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隠居人はせじぃさん
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諏訪大社はお諏訪様と呼ばれる諏訪神社の総本社。上社と下社があり、
上社が本宮(諏訪市)・前宮(茅野市)、下社が秋宮・春宮(共に下諏訪町)に分かれる
二社四宮で鎮座。上社は建御名方神を祭神とし、古くは風の神、水の神、農耕・狩猟の神として
信仰を集めていたとのこと。
中世以降は東国第一の軍神として崇拝され、名将たちが全国各地に分霊を持ち帰ったのです。
そのため全国に一万余りの御分社が祀られているとのこと。諏訪造りと呼ばれる本殿をもたない
建築様式で、社殿と神宝は国の重要文化財に、社叢は県の天然記念物に指定されて
いるのです。
下馬橋(太鼓橋)

諏訪大社下社春宮の大鳥居の前、御手洗川にかかる反り橋です。長さ10m・幅3mほどの
小さな橋でしたが、桁行四間の銅瓦葺の屋根がかかっていました。
1578年(天正6)に造営され、現在の橋は元文年間(1736~1740)に修築されたものとのこと。
昔は境内に入る前に下馬し、参拝したと。現在でも遷座祭(神霊を本殿から仮殿へ、
または仮殿から本殿へ遷す祭)の際は、御霊代[みたましろ]の御輿はここを渡るのです。
諏訪大社下社春宮の大鳥居
下社は妃神の八坂刀売命〔やさかとめのかみ〕を祭っています。、八坂刀売は下社背後
の和田峠守護の神と考えられているのです。

鳥居をくぐり境内に入ると中央に神楽殿が。太い注連縄が飾られていました。

下社では半年ごとに遷座祭が行われ2~7月には春宮、8~1月までは秋宮に祭神が交互に
鎮座が変わるとのこと。この神事は秋に山の守護となっていた山の神が春になり里へ降り
農作物の守護となる田の神に変わるという行為によく似ているとのことです。
幣拝殿。昨年9月から取り組んできた屋根の修復工事が終了し、これまでの銅板ぶきから、
昭和初期の姿という檜皮ぶきに戻ったとのこと。

幣拝殿の見事な彫刻は、案内によると、柴宮長左衛門によるとのこと。

下社春宮には本殿が無く御神木である杉の木を祭っていているとされ、その前には東西宝殿、
さらに前には幣拝殿と左右片拝殿が建立され、さらに境内を囲むように4本の御柱が
建てられていました。

これらの社殿配置は諏訪大社特有のものとされ、諏訪周辺の神社にも同じ様な系統の
神社が分布しているのです。
諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を
建て替える祭りを行うのです。この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、
諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です。
そしてこの祭りが今年行われたのです。
![B8E6C3ECA4C1A4E9A4B7[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/26/0000715226/78/img5b11893czik2zj.jpeg)
今年5月に立柱された春宮二乃御柱。
直径約1メートル、長さ約16メートル、重さは約12トンもある樅(もみ)の大木なのです。

諏訪大社の御柱祭だけでは終らないのが、諏訪の御柱のすごいところ。御柱の年である
寅と申の今年は諏訪一円のあらゆる小宮でもそれぞれの地区や団体ごとに御柱祭が
行われているのです。中には「大社には胸を貸しただけ。本当のお祭りは小宮の方だ」と
いう人もいるほどと、屋台の土産物屋のオジサンの話でした。
そして更に、この御柱祭、実は何の為に行われているのか今となっては誰も知らないと。
なにしろ、諏訪大社自身さえ、なぜこのお祭りが始まったのかはわからないのだと。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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