおこなうという。かくのごとく身をたて道をおこなうを孝行の綱領とす。親には愛敬の誠をつくし、君には忠をつくし、兄には悌をおこない、弟には恵をほどこし、朋友には信にとどまり、妻には義をほどこし、夫には順をまもり、かりそめにもいつわりをいわず、すこしの事も不義を働かず、視聴言動〔していげんどう〕みな道にあたるを、孝行の条目〔ぢょうもく〕とする也。しかるゆえに、一たび手をあげ、一たびあしをはこぶにも、孝行の道理あり。人間千々〔にんげんちぢ〕よろずのまよい、みな私〔わたくし〕よりおこれり。わたくしは、我が身をわが物と思うよりおこれり。孝はその私をやぶりすつる主人公なるゆえに、孝徳の本然をさとり得ざるときは、博学多才なりとも真実の儒者にあらず。まして愚不肖は禽獣にちかき人なるべし。
2015年03月19日
Photo By Turnertower エマソン選集4 個人と社会 原島善衛 訳 日本教文社 発行 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 16 「自然」に存在する貴族主義は、おそるべき力をもつ。 まず、現実と直面しても挫折しない真実の人びとがいる。 そのはるか下に位するのは、趣味の人 __彼らは善良で公正なものとの関係、その風評や影響のもとに生活し、 それによって迎えられ皮相的に触れられるだけで、それらの影に魅せられている。 このまたはるか下位に、下品で無思慮な動物的な人間がいる。 混沌界の波である彼らは、踊り手や下僕の組織にまで及んでいる。 わたくしは、もろもろの素質の世襲的伝承を支持する消えがたい偏見を、 人びとのうちに観察する。 自然は一見気まぐれであると彼らに念を押してもむだである。 自然はある種類の素質を注意ぶかく固定し、伝承する。 しかし、他の種類の素質、微妙な素質を永久化するのは あまりに高価であるとおもうのか、 自然は個人の息とともにそれを発散させてしまう。 しかしわたくしは、このような素質を各個人に再三塗りつけて、 やがて自然がそれを採り入れて磁器にするための焼きを入れれば、 どの血筋においても固定し永久化するであろうと気づいている。 とにかくわたくしは、人びとの心にあるこの消えがたい信念は、 外界の宇宙が日々うつり変わりのはげしい浅浮彫りのなかに、 できるだけ多くの美徳と優秀性を象眼して、不朽の絵画に固めようという、 人間に対する暗示から来ていると解釈する。 もし、人格と風習の美について万人がいだく関心を考察し、 この美は人格の完成に緊要な忠誠と崇敬とを鼓吹するから、 想像と愛情にとっても絶対に重要であると仮定する。 そうだ、もし優秀で完成された人としての成果が 教養、法律、長子相続法、紋章、金などによって確保できるとすれば、 もろもろの手段はすでに講ぜられ、 苦痛に遭遇したというのが、全人類の関心事だろう。 どのような課税、譲歩、どんなに大きな特権の賦与も、高すぎる代価ではないだろう。 あのフランス革命は、ヨーロッパにおける寛容、美徳、希望、詩のすべてを その運動の第一段階に引きつけた。 王権と貴族の廃止により、専制、不平等、貧困は終局するだろう、と観測されたのだ。 だが、そうはいかなかった! 専制、不平等、貧困はあいかわらず頑固であり、凶暴であった。 同様にわれわれは民主主義に、 普通選挙の実施という極端にまで推進された共和制の原理に、 また多数の意志に信念を置く。 若い冒険家は、社会の関係や階級上の地位に倦怠と怒りとを感じて、 著名なものを襲撃する悪意にみちた各党派に身を投ずる。 彼はいつかの日に、著名なものを除去するのは不可能であり、 それは、事物の本性における差別であることを知るだろう。 政党の幹部会、新聞、議会、暴徒、断頭台、火事、あるいはこれらを総合しても、 個人の優秀性からくる腹立たしさと自負心は皮相的なのではなくて、 相手の本性がもつ真の特色に基礎を置くのだ。 彼に置ける優秀性はわたくしにおける劣等性であり、 かりにこの特定の相手が海綿によって自然から拭い去られるとすれば、 わたくしの劣等性は毎日、どこにいても、 ほかの人びとがいるためにやはりきわ立ってみえるだろう。 いや、もっと頑固な功利主義者でも、もし自愛の心があるとすれば、 何らかの意味での貴族主義の価値を疑問視しないだろう。というのは、 宇宙が人に提供する最高の善は最高の社会であるとだれも告白するから。 かりに少数の偉大な性格がわれわれのまえに現われて、 われわれと彼らのあいだに義務と職務を織りなすとすれば、 われわれのパンは美味となるだろう。 (『エマソン選集4 個人と社会』「貴族主義について」P.229 ~ 231 ) The terrible aristocracy that is in Nature. Real people dwelling with the real, face to face, undaunted: then, far down, people of taste, people dwelling in a relation, or rumor, or influence of good and fair, entertained by it, superficially touched, yet charmed by these shadows: —and, far below these, gross and thoughtless, the animal man, billows of chaos, down to the dancing and menial organizations. I observe the inextinguishable prejudice men have in favor of a hereditary transmission of qualities. It is in vain to remind them that Nature appears capricious. Some qualities she carefully fixes and transmits, but some, and those the finer, she exhales with the breath of the individual, as too costly to perpetuate. But I notice also that they may become fixed and permanent in any stock, by painting and repainting them on every individual, until at last Nature adopts them and bakes them into her porcelain. At all events I take this inextinguishable persuasion in men’s minds as a hint from the outward universe to man to inlay as many virtues and superiorities as he can into this swift fresco of the day, which is hardening to an immortal picture. If one thinks of the interest which all men have in beauty of character and manners; that it is of the last importance to the imagination and affection, inspiring as it does that loyalty and worship so essential to the finish of character, —certainly, if culture, if laws, if primogeniture, if heraldry, if money could secure such a result as superior and finished men, it would be the interest of all mankind to see that the steps were taken, the pains incurred. No taxation, no concession, no conferring of privileges never so exalted would be a price too large. The old French Revolution attracted to its first movement all the liberality, virtue, hope and poetry in Europe. By the abolition of kingship and aristocracy, tyranny, inequality and poverty would end. Alas! no; tyranny, inequality, poverty, stood as fast and fierce as ever. We likewise put faith in Democracy; in the Republican principle carried out to the extremes of practice in universal suffrage, in the will of majorities. The young adventurer finds that the relations of society, the position of classes, irk and sting him, and he lends himself to each malignant party that assails what is eminent. He will one day know that this is not removable, but a distinction in the nature of things; that neither the caucus, nor the newspaper, nor the Congress, nor the mob, nor the guillotine, nor fire, nor all together, can avail to outlaw, cut out, burn or destroy the offence of superiority in persons. The manners, the pretension, which annoy me so much, are not superficial, but built on a real distinction in the nature of my companion. The superiority in him is inferiority in me, and if this particular companion were wiped by a sponge out of Nature, my inferiority would still be made evident to me by other persons everywhere and every day. No, not the hardest utilitarian will question the value of an aristocracy if he love himself. For every man confesses that the highest good which the universe proposes to him is the highest society. If a few grand natures should come to us and weave duties and offices between us and them, it would make our bread ambrosial. Aristocracy by Ralph Waldo Emerson from The Complete Works. Boston: Houghton, Mifflin, 1904
2015年03月18日
Photo By u_sperlingストリームライト正規輸入代理店株式会社ルミテック日本http://www.lumitech.co.jp/facebook - 懐中電灯ストリームライトのルミテック日本 Streamlight Knucklehead Spotストリームライト ナックルヘッド スポットhttp://www.lumitech.co.jp/catalog/survivor/ Knucklehead®(Spot Model) Div. 2 Rechargeable Worklight.pdfhttp://www.streamlight.com/static/document/info_sheet_with_part_numbers/knucklehead-spot_sup.pdf 明るさ:(高) 11,000 CDP 180 Lumen (低) 3,300 CDP 55 Lumen 重量:655 g (充電池) 519 g (乾電池) 全長:234 mm 点灯時間:・C4スーパーLED (高) 3.5時間 (低) 16時間 (微光) 20日間 点滅(100%) 30時間 本体材質:スーパータフナイロン樹脂 色:オレンジ 備考:ヘッド径 50 mm × 70 mm 使用電池:専用ニッカド電池 単3形アルカリ乾電池 4本使用 使用光源:超高輝度スーパーLED 付属品:・標準セット バッテリー チャージホルダー AC100Vアダプター DC12Vシガレットライターコード ・ライト単体 バッテリー ・乾電池モデル 単3形アルカリ乾電池 4本 ※米国防爆(USTC認証)モデル Youtube - Streamlight Knucklehead Spot right angle lighthttps://www.youtube.com/watch?v=BggFZJObFj8 Фонарь Streamlight Knucklehead Spot Orangehttps://www.youtube.com/watch?v=h_9xKNnkAPQ Candle Power Forums.com -Streamlight Knucklehead Spot Review (rechargeable / 4 AA)http://www.candlepowerforums.com/vb/showthread.php?348859Flashlight University.com - Streamlight Knucklehead Reviewhttp://www.flashlightuniversity.com/special-feature-the-streamlight-knucklehead-review/ facebook - Streamlight, Inc.
2015年03月17日
Photo By EMS Flight Crew facebook - Victorinox Japan Victorinox SwissCard Doctor-Heli JDH-07107ビクトリノックス・スイスカード ドクターヘリ http://www.victorinox.com/jp/category/.../100/1031&m=add& 機能:10種類 1. レターオープナー2. はさみ3. ピン4. つめやすり5. マイナスドライバー 3mm6. ピンセット7. ツースピック(毛抜き)8. ボールペン9. スケール (mm)10. スケール (inch)ビクトリノックス・ジャパンhttp://www.victorinox.com/jp
2015年03月16日
Photo By TheGiantVermin Si vis pacem, para bellum ~ 史料 I ナイフマガジン 1999年10月 ~ 2008年 8月号 No.78 1999年10月号 [特集]世界初取材!最強ナイフ、エマーソンのすべて No.79 1999年12月号 ストライダー No.80 2000年02月号 M.O.D. CQDディター No,81 2000年04月号 [特集]ストライダー徹底フィールドテスト No.82 2000年06月号 ショットショー2000 No.83 2000年08月号 スティーヴ・ライアン No.84 2000年10月号 ウォレン・トーマス、ストライダー No.85 2000年12月号 ストライダー マントラックナイフ No.86 2001年02月号 ラスィ・ザボ No.87 2001年04月号 ショットショー2001 No.88 2001年06月号 放たれた狂犬、マッドドッグ ストライダー No.89 2001年08月号 スティーヴ・ライアン No.90 2001年10月号 アトランタブレイドショー SWATとストライダー No.91 2001年12月号 M.O.D.マスターズオヴディフェンス No.92 2002年02月号 最強最後のナイフ、ナイツ登場! No.93 2002年04月号 ウォレン・トーマス ナイツ"シルバーナイト No.94 2002年06月号 ショットショウ2002 ガーバーマーII 35周年記念モデル No.95 2002年08月号 ストライダー「D-9」&ニューモデル No.96 2002年10月号 根本朋之 2002アトランタブレイドショウ No.97 2002年12月号 エマーソン"カランビット" ナイツ"ブラックナイト" No.98 2003年02月号 スティーヴ・ターラーニ カランビット No.99 2003年04月号 No.100 2003年06月号 ショットショウ2003 No.101 2003年08月号 話題作“トラッカー”とトップスナイフ No.102 2003年10月号 アトランタ・ブレイドショウ マークワークス No.103 2003年12月号 ウォリィ・ヘイズ ウォレン・トーマス No.104 2004年02月号 No.105 2004年04月号 No.106 2004年06月号 No.107 2004年08月号 エッジ・オブ・タクティクス No.108 2004年10月号 2004アトランタ・ブレイドショウ No.109 2004年12月号 ウォレン・トーマス※鎧通し No.110 2005年02月号 No.111 2005年04月号 No.112 2005年06月号 根本朋之 No.113 2005年08月号 No.114 2005年10月号 No.115 2005年12月号 No.116 2006年02月号 No.117 2006年04月号 マイク・エイジャックス グレイマン・ナイフ No.118 2006年06月号 No.119 2006年08月号 No.120 2006年10月号 アトランタ・ブレイドショウ2006 No.121 2006年12月号 ラブレス・ファイター No.122 2007年02月号 No.123 2007年04月号 No.124 2007年06月号 No.125 2007年08月号 no.126 2007年10月号 シュアファイヤ・ナイフ No.127 2007年12月号 No.128 2008年02月号 No.129 2008年04月号 No.130 2008年06月号 デロ・ボゥキィとストライダー No.131 2008年08月号 鬼才”スティーヴ・ライアン
2015年03月15日
Photo By the.redhead.and.the.wolf ブラインドネス スペシャル・エディション 監督:フェルナンド・メイレレス 出演:ジュリアン・ムーア マーク・ラファロ アリーシー・ブラガ 他 発売元:アスミック・エースエンタテインメント株式会社 http://books.rakuten.co.jp/rb/5946312/ Si vis pacem, para bellum ~ "ブラインドネス” 次回刃物規制のかわし方(2014年01月08日 掲載分からの派生記事) DVDで映画『ブラインドネス』を見た。伝染病で視力を失った人びとが隔離施設に収容され、彼らの様子が延々と描かれる。自分は本編開始後 40分で挫折した。そういえば、こういう光景を以前見たような既視感がある。ブログを遡ってみると 2008年04月10日掲載分( 最終更新日時 2008年04月11日 07時30分48秒 ) に残っていた。 金銭的利益追求や売名行為のみに奔走し、 まっとうな道具の使い方を伝えもせず、 買い手に対する敬意すらも欠いてきた日本のナイフメーカーや一部販売店が 従来のやり方をあくまで貫き通すのであるなら、 今後、国内でナイフを取り巻く状況がよい方向へ展開する可能性は皆無である。 ・・そろそろ、ナイフに関わるのはやめようと思う。 (※)最近は、コレクション用と言って体裁を繕っているそうだが、 こういう行為を「後知恵」、あるいは「後の祭り」という。 同(2008)年 6月 8日に秋葉原無差別連続殺傷事件が起きる 2ヶ月前だ。この記事を書いた発端は 同年 3月の土浦連続殺傷事件であったが、いずれにしても、ナイフ業者たちがまったく対策を取らなかったのは事実である。今年 2月中旬辺りからナイフを悪用した事件が頻繁に報道されており、2008年と同じく、大事件が起きる"場"が形成されつつあるように思われる。再度銃刀法改正が行なわれるかもしれない。ナイフについて確固たる持論を持ち、あらゆる困難に対処できる自信があるナイフ・ユーザー、コレクターは別にして、ナイフ初心者の人やそれほど詳しくない人は、異常に高価な(…たとえば販売価格が数万円を越す)ナイフや、銃刀法で違法すれすれの形状、いかにもまがまがしい武器のような外観のもの、あるいは飛び出し式に酷似した特殊構造の商品を決して購入すべきではない。スイス製ツールナイフかオピネルあたりを買ったら、長居せずに早々に立ち去られよ、と繰り返し書いておく。
2015年03月14日
さて、いずれの記録にも、剣人伝につきものの立合い仕合いの一節が欠けている。それかあらぬか、ある書には、「子龍の武藝はこけおどかしで、未だ曾て敵と仕合ひたるを聞かず。さればにや、當流に仕合ということなし、と逃げを張るはさもあるべし。云々。」などと記している。 私はこの好漢のために、勝敗はあえて問わぬから、真にせまった立合い記録を求めたいとねがったところが、幸いに入手する事ができた。 これは私ばかりでなく、平山行蔵を尊敬するほどの者の等しく感ずるところであろう。 雲州松江藩士信太英著『淞北夜譚』の一章にあるが、原文は漢文であるから、ここに意訳して揚げる。 出雲藩不傳流居合の達人、上川權左衞門という者が、かつて江戸勤番の折柄〔おりから〕、平山行蔵の名を聞いて往いて訪〔と〕うた。 權左衞門が美服を着用しているのをのぞき見て、行蔵は高らかに、「主人は不在じゃ、帰らっしゃい。」 といった。權左衞門は致し方なく、「然らばまた御訪ね申す。」と、そのまま立ち帰り、数日後同じく美服を飾って案内を乞うた。 そこで行蔵ひそかに思うは、わけに面会せんとするほどの者で、わが人なりを知らぬものはあるまい。然るに、ことさら自ら美服を飾るというには、何か仔細があろう。 あるいは、このわれを試〔こころ〕みるのかも知れぬ、というので、請じ入れて対面した。 話題は直ちに剣法へ移り、權左衞門の説くところはなはだ高く、行蔵これを奇として一手合わせを乞うた。 そこで二人は道場に現われ、門生環視のうちに、木刀大小長短数本を出して選びとらしめたところが、權左衞門は、二尺そこそこの小刀を執ってこれを帯したのに、行蔵は五尺余の長刀をとり、互いに場に登り一礼して構え合った。 行蔵は双手に取って大上段にふりかぶる。權左衞門は片手に柄を握って自若たり。行蔵、大喝一声跳躍し来たって權左衞門の頭上をうつや、たちまち身をかわしてそれを左に受け流し、不傳流猿猴水月の勢いで飛びちがったので、行蔵の木刀、これがために流転〔るてん〕し、余力でしたたかに床上を打ち、かつ前のめりに仆〔たお〕れかかった。 權左衞門は、直ちにその刀を後ろから行蔵の首根に擬して、 「いかに。」 という。行蔵は笑って、 「慚愧〔ざんき〕々々。」と座に戻った。 しかし、この闘いで權左衞門の刀尖五、六寸が折られていたので、あとにそれと気がつき、 「拙者輩の遠く及ぶところに非ず。非凡の技、御見上げ申した。」 と、推称した。 これがその話しである。 出雲藩士が、同じ出雲藩士の武を記したものであるのだから、多少の依子は依怙〔いこ〕はまぬがれぬところで、反対に行蔵側の者たちに書かせたら、この勝負行蔵の勝ちという事にしたかもしれない。
2015年03月13日
Photo By kinue&ron 体充曰く、さようのたからは まことにまほしき事にて御座候えども、あまりに広大なる道なれば、われわれが分〔ぶん〕にては およびがたくおぼえ候。 師の曰く、それはあしき心得也。広大なるゆえに我人〔われ ひと〕のおよぶことにて候。たとえば日月〔じつげつ〕のひかりは 広大なるによって、目あるほどのもの あまねくもちい得〔う〕るがごとし。このたからも広大なるがゆえに、貴賤男女〔きせん なんにょ〕をえらばず、おさなきも老〔おい〕たるも、本心のあるほどの人には あまねくまもりおこなうみちなり。このたからは、天にありては てんの道となり、地にありては地のみちとなり、人にありては人の道となるもの也。元来名はなけれども、衆生〔しゅじょう〕におしえしめさんために、むかしの聖人、その光景をかたどりて孝となづけ給う。それより此のかた、愚癡不肖〔ぐち ふしょう〕の賤男賤女〔しづのお しづのめ〕にいたるまで その名をば しるといえども、その真実の道理をば、老師、宿儒、知見抜群の人さえさとり得る事稀なり。然るゆえに世俗、孝は親につかうる一事となして、浅近〔せんきん〕の道理なりとおもえり。孔子なげかしくおぼしめして、万世〔ばんせい〕の心盲〔しんもう〕をひらかんために、孝徳、神妙不測〔しんめう ふしき〕、広大深遠にして、はじめなく おわりなき神道を、孝経に発明したまう。孝徳の感通をてぢかくなづけいえば、愛敬〔あいけい〕の二字につづまれり。愛はねんごろに したしむ意〔こころ〕なり。敬は上をうやまい、下をかろしめ あなどらざる義也。孝はたとえば明〔あきら〕なる鏡のごとし。むかうものの形と色によって、かがみのうちの影は しなじなかわれども、あきらかにうつす鏡の体〔たい〕はおなじもの也。そのごとく父子君臣の人倫にあいまじわる事は、千々〔ちぢ〕よろずに しなかわれども、愛敬の至徳〔しいとく〕は通ぜざるところなし。あらまし大概を論ずるに、先ず五倫をもていえば、親を敬愛するが感通の根本なる故に、本分の名をあらためず、孝行と名づく。さてそれより感通の景象〔けいしょう〕によって、名をたて おしえをしめしたまう也。二心なく君を愛敬するを忠となづく。礼義正しく臣下をあいけいするを仁となづく。よくおしえて子を愛敬するを慈〔じ〕となづく。和順にして兄〔このかみ〕を愛敬するを悌〔てい〕となづく。善をせめて弟をけいあいするを恵となづく。正しき節をまもりて夫をあいけいするを順となづく。義をまもりて妻をけいあいするを和となづく。偽りなく朋友を愛敬するを信となづく。一身をもっていえば、耳目〔じぼく〕の聡明、四肢の恭重〔きょうちょう〕、行住坐臥〔ぎょうじゅうざが〕の法則、皆孝徳愛敬の感通ならざるはなし。かくのごとく親切なる道徳なれば、いかなる愚痴不肖のしづのお、しづのめ、膝下〔しっか〕の赤子〔せきし〕までも、よくしり よくおこない、さてまた至極の全体は、聖人といえども つくしがたきもの也。まことに不二の要道、無双の重宝なれども、卞和〔べんか〕の璧〔たま〕となりて世俗の闇を照らさざる事、なげかしきことなるべし。
2015年03月12日
Photo By samantha Gillard & Kiba the Akita "bunnysmith2785" エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 15 自然は、運勢を人間の品性に結実することによって、 魔術師さながら、人間を運勢に合わせてしまう。 家鴨〈あひる〉は水に、鷲は空に、渉禽類は汀〈みぎわ〉に、猟師は森に、 店員は帳場に、軍人は前線に、心を向ける。 こうしてできごとは、人間とおなじ幹に茂り出る、いわば亜人間だ。 人生の喜びはその人生を生きる人間次第であり、仕事や地位には左右されない。 人生は一種の恍惚だ。恋にはどれほどの狂気がつきものか、 __つまらない物象を天国の色調で描くどれほどの能力がつきものかということを、 われわれは知っている。 正気を失った人間が、自分の服装や食事、その他の便宜に対して無関心であるように、 それにわれわれだとて夢のなかでは、このうえなく愚劣な行為を平然と行なうように、 われわれが口にする人生の盃〈さかずき〉にもうひとしずく酒をそそげば、 なじみのない仲間や仕事もなじめるものになる。 たとえばなめくじが体内から分泌した粘液で、 梨の葉のうえにぬるぬるとした家を作り、 りんごにつく毛の生えた油虫が分泌液で自分の寝床を、 そして貝が自分の殻を作るように、生物にはそれぞれに、 自分の体内から自分の境遇や生活の場を産み出す。 若いあいだわれわれは、わが身にさまざまな虹の衣服を着せ、 黄道帯に劣らず雄々しく進む。 年をとると、いままでとは種類のちがう汗を、 __通風、熱病、リューマチ、移り気、疑惑、苛立ち、強欲を分泌する。 ある人間の運勢は、当人の品性の結実だ。 あるひとと交わる友人たちは、そのひとにそなわる磁力だ。 「運命」の実例をわれわれは、ヘロドトスやブルタークに求めるが、 しかしわれわれこそが実例なのだ。 「ひとりびとりが自分の霊に耐えている」。 人間は誰でも、自分の資質にそなわっているものを、 ともすればすべて実行しようとする傾きがあり、 このことは、いくら宿命から逃れようと努力しても、 所詮はその宿命のなかに連れこまれることに役立つだけだという 昔ながらの信念に表れている。 わたしの気づいたところでは、 人間は、自分が実際にあげた功績よりも、功績をあげる立場のほうを、 窮極的に、あるいは全体的に素質がすぐれている証〈あかし〉として、 褒めてもらいたいものなのだ。 人間は、初めて見かけるように思えながら、実は自分の中からにじみ出て、 自分につきしたがうさまざまなできごとに、 自分の品性が射出されているのを見てとるものだ。 できごとは品性に一致して広がっていく。 かつては玩具にとりかこまれていたのが、 いまは巨大な秩序のなかで一定の役割を果たしており、 自分の成長ぶりが、自分のいだく大志、つきあう仲間、 行なう動作にはっきりと示される。 人間は一片の運のように見えるが、実は一片の因果関係であり、 彼の満たす隙間にうまくはまりこむように角をつけ、 磨き上げられたモザイク〔寄せ木細工〕だ。 だからこそどんな町にも、自分の頭脳や動作によって、 その町の耕作、生産、工場、銀行、教会、暮らしぶり、 社交を説明してくれる人間が誰かひとりはいるものだ。 もしそういう人間に出会う機会がなければ、 何を見ても少しは理解に苦しむはめになるものだが、 もしもそのひとに会えば、それがはっきりと分るものになるのだ。 マサチューセッツに住むわれわれには、 誰がニューベッドフォードを建設し、誰がリン、ロウェル、 ロレンス、クリントン、フィッチバーグ、ホーリヨーク、ポートランド、 そのほか多くの賑やかな商業中心地を建設したかが分っている。 こういう人びとは、もしも彼らが透明なら、 それぞれに人間というよりもむしろ歩く都会のように見え、 たといどこに住まわせてみても、おそらくまた都会を建設することだろう。 (『エマソン論文集 下』「運命」P.224 ~ 226 ) Nature magically suits the man to his fortunes, by making these the fruit of his character. Ducks take to the water, eagles to the sky, waders to the sea margin, hunters to the forest, clerks to counting-rooms, soldiers to the frontier. Thus events grow on the same stem with persons; are sub-persons. The pleasure of life is according to the man that lives it, and not according to the work or the place. Life is an ecstasy. We know what madness belongs to love, what power to paint a vile object in hues of heaven. As insane persons are indifferent to their dress, diet, and other accommodations, and, as we do in dreams, with equanimity, the most absurd acts, so, a drop more of wine in our cup of life will reconcile us to strange company and work. Each creature puts forth from itself its own condition and sphere, as the slug sweats out its slimy house on the pear-leaf, and the woolly aphides on the apple perspire their own bed, and the fish its shell. In youth, we clothe ourselves with rainbows, and go as brave as the zodiac. In age, we put out another sort of perspiration, gout, fever, rheumatism, caprice, doubt, fretting, and avarice. A man's fortunes are the fruit of his character. A man's friends are his magnetisms. We go to Herodotus and Plutarch for examples of Fate; but we are examples. "Quisque suos patimur manes." The tendency of every man to enact all that is in his constitution is expressed in the old belief, that the efforts which we make to escape from our destiny only serve to lead us into it: and I have noticed, a man likes better to be complimented on his position, as the proof of the last or total excellence, than on his merits. A man will see his character emitted in the events that seem to meet, but which exude from and accompany him. Events expand with the character. As once he found himself among toys, so now he plays a part in colossal systems, and his growth is declared in his ambition, his companions, and his performance. He looks like a piece of luck, but is a piece of causation; the mosaic, angulated and ground to fit into the gap he fills. Hence in each town there is some man who is, in his brain and performance, an explanation of the tillage, production, factories, banks, churches, ways of living, and society, of that town. If you do not chance to meet him, all that you see will leave you a little puzzled: if you see him, it will become plain. We know in Massachusetts who built New Bedford, who built Lynn, Lowell, Lawrence, Clinton, Fitchburg, Holyoke, Portland, and many another noisy mart. Each of these men, if they were transparent, would seem to you not so much men, as walking cities, and, wherever you put them, they would build one. Fate by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor and Fields, 1860
2015年03月11日
Photo By u_sperlingストリームライト正規輸入代理店株式会社ルミテック日本http://www.lumitech.co.jp/facebook - 懐中電灯ストリームライトのルミテック日本 Streamlight Sidewinder Rescue Flashlightストリームライト サイドワインダーレスキューhttp://www.lumitech.co.jp/catalog/sidewinder/index.html 明るさ:55 Lumen (C4 100%) 重量:142 g 全長:118 mm 点灯時間:・C4スーパーLED 最弱(5%) 100時間以上 弱(25%) 45時間 中(60%) 11時間 強(100%) 5.5時間 点滅(100%) 10時間 ・5mm青色LED 最弱(5%) 150時間以上 弱(25%) 100時間 中(60%) 35時間 強(100%) 16時間 点滅(100%) 30時間 ・5mm赤外線LED 最弱(5%) 200時間以上 弱(25%) 140時間 中(60%) 60時間 強(100%) 24時間 点滅(100%) 40時間 ・5mm緑色LED 最弱(5%) 150時間以上 弱(25%) 100時間 中(60%) 35時間 強(100%) 16時間 点滅(100%) 30時間 本体材質:耐衝撃高耐久ナイロン樹脂 色:オリーブ 備考:防水構造 IPX7 使用電池:単3形アルカリ乾電池 2本使用 使用光源:C4スーパーLED 1灯 高輝度カラーLED3灯 付属品:クリップ アルカリ電池 Youtube - Streamlight Sidewinder Military Multi-Lighthttps://www.youtube.com/watch?v=gFSTXIZuP4E Candle Power Forums.com - Streamlight Sidewinder Reviewhttp://www.candlepowerforums.com/vb/showthread.php?338518 Streamlight Sidewinder Reviewhttp://www.candlepowerforums.com/vb/showthread.php?338518 THe Loadout Room.com - A review of the Streamlight Sidewinder IR Flashlighhttp://loadoutroom.com/4642/facebook - Streamlight, Inc.
2015年03月10日
Photo By Judy B - The Travelling Eye facebook - Victorinox Japan Victorinox Swisstool RS 3.0326.N ビクトリノックス・スイスツール RS http://www.victorinox.com/jp/.../100/1550&m=add& 機能:26種類 1. Pliers / プライヤー2. Screwdriver (2mm) / マイナスドライバー 2mm3. Screwdriver (3mm) / マイナスドライバー 3mm4. Wire Cutter / ワイヤーカッター5. Screwdriver (5mm) / マイナスドライバー 5mm6. Bottle Opener / せん抜き7. Screwdriver (7.5mm) / マイナスドライバー 7.5mm8. Large Blade / ラージブレード(大刃)9. Scissors / はさみ10. Seatbelt Cutter / シートベルトカッター11. Wood Saw / のこぎり12. Reamer / リーマー(穴あけ) , パンチ13. Phillips Screwdriver / プラスドライバー14. Chisel / Scraper / のみ15. Strong Crate Opener / リフター, オープナー16. Wire Bender / ワイヤー曲げ17. Wire Stripper / ワイヤーストリッパー18. Wire Scraper / ワイヤースクレーパー19. Can Opener / カン切り20. Ruler (230mm) / スケール(mm)21. Ruler (9 inches) / スケール(inch)22. Wire Crimper / 端子つぶし23. Hard Wire Cutter / ハードワイヤーカッター24. Lanyard Hole / ランヤードホール25. Easy Kickback Springss / イージー・キックバック・スプリング26. Lock Release / ロックリリース Youtube - Swiss Army - Victorinox SwissTool RS Reviewhttps://www.youtube.com/watch?v=4GUOY6t4d4c Victorinox Swisstool RShttps://www.youtube.com/watch?v=oo8knH7icMA MultiTool.org - A rough comparison of a few heavy weights for those big jobshttp://forum.multitool.org/index.php?topic=12307.0 Gear Patrol.com - Grip-N-Go: 5 Best Multi-Toolshttp://gearpatrol.com/2013/02/26/grip-n-go-5-best-multi-tools/ビクトリノックス・ジャパンhttp://www.victorinox.com/jp
2015年03月09日
Photo By MRSY 正木段之進といえるは、美濃国大垣の家中にて歴々の武士なり。此の人劍術の妙を得て、此の門人となる者へは鎖〔くさり〕を授くることなり。京都抔〔きょうと など〕にも此の鎖を伝授したる人多し。其の外江戸抔は尤〔もっと〕も多く、諸国とも門葉多し。此の段之進劍術の事に付きては、世間色々の奇妙のはなし多くして、信じがたきこともあるに、旅中〔りょちゅう〕にて彼の門人に親敷交〔したしくまじわ〕りて、其の修行のあらましを聞きしに、誠に感ずべく、とうとむべき事也。此の段之進の父祖にや有りけん、幼年より劍術に心を寄せ、日夜寝食をわすれて修行せし頃、一夜寝間の襖〔ふすま〕を鼠の咬む音に目覚めて、畳たたきて追うたりしに、鼠逃げ去りれり。暫くして少し寐〔ね〕入らんとする頃また鼠来たりて襖を咬む。又目覚めて追えば鼠逃げ去る。心ゆるみて寝入らんとすれば鼠襖を咬む。かくのごとくする事三四度に及びて、段之進思うよう、我が気みたずして彼の鼠に徹せざればこそ、眠〔ねむ〕るに従〔したご〕うて鼠襖を咬むなりとて、起直り座して正して、一心に気をあつめ、鼠の方を守りつめて居たりしに、鼠ついに来たらず。其の後〔のち〕は鼠の音する度に、かくのごとくするに、鼠咬むことあたわず。後には けたを走る鼠をも、気を集めてにらみぬれば落つる程に成れり。今に至り其の門人 気を煉〔ね〕る事を稽古するに、鼠の物を咬むにてためす事ありという。いかなる猛獣といえども、先ず此の方を見て気を以て制す。敵人といえども立ち向かうより先ず気を以て勝つ事也とぞ。此の事は奇妙のように聞〔きこ〕ゆれども、さることもあるべしとおもう。我学ぶ所医術にも圧勝の法という事ありて、気を以て禁ずるに、癪気〔しゃくき〕を開かしめ、或は腫物〔しゅもつ〕を押し散らし、または狐狸に魅せらるる者を治し、其の外 奇効目〔きこう め〕を驚かす程のことを出来〔いでく〕るもの也。又熊沢(蕃山)先生の書き集められし書にも、敵をうたんとする人の、其の家に忍び入らんとすれば、内に寐入りたる当才の小児啼き出だして、其の父目を覚ます。折り悪ししと暫しひかえぬれば、小児もよく寐入りて家内静也〔かないしずかなり〕。又討入らんとすれば小児啼き出す。再三かくのごとくして、ついに討つ事を得ざりし。是其の殺気の無心を小児に徹せし也とぞ。其の理の論は格別、先ず正木の修行に心を用いられし事を感ずべし。 又、彼の鎖所持者の者は、いかなる強敵〔ごうてき〕に逢う時もおくれを取る事なく、又いかなる猛獣、盗賊といえども、此の鎖を所持する人には近付くことあたわずと云えり。「是はいかなる事にて かくはいう事なるや」と尋ねしに、何人にせよ、正木の門人と成り、鎖を受けんと願う時、先ず誓約することとぞ。其の誓約の辞〔ことば〕。君に不忠あるまじ。親に不幸なるまじ。朋友に信を失うべからず。虚言をいうべからず。高慢の心を起こすべからず。大酒すべかず。礼儀を失うべからず。公事にあらずして、みだりに血気にはやり夜行すべからず。猶、此の外数々の箇条目ありて長し。是に一つもそむくことあらば、摩利支尊天の御罸〔ごばつ〕を蒙りて武運に尽くべしと也。初めにかくのごとく誓うことゆえに、もし此の辞にそむく者は、たとえ鎖幾条所持するといえども、其のしるしなく、鎖の奇特〔きどく〕を失うと定めたり。誠にかくのごとくなれば、正大の誓約いと有難き鎖なり。聖人の道といえども此の上や有るべき。実〔まこと〕に武道の奥義というべし。法華経の水火も焼溺〔しょうでき〕する事あたわずと説き、老子の虎豹も牙を触るることなしと教えしも、亦是に外ならず。瑣末の技芸の上にても、其の妙所に至りては有難きこと多し。されど余、其の人に交わりて親しく聞きし事ならねば、誤りしるせし事もあるべきにや。
2015年03月08日
facebook - Opinel Custom Knife - Custopinel OPINEL S.A. http://www.opinel.com/ facebook - Opinel - Page officielle
2015年03月07日
ある時、かれは定信の前で、七尺五寸の樫の木刀を大野太刀に使い、七貫五百目もある大鉞〔だいえつ〕(※おおまさかり)を数回振り回し、一貫目筒の抱え打ちをなし、座に帰っても息合〔いきあい〕は常のごとくであったといわれている。 門下中、下斗米秀之進(相馬大作)吉里呑敵齋、小田武右衞門、松村伊三郎の四名は、兵原門の四天王と呼ばれ、中でも、下斗米は南部の義臣として名を千載に残し、呑敵齋は實用流(忠孝眞貫流に対する世間の称呼)として継承している。 門弟中には、あまりにも行事苛烈なため、さすがに庶人の子弟は少なかったが、士人の子弟でも高禄の家の者はほとんど皆無であった。定信の家臣青木某が、行蔵の門にある事三年に及ぶと聞き、定信は驚いてこれに手柄山正繁の鍛えた「神妙」の一刀を与え「大成せずしてその門を去る勿〔なか〕れ」と訓戒を加えたと伝えられている。 また同じ頃、高禄の旗本某の長子が、入門二日目、その家司から贈り物を持参して、座席に座布団を用いる事を許されたいと申し入れたのを怒って、即日入門を取り消したという話も伝わっている。 さて、ここにおいて指南したかれの武術のいかなるものであったかについては、やや詳細に記す必要があろう。 行蔵の著になる武術書『劍説』の巻頭に、「夫〔それ〕剣術は敵を殺伐する事也。其〔その〕殺伐の念慮を驀直端的〔ばくちょく たんてき〕に敵心へ透徹するを以て最要とすることぞ。」 と記している通り、遠回しのたとえ言葉を避け、いかにも驀直端的に、それこそ一刀両断の慨をもってずばりと述べているところに、かれの本領が躍如している。 行蔵は、前にも述べたごとく、眞貫流という剣術を御家人の山田茂兵衞について習った。この流派は、丸目蔵人の心貫流門人、奥山左衛門太夫忠信のたてた一派で、また心貫流ともいう。 元来は短刀術で、その稽古には珍しい二つの方法を用い、一は、紙で張って渋を施した竹笊〔たけざる〕に、両眼だけの穴をあけたるものを面代わりにかぶり、最初は、相手に思う存分頭を打たせてじっと太刀筋を見まもり、遠近の筋合いを覚えさせ、こなたは短い竹刀を持って進むばかりでわざをしない。かくて目が見えるようになってから、敵に打ち込む太刀筋を躱〔かわ〕し躱し、敵にせまって激突するわざを教えるというのである。 もう一つの方法は、背に仏像の光背〔こうはい〕のごとく、円光ならぬ円座を背負って短刀をもち、相手にその円座のふちを真っ向から打たせながら太刀筋を身覚えさせて、あとは、前のと同じく太刀筋を覚え込んでから相手の手許にくり込んで行って勝つという方法である。 行蔵はこの流儀を習い、のち、 ……十四、五歳必ず初陣銘々(各自の事)主人御馬先に於て 必ず討死を遂げ忠孝をたつべき事。 という信条から、忠孝の二字を掲げ、「忠孝なくして武藝の要なし。」とて、その一流を「忠孝眞貫流」と改め、同じく短刀をもってする格闘を建前として、大体次のごとくに述べている。 ……當流の劍術で短刀を用いる事は、特に気勢を引きたてんが為である。 それは、もし短刀をかざして決戦の場に出で、 少しでもためらったり油断があったりすると、 たちまち敗をとる事てきめんである。 よって、敵の撃ち突きにかまわず、 己のこの五体もろ共敵の心臓部を貫いて 背後に抜け通る心で踏み込まなければ、 敵の身体に届かないのである。 ……こうした精進で鍛えあげた者には、 敵は自然とあとずさりをして引き下がるようになる。 かく鍛えずして、敵と真実の勝負などというものは思いもよらぬ事であって、 短刀を以て演習する所以はここに存ずる。 ……しかし、実戦の場に至っては、手に応じ力に応ぜば、 いかなる長い刀を用いてもよろしく、総身の力を揮って打ち込むべきである。 ……當流には仕合という事がない。一々実戦の心である。 當流の本領は、戦場で潔く討死する精神の演練だから、 打ったり打たれたりして、いささかの當りはずれを吟味するものとは、 その相違天地の如くである。 かくて行蔵は、この「忠孝眞貫流」を一層に強化し、これを中心とし、昔の支那武術の例にならって、「武藝十八般略説」なる書を著し、次のごとく道場で教授した。 弓、李満弓〔りまんきゅう〕(駕篭弓)、弩〔ど・いしゆみ〕(大弓)、 馬、刀、太刀、青龍刀(大長刀)、眉尖刀(小長刀)、抽刀(居合)、 槍、戟〔げき〕(十字槍)、鉋(佐分利槍)、鏢鎗(投槍)、 棍(棒)、鉄鞭(鉄扇、十手)、飛鎚(ぶんどう)、 附〔つけたり〕 鎖鎌、拳(柔術)、銃(鉄砲、大砲) これは、かれの得手からとったもので、必ずしも完備とはいわれないが、武士たるものは、武藝一通りは心得ておかねばならぬという理由として、実戦の場に臨んで、無意識的にそれが当意即妙の働きを働かせるものである事は、しばしば私の説いたところであるから、ここではその説明は割愛する。 かれは一生独身を通して婦女子を近づけなかったが、酒はすこぶる好物で、二六時中かれの近くに侍して芬香を放っていた。年六十を数えても、顔は渥丹〔あくたん〕(紅色)のごとく、外出のさまはまた異様で、まず遠出には草履を穿〔うが〕ち、近ければ藁草履__それも足半〔あしなか〕というあれをはいて、鐺〔こじり〕が地に曳くほどの大刀をさし、下部を八角に削った目方四貫目の鉄棒を突き、淫靡蕩々〔いんび とうとう〕たる化政期〔かせいき〕の八百八町を、この姿でのし回ったのであるから、行人はただおそれをなしてこれを避けたという。
2015年03月06日
Photo By jpellgen 『翁問答』 上巻之巻 体充問うて曰く、人間の心だてさまざまありて、おこなうところその品おおし。其のうちに是非混乱して、いずれにしたがうべしともおぼえず。人間一生涯、いずれの道をか受用の業〔わざ〕と仕〔つかまつ〕るべく候や。 師の曰く、われ人の身のうちに、至徳要道〔しいとく ようどう〕といえる天下無双の霊宝あり。このたからを用いて、心にまもり身におこなう要領〔ようれい〕とする也。此の宝は上〔かみ〕天道に通じ、下〔しも〕四海にあきらかなるもの也。しかるゆえに、此のたからをもちいて五倫〔ごりん〕にまじわりぬれば、五倫みな和睦〔かぼく〕してうらみなし。神明につかうまつれば神明納受したまう。天下をさむれば てんかたいらかになり、国をおさむれば国おさまり、家を斉〔ととのゆ〕れば家ととのおり、身におこなえば身おさまり、心にまもれば心あきらかなり。おしひろむれば天地のほかにわたり、とりおさむれば わが心の密〔みつ〕にかくる。まことに神妙至極の霊宝也。しかるゆえに、此の宝をよくまもれば、天子はながく四海の富をたもち、諸侯はながく一国の栄花〔えいか〕をうけ、卿大夫〔けい たいふ〕はその家をおこし、士〔さぶらい〕は名をあらわし位をあがり、庶人〔しょじん〕は財穀をつみ たくわえて、其の楽しみをたのしむもの也。此の宝をすてては人間の道たたず、にんげんのみち たたざるのみならず、天地の道もたたず、天地の道たたざるのみならず、太虚〔たいきょ〕の神化〔しんか〕もおこなわれず、太虚・三才〔さんさい〕・宇宙・鬼神・造化・生死〔しょうじ〕、ことごとく此のたからにて包括する也。このたからを もとめまなぶを儒者の学問という。生〔むま〕れながらにして此のたからを保合〔ほごう〕し給うを、聖人と云い、がくもんによって、保合して よくまもりおこなうを賢人というなり。孔子、万世〔ばんせい〕のやみを照らさんために、此のたからを もとめまなぶ鏡〔かがみ〕に孝教をつくりたまうといえども、秦の代よりこのかた千八百余年のあいだ、十分によくまなび得たる人まれなり。今大明〔いま たいみん〕の代にいたって、此の経〔けい〕をよく尊信表章〔そんしんひょうしょう〕する人おおし。大舜〔たいしゅん〕は此の宝を保合〔ほごう〕したまいて、庶人の中より天子のくらいにのぼり給う。文王はこのたからを保合し給いて、天帝の左右にまします。董永〔とうえい〕はこのたからをまもりて、天の織女〔しょくじょ〕をつまとなし、呉児〔ごじ〕は此の宝をまもりて宿悪の天刑をまぬかれたり。古来霊験かたりつくしがたし。よくよく信仰〔しんごう〕して受用すべきことなり。
2015年03月05日
Photo By Charlotte_L エマソン論文集(下)(岩波文庫) 酒井雅之 訳 岩波書店 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/1613757/ 注文出来ない商品 "May the force be with you" 宇宙一元論と ラルフ・ウォルドー・エマソン 14 何かしなければならないことがあるときには、 世界はそれをやりおおせる術〔すべ〕を心得ている。 植物の幼芽〈ようが〉は、必要に応じて、葉、果皮、根、樹皮、あるいは刺となり、 最初の細胞は、必要次第で、胃、口、鼻、あるいは爪にわが身を変え、 世界はおのれのいのちを、英雄や指導者の内部に宿らせて、 その人物を時代の求める場所におく。 ダンテやコロンブスは彼らの時代にはイタリア人だったが、 いまならロシア人かアメリカ人だろう。 事態が熟せば、新しい人間が登場する。適応は気まぐれに行なわれる事はない。 いつもかなたを目ざすこと、どこまでも目的をかなたへ延ばしつづけること、 さまざまな惑星が沈殿して結晶し、 それから獣や人間にいのちを与えていくときの相互関係、 __こういうものはとどまることなく、一段と精妙な細部にはいりこみ、 一段と精妙なものからもっとも精妙なものへと進んでいく。 世界の秘密とは、ひととできごとを結ぶ絆だ。 ひとができごとを、できごとがひとを作る。 「時勢」、「時代」、そういうものも結局は、 時代の縮図であるごとく少数の深遠なる人物たちやごく少数の活動的な人物たち、 __ゲーテ、ヘーゲル、メッテルニヒ、アダムズ、カルフーン、ギゾー、ピール、 コブデン、コシュート、ロスチャイルド、アスター、ブルーネルなど、 こういう種類の人物たちにほかなるまい。 両性のあいだ、あるいは動物たちの種族と、 それが口にする食物やそれが利用する劣等な種族たちとのあいだ同様、 人間と時代やできごととのあいだにも、 おなじ合致が存在すると推定されなければならない。 人間は、繫〈つな〉ぎ目が隠れているために、自分の運命を他人扱いする。 だが魂は、やがてわが身に起こるはずのできごとを、 すでにおのれの内部にふくんでいる。 何しろできごとは魂にそなわる想念の実現でしかなく、 われわれが自分自身に対して実現を求めることはいつもかなえられるからだ。 できごとは自分の姿を印刷したものだ。 自分の皮膚のようにぴったり合う。 人間ひとりびとりの行なうことは、その人間でなければできないことだ。 できごとは、その人間の体と精神の子供だ。 たとえばハーフィズが、___ 「何たることだ、わたしを導く者と運勢を導く者がひとつだと、 いまのいままで知らなかったとは」 と歌っているように、「運命」の魂が実はわれわれの魂であることを、 われわれは学ぶ。 人間を夢中にさせ、人間がそれを欲しさに遊びふけるすべての玩具は、 __家、土地、金、贅沢、権力、名声、どれもこれもまったくおなじひとつのもので、 ただ幻影の薄いヴェールが新しく一枚か二枚かけられているだけだ。 人間を弾丸に頭を砕かれてもいいという気持ちにしたり、 毎朝厳粛に閲兵〈えっぺい〉に引き出したりする太鼓の音やひびきのなかでも、 __もっともみごとなものと言えば、 われわれに、できごとは恣意的で、行為とは無関係だと信じこませるものだ。 手品師のところでは、われわれは、彼が人形を操る細い糸を見破るが、 原因と結果を結ぶ糸を見ぬくほどに鋭敏な目は持ち合わせていない。 (『エマソン論文集 下』「運命」P.222 ~ 224 ) When there is something to be done, the world knows how to get it done. The vegetable eye makes leaf, pericarp, root, bark, or thorn, as the need is; the first cell converts itself into stomach, mouth, nose, or nail, according to the want: the world throws its life into a hero or a shepherd; and puts him where he is wanted. Dante and Columbus were Italians, in their time: they would be Russians or Americans to-day. Things ripen, new men come. The adaptation is not capricious. The ulterior aim, the purpose beyond itself, the correlation by which planets subside and crystallize, then animate beasts and men, will not stop, but will work into finer particulars, and from finer to finest. The secret of the world is, the tie between person and event. Person makes event, and event person. The "times," "the age," what is that, but a few profound persons and a few active persons who epitomize the times? -- Goethe, Hegel, Metternich, Adams, Calhoun, Guizot, Peel, Cobden, Kossuth, Rothschild, Astor, Brunel, and the rest. The same fitness must be presumed between a man and the time and event, as between the sexes, or between a race of animals and the food it eats, or the inferior races it uses. He thinks his fate alien, because the copula is hidden. But the soul contains the event that shall befall it, for the event is only the actualization of its thoughts; and what we pray to ourselves for is always granted. The event is the print of your form. It fits you like your skin. What each does is proper to him. Events are the children of his body and mind. We learn that the soul of Fate is the soul of us, as Hafiz sings, Alas! till now I had not known, My guide and fortune's guide are one. All the toys that infatuate men, and which they play for, --houses, land, money, luxury, power, fame, are the selfsame thing, with a new gauze or two of illusion overlaid. And of all the drums and rattles by which men are made willing to have their heads broke, and are led out solemnly every morning to parade, --the most admirable is this by which we are brought to believe that events are arbitrary, and independent of actions. At the conjuror's, we detect the hair by which he moves his puppet, but we have not eyes sharp enough to descry the thread that ties cause and effect. Fate by Ralph Waldo Emerson from The Conduct of Life Boston: Ticknor and Fields, 1860
2015年03月04日
Photo By juliacreinhartストリームライト正規輸入代理店株式会社ルミテック日本http://www.lumitech.co.jp/facebook - 懐中電灯ストリームライトのルミテック日本 Streamlight Stinger HPLストリームライト スティンガー HPLhttp://www.lumitech.co.jp/catalog/stinger/index.html 明るさ:(高) 48,000 CDP 740 Lumen (中) 24,000 CDP 380 Lumen (低) 12,000 CDP 190 Lumen 重量:385 g 全長:234 mm 点灯時間:(高) 1 時間15分 (中) 2 時間30分 (低) 4 時間30分 (ストロボ) 本体材質:航空機グレードアルミ合金 色:ブラック 備考:ヘッド径 56 mm 胴径 30 mm 使用電池:専用ニッケル水素電池 使用光源:C4テクノロジースーパーLED Youtube - Streamlight Stinger HPL and Strion HPL Previewhttps://www.youtube.com/watch?v=PRGy2pPlcGs facebook - Streamlight, Inc.
2015年03月03日
Photo By Giano Appenzeller facebook - Victorinox Japan Victorinox Classic SD Limited Edition 2014 Appenzeller 0.6223.L1401ビクトリノックス・クラシック リミテッドエディション2014 アッペンツェラー 機能:7種類1.ブレード2.爪やすり3. _マイナスドライバー4.はさみ5.キーリング6.ピンセット7.ツースピック ビクトリノックス・ジャパンhttp://www.victorinox.com/jp
2015年03月02日
Photo By Aurora Santiago Photography 熊沢先生は其の門人なれど、其の功績をいえば、いうべき所もすくなからず。されども其の人も今時は得難しぞと思わる。此の人藤樹先生に従われし初めを尋ねるに、其の頃、加賀の飛脚金子弐百両を預かり持ちて京へ登るに、江州河原市より軽尻〔からしり〕の馬をやとい、榎木の宿に泊まる。馬かたは河原市へ帰り、馬のすそを洗わんと鞍を解きしに、鞍の下より財布一つ出〔い〕でたり。取りあげて見れば金弐百両あり。馬かた大〔おお〕きに驚き、今の飛脚の取り忘れたるにこそと思えば、其の儘〔まま〕榎木に走り行き、飛脚の泊まれる宿に至り対面し、委敷尋問〔くわしく たずねと〕うに、相違無ければ其の金を取出し返しけるに、飛脚は死したる者のよみがえりたる心地して、悦びのあまり行李〔こうり〕より別の金子十五両を取出し馬方にあたえ、「もし此の弐百両なくば我が一命を失なうのみならず、親兄弟までも重き罪に到らん。さればそこの高恩中々言葉のいい尽くすべきにあらねども、先ず当座の御礼までおくり奉る」と、涙を流し悦ぶに、馬方大きに驚きし顔色〔がんしょく〕にて、「そなたの金をそなたに取り納め給うに、何の礼ということあるべき」とて、手にだに取らず。色々にこしらえいえども、さらに受けずして帰らんとする故〔ゆえ〕、やむことを得ず、拾両とへらし、五両となし、三両となし、段々とへらして、ついには金弐分となし、「せめて是斗〔これ ばか〕りは我が心の悦びなれば受け給うべし、左無〔さ な〕くては我が心もすみ申さず、今宵もいねがたし」と、理を尽くし、詞〔ことば〕を尽くしいうにぞ、「此の金を受け申す程ならば、二百両をも留め置き申すべし。かくかえし申すからには、聊〔いささ〕かにても謝礼を受くるは我が心にあらず。さりとて余儀なくのたまえば、さらば、鳥目〔ちょうもく〕弐百文を賜わるべし、是は今夜やすむべき所を是迄追いかけ来れる賃銭なり。是は我がとるべき銭なれば申し請くべし」といいて、弐百文にて酒をかい、其の家の人にふるまい、我も酔う程のみて帰らんとす。飛脚も感に堪えかね、「さるにても、そこはいかなる人にておわす」と問うに、「名のある者にあらず。又何一つ知れる者にあらず。只我が在所の近所に小川村という所あり。此の村に与右衞門という人おわして、夜ごとに講釈ということあり。某〔それがし〕も折りふし行きて聞き侍りしに、親には孝をつくすべし、主人は大切にするもの也、人の物は取らぬもの也、無理非道は行なうべからず、などという事常々語り給うにより、今日の金子も我が物にあらざれば取るべき理無しと心得し迄のことなり」といいすてて帰りぬ。飛脚はそれより京へのぼり、いつもの宿に到り、「扨も此の度は辛〔から〕き命〔いのち〕いきのびて、各方〔おのおのがた〕にも対面することなりぬ」とて、有りし次第をくわしく語るに、折りふし其の家の裏に、熊沢治郎八田舎〔でんしゃ〕よりのぼり居て学問修行最中の事なりしが、此の物語を聞きて、「其の人こそ誠の儒というもの也」とて、其の翌日すぐに江州に到り、小川村を尋ねて、随従を願われしに、「人に教え申すべき程の学徳なし」とて、さらに随従をゆるし給わず。熊沢ひたすらに願いて、二日が間藤樹の門にたたずみて帰らず。藤樹の老母是を気の毒がり、「よしや先ず内へ入り申せよ」とありし故、いなみがたくて内に入れ、ついに子弟の契約をせられしよし。其の後、藤樹を備前より招き給いしに、其の身は病身なりと堅く辞し、「門人熊沢というもの有り、御役にも立つべき者なり」とて熊沢を出だされけり。いずれも格別の事ども也。長物語なれど、藤樹先生の事跡くわしくしらぬ人も多ければ、見聞きに及ぶ所を書き付けぬ。江州に遊ぶ人は必ず彼の講堂見るべき事也。
2015年03月01日
Photo By Tommy Hemmert Olesen 超リアル食品サンプルのつくりかた 食品サンプル研究会 編/著 グラフィック社 発行 http://books.rakuten.co.jp/rb/12490316/ Youtube - 食品サンプル えびフライ by gatagotogatagotohttps://www.youtube.com/watch?v=4BceWzb6BMg 復活!? 刃物模型初級製作覚書 〜 一流(われら)にはその先がある!ツールナイフ型キーホルダーのつくり方 3 古美術鑑定家の中島誠之介さんが著書『ニセモノは なぜ、人を騙すのか?』(角川書店発行)の中でこう書いている。 (前略)絵画であろうと焼き物であろうと、あるいは彫刻であろうと、 ラインがある。器物の場合は、これを「スガタ(姿)」ともいう。 そのラインが自然なものか否か。 ホンモノには、善意のラインがある。 善意でもって人の幸せのため、あるいは自分の人生を納得させるため 作り上げたものだからひたむきさがある。 仮にそれが下手であっても、そこには無我夢中という精神がラインに表現されている。 ところがニセモノには厭味〔いやみ〕なラインが伴うものだ。 人をひっかけよう、騙そうという、悪意が根底にあるから、 いくら夢中でやろうとも、ラインにその下心が浮かび上がって、 ラインが崩れるか硬くなってしまう。 要は自然体の勢いがないのだ。 ひっかからないためには、その善意と悪意のラインの違いを、 見抜けるかどうかということになる。 前にもいったように「知識」が先立ち「欲」がそれを支えれば、 ラインの違いは絶対にわからない。 (中略) ラインのほかに、ニセモノには「伝来」、いわゆる言い伝えに無理があり、 かつ喋りすぎることがとても多い。 無理があるというのはどういうことかと言うと、シナモノは口を利かないが 人間は口を利くわけだから、饒舌な語りの中に嘘が見えるということだ。 その人間の言葉に注意深く耳をそばだてれば、おのずと無理さが見えてくる。 (前掲書 P21, 22 ) コレクション・ナイフの世界にも「〜〜レプリカ」なる商品は多い。そして、オリジナルに似せようとすればするほど、「本物に似せてやろう、上手に真似してやろう」といった感じの、作為というか欲目が透けてきて、長く見ていると嫌いになってくる。ちょうど本物があってのモノマネ芸のような感覚といえばわかりやすいだろう。ナイフ・コレクターの大半は、ナイフの出来さえよければ、その辺り寛容に受け止めているようだから、レプリカという分野が四十年ほど廃れずに成り立っているのだろう。自分だったら ど許せぬ レプリカナイフに万単位の日本円を支払うのであれば、ビクトリノックス、ウェンガーのソルジャーナイフ 1891 復刻モデル を買いたいと思う。
2015年03月01日
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