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隠居人はせじぃさん
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間宮林蔵の墓の前を通過。
林蔵は世界地図にただ1人その名を残した日本人の探検家。
寛政11(1799)年に初めて蝦夷地に渡り、翌年には蝦夷地御用雇となり、
箱館で伊能忠敬から測量術を学んだ。以後、文政5(1822)年に松前奉行が廃止
されるまで、林蔵はほとんど蝦夷地内で活動し、華々しい成果を挙げた。
とりわけ当時ロシアの半島と 思われていた樺太(カラフト)が「島」であることを
確認・発見したことにより、その海峡は現在でも彼の名前をとって「間宮海峡」と
呼ばれているのだ。

龍光院から円珠院へ行く途中で東京スカイツリーを見る事が出来た。

日蓮宗寺院の浄心寺本堂前を通る。

関東大震災殃死者の蔵魄塔(ぞうはくとう・納骨堂を兼ねた慰霊碑)は半円ドーム型、
慰霊碑は角柱。 殃死(おうし)とは、横死とも表記され、事故・殺害・災禍など思いがけない
災難で死亡することをいう。

有福蓄財の大黒天を祀ってある円珠院に到着。
深川七福神には、小さい神社や寺が多いのに驚いたのであった。
円珠院は、先ほど前を通った日蓮宗寺院の浄心寺の塔頭の一つ。
よって円珠院も当然日蓮宗そしてここに大黒天が。

入口には「深川七福神 大黒天」の文字が。

大黒天信仰には二つの流れがあると。一つは、大黒天を大国主命とする流れ、
これは多く神社に祀られていると。もう一つは、インド名をマハカーラという仏神の
大黒天、これは多く寺院に祀られているのだと。
円珠院に安置されているのは、インドの仏神の大黒天で財宝糧食の神様。
すなわち大黒天は人々に財宝を授ける神様として信仰されており、
限りない財宝糧食を蔵していることをあらわした小槌と大きな袋を持っていて
満面の笑みで出迎えてくれたのであった。

にこやかに微笑まれている大黒天の顔を見ているとホッとするのであった。
![G23c[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/9ec787c45c014f825d3566f3c2d15469099e4ff4.15.2.2.2.jpg?thum=53)
本堂で参拝。

本堂内部。

円珠院の本尊の大黒天は本堂に安置。

本堂横の社務所に入る。

大黒天の御朱印を頂きました。

円珠院の庭に置かれていた石像の肩には大黒天の神使のネズミが。

牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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