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こんばんは。パソコンは相変わらず調子が悪いのですが本日、メ-カ-の方に来社していただき何とか復旧はしました。ただ、いつ再び反乱を起こすかわからないので修理を依頼する予定です。さて私と西郷先生の共通点は“髪の毛が硬い”事です。実は西郷先生はパ-マをかけていたそうです。いくらなんでも明治時代にパ-マなんてあるはずがない!と大抵の方はおっしゃるでしょう。確かに当時はパ-マ液など存在しません。西郷先生は青竹をいわゆる“コテ”の様に作り、それを火で熱し髪の毛を巻いて後ろに撫でつけていたそうです。西郷先生は決してボウズ頭ではなかったのですね。明日から2月です。正月を迎えてからもう1カ月が過ぎてしまいました。気がついたら1カ月が経過していました。年齢のせいなのか今月が慌ただしかったのかわかりませんが、最近は時の流れが早く感じます。一日一日を大切に生きていかなくてはと感じる次第です。明日、一日は私の祖父の命日です。祖父は私が中学生の時に亡くなりました。本当に私を可愛がってくれました。せめて私が社会人になるまで生きていて欲しかったというのが私の実感です。つまり、私の初月給からお小遣いを祖父に渡したかったということです。もちろん意図することはお金ではなく、少しだけ成長した自分をずっと見守ってくれた御礼としてであります。残念ながらそれは今となっては叶わぬ思いです。その代わり祖父の毎月の命日には生前、好物にしていた食べ物等を写真に供えております。命日の前日にはススキノなどには行かずトレ-ニングをして自分の身体を痛めつけます。私流の身体を清める方法です。昨年、何かの本で読みましたが西郷先生も親しかった方の命日には必ずお墓参りをしたりその方のゆかりの品(似顔絵又は写真などでしょうか?)にお供えをされたそうです。そして命日の前日は、なま物は口にされなかったそうです。この事実を知った時、硬い髪以外に共通点があったことに嬉しさを感じました。西南戦争直前について書くことが出来ず歯がゆい思いをしています。夕張についても書きたいのですが能力がないので簡単には進みません。でも焦らず一歩一歩進めて参ります。写真は私の部屋の机上を写しました。鹿児島で購入してきた西郷先生グッズです。有名な写真(本当は絵です)や西郷貯金箱も置いてあります。(この貯金箱は夕張の某所にもあるはずです。)私は毎日、西郷先生と対峙しています。
2007.01.31
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やはり深夜遅くの帰宅は翌日が辛いです。ただ親しい方たちとの会食ですからすっかりストレスは消え去り通常よりも早く目覚めてしまうものです。少しけだるい身体に鞭打ち出社。とはいっても仕事は自分に与えられた試練であり自己挑戦なので気合は入ります。本日は専門の方に会計ソフトの修正などを依頼している日です。前日にアポイントを入れているので担当者は女性ということは判っております。私はもう脂粉(色気)は昔ほど関心はなくなりましたがそうはいっても一応まともな男です。「鈴木京香さんの様な美人がきたらどうしよう。いや、これはあくまでも仕事上のお付合いだ。とはいえ向こうが俺に惚れたらどうしよう。困ったな。」などとあらぬ想像をしてみる。担当者は鈴木京香さん似ではなかったが清楚な雰囲気でした。ただ私の癖というか瞬時に彼女の左手薬指を発見.
2007.01.30
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遅くなりました。通常なら既に寝ている最中ですが不思議とブログを書いております。体内にはアルコ-ルがまわり正常な判断は不可能なのですが・・・・・。昨日(1/29)私がかつて勤務していた会社の同僚(先輩)のHさんから「ブログは毎日見る」との温かいメ-ルをいただきましたので酔っ払いながらで恐縮ですがキ-ボ-ドを叩いております。実は昨日(1/29)は西南戦争勃発のきっかけとなった“薩摩私学校生徒”による武器・弾薬庫襲撃が起こった日でした。詳細は明日か明後日に書きますが歴史のタ-ニングポイントです。話は大きく変わりますが、本日はススキノから自宅まで歩いて帰宅しました。あえてタクシ-を使いませんでした。酔いを醒ますためでもありますが私は深夜の大通り~札幌駅前を歩くことは、とても大好きなのです。特に昼間は人で賑やかな札幌駅前周辺は1時を過ぎると誰一人として歩いていません。何となく札幌駅前を独り占めした気分です。同じ様な経験をしたことがあります。休日の深夜の銀座を用事も無いのにぶらぶら歩いた時と同じ感覚です。その時は銀座を独り占めした様な何ともいえない贅沢な気分にさせられました。写真は大通公園にそびえ立っている樹木の様子です。枝に乗った湿った雪が綺麗でした。明日は硬派な内容にしたいです・・・・・・。
2007.01.29
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おはようございます。昨日は予定通りトレ-ニング後ラムしゃぶを食べに行きました。お店はススキノにある老舗「羊々亭」さんです。こちらのお店は昔から同じ場所で営業されていて大きな看板が出ているのでススキノを歩くと気がつくでしょう。メンバ-は、カリスマインストラクタ-のワシャ先生・若き気鋭の企業家のコ-社長・私の3名でした。土曜日にもかかわらずお店は満席状態で予約しておいて正解でした。3名ともトレ-ニング後でしたので食が進みました。羊の肉はアミノ酸が豊富なので筋肉を付けるのには最高です。“食べ放題”でしたので食べ始めはお皿からあっという間にラム肉が消えてしまいました。(ちなみに野菜も食べ放題です。)私はラムしゃぶが好物で自宅でも1カ月に数回は食べるのですが「羊々亭」さんのお肉は市販のものに比べて、ほのかな甘さを感じました。いつまでも口の中でかみ続けていたかったです。(笑)ここ札幌の冬は雪が多く寒いですが、この瞬間は札幌に住む喜びをあらためて実感した次第です。コ-社長はラムシャブは経験済みですがワシャ先生は初体験とのこと。あの食べっぷりからも気に入っていただけたと確信しております。ラムしゃぶに限らず、自分の郷土の食べ物を気に入ってもらえることは嬉しいですよね!今回は“飲み放題”にもしましたがラム肉に神経が集中しアルコ-ルの量は思ったほど消費していなかったかもしれません。それにしましてもラム肉とビ-ルは本当に相性がよろしいですねえ。私は地ビ-ルは好きなのですが普通のビ-ルはめったに口にしませんがラム肉には欠かせませんね。3名とも仕事・トレ-ニング・女性(?)の話題で盛り上がり、いつの間にか2時間が経過してしまいました。ワシャ先生は関西、そしてコ-社長は某外国のご出身です。生まれ育った土地が異なる方との交流は新しい発見が出来た様で楽しいものです。世の中、自分が知らない世界だらけだなあとしみじみ感じました。また来月も食事会を開催する予定です。今から楽しみです。
2007.01.28
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私が会員になっているアスレチッククラブの関係者で新年会を兼ねての食事会です。この食事会は昨年からの計画でしたので楽しみです。一昨年より東京では「ジンギスカンブ-ム」でお店も増えていると聞いていましたが現在はどうなのでしょうか?私が生まれ育ったここ北海道では物心ついた頃から肉といえば「ジンギスカン」でした。もちろん現在の様に“生ラム"などは存在しませんでした。当然、ラムしゃぶは食べたこともありませんでしたから約15年前に千歳市にあるサッポロビ-ル園で生まれて初めて食した時の衝撃は今もって忘れられません。今夜のコ-スは当然ながら“食べ放題”です。ですからその前にトレ-ニングに行き、筋肉をいじめ(こういういじめは賛成です)脂肪を燃焼させてきます。いまからポン酢にからんだラム肉が頭に浮かんできます。トレ-ニング中に限界を感じたら「ラムしゃぶ~」と叫び気合を入れますね。(笑)ではこれから「日高吾朗ショ-」を聴きながらアイロンを掛けたり掃除をしてからトレ-ニングに向かいます。写真は昨日、新年交礼会の会場ホテル入り口に飾られていたツリ-です。さすが北海道の老舗ホテルです。趣向をこらしていますね。
2007.01.27
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私にとって本年初のいわゆる新年会でした。本新年会は某国会議員が毎年開催するもので場所は札幌市内の某ホテルです。出席者はどうしても年配の男性が主流となりますが1年振りに会う方もいて懐かしさと皆さん今年も元気に出席されているなあと喜びを感じたりもします。しかし、この種類の新年会は乾杯の“前置き"が長くなってしまいます。 今年も乾杯まで1時間は経過しました。(笑)ですから来賓(ほとんどは議員)の話が長くて陳腐な内容であれば出席者は「早くビ-ルが飲みたいな。」としか考えません。あるいは高齢者ですと寝てしまったりもします。今回は知事と市長候補が出席しました。知事は生来の才能なのかあるいは、これまでの4年間で慣れたのか話は上手でした。市長候補は大勢の前で話すことにはまだ慣れていない印象を受けましたが人柄の良さを感じることは出来ました。主催した議員も話に熱が入っていたようでした。「いじめの問題」と「市場主義の弊害」が主な内容でした。「いじめの問題」については昨年、滝川市で発生した小学生(中学生だったかな?)の自殺に触れていました。本人(議員)は現地に赴き関係者と直接、話をされたそうです。結果として、教育委員会始め学校当局のみならずその地域に住む人々の隠蔽体質を見せ付けられ陰鬱な気分になったそうです。この事件は氷山の一角です。本当に本当に私たち個人が社会の諸問題に関心を持ち改善に向けて行動に移さなければ日本は世界の中で存在意義を失うことになってしまうでしょう。当然、そこに住む国民もまた不要の生き物になってしまうでしょう。そんなことを考えながら頭をきりきりと刺すような寒空の下を歩いていました。結局、ススキノは素通りしました。おやすみなさい。
2007.01.26
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こんばんは。仕事・雑用で少し帰宅が遅くなりました。今日の札幌は久々に大雪が降りました。このところ降雪は少なかったですからこの位は良しとしましょう。昨日は教師(北教組)を批判しましたが実は私の身内は教師が多いのです。(笑)教師でなかったのは私の父親くらいです。祖父は先の第二次世界大戦中から校長だったそうです。そのためか祖父宅の居間には「教育勅語」の掛け軸が掛けてありました。私は夏休みになると祖父宅に1週間は滞在していました。当時、小学生の私はその「教育勅語」の意味もわからず毎日声を出して読んでおりました。母も教員でしたが組合活動は嫌っていたそうです。前置きが長くなりましたが昨日、政府の教育再生会議が1次報告を提示しました。私は安倍内閣を褒めはしませんが内容としましては良いものだと判断しております。「9月入学」は反対ですが「高校での奉仕活動」、「不適格教師の排除」は遅きに失した政策であります。社会への奉仕は相互扶助の精神を養う上で役立つでしょう。「いじめや暴力をふるう子供への出席停止」は世の中の厳しさを教える良い機会となるはずです。彼らが今まで自分の我がままを通すことが出来たのは弱者に危害を加えても罰を与えられないからでした。これではますます増長するばかりです。こんな犯罪予備軍は一度、隔離し徹底的に社会のマナ-及び他人(特に弱者)を思いやる精神を心身ともに叩き込むことが必要です。この1次報告をまとめると“これからは甘えを許さない”という意志の表れかなと私は思います。(ついでに言うと安倍内閣の閣僚の皆さんも甘えないで下さいね。)本日はこれで終わり早めに寝る予定でした。(明日は新年会そしてススキノに繰り出すため体力温存したいので。)ところがまたまた同じ日本人として情けなくなる“事件”を目にしました。「給食費未納」です。健康問題などで仕事に就くことが出来ずに給食費を納められない人に対して免除することは仕方ないのですが高級品を身につけた人が支払いを拒否しているとは、とうとうこの国も末期状態に到達しつつあるのでしょうか?これは「食い逃げ」と同等の犯罪です。更に恥ずかしいことに北海道は未納額がワ-スト1です。こうなると今度は保護者(親)を再教育しなくてはいけませんね。その場合、どんな方法が良いのでしょうね。1年間山に篭らせ晴耕雨読の生活をさせて精神的に目覚めさせるか軍隊を組織しそこで再教育させるかのどちらかでしょうね。ちょっと話が飛んでしまいますが、第二次世界大戦で若くして亡くなっていった皆さんはこんな国民が蔓延る国家を創るために犠牲になったと思うと申し訳なく思います。
2007.01.25
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今日は帰宅後すぐにアスレチッククラブへ直行。前回のトレ-ニングから2日間隔をあけたので少しは体力が回復していました。今日の内容は以下の通りです。バイク漕ぎ:20分。 腹筋:30回×2セット。ベンチプレス:62.5kg×7回 77.5kg×5回 87.5kg×3回 102.5kg×1回 112.5kg×1回 117.5×1回 102.5kg×4回 90kg×5回年末時に比べ体重が3kgも減少したので重量・回数共に平凡な数字です。その後、カリスマインストラクタ-のワシャ先生に教わった10kgのダンベルでのフライを10回。再帰宅後、すぐに夕食を食べ少し休んでから寝るつもりが北教組(北海道教職員組合)に関するニュ-スを読みブログを書くことを決めた次第です。読売新聞によると北教組(北海道教職員組合)が昨年12月に行ったいじめ実態調査に対し、道内全21支部へ協力しないよう「指導」していたとのこと。まず始めに、4月の知事選・札幌市長選の前に突然この様な事実が明るみになったことに不自然さを感じながらも北教組は一体、何を意図してこの様な非人道的な行為をしたのであろうか。いまや小中学生のいじめによる自殺・不登校の数は相当なものである。自殺などという表現はまやかしで私は“人に愛されたことの無い精神的に貧しい親に育てられた欠陥児童による殺人”であると常々考えている。いじめが行われている場所(現場)は圧倒的に学校内であろう。であるならばまず教師が率先して学校内でのいじめ調査をするという姿勢が「税金で生活している」教師の義務であると思う。北教組は調査をすることの何を恐れたのであろうか?残念ながら今の私はこの密室集団と付合いは無いので明確な事実はわからない。わからないのであるが彼らは明らかに21世紀において「負の遺産」に成り果ててしまったのである。民間会社であれば今頃、トップがお詫び行脚に奔走しているであろう。ここ数日、TV番組製作会社又は菓子メ-カ-は世論から袋叩きにあっている。健全な資本主義社会では競争のみならず公平であるとか社会正義といった思想が求められるのである。彼ら北教組はある意味「お子ちゃま集団」なのかもしれない。それはそうであろう。なぜなら大学を卒業した22、23歳の若者がいきなり「先生」と呼ばれてしまい少なくとも教室では独裁状態なのだから。(一部学級崩壊で教師が存在意義を無くしているケ-スもある様であるが。)教師(公務員)の身分保障は自己保身のために存在するのではなく不当な国家権力の介入を防ぎ、将来を担う人物へと子供を育成するためにあるのである。自己保身か暇つぶしのための選挙活動に労力を費やす時間と体力があるならば安倍総理が提唱している教育改革を凌ぐ政策を提示することが北教組の使命ではないだろうか?老婆心ながら資本主義とは自己努力を怠った組織が崩壊する方程式が潜んでいることを忠告しておきたい。
2007.01.24
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昨日、そのまんま東氏が宮崎県知事選挙にて当選した。宮崎県が「保守王国」ということを鑑みると“圧勝”と表現してもしすぎることはない。私はそのまんま東氏とは面識は全く無いのであるが氏は私の出身大学の後輩である。(学部も同じ。もっとも年齢も地位も氏の方が遥かに上であるが。)過去に何度か不祥事をマスコミに取り上げられたが大学に再入学して地道に学の追及をしてきた。正直、私は氏が当選するとは思わなかったのである。ただ幾つかの情報によると相当、接戦を演じているということであった。前知事の逮捕をうけての選挙であるから既成政党の推薦を背景にした候補者は苦戦するとは思っていたが県民は東氏の「ひたむきさ」に賭けたのかもしれない。私が東氏の戦法で最大の賛辞を送りたい点は“氏の勇気ある決断と実行”である。私の同級生や後輩にも議員はいるが本当に厳しい仕事である。まさに勝てば官軍負ければ賊軍という表現がピッタリである。勝っても周囲からは好奇の目で見られあることないことを言われるのが当たり前なのである。そんな世界にたった一人で生まれ故郷に単身乗り込んでいった勇気・決断力は感服に値する。選挙中は仲間のタレントを呼ぶことも無く真剣なまなざしで自分の言葉で「思い」を主張するその姿勢に世代を超えた選挙民の共感を得ることが出来たのだと私は考える。やはり人を動かす原動力は人である。お金ではない。(テ-マから逸れてしまうが同じことは恋愛にもあてはまるのではないだろうか。)今回の東氏当選で私はあらためて、その事実を痛感した。新聞によると東氏は当選の「バンザイ」はしなかったそうである。これまた拍手喝采である。私は選挙の度に思う。当選はあくまでほんのわずかな通過点である。本当の困難は当選直後から始まるのである。であるならば周囲の支援者と笑いながら「バンザイ」など出来ないのではないだろうか。これからの自らに課せられた重責を考えると歯をくいしばり覚悟の程を再認識する方が自分に夢を託してくれた有権者に対する誠意と感謝の表現であると私は思う。とはいえ県議会はオ-ル野党らしい。これからの舵取りは容易ではない。しかし自らを清潔にし天を敬い県民を愛する心を持ち続ければ道は開けるであろう。西郷隆盛翁は言った。「金も命も名誉も欲しがらないという者は困った人物だ。しかしこういう困った人物でなければ国家の大事に対処することはできない」と。政治家に限らずこういう困った人間は今の日本にはたして何人くらい存在するであろうか。私など恥ずかしながら、その困った人間に近づいてもいない。
2007.01.22
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こんばんは。 まだ疲れが取れないので本日は家でゆっくりくつろぐ予定でしたが福藤選手の活躍に刺激され老骨に鞭打ちトレ-ニングに出かけました。 私が会員になっているアスレチッククラブは自宅から徒歩で通える場所に位置しており大変、便利です。 ここは子供は入会出来ないため快適です。(小学生が会員の場合、ロッカ-ル-ムが彼らの集会場所になり着替えのスペ-ス確保が困難になります。) 私は年末に体調を崩し、未だ完全復調とはいえません。 そのためトレ-ニングの量・質共にセ-ブしているのが現状です。本日は、軽いランニング・バイク漕ぎ(20分)・ア-ムカ-ル(3セット)・ショルダ-プレス(2セット)・ベンチプレス(52.5kg×7回、77.5kg×5回、87.5kg×3回、102.5kg×1回、112.5kg×1回、117.5kg×1回、102kg×4回)と調子が良くなかったです。 このクラブのカリスマインストラクタ-のワシャ先生からアドバイスをいただき次回への飛躍に役立てる予定です。(因みにワシャ先生もブログを開設されております。「ワシャのささやか自己満足」で検索してみて下さい。) 身体は疲れていてもトレ-ニングをすると元気になります。皆様もぜひ身体を動かして下さい。 話は全く変わりますが今朝、日テレ(札幌はSTV)の「波乱万丈」を観ました。 私は時間のある限りこの番組を観るようにしています。 本日は居酒屋「ワタミ」グル-プ社長の渡邊社長の「波乱万丈」でした。 私はかねてより渡邊社長の生き方・哲学に敬意を持っていますので食い入るようにして観ておりました。本当に魅力ある経営者ですねえ。 実は私は最近、知ったのですがこの「波乱万丈」の番組作成を担当しておられる方の一人が私が親しくさせていただいている方のご子息なのです。 その方は東京在住で会社を経営されていらっしゃいます。その方は鹿児島出身で何と私が最も敬愛する西郷隆盛先生とは親戚にあたるのです。 私はそのことを一昨年に知りました。 それまではそうとは知らずにお付き合いさせていただいておりました。 人生、不思議な縁で結びついているものです。 では明日から一週間、元気で頑張りましょう。今週は私も少し忙しくなりそうです。 写真は昨年の西郷先生の命日に鹿児島へ行った時に写しました。桜島をバックにポ-ズをきめてみました。
2007.01.21
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こんばんは。今日はゆっくりと家で心身を休めることは出来ませんでした。休日になったらなったでヤボ用が発生しまして・・・。でも夕方、石狩の「番屋の湯」に行ってきました。もう暗かったので海を眺めることは不可能でしたが癒されました。さて本日の話題はアイスホッケ-です。昨夜のフジTV(札幌はUHB)の“すぽると ”という番組を観ていたところ日本人初のNHLプレ-ヤ-・福藤豊選手(GK)の特集が放送されていました。実は、私はアイスホッケ-が3度の食事より大好きなのです。18日の試合で17本のシュ-トを防ぎチ-ムに残留出来たとの事。良かったですねえ。アイスホッケ-というスポ-ツは「氷上の格闘技」と言われる程、激しいスポ-ツです。ですからこの競技で必要不可欠な要素はまず体力です。つまり体が大きて筋力が強くなければ大成しないスポ-ツなのです。ですから昔から日本人には向かないスポ-ツと認識されてきました。GKというFW・DFに比べ体の接触は少ないですがNHLの試合に出場するということは素晴らしいですね。(言葉・文化・食事面でも日本とは異なることが多い中でですから尚更です。)私がアイスホッケ-に強い関心を持つ理由というかきっかけは私の親戚にアイスホッケ-選手がいたことが大きいです。その親戚は名前を書けばオ-ルドファン(40歳以上)なら誰でも知っている人です。彼は某強豪実業団チ-ムにて活躍しました。ポジションはFWでした。身長は160cmと小柄でしたが俊足を生かし札幌オリンピックをはじめ合計3度のオリンピックに出場し、ベスト6にも数度選出されております。引退後は全日本チ-ムのコ-チそして自分が所属していたチ-ム監督を務めました。私はその親戚からアイスホッケ-の事を聞いて関心を持ち、観戦するようになりました。また、彼からは多くのことを学ばせてもらいました。彼の経験を聞かせてもらうことはまだ若かった(私は今も自分を若いと思っていますが・・・。)私にとって精神的支柱となるものでした。あれは私が就職して何年か経過した時のことです。彼に食事をごちそうしてもらう機会がありその会食時のことです。彼が何気なく発した言葉は今も私の脳裏から離れません。「俺の人生で楽しかった出来事はあまり記憶にないんだよなあ。むしろ苦しい練習や試合中に辛かった記憶の方が今でもはっきりと覚えているんだよなあ。」彼は私にしみじみと語ってくれました。当時の私は仕事の重圧で苦しんでいました。そのことをポツリと彼に話してしまいました。彼は私を激励しようと自分の体験を披露してくれたのです。リンクの中は彼よりも大きい選手ばかり。しかも外国人とも戦わなくてはいけません。私が想像する以上に彼は苦しい体験をしてきたのでしょう。私はそれ以来、辛いことがあると彼の言葉を思い出しております。「苦しみもいつかは良い思い出となる。そしてそれは自己の内部にて鮮明な画像として残存する。」と。福藤選手は日本を離れてから多くの困難に遭遇したことでしょう。そしてこれからも険しい道が待っているでしょう。でもどんなに辛いことが身に降りかかってもそれは良い思い出を実らせるための種だと思って乗り切って欲しい。ひょっとすると、低迷を続けている日本アイスホッケ-の再生は福藤選手の双肩に掛かっているのかもしれないのだから。頑張れ、福藤豊選手。明日は私もトレ-ニングに行きます。
2007.01.20
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こんばんは。今日は会社の引越しでした。(とはいえ社内での3F→1F移動でした。)私は趣味でウエイトトレ-ニングをしておりますがトレ-ニングとはまた一味違った疲れでした。もう少し若い時なら今夜はススキノで“引越し祝い”をしていたところですが疲労のためまっすぐ帰宅しました。この程度で「疲れた」なんて言うと戦国時代の武士に笑われてしまいますね。我が敬愛する西郷隆盛軍が西南戦争(日本最後にして最大の内戦)に費やした期間は何と7カ月以上でした。まあ、生きるか死ぬかの戦争と単なる引越しとを比較することは愚かなことではありますが直面する覚悟が異なるのでしょう。実際、桐野利秋さん(大隊指揮長)は戦争の合間に敵陣の遊郭に乗り込み、豪遊したそうですから勇気があるというか豪傑です。(桐野さんの殺伐としない逸話では香水好きが挙げられます。明治10年のこの戦争時、何とシャネルの香水をつけていたそうです。)私が桐野さん程の心臓を持っていたなら今夜はススキノで豪遊していたでしょうね。話がそれましたが明日はゆっくりしたいですね。おやすみなさい。
2007.01.19
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はじまして。北洲です。(別名はマス小山ですがこのブログでは北洲です。)これから宜しくお願いします。不慣れなものでまだ写真など準備が出来ておりません。このブログでは日々発生する私の出来事及び社会のニュ-スそして回顧録を織り交ぜながら進めて行きたいと考えております。タイトルにも書きましたが私は明治維新の英雄・西郷隆盛先生を心より尊敬しております。命日には札幌から鹿児島へお墓参りに出かけております。今の荒廃した日本における処方箋は西郷先生が道半ばでなしえなかった施策を実現することなのではないかなと考えております。とはいえ西郷先生と日々の出来事をリンクしすぎることなく、言いたい事を遠慮せず書き込みます。お付き合い宜しくお願いします。
2007.01.18
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