PR
Keyword Search
Comments
New!
隠居人はせじぃさん
New!
Gママさん
noahnoahnoahさんCalendar
一の鳥居~二の鳥居の間の参道横で待機していた九台の山車が
15:00を過ぎ、いよいよ順番に境内広場に入場を始めました。

一番山車の那須与一。
この皇大神宮は、鎌倉権五郎景政が開発した大庭御厨の総鎮守。
屋島の合戦で知られる那須与一が弓を奉納したとも伝えられているのです。
よって那須与一が一番山車?

本殿前の石鳥居の前を通り、指定場所に曳かれていきました。

そして二番山車も入場。

三番山車が続きました。

神武天皇も鳥居の前を。

そして次々に指定の場所へ。

本殿に向かって左側には一~五番山車が並びました。
こちらはやや逆光でした。

境内広場に勢揃いした各人形を斜めからズームで。
那須与一。

源頼朝。

神武天皇。

源義経。

徳川家康。

そして次には六~九番山車が正面右側の指定場所に陣取り、
境内広場での勢揃いも完了。

楠木正成。

浦島太郎。

日本武尊。

仁徳天皇。

場所を移動して二の鳥居前まで行きましたが、九台の山車を全て入れての
撮影には限界があったのです。

九台の山車が境内広場に勢揃いした後は、3台ずつ3グループに分かれ
それぞれの山車が前に出て、各グループそれぞれ10分間ほどのお囃子の
競演を楽しませてくれたのです。
原町の山車の破風屋根の上では、烏 いや 鷹の嘴の如き面を被り赤い旗を見事に
回転させる技を披露。

次には大きな扇子を片手に。

一番山車の前では、お囃子衆の長?である派手なご婦人?が横笛の披露を。

子供達にお菓子を配る恵比寿様の姿も。
この皇大神宮は藤沢七福神の商売繁盛の神・恵比寿様の神社。

七番山車の破風屋根の上では、白装束のおかめひょっとこの姿の男女が。

いつの間にか一番山車の破風屋根の上に上がって、化粧の濃いご婦人が踊りを披露。

次々とそれぞれの山車のお囃子と舞の競演が行われたのであった。

各山車人形の人物は町内で独自に選択したのであろうか?
源頼朝と義経兄弟の存在そして浦島太郎と、この辺の人物選択の経緯を知りたいとも
感じたのであった。
また、一から三の鳥居そして本殿が一直線上になく微妙にずれていたのであった。

山車の競演の後は、藤沢市無形文化財となっている「湯立神楽」が行われたのであった。
湯立神楽は、打囃子から始まりお祓い、掻湯、湯座、剱舞・・など伝統の神事だそうで、
搔湯では煮えたぎる釜の湯を掻きまわしてユタブサ(笹の葉等を束ねたもの)に
湯花を浸して、参拝者に振りまいて無病息災を願うものであると。
そして本殿前の階段に座り込み、体を休めながら喉を潤しカメラを覗いていると、
突然横から私の名前「・・・ちゃんだよね」と呼ぶ声が。
視るとなんとこの皇大神宮の近くに住む私の従兄ご夫妻であったのだ。
5年ほど前に挨拶程度での再会はあったものの、具体的な会話を交わすのは
なんと凡そ50年以上ぶり?なのであった。
帽子を被り、カメラを構えている私の姿を見つけてくれた従兄に驚き!!と感謝!!。
そして7人弟妹の我が父の、今は唯一元気で頑張っておられる亡き父の
妹の叔母さん(91歳?)を家に訪ねて楽しい時間を過ごし、叔母さんの昔と変わらぬ
元気な声に大いに励まされ、逆に元気ももらい充実した一日となったのであった。
そしてこの皇大神宮・烏森はまさしく「邂逅」の森。
やや大げさですが、人間は 様々な「邂逅」を積み重ねて生きて行く事、そして
人生で最も幸福なことは「邂逅」である事、更に「邂逅」の繰り返しで
今の自分がいること、この「邂逅」に感謝を忘れてはならないこと をあらためて
実感しながら従兄の車で自宅近くまで送っていただいたのであった。
「山車囃子 我をいざなう わくらば(邂逅)の森」・・・・・詠み人しらず。
江の島灯籠 2024へ(その7) 2024.08.30
江の島灯籠 2024へ(その6) 2024.08.29
江の島灯籠 2024へ(その3) 2024.08.26