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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
昼食は近所の食堂で刺身定食を満喫。
帰り際に気がついたのはこの正月飾り。
我が地域では七日正月(小正月 )の行事として、正月の門や玄関に飾る松飾りなどを
家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やしてしまうのですが、この店には未だに
飾られていたのであった。
店主の女将さんに聞いてみると、この天草では1年間しめ縄を飾り続けていると言う
珍しい風習なのだと。
この1年間中飾られている風習は、よく天草島原の乱によるキリシタン弾圧により、
「我が家はキリシタンではありません」ということを示すためにしめ縄飾りが1年間
飾られているという話もあると女将から。
考えてみれば、正月飾りの注連縄は、家を建てるときの地鎮祭や安全祈願祭などで
行う神事の際に、四方に縄を巻いて作る結界を簡略化したもの。
ということで、正月飾りの注連縄は、1年間家の中に悪いものが入ってこないように
飾るのであるから、これも十分理解できるのであるが。
天草にはこの古い風習が今も残っているのであった。
![img_6[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/4f2a810f976a62f0eb1062fec5f834872174d905.15.2.9.2.jpeg)
この日の仕事を17時過ぎに終え、ホテルへの帰路は海岸沿いをドライブ。
現場の栖本町は河童の伝説が残る町。

![122d7239-s[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a8685b410da59714acfb3701fb3f13575e9a2e0c.15.2.9.2.jpeg)
東シナ海も夕方を迎えていた。

![P2021219[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/47ed274b5ed2c550ab938e50dbedf17a32bb14d5.15.2.9.2.jpeg)
この時は引き潮の時間。
遠く東シナ海に浮かぶ島々。
運転の同僚は今年3月までは仙台支店勤務そして4月からは博多勤務に異動し
ここ天草担当を任されているのであった。
仙台勤務時代、三陸海岸を運転していたことを思い出すと懐かしさがしきり。

![P7311814[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/5b81bcaa906016dd2930387784d53eba90d28f67.15.2.9.2.jpeg)
地元のオバチャンが引き潮を利用して収穫中、何であろうか?岩海苔?

![140046014550776069228_20140411-0047Rs[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/f1ebb17723c92d2e5bd7e0bbe39dfde4a852da60.15.2.9.2.jpeg)
そして天草ループ橋。天草市にある本渡瀬戸に架かる 天草瀬戸大橋 。
天草の上島と下島を繋ぐ橋。この橋は両端がループしているがこれは下を船が通る為に
海面からの高さをとるため。全長約700mとのこと。

![6bf81ed3a52ecc892b021fd1f5bbd374[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2392106d76717fec23ef20fd1460f76560e6481a.15.2.9.2.jpeg)
橋の下には陸に上がった船が横たわっていた。
現在ダイビングスクールとして利用されている模様。
運転する同僚は3.11東北地方太平洋沖地震で陸地に津波で打ち上げられた多くの船を
見ているだけにあまり見たくない光景と。

![71f7a29d7cd0c23c26bb7c8a31047497-1016x677[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c8092da7a0794a5f6b4ce32a8a1f83696e3e232a.15.2.9.2.jpeg)
そして18時を廻っていたがこの日のホテルに近い天草の観光スポットの石橋に立ち寄る。

「祇園橋」
![64[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/75739bde77a136a34b914d360b9b2365c3f42c59.15.2.9.2.jpeg)

天保3年(1832年)に建造された多脚式アーチ型石橋で45脚の角柱によって支えられて
いる全国的 にもめずらしい造りの橋。
![caption[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e6944ce12acd2c538c814597eb329b71c6d5c8db.15.2.9.2.jpeg)
道路部分はびっしり石板が敷いてあるのだ。
祇園神社(八坂神社)の前にあるので「祇園橋」と言われており、国指定重要文化財と
なっているのだ。![d0116009_17265246[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/951625d3f1ba2387809e8bb3072cd917de3383e5.15.2.9.2.jpeg)
長さ28.6m、幅3.3、約30cmの角柱の45本に支えられているのだ。
寛永14年、天草・島原の乱で町山口川を挟んでキリシタン軍と唐津藩との死闘が繰り
広げられた。川原を埋め尽くした屍を弔うように橋の近くには橋本徳壽の歌碑が立っていた。
![21d9919cb431855948428e6361de38f0[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6344d9273c058e124d28e8dd65566b988e59b9f8.15.2.9.2.jpeg)

奥に見えるのが祇園神社(八坂神社)。
![src_40689168[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e1e17e5e16b7830b898dd6bd64b72cb9fa5ba445.15.2.9.2.jpeg)

そして天草キリシタン館へ向かう。
キリスト平和像。

![b948a_0001400801_1[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0459b56d0bbedfa68027f88adfda144a04dd7afb.15.2.9.2.jpeg)
18時を過ぎた時間であったため、天草キリシタン館は既に閉館。
エスカレーター、階段入り口はチェーンは張られ入場禁止。
16世紀後半、天草にキリスト教が伝来してからのポルトガルを中心とした南蛮文化、
天草・島原の乱、天領となった天草の代官鈴木重成の功績や隠れキリシタン、明治の
文豪北原白秋ら五足の靴の詩集などを一堂に展示してあるとのこと。

![1_201702041550335a5[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2b52508f79b0738b743bf85ed0cbd9ea9ab2ef0b.15.2.9.2.jpeg)
そして明徳寺(みょうとくじ)へ
天草・島原の乱後の人心平定とキリスト教からの改宗を目的として建立された
曹洞宗の禅寺。
![img_3[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c53d59a0fa80513d996880ea459960358a2022d2.15.2.9.2.jpeg)
向陽山明徳寺の山門。
天草にある楼門の中で、最もすぐれたものであると。

![090620_01[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/3c66c70b37b419064785e01a293ef13cfcfe9a83.15.2.9.2.jpeg)
皆さんご存知の、「あ・うんの呼吸」の語源になっている二体が、息の合っている様子。
口が開いている像なのでこちらが阿形像。

![86d9fc445bd968a6237678a2989975e1[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/70bf7443d1b07cc3f234d6a12a08e13edc344286.15.2.9.2.jpeg)
口が閉まっているのでこちらが吽形像。

![DAL-bH-VoAA-65D[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/8065f1e53dfeb3869e4993a3adcea610a35e7e2e.15.2.9.2.jpeg)
明徳寺・本堂
![myoutoku113[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/fd640bc3a4c451630d7709b350fe3c29014e0cad.15.2.9.2.jpeg)

そしてホテルへ。既に19:15を過ぎていたが未だに明るいのであった。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18
牛久大仏へ(その1) 2025.11.17