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藤沢市打戻周辺の寺社巡りを続ける。
妙福寺 山門。

陽向山 妙福寺は 日蓮宗の寺。
寺の掲示板には『盂蘭盆と申し候事は』と。
お盆の正式名称は「盂蘭盆(うらぼん)」。
『「盂蘭盆」はインドのサンスクリット語の「ウラバンナ(逆さ吊り)からきた言葉と。
「逆さ吊り」が語源といわれると驚きますが、次のような由来が伝えられているのだと。
お釈迦様の弟子のひとり、目連尊者(もくれんそんじゃ)は神通力によって亡き母が地獄に落ち
逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。どうしたら母親を救えるか、お釈迦様に相談した
ところ、お釈迦様は「夏の修行が終わった7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて
供養すれば母を救うことができるであろう」といわれました。目連尊者がその教えのままに
したところ、その功徳によって母親は極楽往生が遂げられたということから、精霊を供養する
盂蘭盆会の行事が生まれたといわれています。
この盂蘭盆会の行事が日本の祖霊信仰と融合し、日本独自のお盆の風習がつくられて
いきました。

手水場。

日蓮上人像

祈願堂。

祈願堂の扁額には南無妙法蓮華経と刻まれていたがその他は読めなかった。

地蔵尊?

鐘楼

この妙福寺は慶長八年(1603)に徳川家康の側室であり、家康の次男結城秀康の
生母おまんの方(養珠院)が帰依した高僧日遠上人を開基開山として、創建。
当時は寺域が広く、七町歩あったが、後の社会変動、第二次世界大戦などを経て大幅に減少。
また昭和九年の火事で、堂塔を焼失した。二棟あった蔵にも火が入り、将軍関係などの
寺宝をすべて失った。記録類も失われたと。
平成五年、日遠上人第350遠忌の記念として、本堂・客殿・庫裡を新築。
本尊は日蓮、三宝諸尊を安置。

本堂には『陽向山』と書かれた扁額が。
十五代将軍慶喜は隠居後当寺で暮らすことを予定するなど、幕府の厚い保護を
受けてきた寺。鳥羽伏見での敗戦で、寺への隠棲は実現しなかったが、170人ほどが
宿泊可能な庫裡が建てられていたと。
しかし何故慶喜はこの様な田舎の土地に隠棲を決断したのであろうか?
家康への思慕か?

本堂前の可愛い地蔵さん。

本堂横を通り奧に進むと大きな敷石の先には素朴な御堂が。

手水舎。

八角形の屋根の御堂。

その奧にも墓所の施設が。

再び本堂前の境内に向かう。

右手に萩の花が。

本堂前の銀杏(イチョウ)の木。

多くの銀杏(ギンナン)が地面に。
「ギンナン」と「イチョウ」は違う漢字にして欲しいのですが・・・・。

境内から山門、鐘楼を見る。

さらに車を走らせ大法寺へ。
大法寺は、藤沢市打戻の字榎戸にある寺院。
1596(慶長元)年、僧、正誉によって開山された浄土宗の寺院で、
元、上土棚にある蓮光寺の末寺であるが、現在は無住の寺院らしい。
本尊は阿弥陀如来で、この像は、寺が創建される前路傍の御堂に厨子に入って
安置されていたものと伝えられていると。
また、本堂には1972(昭和47)年に修理した閻魔王像、法然・善導坐像、神像二体が、
また、境内には1822(文政5)年の光明真言供養塔、聖観音塔、地蔵菩薩像と慶蔵坊の碑が
あるとのことであったが、門が閉まっていて中には入れなかった。

日吉神社。
内戻の農村地帯の農道の横にあるある素朴な神社。
鳥居と祠がある程度で、素朴そのもの。

神社の由来の解る説明板なども立っていなかったので、縁起などは不明。
敷地に「寛政十戊午歳霜月」と刻まれた石碑が立っていたので、比較的古くからの
神社。
寛政十戊午歳とは1798年、約220年前。

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