JINさんの陽蜂農遠日記

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2014.02.16
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カテゴリ: 国内旅行

島原城を訪ねてきました。

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城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴。

成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べたと。

火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす

一因となったとのこと。 

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紅梅、白梅も見事。 

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約250年間4氏18代の居城として歴史上からも数々の歴史を生んできた城。

 しかし、明治維新により廃城が決定、明治7年解体され、以来90年、天守閣無き城跡だけがその面影を

とどめたと。昭和35年に「西の櫓」を復元、次いで昭和39年「天守閣」、48年「巽の櫓」

55年「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元されたとのこと。

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雲仙普賢岳は雲の中。 

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大きな新聞?を翳し写真撮影する人の姿が。 

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観光復興記念館で噴火活動の経過をはじめ、島原の歴史・文化・観光名所などを映像及び資料を

見る。

折しも、島原の歴史的なたたずまいと文化などを楽しめる「島原城下ひなめぐり」が開催されていた。 

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美しい手まり。 

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武家屋敷を歩く。 

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島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼ぶ。鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、鉄砲町の名は

鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、まるで鉄砲の筒の中を

覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われていると。

7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が

690戸あったと。町筋の中央に流れる清水は、北西の「熊野神社」を水源とし、飲料水として使われ、

水奉行を置き、厳重に管理されていた。             

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現在、保存されている下の丁の武家屋敷は、延長406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで

、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれるのであった。 

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熊本へはオーシャンアローフェリーを利用。

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日本を代表する高速フェリー。熊本まで約30分で。

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熊本に向かって出港。 

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カモメが船を追う。 

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フェリー艦内。 

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漸く普賢岳が姿を現す。 

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フェリーからは天草諸島の玄関口になっている宇土半島の山々が。 

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Last updated  2018.02.16 17:11:42
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