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先日は赤坂で忘年会があり、早めに家を出て久しぶりに赤坂散歩を楽しんだのであった。
小田急線、JR中央線を利用し四ッ谷駅で下車。
四ッ谷見附の交差点を左折して歩くこと数分で四ッ谷中学校前交差点に。
この場所から正面に迎賓館が姿を現した。

若葉東公園は、迎賓館と調和のとれるように設計された公園。
公園は、中央を通るユリノキの並木道を挟んで左右にひろがっていた。
周囲三方を道に囲まれているため、正三角形をしているのが特徴。

赤坂迎賓館(げいひんかん)正門に到着
迎賓館は、外国の国家元首や政府の長などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設。
皇居宮殿での歓迎晩餐会の答礼など、外交儀礼のための接宴として、天皇や皇族などが臨席し、
晩餐会が行なわれることもあるのです。

中央に一段高い正門。

上部には菊の御紋章が。

赤坂迎賓館正面玄関アプローチと左右に前庭。
設計したのは片山東熊。迎賓館の他には東京国立博物館の表慶館や新宿御苑御休所など
数々の宮廷建築を手がけている。東京駅,日銀を設計した辰野金吾,三菱1号館,
慶應義塾大学図書館の曽禰達蔵,日本郵船小樽支店の佐立七次郎と共に工部大学校の第一期生
ジョサイア・コンドルの最初の弟子のひとり。

赤坂迎賓館 正面中央エントランス。
赤坂迎賓館は鉄骨補強レンガ造、花崗岩貼り 地上2階・地下1階。

赤坂璃宮の装飾はどれも特徴的。
ペディメント(pediment)には菊花御紋章に甲冑や弓矢,兜などで装飾されている。
ペディメントとは西洋建築における切妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた
三角形の部分である。 日本建築の「破風(はふ)」に該当。
壁面のレリーフは勲章の紋章で中央が旭日章で左右が瑞宝章になってる。
設計した片山東熊も旭日大綬章を受章しているとのこと。
ペディメントを支えるオーダー・支柱はコンポジット式だ。

屋上の左右にある青銅製の甲冑をズームで。
![b0209106_057293[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/c4b769a89721dec347390417b3d6424f6bbc158e.15.2.2.2.jpg?thum=53)
さらに左右に二つあるドーム型の装飾。
地球儀のような球体の星は天体を表し、鎖国から解かれて世界へと進出してゆく
日本の様子を表していると。それを囲むのは鳳凰で、地球儀を守るように羽を広げていると
同時に、胸を張って羽ばたいていくようにも伺える。
中央の五七の桐花紋は日本国政府の紋章。内閣総理大臣・日本国政府・内閣府が
政府の紋章として使用していると。
「五七桐」は花の数が5−7−5になっているもの。
豊臣秀吉は、信長の家臣時代は「五三桐」を活用していたが、姓を豊臣と改めた時に
「五七桐」を当時の後陽成天皇から与えられたのを機に、用いる家紋を後者に切り替え
たのだと。
桐の木にとまると云われる鳳凰(ほうおう)が象徴的。

東側のレリーフには楽器,絵筆,パレットなどの芸術に関連する装飾,西側は農作物,
農具,歯車,スパナなどの工業や農業に関するレリーフで飾られていた。
片山東熊の設計した宮廷建築はこのような興味深い装飾が多いのだと。

前庭には迎賓間に向かう道が両側にも。

鉄柵越しに庭を見ると九十九里産の黒松の間から
「東衛舎」(守衛の休息所・寝室)が見えた。

こちらにも「五七の桐」 の紋章も付いていて、立派な建物。


迎賓館の東・外堀通りを下って行くと左前方にホテル・ニューオータニ東京の姿が。

外堀通り右側にあったのは迎賓館東門。
元々は紀州藩徳川家中屋敷の建物の一部。
明治末期に移築改修され、現在は迎賓館の東門として
使われている御所風の和風の門。

迎賓館の壁には黄色の葉の蔦が。

赤の葉の蔦も。

弁慶橋ボート場(弁慶フィッシングクラブ)。
紀尾井町の東側から南側に水をたたえている弁慶堀に架かっている橋。
清水谷公園前を通って、紀尾井町から港区元赤坂一丁目に通じる道筋にあります。
明治22年(1889)に、それまで神田松枝町と岩本町との間にあった弁慶橋が不用になったため、
ここに移された。江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋であることから、
弁慶橋と名付けられたといわれているのだ。

紀尾井タワーの入口に咲き誇る大きくカラフルな花々。
「Echoes Infinity ~Immortal Flowers~」 大巻伸嗣 氏の作品と。

そして裏側からホテル・ニューオータニ東京に入る。
ホテルニューオータニ本館は東京オリンピックに間に合うよう、昭和38年(1963)4月着工、
竣工は昭和39年8月31日、ホテルの開業は9月1日。

当時としては最高層となる17階建ビルの最上階に設置されたのが展望回転レストラン。
東京オリンピックの来日客に富士山を見せたいという創業者 大谷米太郎の理念で設置されたと。
フロントの前まで行く。

フロント前にはクリスマスツリーが飾られていた。

四季折々の美しい日本庭園を一望するホテル・ニューオータニ東京ならではのラウンジ。

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