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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
仕事で、前夜泊にて鳥取に行ってきました。
鳥取駅前のビジネスホテルに宿泊。
そして翌朝はいつもの早朝散歩。
この日は前日予約したレンタカーにて鳥取城へ。
途中の交差点正面には吉川経家像が 。
秀吉の鳥取城攻略に頑強に抵抗したのが毛利の援軍として派遣されたこの吉川経家。
秀吉の手によって城は落とされたが、経家の勇姿を惜しんで、平成5年に銅像が建立された。
画像などが残っていなかったため、生存する直系子孫の顔写真などを参考にしたという。
尚、「笑点」でお馴染みであった故三遊亭圓楽 (5代目)が経家の子孫とのこと。
また、この銅像の奥に、搦手門であったが、武士の通用門となっていた南の御門が
あったようだが遺構は残っていない。背後の山が鳥取城。 
鳥取城へ入る交差点の角にあった「ふるさと」の碑。
おそらく知らない人はいないほどの有名な曲。
『兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷』
その作曲をしたのは鳥取出身の岡野貞一。
というわけで、ここに顕彰するため碑があるのだと。

勿論、早朝の為仁風閣への扉は閉じられていた。

鳥取城入り口への階段。

中仕切門より入る。

鳥取城跡内に残る唯一の建築物。強風で倒壊したが、勇志により修復されたと。

見上げると、石垣を横に継ぎ足した跡を発見。隅石が途中までしかないので、
横に積み足した際に上にも積み足したということだろうか。
あるいは地震等で崩落した石垣を修復した際に隅石の跡がなくなったのかもしれない。

すでに紅葉を終えた落ち葉が山道に。

二の丸裏御門跡。
右の石垣は二の丸三階櫓台

二の丸三階櫓跡(二の丸にて撮影)。
二の丸の南西隅、市街地に面して建っていた3層3重の隅櫓。
山上の丸の天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物となった。
石黒火事で焼失したあとも8年後に再建されたと。

途中、石垣が崩落している場所も。

天球丸と巻石垣。
天球丸手前を右へ進み、天球丸の一段下の曲輪へ廻ると、天球丸の石垣下に
球面石垣(巻石垣)が。

「巻石垣」は、石垣の崩落を防ぐことを目的に、江戸時代の終わり頃に築き足された
ものだそうで、同様の目的で築き足された石垣は国内各地の城跡で確認されているが、
いずれも角を持った石垣で、このような、角を持たない球面の石垣は、確認事例がなく、
全国唯一の珍しいものだと。つい最近、復元が完了したばかりとのこと。

石垣復興工事中。

地面には至る所に土を掘った箇所が。聞いてみるとイノシシの仕業と。

三階櫓石垣には「お左近の手水鉢」という説明板が立っていた。

江戸時代になって近代鳥取城の工事が開始された際、侍女 お左近 の手水鉢を
石垣に築きこんだら難工事だった三階櫓の石垣も無事完成したという伝説があるとかで、
その手水鉢と思われる石材が見つかったことから復元工事の際に三階櫓に埋め込んだとのこと。
看板の左上、丸い穴のあいた石材が。

鳥取城のスタンプをGET。

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