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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
日本百名城のスタンプラリーとして、我が家から距離的には
一番近い小田原城へ行ってきました。
小田原駅にあった歌川広重作 「東海道五十三次 小田原」。
手前を流れるのは酒匂川、そして向こう岸の右側には箱根の山々、
そしてその麓に小田原城が。
小田原城に向かって歩く。旭丘高校前から小田原城天守閣の姿が見えてきた。


小田原駅から「お堀端通り」を進むと、まず最初に東堀に至る。朱色の橋は学橋。

その奥(南側)には、二の丸隅櫓、馬出門土橋が連なる。

馬出門土橋(めがね橋)。
小田原城の正面入口。ここから本丸までたどります。
馬出門土橋(うまだしもんどばし)を渡った所に、平成21年3月に馬出門が完成。

馬出門に向かって進む。

馬出門。
馬出門は、二の丸正面に位置する門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、
寛文12年(1672)に桝形形式の門に改修されたとのこと。
馬出門とは、騎馬兵を出す場所の意味で、出撃時、城兵を敵から隠すことができると。

馬出門から入城した場所が馬屋曲輪。
馬屋曲輪から見る銅門。住吉橋と内仕切門、その後方は櫓門。

観光案内所(昭和初期建築の旧市立図書館)。2階に歴史資料展示室がある。

馬屋曲輪と二の丸の間の住吉堀を跨いでいる住吉橋。
1997年に復元された銅(あかがね)門に通じる通路上にあった。

銅(あかがね)門。
馬屋曲輪から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。
渡櫓門(わたりやぐらもん)、内仕切門(うちじきりもん)と土塀で周囲を囲む
枡形門(ますがたもん)の構造。
銅門の名前は、大扉などに使われた飾り金具に、銅が用いられたことに由来。

写真左は伝銅門礎石。
この石は、銅門で用いられていたと考えられている礎石。使用状況は、石の大半を土中に埋め、
ホゾ穴に柱材を固定して礎石としたと説明板に。

歴史見聞館。
小田原城の始まりから現在に至るまでや、小田原北条氏の歴史を、模型、音声、映像などで
分かりやすく説明していました。

常盤木橋へと進む。
常盤木橋の下には本丸東堀跡が。

常盤木門(ときわぎもん)。
小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。
常盤木(ときわぎ)とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、
この名がつけられたと言われているとのこと。
市制30周年事業として、昭和46年(1971)3月に再建されたと。

常盤木門(渡櫓門)から城内に入ると動物園が。

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