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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
先日は単身赴任の同僚の住居にお世話になってしまいました。
前日の深夜までの酒宴と翌朝の8時からの早朝会議に出席の為・・・と言い訳なのですが。
そして、いつものように朝5時に起床、6時になり明るくなってきましたので近くにある
洗足池まで早朝散歩に一人で出かけました。
目の前の中原街道を歩道橋を利用して横断すると洗足池公園。

洗足池は、 武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、 昔は千束郷の大池と呼ばれ、
灌漑用水としても利用されていたとのこと。

池の周遊道路を歩く。

歩いて行くと三連太鼓の形の池月橋が池に架かっていた。

橋の受けからの朝の陽光。

橋を渡ると赤い鳥居が見えて来た。

千束八幡神社。

階段を上がると正面に拝殿が。

鳥居の傍らに「池月発祥の由来」の説明板があって、 神社と名馬池月について記載されて
いました。少し離れた場所に名馬池月(いけづき)の銅像が。
平家物語にもでてくる源頼朝の名馬、池月。
頼朝が、安房で再挙兵し平家打倒を目指し鎌倉を目指していた途中、この千束の大池に
宿営。八幡丸の丘を本陣に。その夜、ここへ一匹のたくましい野馬が現れ天地を振るわす
ようにいなないたと。その青い毛並みに白い斑点を浮べた姿が、池に映る月影のようで
あったと。
そこで、この馬は「池月」と名付けられ、頼朝の名馬の一つになったと説明板には。

公園の北側の池には多くの種類の野鳥が羽を休めていた。
そしてこれから芽吹くであろう水生植物群も手前に。

池月の銅像を過ぎると、 弁財天が祭られている池の中の小島弁天島が。
朱色が鮮やか。ここには、早朝散歩の多くの方々が次々にやって来て手を合わせて
お祈りをしていました。

この時期のくちばしが黒いので小鷺であろうか?

多くのキンクロハジロも朝の陽光を浴びていた。

6時半になると池の周囲の広場に多くの老若男女が集まりラジオ体操を始めていた。

洗足池の名前の由来は、日蓮上人が身延山から茨城に向かう途中、 写真の妙福寺に
立ち寄り、池の水で足を洗ったことから名前が付いたとされていると。
竹林に覆われた妙福寺は池の南東に。

奥に進むと日蓮像がありました。

妙福寺の奥の池岸からの洗足池、だいぶ明るくなってきた。

ボート乗り場は洗足池駅からすぐ。

かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「洗足軒」があったが戦災で焼失したと。

勝海舟夫妻の墓。
勝海舟はいわずとしれた江戸時代末期、明治時代の政治家。咸臨丸で渡米、
江戸の無血開城など数々の偉業がある人物。
![120714-041s[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/07f470a426a63afa8c4518b0e4092e6db8811b7d.15.2.2.2.jpg?thum=53)
そして洗足池図書館。

池のある公園としては都内でも屈指の広さを有する洗足池公園の約40分にわたる
早朝散歩を楽しんだのでした。
桜は僅かに開きかけたばかりでしたが、野鳥や鯉に出迎えられ、爽やかな早朝散歩だった
のでした。
東京でも有数の桜の名所とのことで、この週末の花見時には大変な賑わいとなることが
容易に想像することができたのでした。
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