JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.02.14
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カテゴリ: 国内旅行

昨年末に計画しましたが延び延びになっていた三浦半島巡りの旅を、天気が良く富士山が見える

可能性が高いこの日・2/7(水)に決行したのです。

7時前に外に出ると外には下弦の月が。

DSC03050_R.JPG

いつもの旅友のSさんが早朝7時に迎えに来てくれるはずが7:15になっても未到着。

何かあったかと電話すると9時ではなかったの?・・・・・と。 

よって8時半過ぎに我が家で私をひろってもらい出発し、まずは逗子マリーナに向かう。

カーナビの指示に従いJR鎌倉駅前を通過し進むと、鎌倉八幡宮一の鳥居が見えて来た。

御影石で作られた大きな鳥居、道路の真ん中にドーンと立っています。

明治時代の中頃までは、この「一の鳥居」のところまで段葛(だんかずら)が続いていたのだと。

江戸時代やそれ以前の古地図や絵図をみると、すぐ近くに海岸が迫っていたようです。 

この一の鳥居横を通り左に折れ光明寺総門前を通過。

小坪海岸トンネルを出ると目の前に逗子マリーナのマンション群が現れる。

ここは現在の名は『RIVIERA ZUSHI MARINA』。

逗子マリーナの開発は、地中海のリゾート地をイメージしたマリーナとして西武流通グループ

(後のセゾングループ)によって行われた。敷地は逗子市小坪の岩礁を、鎌倉霊園造成工事の

残土を用いて埋め立てることで造成され、1971年(昭和46年)6月に開業したのだ。

大学生の頃、小坪海岸トンネルの手前鎌倉側に友人の家があり、この場所は何度か

訪ねた場所なのだ。 

駐車場に車を駐め散策開始。

逗子マリーナらしくヤシ並木が立ち並ぶ。

まるで地中海、ハワイの雰囲気。 

そして富士山の絶景。手前に江の島の姿が。

DSC03063_R.JPG

ズームで。

箱根の山々も所々の残雪が白く輝いて見えた。

DSC03064_R.JPG

稲村ケ崎の白き崖、切通しもはっきりと。 

DSC03067_R.JPG

逗子マリーナとマンション群。

「SEASIDE RIVIERA」のプールの水面には薄氷が。

再び逗子マリーナからの富士山。

結婚式場の「SEASIDE RIVIERA」。

『RIVIERA ZUSHI MARINA』を後にし、再び小坪海岸トンネルを通り大回りして

海岸線・国道134号線に出る。

そして逗子海岸手前の駐車場に車を駐め134号線沿いを散策。

「蘆花之故地」と書かれた木製の記念碑。

文学博士藤原楚水の書とある。裏に徳冨蘆花の簡単な経歴が書いてあった。

断崖の中腹に位置する白滝山高養寺。

高養寺は元々は浪切不動と呼ばれ漁師達の厚い信仰を得ていた。

それが明治の文豪「徳冨蘆花」がこの高養寺を舞台とする小説「不如帰」を発表し、

そのヒロインの名が浪子であったために、いつの頃からか高養寺も浪子不動と呼ばれるように

なったと。

「高養寺」前の園地にあったさくら貝の歌の碑 。

「♪♪うるわしき さくら貝ひとつ 去りゆけるきみに捧げん♪♪」。土屋花情の詩。    

作曲家八洲秀章が創作した短歌に逗子町役場に勤めていた友人の土屋花情が自身の思いを重ねて

作ったと。昭和24年「さくら貝の歌」はラジオ歌謡として放送され、今も愛唱されている。

碑は赤の御影石で作られ花情の文字が刻まれていた。

不如帰(ほととぎす)と刻まれた石柱が逗子海岸の海の上に立っていた。

逗子を舞台にした小説「不如帰」を書いた明治の文豪「徳冨蘆花(とくとみろか)」の

功績を讃える文学碑。ココは岩礁地帯であり、干潮時には不如帰の碑も完全に陸続きになるので

歩いてこの文学碑まで行く事が出来るのだがこの日は・・・。

徳富蘆花が逗子で保養中に聞いた話をもとに書いた明治のベストセラー小説「不如帰」を称え、

昭和8年「高養寺」(浪子不動)前の海中の岩場に建てられたと。    

使われている石は江戸城の石垣用のもので、佐賀鍋島藩が伊豆の石を船で運ぶ途中事故に遭い、

海に落ちたものだと。    

石碑の文字は蘆花の兄蘇峰の筆で、碑の下には蘆花愛用の筆と硯が収められているのだと。

石碑の上に海鳥が羽を休めていた。 

そして駐車場の奥の階段を登り披露山公園(ひろやまこうえん)を目指す。

マンションの壁際をずぅーっと登って行くと途中で分岐があり、左へ曲がり蛇行しながら

登って行くと披露山公園の駐車場に到着。

披露山の山頂(標高92m)に位置する公園

眺望がよいことで知られ、 三浦半島 相模湾 の景色を一望できた。

また園内では、 ニホンザル 水鳥 などの動物を飼育していた。

戦時中は海軍の小坪高角砲台として 2連装12.7センチ高角砲 2基と高射装置( Director )を備えた

指揮所が存在したと 。指揮所跡にレストハウスを設け、砲台のすり鉢型の砲座跡を猿舎と展望台、

花壇に利用しているのだと。

「関東の富士見百景」、「かながわの景勝50選」及び「かながわの公園50選」に選定されている。

山頂にあった円形の 展望台とその脇に富士山。

ここからも富士山と江の島の絶景が。

眼下に先程訪ねた『RIVIERA ZUSHI MARINA』の白きマンション群が。

DSC03097_R.JPG

自動車用の道路橋・江の島大橋もはっきりと。 

葉山マリーナ方面。 

DSC03110_R.JPG

そして大島の姿がはっきりと。

三原山の頂上付近には白き雪が。 

DSC03109_R.JPG

公園内の猿舎の中には多くの猿が寒そうに。

すり鉢状の砲座跡を再利用した物であると。

しかし何故、この場所で猿を飼育しているのであろうか?

どの様な経緯でココに猿を置く事になったのか非常に気になったのです。

尾崎行雄記念碑。

終生逗子で過ごした「憲政の神様」と言われた政治家、尾崎行雄の記念碑であり、

「人生の本舞台は常に将来に在り」と刻まれていた。

往路と同じ山道を駐車場に向かって下る。途中山道を頑張って登る園児の集団にも出会う。 

そして披露山にある高級住宅地・東急ドエル逗子披露山シーサイドコートには国道134号線から

ゲート付き居住者専用トンネルがあり、マンションの敷地まで続いていたのであった。

DSC03116_R.JPG

そして次に葉山マリーナへ。

葉山港は「日本ヨット発祥の地」であると。

葉山ヨットハーバーからの富士山。

葉山ヨットハーバーから披露山の頂上近くに大きなコンクリート製の建物が。

逗子を舞台にした小説「太陽の季節」などで知られる作家で元衆院議員・都知事の石原慎太郎氏の

実家であったと。今は売却されていると地元の散歩中のオジサンから。



​つづく​ ​・・・






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Last updated  2018.02.15 01:05:27
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