JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

続日本100名城東北の… New! オジン0523さん

【甥のステント挿入… New! Gママさん

2025年版・岡山大学… New! 隠居人はせじぃさん

ムベの実を開くコツ… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2016.06.06
XML

『旧東海道を歩く』ブログ 目次

先日、箱根湯本から箱根旧街道の石畳を上り、芦ノ湖に隣接する

箱根の関所まで歩き石畳の旧街道の歴史に触れ、コース上の

自然を満喫して来ました。 

この日もJR小田原駅で下車し箱根登山電車のホームに向かいました。

小田原駅を利用し、巨大な小田原提灯を見るのは5月で2回目。

DSC05167_R.JPG

小田急・箱根登山 小田原駅のホーム。 

近年リニューアルした小田急駅舎の屋根部分。

巨大なガラスドーム屋根がホームとその上のコンコース、更に改札外の店舗群まで

丸ごと被っているのです。屋根上には太陽電池パネルがあり、駅電力の一部を賄っていると。

DSC05168_R.JPG

箱根湯本駅までは箱根登山鉄道線で11番線ホームから。 

DSC05169_R.JPG

箱根湯本駅・終点で下車し国道1号線の歩道橋を渡る。 

正月2,3日の東京箱根間往復大学駅伝競走の5区の上りが始まる場所。

DSC05171_R.JPG

早川沿いを下流に向かって歩く。

赤い欄干の橋はあじさい橋。 

DSC05174_R.JPG

三枚橋に向かって進む。 

DSC05177_R.JPG

三枚橋。

かつては川幅が広く、2つの中洲があり、それこそ3つの橋が架かっていたので

三枚橋というようになったとのこと。

さらに、小田原から順番に、地獄橋、極楽橋、そして三昧橋と呼ばれていたと。

橋を渡ると早雲寺があり、この寺に逃げ込むと、どんな罪人でも罪を免れると言われ、

追手も地獄橋までは追うが、その後は追わなかったと。

まさに地獄橋と極楽橋であった様だ。三昧橋はその先は「仏三昧に生きよ」という意味であると。 

DSC05178_R.JPG

小田原からここまでは殆ど今の1号線が旧道と同じ道。

ここから旧東海道は、この三枚橋を渡っていくことになるのです。



三枚橋から上流を望む。 

下を流れる早川は箱根の芦ノ湖を源流とする川で、湯本で巣雲川と合流し、

小田原市早川で相模湾に注いでいるのです。

ここから箱根旧街道散策をスタートする。

標高88mのここ三枚橋付近から始まる今回の行程は徐々に勾配をあげて、

820mの最高地点に達した後、標高732mに位置する芦ノ湖畔の元箱根へと

至るという、標高差およそ740mを克服する歩行距離約11.6kmのルート。

時間は8:15。

DSC05180_R.JPG

三枚橋を渡り、だらだらとした坂道を暫く歩くと白山神社が左手に。 

DSC05181_R.JPG

白山神社は、旧街道を挟んで早雲寺の反対側にあり、江戸時代までは白山権現と呼ばれ

湯本温泉の鎮守であるとのこと。

祭神は下記。

白山比め大神=菊理媛命(くくりひめのみこと)

伊奘諾命(いざなぎのみこと)

伊奘冉命(いざなみのみこと)

比較的小さな拝殿。

DSC05183_R.JPG

稲荷社。

箱根湯本は、箱根で最初の温泉ともいわれ、源頼朝や北条早雲も浴したのだと。

稲荷社は伏見稲荷大社より勧請。

DSC05184_R.JPG

本殿横の奥には巨岩も祭られていた。 

DSC05186_R.JPG

旧街道を挟んで反対側にある早雲寺に向かう。

早雲寺の比較的新しい竹垣。脇の入口より境内に入る。 

DSC05191_R.JPG

小田原北条氏の菩提寺 早雲寺の茅葺の鐘楼堂。

鐘楼は江戸後期の寛政年間の建物と考えられている(箱根町文化財)。

梵鐘は1330年(元徳2年)の鋳造で、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が

石垣山の一夜城で使用したものと伝えられている(県重文)。 

ところで「北条」と書くのが正しいのか「北條」が正しいのかどっち?

ネットで調べてみると、結論としては「条」と「條」は同じ字、なのでどちらも正しいと。

ただし「條」は「条」の旧字で、現在常用漢字となっているのが「条」とのこと。

DSC05194_R.JPG

俳聖松尾芭蕉が敬慕した連歌師・飯尾宗祇の句碑。

「世に帰(ふ)るも 更にしぐれの やどり可奈」 

意味・・時雨降る一夜の雨宿りをするのは侘しい限りであるが、更に言えばこの人生

     そのものが時雨の過ぎるのを待つ雨宿りのようではないか。

DSC05197_R.JPG

本堂。

早雲寺は、1521年(大永元年)、北条早雲(伊勢盛時)の遺言により二代氏綱が

創建した臨済宗大徳寺派の寺院。本尊は釈迦三尊仏(室町時代)。

小田原北条氏の菩提寺として栄え、1542年(天文11年)には後奈良天皇の

勅願寺となったが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原攻めの際、

秀吉軍の本陣が置かれ、石垣山の一夜城が完成すると焼き払われた。

その後、1627年(寛永4年)、十七世菊径宗存によって再建されているとのこと。

DSC05198_R.JPG

木々に覆われた境内は500年の歴史を物語るように静かな空気に包まれていた。

北条五代の墓(供養塔)に向かう。 

DSC05200_R.JPG

右から初代北条早雲、二代氏綱、三代氏康、四代氏政、五代氏直と並ぶ。

旧韮山城主北条氏規(氏政の弟)の子孫、氏治が寛文10年(1670)に

先祖供養のために供養塔として建立したもの。

DSC05202_R.JPG

北条早雲(1432~1519)の墓(供養塔)。

「早雲寺殿天岳宗瑞公大居氏俗名伊勢新九郎長氏」と刻まれていた。

早雲の供養塔には北条ではなく「伊勢新九郎長氏」の文字が刻まれていた。

北条早雲は備前生まれ、戦国時代初期を代表する武将。

京都から駿河今川家に身を寄せ伊豆・相模を攻略、戦国時代の幕を開いた。

伊豆韮山で没。享年八十八歳。 

DSC05204_R.JPG


室町時代の代表的連歌師、飯尾宗祇の墓。 

こちらは稲津祇空の墓。

紀伊国屋文左衛門の手代をしていた頃、蕉門の榎本其角から俳句を学び、

宗祇を慕って墓前で剃髪した俳人で、晩年はここに草庵を作り宗祇の墓守をしたと。 

DSC05206_R.JPG

開山・以天宗清和尚の木造が安置されている開山堂。

開山堂は、近年、鎌倉円覚寺の舎利殿などを参考に建てられたというもの。

DSC05208_R.JPG

「開山堂」 と書かれた扁額。

DSC05210_R.JPG

本堂裏の庭園。

DSC05211_R.JPG

本堂正面に戻り、本堂と庫裡を結ぶ渡り廊下。 

DSC05212_R.JPG

客殿は民家の如し。 

DSC05214_R.JPG

本堂の屋根には、北条氏ゆかりの寺紋・「三つ鱗」が。

しかし血縁がほとんどない小田原北条氏(後北条氏)が、鎌倉北条氏を受け継いで

この紋を使用している理由は何なのであろうか?知りたいのである。

DSC05217_R.JPG

早雲寺  惣門。 この門が正門なのであった。

DSC05218_R.JPG



                   ・・・​ つづく ​・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.03.16 16:41:07
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: