PR
Keyword Search
Comments
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
仕事で鉾田にある我が事業所への帰りに、水戸からの予約した特急電車の発車時刻に
余裕があるため、車で水戸城跡を訪ねました。
まず最初に弘道館へ。弘道館は現在工事中。
弘道館は水戸藩の藩校として第9代藩主 徳川斉昭により天保12年(1841年)8月に
創設されたのです。
国の重要文化財の正門の両脇にはブルーシートが。


正門は本瓦葺きの四脚門で、藩主が入館する際など正式な場合のみ使用され、
学生や諸役人は別の通用門から出入りしたっとのこと。


弘道館の梅園。
内部の正庁や至善堂は工事壁で囲まれていました。


根元をムシロで保護された梅の老木。


弘道館を後にし水戸城址へ。
大手橋手前には徳川斉昭の立像が。


石橋の大手橋。


水戸藩の初代藩主 徳川頼房の像。水戸徳川家の祖。徳川家康の十一男。


御製碑。
昭和天皇が、終戦直後の被災状況を視察するため、昭和21年11月18・19両日
水戸に行幸されたときに、県庁屋上から市街をみわたされて
「たのもしく よはあけそめぬ 水戸の町 うつつちのおとも たかくきこえて」
と復興ぶりの歌を詠まれたのです。


水戸第二中学校前。敷地内には,旧彰考館(しょうこうかん)跡地が。
彰考館は、江戸時代に水戸藩が『大日本史』を編纂するために置いた館。


中学校の前には茨城大学附属小学校が。丁度生徒の下校の時間。


水戸城の歴史を展示した「二の丸展示館」。10月にオープンしたばかりとのこと。


中には発掘された遺品が展示されていた。


展示物は多くはないが、水戸城の様子やかの光圀が編纂を始め明治39年に完成したと
いわれている「大日本史」のコピーも展示されていた。
水戸二中の歴史が昔の写真と共に説明されていた。


水戸黄門に出てくる助さん格さんの格さん像。

格さんは実在の人物がモデル。格さんのモデルになった人物の本名は
安積 澹泊(あさか たんぱく)であることを初めて知ったのでした。
テレビで活躍したような史実は全くなく、文学の人。
主に藩主の命を受け、日本史の編纂に携わったと。


その編集の地が此処であることを示した『大日本史編集之地』と刻まれた石碑。


まっすぐに車を進めると、県立水戸第一高校の入口へ到着。
水戸第一高等学校前の石橋の下には、本丸と二の丸を仕切る大きな空堀が。
ここは現在は水郡線の線路になっていた。


名門水戸第一高等学校の正門を中に入る。


学校の入口を入ると、すぐ左手に薬医門(橋詰門)が建っていた。
これが水戸城で唯一残されている建物。間口五間五尺の堂々たる門で、佐竹氏の頃の
物と推定されていると。昔は茅葺でしたが、現在は銅版葺に葺き替えられているのです。
明治維新後、いったん城下の寺へ払い下げられたそうですが、後になって再び現在の
地へ移築されたと。(県指定文化財)

水戸一高の校舎前の『わが道をゆく』と書かれたモニュメント。
創立130周年記念事業として建てられたもので、モニュメントに書かれた「わが道をゆく」
は終戦後の校是・校歌が使用禁止されていた時代に、生徒たちがこもごも口にした名言
であるとのこと。


校是 「至誠一貫」 (しせいいっかん)の文字が刻まれていた。
「真心をもって何事にも立ち向かう」という意味。


「堅忍力行」 (けんにんりょっこう)。
「困難を強い意志で耐え忍び努力して実行する」という意味。


車で駅に向かうと、美しい銀杏と紅葉が。


桜川。


水戸駅構内には「笠間稲荷の菊」 が展示されていた。


定刻通りに到着した特急で上野へ。


牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18
牛久大仏へ(その1) 2025.11.17