PR
Keyword Search
Comments
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
険しい空堀とそこに架かる 廊下橋という石橋
。 
橋の手前には、竹千代像と家康公像が。
同一人物の幼少期と大人の時代の姿が一ヶ所に並んでいるというのは珍しい?

二の丸能楽堂。
この能楽堂は現在、国内で最初の市立能楽堂として知られていると。

家康の「しかみ像」の石像。「しかみ像」は若かりし頃の家康が三方ヶ原の戦いで武田軍に
挑んで大敗した自分の惨めな姿を描かせたと言われる肖像画のこと。

無理な戦いで多くの家臣を失った家康が自責の念を忘れないため描かせた絵姿が
石像になっていた。

三河武士のやかた家康館。

入口に葵の紋が輝く三河武士のやかた家康館へ。
館内は、徳川家の先祖である松平氏から家康公75年の生涯を時代順に解説されていた。
特に、関ヶ原の合戦をリアルタイムに再現したコーナーは人気。

からくり時計。00分と30分に家康の舞う姿が見えると。

からくり時計の中の様子がこれ。時間になると扉があいて家康人形が能を舞うのだ。
家康人形がちょこちょこ手を挙げて舞う姿はなかなか愛くるしいのであった。

騎馬像が噴水の中に。19歳の松平元康(家康)が岡崎家臣団と共に岡崎城へ帰城する姿で
あると。

徳川家康像。
東の方角を向いているのは、やっぱり江戸や駿府の方角ということか?

岡崎城を屋根に乗せたユニークな電話BOX。

岡崎城 大手門を内側から。

岡崎城 大手門の正面。

大手門から1号線を東に歩いた場所に浄瑠璃姫の供養塔が。
『浄瑠璃姫は、年老いて子供のいなかった矢作(やはぎ)の長者が、日頃から信仰していた
鳳来寺の薬師瑠璃光如来にお願いして授かった子と。
1174年3月、牛若丸(後の義経)は、東北地方の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、
矢作の里を訪れ長者屋敷に泊まりました。その娘の弾く琴にひかれ、
持っていた笛で吹き合わせたことから二人の間に愛が芽生えます。
しかし義経は東北へと旅立たなければならず、笛を形見に預け、旅立ちます。
姫は笛を大事にしていましたが、義経への思いは日に日に募るばかり...
悲しみのあまり、とうとう菅生川(乙川)に身を投げて死んでしまいます。姫は17歳だったとか。
二人が別れて10年が経ち、義経が矢作に戻ったときには、姫は亡き人に
なっていたという、悲恋話』 と説明版に。

菅生川(乙川)に架かる橋からの岡崎城天守。

そして名古屋へ。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18
牛久大仏へ(その1) 2025.11.17