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初めに断っておきます。私は金銭及び金銭を稼ぐことを否定しておりません。生きていく上で金銭は必要不可欠なものであります。しかしお金に左右されるような生き方をよしとする生き方は否定しております。お金のために人を騙す、裏切る。友情、信頼、信念はお金で買えるような、軽いものではありません。山崎照朝さんは金銭には恬淡としておられました。前回触れた山崎さんの著書「無心の心」の印税を全て極氏会館本部に寄付されました。現役を引退した後、何度か空手の指導をしていた時も謝礼は一切、受け取らなかったそうです。それどころか、運営費などご自身が持ち出していたそうです。何故そのような純粋な姿勢を貫くことができたのか。私が想像するに、山崎さんは空手に対しお金儲けの手段ではなく、ご自身の「宝」と捉えておられたのではないでしょうか。私たちが生きていくうえで、親子関係、友人関係を円滑に進めていくには打算の入り込む余地はありません。仕事にはある程度の打算も必要でしょう。例えば「あの顧客とどうしたら契約を結べるか」、「どんなプレゼンをすればライバル社に勝てるのか」など。しかしそれは所詮、仕事です。極論すれば人生の通過点に過ぎません。自分が心底大切にしている「宝」は自分が生きる上で誰にも侵されない聖域です。山崎さんはそのように生きてこられたので、空手でお金を稼ぐという概念さえ持ち合わせておられなかったのでしょう。西郷南洲先生にも山崎さん同様、金銭に対する多くのエピソ-ドがあります。明治維新樹立後、ご自身の意志とは反して明治政府の参議に就任しました。その給料が推定で数千万円です。他の参議、政府高官が贅沢の限りを尽くすなか、西郷先生は日本橋の長屋を借り、住み込みの下僕たちと質素な生活を続けておられました。給料のほとんどには手を付けず、困っている人に差し上げています。当時の西郷先生であれば、どのようなことも思うがままにできたでしょう。不正蓄財はもとより、恣意的な政府運営も可能だったでしょう。しかし西郷先生はそんな邪な発想を微塵も持ち合わせていませんでした。西郷先生の脳裏には自分を取り立ててくれた島津斉彬公、戊辰戦争で亡くなった多くの同志の姿が焼き付いていたのです。「彼らを裏切るような人間にはならない」。そう常に自分を戒めていたのでしょう。そんな西郷先生を疎ましく思う政府高官も多く存在していました。中にはは西郷先生を「変人」とみなす者も存在していたでしょう。西郷先生にしてみると、明治政府が発足し体制も安定せず、国民の生活もまだまだ豊かでないなか、まず上に立つ者が質素な生活をすべしと考えておられました。西郷先生からすると、贅沢を恥じることのない政府高官こそ「変人」とみなしておられたのではないでしょうか。西郷先生は「自分の持つ権力をお金に変えなかった」のです。今の政府中枢にいる政治家とは全く異なる思考です。そして悲劇は彼らは西郷先生の足元にも及ばないということです。(能力的にも人物的にも)その点が今の日本人にとって最大の悲劇なのですが。とはいえ今の世において、山崎さんのような高潔な武道家が存在することに光明を見出しております。
2021.02.23
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伝説の空手家の域に到達すると表現するに相応しい山崎照朝さん。前回記しましたが私は直接、山崎さんとお話したことはありません。西武線所沢駅のホームで、そのお姿をお見かけした程度です。しかも1度きり。ただ私の友人が現在も山崎さんと親しくしております。その友人は某新聞社に勤務しており、かつて記者時代、山崎さんの叔父にあたる方の紹介で知己を得たそうです。その叔父さんにあたる方は、北海道を代表するワイン会社の創業者です。私の友人は元々、この方の記事を書くため取材に訪問した際、「私のことなら照朝がよく知っているから連絡を取ってみたら」と提案されたことが山崎さんとの交流の始まりです。私は友人から時々、山崎さんの人となりを聞いていました。その山崎さんの生き方が私の琴線に触れました。「(山崎さんの生き方は)どこか西郷南洲先生の生き方に似ているな」とかねてより認識しておりました。そういえば私が中学生のころ、山崎さんはご自身の経験を記した「無心の心」という本を出版されました。当時の私は勉強そっちのけで、山崎さんの自叙伝を何度も繰り返し読みました。恐らく、学校の教科書を読む回数を上回っていたことでしょう。「無心の心」は山崎さんの空手選手(武道家)について、スポットをあてておりましたので、人生の奥深くまでは記されていなかったと、記憶しています。私が今回、「力石徹のモデルになった男」を読み、空手家としての山崎さんはもとより、崇高な生き方を貫いた「偉人」に該当する立ち居振る舞いに感動を覚えました。もちろん何度も何度も読み込んでいます。そして先に紹介した新聞社勤務の友人にも、「力石徹のモデルになった男」の出版を知らせました。友人はこの本の出版を知らなかったようです。早速購入し、彼が書いた過去の記事を送ってくれました。友人の記事そして「力石徹のモデルになった男」のなかで、山崎さんは「俺のことを変人と言う人は多い」と述べておられます。私は山崎さんを全く「変人」とは思いません。それどころか「私が目指す人物像」そのものであると、断言することができます。それは繰り返しますが、山崎さんの生き方が、あまりにも西郷南洲先生のそれに類似しているからです。最も類似している生き方は、金銭に対する接し方です。西郷南洲先生は権力をお金に変えませんでした。山崎さんは(自分が命を賭けた)空手をお金に変えませんでした。この解釈については次回お伝えします。
2021.02.21
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以前、スーパ-ボランティアの尾畑さんと西郷南洲先生(以下南洲先生)の共通点について記しました。今の無機質な集合体と表現しても差し支えない日本において、南洲先生のような言行一致の人は極めて少ないと私は意気消沈しております。そのようななかで、まれに南洲先生と同じ精神の持ち主に出会うと、感動を覚えてしまいます。それが直接の出会いであれ、書籍・ネットの中であれ、嬉しくなります。今回は50歳以上で空手経験者及び空手ファンであれば、誰しもその名を認知している空手家を紹介させていただきます。南洲先生には、空手の稽古に汗を流したという逸話はありません。幼少時、争いごとに巻き込まれ腕を切り付けられた結果、腕が上がらなくなった南洲先生。以来、剣の稽古が叶わず、学問に没頭たことは有名なお話です。しかし南洲先生が、朝から夜まで学問のみに生きた方かというと、そうではありません。南洲先生は相撲が大好きで、ご自身も稽古に熱中されました。何と当時の力士と互角の勝負をされたとか。江戸末期に於いて、身長180㎝は相当大柄です。体重も重かったですから、激しい取り組みであったことは想像に難くありません。更に力士や周囲の力自慢の男性と、大きな石を持ち上げ、力比べをしていたそうです。今で言うと重量挙げや筋トレといった内容でしょうか。現在も筋トレを楽しんでいる私も、筋肉を強靭化する快感を理解することができます。さてそろそろ本題に移ります。昨年出版されたある空手家について書かれた本が今回のテーマです。記憶は定かではありませんが、昨年の北海道新聞で、どなたかが論評されていたその本に目が留まりました。タイトルは「力石徹のモデルになった男」です。力石徹については今更、説明不要と思います。明日のジョ-の主人公・矢吹丈の好敵手です。その力石のモデルになった方は山崎照朝(てるとも)さんです。山崎さんは極真空手の猛者にして、第一回オープント-ナメント全日本空手道選手権大会の優勝者です。またキックボクサ-としても大活躍され、向かうところ敵なしの実績を残されていらっしゃいます。空手経験者には理解できると思いますが、空手とキックボクシングはルールが大きく異なるので、選手として双方の大会(試合)に出るなどとは、無謀な行為です。空手の試合では顔面攻撃を許可されていません。対してキックボクシングは顔面への攻撃あり、肘での攻撃もありと顔面への防御が不可欠です。山崎さんは同時期にこの二種類の大会(試合)で輝かしい成績を収めていらっしゃるので、もはや「天才」と評しても批判する人は存在しないでしょう。私は気分が乗らない時、山崎さんの現役時代の試合を観て、自分を鼓舞するようにしております。その戦い方は惚れ惚れするような芸術的組手です。柔よく剛を制す、小が大を制す。まさに武道空手です。それでいて向き合った相手が山崎さんの気迫に押されているのか、交代することしばしば。私は山崎さんと面識はありません。しかし今から30年くらいまえに、所沢駅でそのお姿をお見かけしたことはあります。その時私は「柔らかなオーラの持ち主」との印象を強く受けました。その時の山崎さんは、柔和な表情を湛えていらっしゃいましたが、隙の無いまさに近づくと鋭利な刃物で切り付けられるかのような風圧を受けるかの如くでした。当時の私は既に空手から足を洗って(?)いましたが、山崎さんのお姿を拝見することができただけでも、本能的に感動を味わいました。次回は山崎さんの生き方について記します。
2021.02.11
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昨日記した国会議員による深夜のクラブ訪問について、新展開がありました。公明党の議員は辞職。自民党の議員は離党。おまけとして2名の後輩議員が付いてきました。自民党は今回辞職した3名の選挙区に、別の候補を擁立するのでしょうか。それとも離党した3名が無所属で出馬し、その結果、当選の暁には復党させるのでしょうか。いずれにしても緊張感に欠ける行為ですね。対して公明党は厳しい制裁を科しました。もともとスキャンダルに対して厳しい対処を厭わない政党ですから、私はこの問題が発覚してから「この議員は辞職だろう」と確信していました。もう相当昔の話ですが、私の中学生時代の同級生の父親が市議会議員をしておりました。しかし、私が高校生の時に引退してしまいました。まだ年齢も若く、健康に問題が発生したわけではありません。後から聞いたのですが、私の同級生が高校進学後、少しグレてしまい素行の悪さが公明党幹部の耳に入ってしまったそうです。そのため所属する公明党から引退を迫られたという顛末です。私はその話を聞いて公明党の厳しさに驚きました。自民党もそれくらい厳しければ、少しは信頼することができるのですが・・・・・・。
2021.02.01
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